彼岸の傾城傾国

高嗣水清太

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第一章 偽りの皇帝

第十一話*

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 今まで、北戎ほくじゅの娘を殺したのは曉炎ぎょうえんが主犯という考えだった。
 煌威こういが現場で見た、あの意味ありげな笑みに、諸々の事情。曉炎ぎょうえんを主犯と捉えない材料のほうが少ない。
 あの笑みは、企みが成功してつい漏らしてしまった歓喜の笑みだと思っていた。
 だが、紅焔こうえんの言葉はこのすべてを覆すことだ。

曉炎ぎょうえん帝国くにではなく、個人わたしを欲していたからと言って、主犯ではないというのは早計過ぎないか?」

 こちらが想定していた目的が別でも、主犯でない証拠にはならないだろう、と煌威こういは言葉を返す。

「だからです。曉炎ぎょうえんは何よりも殿下に固執していました。賢かった曉炎ぎょうえんが、何よりも大事な場面、そして一番肝心なところで、つい笑ってしまうような愚行を犯すでしょうか」
「……有り得ないな」

 紅焔こうえんの返答に、「確かに」と煌威こういも頷いた。
 あくまで感情論の話で証拠にはならないという点では同じだが、曉炎ぎょうえんの狡猾さだけは信用している。
 あの曉炎ぎょうえんが、重要な場面でついうっかり愚行を犯すとは煌威こういにも思えなかった。
 ということは、あの愚行は確信犯だったわけになるが……

「……しかし、分からん」

 煌威こういが回廊の欄干らんかんに腰掛け、頭を掻きむしる。

「あの笑みがわざとだったとして、なぜわたしに見せた? 理由がまったく分からん」
「殿下に見て欲しかったからでは?」
「うん?」

 至極当然のように言われ、煌威こういは首を傾げた。
 正面に立つ紅焔こうえんを見上げる。

「どういう意味だ?」
曉炎ぎょうえんもあのとき、北戎ほくじゅの娘が降ってきたあの場で気づいた筈です。帝国を裏切ったものがいる、と。そして状況的に疑いは真っ直ぐ自分に向くだろうことも。……今、笑えば。殿下ならば、必ずそれに気づく。否が応でも殿下は自分を見る。そう、曉炎ぎょうえんは考えたのでは?」
「っ……そ、れは……!」

 煌威こういは思わず絶句した。

 ――紅焔こうえんばかり見る煌威わたしの視線を、己に向けさせたかった、と。
 曉炎ぎょうえんは、煌威こういの視線を己に向けさせる為に、大罪人の汚名も辞さなかったと。そういうことになる。


「……曉炎ぎょうえんは主犯と実行犯に見当があったのだろうか」

 最終的な切り札もなく、罪を被るなど曉炎ぎょうえんらしくない。そう考えれば、曉炎ぎょうえんは犯人達を知っていて然るべきだった。
 しかし、紅焔こうえんの返答は否定から入る。

「いえ、おそらく曉炎ぎょうえんも主犯に見当はなかったでしょう。分かっていたなら、曉炎ぎょうえんのことです。降って湧いた機会チャンスには乗らず、機会チャンスを利用する形で自分の目的を果たした筈だ」

 曉炎ぎょうえん紅焔こうえんにとって兄であるからか。「己と似通ったその思考は分かりやすく簡単に予想できる」と、苦笑して紅焔こうえんは言った。

「犯人に心当たりはなく、主犯も実行犯も分からなかった。しかしもう、殿下に対する恋慕は精神的に限界だった。だから、犯人は分からずとも曉炎ぎょうえんはこの機会チャンスに乗った。貴方が誤解することも計算して。貴方の眼に映してもらえるなら、自分は犯人として処刑されてもいいと」
「…………わたしの、眼……?」

 持ち上げられた紅焔こうえんの右手が、そっとこちらの頬に伸ばされるのを煌威こういは視界の端に捉えた。それをただ黙って眺める。特に忌避したいものではないと、反応は鈍るものだ。

「一時でもいい。貴方のその、黄金の眼に映る為に」
「――!」

 掌に固い豆のできた武骨な手が、優しく労るかのように煌威こういの頬を滑った。
 その親指が、唇で止まる。 

「貴方のその、唇で名を呼んでもらう為に」
「……っ、……」

 煌威こういはついそんなことの為に、と言いかけ、曉炎ぎょうえんの血に濡れた必死の形相を思い出して唇を引き結んだ。
 ――これでは、以前と同じだ。この傲慢ごうまんさが、曉炎ぎょうえんを追い詰めたというのに。

「……悪いことをした」
「いえ、殿下に責はありません。あれは曉炎ぎょうえんが悪い。自業自得です」
「……だが、わたしがもっと……いや、待て」

 周囲を見るべきだった、考えるべきだった、と反芻はんすうして、重要なことを忘れていたことに気づき総毛立つ。

 曉炎ぎょうえんが犯人ではないとしたら。
 実行犯どころか主犯も、野放しということになる。
 何も解決していない。北戎ほくじゅとの条約すら、いや、北戎ほくじゅとの条約自体が危うい。

「ッ紅え……!?」
  
 すぐに対策を取らねば、と煌威こういは腰を持ち上げようとして、紅焔こうえんの眼を見た瞬間息を呑んだ。
 ――またあの眼だ。と、呼吸を止める。
 甘い、蜂蜜色の双眸そうぼうが妖しい光をたたえていた。
 自然と溢れてくる唾を飲む。 

「っ、……ッ」

 紅焔こうえん、と呼ぼうとして。声を出そうとしても出ないのは、何故なのか。

 かさついた紅焔こうえんの人差し指が、煌威こういの頬骨をくすぐるように撫で、中指が顎のラインを辿たどる。
 煌威こういは自分の心臓が大きく軋む音を聴いた。どくどくとうるさい心音がそれに続く。肩の痣に口付けられたことを思い出した身体が、じわりと熱を持っていた。
 動揺を悟られないように、煌威こういは拳を握る。
 しかし、紅焔こうえんの薬指と小指が急所の一つである首の動脈に触れた瞬間、思わず体が震えた。

「……殿下?」

 紅焔こうえんが目を見開く。触れた動脈から早鐘はやがねを打つ煌威こういの心臓を察したのだ。
 煌威こういが気づかれたと思う間もなく、紅焔こうえんは弾かれたように触れていた手を離した。
 咄嗟とっさ煌威こういも視線を外す。

 微妙な空気が流れた。
 お互い、どうにも謝るのは違う気がするし、かと言ってこのまま何事もなかったように会話を続けるのも違う気がする。

 正解を模索して、煌威こういが悩みあぐねていたときだ。微妙だった空気がふと揺れた。

「……殿下」

 静かに、けれど尖った声で注意を促すような紅焔こうえんの声を聞く。
 何だ、と煌威こういが目で訴えれば視線で促され、紅焔こうえんが促す先に目をやって、反射的に腰掛けていた欄干から立ち上がった。

 正面からしずしずと歩いてくる女の姿に眉を寄せる。
 距離的に顔の造形は分からないが、襟ぐりや袖はゆったりした右衽うじん方領ほうりょうで、幅広の布の帯を締めている姿は優美だが活動的ではない。
 妙齢の、女だ。
 背後に三人の侍女をつけていることから、身分の高い女だということは分かるが、この城陽じょうようで今いる身分の高い帝国側の女は煌凛こうりん以外に居ない筈だった。
 ゆっくりと煌威こうい達に近づいてくる姿が鮮明になっていく。

 女は艶やかな黒髪を頭上で高く結び、金属製の華を象った繊細な飾りで留めていた。それだけでも人目を引く装いであるのに、高く頭上で結んだ髪を二つに分けて、それぞれを輪にした髪の先端は飾り芯の部分に差し込む、独特の髪型をしている。
 髪飾りをふんだんに使った装飾は、金属製の繊細な飾り留めだけではなく、準輝石じゅんきせきのピン、翡翠のくし、文字通り歩くと揺れる房のついた歩揺ほようと、実務的な装いというより地位を表す華美なものだ。

 煌威こういの隣で紅焔こうえんが息を呑み、すぐにひざまずく。 
 ――なぜ此処に。そう思うが、煌威こういの口から出た言葉は、どうにもマヌケなものだった。

「……え?」

 首都である朝暘ちょうようの皇居で、待っている筈の皇后が、母親がそこに居たからだ。

「久しぶりですね、煌威こうい

 皇后は煌威こういを見て、ゆったりと微笑んだ。
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