この愛のすべて

高嗣水清太

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 何が起きたのか一瞬では判断できず固まる俺を見て、雁屋かりやは一直線に歩いてくる。
 三年も一緒に野球をしたのに、その視線は他人を見るような鋭く尖ったもので、恐ろしくて震えた。
 気持ち悪いと言われるのだろうか。

「――っ」

 分かってくれた岩橋いわはしが特別だということは理解していたつもりだったが、やっぱり一年のときから一緒に野球をして一緒に苦難を乗り越えてきた雁屋の他人を見るような視線を悲しく感じた。
 だが、雁屋の口から出た言葉は予想外のものだった。

「なぁ! 悪いこと言わねぇから、この結婚やめたほうがいい!」
「ちょ……っ」

 西藤さいとうがオロオロしながら、激昂する雁屋の肩を掴む。

「なんだよ西藤だって本当はそう思ってんだろ!!」

 眉をつり上げ激昂していた雁屋が、眉を下げる西藤の顔を見てくしゃりと表情を崩すと、今にも泣きだしそうな面持ちで西藤の腕を振り払った。
 雁屋と西藤は、高校に入って野球部で出会ってからの仲ではあったけど、誰とでもフレンドリーに付き合う雁屋に口下手だけど誠実な西藤の関係は、言うなれば親友一歩手前の友達というやつだ。高校を卒業した今も連絡を取り合い、たまに遊んでいるらしいと昂志からの情報で知っていた俺は狼狽えた。
 雁屋は涙まじりのまま俺に向き直る。

「あんたには悪ぃけど五十嵐いがらしには他に本命がいるんだよ! 中学のときから想ってるヤツが! わけがあってソイツとは結婚できなくて……っ。だから五十嵐と結婚するのはやめたほうがいい! 絶対後悔するから……ッ」

 必死の形相で言う雁屋に混乱した。言っている意味が分からない。
 どういう意味だと口を開こうとしたとき、雁屋が乱暴に開け放ったままのドアの向こうから、駆け込んでくる足音がした。

「雁屋!!」

 額に汗の粒を浮かべて姿を現した昂志たかしを認めた雁屋の眉が再びつり上がる。

「どういうつもりだよ!!」
「ッぐ、」

 大股で近寄り有無を言わせず昂志を殴り飛ばす雁屋に、俺も岩橋も殴られた昂志本人すら呆気にとられる。

川邊かわべに似た女と結婚するとかふざけてんのか!」
「!」

 そこで初めて雁屋が俺を川邊樹かわべいつきだと見ていないことに気がついた。

「五十嵐と川邊の名前で結婚の招待状が来たからっ、二人が結婚するもんだと思って楽しみに来たってのに! 誰だよこの女!」

 ビシッと効果音がつきそうな勢いで、雁屋の指が俺を指す。

「川邊と顔が似てて、しかも同じ名前の女見つけてきたのは褒めてやるよ! でもそんな行動力あるなら、なんで同性婚が認められてる国で川邊と結婚しようとしなかったんだよ!!」
「……」

 なんか、これが修羅場ってやつなんだろうかと他人事のように思った。
 いや、雁屋が怒っているのは自分と昂志のせいだと分かっている。
 でも、雁屋が怒っている理由を考えると、それは俺には嬉しくて堪らないことだった。
 雁屋は、俺と昂志の仲を認めてくれていて怒っているんだ。男同士である俺と昂志の仲を。
 いつから気づかれていたのだろうかと思いつつ、感動で嗚咽が込み上げる。

「雁屋…」

 高鳴る胸を押さえ、雁屋の腕を掴んだ。

「……え?」

 雁屋の両目が見開かれる。
 その雁屋の背後で、西藤の目も動揺に色を変えた。

「俺が、川邊なんだ」

 何から言えばいいのか、どう説明すればいいのか。迷いながら言葉を選ぶ。

「俺も自分が男じゃなかったって知ったの、ここ一年のことで……」

 昂志の子を妊娠して、初めて自分の性別を知ったのだと。だから子供を産むことに決めて、性転換することにしたのだと。
 すべてを理解するには言葉が足りないだろうことは分かっていた。医師でもない自分には語彙がない。
 それでも雁屋に、西藤に認めて欲しくて言葉を重ねた。

「性転換なんて重大なこと黙って結婚式に招待してごめん。知られたら式に来てくれないんじゃないかって怖かったんだ。どうしても野球部の皆には式に来て欲しくて……、ごめん。雁屋、西藤」

 腰を折り頭を下げると、西藤が慌てて近寄ってくる気配を感じた。

「西藤…」

 優しく両肩を捕まれ、力でもって頭を上げさせられる。

「……、……」

 西藤は微笑むと、ゆっくりと頭を振った。
 気にしない、と言ってくれているのだろうか。
 西藤の反応に、雁屋のほうへ顔を向ける。

「雁屋……」

 恐る恐る声をかければ、雁屋は満面の笑みを浮かべていた。

「……なーんだ! だったら先にそう言ってくれよ!」
「え……」

 さっきまでの暗く尖った雰囲気を吹き飛ばすような、雁屋の明るい声に戸惑う。

「男でも女でも、川邊は川邊だ。俺の友達の川邊樹に変わりねーよ」
「……か、雁屋」
「おめでとう川邊」

 思わず涙ぐむ俺に、高校で一緒に野球をしていた頃と同じ、記憶にあるままの和やかな笑顔を浮かべて雁屋は言った。

「ありがとう……」
「……おぅ。ていうか、川邊の姉ちゃんがいるのに気づかない俺がおかしいよな。悪ぃ」

 涙がこぼれる前に、とティッシュを差し出してきた姉さんの姿を見た雁屋が苦笑する。

「そうだぜ、まったく……。思いっきり殴りやがって……」

 昂志が殴られた左頬を押さえ、悪態をつきながら立ち上がった。

「殴る前に人の話聞けってんだ」
「ちょっ、昂志! 雁屋そんなことないって! 普通なら気づかないもんなんだから」

 雁屋は悪くないと言えば、雁屋は一度俺を見てから昂志のほうを見て、バツの悪そうな顔をした。

「……五十嵐、悪ぃ。そうだよな、俺達友達で三年間チームメイトだったんだから、まず聞くべきだったし気づくべきだったよな」

 しょんぼりと落ち込む雁屋の肩を、慰めるように西藤が撫でる。
 行動で表すのは、高校のときから言葉少ない西藤の癖だった。

「雁屋……、本当にそんなことないって! 悪いのは大事なこと隠してた俺なんだから……」

 雁屋と西藤の姿に申し訳なくなり、負担を感じさせないよう言ったつもりでふと気づく。
 そうだ、本当に悪いのは俺だ。招待状を送った時点で性転換のことを言っていれば、雁屋は昂志を殴らなかったし昂志は雁屋に殴られたなかったんだから。

「……ごめん、雁屋。昂志も……ごめん」

 せっかくこの日の為に、昂志は似合わないと断固拒否していた白いタキシードを着てくれたのに、台無しだと眉を下げた。

「は?」
「え?」

 昂志と雁屋が目を丸くする。

「俺がどういう反応されるか怖い、とか言い訳しないで言っておけば……」
「いや、怖くて当たり前だろ。樹は悪くねーよ」
「そうだぜ、俺がもうちょっと冷静になれてれば……」
「いや、やっぱり俺が……」
「いや、俺も殴られたくらいで大人げなかったっつーか……」
「いや、殴られて怒るのは当たり前だろ」

 俺が謝った途端、いやいや俺が…となぜか三人で自分が悪いと言い合うことになってしまった。西藤が脇でオロオロしている。
 なんだこれ。コントか。


「……いや、もう三人とも悪いってことで、両成敗でいいんじゃない?」

 埒が明かない状況に見かねた姉さんが呆れたようにため息を吐いた。

「……」
「……」
「……」

 昂志と雁屋と俺と、三人顔を見合わせ漂う微妙な雰囲気に苦笑する。

「……ん、姉さんの言う通りにしようか」
「そうだな」
「賛成――っ」

 昔のようにケンカをしていてもいつの間にか笑い声が上がっている懐かしい感覚に、暗い気持ちが一転して温かいものに変わった。

「……な、雁屋。よかったら集まってくれてる皆に、式が始まる前に俺の身体のこと言っておいてくれないか?」

 たぶん、皆なら分かってくれるような気がした。あんなに怖かったことが、今なら大丈夫な気がした。

「え……でも……」

 いいのか?と雁屋が目で訴えてくる。

「ああ、大丈夫。雁屋が言ってくれた」

 俺は俺だって。

「本当は俺から伝えたいんだけど、いきなり俺が出ていってこの姿で言うより、事前に雁屋から言ってもらったほうが通じると思うんだ」

 悲しいけど今のこの姿では、勘違いした雁屋のように嫌われる以前に川邊樹だと気づいてもらえないかもしれないから。

「……本当に俺が言っちまっていいのか?」

 尚も心配そうに見てくる雁屋に、俺は苦しく破顔した。
 ――ああ、本当にバカだ俺は。こんな最高の友達を、今まで怖がって疑っていたなんて。

「大丈夫。結婚式の最中に雁屋みたいに勘違いしてまた昂志殴られても困るし」

 冗談めかして言うと、やっと眉間のシワをとった雁屋が了承の返事をくれた。

「……ははっ、確かに! 分かった川邊」

 笑顔で返された言葉にこちらも笑顔で頼むよと返そうとして、ドアをノックする音に遮られる。

「樹、いいかな?」
「父さん!?」

 聞こえた声は間違いなく父さんのもので、慌ててドアを開けた。

「悪いな……」

 式が始まる時間になっていたのか、迎えに来たという父さんを見た姉さんと雁屋、西藤、昂志が勢いよく壁にかけている時計を見上げた。

「嘘!」
「もうそんな時間!?」
「……っ!」
「やべぇ!」
「ちょっ、じゃあチャペルで! 参列してるわね!」
「あ、俺も!」

 姉さんの声に続き、雁屋と西藤ぁバタバタと慌ただしく走っていく。
 最後に昂志が部屋を出ていこうとして、ピタリと止まった。

「?」

 くるりと踵を返して戻ってくる。
 あ、なんかデジャヴ。前にもあったな、こんなん。と思った瞬間、昂志の両手が顔に伸びてきて固まった。
 ふわりと優しい手つきで頬を包まれる。

「……た、昂志?」

 父さんの前なのに、とドキドキしながら名前を呼べば、

「……じゃあ後で」

 昂志は嬉しそうに笑って部屋を出ていった。
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