彼岸の傾城傾国

高嗣水清太

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第一章 偽りの皇帝

第十四話

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 煌威こういの兄妹は、異母兄妹を抜かせば煌凛こうりんただ一人だ。二十七年生きてきて常識になっているその情報に、新しい情報を提示されてもすぐに受け入れられる筈もない。しかも、それが北戎棟梁ほくじゅとうりょうからの情報となれば、姉だと言われても簡単に納得できる筈もなかった。
 だいたい、北戎ほくじゅの娘が姉だと言われても、おかしいだろう問題が一つある。

「……失礼でなければ、御息女はわたしと同年の筈だが」

 ――同い年。そう、同い年だ。北戎ほくじゅの娘は、煌威こういと同年だった筈である。
 それが自分の姉とは、いささかおかしな話ではないか、と煌威こういが苦笑混じりに李冰りひょうに振って、

「……娘は春生まれだが、煌威こうい殿は?」
「……冬だ」

 言葉に詰まった。墓穴を掘ったと言ってもいい。

 おかしくは、ない。子供が出来て生まれるまでの期間は一年に満たない。同腹でも年子は有り得る。知識人なら誰しもが知っていることであり、母親ならなおのことだ。

「…………」

 ちらり、と煌威こういは皇后をうかがい見て、その顔から血の気が引いているのを確認する。
 それは、真実だと言っているも同然だ。

「父親は違うがな」

 李冰りひょうが苦々しく笑う。

 一体、なにを言っている?と。馬鹿なことを、と。
 李冰りひょうに対して言えない状況と、皇后の不貞を疑う自分が悪だと思えない心情に、煌威こういは顔をしかめるしかなかった。

 今までの会話から考えみるに、どう見ても李冰りひょうは被害者だ。それも、女を使われてはめめられたと言われたら言い逃れできない。
 帝国の皇帝と皇后が、人間の男であれば抗い難い誘惑と責任感を利用した罠に、李冰りひょうを嵌めたという考え方が煌威こういから見ても濃厚だった。
 昔からある、美人連環びじんれんかんけいだ。密かに北戎ほくじゅを内側から滅ぼそうとした、ということになる。

 しかし、連環の計に一国の皇后を使うだろうかという疑問も残る。本来ならこのはかりごとは、未婚の美人を使うものであるし、皇帝が溺愛する皇后を奸計かんけいに使うとは、煌威こういにはどうしても思えなかった。
 高貴な身分の女は戦利品と同じ扱いで、強国に貢物みつぎものとして献上することもままある話だが、北戎ほくじゅ相手ではその説は有り得ない。

 さらにもう一つ。
 皇后の絶望に染まった表情を見ると、煌威こういは母親が望んでやったこととは思えなかった。というより、事情が違う気さえする。

 けれど、李冰りひょうにはもう事情など関係ないのだろう。
 煌威こういの推測が正しければ、李冰りひょうは三十年近く皇后を、妻だと信じていた女を、探し続けていたことになる。
 愛して信じ、探し続けていた女が自分を裏切っていた――。
 どんな事情があったにせよ、許せるものではないことなど想像がつく。
 信じていた年月が長ければ長いほど、裏切られたときの恨みは深く根深い。可愛さ余って憎さ百倍とはこのことだろう。


「奸計を企てられ、娘を殺されて黙ってはいられない。明日の朝議で正式に宣戦布告させて頂く」

 きびすを返す李冰りひょうに、皇后がすがるような視線を向けた。
 
「っ! まって……ッ」

 手を伸ばす皇后の姿が、李冰りひょうにも一瞬とはいえ見えた筈だ。
 だが、李冰りひょうは一度も振り返ることなく、来た方向とは逆に去っていった。

 これから、開戦の準備にかかるのだろう。
 煌威こういは最悪の形で開戦されることが分かっていながら、何も出来ない自分が情けなく、そして更に自分は何も知らなかった事実が虚しかった。

「……殿でん
「母上」

 紅焔こうえんかたわらにやってくるのを煌威こういは手で制して、立ち尽くす皇后の肩に触れる。震えていると思われたその肩は、意外にもしっかりとしており、怪訝けげんに思った。
 ついさっきまで、憐憫れんびんの情を誘う風情だった女の佇まいではない。

 煌威こういはふと皇后の顔を覗き込んで、絶望に染まっていた筈のその顔が、冷たく凍てついたものに変わっていて目を見張る。
 皇后と言えば、なにを考えているか分からないものの、いつも穏やかに微笑んでいる姿が印象的だった。その為、研ぎ澄まされた刃のような皇后はとてもいびつに映った。

「……煌威こうい
「……はい」

 静かに名を呼ばれ、応える。

「皇帝は、何処いずこに?」
「……っ!」

 軽く首を傾げながら問いかけてくる皇后の姿は、普段と変わりないように見えて、まったく違った。
 微笑んでいると見せかけて、眼が……笑っていない。

「……この城館の、主殿最上階かと」

 中庭の中央に位置する主殿を指しながら答える。
 皇后が無言で視線を中庭に移動させて主殿を見上げる様を、煌威こういは生唾を飲み込んで見守った。

「……そう。ありがとう」
「っ!」

 ゆるく微笑んだ皇后に寒気を覚える。
 これは、誰だ。と煌威こういは自問した。
 姿形は確かに皇后だ。己の母だ。
 だが、その顔に浮かぶのは、自分の記憶の中にある皇后とも、母とも、ただの女とも違う表情だった。

 回廊から中庭に降り立ち、ゆっくりと中央の主殿に歩いていく皇后の後姿を見送る。
 後に続く侍女達の様子も、常とは違いどこか怯えているようだった。


「……殿下」

 そっ、と紅焔こうえんの両手が、いつの間にか力んでいたらしい、煌威こういの肩に触れる。
 いつもなら安心感を与えただろう、包み込むようなその温かさに、逆に怖気おぞけを感じた。

 ――明日、文字通りすべてが終わる。
 そんな予感がした。
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