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MISERABLE SINNERS
最後の晩餐 四章一節
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「あの……今日はちょっとお休みしていいですか」
ある冬の夜のことである。
毎日の慣例通り、三人でベッドに入った。ところが、いつもならいの一番に飛び付いてくる助祭が、その日はどうにも気分が乗らないという。そのうちに司祭が絡んできて、ジュリアが我を忘れているうちにイッシュ様は姿を消していた。どうやら自室に引きこもったらしい。朝になっても出てこなかった。
「どうしたんだろう」
「さてね」
例によって司祭は日常生活に無頓着なため、ジュリアは慣れない台所に立ち、野菜と豆のスープを作った。味見を司祭に任せたが故に、すっかりしょっぱくなってしまった。やっぱりイッシュ様の料理が一番だ。周囲を巻き込む彼の元気がないと、こっちまで調子が狂ってしまう。
食事を持って、助祭の部屋を訪ねた。二度ほどノックをする。返事はない。急に不安になった。もしかしたら、体調が優れないのかもしれない。
「イッシュ様」
ジュリアは思い切ってノブを捻った。音を立てないよう、慎重に開ける。
床に助祭が倒れていた。
いや――正確には、毛布をすっぽりと被り、床に丸まっていたのである。
「イッシュ様!?」
ジュリアはテーブルに器を置き、助祭の元へ走り寄った。肩と思しき場所を揺する。
「うーん……うーん……」
魘されていた。
「お、起きて、ください、イッシュ様。大丈夫ですか」
「んん……ジュリア……?」
「は、はい。ジュリアで、わあっ」
凄い勢いで床に引き倒された。
首の後ろに手が回る。毛布から出てきた額がジュリアの胸に押しつけられる。
「ああ、僕の天使! 助けてください。迷える魂をどうか」
譫言のように助祭は言った。ただならぬ様子にジュリアは戸惑った。彼がこんなふうに委ねてくることなど初めてだった。いつも主導権は絶対に渡さなかったのに。
後頭部を撫でると、ようやく落ち着きを取り戻したようだ。助祭は鼻を啜りながら言った。
「お呼びが、かかっちゃったんです」
曰く――生家から、手紙が来たらしい。
「しばらくお休みをいただかなくては……」
あんにゅいに溜め息を吐く。
要は、帰省するということだろう――なんだか真実味がなかった。どんな人非人にも子供時代はあるし家族もいるだろうが、なぜかこの人の幼少期だけは想像できない。生まれた時からこんな調子な気がする。
嫌だなあ、憂鬱だなあと、彼は何度も零した。そのうちにジュリアも悲しい気持ちになってきた。これだけ悩んでいるとなれば、帰りたくない理由があるのだろう。家族とうまくいっていないのかもしれない。全て失ったジュリアにしてみれば、それは羨ましいことではあるのだが、だからといって、彼の苦悩を蔑ろにはしない。ジュリアが厄介になった児童養護施設にも、様々な境遇で家族と離れ離れになった子供達がいた。
「事情がおありなんですか」
ジュリアは訊ねた。
はい、と助祭は悲痛な面持ちで答える。
「どうにも僕――溺愛されていて」
「――は?」
思わず、素っ頓狂な声が出た。
「過保護に過ぎるんです、と言ったら変な言葉かもしれませんが、そうやって二乗しても足りないくらい、僕、愛されているんです。大丈夫だって言っているのに、放っておいてくれないんです。特に長兄なんてもう酷い。実は毎週、手紙を出すよう言われているんですけど。ここのところ返事を疎かにしていたんですね。そうしたら突然の招集命令。こりゃ説教七十二時間コースです」
「……」
嬉しい悲鳴、というやつだろうか。
それとも、ジュリアが知らないだけで――愛されることも、罪になるのかもしれない。
それは凄くしっくりくる考えだと思った。だから、イッシュ様は今、こんなにも苦しんでいるのだ。
助祭はジュリアの肩に毛布をかけてしまった。寒さの積もる床で、二人は暖を取り合った。
「……僕が悪いのはわかっているんですけどね」
ジュリアの鎖骨に顔を押し付け、たっぷりと息を吸うと、彼はぽつりと零した。
「だって、愛に愛で返せないんですもの。そりゃあ、入れ違いになりますよねえ」
あくまで自称の域を出ないが、彼は自身を共感能力に欠けていると評価する。それは心がないのと同じだとも。感情がないのとは、どうやら違うらしい――。
わからないから、知りたいと言った。
好きだから、わかりたいと言った。
知りたいから、好きだと言った。
他の何が紛い物であろうと、あの言葉だけは彼の真実だ。
「いいじゃ、ないですか」ジュリアも彼の髪に鼻を突っ込んで嗅いでみた。陽だまりの匂いがした。「たまには、ご家族に、会うのも……教会のことなら、俺と神父様で、頑張ります。教会、の、お掃除とか。庭の、お手入れとか」
「嫌ですよ!」彼は顔を上げ、「だってその間、あなたを独占されてしまうではありませんか! ただでさえ出し抜かれているのにー!」
頬ずりされた。
ああ、と呻く。そうだった。この人の頭の中は、いつだって桃色で溢れているのだ。普段は煩悩を慎み深さで包んでいるだけで、夜になり皮が剥がれれば、そこに潜んでいるのは飢えた獣である。ジュリアは若干の疲労を覚えた。
「日取りは、決まってるんですか」
「うぅー、できるだけ早くとのことなので、許可が出たらすぐにでも……しかし、半月は帰れないかもしれません」
「半月……」
思いもよらない長さだった。
ジュリアは目を細める。
「そんなに、ですか」
「ええ。なにしろ遠いので」
「とおい。どの辺り、なんですか。まさか、外国?」
「そうですね。ずっと上です。ずーっと」
ジュリアは頭の中に地図を思い浮かべてみた。この国より北となれば、海しかないが。そんなに遠い場所から単身やってきているとは知らなかった。
「僕のことを忘れないでいてくれますか」
切ない声だった。ジュリアの瞳は、一瞬だけ凝った。
「二人でどこかへ行ってしまったりしませんよね」
「しませんよ」
泣いているのかと思ったが、覗いてみると、彼はむしろ困っていた。途方に暮れているといってもいい。雨に打たれる子犬のような殊勝さを見せつけられて、ジュリアはちょっと笑ってしまった。
「待ってますよ。だから、そんな顔、しないで。出発までは、いっぱい、一緒にいましょう」
「ジュ、ジュリアーっ」
彼は感極まったように涙ぐむと、ジュリアの手を取り、言った。
「ではお言葉に甘えて、今晩はバニーガールでイラマ十連発お願いします」
「嫌です」
助祭は号泣した。
ある冬の夜のことである。
毎日の慣例通り、三人でベッドに入った。ところが、いつもならいの一番に飛び付いてくる助祭が、その日はどうにも気分が乗らないという。そのうちに司祭が絡んできて、ジュリアが我を忘れているうちにイッシュ様は姿を消していた。どうやら自室に引きこもったらしい。朝になっても出てこなかった。
「どうしたんだろう」
「さてね」
例によって司祭は日常生活に無頓着なため、ジュリアは慣れない台所に立ち、野菜と豆のスープを作った。味見を司祭に任せたが故に、すっかりしょっぱくなってしまった。やっぱりイッシュ様の料理が一番だ。周囲を巻き込む彼の元気がないと、こっちまで調子が狂ってしまう。
食事を持って、助祭の部屋を訪ねた。二度ほどノックをする。返事はない。急に不安になった。もしかしたら、体調が優れないのかもしれない。
「イッシュ様」
ジュリアは思い切ってノブを捻った。音を立てないよう、慎重に開ける。
床に助祭が倒れていた。
いや――正確には、毛布をすっぽりと被り、床に丸まっていたのである。
「イッシュ様!?」
ジュリアはテーブルに器を置き、助祭の元へ走り寄った。肩と思しき場所を揺する。
「うーん……うーん……」
魘されていた。
「お、起きて、ください、イッシュ様。大丈夫ですか」
「んん……ジュリア……?」
「は、はい。ジュリアで、わあっ」
凄い勢いで床に引き倒された。
首の後ろに手が回る。毛布から出てきた額がジュリアの胸に押しつけられる。
「ああ、僕の天使! 助けてください。迷える魂をどうか」
譫言のように助祭は言った。ただならぬ様子にジュリアは戸惑った。彼がこんなふうに委ねてくることなど初めてだった。いつも主導権は絶対に渡さなかったのに。
後頭部を撫でると、ようやく落ち着きを取り戻したようだ。助祭は鼻を啜りながら言った。
「お呼びが、かかっちゃったんです」
曰く――生家から、手紙が来たらしい。
「しばらくお休みをいただかなくては……」
あんにゅいに溜め息を吐く。
要は、帰省するということだろう――なんだか真実味がなかった。どんな人非人にも子供時代はあるし家族もいるだろうが、なぜかこの人の幼少期だけは想像できない。生まれた時からこんな調子な気がする。
嫌だなあ、憂鬱だなあと、彼は何度も零した。そのうちにジュリアも悲しい気持ちになってきた。これだけ悩んでいるとなれば、帰りたくない理由があるのだろう。家族とうまくいっていないのかもしれない。全て失ったジュリアにしてみれば、それは羨ましいことではあるのだが、だからといって、彼の苦悩を蔑ろにはしない。ジュリアが厄介になった児童養護施設にも、様々な境遇で家族と離れ離れになった子供達がいた。
「事情がおありなんですか」
ジュリアは訊ねた。
はい、と助祭は悲痛な面持ちで答える。
「どうにも僕――溺愛されていて」
「――は?」
思わず、素っ頓狂な声が出た。
「過保護に過ぎるんです、と言ったら変な言葉かもしれませんが、そうやって二乗しても足りないくらい、僕、愛されているんです。大丈夫だって言っているのに、放っておいてくれないんです。特に長兄なんてもう酷い。実は毎週、手紙を出すよう言われているんですけど。ここのところ返事を疎かにしていたんですね。そうしたら突然の招集命令。こりゃ説教七十二時間コースです」
「……」
嬉しい悲鳴、というやつだろうか。
それとも、ジュリアが知らないだけで――愛されることも、罪になるのかもしれない。
それは凄くしっくりくる考えだと思った。だから、イッシュ様は今、こんなにも苦しんでいるのだ。
助祭はジュリアの肩に毛布をかけてしまった。寒さの積もる床で、二人は暖を取り合った。
「……僕が悪いのはわかっているんですけどね」
ジュリアの鎖骨に顔を押し付け、たっぷりと息を吸うと、彼はぽつりと零した。
「だって、愛に愛で返せないんですもの。そりゃあ、入れ違いになりますよねえ」
あくまで自称の域を出ないが、彼は自身を共感能力に欠けていると評価する。それは心がないのと同じだとも。感情がないのとは、どうやら違うらしい――。
わからないから、知りたいと言った。
好きだから、わかりたいと言った。
知りたいから、好きだと言った。
他の何が紛い物であろうと、あの言葉だけは彼の真実だ。
「いいじゃ、ないですか」ジュリアも彼の髪に鼻を突っ込んで嗅いでみた。陽だまりの匂いがした。「たまには、ご家族に、会うのも……教会のことなら、俺と神父様で、頑張ります。教会、の、お掃除とか。庭の、お手入れとか」
「嫌ですよ!」彼は顔を上げ、「だってその間、あなたを独占されてしまうではありませんか! ただでさえ出し抜かれているのにー!」
頬ずりされた。
ああ、と呻く。そうだった。この人の頭の中は、いつだって桃色で溢れているのだ。普段は煩悩を慎み深さで包んでいるだけで、夜になり皮が剥がれれば、そこに潜んでいるのは飢えた獣である。ジュリアは若干の疲労を覚えた。
「日取りは、決まってるんですか」
「うぅー、できるだけ早くとのことなので、許可が出たらすぐにでも……しかし、半月は帰れないかもしれません」
「半月……」
思いもよらない長さだった。
ジュリアは目を細める。
「そんなに、ですか」
「ええ。なにしろ遠いので」
「とおい。どの辺り、なんですか。まさか、外国?」
「そうですね。ずっと上です。ずーっと」
ジュリアは頭の中に地図を思い浮かべてみた。この国より北となれば、海しかないが。そんなに遠い場所から単身やってきているとは知らなかった。
「僕のことを忘れないでいてくれますか」
切ない声だった。ジュリアの瞳は、一瞬だけ凝った。
「二人でどこかへ行ってしまったりしませんよね」
「しませんよ」
泣いているのかと思ったが、覗いてみると、彼はむしろ困っていた。途方に暮れているといってもいい。雨に打たれる子犬のような殊勝さを見せつけられて、ジュリアはちょっと笑ってしまった。
「待ってますよ。だから、そんな顔、しないで。出発までは、いっぱい、一緒にいましょう」
「ジュ、ジュリアーっ」
彼は感極まったように涙ぐむと、ジュリアの手を取り、言った。
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