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07-001 島の生存者
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相模洋佑は30人もの生命を背負っている。その重圧に押し潰されそうだ。植松久司と袂を分かってから、3回目の春を迎えようとしていた。
ゾンビ事変発生後、丸4年が経過し、5回目の春になる。
洋佑は彼の両親の死に関して、植松の杜撰な食糧調達計画に原因があると考えていた。深い怨みを抱いているわけではないが、彼が植松に従う理由を見いだすことはできなかった。
だから、八丈島に到着した数カ月後には、1人でグループから去った。
その後、LCCのグランドスタッフ(乗客対応)だった岩代陽鞠が単独で参加。さらに、ビジネス機の整備士であった因幡アシュリーが加わった。日を置かず事変発生時は大学入学直前だった入瀬真緒もやって来た。
洋佑はモテモテだと最初は喜んだが、女性3人が洋佑を頼った理由は植松の所業に理由があった。
植松は人格者とされていたが、女性にはそうではなかったらしい。確かに妙齢な女性以外には人格者だったのだろうが、彼女たちにとっては危険で気持ち悪いセクハラ親父でしかなかった。
真緒は、両親を失った12歳以下の若年者を束ねていた。真緒が洋佑の住処に逃れると、彼らもやって来た。
この時点で、洋佑は10人を少し超えるグループのリーダーになった。
その後も洋佑と真緒のグループに移る生存者が途絶えなかった。結果、事変後3回目の秋には30人を超えていた。
八丈島は、生存者には過酷な環境だった。島民7500人はすでに避難しており、彼らが到着したとき、島には誰もいなかった。死人もいない。
島のヒトたちは避難するにあたって、島内にある食糧のほとんどと、動かせる物資を根こそぎ持っていった。
見事なほどの徹底ぶりだった。
八丈島には相当規模のスーパーが2店あるが、どちらの店の商品棚も空だった。もちろん、バックヤードにもない。生鮮食品を含めて、すべて消費したか搬出したようだった。
だから、民家に残る持ち出し忘れのわずかな食糧しかなかった。
死人がいないことを喜んだが、同時に食糧不足に直面した。
状況は最悪だった。彼らを乗せてきたエアバスA320は、滑走路上に落ちていたトタン板を踏んで前輪を損傷してしまう。
これで移動できなくなり、加えて、3000メートルの滑走路のうち1200メートルが使えなくなった。
生存者たちは、島に閉じ込められた。
洋佑は真緒から報告を受ける。夕暮れ時で、照明を点けたいがポータブル電源の持続時間からギリギリまで我慢している。
薄暗い室内で、真緒の表情も暗い。
「お醤油は節約しても1週間、お砂糖は2週間、お味噌はもうない……」
コショウや七味唐辛子は、とっくになくなっている。塩もない。海水を煮詰めて、濃い塩水を作り代用している。
ワサビやショウガ、ニンニクなんて、当然ない。
数週間後には、塩味以外の味付けができなくなる。古墳時代以前の調味料事情になってしまう。
「ジャガイモと魚だけで、生きてきた。
だけど、もう無理だ。
ゾンビもいる。逃げないと」
「でも、どこに行けばいいの?
どうやって、逃げるの?
私たち、海の真ん中にいるんだよ。
私たち、どこにも行けないよ。
他所のほうが危険だよ。ゾンビは多くないし……。
洋佑だって、そう思うでしょ」
「真緒、俺はホワイトベースが気になって仕方がないんだ」
「騙されないで。
お願いだから!」
「あぁ、だけど、このままじゃ、植松たちと同じになる。
飢える前に、どうするか考えないと」
「大島に行ってみようよ」
「いや、大島はゾンビだらけだ。
行けば必ず犠牲者が出る。
ダメだ」
「じゃぁ!」
「御蔵島がいい。
そう思う。
御蔵島はもともと人口が少ない。ゾンビはいるけど、多くないから、どうにか避けることはできるはず。
真緒はどう思う?」
「ゾンビがどこにいるのかわからないんだよ。
避けようがないよ。
住めないよ」
「いや、住むつもりはない。
中継地だ。
俺たちの船じゃ、遠くへは行けない。船体に亀裂があるから……。御蔵島なら船があるかもしれない。
それに、少しなら食糧が手に入るかも。
三宅島、神津島、新島。
島伝いに移動しながら、食糧を探す」
「ゾンビに噛まれていないのに、死んだらゾンビになるなんて……。
洋佑、知ってた?」
「知ってるわけないよ。
病死なのにゾンビになった。
植松たち、何人残っているのかわからない。全員がゾンビかもしれない……」
洋佑たちは、死人を排除する判断をしたことがない。死人から一方的に逃げていた。死人は生きているのではないか、未知の病気ではないか、との可能性を否定できていない。
だから、排除するという判断にならない。
洋佑たちは、善良なヒトたちだった。
「盛岡に自衛隊が管理する安全地帯があるんだって。サンクチュアリって、呼ばれているけど……。
洋佑はどう思う?」
真緒の問いかけは、もちろん洋佑も知っている。
「盛岡サンクチュアリか……。
どうなんだろうね。
放送は聞いたけど、俺のときは録音の繰り返しだった……」
「じゃぁ、ホワイトベースは?」
「あの無線通信は、全部肉声。生きているヒトが発した声に、生きているヒトが答えている。
少なくとも、無線を使うグループがいる……」
「作り話かも。
生存者を捕らえて、物資を奪うヒトたちもいるし。
罠じゃないかな」
「植松みたいにか?
だけど、最近の彼はどうしているのかな?」
「ゾンビになったんじゃ?」
「かもしれないし、次の襲撃を計画しているかもしれない。
漁港に現れたゾンビは、植松の仲間だったらしい。風貌が変わっていて、はっきりはしないけど、可能性は高い。
海に飛び込んで逃げ切ったけど……」
「1人は泣いていたし、1人は怯えきっているよ。
2人とも、この家から出られなくなっちゃった」
「だからさ。
真緒。
この島から、逃げ出さないと」
「私、怖いの。
島の外が……」
洋佑たちの拠点は、ペンションだった。2階建てだが鉄筋コンクリート造りで、壁が厚い。1階はダイニングとリビング。キッチン、トイレとバスルーム。
客室は10で、大きな窓がある。1階の窓は、すべて板を打ち付けてある。1階は昼間でも暗いが、安全には代えられない。
危険な相手は食糧を狙う植松たちだったが、現在は死人を警戒している。洋佑たちが死人の存在に気付いて以降、植松グループのメンバーを見ていない。
全員が死人になったか、一部が島を脱出した可能性がある。
洋佑たちにとっては、数体の死人でも生存を脅かす脅威だった。
2個のLEDライトが点灯するリビング・ダイニングに32人が集まっている。
最年少は6歳、最年長は65歳。40歳代は1人、50歳代はいない。
20歳代後半から50歳代までの分別のある大人たちの多くは、植松久司についていった。彼らの家族も。
洋佑たちは、人格者・植松久司に刃向かう幼稚な考えの反社会性向者だった。
「ゾンビが西の海岸にも現れた。
安心して、外に出られない」
肥後海人が「漁港の突堤に追い詰められたときは、死を覚悟した。海に飛び込んで助かったけどね」と。
最上篤志が「アシタバ畑にも現れたよ。気付くのが遅れたら、誰かが犠牲になっていたかも」と。
相模洋佑が「コメやパンは1年以上口に入れていない。ジャガイモと魚ばっかり。それに醤油や砂糖もなくなりかけている。もう限界だ。みんなで島を出ないか?」と。
洋佑の提案は、15歳以上のメンバーにとっては唐突ではなかった。15歳以下は、島を出たがっていた。
柿木忠志が「当然の判断だと思う。このままでは石器人になっちゃうからね」と真顔。
大仏早苗が「どこに行くの?」と不安な目をする。彼女は体力に自信を失いかけている。ゾンビ事変から丸4年で、彼女は61歳から65歳になり、過酷な生活の中で身体の衰えを実感している。
足手まといになりたくないという気持ちと同時に、見捨てられたくなかった。
洋佑の計画は自滅的でもあった。
「最初の目的地は御蔵島」
元旅客機パイロットの忠志が顎をかく。
「90キロある。
船体に亀裂のある漁船で90キロはきついな」
元数学者の長谷博史は楽観的。
「亀裂は喫水線よりも下にあるわけじゃない。浸水はしないよ」
レーシングエンジンのチューナーだった風間幹夫は用心深い。
「だけど、構造強度に影響しているはず。でなければ、船体上部左右の同じ位置に同じ長さの亀裂はできない。
船体が折れかけているから、島民は使わなかったんだ。
避難にね。
だけど、エンジンは確実に動く。船首が折れなければ、太平洋を渡れるよ」
忠志が「小さい船がもう1隻ある。引いていこう」と提案。
洋佑が「機長に賛成だ」と。
忠志は副操縦士だったが、グループ内では“機長”のあだ名で呼ばれていた。博史は大学の特任講師だったが、グループ内では“教授”と呼ばれている。もう1人の事変発生時成人男性だった幹夫は、6歳女児の父親なので“パパ”と。
機長、教授、パパ、そして、最年長の大仏夫妻の意見は、最大限尊重されている。
洋佑の評価では、植松久司が人格者なら5人は神様・仏様だ。5人が普通の大人なら、植松はただのクソ野郎。
機長、教授、パパ3人に共通の分析があった。それを長谷博史“教授”が代表する。
「我々の船は、波の穏やかな状態でも長くは持たない。船体に負担をかけないよう走らせても、御蔵島にたどり着けるかどうか?」
洋佑はそれでも御蔵島を目指したかった。20フィート級の小さな漁船でも3隻か4隻あれば、全員が一緒に移動できる。
「御蔵島にたどり着ければ、大きな船はないだろうけど、小さな船なら必ずある。
島伝いに伊豆を目指そう。
伊豆の島々のどこかに、全員が乗れる船があるはず。その期待に賭けるしかない」
入瀬真緒が「行き当たりばったりだけど、希望があると思うしかないよ。このままじゃ、いつか、誰かが、ゾンビの犠牲になっちゃう」と。
八丈島には、残された自動車が少なく、多くは動かなかった。部品が取り去られている。
船はキャビンがない20フィート(6.1メートル)以下の船は少数が残されていたが、キャビンのある船は大きさや船種に関わらず一切なかった。
島民が島からの脱出に使ったことは、ほぼ確実だと洋佑たちは判断している。キャビンのない漁船も、より大きい船に曳航されていった。
だから、残された船が極端に少ない。島民がどこに向かったのか、まったくわからないし、漁船だけで自動車を運べたはずもない。大がかりな計画だったはず。
その結果、洋佑たちが物資不足で苦しんでいる。しかし、それは島民に責はない。
年少者の数人から「海は怖い」「沈んだら溺れちゃうよ」など、移動を嫌がる意見が出た。
本質的には、海と死人のどちらがより怖いかだ。この恐怖の比較は、冷静な判断力のある洋佑たちにも影響していた。
洋佑が「俺だって、得体の知れない船で90キロも航海したくないよ。だけど、ゾンビはもっと怖いんだ。この島から逃げ出したい」と真実の気持ちを明らかにする。
真緒は内心では、洋佑の心中吐露を下策だと感じていた。年少者たちが泣き始めたからだ。
真緒は洋佑が善人過ぎると感じている。真緒は、両親の死の悲しみを植村への憎悪で中和している。
しかし、洋佑はそこまでではない。植村に強い不信感はあるが、怨みを抱くほどの感情はない。
真緒にしても、植松をどうこうしようなんてまったく考えていない。単に悪い感情と警戒心があるだけ。
彼女もまた、善人だ。
スカイパークの秘匿名はアウドムラ。その名の由来は北欧神話ではないことは明らか。大滝根山分屯基地はザンジバル。この名の由来もタンザニアとは無関係。
ホワイトベースの無線通信は、洋佑以外も注目している。
例えば、肥後海人。彼は積極的に、夜間に電波を拾っていた。
海人は数人の年少者と一緒に、テラスで無線を聞いている。判断の難しい会議が終わり、結論をどう考えるか迷っていた。
島に残るも地獄、出れば地獄、どちらの地獄がマシか?
そんな究極の選択だ。海人は、島に残る地獄はゾンビではなく、飢えではないかと感じている。ゾンビがいる以上、食糧確保が難しい。
全周を警戒しながらの農作業なんてできるはずはないし、突堤に追い詰められたときの恐怖は心に刻まれている。
島を出ること自体は反対ではない。しかし、行くあてのない放浪の始まりなら、断固反対だった。
彼は、盛岡サンクチュアリの存在を示す証拠がないと判断している。噂でしかないと。
だが、ホワイトベースは頻繁に電波を発している。
最近は、極端に増えている。
無線封止を解いた高原は、おしゃべりだった。スカイパークとの頻繁な交信は、否応なく傍受されている。
八丈島もその1つで、電波状態のいい夜間になるとよく聞こえた。
[真藤さんはいるかい?]
京町光輝は、高原の幹部である岸辺芭蕉からの無線に緊張する。
[いいえ。
ザンジバルに行っています。
明日には戻る予定です]
[そう。
真藤さんに伝えてもらえるかな?]
[はい]
[肉まん20個、今週末まで]
[肉まん、ですか?
餃子でなくて?]
[餃子?]
[真藤さんの超ジャンボ餃子、マジ美味いですよ]
[あなたは?]
[京町です]
[京町さん。
肉まん20個、餃子10個。
真藤さんに、そう伝えて]
[はい……。
でも、無理かもしれません]
[真藤さん、本業が忙しいの?]
[実は、礼文組がメカジキを釣ったんです。
解体しないと、飛行機に乗らないとかで……。
とんでもなく大きな魚らしいです]
[……。
礼文組?
メカジキを釣った?
どこで?
どうやって?]
[さぁ、釣りをしたことがないんで……。
真藤さんは、特製牛丼以外とはメカジキは交換しないって……]
[おお!
交換の用意があるんだな!
特製牛丼は何とかする。メカジキもよこせって、真藤さんに伝えて]
[承知しました。
必ず伝えます]
スカイパークからアウドムラへの通信は、いつもよりも明瞭に聞こえた。
女の子が「肉まん食べたい……」と涙ぐむ。海人は牛丼の味を脳が覚えていることを知る。唾液の分泌が止まらない。
男の子が「美味しいもの食べてて、ズルイよ」と。
少し年上の女の子が「ホワイトベースって、どこにあるの?」と海人に尋ねる。
「わからない……。
わからないんだ。
わかれば、そこを目指したいんだけど……」
「聞いたら?」
「ホワイトベースに?」
「うん」
「教えてくれないよ」
「どうして?」
「悪いヒトがたくさんいるから」
「私たち、悪いヒトじゃないよ」
男の子が「食べ物の交換なら?」と。
年上の女の子が「私たちには交換する食べ物なんてないよ」と下を向く。
「いや、ある。
パッションフルーツとフルーツレモン……」
洋佑の計画は、4人の年少者たちと密かに立案された。秘匿名は、肉まん作戦。
まず、全員で御蔵島に移動する。御蔵島の島民は島の北部にしか住んでいない。南側には人家はないし、道もない。雨露をしのげれば、しばらくは耐えられる。
島を探検すれば、安全な場所があるはず。八丈島のように島の全周に道路が整備されていない。
全員が御蔵島に避難したら、数人が八丈島に戻る。パッションフルーツとフルーツレモンの栽培ハウスを守る。
そして、ホワイトベースに無線で連絡する。
パッションフルーツと肉まんとの交換を持ちかける。成功するかはわからないが、これしか接触する方法を思い付かない。
数週間後に収穫できるハウスがある。
最上篤志は、ジャガイモの収穫を急いでいる。過去数年間、ジャガイモが主食だった。動物性タンパクは魚、パッションフルーツとフルーツレモンがビタミンなどの不足を補い、アシタバが唯一の葉物野菜となっていた。
漁獲は天候に左右される。電力も天候次第。冷凍冷蔵保存は完全じゃない。
年に何回も台風直撃があるのだから、農作物の収穫次第で彼らの運命も決まる。
植松グループのその後は知らないが、やせ細った何人かを見ている。
空港に残っていた燃料を独占し、住宅街の過半以上を“領土”として民家に残る食糧を確保して、一時は豊かな生活ができた。
一方、篤志たちは長期の生存を目指して、最初から半農半漁を目指していた。だから、出足は苦しかったが、月日を重ねるごとに余裕が出てきた。
アリとキリギリスだった。
想定外は、死人に噛まれなくても、死亡すれば死人になること。植松グループから死亡者が出ると、自動的に死人が現れる。死人に噛まれれば死に至り、そして死人になる。
死人はねずみ算式に増えていく。
篤志は植松と彼の仲間には一切の同情心はないが、まさか死んでも脅威になるとは考えてもいなかった。
彼の努力、彼の仲間の努力が無に帰しようとしている。
それに我慢できなかった。
「生きていても邪魔をした。死んでからも邪魔をする。
ふざけたヤツらだ」
心の中でそうは思っているが、口にしたことはない。助けを求められたら、何もしないという判断はない。
彼も善人だった。
印旛アシュリーは、空港に飛べる飛行機が残っている可能性を捨てていない。
エンブラエルの双発ターボプロップ機は、完全な状態ではないかと。整備すれば飛べるのではないかと考えている。
だから、何度か植松グループのテリトリーである空港に危険を承知で接近している。
植松グループの消息が途絶えているので、空港を調べたかった。エンブラエル機が無事で、燃料が残っていれば、船首部左右に亀裂がある船を使わなくてもいい。
アシュリーは、彼女の考えを風間幹夫以上の年齢者だけに伝えた。
最年長の大仏洋二がフェンス外で見張り。風間幹夫、柿木忠志、岩代陽鞠、因幡アシュリーの4人で空港内に侵入する。
足に障害のある長谷博史と大仏早苗は、洋佑たちを牽制する役。
結果は期待外れだった。
エンブラエルEMB-110旅客機には、左翼のエンジンに発火した痕跡があった。
燃料タンクには数滴しか残っておらず、おそらく植松グループがディーゼル発電に使った。滑走路上で擱座しているエアバス機の燃料も抜かれていた。
柿木忠志が「植松たち、無計画に燃料を使ったみたいだ」と。
風間幹夫が「あれば、あるだけ、何でも使うからね。植松さんは。食べ物もあれば食べ、なければ食べないといった状態だったんだろうね」と。
岩代陽鞠が「小さい子たちがかわいそうだけど、私たちにはどうにもできないかな。親がいるんだから」とエンブラエル機を見上げながら言った。
因幡アシュリーが走り戻ってくる。
「東邦航空の格納庫にヘリがある!」
全員の顔が曇る。
ヘリコプターの操縦は、誰もできないから。
「誰か、操縦に挑戦してみたくない?」
全員が黙り。
アシュリーも無理は承知。見よう見まねでどうにかなることではないし、そもそもヘリコプターの操縦を全員がほとんど見たことがない。
ヘリコプターのタンクにも燃料は残っていないだろう。
「役に立ちそうなものは残ってないね」
アシュリーの言葉に、他の3人が頷く。
確保している軽油は、200リットル。御蔵島までは十分だ。だが、3600リットルの燃料タンクに200リットルだけというのは、何とも心許ない気がする。
だから、飛行機は無理でも、もう少し燃料がほしかった。
完全に空振りだった。
「天候次第だけど、出発は1週間後」
洋佑の提案に反対はない。
しかし、複数の年少者が不穏なことを報告する。
「子供のゾンビがいたよ」
大仏洋二も「子供かどうかはわからないけど、私も小柄なゾンビを見た」と。
真緒が「場所は?」と問うと、目撃者が顔を見合わす。
洋二が「空港の近くだよ」と。
年少者たちも頷く。
真緒が「空港は危険だって!」と怒る。洋佑は以前から年少者たちが空港を見張っていることを知っていた。
「空港を見張っていたの?」
全員が「うん」と。
「あいつら、1年以上空港付近に現れていないんだ。
島の反対側、東側の海岸近くにいるよ。
俺たち、偵察して調べていたんだ。
もう、5人か6人しか残っていない」
彼らの情報は何となく正しいと洋佑は感じた。食料不足に苦しんでいるはずの植松が現れないことが不思議だからだ。
植松は人格者らしく、正義や友愛を前面に出す。彼の判断は正しいが、その判断による負の面を彼が負うことは常にない。誰かの犠牲によって、彼の正義は貫かれる。
大仏洋二が洋佑の心の中の呟きをかき消す。
「そうなら、ゾンビは40体以上いるはず。
だけど、数体しか見ていない。
おかしいねぇ。
30人もがこうやって集まっているのに、ゾンビが近付いてこないなんて。
おかしいねぇ」
真緒が「確かに、ヘンね」と応じ、陽鞠が「植松さんが生きているなら、ゾンビを捕まえているんじゃないかな」と。
洋佑が「ゾンビを捕まえておけば、被害が広がらない……」と推測すると、アシュリーが否定する。
「他人のことを考えるヒトじゃない。
植松さんは。
自分に利益があることしかしない」
真緒と陽鞠が頷いている。反対はない。洋佑もそう思う。
だとするならば、ゾンビはどうなっているのだろう?
洋佑には想像の外だった。
出発予定日の3日前、各個人の準備は整っていた。
陸揚げされていた70フィート級漁船は、この日の午後、漁港の海面に浮かんだ。
船首左右の亀裂は、FRPを使って補修してあるが、この亀裂が構造強度に関わるものだとすれば、補修に効果があるかはわからない。単なる傷隠しをしただけかもしれない。
深夜、洋佑はとなりに寝ているはずの真緒ではなく、アシュリーに起こされる。
「洋佑、起きて」
暗がりでアシュリーの顔を見て、洋佑が慌てる。無様に寝ぼけていた。
「外がおかしい」
「おかしいって?
何が?」
「何かがいる」
洋二が部屋に飛び込んできた。
「洋佑くん、ゾンビだ。
ゾンビが何十体もいる!」
「どういうこと?」
「海人くんが長谷先生を背負って、船に向かった」
「篤志くんは、柿木さんたちと食糧を運びだそうとしている」
「真緒は?」
「真緒ちゃんは、子供たちを着替えさせている。
逃げ出せる時間は少ない」
最初に異変に気付いたのは、洋二の妻である早苗だった。洋佑が起こされたのは、その3分後。
風間幹夫は6歳になる直前の娘を抱きかかえ、裏口に向かった。漁港までの500メートルを走りきる自信がない。
2分後、全員が2年間住んだペンションから退去した。
洋佑は全室とトイレや風呂を回って誰もいないことを確認し、リビングにガソリンを撒き、火のついたマッチを投げる。
火事は死人を引き付ける。洋佑たちは、そのことを知っていた。理由は知らない。
洋佑が殿〈しんがり〉ではなかった。
「海人くんがまだだ!」
洋二が小声だが強い口調で、洋佑に伝える。
海人が走ってくる。
とも綱を解き、船に飛び乗る。
「ゾンビから離れたところに、誰かいた。
顔を見たわけじゃないけど、植松だと思う」
洋佑が「どういうこと?」と問うと、幹夫が「襲われたんだ。私たちは」と。
予定とはだいぶ違うが、32人の生存者は全長20メートルほどの船で太平洋に乗り出した。
ゾンビ事変発生後、丸4年が経過し、5回目の春になる。
洋佑は彼の両親の死に関して、植松の杜撰な食糧調達計画に原因があると考えていた。深い怨みを抱いているわけではないが、彼が植松に従う理由を見いだすことはできなかった。
だから、八丈島に到着した数カ月後には、1人でグループから去った。
その後、LCCのグランドスタッフ(乗客対応)だった岩代陽鞠が単独で参加。さらに、ビジネス機の整備士であった因幡アシュリーが加わった。日を置かず事変発生時は大学入学直前だった入瀬真緒もやって来た。
洋佑はモテモテだと最初は喜んだが、女性3人が洋佑を頼った理由は植松の所業に理由があった。
植松は人格者とされていたが、女性にはそうではなかったらしい。確かに妙齢な女性以外には人格者だったのだろうが、彼女たちにとっては危険で気持ち悪いセクハラ親父でしかなかった。
真緒は、両親を失った12歳以下の若年者を束ねていた。真緒が洋佑の住処に逃れると、彼らもやって来た。
この時点で、洋佑は10人を少し超えるグループのリーダーになった。
その後も洋佑と真緒のグループに移る生存者が途絶えなかった。結果、事変後3回目の秋には30人を超えていた。
八丈島は、生存者には過酷な環境だった。島民7500人はすでに避難しており、彼らが到着したとき、島には誰もいなかった。死人もいない。
島のヒトたちは避難するにあたって、島内にある食糧のほとんどと、動かせる物資を根こそぎ持っていった。
見事なほどの徹底ぶりだった。
八丈島には相当規模のスーパーが2店あるが、どちらの店の商品棚も空だった。もちろん、バックヤードにもない。生鮮食品を含めて、すべて消費したか搬出したようだった。
だから、民家に残る持ち出し忘れのわずかな食糧しかなかった。
死人がいないことを喜んだが、同時に食糧不足に直面した。
状況は最悪だった。彼らを乗せてきたエアバスA320は、滑走路上に落ちていたトタン板を踏んで前輪を損傷してしまう。
これで移動できなくなり、加えて、3000メートルの滑走路のうち1200メートルが使えなくなった。
生存者たちは、島に閉じ込められた。
洋佑は真緒から報告を受ける。夕暮れ時で、照明を点けたいがポータブル電源の持続時間からギリギリまで我慢している。
薄暗い室内で、真緒の表情も暗い。
「お醤油は節約しても1週間、お砂糖は2週間、お味噌はもうない……」
コショウや七味唐辛子は、とっくになくなっている。塩もない。海水を煮詰めて、濃い塩水を作り代用している。
ワサビやショウガ、ニンニクなんて、当然ない。
数週間後には、塩味以外の味付けができなくなる。古墳時代以前の調味料事情になってしまう。
「ジャガイモと魚だけで、生きてきた。
だけど、もう無理だ。
ゾンビもいる。逃げないと」
「でも、どこに行けばいいの?
どうやって、逃げるの?
私たち、海の真ん中にいるんだよ。
私たち、どこにも行けないよ。
他所のほうが危険だよ。ゾンビは多くないし……。
洋佑だって、そう思うでしょ」
「真緒、俺はホワイトベースが気になって仕方がないんだ」
「騙されないで。
お願いだから!」
「あぁ、だけど、このままじゃ、植松たちと同じになる。
飢える前に、どうするか考えないと」
「大島に行ってみようよ」
「いや、大島はゾンビだらけだ。
行けば必ず犠牲者が出る。
ダメだ」
「じゃぁ!」
「御蔵島がいい。
そう思う。
御蔵島はもともと人口が少ない。ゾンビはいるけど、多くないから、どうにか避けることはできるはず。
真緒はどう思う?」
「ゾンビがどこにいるのかわからないんだよ。
避けようがないよ。
住めないよ」
「いや、住むつもりはない。
中継地だ。
俺たちの船じゃ、遠くへは行けない。船体に亀裂があるから……。御蔵島なら船があるかもしれない。
それに、少しなら食糧が手に入るかも。
三宅島、神津島、新島。
島伝いに移動しながら、食糧を探す」
「ゾンビに噛まれていないのに、死んだらゾンビになるなんて……。
洋佑、知ってた?」
「知ってるわけないよ。
病死なのにゾンビになった。
植松たち、何人残っているのかわからない。全員がゾンビかもしれない……」
洋佑たちは、死人を排除する判断をしたことがない。死人から一方的に逃げていた。死人は生きているのではないか、未知の病気ではないか、との可能性を否定できていない。
だから、排除するという判断にならない。
洋佑たちは、善良なヒトたちだった。
「盛岡に自衛隊が管理する安全地帯があるんだって。サンクチュアリって、呼ばれているけど……。
洋佑はどう思う?」
真緒の問いかけは、もちろん洋佑も知っている。
「盛岡サンクチュアリか……。
どうなんだろうね。
放送は聞いたけど、俺のときは録音の繰り返しだった……」
「じゃぁ、ホワイトベースは?」
「あの無線通信は、全部肉声。生きているヒトが発した声に、生きているヒトが答えている。
少なくとも、無線を使うグループがいる……」
「作り話かも。
生存者を捕らえて、物資を奪うヒトたちもいるし。
罠じゃないかな」
「植松みたいにか?
だけど、最近の彼はどうしているのかな?」
「ゾンビになったんじゃ?」
「かもしれないし、次の襲撃を計画しているかもしれない。
漁港に現れたゾンビは、植松の仲間だったらしい。風貌が変わっていて、はっきりはしないけど、可能性は高い。
海に飛び込んで逃げ切ったけど……」
「1人は泣いていたし、1人は怯えきっているよ。
2人とも、この家から出られなくなっちゃった」
「だからさ。
真緒。
この島から、逃げ出さないと」
「私、怖いの。
島の外が……」
洋佑たちの拠点は、ペンションだった。2階建てだが鉄筋コンクリート造りで、壁が厚い。1階はダイニングとリビング。キッチン、トイレとバスルーム。
客室は10で、大きな窓がある。1階の窓は、すべて板を打ち付けてある。1階は昼間でも暗いが、安全には代えられない。
危険な相手は食糧を狙う植松たちだったが、現在は死人を警戒している。洋佑たちが死人の存在に気付いて以降、植松グループのメンバーを見ていない。
全員が死人になったか、一部が島を脱出した可能性がある。
洋佑たちにとっては、数体の死人でも生存を脅かす脅威だった。
2個のLEDライトが点灯するリビング・ダイニングに32人が集まっている。
最年少は6歳、最年長は65歳。40歳代は1人、50歳代はいない。
20歳代後半から50歳代までの分別のある大人たちの多くは、植松久司についていった。彼らの家族も。
洋佑たちは、人格者・植松久司に刃向かう幼稚な考えの反社会性向者だった。
「ゾンビが西の海岸にも現れた。
安心して、外に出られない」
肥後海人が「漁港の突堤に追い詰められたときは、死を覚悟した。海に飛び込んで助かったけどね」と。
最上篤志が「アシタバ畑にも現れたよ。気付くのが遅れたら、誰かが犠牲になっていたかも」と。
相模洋佑が「コメやパンは1年以上口に入れていない。ジャガイモと魚ばっかり。それに醤油や砂糖もなくなりかけている。もう限界だ。みんなで島を出ないか?」と。
洋佑の提案は、15歳以上のメンバーにとっては唐突ではなかった。15歳以下は、島を出たがっていた。
柿木忠志が「当然の判断だと思う。このままでは石器人になっちゃうからね」と真顔。
大仏早苗が「どこに行くの?」と不安な目をする。彼女は体力に自信を失いかけている。ゾンビ事変から丸4年で、彼女は61歳から65歳になり、過酷な生活の中で身体の衰えを実感している。
足手まといになりたくないという気持ちと同時に、見捨てられたくなかった。
洋佑の計画は自滅的でもあった。
「最初の目的地は御蔵島」
元旅客機パイロットの忠志が顎をかく。
「90キロある。
船体に亀裂のある漁船で90キロはきついな」
元数学者の長谷博史は楽観的。
「亀裂は喫水線よりも下にあるわけじゃない。浸水はしないよ」
レーシングエンジンのチューナーだった風間幹夫は用心深い。
「だけど、構造強度に影響しているはず。でなければ、船体上部左右の同じ位置に同じ長さの亀裂はできない。
船体が折れかけているから、島民は使わなかったんだ。
避難にね。
だけど、エンジンは確実に動く。船首が折れなければ、太平洋を渡れるよ」
忠志が「小さい船がもう1隻ある。引いていこう」と提案。
洋佑が「機長に賛成だ」と。
忠志は副操縦士だったが、グループ内では“機長”のあだ名で呼ばれていた。博史は大学の特任講師だったが、グループ内では“教授”と呼ばれている。もう1人の事変発生時成人男性だった幹夫は、6歳女児の父親なので“パパ”と。
機長、教授、パパ、そして、最年長の大仏夫妻の意見は、最大限尊重されている。
洋佑の評価では、植松久司が人格者なら5人は神様・仏様だ。5人が普通の大人なら、植松はただのクソ野郎。
機長、教授、パパ3人に共通の分析があった。それを長谷博史“教授”が代表する。
「我々の船は、波の穏やかな状態でも長くは持たない。船体に負担をかけないよう走らせても、御蔵島にたどり着けるかどうか?」
洋佑はそれでも御蔵島を目指したかった。20フィート級の小さな漁船でも3隻か4隻あれば、全員が一緒に移動できる。
「御蔵島にたどり着ければ、大きな船はないだろうけど、小さな船なら必ずある。
島伝いに伊豆を目指そう。
伊豆の島々のどこかに、全員が乗れる船があるはず。その期待に賭けるしかない」
入瀬真緒が「行き当たりばったりだけど、希望があると思うしかないよ。このままじゃ、いつか、誰かが、ゾンビの犠牲になっちゃう」と。
八丈島には、残された自動車が少なく、多くは動かなかった。部品が取り去られている。
船はキャビンがない20フィート(6.1メートル)以下の船は少数が残されていたが、キャビンのある船は大きさや船種に関わらず一切なかった。
島民が島からの脱出に使ったことは、ほぼ確実だと洋佑たちは判断している。キャビンのない漁船も、より大きい船に曳航されていった。
だから、残された船が極端に少ない。島民がどこに向かったのか、まったくわからないし、漁船だけで自動車を運べたはずもない。大がかりな計画だったはず。
その結果、洋佑たちが物資不足で苦しんでいる。しかし、それは島民に責はない。
年少者の数人から「海は怖い」「沈んだら溺れちゃうよ」など、移動を嫌がる意見が出た。
本質的には、海と死人のどちらがより怖いかだ。この恐怖の比較は、冷静な判断力のある洋佑たちにも影響していた。
洋佑が「俺だって、得体の知れない船で90キロも航海したくないよ。だけど、ゾンビはもっと怖いんだ。この島から逃げ出したい」と真実の気持ちを明らかにする。
真緒は内心では、洋佑の心中吐露を下策だと感じていた。年少者たちが泣き始めたからだ。
真緒は洋佑が善人過ぎると感じている。真緒は、両親の死の悲しみを植村への憎悪で中和している。
しかし、洋佑はそこまでではない。植村に強い不信感はあるが、怨みを抱くほどの感情はない。
真緒にしても、植松をどうこうしようなんてまったく考えていない。単に悪い感情と警戒心があるだけ。
彼女もまた、善人だ。
スカイパークの秘匿名はアウドムラ。その名の由来は北欧神話ではないことは明らか。大滝根山分屯基地はザンジバル。この名の由来もタンザニアとは無関係。
ホワイトベースの無線通信は、洋佑以外も注目している。
例えば、肥後海人。彼は積極的に、夜間に電波を拾っていた。
海人は数人の年少者と一緒に、テラスで無線を聞いている。判断の難しい会議が終わり、結論をどう考えるか迷っていた。
島に残るも地獄、出れば地獄、どちらの地獄がマシか?
そんな究極の選択だ。海人は、島に残る地獄はゾンビではなく、飢えではないかと感じている。ゾンビがいる以上、食糧確保が難しい。
全周を警戒しながらの農作業なんてできるはずはないし、突堤に追い詰められたときの恐怖は心に刻まれている。
島を出ること自体は反対ではない。しかし、行くあてのない放浪の始まりなら、断固反対だった。
彼は、盛岡サンクチュアリの存在を示す証拠がないと判断している。噂でしかないと。
だが、ホワイトベースは頻繁に電波を発している。
最近は、極端に増えている。
無線封止を解いた高原は、おしゃべりだった。スカイパークとの頻繁な交信は、否応なく傍受されている。
八丈島もその1つで、電波状態のいい夜間になるとよく聞こえた。
[真藤さんはいるかい?]
京町光輝は、高原の幹部である岸辺芭蕉からの無線に緊張する。
[いいえ。
ザンジバルに行っています。
明日には戻る予定です]
[そう。
真藤さんに伝えてもらえるかな?]
[はい]
[肉まん20個、今週末まで]
[肉まん、ですか?
餃子でなくて?]
[餃子?]
[真藤さんの超ジャンボ餃子、マジ美味いですよ]
[あなたは?]
[京町です]
[京町さん。
肉まん20個、餃子10個。
真藤さんに、そう伝えて]
[はい……。
でも、無理かもしれません]
[真藤さん、本業が忙しいの?]
[実は、礼文組がメカジキを釣ったんです。
解体しないと、飛行機に乗らないとかで……。
とんでもなく大きな魚らしいです]
[……。
礼文組?
メカジキを釣った?
どこで?
どうやって?]
[さぁ、釣りをしたことがないんで……。
真藤さんは、特製牛丼以外とはメカジキは交換しないって……]
[おお!
交換の用意があるんだな!
特製牛丼は何とかする。メカジキもよこせって、真藤さんに伝えて]
[承知しました。
必ず伝えます]
スカイパークからアウドムラへの通信は、いつもよりも明瞭に聞こえた。
女の子が「肉まん食べたい……」と涙ぐむ。海人は牛丼の味を脳が覚えていることを知る。唾液の分泌が止まらない。
男の子が「美味しいもの食べてて、ズルイよ」と。
少し年上の女の子が「ホワイトベースって、どこにあるの?」と海人に尋ねる。
「わからない……。
わからないんだ。
わかれば、そこを目指したいんだけど……」
「聞いたら?」
「ホワイトベースに?」
「うん」
「教えてくれないよ」
「どうして?」
「悪いヒトがたくさんいるから」
「私たち、悪いヒトじゃないよ」
男の子が「食べ物の交換なら?」と。
年上の女の子が「私たちには交換する食べ物なんてないよ」と下を向く。
「いや、ある。
パッションフルーツとフルーツレモン……」
洋佑の計画は、4人の年少者たちと密かに立案された。秘匿名は、肉まん作戦。
まず、全員で御蔵島に移動する。御蔵島の島民は島の北部にしか住んでいない。南側には人家はないし、道もない。雨露をしのげれば、しばらくは耐えられる。
島を探検すれば、安全な場所があるはず。八丈島のように島の全周に道路が整備されていない。
全員が御蔵島に避難したら、数人が八丈島に戻る。パッションフルーツとフルーツレモンの栽培ハウスを守る。
そして、ホワイトベースに無線で連絡する。
パッションフルーツと肉まんとの交換を持ちかける。成功するかはわからないが、これしか接触する方法を思い付かない。
数週間後に収穫できるハウスがある。
最上篤志は、ジャガイモの収穫を急いでいる。過去数年間、ジャガイモが主食だった。動物性タンパクは魚、パッションフルーツとフルーツレモンがビタミンなどの不足を補い、アシタバが唯一の葉物野菜となっていた。
漁獲は天候に左右される。電力も天候次第。冷凍冷蔵保存は完全じゃない。
年に何回も台風直撃があるのだから、農作物の収穫次第で彼らの運命も決まる。
植松グループのその後は知らないが、やせ細った何人かを見ている。
空港に残っていた燃料を独占し、住宅街の過半以上を“領土”として民家に残る食糧を確保して、一時は豊かな生活ができた。
一方、篤志たちは長期の生存を目指して、最初から半農半漁を目指していた。だから、出足は苦しかったが、月日を重ねるごとに余裕が出てきた。
アリとキリギリスだった。
想定外は、死人に噛まれなくても、死亡すれば死人になること。植松グループから死亡者が出ると、自動的に死人が現れる。死人に噛まれれば死に至り、そして死人になる。
死人はねずみ算式に増えていく。
篤志は植松と彼の仲間には一切の同情心はないが、まさか死んでも脅威になるとは考えてもいなかった。
彼の努力、彼の仲間の努力が無に帰しようとしている。
それに我慢できなかった。
「生きていても邪魔をした。死んでからも邪魔をする。
ふざけたヤツらだ」
心の中でそうは思っているが、口にしたことはない。助けを求められたら、何もしないという判断はない。
彼も善人だった。
印旛アシュリーは、空港に飛べる飛行機が残っている可能性を捨てていない。
エンブラエルの双発ターボプロップ機は、完全な状態ではないかと。整備すれば飛べるのではないかと考えている。
だから、何度か植松グループのテリトリーである空港に危険を承知で接近している。
植松グループの消息が途絶えているので、空港を調べたかった。エンブラエル機が無事で、燃料が残っていれば、船首部左右に亀裂がある船を使わなくてもいい。
アシュリーは、彼女の考えを風間幹夫以上の年齢者だけに伝えた。
最年長の大仏洋二がフェンス外で見張り。風間幹夫、柿木忠志、岩代陽鞠、因幡アシュリーの4人で空港内に侵入する。
足に障害のある長谷博史と大仏早苗は、洋佑たちを牽制する役。
結果は期待外れだった。
エンブラエルEMB-110旅客機には、左翼のエンジンに発火した痕跡があった。
燃料タンクには数滴しか残っておらず、おそらく植松グループがディーゼル発電に使った。滑走路上で擱座しているエアバス機の燃料も抜かれていた。
柿木忠志が「植松たち、無計画に燃料を使ったみたいだ」と。
風間幹夫が「あれば、あるだけ、何でも使うからね。植松さんは。食べ物もあれば食べ、なければ食べないといった状態だったんだろうね」と。
岩代陽鞠が「小さい子たちがかわいそうだけど、私たちにはどうにもできないかな。親がいるんだから」とエンブラエル機を見上げながら言った。
因幡アシュリーが走り戻ってくる。
「東邦航空の格納庫にヘリがある!」
全員の顔が曇る。
ヘリコプターの操縦は、誰もできないから。
「誰か、操縦に挑戦してみたくない?」
全員が黙り。
アシュリーも無理は承知。見よう見まねでどうにかなることではないし、そもそもヘリコプターの操縦を全員がほとんど見たことがない。
ヘリコプターのタンクにも燃料は残っていないだろう。
「役に立ちそうなものは残ってないね」
アシュリーの言葉に、他の3人が頷く。
確保している軽油は、200リットル。御蔵島までは十分だ。だが、3600リットルの燃料タンクに200リットルだけというのは、何とも心許ない気がする。
だから、飛行機は無理でも、もう少し燃料がほしかった。
完全に空振りだった。
「天候次第だけど、出発は1週間後」
洋佑の提案に反対はない。
しかし、複数の年少者が不穏なことを報告する。
「子供のゾンビがいたよ」
大仏洋二も「子供かどうかはわからないけど、私も小柄なゾンビを見た」と。
真緒が「場所は?」と問うと、目撃者が顔を見合わす。
洋二が「空港の近くだよ」と。
年少者たちも頷く。
真緒が「空港は危険だって!」と怒る。洋佑は以前から年少者たちが空港を見張っていることを知っていた。
「空港を見張っていたの?」
全員が「うん」と。
「あいつら、1年以上空港付近に現れていないんだ。
島の反対側、東側の海岸近くにいるよ。
俺たち、偵察して調べていたんだ。
もう、5人か6人しか残っていない」
彼らの情報は何となく正しいと洋佑は感じた。食料不足に苦しんでいるはずの植松が現れないことが不思議だからだ。
植松は人格者らしく、正義や友愛を前面に出す。彼の判断は正しいが、その判断による負の面を彼が負うことは常にない。誰かの犠牲によって、彼の正義は貫かれる。
大仏洋二が洋佑の心の中の呟きをかき消す。
「そうなら、ゾンビは40体以上いるはず。
だけど、数体しか見ていない。
おかしいねぇ。
30人もがこうやって集まっているのに、ゾンビが近付いてこないなんて。
おかしいねぇ」
真緒が「確かに、ヘンね」と応じ、陽鞠が「植松さんが生きているなら、ゾンビを捕まえているんじゃないかな」と。
洋佑が「ゾンビを捕まえておけば、被害が広がらない……」と推測すると、アシュリーが否定する。
「他人のことを考えるヒトじゃない。
植松さんは。
自分に利益があることしかしない」
真緒と陽鞠が頷いている。反対はない。洋佑もそう思う。
だとするならば、ゾンビはどうなっているのだろう?
洋佑には想像の外だった。
出発予定日の3日前、各個人の準備は整っていた。
陸揚げされていた70フィート級漁船は、この日の午後、漁港の海面に浮かんだ。
船首左右の亀裂は、FRPを使って補修してあるが、この亀裂が構造強度に関わるものだとすれば、補修に効果があるかはわからない。単なる傷隠しをしただけかもしれない。
深夜、洋佑はとなりに寝ているはずの真緒ではなく、アシュリーに起こされる。
「洋佑、起きて」
暗がりでアシュリーの顔を見て、洋佑が慌てる。無様に寝ぼけていた。
「外がおかしい」
「おかしいって?
何が?」
「何かがいる」
洋二が部屋に飛び込んできた。
「洋佑くん、ゾンビだ。
ゾンビが何十体もいる!」
「どういうこと?」
「海人くんが長谷先生を背負って、船に向かった」
「篤志くんは、柿木さんたちと食糧を運びだそうとしている」
「真緒は?」
「真緒ちゃんは、子供たちを着替えさせている。
逃げ出せる時間は少ない」
最初に異変に気付いたのは、洋二の妻である早苗だった。洋佑が起こされたのは、その3分後。
風間幹夫は6歳になる直前の娘を抱きかかえ、裏口に向かった。漁港までの500メートルを走りきる自信がない。
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洋佑は全室とトイレや風呂を回って誰もいないことを確認し、リビングにガソリンを撒き、火のついたマッチを投げる。
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洋佑が殿〈しんがり〉ではなかった。
「海人くんがまだだ!」
洋二が小声だが強い口調で、洋佑に伝える。
海人が走ってくる。
とも綱を解き、船に飛び乗る。
「ゾンビから離れたところに、誰かいた。
顔を見たわけじゃないけど、植松だと思う」
洋佑が「どういうこと?」と問うと、幹夫が「襲われたんだ。私たちは」と。
予定とはだいぶ違うが、32人の生存者は全長20メートルほどの船で太平洋に乗り出した。
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