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01 暗黒市
01-003 AVスタジオ
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悠理亜は、殺人AVの撮影スタジオを見張っていた。今夜、彼らの所業に介入するつもりだ。被害者を助けるためではない。三代王特別市を統べる支配者の邪魔をするためだ。
14階建てマンション屋上の先端角に立ち、ことが始まるのを待っていた。
悠理亜が視覚をサーモイメージャに切り替える。
マンションの屋上からAVスタジオまでは直線で250メートル離れているが、悠理亜の視力ならば事細かに判別できる。その視力は、レンズとセンサーの性能に依存する。
目標までは、視覚に埋め込まれたレーザー距離計が正確に計測してくれる。誤差は距離1000メートルで、3ミリ以内。
「チッ」
悠理亜が舌打ちする。最後に連れてこられた高校生と中学生、中学生と高学年の小学生かもしれない、は地下に連れていかれた。4階に4人、3階に8人、2階は無人、1階に4人いる。
地下以外は16人。悠理亜1人でどうにでもなる。
「子供が殺されるのは、寝覚めが悪いな」
悠理亜は、子を守るための市松人形からの影響を感じる。
彼女が呟き、動こうとした瞬間。4階の引き違い窓が開き、全裸の男性が落下した。
男性は仰向けの状態で、駐車場の乗用車のルーフに落ちる。ルーフが陥没し、フロントとリアのガラスが砕け散る。
レクサスLS。三代王市警のクルマだ。
運転席と助手席から男女各1が転がり出てくる。
正面出入口ホールから女性が出てきた。外国人のようだが、そうとは明確に判断できない。
右手に大型のサバイバルナイフ型山刀を持つ。女性は四つん這い状態の女性刑事の喉を斬り裂き、拳銃を抜きかけた男性刑事の手首を拳銃ごと斬り落とした。
その動きは訓練された兵士だ。無駄がなく、隙もない。
ルーフに落ちた全裸の男性はまだ生きていた。身体をひねって立ち上がろうとする。
次に出てきた女性は、ダガーナイフを握っている。
一瞬だった。2人目の女性がルーフから降りた全裸の男性の股間をはねた。
全裸の男性が股間を押さえて蹲る。
3人目の女性がイチモツを切り落とされた男性の二の腕に着いたシップ状の貼り薬を剥がす。
悠理亜は、高性能の視覚で絵柄を確認する。
「双頭の鷲か。
シグマ・コマンドだな」
民間軍事会社の特定部隊員全員が彫るタトゥだ。
4人目の女性の背後に高校生か中学生、中学生か小学生の女の子2人が続く。
悠理亜のサーモカメラは、建物内に動く熱源を2つ確認していた。
それ以外は床に倒れている。
2つの小柄な影は、4つの大柄な影に守られるように敷地内のクルマに乗り込む。たぶん、市警のクルマだ。
4人の女性は人としては、圧倒的な強さだった。
「驚いたな。
例の武装集団か?」
悠理亜が走り去るクルマを目で追っていると、建物から2人の女性が出てきた。悠理亜の聴覚となる超指向性マイクが2人の会話を拾う。
「佐野さん、早く逃げよう。
頑張って歩いて、T字路に出て道を渡れば東京都だよ。
ここで捕まったら、殺されちゃうよ」
女性がもう1人を抱えて、歩き出す。
悠理亜は、この2人を追うことにする。
2人は歩道600メートルを20分かけて歩く。3方向からパトカーのサイレンが聞こえる。
「渡ったら東京都だから」
女性がもう1人を励ます。
「怖いよ。
怖いよ」
もう1人は極度に怯えている。恐怖が足をもつれさせる。
「交番だ!」
「交番はダメだよ」
「通りの向こうだから、警視庁の交番だよ。
早く渡ろう。もうすぐ東京都だよ」
悠理亜が交番を見る。1人いるが警察官ではないようだ。警察官の制服に似ているが、拳銃を携行していない。警察官OBの交番相談員だ。
交番には、大山警察署篠原交番との表記がある。警視庁の交番だ。逃げ込めば2人は助かる。
悠理亜は2人を追いながら、100メートル以上離れて見ている。
2人が這うように横断歩道を渡る。渡りきると、四つん這いになる。そして、1人が立ち上がり、もう1人を支えて、東に向かって歩く。
あと200メートルで交番にたどり着く。
パトカーのサイレンの音が近付いている。
「誰かいますか?」
弱々しい声を聞いて、小さなキッチンにいた交番相談員が慌てて出てくる。
「どうしました?」
1人が泣き出す。1人がしゃがみ込む。
「東京都の交番ですか?」
「そうだよ。
警視庁大山警察署篠原交番」
「私たち、三代王市警に追われています。
助けて」
交番相談員は手にしていた湯飲みを落とし、大山警察署に電話する。
「篠原交番です。女性2人を保護しました。至急応援をお願いします」
最初に到着したのは、三代王市警の覆面パトカーだった。お馴染みのレクサスLSだ。車体色は黒。30秒後に車体色白のレクサスLSが到着。
両車から各2人が車外に出る。
2人は手にM4カービンを持つ。
交番相談員は、どうするか決めかねていた。だが、2人を引き渡すつもりはなかった。
簡単に破られるであろう交番の引き戸を閉め、鍵をかけた。
「大丈夫。
すぐに応援が来るから」
2人の女性にそう声をかけたが、気休めにもならないことは理解していた。
4人のうち1人が引き戸を開けようとし、鍵がかかっていることを確認すると、銃床でガラスを割り、解錠する。
「2人を渡せ」
「いや、渡せない。
この2人は警視庁が保護した」
三代王市警の4人の私服警察官が笑う。
「ゴチャゴチャ言わずに渡せ。
そうすれば、生きて太陽が拝める」
パトカーが2台到着。3分後にさらに2台が到着。その2分後に覆面パトカー2台が到着する。
「8台16人か、おじさんに勝ち目はないな」
悠理亜は、女性2人と交番相談員を助けるつもりはなかった。
だが、せっかく集まった16の獲物を逃がすつもりもない。
三代王特別市側の8階建てマンション屋上に移動する。
交番相談員の腕をつかんだ三代王市警の私服の首から上が消える。
悠理亜の正確無比な狙撃が始まる。
三代王市警側は、何が始まったのかまったくわからない。銃声がしないのに、12.7ミリ重機関銃弾並みの威力がある何かが飛んで来た。
ルーフを何かが貫通し、パトカー内の制服が永遠に沈黙する。
クルマが次々と破壊され、次に車外の制服が狙撃される。
交番の壁に身を隠した三代王市警の私服は、まさか銃弾が壁を貫通するとは思わなかった。
だが、銃弾ではなくナットが壁を貫通し、彼の胸も貫通した。胸から抜けたナットは、事務デスクの足にぶつかり、不気味な金属音を立てた。
交番内は危険と判断した私服1人が外に出る。
悠理亜からはパトカーが邪魔で、私服の足しか見えなかった。
悠理亜はその足を狙う。
私服警察官の左足踵から下がちぎれる。
三代王市警は、市民に怪我人が出るなどということはまったく気にしない。
襲撃者がいると思う方向に、容赦ない射撃を始めている。ただ、恐怖からの闇雲な発砲ではなく、ある程度の戦術的意味があった。
だが、音を発しない相手の所在は、判然としない。
彼らは50メートルほど離れたマンションの3階か4階からの狙撃と見極め、銃撃を集中している。
そこに悠理亜はいない。
いるのは、それらの部屋の住人だけ。
悠理亜は移動しながら狙撃を続ける。
視認した身体の一部を即時攻撃する。頭、手足、胴体、どこでもよかった。亜音速で飛来する50グラムの金属塊には、1分間に1万回転のバックスピンがかかっている。
大山警察署からの応援は、凄惨な事件現場に慄然とする。
相談員は血だらけだが、他人の血で、彼自身はかすり傷さえ負っていなかった。
若い女性2人も無事。怯えているが、身体に大きな怪我はない。心は……、不明。
三代王市警の生き残りは6人。全員が三代王消防署の救急車でどこかに運ばれていった。
所轄の警察署では、三代王市警と渡り合うことはできない。5連発リボルバーでは、軍用自動小銃を持つ相手とは対峙できない。
大山警察署ができることは、相談員と助けを求めて交番に逃げ込んだ女性2人を保護することだけ。
あとは、交通規制。
三代王市警と話し合うこともない。彼らが守るべきは、都民。それ以上、何もできない。三代王特別市と市民には手出しができない。例え、救助でも。
悠理亜は満足していなかった。
「16人中、生き残りは6人か。
少なすぎる。やり過ぎたか?
殺してしまっては、恐怖を生み出せないからな」
日本では、放送と活字による旧来からのメディアと、新興のネットメディアのどちらにも報道の自由・言論の自由が保障されている。
だが、三代王特別市には、そんなものはない。
東京都と三代王特別市の境界であった事件はネットメディアでは大々的に報道されたが、オールドメディアは沈黙し、三代王特別市内では一切が秘匿された。
市警が銃撃したマンションでは、2家族7人が射殺されていた。1人は6カ月の赤ちゃんだった。
日本人の多くは、死亡した赤ちゃんには同情するが、両親に対しては「三代王なんかに住んでいるほうが悪い」といった冷ややかな態度だった。
三代王特別市では、放送電波を受信するアンテナは取り締まられている。また、インターネットには接続できない。
市の総務部が認めたケーブル放送と市内専用ネットワークだけが使える。
それ以外は違法であり、視聴した場合は懲役刑が科せられる。
だが、市内の住民はVPNを介して、インターネットに接続できたし、秘匿性の高い高感度アンテナが市外ならどこでも入手できた。
だから、情報は知っていた。
AVスタジオから逃げ切った都内在住の女性2人の存在は、政府には甚だ都合が悪かった。
1人は怯えきっていて精神的に不安定だが、1人は落ち着いていて事件の経緯を話し始めていた。
彼女は、日本記者クラブで会見を行い、野党のヒヤリングにも参加した。ネットの番組では、2時間半に渡り、状況を時系列で詳細に説明した。
驚くべきは、彼女たちが、三代王特別市に隣接する東京都内のワインバーで飲んでいて、拉致されたことだった。
三代王特別市で事件に巻き込まれたのではなく、安全であるはずの東京都内から連れ出されたことに衝撃が走る。
警視庁が2人が拉致されたワインバーを捜査すると、完全にもぬけの殻だった。一切の証拠を残さず、すべてが撤去されていた。
借り主は架空の人物で、仲介した不動産業者と建物のオーナーは、1年分の賃料に相当する敷金と半年分の賃料に相当する礼金、2年分の家賃を前払いされことから、深く追及しなかった。
このおしゃれなワインバーが、殺人AV動画の被害者を確保するための拠点ではないかと、ネットでは報道されている。
月影紗良は、三代王特別市に隣接する都内の祖父母が住んでいた築年数が50年を超える戸建てで被害女性の会見をネットを介してライブで見ていた。
「ワインを飲んでいたら、急に眠くなりました。
目が覚めると、窓がない部屋にいました。何となく、地下だと感じました。とても広く、天井が高くて、倉庫のような部屋でした。
友人で同僚もほぼ同時に目を覚まし、怖くて抱き合って震えていまいました。
男の人が10人くらい。4人が裸でした。
怖くて周りが見えなかったのですが、女性が6人いたんです。
私たち以外に……。
高校生か中学生くらいの女の子、中学生か小学生高学年くらいの女の子。2人は姉妹だと思います。
外国人かもしれない女性が3人、日本人らしい女の人が1人……。
高校生らしい女の子は怯えていないというか、手にドライバーを握っていて戦う素振りを見せていました。
若い女性4人は笑っていて……。
男の人たちは、何となくイラ立っていたような……。
私たちは抱き合い蹲って震えるだけ……。
裸の男の人が動くと、気付くと3人が倒れていて、1人がドアに向かって逃げていました。
4人の女の人、強かったです。服を着ていた男の人、カメラマンとかディレクターでしょうか?
裸の男性は男優?
裸の人1人は逃げましたが、あとはみんな、倒れていました。
4人の女の人はとにかく強くて、地下室を出ると、男の人の悲鳴が聞こえてきて……。
高校生くらいの女の子は、4人の女の人に加勢しようとしたみたいで、立ち上がろうとした裸の男の人の背中にドライバーを突き刺しました。
4人の女の人が地下室から出ると、高校生と小学生の女の子が続きました。
私たちは怖くて、歩けませんでした。
ドアが開いていて、悲鳴が聞こえていたし……。女の人の悲鳴じゃありません。男の人の悲鳴です。
男の人たちが誰なのか、知りません。だけど、ものすごく体格がよくて、強そうでした。数人は拳銃を持っていました」
拳銃と聞き、会見場がざわつく。
被害女性が続ける。
「4人の女性は、ナイフも拳銃も怖くないみたいで、拳銃を奪うと躊躇いなく撃っていました。
ジョン・ウィックみたいに……。
ナイフを奪った女性は、何というか、滅多刺し?
曲芸師みたいにナイフを持ち替えたり、投げたり、両足を刺して起き上がれないようにしてから、仰向けの男の人の胸を刺したり、アクション映画を見ているみたいで……。
現実だとは思えませんでした。
拳銃を奪った女の人は、倒れている全員の頭を撃ちました。その行いに躊躇いがないんです。
怖くて、怖くて……。
でも、4人の女の人がいなければ、私は殺されていたんです。
助けてくれたとは思っていません。私たちに気を使ってはくれませんでしたから……。
でも、高校生と小学生の女の子には、手を差し伸べていたように感じました。
幼いからではなく、戦う姿勢を見せていたからかも……。
震えているだけの私たちには、興味がなかったのかも……」
月影紗良は、会見を興味深く聞いていた。
「三代王に戻るか?
それとも、私も会見をするか?
会見のほうが面白いかもな。
殺されたはずの私が生きているのだから……。インパクトはあるだろうな。
あの化け物は、人前には出られないし……。
怨霊からは、身を守る術も授かった。姿を現しても、簡単には殺されないはず……」
被害女性は、匿名で、顔を出さなかった。拉致された経緯について、彼女に非はないが、政府支持派と特別市拡大推進派は、彼女への批判を強める。
社会学者、教育評論家、経済評論家、政治学者、ジャーナリスト、文化人、アーチスト、クリエイター、お笑い芸人、タレントなど、あらゆる分野の著名人・有名人が、彼女の私生活にまで立ち入り、真偽不明の情報に基づいた批判の急先鋒になった。
彼らに続く一般人は、彼女の本名を特定し、住所を明らかにし、勤務先を調べ、家族の情報から友人関係までほじくり返そうとする。
それを、事業許可権限を政府に握られている放送メディアが率先して補強していく。
そんな騒ぎは数日で終わった。
法蓮晴彦弁護士の娘が死亡していたことが、判明したからだ。
法蓮悠理亜の遺体は、父娘の自宅において、叔父の弥次郎が発見した。弥次郎は三代王市警に兄と姪の遺体の返却を要求したが、拒否されていた。
「兄と姪の死の真相が何であれ、きちんと埋葬してあげたい。
葬式をしてあげたい」
弥次郎がそう告げると、その言葉に疑念を持つ市井の人は少なかった。
ただ、市警と警視庁は、弥次郎の言をそのまま信じてはいなかった。市警は弥次郎が何かを画策していると邪推し、警視庁は弥次郎が悠理亜殺害の犯人の可能性を考慮していた。
状況は、警視庁としては弥次郎には不審な点があるが、それを追及するほどの証拠がない。
検死の結果、悠理亜には過酷な暴力を受けた形跡があり、顔の傷はひどい状態だった。眼窩の一部と頬骨の一部が骨折しており、性的暴行の痕跡もあった。
死因もわかった。喉に何かが詰まったか、何かを詰め込まれたことによる窒息。
一方、遺体が凍っていたため、死亡時期ははっきりしない。悠理亜が弥次郎を尋ねたことは、駅やコンビニの防犯カメラで確認されている。
弥次郎は「私を訪ねてきたときには、顔はひどい状態だった」と警視庁に対して証言し、それを理由に「だから心配で、疎遠だった兄宅を訪問した」と答えている。
弥次郎の言葉を真実とするならば、暴行された悠理亜は数日間生存していたことになる。
悠理亜の怪我は重く、医師の見解はほぼ一致していた。
「眼窩骨と頬骨の骨折だけでも、若い女性が動けたとは思えません。
さらに、腹部は内臓が損傷するほど殴られていて、腕と肋骨にもヒビが入っていたのだから、本来ならICUで生命維持をしなければならない状態です。
そんな状態の若い女性が、電車に乗って叔父に会いに行くなんて、あり得ないでしょう」
警視庁はどういう方法で得たのかはわからないが、市警が調べた悠理亜の遺体の情報を知っていた。
警視庁から意見を求められた外科医の判断はほぼ一致していた。
だから、弥次郎の言を鵜呑みにはしなかった。
ただ、この時点では、法蓮弁護士が月影紗良を殺したと信じている一般人は多かった。
警視庁が月影紗良の生存を公表していないからだ。
市警は、なぜか悠理亜の遺体だけは返却した。晴彦の遺体は事実上行方不明で、たぶん焼かれて捨てられた。
悠理亜の遺体には、顔の傷を隠す化粧が葬儀会社によって施されていた。
悠理亜が横たわる自分の肉体を見下ろしている。
弥次郎が隣りに立つ。
「密葬になる。
すまない……」
「おじさんには、感謝している。
この身体をくれたこともそうだし、いまも支援してくれているから……」
「これから、どうする?」
「おじさん、私は何になったんだろう?」
「無敵のラブドールだ。
究極のアンドロイド。
意識がある人工生命」
「最近は、触覚がある。何かを触ると、それの感触がわかる。絹ごし豆腐をつかめるようになった」
「……。
触覚はないんだけどな」
「たぶん、肉体があったときの記憶が身体を制御するようになったんじゃないかな」
「つまり、触覚ではなく、触覚の記憶で行動を制御できる……」
「そうだ。
すげぇな」
弥次郎が続ける。
「筋肉がなくても関節を動かせるが、筋肉の代わりになるモーターが補助動力になってくれる。
運動能力は人をはるかに超えるし、視覚と聴覚の性能は人の比じゃない。
味覚は無理かもしれないけど、触覚が戻ったのだから、臭覚も回復するかもしれない」
「で、おじさん、私にはこれから何が必要?」
「パワーだな。
俺にはわかっているよ。
悠理亜をリアル鉄腕アトムにしてやる。
いや、ウランちゃんか?」
悠理亜の遺体は都内で荼毘に付された。遺骨となった悠理亜を法蓮家の墓に納めることは、警視庁の刑事が反対した。
「法蓮さん、危険です。
三代王市警が何をするかわかりません」
「夜にこっそりと、ではダメですかね?」
女性刑事が首を横に振る。
男性刑事もとめる。
「気持ちはわかりますよ。法蓮さん……。
でも、あなたに何かあったら、悠理亜さんとお兄さんは誰が弔うんですか。
あなたは、三代王に入ってはダメだ。我々も守れない」
「法蓮家の墓は、長生寺にあるんですけどね……。
諦めます。
納骨できるときが来たら、来ないかもしれないけど……。
兄の遺体は戻ってこないし……。
市警が処分しちゃったのかな……」
警視庁の2人の刑事は無言だった。三代王特別市での出来事は、違法・合法関係なくどうにもできない。
三代王特別市は政府直轄の行政区域で、事実上政府与党の私領。日本の一部だが、日本ではない。
悠理亜はネットのチャンネルで、悠理亜の中学時代の同級生からの情報だとする動画を見ている。
彼女は自分の遺骨を抱きながら、それを見ていた。
声は変えられていた。姿は胸から下だけ。
「悠理亜ちゃんは、いじめが好きって言うか、必ず仲間はずれを作るんです。
性経験も豊富みたいで、大学生の彼氏とか、サラリーマン相手のパパ活とかもしていたみたい……」
健康に問題を抱えていた悠理亜は、中学にはほとんど通っていない。友だちもいない。当然、悠理亜のことを語る彼女を知らない。
このチャンネルは、政府を強く支持する経済評論家が運営している。経済関係だけでなく、時事、芸能、国際・国内政治など、あらゆる問題に対して政府を支持する立場から発言している。
経済評論家は、30歳代後半の女性で、客観的に見て美形だ。
悠理亜は装備を身に付けた。浸炭鋼板と炭素繊維で作られた重いボディアーマー、頭部にはケプラー繊維強化プラスチック製戦闘用ヘルメット、戦闘用グローブを着ける。
悠理亜は移動にショックアブソーバー付き電動アシストマウンテンバイクを使っている。自転車なので、交通法規を守る限り、警察官に誰何される危険が少ない。
それと、悠理亜の脚力なら、時速80キロまでなら簡単に出せる。それ以上は、自転車が壊れる。
悠理亜の身体は疲れない。心配は電池切れだが、電池が切れても人並みの運動能力は維持できる。
政府支持派経済評論家の講演先に悠理亜は自転車で向かった。
彼女は自分の敵を見定めておきたかった。
経済評論家は、彼女のクルマを講演があったホテルのロビーで待っていた。
護衛は2人。三代王特別市を牛耳る民間軍事会社の傭兵だ。
「強すぎたか」
悠理亜は、経済評論家の運転手をみぞおちへの一撃で動けなくしたが、彼はすぐに意識を失った。
経済評論家のクルマのボンネットにもたれかかって待つ。
経済評論家は人目を避けてホテルから出るため、護衛と一緒に地下駐車場まで降りてきた。
悠理亜の足下には、運転手が倒れている。悠理亜には武道や格闘技の経験はない。運転手は大男で、同時に近接戦闘の専門家であった。
彼も傭兵だ。
戦い方はネットで学んだ。実技経験は皆無。
だが、三代王市警相手に実戦経験は何度かある。
経験不足から悠理亜は頭部に一撃を食らったが、ヘルメットのおかげでダメージはなかった。
悠理亜のパンチは、おそらく北米の巨大熊であるグリズリーを一撃で殺せる。体重250キロのグリズリーを数百メートル投げ飛ばすこともできる。
たぶん可能だ。
だから、十分に手加減したのだが、無意識に力が入った。大男が彼女の足下で呻いている。呻いているのだから生きているし、手加減はできていた。
だが、もう少し手加減すべきだった。
動いてはいるが、話はできないし、痙攣するような動きしかしない。
先頭は男性の護衛、動きが速そうな細身。その後方に経済評論家。背後を女性の護衛が守る。男女とも、身長180センチ近くある。筋肉質であることは、スーツの上からでもわかる。
男性の護衛が立ち止まり、悠理亜を見た。
「何者だ!」
「そっちのお姉さんがよく知っている。
仲間はずれとセックスが好きな女だ」
三代王特別市以外では、拳銃は所持できない。刃物も。都道府県警が喜んで取り締まってくる。
護衛が伸縮式の特殊警棒を伸ばす。カシャッと金属音がする。
悠理亜の目は秒速1000メートルの物体までならば、静止したように識別できる。
護衛の動きは、悠理亜からすれば緩慢だった。
悠理亜は特殊警棒に対する防御はせず、護衛の口に手を突っ込んだ。
下顎を握り、そのまま身体を宙に浮かせ、ボンネットに叩きつける。
けたたましく盗難防止の警報が鳴る。
悠理亜は顎から手を離さず、コンクリートの床に叩きつける。もう一度ボンネットに叩きつけると、フロントガラスが割れた。
二度目の床叩きつけに移ろうとすると、下顎が外れてしまった。顔からちぎれたのだ。
下顎を失っても護衛は生きていた。
女性の護衛は経済評論家を守ろうとするが、同時に彼女ではどうにもならないことを悟っていた。
武器が必要だった。
消化器が見えた。彼女は消化器まで走り、それをつかむと悠理亜に向かって投げる。
悠理亜は、消化器を片手で受け止めた。そして投げ返す。秒速350メートルで投げつけられた消火器が、女性護衛の頭部をかすめる。
拳銃弾に匹敵する速度で、重量3キロの金属塊があたれば人の身体はどうなるか?
女性護衛は、完全に怯えてしまった。消火器はコンクリートの壁に半分めり込み、消火剤をまき散らした。
女性護衛は経済評論家の手を引き、消火剤が視界を遮っている間に逃げようとした。
気が付くと、彼女はコンクリートの床に倒れていた。怪力の女に突き飛ばされ、床を50メートル以上滑走したのだ。
全身に痛みがあり、下半身が動かない。
悠理亜は経済評論家に「脱げ」と命じる。
経済評論家はどうしていいかわからず、震えていた。
ただ、彼女には誰でも黙らせる言葉があった。
「私には、与党の元幹事長、越後谷先生がついているのよ!」
悠理亜はため息を吐いた。
そして、経済評論家の下着をパンストごと剥ぎ取った。
「返してほしければ、法蓮悠理亜に関する動画をすべて削除しろ!
しなければ、次はおまえの顎をもらう」
下顎を失っても生きている男性護衛を指差す。
悠理亜は、その場を立ち去った。
悠理亜を中傷する動画が削除されたのは2日後だった。
14階建てマンション屋上の先端角に立ち、ことが始まるのを待っていた。
悠理亜が視覚をサーモイメージャに切り替える。
マンションの屋上からAVスタジオまでは直線で250メートル離れているが、悠理亜の視力ならば事細かに判別できる。その視力は、レンズとセンサーの性能に依存する。
目標までは、視覚に埋め込まれたレーザー距離計が正確に計測してくれる。誤差は距離1000メートルで、3ミリ以内。
「チッ」
悠理亜が舌打ちする。最後に連れてこられた高校生と中学生、中学生と高学年の小学生かもしれない、は地下に連れていかれた。4階に4人、3階に8人、2階は無人、1階に4人いる。
地下以外は16人。悠理亜1人でどうにでもなる。
「子供が殺されるのは、寝覚めが悪いな」
悠理亜は、子を守るための市松人形からの影響を感じる。
彼女が呟き、動こうとした瞬間。4階の引き違い窓が開き、全裸の男性が落下した。
男性は仰向けの状態で、駐車場の乗用車のルーフに落ちる。ルーフが陥没し、フロントとリアのガラスが砕け散る。
レクサスLS。三代王市警のクルマだ。
運転席と助手席から男女各1が転がり出てくる。
正面出入口ホールから女性が出てきた。外国人のようだが、そうとは明確に判断できない。
右手に大型のサバイバルナイフ型山刀を持つ。女性は四つん這い状態の女性刑事の喉を斬り裂き、拳銃を抜きかけた男性刑事の手首を拳銃ごと斬り落とした。
その動きは訓練された兵士だ。無駄がなく、隙もない。
ルーフに落ちた全裸の男性はまだ生きていた。身体をひねって立ち上がろうとする。
次に出てきた女性は、ダガーナイフを握っている。
一瞬だった。2人目の女性がルーフから降りた全裸の男性の股間をはねた。
全裸の男性が股間を押さえて蹲る。
3人目の女性がイチモツを切り落とされた男性の二の腕に着いたシップ状の貼り薬を剥がす。
悠理亜は、高性能の視覚で絵柄を確認する。
「双頭の鷲か。
シグマ・コマンドだな」
民間軍事会社の特定部隊員全員が彫るタトゥだ。
4人目の女性の背後に高校生か中学生、中学生か小学生の女の子2人が続く。
悠理亜のサーモカメラは、建物内に動く熱源を2つ確認していた。
それ以外は床に倒れている。
2つの小柄な影は、4つの大柄な影に守られるように敷地内のクルマに乗り込む。たぶん、市警のクルマだ。
4人の女性は人としては、圧倒的な強さだった。
「驚いたな。
例の武装集団か?」
悠理亜が走り去るクルマを目で追っていると、建物から2人の女性が出てきた。悠理亜の聴覚となる超指向性マイクが2人の会話を拾う。
「佐野さん、早く逃げよう。
頑張って歩いて、T字路に出て道を渡れば東京都だよ。
ここで捕まったら、殺されちゃうよ」
女性がもう1人を抱えて、歩き出す。
悠理亜は、この2人を追うことにする。
2人は歩道600メートルを20分かけて歩く。3方向からパトカーのサイレンが聞こえる。
「渡ったら東京都だから」
女性がもう1人を励ます。
「怖いよ。
怖いよ」
もう1人は極度に怯えている。恐怖が足をもつれさせる。
「交番だ!」
「交番はダメだよ」
「通りの向こうだから、警視庁の交番だよ。
早く渡ろう。もうすぐ東京都だよ」
悠理亜が交番を見る。1人いるが警察官ではないようだ。警察官の制服に似ているが、拳銃を携行していない。警察官OBの交番相談員だ。
交番には、大山警察署篠原交番との表記がある。警視庁の交番だ。逃げ込めば2人は助かる。
悠理亜は2人を追いながら、100メートル以上離れて見ている。
2人が這うように横断歩道を渡る。渡りきると、四つん這いになる。そして、1人が立ち上がり、もう1人を支えて、東に向かって歩く。
あと200メートルで交番にたどり着く。
パトカーのサイレンの音が近付いている。
「誰かいますか?」
弱々しい声を聞いて、小さなキッチンにいた交番相談員が慌てて出てくる。
「どうしました?」
1人が泣き出す。1人がしゃがみ込む。
「東京都の交番ですか?」
「そうだよ。
警視庁大山警察署篠原交番」
「私たち、三代王市警に追われています。
助けて」
交番相談員は手にしていた湯飲みを落とし、大山警察署に電話する。
「篠原交番です。女性2人を保護しました。至急応援をお願いします」
最初に到着したのは、三代王市警の覆面パトカーだった。お馴染みのレクサスLSだ。車体色は黒。30秒後に車体色白のレクサスLSが到着。
両車から各2人が車外に出る。
2人は手にM4カービンを持つ。
交番相談員は、どうするか決めかねていた。だが、2人を引き渡すつもりはなかった。
簡単に破られるであろう交番の引き戸を閉め、鍵をかけた。
「大丈夫。
すぐに応援が来るから」
2人の女性にそう声をかけたが、気休めにもならないことは理解していた。
4人のうち1人が引き戸を開けようとし、鍵がかかっていることを確認すると、銃床でガラスを割り、解錠する。
「2人を渡せ」
「いや、渡せない。
この2人は警視庁が保護した」
三代王市警の4人の私服警察官が笑う。
「ゴチャゴチャ言わずに渡せ。
そうすれば、生きて太陽が拝める」
パトカーが2台到着。3分後にさらに2台が到着。その2分後に覆面パトカー2台が到着する。
「8台16人か、おじさんに勝ち目はないな」
悠理亜は、女性2人と交番相談員を助けるつもりはなかった。
だが、せっかく集まった16の獲物を逃がすつもりもない。
三代王特別市側の8階建てマンション屋上に移動する。
交番相談員の腕をつかんだ三代王市警の私服の首から上が消える。
悠理亜の正確無比な狙撃が始まる。
三代王市警側は、何が始まったのかまったくわからない。銃声がしないのに、12.7ミリ重機関銃弾並みの威力がある何かが飛んで来た。
ルーフを何かが貫通し、パトカー内の制服が永遠に沈黙する。
クルマが次々と破壊され、次に車外の制服が狙撃される。
交番の壁に身を隠した三代王市警の私服は、まさか銃弾が壁を貫通するとは思わなかった。
だが、銃弾ではなくナットが壁を貫通し、彼の胸も貫通した。胸から抜けたナットは、事務デスクの足にぶつかり、不気味な金属音を立てた。
交番内は危険と判断した私服1人が外に出る。
悠理亜からはパトカーが邪魔で、私服の足しか見えなかった。
悠理亜はその足を狙う。
私服警察官の左足踵から下がちぎれる。
三代王市警は、市民に怪我人が出るなどということはまったく気にしない。
襲撃者がいると思う方向に、容赦ない射撃を始めている。ただ、恐怖からの闇雲な発砲ではなく、ある程度の戦術的意味があった。
だが、音を発しない相手の所在は、判然としない。
彼らは50メートルほど離れたマンションの3階か4階からの狙撃と見極め、銃撃を集中している。
そこに悠理亜はいない。
いるのは、それらの部屋の住人だけ。
悠理亜は移動しながら狙撃を続ける。
視認した身体の一部を即時攻撃する。頭、手足、胴体、どこでもよかった。亜音速で飛来する50グラムの金属塊には、1分間に1万回転のバックスピンがかかっている。
大山警察署からの応援は、凄惨な事件現場に慄然とする。
相談員は血だらけだが、他人の血で、彼自身はかすり傷さえ負っていなかった。
若い女性2人も無事。怯えているが、身体に大きな怪我はない。心は……、不明。
三代王市警の生き残りは6人。全員が三代王消防署の救急車でどこかに運ばれていった。
所轄の警察署では、三代王市警と渡り合うことはできない。5連発リボルバーでは、軍用自動小銃を持つ相手とは対峙できない。
大山警察署ができることは、相談員と助けを求めて交番に逃げ込んだ女性2人を保護することだけ。
あとは、交通規制。
三代王市警と話し合うこともない。彼らが守るべきは、都民。それ以上、何もできない。三代王特別市と市民には手出しができない。例え、救助でも。
悠理亜は満足していなかった。
「16人中、生き残りは6人か。
少なすぎる。やり過ぎたか?
殺してしまっては、恐怖を生み出せないからな」
日本では、放送と活字による旧来からのメディアと、新興のネットメディアのどちらにも報道の自由・言論の自由が保障されている。
だが、三代王特別市には、そんなものはない。
東京都と三代王特別市の境界であった事件はネットメディアでは大々的に報道されたが、オールドメディアは沈黙し、三代王特別市内では一切が秘匿された。
市警が銃撃したマンションでは、2家族7人が射殺されていた。1人は6カ月の赤ちゃんだった。
日本人の多くは、死亡した赤ちゃんには同情するが、両親に対しては「三代王なんかに住んでいるほうが悪い」といった冷ややかな態度だった。
三代王特別市では、放送電波を受信するアンテナは取り締まられている。また、インターネットには接続できない。
市の総務部が認めたケーブル放送と市内専用ネットワークだけが使える。
それ以外は違法であり、視聴した場合は懲役刑が科せられる。
だが、市内の住民はVPNを介して、インターネットに接続できたし、秘匿性の高い高感度アンテナが市外ならどこでも入手できた。
だから、情報は知っていた。
AVスタジオから逃げ切った都内在住の女性2人の存在は、政府には甚だ都合が悪かった。
1人は怯えきっていて精神的に不安定だが、1人は落ち着いていて事件の経緯を話し始めていた。
彼女は、日本記者クラブで会見を行い、野党のヒヤリングにも参加した。ネットの番組では、2時間半に渡り、状況を時系列で詳細に説明した。
驚くべきは、彼女たちが、三代王特別市に隣接する東京都内のワインバーで飲んでいて、拉致されたことだった。
三代王特別市で事件に巻き込まれたのではなく、安全であるはずの東京都内から連れ出されたことに衝撃が走る。
警視庁が2人が拉致されたワインバーを捜査すると、完全にもぬけの殻だった。一切の証拠を残さず、すべてが撤去されていた。
借り主は架空の人物で、仲介した不動産業者と建物のオーナーは、1年分の賃料に相当する敷金と半年分の賃料に相当する礼金、2年分の家賃を前払いされことから、深く追及しなかった。
このおしゃれなワインバーが、殺人AV動画の被害者を確保するための拠点ではないかと、ネットでは報道されている。
月影紗良は、三代王特別市に隣接する都内の祖父母が住んでいた築年数が50年を超える戸建てで被害女性の会見をネットを介してライブで見ていた。
「ワインを飲んでいたら、急に眠くなりました。
目が覚めると、窓がない部屋にいました。何となく、地下だと感じました。とても広く、天井が高くて、倉庫のような部屋でした。
友人で同僚もほぼ同時に目を覚まし、怖くて抱き合って震えていまいました。
男の人が10人くらい。4人が裸でした。
怖くて周りが見えなかったのですが、女性が6人いたんです。
私たち以外に……。
高校生か中学生くらいの女の子、中学生か小学生高学年くらいの女の子。2人は姉妹だと思います。
外国人かもしれない女性が3人、日本人らしい女の人が1人……。
高校生らしい女の子は怯えていないというか、手にドライバーを握っていて戦う素振りを見せていました。
若い女性4人は笑っていて……。
男の人たちは、何となくイラ立っていたような……。
私たちは抱き合い蹲って震えるだけ……。
裸の男の人が動くと、気付くと3人が倒れていて、1人がドアに向かって逃げていました。
4人の女の人、強かったです。服を着ていた男の人、カメラマンとかディレクターでしょうか?
裸の男性は男優?
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4人の女の人はとにかく強くて、地下室を出ると、男の人の悲鳴が聞こえてきて……。
高校生くらいの女の子は、4人の女の人に加勢しようとしたみたいで、立ち上がろうとした裸の男の人の背中にドライバーを突き刺しました。
4人の女の人が地下室から出ると、高校生と小学生の女の子が続きました。
私たちは怖くて、歩けませんでした。
ドアが開いていて、悲鳴が聞こえていたし……。女の人の悲鳴じゃありません。男の人の悲鳴です。
男の人たちが誰なのか、知りません。だけど、ものすごく体格がよくて、強そうでした。数人は拳銃を持っていました」
拳銃と聞き、会見場がざわつく。
被害女性が続ける。
「4人の女性は、ナイフも拳銃も怖くないみたいで、拳銃を奪うと躊躇いなく撃っていました。
ジョン・ウィックみたいに……。
ナイフを奪った女性は、何というか、滅多刺し?
曲芸師みたいにナイフを持ち替えたり、投げたり、両足を刺して起き上がれないようにしてから、仰向けの男の人の胸を刺したり、アクション映画を見ているみたいで……。
現実だとは思えませんでした。
拳銃を奪った女の人は、倒れている全員の頭を撃ちました。その行いに躊躇いがないんです。
怖くて、怖くて……。
でも、4人の女の人がいなければ、私は殺されていたんです。
助けてくれたとは思っていません。私たちに気を使ってはくれませんでしたから……。
でも、高校生と小学生の女の子には、手を差し伸べていたように感じました。
幼いからではなく、戦う姿勢を見せていたからかも……。
震えているだけの私たちには、興味がなかったのかも……」
月影紗良は、会見を興味深く聞いていた。
「三代王に戻るか?
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法蓮悠理亜の遺体は、父娘の自宅において、叔父の弥次郎が発見した。弥次郎は三代王市警に兄と姪の遺体の返却を要求したが、拒否されていた。
「兄と姪の死の真相が何であれ、きちんと埋葬してあげたい。
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弥次郎がそう告げると、その言葉に疑念を持つ市井の人は少なかった。
ただ、市警と警視庁は、弥次郎の言をそのまま信じてはいなかった。市警は弥次郎が何かを画策していると邪推し、警視庁は弥次郎が悠理亜殺害の犯人の可能性を考慮していた。
状況は、警視庁としては弥次郎には不審な点があるが、それを追及するほどの証拠がない。
検死の結果、悠理亜には過酷な暴力を受けた形跡があり、顔の傷はひどい状態だった。眼窩の一部と頬骨の一部が骨折しており、性的暴行の痕跡もあった。
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一方、遺体が凍っていたため、死亡時期ははっきりしない。悠理亜が弥次郎を尋ねたことは、駅やコンビニの防犯カメラで確認されている。
弥次郎は「私を訪ねてきたときには、顔はひどい状態だった」と警視庁に対して証言し、それを理由に「だから心配で、疎遠だった兄宅を訪問した」と答えている。
弥次郎の言葉を真実とするならば、暴行された悠理亜は数日間生存していたことになる。
悠理亜の怪我は重く、医師の見解はほぼ一致していた。
「眼窩骨と頬骨の骨折だけでも、若い女性が動けたとは思えません。
さらに、腹部は内臓が損傷するほど殴られていて、腕と肋骨にもヒビが入っていたのだから、本来ならICUで生命維持をしなければならない状態です。
そんな状態の若い女性が、電車に乗って叔父に会いに行くなんて、あり得ないでしょう」
警視庁はどういう方法で得たのかはわからないが、市警が調べた悠理亜の遺体の情報を知っていた。
警視庁から意見を求められた外科医の判断はほぼ一致していた。
だから、弥次郎の言を鵜呑みにはしなかった。
ただ、この時点では、法蓮弁護士が月影紗良を殺したと信じている一般人は多かった。
警視庁が月影紗良の生存を公表していないからだ。
市警は、なぜか悠理亜の遺体だけは返却した。晴彦の遺体は事実上行方不明で、たぶん焼かれて捨てられた。
悠理亜の遺体には、顔の傷を隠す化粧が葬儀会社によって施されていた。
悠理亜が横たわる自分の肉体を見下ろしている。
弥次郎が隣りに立つ。
「密葬になる。
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「これから、どうする?」
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悠理亜の遺体は都内で荼毘に付された。遺骨となった悠理亜を法蓮家の墓に納めることは、警視庁の刑事が反対した。
「法蓮さん、危険です。
三代王市警が何をするかわかりません」
「夜にこっそりと、ではダメですかね?」
女性刑事が首を横に振る。
男性刑事もとめる。
「気持ちはわかりますよ。法蓮さん……。
でも、あなたに何かあったら、悠理亜さんとお兄さんは誰が弔うんですか。
あなたは、三代王に入ってはダメだ。我々も守れない」
「法蓮家の墓は、長生寺にあるんですけどね……。
諦めます。
納骨できるときが来たら、来ないかもしれないけど……。
兄の遺体は戻ってこないし……。
市警が処分しちゃったのかな……」
警視庁の2人の刑事は無言だった。三代王特別市での出来事は、違法・合法関係なくどうにもできない。
三代王特別市は政府直轄の行政区域で、事実上政府与党の私領。日本の一部だが、日本ではない。
悠理亜はネットのチャンネルで、悠理亜の中学時代の同級生からの情報だとする動画を見ている。
彼女は自分の遺骨を抱きながら、それを見ていた。
声は変えられていた。姿は胸から下だけ。
「悠理亜ちゃんは、いじめが好きって言うか、必ず仲間はずれを作るんです。
性経験も豊富みたいで、大学生の彼氏とか、サラリーマン相手のパパ活とかもしていたみたい……」
健康に問題を抱えていた悠理亜は、中学にはほとんど通っていない。友だちもいない。当然、悠理亜のことを語る彼女を知らない。
このチャンネルは、政府を強く支持する経済評論家が運営している。経済関係だけでなく、時事、芸能、国際・国内政治など、あらゆる問題に対して政府を支持する立場から発言している。
経済評論家は、30歳代後半の女性で、客観的に見て美形だ。
悠理亜は装備を身に付けた。浸炭鋼板と炭素繊維で作られた重いボディアーマー、頭部にはケプラー繊維強化プラスチック製戦闘用ヘルメット、戦闘用グローブを着ける。
悠理亜は移動にショックアブソーバー付き電動アシストマウンテンバイクを使っている。自転車なので、交通法規を守る限り、警察官に誰何される危険が少ない。
それと、悠理亜の脚力なら、時速80キロまでなら簡単に出せる。それ以上は、自転車が壊れる。
悠理亜の身体は疲れない。心配は電池切れだが、電池が切れても人並みの運動能力は維持できる。
政府支持派経済評論家の講演先に悠理亜は自転車で向かった。
彼女は自分の敵を見定めておきたかった。
経済評論家は、彼女のクルマを講演があったホテルのロビーで待っていた。
護衛は2人。三代王特別市を牛耳る民間軍事会社の傭兵だ。
「強すぎたか」
悠理亜は、経済評論家の運転手をみぞおちへの一撃で動けなくしたが、彼はすぐに意識を失った。
経済評論家のクルマのボンネットにもたれかかって待つ。
経済評論家は人目を避けてホテルから出るため、護衛と一緒に地下駐車場まで降りてきた。
悠理亜の足下には、運転手が倒れている。悠理亜には武道や格闘技の経験はない。運転手は大男で、同時に近接戦闘の専門家であった。
彼も傭兵だ。
戦い方はネットで学んだ。実技経験は皆無。
だが、三代王市警相手に実戦経験は何度かある。
経験不足から悠理亜は頭部に一撃を食らったが、ヘルメットのおかげでダメージはなかった。
悠理亜のパンチは、おそらく北米の巨大熊であるグリズリーを一撃で殺せる。体重250キロのグリズリーを数百メートル投げ飛ばすこともできる。
たぶん可能だ。
だから、十分に手加減したのだが、無意識に力が入った。大男が彼女の足下で呻いている。呻いているのだから生きているし、手加減はできていた。
だが、もう少し手加減すべきだった。
動いてはいるが、話はできないし、痙攣するような動きしかしない。
先頭は男性の護衛、動きが速そうな細身。その後方に経済評論家。背後を女性の護衛が守る。男女とも、身長180センチ近くある。筋肉質であることは、スーツの上からでもわかる。
男性の護衛が立ち止まり、悠理亜を見た。
「何者だ!」
「そっちのお姉さんがよく知っている。
仲間はずれとセックスが好きな女だ」
三代王特別市以外では、拳銃は所持できない。刃物も。都道府県警が喜んで取り締まってくる。
護衛が伸縮式の特殊警棒を伸ばす。カシャッと金属音がする。
悠理亜の目は秒速1000メートルの物体までならば、静止したように識別できる。
護衛の動きは、悠理亜からすれば緩慢だった。
悠理亜は特殊警棒に対する防御はせず、護衛の口に手を突っ込んだ。
下顎を握り、そのまま身体を宙に浮かせ、ボンネットに叩きつける。
けたたましく盗難防止の警報が鳴る。
悠理亜は顎から手を離さず、コンクリートの床に叩きつける。もう一度ボンネットに叩きつけると、フロントガラスが割れた。
二度目の床叩きつけに移ろうとすると、下顎が外れてしまった。顔からちぎれたのだ。
下顎を失っても護衛は生きていた。
女性の護衛は経済評論家を守ろうとするが、同時に彼女ではどうにもならないことを悟っていた。
武器が必要だった。
消化器が見えた。彼女は消化器まで走り、それをつかむと悠理亜に向かって投げる。
悠理亜は、消化器を片手で受け止めた。そして投げ返す。秒速350メートルで投げつけられた消火器が、女性護衛の頭部をかすめる。
拳銃弾に匹敵する速度で、重量3キロの金属塊があたれば人の身体はどうなるか?
女性護衛は、完全に怯えてしまった。消火器はコンクリートの壁に半分めり込み、消火剤をまき散らした。
女性護衛は経済評論家の手を引き、消火剤が視界を遮っている間に逃げようとした。
気が付くと、彼女はコンクリートの床に倒れていた。怪力の女に突き飛ばされ、床を50メートル以上滑走したのだ。
全身に痛みがあり、下半身が動かない。
悠理亜は経済評論家に「脱げ」と命じる。
経済評論家はどうしていいかわからず、震えていた。
ただ、彼女には誰でも黙らせる言葉があった。
「私には、与党の元幹事長、越後谷先生がついているのよ!」
悠理亜はため息を吐いた。
そして、経済評論家の下着をパンストごと剥ぎ取った。
「返してほしければ、法蓮悠理亜に関する動画をすべて削除しろ!
しなければ、次はおまえの顎をもらう」
下顎を失っても生きている男性護衛を指差す。
悠理亜は、その場を立ち去った。
悠理亜を中傷する動画が削除されたのは2日後だった。
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