彷徨う屍

半道海豚

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03-002 遠すぎる問題

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 安川恭三と氏家義彦は、12キロ南下して礼文島の集落まで出向き、ほとんど成果なく戻ってきた。
 途中の民家の屋外にある灯油タンクから、灯油40リットルを回収。民宿でコメ20キロを確保できただけだった。
 死人には出会わなかった。郵便局に立ち寄ると、ポスターの裏に書き置きがあり、壁に貼られていた。
「全島民、フェリーで内地に向かう」
 ポスターには、そう書かれていた。ポスターに記されていた日付は、ゾンビ事変の6カ月後だった。どこに上陸したとしても、その後の逃避行は厳しいものになっただろう。

「チョロチョロするな。
 遊びじゃないんだ」
 馬越洋平に叱られた伏見陽太が、行動を改める。
 小宮良一が「釣れるかな」と不安な目を向ける。
「どうかな。
 釣れなければ、別の港で試す」

 成人チームの食糧調達は不調だったが、未成年チームの釣果はめざましいものがあった。
「ソイ、アイナメ、カレイ、かなり大きなカレイもかかったけど、針を持って行かれた。
 俺の竿じゃ釣り上げられない」
 ポリバケツに2杯。20尾も釣れた。45センチ級のソイの大物も釣れた。

 馬越洋平が捌き、佐伯明菜が調理する。カレイは切り身になり、煮付けになった。
 アイナメは、身を一口大に切り、竜田揚げ風にする。
 馬越洋平は、最年少の高島美佐が食べ遅れないように、彼女の分を最初に取り分けた。
 大城雅美と栗岡直美は、今夜も己が非力を思い知らされた。
 歯科医師の資格や一級建築士の経験は、この世界では何の役にも立たない。

 12人全員が集まってのミーティングが始まる。
 秋葉利里が報告。
「大型の動物は見なかったよ。ヒグマとかは、いないみたい。イヌもいない。たぶん、島のヒトが連れていったんじゃないかな。
 シマリス、イタチは見た。
 ネズミは絶対にいる。
 鳥の種類は多いみたい。大きなワシを見たけど、危険じゃないと思う」
 馬越洋平が報告。
「釣りができる天気なら、魚は十分に釣れると思う。12人分なら、1日に12尾以上釣らないと。
 余分に釣れたときは、干物にしたらどうだろう?」
 安川恭三が発言。
「12キロ南の集落まで行ったんだけど、民家以外は郵便局しかなかったよ。
 コメとか……、何とか手に入れようとは思うんだけどね……。要領が悪くて……」
 氏家義彦がうな垂れる。
 薬師昌子が躊躇いがちに発する。
「昨夜、ホワイトベースと交信したの。
 本物か、偽物かはわからないけど……。
 欺すヤツもいるでしょ。おびき寄せて、物資を奪う……。
 助けを求めたら、北海道は行動圏外だって断られちゃった」
 久米昭人は昌子がこだわるホワイトベースには懐疑的だった。
「ホワイトベースをサンクチュアリだと、誰かが言ったんだろ?
 無線で聴いた?
 でも、サンクチュアリなんて、ありはしないよ。
 どこにもね。
 信じるだけ、無駄さ」
 昌子には、自分が理解できなかった。
「私もないと思う。
 でも、もしあれば生き残れる。
 いまのままじゃ、いつかは追い詰められちゃう」
 明菜が質問。
「ホワイトベースって何人くらいいるの?
 30人とか?」
 昌子が答える。
「無線を傍受しての噂だけど……。
 100人近くいるみたい。発電ができて、畑があって、寒いとこみたい。
 お医者さんがいて、骸に噛まれても死ななかったヒトがいるそうよ」
 伏見健太が「ウソっぽいよ」と言い、大城雅美を見る。
「先生はどう思う。
 一応、医者だろ」
「私はただの歯医者。
 そんな難しいこと、わかんないよ」
 場が一気に白ける。
 佐伯明菜が大城雅美に批判めいた何かを言いそうなので、氏家義彦が横入りする。
「明日から、私と安川さんで飛行機の整備をするよ。その前に、何台かクルマを動くようにする。
 みんなは、もう少し住みやすい家を見つけてくれないか?」

 氏家義彦は、平荷台の軽トラ2台とミニバン2台を動くようにする。
 軽トラは未成年者の乗り物となる。運転は全員ができる。彼らは島内をくまなく探検し、どこに何があるのかを調べる。

 久米昭人は、礼文島での越冬は無理だと考えている。低気圧も心配だ。礼文空港には格納庫がない。強風で飛行機が壊れることも心配だ。
 航空ガソリンの補給も重要。新千歳空港と帯広空港で補給できる。それに新得町農道離着陸場に戻れば、3トンクラスのタンクローリーに備蓄している。
 燃料確保のために、ほとぼりが冷めた頃に戻るつもりだった。

 空港の東側海岸沿いに大きな民家を見つけ、死人がいないことから、この家を使うことにする。プロパンガスなので風呂が使えるようになる。
 ただ、未成年全員の総意で、睡眠はターミナルビルになった。成人4人も従った。
 久米昭人と薬師昌子以外の未成年が、島の北部西岸の民宿から、食器やテーブルを運び込んだ。
 必要な寝具も。

 薬師昌子は、今夜も管制塔にいた。無線の傍受は、いろいろな情報を教えてくれる。
 そこに佐伯明菜が来た。
「昌子さん、少しいい」
「愚痴、聴くよ」
「大城先生と栗岡さんなんだけど……」
「何もしないんでしょ」
「食べて、寝るだけ」
 薬師昌子が微笑む。
「仕方ないよ。
 私たちとは違う。骸がはびこる前から、この世界に絶望してたんじゃないかな」
「でもさ、昌子さん。
 安川さんと氏家さんは、何とかしようと頑張ってるじゃん。安川さんは奥さんに浮気されていたらしいし、氏家さんは家族みんな死んじゃった。
 それでも、協力してくれているじゃん。
 それなのに、ババァ2人は……」
「ちょっと待って!
 ホワイトベースだ!」

 ホワイトベースとノイジー・フェアリー隊との定時交信だった。
 それが終わると、薬師昌子は割り込むように通信を始めた。
[ホワイトベース、聞こえますか?]
[その声は、北海道のお姉さんだね]
[え!
 キマイラ隊の……]
[今日は、ノイジー・フェアリー隊だけどね]
[……]
 薬師昌子が絶句する。○○隊は存在しないのだと悟る。ならば、ホワイトベースも存在しないのか?
 昌子はよくわからなくなってきた。
[北海道のお姉さん、食べ物は見つかった?]
[えぇ、港で魚が釣れたよ]
[どんな?]
 佐伯明菜が答える。
[カレイ、ソイ、アイナメ。
 アイナメの竜田揚げ、美味しいよ]
[マジか?]
 明菜が受ける。
[マジ]
 通信相手が少し考える。
[物々交換はどう?]
 昌子が引き継ぐ。
[何と交換してくれるの?]
[そうだな。
 コメとか]
[確保済み]
[だよな。
 武器は?
 銃はあるの?]
 昌子は答えに窮する。銃はない。だが、銃がないと知られたら、襲われるかもしれない。
[十分ではないけどあるよ]
[物々交換の件は連絡する。
 気長に待っててね]

 真藤瑛太は、北海道との2度目の交信を夷隅謙也に報告したことを後悔していた。
 単なる情報収集のはずだったが、完全に巻き込まれていた。
「真藤さんは、もう走れるの?」
 足に違和感はある。だが、走れないわけではない。もともと敏捷ではないが、それなりに動ける。
 益子則之の問いには、正しく答えなければならない、というプレッシャーもある。
「先生、違和感はありますが、動けます」
 姓をつけずに“先生”と呼べば、益子則之のことだ。
 岸辺芭蕉が「カレイかぁ。煮付けにするか。唐揚げか」と言うと、瑛太の口内に唾液が溢れる。
「アイナメとソイの刺身、ソイのブイヤベースなんてどうかな?」
 山の中では、海の魚は食べられない。忘れていたが、明確に誰もがその味に飢えていた。

 空港グループの計画は、かなり用心深いものだった。
 神薙太郎が説明する。
「クイーンエア2機で行く。
 2機なら、1機に何かあっても対応できる。
 クイーンは双発だから、安全性が高い。それに、航続距離が長いから無給油で往復できる。
 参加者は総勢6。正副操縦士、それと岸辺芭蕉、真藤瑛太。芭蕉さんは交換物資の品質確認、真藤さんは最初に接触したのだから、本件の当事者だ。
 大人数はまずい。
 人数が多いだけで、威嚇になってしまう。
 真藤さん、北海道と交信してください。そして、邂逅場所と日時を打ち合わせてください」

 真藤瑛太はトレーラーに帰り、鮎村この実に「北海道に行くことになった」と告げる。
 この実は「勝手に決めて!」と激怒したが、決めたのは高原の上層部だ。
 可奈と沙奈は、まるで今生の別れの様な目で瑛太を見る。
「飛行機で、ちょこっと行ってくるだけさ」
 そうは言ったが、瑛太も不安だった。
 沙奈は「私も行く!」と言い出した。

 スカイパークは山中にあり、周囲はフェンスと土塁、そして山で囲まれている。
 高原からスカイパークまでは105キロ離れており、ここが無線発信の拠点となっていた。もちろん、航空機運用の拠点でもある。
 パイパー・チョロキー1機、ブリテン・ノーマン・アイランダー2機、ビーチクラフト・クイーンエア(モデルA65とモデル70)2機、ロビンソンR22とR44ヘリコプターを各1機を保有している。
 全機がライカミング製水平対向レシプロエンジンを装備している。これは、補給・整備の効率化に有効だった。それと、レシプロエンジンなら整備できるエンジニアが数人いた。
 スカイパークは、高原が完全に掌握している。交代制だが、チームが常時駐留している。

 久米昭人は、北海道西方沖の3つの有人島がどうなっているか、調べる必要があると考えていた。
 3つの島とは、北から礼文島、利尻島、奥尻島だ。礼文島は掌握している。
 利尻島、奥尻島にも空港があり、航空ガソリンが入手できる可能性がある。島内全域は無理でも、空港とその周辺は調べておきたかった。
 利尻島までは30キロほど、奥尻島までは400キロ弱。
 十分に往復できる距離だ。

 利尻島は近いので、日を経ずに低空から偵察する。
 この島には数は少ないが動く骸がいる。屋外にいるのだから、屋内にもいる。空港には飛行機はなく、敷地内に動く骸の姿はない。しかし、ターミナルビル内はどうだろうか?
 上空からでは、わかるはずはない。
 着陸するしか、確認の術はない。
 久米昭人は、セスナ172Sを滑走路に進入させた。

「降りていい?」
 伏見陽太が尋ねる。
「あぁ、だけど飛行機から離れるな」
 昭人がそう指示する。
 ここは、利尻島の空港。
 陽太は、長柄に改造したマチェッテの布製鞘を払う。薙刀のような武器だ。陽太はこの武器だけで、生き抜いてきた。
 150センチにも満たない身長の陽太でも、動く骸を数撃で倒せる。
 陽太は駐機場のコンクリートに片膝をついて、周辺に目を配っている。生き残るだけのことはある用心深さだ。
 昭人は日本刀を腰に差し、抜いた。
 昭人と陽太がターミナルビルに近付く。ターミナルビルのドアや窓を叩き、動く骸の存在を確認する。
 10分以上待つが反応がない。
 ターミナルビルのドアは施錠されていなかった。昭人は陽太を後詰めとして屋外に残し、1人で入る。
 床に鉄製の空き缶を投げる。
 カラン、カラン、と想像以上に音が響く。
 10分待ったが、反応がない。
 昭人は陽太を招き入れる。
 2人が最初に行ったことは、空港外からターミナルビル内への施錠だった。これを徹底的にチェックした。
 動く骸を侵入させなければ、その空間を守り切ることができる。
 昭人はもちろん、陽太の動きも機敏だった。わりとふざけることが多い子だが、こと動く骸に関してはそれはない。
「昭人さん、ドアと窓、全部チェックしました」
「俺もチェックしたよ。これで二重チェックだ。ひとまず、安心してもいい」
「でも、空港は広いからどこから入り込んでくるか……」
「あぁ、油断はしないよ。
 3棟あるうちの1棟を確認しただけだし……。
 航空ガソリンを補給できるか調べよう」

 昭人と陽太は、ガックリしている。
 航空ガソリンがない。補給できない。
「やっぱり、帯広に飛ぶしかないか?」
「新得町に戻りましょうよ。
 昭人さん」
「でもさ、銃を持っている連中がうろついているんだぞ。戻るったって、命がけになる」
「どうしたらいいんです?」
「セスナは、自動車用の無鉛ハイオクでも飛ぶけど、オッターとメンターは無理だ」
「帰ろうよ。
 やだよ、こんなとこ」
「そうだね。
 帰ろう、陽太」

 セスナ172Sのライカミング製IO-360-L2Aエンジンは、自動車用無鉛ハイオクを常用できるように仕様変更されていた。
 このため、燃料はガソリンスタンドで調達できる。
 薬師昌子は、礼文島に1件しかないガソリンスタンドで、無鉛ハイオクを物色していた。細いホースを地下タンクに差し込み、電動ポンプで吸い上げる。ガソリンで洗った用途不明のドラム缶に入れていく。
 ドラム缶2缶で400リットル。1缶でセスナ172Sを満タンにできる。201リットルで、最大1185キロ飛べる。
 昌子たちの足代わりは、このセスナ172Sだった。軽トラ1台にドラム缶1本を積み、2台で行動した。

 自動車用無鉛ハイオクが手に入ったので、久米昭人は奥尻島への偵察を計画する。
 礼文島、利尻島、奥尻島の人口は、ほぼ同じくらいで、奥尻島にも動く骸がいる可能性が高い。
 動く骸がいない礼文島は例外中の例外だ。

 夜、薬師昌子が無線を聞いていると、ホワイトベースから呼びかけがあった。
[北海道のお姉さん!
 物々交換しよう!
 カレイ20尾とベーコン20キロと交換だ!]
 真藤瑛太は思いつきの提案をした。
[それは無理]
 昌子が言い切る。たまたま管制塔に上ってきていた馬越洋平が首を横に振ったからだ。
 カレイが1日に20尾釣れる保障がない。
 洋平が昌子に耳打ちする。
[カレイ、ソイ、アイナメの合計で20尾なら交換に応じる……、
 それからベーコン以外に何があるの?]
 瑛太は意外な食いつきに、少し慌てる。
[イノブタ肉の角煮、チャーシュー……]
[それ以外は?]
[う~ん、肉まんとか]
 瑛太は先日、可奈と沙奈のために作った肉まんが好評だったことを思い出していた。
 大きな肉まんで、粗挽きのイノブタ肉からは肉汁が溢れ出てくる。重さは250グラムもある。コンビニ肉まんの倍以上ある巨大さだ。
 肉まんへの食いつきはすごかった。無線の向こうから[肉まん♪ 肉まん♪ 肉まんまん♪]と歌が聞こえてきた。
 幼い声だ。

 昌子は、高島美佐と小宮良一の即興肉まんソングに呆れていた。
 だが、彼女も肉まんが食べたかった。コンビニの肉まんが懐かしい。
[肉まん24個をお魚20匹と交換、でどう?]
[わかった。
 応じる。4日後に連絡する]

 この時期、高原内には意見の対立があった。春になっても、というよりも、春になったら死人の移動が再開し、空港グループは帰還する拠点を完全に失った。
 代替拠点としてスカイパークを確保したが、ここが高原よりも安全だとは思えない。あくまでも臨時の拠点だった。
 また、関東への足がかりとして、龍ケ崎飛行場の確保を主張する意見もあった。
 とても、北海道に遠征する余裕はない。

 合流点グループは、本来の拠点を失ってはいない。しかし、拠点の周囲は死人で満たされており、戻ることはできない。戻ったとしても、24時間休みなく死人と戦うことになる。

 結局、空港と合流点の両グループは高原にとどまるしかなかった。
 高原、空港、合流点の合意には、未成年者は無条件に保護する、という条項がある。
 高原はこの条項を持ち出して、北海道との接触を正当化しようとしているが、空港や合流点からすれば屁理屈でしかない。
 ただ、どこであれ、周囲の情報は欲しかった。高原グループは移動距離が飛躍的に高い空港グループを必要としていたし、食糧生産に長けた合流点グループには残ってもらいたかった。
 だから、もめ事を起こしたくはなかった。

 3グループの思惑が重なって、北海道のグループとは1回だけ直接接触することで折り合いをつけた。
 そんな、大人の事情を新参の真藤瑛太は知らなかった。
 肉まん24個をどうするか、頭を抱えている。岸辺芭蕉に相談するしかないのだが、彼も忙しい。気軽に「助けてください」とは言えない。
 だが、幸運にも彼から助力を申し出てくれた。これで、イノブタ肉の確保はどうにかなる。

「いい形だね」
 瑛太は芭蕉に褒められて、少し嬉しかった。
 トレーラー内では作業できず、トレーラー前のターフの下で、肉まんの皮から餡までを作り、借りてきた中華せいろで蒸している。
 すでに、何人かの子供が集まっている。
 30個作った。
 必要なのは24個。味見用に6個は多いが、可奈や沙奈は食べたいはず。この実だって食べたいはず。
 しかし、13歳のこの実は、高原ではこの一言が言えない。高原では、12歳以下を可能な限り優先する決まりになっている。
 瑛太はこの実に小声で伝える。
「ジャンボ餃子作るから」
 この実がさみしそうな笑顔を見せる。何しろ、このイベントを見つけた12歳以下12人が並んでいるのだ。

 芭蕉が「しょうがないねぇ」と微笑んで、6個の巨大肉まんを2つに切って、12人に分け与えた。
 可奈と沙奈も食べられなかった。2人は数日前に1つ丸々食べており、今回は我慢となった。
 肉まんの保存は、芭蕉が指導した。
 北海道行きは、天候次第となった。

 気象衛星がなく、気象レーダーもない。天候は、局所的にしかわからない。
 だから、1時間前にクイーンエア1機が先行して離陸する。これが、天偵機(天候偵察機)の役目をする。
 天候に異常がなければ、2機目、つまり24個の巨大肉まんを積んだクイーンエアが離陸する予定。

 沙奈は瑛太から離れたくなく、わがままを言ってクイーンエアに乗り込んだ。北海道に行きたいわけではなく、瑛太と遠く離れることが不安だった。
 沙奈なら「1人増えても威嚇にはならない」との判断で、神薙太郎が許可した。

 薬師昌子は、久米昭人ともめていた。昭人は他グループとの接触に反対で、余計な危険を招くと考えていた。
 それと、奥尻島との往復の燃料が無駄だと。
 最年少の高島美佐は昭人を怖がっており、成人の大城雅美は彼を明らかに避けている。
 昌子も昭人に違和感を感じることが増えていた。以前ほど柔軟ではなく、頑なな面が目立っている。
「そんなに誰だかわかんない連中と会いたいなら、おまえと役立たずだけで行け!」
 昭人の怒鳴り声がターミナルビル内に響く。
 役立たずとは最年少の美佐のこと。美佐は食事が遅い以外、誰にも迷惑をかけていない。昭人がだんだん冷酷になっていると、昌子は感じ始めていた。
 昭人に心酔している馬越洋平と、昭人とペアになっている佐伯明菜以外は、しばしばドン引きしていた。

 今夜も昌子は管制塔にいた。美佐が床に敷いたマットで寝ている。
「役立たずじゃないよ」
 そうフォローしたが、美佐は泣いていた。

 安川恭三が管制塔に上がってきた。
「どう無線は?」
「今日は、あまり……」
 恭三が急に小声になる。
「チャンスがあれば、逃げたほうがいい」
 昌子には何のことかわからなかった。
「えっ!」
「久米さん、少しおかしい。
 もともと冷たい部分があったけど、美佐ちゃんにあれはない。
 彼は……、わからないけど……。
 本物の役立たずな男の戯言とは思わないでくれ」

 昌子は、恭三ほどは深刻に考えていなかった。昭人とはゾンビ事変以来の長い付き合いだし、確かに冷酷な部分はあるけど、それが12人を守ってきた要素でもある。
 しかし、最近の昭人はグループのメンバーに序列をつけようとしている。
 いや、つけている。
 実質的なリーダーであることは認めるが、独裁者のように振る舞い始めている。そんな昭人に惹かれたのか、明菜が深い関係を持った。
 これを栗岡直美は「自分を守るためよ」と以前に言っていた。明菜には昭人への恋愛感情はなく、このグループで生きていける立場につくには昭人との関係を深めるほうがいい、と考えたらしい。
 これが、直美の分析だった。
 もともと、成人4人は何となく昭人を避けていることはわかっているが、昌子にはわからない何かがあるのかもしれないと考え始めていた。
 しかし、深刻だとは思っていない。

 セスナ172Sに魚を積み込む際、隙を見て恭三が昌子に耳打ちする。
「チャンスがあったら、美佐ちゃんを連れて逃げろ」
 昌子が眉間に皺を寄せる。そして、何も答えなかった。
 年少者の「肉まん」の圧力に昭人は抗えなかっただけで、彼自身の損得を考えなければ、この計画を阻止したはずだ。
 その可能性は、昌子も感じていた。

 離陸してしばらくすると、隣に座る美佐が昌子に話しかけてきた。
「どんなヒトかな。
 怖いヒトかな。
 優しいヒトかな」
「どんなヒトだろうね。
 いいヒトだといいね」
「うん」
 美佐の不安が伝わってくる。昌子も不安だった。

 天偵機は奥尻島上空の天候を確認し、奥尻空港の滑走路の状態を低空で観察してから、着陸せずに引き返した。

 クイーンエアが着陸し、駐機場に止めると、岸部芭蕉の接待準備が始まる。
 邂逅の予定時間よりも、1時間早く到着している。
 相手の年齢がわからないから、肉じゃがとチャーシュー、キジのもも肉を使ったクリームシチューに料理の数々、そしてワインと缶チューハイをテーブルに並べる。
 テーブルには、クロスが掛けられ、空は快晴。やや肌寒いが、耐えられないほどではない。
 沙奈は大はしゃぎで、豪華な料理の数々に大興奮。

 セスナ172Sが滑走路に進入する。危なげない着陸で、相応の操縦技量があることがわかる。
 駐機場の端でセスナ172Sが止まる。パイロットが降りてきて、主脚に車輪止めをする。
 若い女性であることは明か。
 反対のドアから、女の子が降りてきた。
 2人が手をつないで、歩いてくる。

 昌子は驚いていた。
 テーブルを用意し、料理を並べ、歓待の準備が整っていたからだ。
 完全に虚を突かれた。
 予定外は他にもある。
 美佐が同じくらいの女の子と遊び始めたのだ。

 岸部芭蕉は大きくあてが外れていた。
 パイロットは、明らかに未成年。18歳以上ではない。
 ワインや缶チューハイよりも、ソフトドリンクのほうがよかった。

 美佐と沙奈が並んで座り、芭蕉が給仕する。美佐は肉を1年以上食べていない。
 芭蕉が「イノブタとキジの肉で、新鮮だから安心して」と昌子に言った。
 瑛太が昌子に肉まんを見せる。
 美佐が「わぁ~、大きい!」と喜ぶ。

 急に昌子が声を出して泣き出す。
「みんなに食べさせてあげたい!」
 美佐が昌子の頭を撫でる。
「よしよし、泣かないで。
 みんな、お姉ちゃんの味方だよ。
 お姉ちゃんが正しいって、言ってるよ」
 このとき、昌子は初めて年少者たちの意見を知る。

 1時間ほどの邂逅だった。
 芭蕉たちは、セスナ172Sから魚を下ろし、その状態を確認した。氷水につけられていた。
 40センチ級のソイが2尾もあった。カレイも大物が2尾。

 芭蕉が持参した料理をタッパに入れている。昌子に「持って帰って、みんなで食べて」と。
 沙奈は宝物の貝殻を、美佐にプレゼントした。
 美佐が昌子に「また、沙奈ちゃんと遊べる?」と尋ねる。
 たぶん、それはない。昭人はこの成果を絶対に無視する。

 昌子が今後の対応に迷っていると、沙奈と美佐が決定的な会話をした。
「沙奈ちゃんは、明日何するの?」
「学校に行く」
「学校があるの!」
「うん、あるよ。
 病院もあるよ」
「お医者さんがいるの?」
「ううん。
 でも、3人いるよ。先生みたいなヒト」
「ふ~ん。
 学校行きたいなぁ」
 沙奈でも、いろいろ難しいことがあることを理解している。子供なりに気遣い、それ以上は話題をつなげなかった。

「美佐を連れて行ってくれない?」
 唐突な発言に瑛太は当惑する。セスナ172Sの横。誰にも聞かれていない。
「どういうこと?」
「私たち、かなり厳しい状態なの」
「まぁ、俺も昨年まで、4人で生き残りを模索していたから、厳しいことはわかる。
 だけど、今日会ったばかりの俺たちに美佐ちゃんを預けるって?
 普通なことじゃないよね」
「うん。
 簡単には説明できないんだけど……」
「美佐ちゃんが危険なの?」
「そう言っているヒトもいるの」
「メンバーの中に?」
「うん。
 私にも逃げろって……。
 私はそこまで深刻じゃないって思うんだけど……」
「ちょっと待ってて」

 瑛太は、芭蕉と正副操縦士に昌子の話を伝える。3人とも狼狽える。美佐を保護することはかまわないが、その後の昌子を心配する。
 美佐は沙奈と遊んでいる。
 昌子を呼ぶ。
 瑛太が「美佐ちゃんがいなくなったら、どうなる?」と尋ねる。
 昌子は「たぶん、昭人は気にしないと思う」と答えた。
 瑛太が「昭人って言うヒトがリーダー?」と尋ねると、昌子が首を横に振る。
「リーダーっていないんだ。
 だけど、最近ちょっとね。
 私はそれほど心配していないけど、大人の中には昭人を怖がっているヒトが何人かいるの」
 瑛太に疑問が湧く。
「そのヒト、大人じゃないの」
「同級生」
「う~ん。わかんないな。同級生が変わったの?」
「変わりつつあるというか?
 私たちは自由だから、美佐がみなさんと一緒に行くって言えば、私は止めない。止められない。
 そういうルール」
「各個人の自由意思か?」
 芭蕉が心配する。
「美佐ちゃんを保護するのはいい。
 責任を持つ。
 だけど、きみは大丈夫?
 その昭人くんに責められない?」
「何かは言われるだろうけど、暴力はないはず。そういうヒトじゃない……」

 瑛太は沙奈と遊んでいる美佐に近付く。
「美佐ちゃん、お兄さんと一緒に来る?」
 美佐が昌子に向かって走る。

「どうする?
 連れて行ってくれるって。
 学校にも行けるよ。沙奈ちゃんとも遊べる……」
「お姉ちゃんは?
 一緒に行こうよ。
 昭人さん、ちょっと怖いよ」
「私は残る。
 まだ、小さい子がいるから……」

 瑛太は昌子に約束する。
「美佐ちゃんは、俺が責任を持つ。
 それと、毎晩、連絡を待つよ」
 美佐が高原に来ることが決まった。
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