上 下
177 / 192
【 それぞれの未来 】

神はいない

しおりを挟む
 ケールオイオン王国に所属するトラトの街。人口は4万人程度の中規模都市だが、ここは巨大な穀倉地帯として知られている。
 高くそびえるダムの様な防塁に囲まれたアヴァンダ湖。そしてそこを中心とした、放射状に広がる水路と広大な農地。
 きちんと区画整理された農園は、上空から見れば農地というより近代的な幾何学アートの様だ。

 湖に隣接するトラトの街は、張り巡らされた美しい水路を利用した観光地としても知られていた。
 街には金属ドームの近代的な建物もあるが、全体としては極僅か。多くの建物はレンガ造りの町並みで、昔ながらの風情ある情緒を伺わせる。だが、内部は近代的な設備が整い、明かりも冷暖房も整備されていた。

 規模はそれほど大きくはないが、牧歌的で美しく、また豊かな街。
 しかしその街を、滝のような雨が包んでいる。まるで大地が、周囲で燃え上がった炎を消そうとするかのように。
 轟音ともいえるような雨音と、それでも消える事の無い激しい業火。そんな街中を、武器を持った兵士達が亡霊の様に徘徊していた。

 既に市街の抵抗は殆どが沈黙していた。
 今は僅かな生き残りが、市庁舎等の金属ドームの建物に籠って最後の抵抗をしている程度だ。
 そんな中、狭い水路を小さな二人の子供達が、腰まで水に浸かりながら逃走中であった。
 一人は男の子、もう一人は女の子だ。幼い……まだ10歳そこそこだろうか。服は二人とも粗末な綿製品。ごく普通の市民だ。

「がんばれ! がんばれ! ここさえ越えれば、一度橋の下に出る。そうしたら少し休もう」

 男の子は女の子の手をしっかりと握り、励ましながら懸命に進んでいく。
 ここは普段はくるぶしが浸かるまでしか水深がない。いざという時に、逃走するルートとして用意された偽装水路だ。
 だが今日に限って降った大雨の為に、水深はいつもよりもずっと深くなっている。小さな子供達では進むことは困難だ。
 しかし、足の速いみんなは先に行ってしまった。もう自分達だけで頑張るしかない。

 幸い、ここは他とは孤立したダミーの水路。水深はあっても流れはほとんどない。それに大雨のせいで、湖から水を引くための水門は閉じられている。もし開いていたら、あふれた水はこの水路にまで流れ込んできただろう。
 だが大雨と腰まで浸かった水で体は冷え、体力をじりじりと奪っていく。まだようやく春の風が感じる頃。しかも油絵の具の雲に覆われたこの世界では、春はまだ寒い季節。だけど橋の下まで行けば、そこからは地下通路を使える。後は町の外まで――

 ザブンッ――だが、それは水音を立て橋の下から現れた。
 全身を負う漆黒の鎧には、斜めに走る水色の卍継のマーク。ジェルケンブール王国軍の兵士だ。長剣には雨でも洗い流せない程に血と脂がこびりつき、面壁の奥の瞳は生者の色をしていない。

「逃げろ! 早く!」

 男の子は女の子を後ろに庇い、逃げるように促す。だが二人とも、恐怖で足が動かない。
 力ない子供の必死の抵抗。両手を広げ、女の子を守る。だが、ジェルケンブールの兵士が水を掻き分け迫る。

 ――神様……!

 だが、この世に慈悲深き神などいない。弱者を守る英雄ヒーローもここにはいない。何の抵抗も無く、あまりにもあっけなく、一刀の下に男の子は肩から股まで真っ二つに切り裂かれた。
 水路の水は一瞬にして真っ赤に染まり、内臓がぷかりと浮いて女の子の元へと流れて行く。

「うわああぁぁぁ! おにいちゃん! おにいちゃぁん! わあああああー!」

 女の子は沈んでしまった男の子の半身を必死で持ち上げるが、無情にもその前まで兵士が迫る。
 兵士の瞳に映るもの。それは人ではなく、斬れば血が出るだけの――ただの肉。

 幼き兄妹を屠った兵士達は、無言で足を進め生者を探す。抵抗するものは斬り、命乞いをするものを突き、赤子を潰し、全ての敵を殲滅する。
 彼等だけではない。全ての兵士達、そしてこの街の人間も、幼き兄妹の親も、かつてはそうやって殺し、生き抜いてきた人間達だ。慣れてはいる……だが人を殺す毎に、心は凍り、魂は死んでいく。

 彼らは飢えた野盗ではない。略奪などは行わない。ただ粛々と……静かに殺していく。
 街には多数の死体、そして切断された腕や首が転がり、雨水と共に流れゆく血が、かつて美しかった町の石畳を染める。
 激しく降りしきる雨の中、死体を踏みしめ進む兵士達の姿は、まるで幽鬼の群れであるかの様だった。




 ◇     ◇     ◇




 ”逃避行”ロイ・ハン・ケールオイオンは、その郊外で戦っていた。
 トラトの街は、かつて彼が生まれ育った場所だ。友と遊び、学び、淡い恋をし、子を成し、育み、そしてその子や孫が暮らす町。だが今、その町は侵略者の手により陥落した。
 大雨にも関わらず街から立ち昇る黒煙を見ながら、何人が生き残っているだろうかと考える……だが感傷にふけることは出来ない。

「突撃だ! 奴等を生かして返すな!」

 いつもの洒落た軍服ではない。普段垣間見せる、おどけた様子もない。
 深紅の塗装に大流星の紋章を付けた重甲鎧ギガントアーマーを纏い、頭部には尖角、両手にはそれぞれ棘付メイスモーニングスターを構える。
 浮遊式輸送板に乗って疾走する彼の眼前には、ジェルケンブールの大型浮遊式輸送板が映っていた。

 双方共に浮遊式輸送板。マリセルヌス王国軍浮遊式輸送板1200枚、兵員約3万人。対するジェルケンブール王国軍は、大型浮遊式輸送板1600枚、兵員約6万人。
 普段の移動であれば倍の人数を積めるが、今回は機動戦だ。互いに速度を維持できる限界までに抑え、相手の浮遊式輸送板にぶつけ、飛び移る。

 浮遊式輸送板同士の戦いは、相手の操縦士か動力士の2名を倒せば実質的な勝利となる。当時相和義輝あいわよしきにその目的は分からなかったが、操縦席と動力席が窪んでいるのは飛び道具対策だ。互いに矢を撃ち合いながら接近し、接舷したら乗り込んでの白兵戦となる。その戦いぶりはまるで、海賊船の戦いだ。

 互いに射る無数の矢が、雨と共に双方の兵士を射抜く。
 豪雨により効果が薄いとはいえ、全身鎧フルプレートを纏えぬ魔力量の者にとっては脅威だ。
 だが双方怯まない。特にマリセルヌス王国軍は、倍以上の数を相手に一切怯むことなく突進する。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

俺だけ毎日チュートリアルで報酬無双だけどもしかしたら世界の敵になったかもしれない

亮亮
ファンタジー
朝起きたら『チュートリアル 起床』という謎の画面が出現。怪訝に思いながらもチュートリアルをクリアしていき、報酬を貰う。そして近い未来、世界が一新する出来事が起こり、主人公・花房 萌(はなぶさ はじめ)の人生の歯車が狂いだす。 不意に開かれるダンジョンへのゲート。その奥には常人では決して踏破できない存在が待ち受け、萌の体は凶刃によって裂かれた。 そしてチュートリアルが発動し、復活。殺される。復活。殺される。気が狂いそうになる輪廻の果て、萌は光明を見出し、存在を継承する事になった。 帰還した後、急速に馴染んでいく新世界。新しい学園への編入。試験。新たなダンジョン。 そして邂逅する謎の組織。 萌の物語が始まる。

漫画の寝取り竿役に転生して真面目に生きようとしたのに、なぜかエッチな巨乳ヒロインがぐいぐい攻めてくるんだけど?

みずがめ
恋愛
目が覚めたら読んだことのあるエロ漫画の最低寝取り野郎になっていた。 なんでよりによってこんな悪役に転生してしまったんだ。最初はそう落ち込んだが、よく考えれば若いチートボディを手に入れて学生時代をやり直せる。 身体の持ち主が悪人なら意識を乗っ取ったことに心を痛める必要はない。俺がヒロインを寝取りさえしなければ、主人公は精神崩壊することなくハッピーエンドを迎えるだろう。 一時の快楽に身を委ねて他人の人生を狂わせるだなんて、そんな責任を負いたくはない。ここが現実である以上、NTRする気にはなれなかった。メインヒロインとは適切な距離を保っていこう。俺自身がお天道様の下で青春を送るために、そう固く決意した。 ……なのになぜ、俺はヒロインに誘惑されているんだ? ※他サイトでも掲載しています。 ※表紙や作中イラストは、AIイラストレーターのおしつじさん(https://twitter.com/your_shitsuji)に外注契約を通して作成していただきました。おしつじさんのAIイラストはすべて商用利用が認められたものを使用しており、また「小説活動に関する利用許諾」を許可していただいています。

妻がエロくて死にそうです

菅野鵜野
大衆娯楽
うだつの上がらないサラリーマンの士郎。だが、一つだけ自慢がある。 美しい妻、美佐子だ。同じ会社の上司にして、できる女で、日本人離れしたプロポーションを持つ。 こんな素敵な人が自分のようなフツーの男を選んだのには訳がある。 それは…… 限度を知らない性欲モンスターを妻に持つ男の日常

【全話挿絵】発情✕転生 〜何あれ……誘ってるのかしら?〜【毎日更新】

墨笑
ファンタジー
『エロ×ギャグ×バトル+雑学』をテーマにした異世界ファンタジー小説です。 主人公はごく普通(?)の『むっつりすけべ』な女の子。 異世界転生に伴って召喚士としての才能を強化されたまでは良かったのですが、なぜか発情体質まで付与されていて……? 召喚士として様々な依頼をこなしながら、無駄にドキドキムラムラハァハァしてしまう日々を描きます。 明るく、楽しく読んでいただけることを目指して書きました。

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

なるとし
ファンタジー
 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

彼女をイケメンに取られた俺が異世界帰り

あおアンドあお
ファンタジー
俺...光野朔夜(こうのさくや)には、大好きな彼女がいた。 しかし親の都合で遠くへと転校してしまった。 だが今は遠くの人と通信が出来る手段は多々ある。 その通信手段を使い、彼女と毎日連絡を取り合っていた。 ―――そんな恋愛関係が続くこと、数ヶ月。 いつものように朝食を食べていると、母が母友から聞いたという話を 俺に教えてきた。 ―――それは俺の彼女...海川恵美(うみかわめぐみ)の浮気情報だった。 「――――は!?」 俺は思わず、嘘だろうという声が口から洩れてしまう。 あいつが浮気してをいたなんて信じたくなかった。 だが残念ながら、母友の集まりで流れる情報はガセがない事で 有名だった。 恵美の浮気にショックを受けた俺は、未練が残らないようにと、 あいつとの連絡手段の全て絶ち切った。 恵美の浮気を聞かされ、一体どれだけの月日が流れただろうか? 時が経てば、少しずつあいつの事を忘れていくものだと思っていた。 ―――だが、現実は厳しかった。 幾ら時が過ぎろうとも、未だに恵美の裏切りを忘れる事なんて 出来ずにいた。 ......そんな日々が幾ばくか過ぎ去った、とある日。 ―――――俺はトラックに跳ねられてしまった。 今度こそ良い人生を願いつつ、薄れゆく意識と共にまぶたを閉じていく。 ......が、その瞬間、 突如と聞こえてくる大きな声にて、俺の消え入った意識は無理やり 引き戻されてしまう。 俺は目を開け、声の聞こえた方向を見ると、そこには美しい女性が 立っていた。 その女性にここはどこだと訊ねてみると、ニコッとした微笑みで こう告げてくる。 ―――ここは天国に近い場所、天界です。 そしてその女性は俺の顔を見て、続け様にこう言った。 ―――ようこそ、天界に勇者様。 ...と。 どうやら俺は、この女性...女神メリアーナの管轄する異世界に蔓延る 魔族の王、魔王を打ち倒す勇者として選ばれたらしい。 んなもん、無理無理と最初は断った。 だが、俺はふと考える。 「勇者となって使命に没頭すれば、恵美の事を忘れられるのでは!?」 そう思った俺は、女神様の嘆願を快く受諾する。 こうして俺は魔王の討伐の為、異世界へと旅立って行く。 ―――それから、五年と数ヶ月後が流れた。 幾度の艱難辛苦を乗り越えた俺は、女神様の願いであった魔王の討伐に 見事成功し、女神様からの恩恵...『勇者』の力を保持したまま元の世界へと 帰還するのだった。 ※小説家になろう様とツギクル様でも掲載中です。

特殊スキル持ちの低ランク冒険者の少年は、勇者パーティーから追い出される際に散々罵しった癖に能力が惜しくなって戻れって…頭は大丈夫か?

アノマロカリス
ファンタジー
少年テイトは特殊スキルの持ち主だった。 どんなスキルかというと…? 本人でも把握出来ない程に多いスキルなのだが、パーティーでは大して役には立たなかった。 パーティーで役立つスキルといえば、【獲得経験値数○倍】という物だった。 だが、このスキルには欠点が有り…テイトに経験値がほとんど入らない代わりに、メンバーには大量に作用するという物だった。 テイトの村で育った子供達で冒険者になり、パーティーを組んで活躍し、更にはリーダーが国王陛下に認められて勇者の称号を得た。 勇者パーティーは、活躍の場を広げて有名になる一方…レベルやランクがいつまでも低いテイトを疎ましく思っていた。 そしてリーダーは、テイトをパーティーから追い出した。 ところが…勇者パーティーはのちに後悔する事になる。 テイトのスキルの【獲得経験値数○倍】の本当の効果を… 8月5日0:30… HOTランキング3位に浮上しました。 8月5日5:00… HOTランキング2位になりました! 8月5日13:00… HOTランキング1位になりました(๑╹ω╹๑ ) 皆様の応援のおかげです(つД`)ノ

[完結済み]男女比1対99の貞操観念が逆転した世界での日常が狂いまくっている件

森 拓也
キャラ文芸
俺、緒方 悟(おがた さとる)は意識を取り戻したら男女比1対99の貞操観念が逆転した世界にいた。そこでは男が稀少であり、何よりも尊重されていて、俺も例外ではなかった。 学校の中も、男子生徒が数人しかいないからまるで雰囲気が違う。廊下を歩いてても、女子たちの声だけが聞こえてくる。まるで別の世界みたいに。 そんな中でも俺の周りには優しいな女子たちがたくさんいる。特に、幼馴染の美羽はずっと俺のことを気にかけてくれているみたいで……

処理中です...