21 / 32
第一章 偽りの皇帝
第二十話*
しおりを挟む
紅焔の唇は柔らかく、掠めるようなものだったが、触れられた瞼が熱くなる。
確かに神経の通った瞼が、自分のものではないような感覚に煌威は襲われた。眠くもないのに瞼が開かない。
かと言って、無理に開けようとは思わなかった。紅焔が無体な真似を働く男ではないと知っていたのもあるが、紅焔が望むならそれに応えたいと思う自分がいたのだ。
閉じた瞼の向こうで、紅焔の喉が鳴る音を聞く。その気配から、煌威は顔を覗き込まれていることを察した。
熱く、震える吐息が頬にかかり、そのまま喉仏を舐るように首筋に吸いつかれる。
今度は煌威が喉を鳴らす番だった。
式典用の冕冠に合わせて用意された袞衣の、きっちりと締められていた帯を紅焔の手によって解かれる。
煌威が思わず瞼を開けば、帯の下の蔽膝に刺繍された、とぐろを巻く雄大な龍の尾が、寝台の縁を泳ぐように落ちていった。
緩やかな衣ずれの音が、静かな部屋の中ではやけに官能的に響く。
「……なぜ、抵抗しないのですか」
「抵抗して欲しいのか?」
「……」
煌威が微かに笑いながら返せば、紅焔は黙り込んだ。
抵抗されないのは嬉しいが、抵抗されなければ心配になる。紅焔はそんな顔をしていた。
理性と本能がせめぎ合っているのだろう。それを承知で、煌威は挑発するように紅焔の耳元で囁いた。
「わたしが、いいと言っているんだ」
「――ッ!」
吐息を吹きかけるように、耳朶に舌を這わせるように、誘惑する。
「紅焔。お前の望みは?」
「……この状況でそれを聞きますか?」
紅焔が皮肉げに笑った。
「……紅焔、わたしは皇帝になった」
「はい。おめでとうございます」
「ああ、だから……分かるだろう?」
――わたしのすることに口出し出来る人間は居ないし、その気になればわたしに逆らえるものはもう誰一人として居ない。
お前の望むことを、と。
紅焔が望むなら何でも叶えよう、と。
そう煌威が言外に告げれば、紅焔は顔をしかめた。
「そのようなことを言ってはいけない……」
「お前がそれをわたしに言うか?」
苦笑して返す。
此処は皇帝の寝殿だ。皇帝以外の男は立ち入り禁止と決まっている後宮だ。その男である紅焔を、この場所に留めていることが既に罪にあたる。即位して早々罪を犯しているのは申し訳ないと煌威も思うが、自分にそうさせたのは紛れなく紅焔だ。
「紅え……、!」
煌威は腕をその首に回そうと持ち上げて、しかし目的は果たされず、紅焔に捕えられた手首が寝台の上に柔らかく押さえつけられる。
「……自分は、武官です」
「知っている」
「……貴方より、七つも下の若輩です」
「それが?」
「……俺は、女でもない」
「今更か? お前が女だったら、わたしは押し倒されてないぞ?」
「……もし、俺が女だったら?」
「わたしが押し倒してた」
明け透けで、あられもない告白だ。
ふと、紅焔が笑った。つられて、煌威も笑う。
そっと唇に触れてきた紅焔の指の腹は、硬いものの滑らかだった。人差し指と中指を使って、端からスルリと撫でられる。
煌威が反射で半開きだった口を閉じれば、紅焔はその上唇に人差し指を添え固定し、中指で下唇を強引に押し開いてきた。
カツン、と。煌威は自分の歯と、紅焔の爪がぶつかる音を聞く。
「……ン、」
口腔を愛撫するように紅焔に撫でられ、お返しにと煌威は彼の指の腹を舐め上げた。
ピクリ、と反応した紅焔の下半身を太腿に感じる。
煌威はそれに、可愛い反応をしてくれる、と内心思いながら、押さえつけられた手首はそのままに、首だけを動かして眼前の紅焔の鼻梁に口付けた。
「……繰り返すぞ?紅焔」
揺れる熱情を持て余す、獣のように瞳孔が開いた紅焔の瞳を間近に微笑む。
「紅焔、お前の望みは?」
紅焔の瞳の中に、酷く醜悪な顔で笑う自分を煌威は見た。
――わたしは、もう紅焔を皇帝には望めない。
煌威は、自分が先帝の血を引いていないと知ったとき、ぬか喜びすらなくその意味がなくなってしまった。煌威が皇帝でいてこそ意味がある。そんな状況になってしまった。
煌威が我儘を通せば、帝国が滅ぶ。そんな可能性が無いとは言いきれない。
先帝の血を引いていない男が、皇帝になりたくないと望むことを我儘と言う状況が、煌威も正常だとは言わない。いや、おかしい。異常だ。
だが、いくら煌威でも分別はある。それでも自分の望みを優先させるほど、愚かではない。
だから、紅焔の望みだけでも、煌威はすべて叶えようと思った。
かつて主にと望んだ、唯一の人間。
なぜこれほどに心惹かれるかは未だ分からない。ただ自分にとって、紅焔以上の存在はないと思わせた事実だけが確かで不変だった。
その紅焔の望みを叶えることが出来る地位。それが皇帝なのだと。それだけが、煌威に残された最後の希望だった。
「……初めてお会いしたときから、お慕いしておりました」
押さえつけていた煌威の手首を離し、紅焔がゆっくりと身を起こした。
「うん」
寝台の上で膝を折る紅焔に、向き合う形で煌威も上半身を起こす。
「俺は、貴方に仕えたい」
「そうか」
「貴方だけを……主と仰ぎたい。貴方の、一番傍に在りたい。貴方の全てが、知りたい」
「…………」
その意味を、正しく理解して言っているのだろうかと煌威は思う。
煌威だけを主とすることは、煌威が死した後も追従するということだ。
煌威の一番傍にと望むのは、どんなに汚い泥も共に被るということだ。
煌威の全てを欲するのは、自分の全ても捧げることだ。
一蓮托生。運命共同体。煌威が紅焔を皇帝としたいと同時に望んだもの。それとまったく同じものを、まさか紅焔本人から求められるとは思ってもみなかった。
煌威の唇が、自然とつり上がる。
「……わかった。お前が一番側で、わたしに侍ることを許そう」
「! ありがたき……」
興奮に顔を紅潮させる紅焔に、投げ出していた左足を恭しく取られ、その爪先に口付けられた。忠誠を誓うという意味なのだろう。
爪先から足の甲、脛と紅焔の唇が移動するのを、淫靡になる雰囲気と共に煌威は享受する。
夜の帳が上がるまで、それは続いた。
確かに神経の通った瞼が、自分のものではないような感覚に煌威は襲われた。眠くもないのに瞼が開かない。
かと言って、無理に開けようとは思わなかった。紅焔が無体な真似を働く男ではないと知っていたのもあるが、紅焔が望むならそれに応えたいと思う自分がいたのだ。
閉じた瞼の向こうで、紅焔の喉が鳴る音を聞く。その気配から、煌威は顔を覗き込まれていることを察した。
熱く、震える吐息が頬にかかり、そのまま喉仏を舐るように首筋に吸いつかれる。
今度は煌威が喉を鳴らす番だった。
式典用の冕冠に合わせて用意された袞衣の、きっちりと締められていた帯を紅焔の手によって解かれる。
煌威が思わず瞼を開けば、帯の下の蔽膝に刺繍された、とぐろを巻く雄大な龍の尾が、寝台の縁を泳ぐように落ちていった。
緩やかな衣ずれの音が、静かな部屋の中ではやけに官能的に響く。
「……なぜ、抵抗しないのですか」
「抵抗して欲しいのか?」
「……」
煌威が微かに笑いながら返せば、紅焔は黙り込んだ。
抵抗されないのは嬉しいが、抵抗されなければ心配になる。紅焔はそんな顔をしていた。
理性と本能がせめぎ合っているのだろう。それを承知で、煌威は挑発するように紅焔の耳元で囁いた。
「わたしが、いいと言っているんだ」
「――ッ!」
吐息を吹きかけるように、耳朶に舌を這わせるように、誘惑する。
「紅焔。お前の望みは?」
「……この状況でそれを聞きますか?」
紅焔が皮肉げに笑った。
「……紅焔、わたしは皇帝になった」
「はい。おめでとうございます」
「ああ、だから……分かるだろう?」
――わたしのすることに口出し出来る人間は居ないし、その気になればわたしに逆らえるものはもう誰一人として居ない。
お前の望むことを、と。
紅焔が望むなら何でも叶えよう、と。
そう煌威が言外に告げれば、紅焔は顔をしかめた。
「そのようなことを言ってはいけない……」
「お前がそれをわたしに言うか?」
苦笑して返す。
此処は皇帝の寝殿だ。皇帝以外の男は立ち入り禁止と決まっている後宮だ。その男である紅焔を、この場所に留めていることが既に罪にあたる。即位して早々罪を犯しているのは申し訳ないと煌威も思うが、自分にそうさせたのは紛れなく紅焔だ。
「紅え……、!」
煌威は腕をその首に回そうと持ち上げて、しかし目的は果たされず、紅焔に捕えられた手首が寝台の上に柔らかく押さえつけられる。
「……自分は、武官です」
「知っている」
「……貴方より、七つも下の若輩です」
「それが?」
「……俺は、女でもない」
「今更か? お前が女だったら、わたしは押し倒されてないぞ?」
「……もし、俺が女だったら?」
「わたしが押し倒してた」
明け透けで、あられもない告白だ。
ふと、紅焔が笑った。つられて、煌威も笑う。
そっと唇に触れてきた紅焔の指の腹は、硬いものの滑らかだった。人差し指と中指を使って、端からスルリと撫でられる。
煌威が反射で半開きだった口を閉じれば、紅焔はその上唇に人差し指を添え固定し、中指で下唇を強引に押し開いてきた。
カツン、と。煌威は自分の歯と、紅焔の爪がぶつかる音を聞く。
「……ン、」
口腔を愛撫するように紅焔に撫でられ、お返しにと煌威は彼の指の腹を舐め上げた。
ピクリ、と反応した紅焔の下半身を太腿に感じる。
煌威はそれに、可愛い反応をしてくれる、と内心思いながら、押さえつけられた手首はそのままに、首だけを動かして眼前の紅焔の鼻梁に口付けた。
「……繰り返すぞ?紅焔」
揺れる熱情を持て余す、獣のように瞳孔が開いた紅焔の瞳を間近に微笑む。
「紅焔、お前の望みは?」
紅焔の瞳の中に、酷く醜悪な顔で笑う自分を煌威は見た。
――わたしは、もう紅焔を皇帝には望めない。
煌威は、自分が先帝の血を引いていないと知ったとき、ぬか喜びすらなくその意味がなくなってしまった。煌威が皇帝でいてこそ意味がある。そんな状況になってしまった。
煌威が我儘を通せば、帝国が滅ぶ。そんな可能性が無いとは言いきれない。
先帝の血を引いていない男が、皇帝になりたくないと望むことを我儘と言う状況が、煌威も正常だとは言わない。いや、おかしい。異常だ。
だが、いくら煌威でも分別はある。それでも自分の望みを優先させるほど、愚かではない。
だから、紅焔の望みだけでも、煌威はすべて叶えようと思った。
かつて主にと望んだ、唯一の人間。
なぜこれほどに心惹かれるかは未だ分からない。ただ自分にとって、紅焔以上の存在はないと思わせた事実だけが確かで不変だった。
その紅焔の望みを叶えることが出来る地位。それが皇帝なのだと。それだけが、煌威に残された最後の希望だった。
「……初めてお会いしたときから、お慕いしておりました」
押さえつけていた煌威の手首を離し、紅焔がゆっくりと身を起こした。
「うん」
寝台の上で膝を折る紅焔に、向き合う形で煌威も上半身を起こす。
「俺は、貴方に仕えたい」
「そうか」
「貴方だけを……主と仰ぎたい。貴方の、一番傍に在りたい。貴方の全てが、知りたい」
「…………」
その意味を、正しく理解して言っているのだろうかと煌威は思う。
煌威だけを主とすることは、煌威が死した後も追従するということだ。
煌威の一番傍にと望むのは、どんなに汚い泥も共に被るということだ。
煌威の全てを欲するのは、自分の全ても捧げることだ。
一蓮托生。運命共同体。煌威が紅焔を皇帝としたいと同時に望んだもの。それとまったく同じものを、まさか紅焔本人から求められるとは思ってもみなかった。
煌威の唇が、自然とつり上がる。
「……わかった。お前が一番側で、わたしに侍ることを許そう」
「! ありがたき……」
興奮に顔を紅潮させる紅焔に、投げ出していた左足を恭しく取られ、その爪先に口付けられた。忠誠を誓うという意味なのだろう。
爪先から足の甲、脛と紅焔の唇が移動するのを、淫靡になる雰囲気と共に煌威は享受する。
夜の帳が上がるまで、それは続いた。
0
お気に入りに追加
85
あなたにおすすめの小説
黄色い水仙を君に贈る
えんがわ
BL
──────────
「ねぇ、別れよっか……俺たち……。」
「ああ、そうだな」
「っ……ばいばい……」
俺は……ただっ……
「うわああああああああ!」
君に愛して欲しかっただけなのに……
家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!
灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。
何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。
仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。
思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。
みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。
※完結しました!ありがとうございました!
傷だらけの僕は空をみる
猫谷 一禾
BL
傷を負った少年は日々をただ淡々と暮らしていく。
生を終えるまで、時を過ぎるのを暗い瞳で過ごす。
諦めた雰囲気の少年に声をかける男は軽い雰囲気の騎士団副団長。
身体と心に傷を負った少年が愛を知り、愛に満たされた幸せを掴むまでの物語。
ハッピーエンドです。
若干の胸くそが出てきます。
ちょっと痛い表現出てくるかもです。
オッサン、エルフの森の歌姫【ディーバ】になる
クロタ
BL
召喚儀式の失敗で、現代日本から異世界に飛ばされて捨てられたオッサン(39歳)と、彼を拾って過保護に庇護するエルフ(300歳、外見年齢20代)のお話です。
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
真面目系委員長の同室は王道転校生⁉~王道受けの横で適度に巻き込まれて行きます~
シキ
BL
全寮制学園モノBL。
倉科誠は真面目で平凡な目立たない学級委員長だった。そう、だった。季節外れの王道転入生が来るまでは……。
倉科の通う私立藤咲学園は山奥に位置する全寮制男子高校だ。外界と隔絶されたそこでは美形生徒が信奉され、親衛隊が作られ、生徒会には俺様会長やクール系副会長が在籍する王道学園と呼ぶに相応しいであろう場所。そんな学園に一人の転入生がやってくる。破天荒な美少年の彼を中心に巻き起こる騒動に同室・同クラスな委員長も巻き込まれていき……?
真面目で平凡()な学級委員長が王道転入生くんに巻き込まれ何だかんだ総受けする青春系ラブストーリー。
一部固定CP(副会長×王道転入生)もいつつ、基本は主人公総受けです。
こちらは個人サイトで数年前に連載していて、途中だったお話です。
今度こそ完走させてあげたいと思いたってこちらで加筆修正して再連載させていただいています。
当時の企画で書いた番外編なども掲載させていただきますが、生暖かく見守ってください。
天寿を全うした俺は呪われた英雄のため悪役に転生します
バナナ男さん
BL
享年59歳、ハッピーエンドで人生の幕を閉じた大樹は、生前の善行から神様の幹部候補に選ばれたがそれを断りあの世に行く事を望んだ。
しかし自分の人生を変えてくれた「アルバード英雄記」がこれから起こる未来を綴った予言書であった事を知り、その本の主人公である呪われた英雄<レオンハルト>を助けたいと望むも、運命を変えることはできないときっぱり告げられてしまう。
しかしそれでも自分なりのハッピーエンドを目指すと誓い転生───しかし平凡の代名詞である大樹が転生したのは平凡な平民ではなく……?
少年マンガとBLの半々の作品が読みたくてコツコツ書いていたら物凄い量になってしまったため投稿してみることにしました。
(後に)美形の英雄 ✕ (中身おじいちゃん)平凡、攻ヤンデレ注意です。
文章を書くことに関して素人ですので、変な言い回しや文章はソッと目を滑らして頂けると幸いです。
また歴史的な知識や出てくる施設などの設定も作者の無知ゆえの全てファンタジーのものだと思って下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる