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【 魔族と人と 】

外へ

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 魔王が乗るスースィリアが坑道を飛び出した時、辺りはまだ明るい時分であった。
 暗くなってからとも考えたが、結局何処かで明るい時間を過ごさなければならないのだ。
 ならばいっその事、ここが良い。

 外に出て改めて意識を空に向け地上を見下ろす。
 大軍が展開している……しかも、もう針葉樹の森に入り込まれているじゃないか!?
 坑道の中と浮遊城近辺ばかりに気を取られ、脱出経路の確保すらしていない。
 我ながら戦いの素人っぷりに呆れてしまうが、今まで一度も教わったことが無いのだから仕方がない。
 最低限の戦術くらいは、学校で習うべきではないだろうか。

 だがそれよりも、なにやら魔障の沼と鉄花草てっかそうの領域の方向から不穏な気配がする。
 いや、そんな言い方は違うだろうな。これは精霊が人間に反応してざわめいているのだ。
 そういや、鉄花草てっかそうの領域には大量の手がいたな。
 だが、彼らに今何かされるのは困る。あそこで大暴れなどされたら、せっかく生き残った草食獣が巻き込まれて絶滅させられる恐れがある。

 だからやるのは魔障の沼だけだ。
 届くか……? まあやってみよう。

 ――魔障の沼に住む聖霊よ。直ちに人間への攻撃を開始せよ……え? 魔力の支払い? 前来た時は入りもせずに帰った? いやそれは仕方ないだろ? いやいや頼むよ。支払いはいずれ……。

「まおー。攻撃命令を出すのであるか?」

「あ、ああ……」

 精霊に……ではないよな。スースイリアの質問は、魔人が命令できる対象の事だ。
 魔障の沼や針葉樹の森にすむ生き物。それに待機してもらっている連中の事か。
 再び空に意識を移して見下ろせば、針葉樹の森での戦いの様子が分かる。

 ――もう始まっているよな、そりゃ。

 所々に、生命の無い巨大な空間を感じる。揺り籠による爆撃と、その後に起きた火災の跡だ。
 そして北上を続ける人類軍。総数は数十万……とても領域の生き物にどうにか出来る数ではない。
 下手な命令を出せば、逆に返り討ち……絶滅だ。
 だが、手を出さなければどうなる? 見逃してもらえるのか? それは有り得ないだろう。

「近隣全ての生き物に指示を出してくれ。人間への攻撃を開始する様にと」

「それで良いのであるな?」

「ああ。このまま見逃してもらえるとは思えないからな。何としてでも、針葉樹の森は守る」

 魔障の沼は通過するだけのようだし、長く留まることは出来ない地だ。一方的に攻撃できるだろう。
 問題は針葉樹の森の方だ。大型の生き物はそれなりにいる。虫以外にも。
 ただ空からの視点で命の大きさみたいのは分かるが、それが強い生き物かは全く不明。
 大きいだけの草食動物だったらどうしよう……。
 強さで線引きして……なんて器用な命令も出来ないしな。

 決意が決まると同時に、スースィリアの複眼と触角が赤く輝く。
 少しの間だけ空気がチリチリと震えるような感覚があったが、あれで完了したのだろう。
 残るは……見上げた空に映る、黒いカブトガニの群れ……いや違うな、尾が無い。
 実物を見るのは初めてだが、あれが重飛甲母艦ってやつか。

「スースィリア、逃げ切ってくれよ!」

「任せるのであるぞー!」

 巨大なスースィリアには、立体迷路など関係ない。
 だが当然、それは上空を飛行する重飛甲母艦からも確認されていた。




 ◇     ◇     ◇




 上空5000メートル。
 この世界の浮遊機関の到達高度は、海抜からではない。地面からだ。
 そこが高さ1000メートル級の山であれば、到達高度は5000メートルとなる。
 水の上だとまた変わるが、今は関係ないだろう。

「目標、壁に張り付いて移動しています! は、早い!」

 上から見る巨大ムカデは、ほぼ直線に駆け下りていた。
 80メートルの巨体からすれば、幅数メートル程度の立体迷路など無いも同じだ。
 ひょいひょいと乗り越えて真っ直ぐ進む。
 あの高速では、すぐに麓まで到着してしまうだろう。

「直ちに投下開始! 点検プロセスは省いて構わん。森に入る前に仕留めるのだ!」




 ◇     ◇     ◇




 飛来する重飛甲母艦から、飛ぶというにはあまりにも不自然に降下してくる黒いグライダーが幾つも投下される。
 今更間違えようもない、あれが揺り籠という名の人間爆弾だな。

「二人とも、あれは今の内にどうにかならないか?」

「電気は効かないのである」
「120メートルくらいまで近づけば爆発させられるわよー」

 いやテルティルト、その距離もう巻き込まれているから……。

 そんな事を言っている間に、早くも何発かが着弾した。
 既にスースィリアは溝の中に入り込んでいるが、それでも目を開けられぬほどの閃光、そして鼓膜が破れそうなほどの轟音が俺を打つ。
 更にやけどしそうな程に高温の突風が吹き荒れ、真っ黒い粉塵が視界を遮る。
 甘く見ていたわけでは無いが、想定以上としか言いようがない。生きているのが不思議なくらいだ。

 だがスースィリアは、的確に落下地点を見極めて移動していた。
 空から落ちてくる揺り籠を触覚で察知し、着弾点を予想。地形もしっかり頭に入っている。
 爆心地を避け、崩れない程度に頑丈な壁に張り付いて隙間を縫う。
 至近距離からならともかく、4千メートルも上から落としたのでは当たる余地はないのだ。
 しかも巻き上がる粉塵は辺りを覆い、まるで夜の闇が降りてきたよう。
 これは上空から見たら、大地を覆う黒い霧。魔王達はおろか、地形すら分からない。
 もう正確な狙いは不可能だ。

「問題無く行けるな。急ごう、予定通りに」

「了解なのであるぞー」

 吹き上がった雲に紛れ、スースイリアは少しだけ進路を変える。
 そこは壁に仕切られた迷路のような溝の中。
 干渉しあった爆風が黒い粉塵を巻き上げ、さながら真っ黒い空気の道だ。
 溝の上を行くより少し時間を取られるが、それでも見つからなければ問題無いだろう。




 ◇     ◇     ◇




 相和義輝あいわよしきを乗せた魔人スースィリアは、夜の様に真っ暗な中を疾走していた。
 だがその様子は、上空にいる飛甲母艦から見ることは出来ない。
 あちこちに落とされた揺り籠による爆発は溝を分ける壁を破壊し、全ての迷路の中にその粉塵をばら撒いていたのだから。
 その勢いは麓まで届き、今やこの一帯は数十キロに渡って粉塵が覆っている。

 強大な魔力を感知し警報が鳴り響くが、おおよその方角程度しか分からない。
 仕方なく目算で投下されるが、これでは無意味だろう。


 魔王達一行が出た坑道の穴から針葉樹の森までは、直線距離でおよそ50キロメートル。
 スースィリアの速度なら、麓まで1時間もかからない。
 そんな状況の中、とある重飛甲母艦の中では一人の男が航空写真を見て考え込んでいた。

「艦長、我々もそろそろ投下しませんと! 編隊長からは再三の勧告が来ています!」

 だが艦長と呼ばれた幅広の男には、そんな言葉は届いていないようにも見える。
 重飛甲母艦7025号艦長オンド・バヌーは、おそらく普通に攻撃しても倒せないと踏んでいた。
 倒せるものなら、最初の攻撃で仕留めている。おそらくあの魔族は、落下地点を正確に予測して避けているのだ。
 最も有効なのは離脱不能な飽和攻撃だろう。無数の揺り籠を落とし、移動可能な範囲を全て爆発で覆う――だが今現在、それを行えるほどの余裕は無い。
 何か別の手段を講じなければならない訳だ。

 もし最初に投下する役割であったら、そんな事を考える間もなく投下していたに違いない。
 だが幸か不幸か、編隊後方に位置していたオンドの艦は、他が失敗する様子を見ていたのである。このまま考えもなしに作戦を実行するわけにはいかない。

 だから双眼鏡を片手にじっと見る。地面を走る黒い雲を。
 それは次々と投下される揺り籠の爆風により、うごめき形を変える。まるで一つの生命体の様だ。
 だがそれは、ただの物理法則だ。生き物ではない。事前な動きに則って、成るべくしてなっている。
 そんな中に、ほんのわずかな動きが一つ。その不自然な動きを、オンドは見逃さなかった。

「揺り籠投下。1番から4番まで随時予定位置へだ」

 オンドの指示により、4発の揺り籠が順番に投下される。
 それはスースィリアの前方、領域の境界に近い。まだ途中を走っているスースィリアに当たる可能性は無い。
 むしろその爆発は余計な壁を破壊し、尚且つ新たな粉塵の雲を作る。これでは抜けやすく、また隠れやすくなっただけだ。

 オンドの意図を、スースィリアは正しく理解していなかった。
 人間への興味を捨てたスースィリアにとって、彼等の考えなどどうでも良かったのだ。
 そして魔王もまた、周囲に響く閃光と爆音、そして視界を遮る粉塵により、それを見る事は無かった。


 一方で艦橋ブリッジのクルーたちもまた、意味が分からないでいた。
 未だ正確な位置は不明とはいえ、少し遠すぎるのではないだろうか?
 進言すべきか? そう考えた時、オンドの手が動く。

「艦体固定、1ミリもずらすなよ。続いて5番6番を投下。タイミングを外すなよ。少しでも外したらお前を落とすと整備士に伝えろ!」

 あまりにも無茶な命令。だが操縦士は、気流渦巻く上空にも拘らずピタリと重飛甲母艦を固定する。
 そして整備士もまた、指示通り正確に、完璧なタイミングで揺り籠を投下した。
 誰もが思っていた……ただ落とすだけなのに、なぜそこまで神経質になるのかと。
 そしてなぜそのタイミングで落とすのか、その意味も分からなかった。
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