彼岸の傾城傾国

高嗣水清太

文字の大きさ
上 下
11 / 32
第一章 偽りの皇帝

第十話

しおりを挟む
 曉炎ぎょうえん煌威こういにとって父親の弟の息子で、三人いる従兄弟の内の一人で、幼い頃は唯一の遊び相手だった。
 顔つきも今とは違い、曉炎ぎょうえんは普通の、それこそ紅焔こうえんとよく似た眼をした子供だったと煌威こういは記憶している。
 当時は、従兄弟というよりは友。この言葉が一番しっくりくる関係だったかもしれない。

 幼い頃は常に一緒に居た。どこへ行くにも煌威こういの後には曉炎ぎょうえんが付いてきた。
 同年であるにも関わらず、護衛だったと煌威こういが気づいたのは、ずいぶんと後のことだ。
 今思えば、おそらく将来は次期皇帝の補佐役として、幼い頃から曉炎ぎょうえんは教育されていたのだろうと考える。 
 まだ煌凛こうりんどころか他の弟妹も生まれていなかったあの頃は、皇帝の子供は煌威こうい一人だったからだ。

 将来、皇帝の補佐役になる為の教育を受け、周囲からもそう期待され、こう在るべきだと人の善意という名の脅迫に晒され続ければどうなるのか。そう考えられなかった過去の自分を、煌威こういはできるなら殴りたい気分だった。
 幼かった、と言ってしまえばそれまでで、万事を見通せないのは人間である限り当たり前だが、自分はそれが許されない立場の人間だったのに。

 煌威こういは、曉炎ぎょうえんが自分のことを嫌っていると思っていた。根拠も証拠もなく、決めつけていた。
 紅焔こうえん一人に必要以上に執着する自分は、皇帝には相応しくないと。なぜ皇太子が曉炎じぶんではなく煌威わたしなのかと、そう思われているものとばかり思っていた。

 曉炎ぎょうえんも、元から今のような悪漢あっかんではなかったと、幼い頃を知っている煌威こういはわかっていた筈なのに。
 紅焔こうえんの存在を知ってから、周囲に対する対応がぞんざいになったのを、曉炎ぎょうえんはどんな気持ちで見ていたのか。

 ――今はもう、聞くこともできない。


 煌龍帝国こうりゅうていこく首都、朝暘ちょうようには、池・石・木・橋・亭、五つの要素を組み合わせて、世の中に存在しない仙土・桃源郷を現実化させたと言われる庭園がある。煌威こういが幼い頃から見慣れている、皇家庭園がそれだ。
 それはそれで美しいが、此処城陽じょうようの領主邸城館にある、回廊で外界と遮断された私家庭園も負けずとも劣らないものだった。

 煌威こういにとって、曉炎ぎょうえんとの思い出など幼い頃ならいざ知らず、今はほとんど無いも同然である。
 だが、この回廊に立ち庭園を見渡していると、瞼の裏に悪漢ではなかった頃の、曉炎ぎょうえんの顔が浮かんでくるようで苦い気持ちになった。

 人が一人死んだ現場だというのに、庭園のその景観の美しさは少しも損なわれていない。むしろ、その美しさに磨きがかかっていると言ってもいいほどの美観びかんが、また煌威こういの感情を強くした。


 城陽じょうようの庭園には皇家庭園と違って池はないが、太湖石と黄石がよく使われていた。
 黄石は築山に味わいのある景観を作り出していて、一方、太湖石は石単体で庭に配置されている。太湖石は太湖の湖底から採られる石で、長年太湖の水によって浸食された結果、多くの穴が開いて複雑な形をしているものが多い。
 大きな穴や多くの穴が開いていて反対側が見える太湖石は、一説には向こう側・・・・を覗けるとも言われた。
 ――だから、かもしれない。曉炎ぎょうえんがそこにいるような気分になるのは。
 

「……殿下」

 控えめに声をかけられる。
 振り返り見る必要もなく、それが紅焔こうえんだと分かった自分に煌威こういは苦笑した。
 かけられた声に、香ってくる匂い。そして常人には分からないだろう、気配すら紅焔こうえんを形作るものとして覚えた自分は、どれほど曉炎ぎょうえんないがしろにしてきたのだろうか、と。

「……貴方に落ち度はありません」

 紅焔こうえんが言った。
 落ち度、という点で言うならそれは間違いだ。自分は、落ち度だらけだと煌威こういは思う。
 煌威こうい紅焔こうえんに盲目になり、曉炎ぎょうえんを誤解し、それが元で彼を追い詰めたのだ。落ち度でなくて何と言おう。

 結局、曉炎ぎょうえんは晒し首になった。
 既に息の根は紅焔こうえんによって止められていた為、民の前で公開処刑はできなかったが、自分の私利私欲で帝国を裏切った大罪人としてだ。
 これで北戎ほくじゅとの条約は一歩、先に進むだろうがどうにもやるせなかった。

 改めて思う。
 煌威こういは、皇太子として国を思う気持ちに変わりなく、国務は誠心誠意こなしたし、人道に反することもしていないつもりだ。
 だが、曉炎ぎょうえんの顔つきがいつから悪漢と言われるものに変わったのか覚えていないことを考えると、どう考えても自分は次期皇帝には相応しくない。

 曉炎ぎょうえんは、常に冷静に物事を見て、捉えていたのだと思う。
 導き出された答えが、支配下に置いたこの土地で暮らす国民の為に、煌龍帝国こうりゅうていこくという名の歴史の為に、帝国を我が物とすることなのであれば、煌威こういに批難する資格はなかった。
 ――いや、曉炎ぎょうえんの望みが国ではなく、本人が語った通り自身だったとしても、煌威こういに批難する資格はなかった。それだけ、煌威こういは見ていなかったのだ。臣下が、曉炎ぎょうえんが何を望み、何に焦がれていたかに気づかなかった。

 しかし、資格と権利、そして義務は別問題だ。煌威こうい曉炎ぎょうえんを批難する資格はなくとも、国を挙げての戦争で叛逆を企てている臣下を止める権利はあり、帝国の皇子として国を護る義務はある。

 これは、その結果だと紅焔こうえんが言っているのは分かる。
 だが、煌威こうい自身がそれを認めることはできなかった。一旦の原因は、間違いなく自分にあるのだと、煌威こういは考えていたからだ。


「……殿下」

 今度は疑念を含んだ声だった。
 状況から哀れみなら納得できるが、疑念の声にふと煌威こういの心が騒ぐ。

「……本当に、兄上が……曉炎ぎょうえんが犯人なのでしょうか?」

 紅焔こうえんが続けた言葉は理解不能で、煌威こういは思わず振り返りその顔を凝視した。
 紅焔こうえんは微かな笑みもなく、唇を真一文字に引き結び、真剣な顔でこちらを見ている。
 けれど、煌威こういは返す言葉が見つからず、口を数回開けては閉じることを繰り返した。まったく予想すらしていなかった言葉に、返答も何もない。

曉炎ぎょうえんは賢い男です」

 知っている。煌威こういはそう返そうとして、また口を噤んだ。そんなことは紅焔こうえんの経験からして、百も承知のことだろう。
 
「自分は、暗殺を仕組んだのが兄である曉炎ぎょうえんだと、気づくのに三年かかりました」
 
 ――ああ、そうだ。わたしも、曉炎ぎょうえん紅焔こうえんを殺そうとしていることに気づくのに二年はかかった。と、煌威こういは過去の記憶に思いを馳せる。
 それまで、煌威こういどころか誰にも尻尾を掴ませなかったのだ。曉炎ぎょうえんは。

 紅焔こうえんは顎に手をやりながら、「に落ちない」と呟く。

「笑ったところを見た……でしたね?」
 
 煌威こういは茫然としながらも、無言で頷く。
 北戎の娘の身投げに出くわしたとき、曉炎ぎょうえんの笑った顔を見たことは、忘れようと思って忘れられるものでもなかった。


 紅焔こうえん躊躇ためらいがちに、口を開く。

 ――それは、本当に?

「わざと、ということはないですか?」
「――!」

 紅焔こうえんの言葉に浮かんだ光景が、煌威こういを苛むように嘲笑った。


 ――『 お前のことだ。帝国を手に入れる為に俺が裏切った、とでも思ったんだろう 』


 曉炎ぎょうえんは確かに、北戎の娘を殺したのは自分だ、とは一言も言っていなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

灰かぶりの少年

うどん
BL
大きなお屋敷に仕える一人の少年。 とても美しい美貌の持ち主だが忌み嫌われ毎日被虐的な扱いをされるのであった・・・。

勇者召喚されて召喚先で人生終えたら、召喚前の人生に勇者能力引き継いでたんだけど!?

にゃんこ
BL
平凡で人見知りのどこにでもいる、橋本光一は、部活の試合へと向かう時に突然の光に包まれ勇者として異世界に召喚された。 世界の平和の為に魔王を倒して欲しいと頼まれて、帰ることも出来ないと知り、異世界で召喚後からの生涯を終えると……!? そこから、始まる新たな出会いと運命の交差。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

【完結】I adore you

ひつじのめい
BL
幼馴染みの蒼はルックスはモテる要素しかないのに、性格まで良くて羨ましく思いながらも夏樹は蒼の事を1番の友達だと思っていた。 そんな時、夏樹に彼女が出来た事が引き金となり2人の関係に変化が訪れる。 ※小説家になろうさんでも公開しているものを修正しています。

ホスト異世界へ行く

REON
ファンタジー
「勇者になってこの世界をお救いください」 え?勇者? 「なりたくない( ˙-˙ )スンッ」 ☆★☆★☆ 同伴する為に客と待ち合わせしていたら異世界へ! 国王のおっさんから「勇者になって魔王の討伐を」と、異世界系の王道展開だったけど……俺、勇者じゃないんですけど!?なに“うっかり”で召喚してくれちゃってんの!? しかも元の世界へは帰れないと来た。 よし、分かった。 じゃあ俺はおっさんのヒモになる! 銀髪銀目の異世界ホスト。 勇者じゃないのに勇者よりも特殊な容姿と特殊恩恵を持つこの男。 この男が召喚されたのは本当に“うっかり”だったのか。 人誑しで情緒不安定。 モフモフ大好きで自由人で女子供にはちょっぴり弱い。 そんな特殊イケメンホストが巻きおこす、笑いあり(?)涙あり(?)の異世界ライフ! ※注意※ パンセクシャル(全性愛)ハーレムです。 可愛い女の子をはべらせる普通のハーレムストーリーと思って読むと痛い目をみますのでご注意ください。笑

オメガなパパとぼくの話

キサラギムツキ
BL
タイトルのままオメガなパパと息子の日常話。

傷だらけの僕は空をみる

猫谷 一禾
BL
傷を負った少年は日々をただ淡々と暮らしていく。 生を終えるまで、時を過ぎるのを暗い瞳で過ごす。 諦めた雰囲気の少年に声をかける男は軽い雰囲気の騎士団副団長。 身体と心に傷を負った少年が愛を知り、愛に満たされた幸せを掴むまでの物語。 ハッピーエンドです。 若干の胸くそが出てきます。 ちょっと痛い表現出てくるかもです。

【完結】ここで会ったが、十年目。

N2O
BL
帝国の第二皇子×不思議な力を持つ一族の長の息子(治癒術特化) 我が道を突き進む攻めに、ぶん回される受けのはなし。 (追記5/14 : お互いぶん回してますね。) Special thanks illustration by おのつく 様 X(旧Twitter) @__oc_t ※ご都合主義です。あしからず。 ※素人作品です。ゆっくりと、温かな目でご覧ください。 ※◎は視点が変わります。

処理中です...