264 / 425
【 魔族と人と 】
浮遊城エスチネル 後編
しおりを挟む
浮遊城ジャルプ・ケラッツァ、ケインブラ・フォースノーの私室。
中央への出発を翌日に控えたリッツェルネールは、ケインブラに招かれてこの部屋を訪れていた。
会議の重要性を考えればもっと早くに中央入りすべきだが、不在の隙を魔王に襲われる危険性を考慮してギリギリまで粘ったのだ。
――魔王は来なかったか……だがそれも良いだろう。
ここはマリッカの部屋より広い。流石は、最高位の士官用だけの事はある。
広い部屋には酒瓶が並ぶキャビネット。それにキッチンまで設置されている。
更に大きな四角いガラステーブルが置かれ、3面には赤い革のソファーが用意されている。
色合いから、ソファーはケインブラが用意したのだろう。部屋の壁は、ピンクのバラ模様の真っ赤な壁紙が張られている。
「俺は、君ならば商国を変えてくれると信じていたのだがな」
そう言いながら、ケインブラは静かに琥珀色の液体をグラスに注ぐ。
銘柄を見る限り、ここに度数60から98までのアルコールしか置いていない。
その中で彼が今日選んだ度数は62。それなりに、気を使っている様だ。
しかし残念な事に――
「僕にそんなに余裕があると思っていたのかい? 小国の独立に中央との折衝、ハルタールやジェルケンブール、それにムーオスとの交渉もあったんだ。無理だよ」
彼の希望に沿う余裕など、今の今までどこにもない。そしてこれからも、当分は無いだろう。
「ほう? ならば変える気はあるという事か?」
自分のグラスを一気に空け、次を注ぎながら訪ねてくる。
視線はグラスに注がれたままだが、その質問からはハッキリとした力のようなものが感じられた。
「変えろというが、僕にはその必要は感じられないな。商国は今までも上手くやってきた。なぜ変える必要がある?」
「貴様は、十家会議を見てもなんとも思わなかったのか?」
貴様か……相変わらず嫌われたものだ。
それにしても……おそらくはラハの事だろうか。それとも、あの謎の声の主を知っているのかもしれない。
疑問は出るが、その内容は軽い。リッツェルネールにとって、商国の実質的な支配者など誰でも良いのだ。
極端な話、魔王であっても構わないくらいだ。その位、商国の治世は安定していたのである。
だからその事より、少し方向性を変えた質問を投げかける。
「君はいつから、商国の魔族に関して知っていたんだい?」
僅かの沈黙の後、グラスを再び空にすると――
「昔からだ。貴様と戦場に共にあった頃から……まだフォースノー商家を継ぐ前から知っていた。我々の担当は情報だからな。嫌でも気付く」
そう言いながら、再びアルコールを注ぐ。
「なら、君の方が彼等との付き合いは長いだろう。これまで、折り合いをつけてやって来たんじゃないのか?」
「相手は魔族だぞ! 人類の敵だ! それがさも人間のように我らの中に混じり、平然としている。汚らわしい。大体貴様は――」
バキッという音が響き、ケインブラの手に握られた分厚い硬質ガラスのコップが砕け散る。
一つ溜息をつきながら立ち上がるケインブラを見ながら、自分のグラスにも追加のアルコールを注ぐ。
――彼は商人では無いな……。
商国でも異質な情報担当の家。個々の利益ではなく、国家全体の為に動くという立場。
それが彼を、商人ではなく軍人……いや、人間に育ててしまったのだろう。
そして静かに、冷静に、思考を纏め、一つの疑問を問いかける。
それは彼が考え抜いた末に、一つ残った疑問の芽。
「身内に魔族がいたことが、そんなに嫌な事だったのかい?」
心の中では否定して欲しいと思っている。「何のことだ?」「意味が分からない」……何でもいい。彼女は君の血族に連なる堂々とした人間だったと答えてくれないだろうか。
「……知ってたのか」
だが、期待は外れ予想は当たる。世の中とは、何と不条理に出来ているのだろうか。
「いや、知らないよ。僕は何も知らないさ」
やはりそうだったのか……そう思うリッツェルネールの心は冷静だった。思ったよりも動揺は無い。冷めているわけではないが、それでも平穏と言って良かった。
ただ魔族領に行ったまま、一度も戻らなかった者にその可能性があっただけだ。
それは勿論、戦死して帰れなかっただけという例もある。いや、その方が圧倒的に大多数だ。
だが帰れる状態にあっても帰らなかった者。それは、魔族の公算が高い。
そして最も可能性のある者の一人が、情報将校でありかつての副官でもある、メリオ・フォースノーだったのだ。
「むしろ、君はいつから知っていたんだ? そちらの方が興味があるよ」
「最初から分かっていたさ。だから、メリオが死んだときは喜んださ。そう言って欲しいのか? だが安心しろ、知ったのはごく最近だ」
二人同時に、酒をあおる。
偶然……というより、互いに吐こうとした言葉と一緒に飲み込むような心象であった。
「そんな事は思っていないよ。ただ知りたかっただけさ。魔族だったのか……もしそうなら、どんな気持ちで生きてきたのだろう。何を考え、戻ることの出来ない魔族領へと行ったのだろうかとね」
「さあな。だが、貴様が魔王を倒し、魔族を滅ぼせば、もうそんな事はどうでもよくなる」
――それはどうかな。そう思ったが、言葉には出さなかった。
イリオンはどうだったのだろうか……彼女もまた、魔族だったのだろうか。
その答えは何処にもない。非合法市民の記録など、泡のように簡単に消えてしまうからだ。
その代わり――、
「僕は必ず魔王を倒し、この世界を平穏に導くよ。その際には、全面的な協力をお願いする」
そう言って立ち上がる。
今日はもう飲み過ぎた。それに、こうもギスギスした状態で飲んでも仕方がない。
「貴様が魔族を滅ぼすのなら、俺は全面的に協力してやるさ」
そう言ったケインブラの目には、僅かの嘘も見られなかった。
中央への出発を翌日に控えたリッツェルネールは、ケインブラに招かれてこの部屋を訪れていた。
会議の重要性を考えればもっと早くに中央入りすべきだが、不在の隙を魔王に襲われる危険性を考慮してギリギリまで粘ったのだ。
――魔王は来なかったか……だがそれも良いだろう。
ここはマリッカの部屋より広い。流石は、最高位の士官用だけの事はある。
広い部屋には酒瓶が並ぶキャビネット。それにキッチンまで設置されている。
更に大きな四角いガラステーブルが置かれ、3面には赤い革のソファーが用意されている。
色合いから、ソファーはケインブラが用意したのだろう。部屋の壁は、ピンクのバラ模様の真っ赤な壁紙が張られている。
「俺は、君ならば商国を変えてくれると信じていたのだがな」
そう言いながら、ケインブラは静かに琥珀色の液体をグラスに注ぐ。
銘柄を見る限り、ここに度数60から98までのアルコールしか置いていない。
その中で彼が今日選んだ度数は62。それなりに、気を使っている様だ。
しかし残念な事に――
「僕にそんなに余裕があると思っていたのかい? 小国の独立に中央との折衝、ハルタールやジェルケンブール、それにムーオスとの交渉もあったんだ。無理だよ」
彼の希望に沿う余裕など、今の今までどこにもない。そしてこれからも、当分は無いだろう。
「ほう? ならば変える気はあるという事か?」
自分のグラスを一気に空け、次を注ぎながら訪ねてくる。
視線はグラスに注がれたままだが、その質問からはハッキリとした力のようなものが感じられた。
「変えろというが、僕にはその必要は感じられないな。商国は今までも上手くやってきた。なぜ変える必要がある?」
「貴様は、十家会議を見てもなんとも思わなかったのか?」
貴様か……相変わらず嫌われたものだ。
それにしても……おそらくはラハの事だろうか。それとも、あの謎の声の主を知っているのかもしれない。
疑問は出るが、その内容は軽い。リッツェルネールにとって、商国の実質的な支配者など誰でも良いのだ。
極端な話、魔王であっても構わないくらいだ。その位、商国の治世は安定していたのである。
だからその事より、少し方向性を変えた質問を投げかける。
「君はいつから、商国の魔族に関して知っていたんだい?」
僅かの沈黙の後、グラスを再び空にすると――
「昔からだ。貴様と戦場に共にあった頃から……まだフォースノー商家を継ぐ前から知っていた。我々の担当は情報だからな。嫌でも気付く」
そう言いながら、再びアルコールを注ぐ。
「なら、君の方が彼等との付き合いは長いだろう。これまで、折り合いをつけてやって来たんじゃないのか?」
「相手は魔族だぞ! 人類の敵だ! それがさも人間のように我らの中に混じり、平然としている。汚らわしい。大体貴様は――」
バキッという音が響き、ケインブラの手に握られた分厚い硬質ガラスのコップが砕け散る。
一つ溜息をつきながら立ち上がるケインブラを見ながら、自分のグラスにも追加のアルコールを注ぐ。
――彼は商人では無いな……。
商国でも異質な情報担当の家。個々の利益ではなく、国家全体の為に動くという立場。
それが彼を、商人ではなく軍人……いや、人間に育ててしまったのだろう。
そして静かに、冷静に、思考を纏め、一つの疑問を問いかける。
それは彼が考え抜いた末に、一つ残った疑問の芽。
「身内に魔族がいたことが、そんなに嫌な事だったのかい?」
心の中では否定して欲しいと思っている。「何のことだ?」「意味が分からない」……何でもいい。彼女は君の血族に連なる堂々とした人間だったと答えてくれないだろうか。
「……知ってたのか」
だが、期待は外れ予想は当たる。世の中とは、何と不条理に出来ているのだろうか。
「いや、知らないよ。僕は何も知らないさ」
やはりそうだったのか……そう思うリッツェルネールの心は冷静だった。思ったよりも動揺は無い。冷めているわけではないが、それでも平穏と言って良かった。
ただ魔族領に行ったまま、一度も戻らなかった者にその可能性があっただけだ。
それは勿論、戦死して帰れなかっただけという例もある。いや、その方が圧倒的に大多数だ。
だが帰れる状態にあっても帰らなかった者。それは、魔族の公算が高い。
そして最も可能性のある者の一人が、情報将校でありかつての副官でもある、メリオ・フォースノーだったのだ。
「むしろ、君はいつから知っていたんだ? そちらの方が興味があるよ」
「最初から分かっていたさ。だから、メリオが死んだときは喜んださ。そう言って欲しいのか? だが安心しろ、知ったのはごく最近だ」
二人同時に、酒をあおる。
偶然……というより、互いに吐こうとした言葉と一緒に飲み込むような心象であった。
「そんな事は思っていないよ。ただ知りたかっただけさ。魔族だったのか……もしそうなら、どんな気持ちで生きてきたのだろう。何を考え、戻ることの出来ない魔族領へと行ったのだろうかとね」
「さあな。だが、貴様が魔王を倒し、魔族を滅ぼせば、もうそんな事はどうでもよくなる」
――それはどうかな。そう思ったが、言葉には出さなかった。
イリオンはどうだったのだろうか……彼女もまた、魔族だったのだろうか。
その答えは何処にもない。非合法市民の記録など、泡のように簡単に消えてしまうからだ。
その代わり――、
「僕は必ず魔王を倒し、この世界を平穏に導くよ。その際には、全面的な協力をお願いする」
そう言って立ち上がる。
今日はもう飲み過ぎた。それに、こうもギスギスした状態で飲んでも仕方がない。
「貴様が魔族を滅ぼすのなら、俺は全面的に協力してやるさ」
そう言ったケインブラの目には、僅かの嘘も見られなかった。
0
お気に入りに追加
72
あなたにおすすめの小説

異世界遺跡巡り ~ロマンを求めて異世界冒険~
小狸日
ファンタジー
交通事故に巻き込まれて、異世界に転移した拓(タク)と浩司(コウジ)
そこは、剣と魔法の世界だった。
2千年以上昔の勇者の物語、そこに出てくる勇者の遺産。
新しい世界で遺跡探検と異世界料理を楽しもうと思っていたのだが・・・
気に入らない異世界の常識に小さな喧嘩を売ることにした。
転生したら最強種の竜人かよ~目立ちたくないので種族隠して学院へ通います~
ゆる弥
ファンタジー
強さをひた隠しにして学院の入学試験を受けるが、強すぎて隠し通せておらず、逆に目立ってしまう。
コイツは何かがおかしい。
本人は気が付かず隠しているが、周りは気付き始める。
目立ちたくないのに国の最高戦力に祭り上げられてしまう可哀想な男の話。
【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる
三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。
こんなはずじゃなかった!
異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に!
やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。


ようこそ異世界へ!うっかりから始まる異世界転生物語
Eunoi
ファンタジー
本来12人が異世界転生だったはずが、神様のうっかりで異世界転生に巻き込まれた主人公。
チート能力をもらえるかと思いきや、予定外だったため、チート能力なし。
その代わりに公爵家子息として異世界転生するも、まさかの没落→島流し。
さぁ、どん底から這い上がろうか
そして、少年は流刑地より、王政が当たり前の国家の中で、民主主義国家を樹立することとなる。
少年は英雄への道を歩き始めるのだった。
※第4章に入る前に、各話の改定作業に入りますので、ご了承ください。

うっかり『野良犬』を手懐けてしまった底辺男の逆転人生
野良 乃人
ファンタジー
辺境の田舎街に住むエリオは落ちこぼれの底辺冒険者。
普段から無能だの底辺だのと馬鹿にされ、薬草拾いと揶揄されている。
そんなエリオだが、ふとした事がきっかけで『野良犬』を手懐けてしまう。
そこから始まる底辺落ちこぼれエリオの成り上がりストーリー。
そしてこの世界に存在する宝玉がエリオに力を与えてくれる。
うっかり野良犬を手懐けた底辺男。冒険者という枠を超え乱世での逆転人生が始まります。
いずれは王となるのも夢ではないかも!?
◇世界観的に命の価値は軽いです◇
カクヨムでも同タイトルで掲載しています。
欲張ってチートスキル貰いすぎたらステータスを全部0にされてしまったので最弱から最強&ハーレム目指します
ゆさま
ファンタジー
チートスキルを授けてくれる女神様が出てくるまで最短最速です。(多分) HP1 全ステータス0から這い上がる! 可愛い女の子の挿絵多めです!!
カクヨムにて公開したものを手直しして投稿しています。
おっさんの異世界建国記
なつめ猫
ファンタジー
中年冒険者エイジは、10年間異世界で暮らしていたが、仲間に裏切られ怪我をしてしまい膝の故障により、パーティを追放されてしまう。さらに冒険者ギルドから任された辺境開拓も依頼内容とは違っていたのであった。現地で、何気なく保護した獣人の美少女と幼女から頼られたエイジは、村を作り発展させていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる