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【 大火 】
二人の逃避行 その2
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ケルベムレソンの街で指揮をする傍ら、リッツェルネールは膨大な資料と格闘していた。
指揮の方は簡単な作業だ。ほぼ完全に想定の範囲であり、微調整など現地に判断で対処できる。それ程に完璧に、そして入念に計画されていたのだった。
一方で目の前にある書類の束には苦戦した。ノセリオが解読した資料から得られたデータを解析するも、それはアンドルスフ家が兵役忌避者の代わりに非登録市民を戦地に送った――年末に読んだ通り、ただそれだけの内容だった。
利益など無い。むしろ赤字の慈善事業。兵役忌避者は金で命を買い、非登録市民は金で家族の生活を買う。それをあの商家が自身の資産を削って仲介を行う。
ケインブラとの会話を思い出す……。
「これは魔族領侵攻戦で溜まった膿だ。メリオにもやらせていた事は悪いとは思う。だが君の地位がそうさせた……そうだろう?」
地位……確かに軍部中心にいる人物の副官、しかも情報士官を兼ねているとなれば最適だ。フォースノー家の人間として、それに逆らえなかったのも解る。
だが膿……その言葉の方が問題だ。
これはただの商売の記録だ。それなりに不正成分を含むが、商国にとってはごく当たり前の事。仮に誰かが糾弾しても、「商人を何だと思っているのかね?」その一言で終わる話だ。
だがその商国のナンバー4が”膿”と言ったのだ。
そこで、金を出した兵役忌避者のリストを調べる事にした。いかなる地位の人間が金で命を買ったのか。その身分に問題があるのか……。
だがそれも空振りだった。どれも大した身分の者は多くない。アンドルスフ家の人間が多いのは、金を出したのだから当然の事だろう。
しかし全体からすれば大商家に属する人間は少ない。だから大した金も無い。そこであの商家が不足分を出した。それで赤字……。
――分からないな……。
情報が足りない……リッツェルネールは社会の事は良く知っているつもりであったが、世の中の事を全て知っているわけでは無いと、改めて思い知った。
この世界には、自分が知らない暗部が、まだまだ遥か先まで闇のように広がっている。そこに踏み込むべきだろうか?
自分の目的と、未知への興味。その二つを天秤にかけ、この問題を一時打ち切る事にした。
進むべき道に不安を残したくないのは事実だが、迂闊に足を踏み入れたら底なし沼だったでは済まされない。当面は、心の役に立たない情報棚にでも仕舞っておこう。
そう言えば……あちらの始末はきちんと終わっているだろうか。
彼女に恨みは無いが、危険の芽は摘んでおきたい。まあ、失敗したらそれでもいい。彼女の力量の一端を知ることが出来るだろう。
そんな事を考えながら、静かにお茶を口にした。
◇ ◇ ◇
ブウン――と唸りを上げて、巨大な戦斧がマリッカの体を薙いだかに見えた。だがその瞬間、彼女は素早くバク転をして躱していた。しかし――
――ブチッ!
背中で何かが切れる音がする。
――あら。
切れたのはブラの紐。渉外担当の護衛と言う事で、今回は軍用のブラではない。可愛らしいレースの付いた、見た目重視の高級品。
本来は服を脱ぐ必要はないが、それでも下着もまた制服のようなものだと着せられたのだ。
暴れまわる大きな双丘を今まで懸命に支えていたが、ついに力尽きてしまったのだろう。こんな事ならもっと安物で良かったと思うが、今となってはもう遅い。しかも状況はそれどころではない。
着地と同時に目の前に迫る戦斧。今度は突きだ。その鈍重な見た目よりもはるかに早い、機動性重視の重甲鎧。
しかしそれも大きく背を仰け反らせて避けると、次の攻撃の前に民兵の中に飛び込む。さすがにアレと正面切っては戦えない。何と言っても、今は護衛対象がいるのだ。
だが先ほどの一撃で、スーツの前はバッサリと切られ、前が完全に空いてしまっている。しかも動き回り小剣を振るたびに、二つの脂肪は慣性を受け、まるで独立した生き物の様にブルンブルンと猛り踊る。
――動きずらい……。
マリッカの動きには一切無駄が無く、両手の小剣で次々と民兵や正規兵を切り倒す。
それはまるでプロのダンサーのようであり、そこに加わった豊かな胸を持つ女性独特の動き。
これが酒場のダンスホールであれば、さぞかし盛大な歓声が上がった事だろう。だがここは戦場であり、彼女は狩られる得物どころか凶暴な肉食獣だ。だれもそんなところに目がいかない。
もう何人目か分からない民兵を切り裂いた瞬間、背後からまたも戦斧が迫る。やはり戦いながらでは引き離すことは出来ない。
それは彼女の胴より太い大木を一太刀で切り倒すと、勢いなど無視した動きで、即逆向きに振り返す。腕部モーターの悲鳴と焼けつく匂いが辺りに漂うが、その程度で重甲鎧は故障はしない。
跳ねながら戦斧の先端に小剣を合わせる。
弾ける火花と金属音。そして空中で強烈な勢いを受けた小さな体が吹き飛ぶが、くるりと回り軽やかに着地して、再び逃げる。
その動きの鮮やかさを見ながら、重甲鎧を操るドライマンから感嘆のため息が漏れる。あれほどの体術を持った相手とは、今まで戦った事が無い。しかもこの巨大戦斧と打ち合っても、折れないほどに強化された小剣。魔力も桁違いだろう。
「逃がすな! 囲み込んで矢を射かけろ!」
正直な感想を言えば、あまり戦いたくはない相手だ。だが金を貰っている以上、そうはいかない。出所は解らないが、ここを通る二名を滅殺するのが今回の任務だ。
「ん? そう言えば、もう一人はどこへ行った?」
「最初の攻撃で矢が当たって死んでいます。残りはあいつだけですよ」
サイレームの肩と太腿には一本ずつ矢が刺さり、そこからは黒い煙が上がっている。確認するまでもなく即死だった。
「そうか、なら良い。残るは女一人だ! このまま包囲を狭め、確実に仕留めよ!」
指揮の方は簡単な作業だ。ほぼ完全に想定の範囲であり、微調整など現地に判断で対処できる。それ程に完璧に、そして入念に計画されていたのだった。
一方で目の前にある書類の束には苦戦した。ノセリオが解読した資料から得られたデータを解析するも、それはアンドルスフ家が兵役忌避者の代わりに非登録市民を戦地に送った――年末に読んだ通り、ただそれだけの内容だった。
利益など無い。むしろ赤字の慈善事業。兵役忌避者は金で命を買い、非登録市民は金で家族の生活を買う。それをあの商家が自身の資産を削って仲介を行う。
ケインブラとの会話を思い出す……。
「これは魔族領侵攻戦で溜まった膿だ。メリオにもやらせていた事は悪いとは思う。だが君の地位がそうさせた……そうだろう?」
地位……確かに軍部中心にいる人物の副官、しかも情報士官を兼ねているとなれば最適だ。フォースノー家の人間として、それに逆らえなかったのも解る。
だが膿……その言葉の方が問題だ。
これはただの商売の記録だ。それなりに不正成分を含むが、商国にとってはごく当たり前の事。仮に誰かが糾弾しても、「商人を何だと思っているのかね?」その一言で終わる話だ。
だがその商国のナンバー4が”膿”と言ったのだ。
そこで、金を出した兵役忌避者のリストを調べる事にした。いかなる地位の人間が金で命を買ったのか。その身分に問題があるのか……。
だがそれも空振りだった。どれも大した身分の者は多くない。アンドルスフ家の人間が多いのは、金を出したのだから当然の事だろう。
しかし全体からすれば大商家に属する人間は少ない。だから大した金も無い。そこであの商家が不足分を出した。それで赤字……。
――分からないな……。
情報が足りない……リッツェルネールは社会の事は良く知っているつもりであったが、世の中の事を全て知っているわけでは無いと、改めて思い知った。
この世界には、自分が知らない暗部が、まだまだ遥か先まで闇のように広がっている。そこに踏み込むべきだろうか?
自分の目的と、未知への興味。その二つを天秤にかけ、この問題を一時打ち切る事にした。
進むべき道に不安を残したくないのは事実だが、迂闊に足を踏み入れたら底なし沼だったでは済まされない。当面は、心の役に立たない情報棚にでも仕舞っておこう。
そう言えば……あちらの始末はきちんと終わっているだろうか。
彼女に恨みは無いが、危険の芽は摘んでおきたい。まあ、失敗したらそれでもいい。彼女の力量の一端を知ることが出来るだろう。
そんな事を考えながら、静かにお茶を口にした。
◇ ◇ ◇
ブウン――と唸りを上げて、巨大な戦斧がマリッカの体を薙いだかに見えた。だがその瞬間、彼女は素早くバク転をして躱していた。しかし――
――ブチッ!
背中で何かが切れる音がする。
――あら。
切れたのはブラの紐。渉外担当の護衛と言う事で、今回は軍用のブラではない。可愛らしいレースの付いた、見た目重視の高級品。
本来は服を脱ぐ必要はないが、それでも下着もまた制服のようなものだと着せられたのだ。
暴れまわる大きな双丘を今まで懸命に支えていたが、ついに力尽きてしまったのだろう。こんな事ならもっと安物で良かったと思うが、今となってはもう遅い。しかも状況はそれどころではない。
着地と同時に目の前に迫る戦斧。今度は突きだ。その鈍重な見た目よりもはるかに早い、機動性重視の重甲鎧。
しかしそれも大きく背を仰け反らせて避けると、次の攻撃の前に民兵の中に飛び込む。さすがにアレと正面切っては戦えない。何と言っても、今は護衛対象がいるのだ。
だが先ほどの一撃で、スーツの前はバッサリと切られ、前が完全に空いてしまっている。しかも動き回り小剣を振るたびに、二つの脂肪は慣性を受け、まるで独立した生き物の様にブルンブルンと猛り踊る。
――動きずらい……。
マリッカの動きには一切無駄が無く、両手の小剣で次々と民兵や正規兵を切り倒す。
それはまるでプロのダンサーのようであり、そこに加わった豊かな胸を持つ女性独特の動き。
これが酒場のダンスホールであれば、さぞかし盛大な歓声が上がった事だろう。だがここは戦場であり、彼女は狩られる得物どころか凶暴な肉食獣だ。だれもそんなところに目がいかない。
もう何人目か分からない民兵を切り裂いた瞬間、背後からまたも戦斧が迫る。やはり戦いながらでは引き離すことは出来ない。
それは彼女の胴より太い大木を一太刀で切り倒すと、勢いなど無視した動きで、即逆向きに振り返す。腕部モーターの悲鳴と焼けつく匂いが辺りに漂うが、その程度で重甲鎧は故障はしない。
跳ねながら戦斧の先端に小剣を合わせる。
弾ける火花と金属音。そして空中で強烈な勢いを受けた小さな体が吹き飛ぶが、くるりと回り軽やかに着地して、再び逃げる。
その動きの鮮やかさを見ながら、重甲鎧を操るドライマンから感嘆のため息が漏れる。あれほどの体術を持った相手とは、今まで戦った事が無い。しかもこの巨大戦斧と打ち合っても、折れないほどに強化された小剣。魔力も桁違いだろう。
「逃がすな! 囲み込んで矢を射かけろ!」
正直な感想を言えば、あまり戦いたくはない相手だ。だが金を貰っている以上、そうはいかない。出所は解らないが、ここを通る二名を滅殺するのが今回の任務だ。
「ん? そう言えば、もう一人はどこへ行った?」
「最初の攻撃で矢が当たって死んでいます。残りはあいつだけですよ」
サイレームの肩と太腿には一本ずつ矢が刺さり、そこからは黒い煙が上がっている。確認するまでもなく即死だった。
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