彼岸の傾城傾国

高嗣水清太

文字の大きさ
上 下
26 / 32
第二章 悪意を呑んだ天命

第二十五話*

しおりを挟む
 煌威こういが痛みを感じる間もなく、続いたのは音だった。
 ダンッ、と。耳に届いたときには、前方を紅焔こうえんの身体に、後方を壁にと挟まれていて驚く。
 煌威こういは、書庫に連れ込まれたと、自分の正確な状況を理解するよりも早く、紅焔こうえんに腰を手荒く抱き寄せられていた。

 「っ……こ、紅焔こうえん!」
 
 簡単に乱される衣服を、煌威こういは何とか押し留めようとするが、紅焔こうえんに胸元は大きく開かれ、首筋に顔を埋められて焦る。
 吐息が、肌を掠めた。柔らかく、濡れた感触が薄い皮膚を刺激する。

「ぁ……っ」

 口をついて出た声は思いのほかつやが乗ったもので、煌威こういは慌てて手の甲で唇を押さえた。
 しかしそれを嘲笑あざわらうかのように、紅焔こうえんの唇が首筋を下りて鎖骨さこつむ。

「んっ、ぐ」

 明確な意図を持って触れてくる紅焔こうえんに、煌威こういは言葉にならない拒否を示してかぶりを振った。 

 ――今が夜なら、拒まなかった。此処ここが、自分の寝殿だったなら受け入れた。
 しかし、今は壁一枚隔てた向こうに、嗣尤しゆう抄昊しょうこうがいる。

「紅え、やめっ……!」
 
 煌威こうい紅焔こうえんの肩を押し退けてなんとか引きがそうとするが、純粋な腕力の差かびくともせず、逆にその微々びびたる抵抗は紅焔こうえんの本能を刺激したようだった。

「ぅあっ」

 身体を抱き込むように回された腕で、臀部でんぶを掴まれる。
 手加減のない力で掴まれた、痛みに仰け反った身体は、煌威こういの意志に反して紅焔こうえんの胸にすがるような姿勢をとっていた。
 紅焔こうえんは左手で煌威こういの臀部を掴んだまま、右手では締め殺すかのような勢いで腰を抱いてくる。

「く、ぁっ……んむっぅ!」

 煌威こういが息苦しさからけ反ってあえげば、上から噛みつくように唇を塞がれた。
 歯列を割って入ってくる、乱暴な紅焔こうえんの舌に身体が震える。

「んっ、ん、ンン……ッ」 


 皇帝に即位したあの日から、煌威こうい紅焔こうえんと肌を重ねない日はない。
 しかし、毎日のように繰り返される儀式のようなそれは、一線をかくして行われていた。事実、煌威こういが本当の意味で紅焔こうえんに抱かれたことは、だただの一度もない。紅焔こうえんはただ、煌威こういに快楽を与えるだけだ。
 紅焔こうえんの反応から、自身も快楽を感じていないわけではなさそうだったが、それを煌威こういの身体を使って満たそうとはしなかった。

 唇への口づけも同様だ。足や手、身体には頻繁ひんぱんに唇を落とすのに、何故こちらの唇にはしないのだろうと思ったことがある。
 それが画していた一線だと煌威こういが気づいたのは、つい最近だった。
 紅焔こうえんの中で、煌威こういの身体を暴くことはもちろんのこと、恐らく唇だけはと決めていた。唇への口づけは、特別なものだ。忠誠や敬愛、憧憬しょうけいとは違う。

 隠していた、一線。その一線に、紅焔こうえんは初めて自分から踏み込んだのだ。
 ぞわぞわとした何かが、煌威こういの背筋をい上がる。

「ん、ん、……っふ、ぁ……あ! ンン……」
「……、ん」

 初めての口づけは熱く、脳が溶かされるようだった。甘く痺れる唇と舌は、それだけで前後不覚になるほどの快楽を伝えてくるのに、掴まれているだけだった臀部まで揉みしだかれ、堪らず上げた声を紅焔こうえんの口内に食われて飲まれる。
 捕食されているようなそれに、煌威こういは熱くなって震える身体がまるで自分のものではないような感覚におちいった。

 ガクガクと膝が笑っているのは、快楽か否か。
 腰に回されていた紅焔こうえんの手があしを這う。ゆっくりさすてのひらは優しいが、労りよりも色事を感じさせるもので、煌威こういの頭の中では警鐘けいしょうが鳴り響いていた。

「……っ、こ……焔ッ」
「……ふ、っ」

 少し温度の高い紅焔こうえんの舌が、煌威こういの口内から名残惜しそうに離れる。
 乱れた呼吸から上下する胸に、紅焔こうえんがぴたりと身を寄せてきた。
 逃げられないように、との意図なのだろう。胸と胸が隙間なく合わさる。
 どちらのものとも知れない鼓動こどうが、うるさいほどひびいていた。


「…………なにを……思い出されて、いたのです」
「……は、ぁ?」

 鼻先が触れるほど間近から紅焔こうえんが放った言葉は不明瞭ふめいりょうで、煌威こういいぶかしげに眉を寄せることしか出来ない。
 全く、意味が分からなかった。

麗氏れいし女王ですか。それとも、可愛らしかった王女ですか」
「なに……? 紅焔こうえん、お前なにを言って――っ!」

 常にない、剣呑けんのんな光をたたえた紅焔こうえんの、黄金の瞳に閉口する。
 鋭い眼差しは煌威こういの顔に一心と注がれ、目をらすことも許されない。

「……紅焔こうえん、……紅焔こうえん待ってくれ。ちゃんと、説明してくれ」

 言っていることが分からない。何を言いたいのかも分からない。
 しかし、お前の言うことを理解したいと思っている。煌威こういがそう訴えれば、紅焔こうえんは顔を歪めた。
 ぐ、と紅焔こうえんが唇を噛み締める。
 一度、きつくその黄金を閉じた後、紅焔こうえんは額を煌威こういの肩に押し付けてきた。

「……お慕いして、おります……陛下っ」
「うん……?」

 紅焔こうえんの唇から発せられた言葉は、この体勢的には決しておかしくない言葉だ。
 だが、それは煌威こういの問いの答えではない。意味が通じない。

「貴方だけを……、嗣尤しゆう殿や抄昊しょうこう殿よりも、架瑠羅かるらの王女よりも、貴方を……お慕いしております」
紅焔こうえん……」

 続く紅焔こうえんの言葉は、やはり意味が通じない。
 けれど、もしかして……と煌威こういの頭を掠めるものがあった。

「貴方が、俺の全てだ……!」
紅焔こうえん……っ」

 ぎゅう、と身体を抱き締められ、その〝もしかして〟を期待してしまう。

「こう、え……」
「捨てないで、ください」

 恐る恐る、といった風情で顔を覗き込まれ、まるで仔犬のような眼でこちらを見る紅焔こうえんに、煌威こういは自分でも頬が紅潮こうちょうするのが分かった。

嗣尤しゆう殿も抄昊しょうこう殿も、陛下の弟君で頼りにされる将軍と丞相じょうしょうであって、本当に、それだけであることは分かっています」

 切々と語られるそれは、かつて煌威も経験したことがあるものだ。
 ――自分だけを見て欲しい。自分以外をその眼に入れて欲しくない。そう、わたしも思ったことがある。

架瑠羅かるらの女王や王女の件に関しても、陛下にその気はないのは分かっています。微笑まれたのも、何か理由がおありなんでしょう」

 しかし、と続ける紅焔こうえん煌威こういの頬を両手で包み固定すると、寸分違わず合わせた視線で苦しげに叫んだ。

「俺だけを見て欲しい……他の人間より、俺を見て欲しいっ。貴方の眼に映るのは、自分だけでありたい……!」
「――ッ!」

 それは、嫉妬しっとだ。 

「陛下を疑っているわけではありません。ただ、幸せで……幸せ過ぎて、今が信じられなくて……自分が、信じられなくて……」
「……なんだ、お前……わたしを一切見なかったのも……」
「貴方を見たら、抑えられなくなりそうだった……」
「…………は、はは」

 思わず、煌威こういの口かられる笑い声。それは、一度意図せず漏れてしまうと止まらないもので。

「はははははっ」
「へ、陛下?」

 紅焔こうえんが戸惑っているのを知りながら、煌威こういは唇からこぼれる声を止めることは出来なかった。
 ――嬉しかったのだ。
 自分だけだと思っていた。何だかんだ言いつつ、紅焔こうえんのそれは崇拝すうはいが大半で、敬愛にも似たものだと思っていた。
 煌威こういは、自分の片恋のようなものだと思っていたのだ。嫉妬をしてくれるとは、思っていなかった。


紅焔こうえん
「! はい……」
「愛している」
「はい。は……はっ!?」

 ぎょっと目を紅焔こうえんに、なんて顔をしているんだと揶揄やゆしながら、煌威こういはその首に腕を回した。

「あの……陛下……」
「わたしは、お前が望むなら……どんな皇帝にもなろう」

 戸惑う紅焔こうえんの唇に、そっと口づける。
 一瞬、紅焔こうえんの身体が硬直したが、それでも少ししてこちらの腰に腕を回してきたのを感じ取り、煌威こういはさらに口づけを深くした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

ヤンデレだらけの短編集

BL
ヤンデレだらけの1話(+おまけ)読切短編集です。 全8話。1日1話更新(20時)。 □ホオズキ:寡黙執着年上とノンケ平凡 □ゲッケイジュ:真面目サイコパスとただ可哀想な同級生 □アジサイ:不良の頭と臆病泣き虫 □ラベンダー:希死念慮不良とおバカ □デルフィニウム:執着傲慢幼馴染と地味ぼっち ムーンライトノベル様に別名義で投稿しています。 かなり昔に書いたもので、最近の作品と書き方やテーマが違うと思いますが、楽しんでいただければ嬉しいです。

王道にはしたくないので

八瑠璃
BL
国中殆どの金持ちの子息のみが通う、小中高一貫の超名門マンモス校〈朱鷺学園〉 幼少の頃からそこに通い、能力を高め他を率いてきた生徒会長こと鷹官 仁。前世知識から得た何れ来るとも知れぬ転校生に、平穏な日々と将来を潰されない為に日々努力を怠らず理想の会長となるべく努めてきた仁だったが、少々やり過ぎなせいでいつの間にか大変なことになっていた_____。 これは、やりすぎちまった超絶カリスマ生徒会長とそんな彼の周囲のお話である。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

目が覚めたら、カノジョの兄に迫られていた件

水野七緒
BL
ワケあってクラスメイトの女子と交際中の青野 行春(あおの ゆきはる)。そんな彼が、ある日あわや貞操の危機に。彼を襲ったのは星井夏樹(ほしい なつき)──まさかの、交際中のカノジョの「お兄さん」。だが、どうも様子がおかしくて── ※「目が覚めたら、妹の彼氏とつきあうことになっていた件」の続編(サイドストーリー)です。 ※前作を読まなくてもわかるように執筆するつもりですが、前作も読んでいただけると有り難いです。 ※エンドは1種類の予定ですが、2種類になるかもしれません。

スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活

昼寝部
ファンタジー
 この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。  しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。  そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。  しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。  そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。  これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

【連載再開】絶対支配×快楽耐性ゼロすぎる受けの短編集

あかさたな!
BL
※全話おとな向けな内容です。 こちらの短編集は 絶対支配な攻めが、 快楽耐性ゼロな受けと楽しい一晩を過ごす 1話完結のハッピーエンドなお話の詰め合わせです。 不定期更新ですが、 1話ごと読切なので、サクッと楽しめるように作っていくつもりです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 書きかけの長編が止まってますが、 短編集から久々に、肩慣らししていく予定です。 よろしくお願いします!

社畜サラリーマン、異世界で竜帝陛下のペットになる

ひよこ麺
BL
30歳の誕生日を深夜のオフィスで迎えた生粋の社畜サラリーマン、立花志鶴(たちばな しづる)。家庭の都合で誰かに助けを求めることが苦手な志鶴がひとり涙を流していた時、誰かの呼び声と共にパソコンが光り輝き、奇妙な世界に召喚されてしまう。 その世界は人類よりも高度な種族である竜人とそれに従うもの達が支配する世界でその世界で一番偉い竜帝陛下のラムセス様に『可愛い子ちゃん』と呼ばれて溺愛されることになった志鶴。 いままでの人生では想像もできないほどに甘やかされて溺愛される志鶴。 しかし、『異世界からきた人間が元の世界に戻れない』という事実ならくる責任感で可愛がられてるだけと思い竜帝陛下に心を開かないと誓うが……。 「余の大切な可愛い子ちゃん、ずっと大切にしたい」 「……その感情は恋愛ではなく、ペットに対してのものですよね」 溺愛系スパダリ竜帝陛下×傷だらけ猫系社畜リーマンのふたりの愛の行方は……?? ついでに志鶴の居ない世界でもいままでにない変化が?? 第11回BL小説大賞に応募させて頂きます。今回も何卒宜しくお願いいたします。 ※いつも通り竜帝陛下には変態みがありますのでご注意ください。また「※」付きの回は性的な要素を含みます

処理中です...