355 / 425
【 滅び 】
未だ帝国は死せず 前編
しおりを挟む
碧色の祝福に守られし栄光暦219年3月6日。
魔族領。ムーオス自由帝国北部にそびえる壁と白き苔の領域の間には、数百キロに渡って枯れたような薄黄色の草原が続いている。
正確に言えば実際に枯れているのだが、根は休眠状態だ。この辺りは海からここまで全て領域が解除されており、自然環境は惑星の形状に準じている。
あまり高い山がないこの地域は風が強く、また雨は滅多に降らない。しかし一度降れば、この辺りはそれなりに豊かな自然を見せるだろう。
そんな中を、敗残兵の群れがムーオスへ向けて帰還していた。
エスチネルが墜落するとほぼ同時に、地下から一斉に軍隊蟻の群れが這い出してきた。
今まで一体どこにいたのか。まるで、コンクリートの下でじっと時を待っていたようではないかと、兵士達は振り返る。
それだけではない。通常の兵士では、まったく対処出来ない強敵、首無し騎士までが現れたのだ。
ムーオス自由帝国にとっては、リアンヌの丘が陥落した時の悪夢再びだ。あの当時も、白き苔の領域南方に布陣していた帝国軍を軍隊蟻の群れが襲ったのだ。
蟻たちは自らの体を梯子にし、浮遊式輸送板の上に悠々と乗り込んでくる。落ちた兵士達は喰われ、あるいは首無し騎士に斬られ次々と屍を晒していった。
そんな中、各隊の通信機に、あるいは通信機に連絡が入る。
『ハイウェン国防将軍生存』――と。
状況から考えれば、まさに奇跡だと言えただろう。
兵士達はこの幸運を喜びはしたが、現状は手放しで喜んでいられる状態ではない。
そこはもう、この世の地獄だったのだから。
ハイウェンが目を覚ましたのは2月35日。エスチネル城が落城してから6日後の事だ。
既に友軍は壊滅状態にあったが、ごく一部の精鋭部隊がバリケードを組んで戦っていた。
その時点で既に、直ちに撤退すべき状況と情勢であった。しかし、蟻がそれを許さない。
死闘に次ぐ死闘。味方が次々と引き裂かれ肉団子にされて運ばれていく中、それでも少しずつ離脱させていった。
そして、殿を残しハイウェン率いる最後の部隊が撤収を開始したのは3月1日の事だ。
そこから今日までの5日間、先に離脱した味方部隊の残骸を幾つも見ながら退路を進み、オンド・バヌー率いる部隊との合流を果たす。
だがオンドは、ハイウェンと合流するまで味方の部隊と出会うことはなかった。
先に脱出した将兵達は皆、道中で殺されていたのだ。
「そんな事があったのですが。ですが、国防将軍閣下がご存命でようございました。当艦には通信機も備え付けてあります。そろそろ圏内ですので、直ぐに通信も繋がりましょう。いやあ、ムーオスはまだまだ負けてはおりませんぞ」
大きな……というより幅広な体を丸め、両手でこすりながらペコペコとお辞儀する。
ここはオンド・バヌーが艦長を務める浮遊戦艦内部、医務室だ。
ハイウェンは生きて脱出したものの、“傷が無い場所を探す方が大変”といえる程の重傷を負っていた。
しかし幸いにも骨にも内臓にも異常は無く、当面の生命には問題なさそうであった。
とはいえ、今はようやく落ち着いたところだ。先ずは傷を治してもらいたいというオンドの配慮である。
位置としては、艦橋の1階部分。そこから外を眺めれば、追随する浮遊式輸送板の様子が見える。
――これだけかい……。
確か、総計で1千万人を超える大集団だったはずだ。地平線の先まで連なる大型浮遊式輸送板の列は、この国の国力と工業力を端的に表していた。間違いなく、世界最強の軍隊だ。
全員が若く、輝く瞳をしていた。これから死ぬ事になるだろうとは分かっていても、最新鋭の兵装を与えられ第一陣で死ぬという事は、やはり名誉な事なのだから。
しかし今、浮遊戦艦を追随する浮遊式輸送板は千枚程度。乗員はほぼ全てが負傷兵であり、その全員を合わせても5万人いるかどうかだ。
オンドの位置からはその表情までは見えないが、皆死んだような目をしているのだろう。その辺りの事は、場の空気から分かる。
「オンド……だったな。正直に言え。今帝国はどうなっている」
重傷者でありながら、それを感じさせない確かな眼力。現状国家のトップが折れていない事にオンドは安堵を感じるが、同時に自らが言葉にする現実に押しつぶされそうになってしまう。
「現在、東西両海岸から魔族が進行中。我が軍は各自の判断により抵抗を続けていますが、戦況は思わしくありません」
「……」
「そして、国家の最高位にあるのは国防将軍閣下であらせられます」
「元老院はどうなっている。政治が混乱した際は、あそこが当座の指揮を執る予定であろう」
皇帝やその側近が暗殺、あるいは病、事故……様々な理由で動けない事はある。
だが世界を4分割する大国ともなれば、当然末端に至るまで明確な命令系統が決められている。たとえ一秒であっても、指揮系統が失われるなど許されないのだ。
その内の一つが元老院であり、各地域から選出された議員によって運営される。
国家の序列でいえば、皇帝、宰相、国防将軍に次ぐ地位だ。但し、あくまで国家の序列であって命令系統の順番ではない。
政治という分野においては元老院が現在のトップであり、それはハイウェンが帰還したとしても変わらない。
「元老院議会は先ず、皇帝選挙を行うと決めたそうです」
「馬鹿な事を……」
どれほど細かく優れたシステムを組んでも、それが正しく運用されるとは限らない。
少なくとも、今はそれどころではない。一瞬そんな余裕があるのかとも思ったが、そんな訳もあるまい。
要するに、議会は決定を恐れたのだった。この国家を――いや、世界すら揺るがす大事に対し、自分たちの考えで動いてよいものか? 長く強大な皇帝の元で安定した生活を甘受してきた議員たちにとって、その決定はあまりにも荷が重かった。
魔族領。ムーオス自由帝国北部にそびえる壁と白き苔の領域の間には、数百キロに渡って枯れたような薄黄色の草原が続いている。
正確に言えば実際に枯れているのだが、根は休眠状態だ。この辺りは海からここまで全て領域が解除されており、自然環境は惑星の形状に準じている。
あまり高い山がないこの地域は風が強く、また雨は滅多に降らない。しかし一度降れば、この辺りはそれなりに豊かな自然を見せるだろう。
そんな中を、敗残兵の群れがムーオスへ向けて帰還していた。
エスチネルが墜落するとほぼ同時に、地下から一斉に軍隊蟻の群れが這い出してきた。
今まで一体どこにいたのか。まるで、コンクリートの下でじっと時を待っていたようではないかと、兵士達は振り返る。
それだけではない。通常の兵士では、まったく対処出来ない強敵、首無し騎士までが現れたのだ。
ムーオス自由帝国にとっては、リアンヌの丘が陥落した時の悪夢再びだ。あの当時も、白き苔の領域南方に布陣していた帝国軍を軍隊蟻の群れが襲ったのだ。
蟻たちは自らの体を梯子にし、浮遊式輸送板の上に悠々と乗り込んでくる。落ちた兵士達は喰われ、あるいは首無し騎士に斬られ次々と屍を晒していった。
そんな中、各隊の通信機に、あるいは通信機に連絡が入る。
『ハイウェン国防将軍生存』――と。
状況から考えれば、まさに奇跡だと言えただろう。
兵士達はこの幸運を喜びはしたが、現状は手放しで喜んでいられる状態ではない。
そこはもう、この世の地獄だったのだから。
ハイウェンが目を覚ましたのは2月35日。エスチネル城が落城してから6日後の事だ。
既に友軍は壊滅状態にあったが、ごく一部の精鋭部隊がバリケードを組んで戦っていた。
その時点で既に、直ちに撤退すべき状況と情勢であった。しかし、蟻がそれを許さない。
死闘に次ぐ死闘。味方が次々と引き裂かれ肉団子にされて運ばれていく中、それでも少しずつ離脱させていった。
そして、殿を残しハイウェン率いる最後の部隊が撤収を開始したのは3月1日の事だ。
そこから今日までの5日間、先に離脱した味方部隊の残骸を幾つも見ながら退路を進み、オンド・バヌー率いる部隊との合流を果たす。
だがオンドは、ハイウェンと合流するまで味方の部隊と出会うことはなかった。
先に脱出した将兵達は皆、道中で殺されていたのだ。
「そんな事があったのですが。ですが、国防将軍閣下がご存命でようございました。当艦には通信機も備え付けてあります。そろそろ圏内ですので、直ぐに通信も繋がりましょう。いやあ、ムーオスはまだまだ負けてはおりませんぞ」
大きな……というより幅広な体を丸め、両手でこすりながらペコペコとお辞儀する。
ここはオンド・バヌーが艦長を務める浮遊戦艦内部、医務室だ。
ハイウェンは生きて脱出したものの、“傷が無い場所を探す方が大変”といえる程の重傷を負っていた。
しかし幸いにも骨にも内臓にも異常は無く、当面の生命には問題なさそうであった。
とはいえ、今はようやく落ち着いたところだ。先ずは傷を治してもらいたいというオンドの配慮である。
位置としては、艦橋の1階部分。そこから外を眺めれば、追随する浮遊式輸送板の様子が見える。
――これだけかい……。
確か、総計で1千万人を超える大集団だったはずだ。地平線の先まで連なる大型浮遊式輸送板の列は、この国の国力と工業力を端的に表していた。間違いなく、世界最強の軍隊だ。
全員が若く、輝く瞳をしていた。これから死ぬ事になるだろうとは分かっていても、最新鋭の兵装を与えられ第一陣で死ぬという事は、やはり名誉な事なのだから。
しかし今、浮遊戦艦を追随する浮遊式輸送板は千枚程度。乗員はほぼ全てが負傷兵であり、その全員を合わせても5万人いるかどうかだ。
オンドの位置からはその表情までは見えないが、皆死んだような目をしているのだろう。その辺りの事は、場の空気から分かる。
「オンド……だったな。正直に言え。今帝国はどうなっている」
重傷者でありながら、それを感じさせない確かな眼力。現状国家のトップが折れていない事にオンドは安堵を感じるが、同時に自らが言葉にする現実に押しつぶされそうになってしまう。
「現在、東西両海岸から魔族が進行中。我が軍は各自の判断により抵抗を続けていますが、戦況は思わしくありません」
「……」
「そして、国家の最高位にあるのは国防将軍閣下であらせられます」
「元老院はどうなっている。政治が混乱した際は、あそこが当座の指揮を執る予定であろう」
皇帝やその側近が暗殺、あるいは病、事故……様々な理由で動けない事はある。
だが世界を4分割する大国ともなれば、当然末端に至るまで明確な命令系統が決められている。たとえ一秒であっても、指揮系統が失われるなど許されないのだ。
その内の一つが元老院であり、各地域から選出された議員によって運営される。
国家の序列でいえば、皇帝、宰相、国防将軍に次ぐ地位だ。但し、あくまで国家の序列であって命令系統の順番ではない。
政治という分野においては元老院が現在のトップであり、それはハイウェンが帰還したとしても変わらない。
「元老院議会は先ず、皇帝選挙を行うと決めたそうです」
「馬鹿な事を……」
どれほど細かく優れたシステムを組んでも、それが正しく運用されるとは限らない。
少なくとも、今はそれどころではない。一瞬そんな余裕があるのかとも思ったが、そんな訳もあるまい。
要するに、議会は決定を恐れたのだった。この国家を――いや、世界すら揺るがす大事に対し、自分たちの考えで動いてよいものか? 長く強大な皇帝の元で安定した生活を甘受してきた議員たちにとって、その決定はあまりにも荷が重かった。
0
お気に入りに追加
71
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
無限に進化を続けて最強に至る
お寿司食べたい
ファンタジー
突然、居眠り運転をしているトラックに轢かれて異世界に転生した春風 宝。そこで女神からもらった特典は「倒したモンスターの力を奪って無限に強くなる」だった。
※よくある転生ものです。良ければ読んでください。 不定期更新 初作 小説家になろうでも投稿してます。 文章力がないので悪しからず。優しくアドバイスしてください。
改稿したので、しばらくしたら消します
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
ようこそ異世界へ!うっかりから始まる異世界転生物語
Eunoi
ファンタジー
本来12人が異世界転生だったはずが、神様のうっかりで異世界転生に巻き込まれた主人公。
チート能力をもらえるかと思いきや、予定外だったため、チート能力なし。
その代わりに公爵家子息として異世界転生するも、まさかの没落→島流し。
さぁ、どん底から這い上がろうか
そして、少年は流刑地より、王政が当たり前の国家の中で、民主主義国家を樹立することとなる。
少年は英雄への道を歩き始めるのだった。
※第4章に入る前に、各話の改定作業に入りますので、ご了承ください。
転生したら最強種の竜人かよ~目立ちたくないので種族隠して学院へ通います~
ゆる弥
ファンタジー
強さをひた隠しにして学院の入学試験を受けるが、強すぎて隠し通せておらず、逆に目立ってしまう。
コイツは何かがおかしい。
本人は気が付かず隠しているが、周りは気付き始める。
目立ちたくないのに国の最高戦力に祭り上げられてしまう可哀想な男の話。
欲張ってチートスキル貰いすぎたらステータスを全部0にされてしまったので最弱から最強&ハーレム目指します
ゆさま
ファンタジー
チートスキルを授けてくれる女神様が出てくるまで最短最速です。(多分) HP1 全ステータス0から這い上がる! 可愛い女の子の挿絵多めです!!
カクヨムにて公開したものを手直しして投稿しています。
30代社畜の私が1ヶ月後に異世界転生するらしい。
ひさまま
ファンタジー
前世で搾取されまくりだった私。
魂の休養のため、地球に転生したが、地球でも今世も搾取されまくりのため魂の消滅の危機らしい。
とある理由から元の世界に戻るように言われ、マジックバックを自称神様から頂いたよ。
これで地球で買ったものを持ち込めるとのこと。やっぱり夢ではないらしい。
取り敢えず、明日は退職届けを出そう。
目指せ、快適異世界生活。
ぽちぽち更新します。
作者、うっかりなのでこれも買わないと!というのがあれば教えて下さい。
脳内の空想を、つらつら書いているのでお目汚しな際はごめんなさい。
間違い召喚! 追い出されたけど上位互換スキルでらくらく生活
カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
僕は20歳独身、名は小日向 連(こひなた れん)うだつの上がらないダメ男だ
ひょんなことから異世界に召喚されてしまいました。
間違いで召喚された為にステータスは最初見えない状態だったけどネットのネタバレ防止のように背景をぼかせば見えるようになりました。
多分不具合だとおもう。
召喚した女と王様っぽいのは何も持っていないと言って僕をポイ捨て、なんて世界だ。それも元の世界には戻せないらしい、というか戻さないみたいだ。
そんな僕はこの世界で苦労すると思ったら大間違い、王シリーズのスキルでウハウハ、製作で人助け生活していきます
◇
四巻が販売されました!
今日から四巻の範囲がレンタルとなります
書籍化に伴い一部ウェブ版と違う箇所がございます
追加場面もあります
よろしくお願いします!
一応191話で終わりとなります
最後まで見ていただきありがとうございました
コミカライズもスタートしています
毎月最初の金曜日に更新です
お楽しみください!
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
うっかり『野良犬』を手懐けてしまった底辺男の逆転人生
野良 乃人
ファンタジー
辺境の田舎街に住むエリオは落ちこぼれの底辺冒険者。
普段から無能だの底辺だのと馬鹿にされ、薬草拾いと揶揄されている。
そんなエリオだが、ふとした事がきっかけで『野良犬』を手懐けてしまう。
そこから始まる底辺落ちこぼれエリオの成り上がりストーリー。
そしてこの世界に存在する宝玉がエリオに力を与えてくれる。
うっかり野良犬を手懐けた底辺男。冒険者という枠を超え乱世での逆転人生が始まります。
いずれは王となるのも夢ではないかも!?
◇世界観的に命の価値は軽いです◇
カクヨムでも同タイトルで掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる