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「まさか五十風があんなに古風な男だとは思わなかったよ」
土下座して『樹君を下さい』なんて、予想外過ぎて嬉しいやら恥ずかしいやら……。いや、嬉しかったけど。
父さんに殴られたせいで、腫れてきた五十風の頬に湿布を貼りながら苦笑する。
家の中でした二回目の土下座はともかく、一回目の外でした土下座はない。地面に額擦り付けるなんて本格的な土下座を人目がある外でするか?普通。あれじゃまるで罰ゲームだ。ふざけたお遊びの公開プロポーズみたいだったじゃないか。
そうからかえば、五十風は眉をつり上げた。
真剣な顔で両肩を掴まれる。
「バカ! お前、一家の長男を貰うんだぞ!? あれぐらい当たり前だ! 遊びとか言うな!!」
「!」
本気で、怒っていた。
五十風のこんな顔、野球関連以外では見たこともなくて、五十風がいかに真剣に自分を想って考えてくれていたのかを悟り、顔が熱くなるのを感じる。
嬉しいけど恥ずかしかった。堪らなく照れくさい。
でもその感情は、五十風の次の言葉に一瞬で霧散した。
「……あれ?そういや結局お前、今の身体だとどっちなんだ樹」
思わず、掴まれた肩が跳ねる。
「男じゃなくなったって言ってたけど、女になるとか実際マジであんのか?」
首を傾げながら言う五十風に悪気はないんだろう。
それを五十風に知られることが、俺にとってどれだけ恐ろしい事かなんて、五十風本人には分からなくて当然だ。
「あー……えっと……、正しく言えば俺は元から男だけど女でもあった、って感じかな? 両性具有ってヤツだよ」
何でもない風を装って答える。
「両性?」
「そう。両性具有にも色々あるけど、俺の場合は男女両方の性器と機能を備え持つ真性半陰陽ってタイプらしいよ」
もっと分かりやすい説明もあるだろうに、やっぱり五十風に直接説明する今の状況に動揺しているのか、俺は主治医の先生にされた診断を専門用語そのままに繰り返していた。
案の定、五十風は難しい顔をしている。
「よくわかんねーけど、それいつからなんだよ?」
「…………」
理解が難しいことを話している自覚はあった。一般常識から考えて、普通にありえない話だと否定されてもおかしくない。
だから、それでも受け入れようとしてくれる五十風の気持ちが嬉しくもあり怖くもあった。
五十風は優しいから、どんなことがあっても俺を一番に考えてくれる。自惚れでなく、愛されてると思う。父さんと母さんに啖呵を切ったあの言葉と土下座を見れば、疑う余地はない。
でも、全部を知ってもお前が変わらず俺を好きでいてくれる保証はないじゃないか。
「……両性具有の身体は生まれつきだけど、いつからっていうのが判明したのはって意味なら、5ヶ月前だよ」
たった半年前の事なのに、今はもう随分と昔な気がする。
「妊娠したって分かった時、初めて自分が両性具有だって分かったんだ」
そして俺は迷わず五十風から逃げた。だって男の俺が妊娠なんて、子供ができたなんて言える筈もない。
事あるごとに五十風の為にとか迷惑をかけたくないからなんて殊勝なことを言ったけど、逃げた本当の理由は自分が普通じゃないと五十風に知られることで、五十風の気持ちが離れるかもしれないと考えると、怖くて堪らなかったからだ。女々しいと言われるだろうけど、当時は不安で恐ろしくて仕方なかった。
だって好きだったんだ。いや、今でも好きなんだ。一緒に居られるだけで幸せなくらいに。
「……けっこう悩んだんだぞ?」
産もうかどうしようか。男でいるか女になるか。五十風の幸せの為には何が最善か。…結局、自分の欲望に負けて産む決心をしたんだけど。
しかもあれだけ五十風の幸せを主張して自分勝手に家族まで巻き込んだくせに、終いには自分の幸せの為に五十風の手を取っちゃって……。
ふと情けない自分を痛感して、俺は視線を落とした。が、
「……だからあの頃、お前の様子がおかしかったのか」
五十風の呆けたような声に思わず顔を上げる。
「……何、気づいてたの?」
「当たり前だ」
五十風は笑って俺の頭を小突いた。
「……気づいてたのに何も聞いてこなかったのは何で?」
「そんなの、お前を信頼してるからに決まってんだろ」
「!」
頬を、五十風の温かな両手に包まれ力強く引き寄せられる。
コツンと額と額を突き合わせ、五十風は甘く優しい、柔らかい笑みをその顔に浮かべて言った。
「あのな、いい加減恥ずかしいくらい何度も言うけど、俺はお前が男だろうと女だろうとどっちでもなかろうと、どうでもいいんだよ。樹は樹だろーが。俺は樹だから好きなんだ。樹も俺が好きだろ?お前に子供ができたって言うなら、そりゃ間違いなく俺の子だ。樹の子供が俺の子供じゃなくて何だってんだ」
相変わらずムチャクチャな五十風論法だ。でもそれが堪らなく嬉しい。
「性別なんて関係ねェ。お前が男でも女でも、子供ができたってなら俺とお前が結婚して育てるのが筋ってもんだろ」
どんな筋だそれは。
頭に浮かぶ悪態を無理矢理飲み込む。
本当は嬉しくて堪らないのに、それを否定して悪態をつきたくなるのは俺の悪い癖だ。
五十風にそんな意図は無かったにせよ、折角くれたチャンスだし、ここは素直にならないとダメなところだと、俺は勇気を振り絞ることにした。
「……っあ、のさ! 赤ちゃん……産んだら、出生届で戸籍の問題もあるし、性転換予定なんだ……だから、そのっ……け、結婚は……赤ちゃん、産んでからになると思う」
結婚する意志はあるんだと。むしろ俺も五十風と結婚したいんだと意志表示する。
でも五十風の返答は俺の予想を遥かに上回るものだった。
「……今すぐ入籍は無理でも式は挙げられるだろ」
「お、俺……式とかこだわんないよ? てか、俺男なんだし……あ、いや男だったんだし……」
結婚といっても、俺は入籍だけのつもりだったぶん、五十風の提案に面食らう。
「いや、俺は何もお前にウェディングドレス着ろとか言ってるわけじゃないぞ?」
「……着て欲しいのか? 俺にウェディングドレス……」
「あっ! いや、別にお前を女扱いしてるわけじゃなくてだなっ……何だったらお互いタキシードでも紋付き袴でもいいから、式挙げたいっつーか……!」
「……? 何で式にこだわるんだ? 五十風が一緒に居てくれるなら俺は別に……」
「!」
式を挙げることをなぜかゴリ押しする五十風が、バツが悪そうな顔をして黙り込む。
なぜそこまで式にこだわるのか、俺には五十風が分からなかった。
俺は元男で、両性具有と同時に妊娠が判明したから女になる半端者だ。好きな相手の子供を妊娠したから、産みたいと思ったから女になることを決めた特殊な人間だ。こんな奇異な人間と入籍してくれるってだけでも信じられないくらい幸せなのに、五十風は式を挙げたいって言う。俺を披露目たいって言う。
「……俺はお前とパートナーになったってこと、一生を捧げ合ったこと、それを皆に知ってもらいたいんだ」
「!!」
困惑している俺を察したのか、五十風の声の調子が変わった。
「神様とかじゃなくて、仲間達や家族に誓いたいんだ。樹を幸せにするって。俺達、幸せになりますって」
ドクン、と心臓が大きな音を立てる。
「自慢したいんだ。樹が俺を選んでくれた事を」
目の奥が熱くなって、身体が震えた。
「世話になった人達に、挨拶したいんだよ。……分かれよ」
五十風が照れたように言い捨てる。
俺は今、間違いなくこの世の中で誰よりも幸せだ。今まで生きてきた中で、一番幸せだ。でもだからこそ、見過ごせないこともある。
「……五十風こそ分かってるのか?」
それが、どういう意味か。
「俺と結婚するってことは、男だった俺と結婚するってことは、奇異な目で見られるってことなんだぞ?」
五十風の気持ちは嬉しい。すごく嬉しい。感動で泣けるくらいだ。五十風にだったら文字通り全部を捧げられる。
でもこれだけは俺も譲れない。
「地元のここで結婚式なんてしてみろ。みんな俺が男だったことを知ってる。絶対好奇な目で見られる。五十風は、男と結婚した……ホモだって中傷される」
野球で、甲子園目指して一緒に頑張ったチームメイトの皆だってどう思うか分からない。いくら同じ野球部で一緒に汗を流して努力した仲だって、気持ち悪いと思うのが普通だろう。
「俺は五十風に、嫌な思いも辛い思いもさせたくない」
自分だけなら我慢できる。でも五十風にまで嫌悪の視線が向かったらと思うと、怖くてとても式なんて挙げられなかった。
顔をしかめた五十風にジッと睨まれる。
けど、いくら睨まれようと俺は発言を撤回する気はない。
それを五十風も悟ったんだろう。深いため息を吐いた。
「……分かった。樹がそんなに言うなら、結婚は諦める」
「っ……っ!」
思わず、そこまで言ってない! と口を開きそうになった。俺は入籍だけでいいと言っただけだ。結婚が嫌だとは言ってない。
でもそんなのは、俺の勝手な都合でしかない。
考えてみれば結婚式を挙げることが嫌悪の視線に繋がるなら、入籍だって結局同じことだ。地元で入籍して一緒に暮らして子供を産めば、それはもう明らか好奇の的になるだろう。
しかも俺は外見が女に変わっている。同性愛者でニューハーフになったと勘違いされるだけならまだしも、産んだ子供まで養子じゃないかとか変に勘ぐられるなんて冗談じゃなかった。
好奇が嫌悪に変わるのなんて、容易に想像できる。
自分の自業自得なくせして、諦めると言った五十風の言葉に傷ついた自分に、嫌悪感を抱いた時だ。
「諦めるから、俺をお前のものにしてくれ」
「……?」
五十風から寄越された脈絡のない言葉に首を傾げる。
何の話だ?
「優しいお前でも、自分のものだったら平気だろ?」
「……? ……、……?」
理解が追いつかない俺を置いて、五十風は尚も続ける。
「お前、自分のことだったら何言われても平気なんだろ?樹、前からそうだったもんな。だから、俺をお前のものにしてくれよ」
「…? ちょ、待っ……え? ……え?」
分からない。意味が分からない。
いや、五十風が何を言いたいのか、思い当たる節があるにはある。でもまさか、そんな筈ない。そんな筈……
「そんで俺に命令してくれ。一生傍に居ろって」
「!!」
思わず息をのむ。
分からなかった意味が、思考回路が繋がった。
「それが嫌なら俺と結婚しろ」
「……は、ははっ……」
なんだそれ。結局、結婚は決定事項って事じゃないか。
五十風も意外に俺に負けず劣らず身勝手だ。
なのに、さっきからいやにその身勝手な男が格好良く見える。自分も男として生活していた頃には、こんなことはなかったのに。俺は中身まで女の子になってしまったんだろうか。
俺は自信ないんだ。五十風がいくら関係ないって言ってくれても、今の俺は『川邊樹』とはやっぱり全く違う。五十風が好きになってくれた『川邊樹』と違う。
今の俺は女だ。客観的に見れば、姉さんに似た顔をした女。
周りから好奇な目で見られて、それが苦痛になった五十風の気持ちが変わらないって保証はどこにもない。人の気持ちはいい意味でも悪い意味でも変わるんだから。
怖いんだ。どうしようもないんだ。だから、安心させて欲しい。結婚しろって言うなら、簡単に気持ちは変わらないって安心が欲しい。意味を持った言葉が欲しい。五十風の口から、俺だけに。父さんや母さんにじゃなくて、俺に。
「昂志……」
俺に、誓って欲しい。
俺の縋るような視線に、五十風は目を見張った後、困ったように笑った。
「……なあ樹。俺はさ……半端な気持ちでお前の親父さんとお袋さんに挨拶したわけじゃねぇんだぜ?」
苦笑して、俺の左手を取って持ち上げる。
「俺はお前が好きだ。お前が自分自身を嫌悪する程に変わっても、俺は変わらずお前を愛するよ。初恋舐めんな。誰に何を言われようと、この気持ちは絶対に変わらない自信がある。絶対にだ」
五十風は改めて俺を真っ直ぐ見つめると、恭しく薬指に口付けした。
「樹、俺と結婚しよう。後悔はさせない」
「……っっ」
待ち望んだ言葉に、涙腺が決壊した。
身体が嬉しさに悲鳴を上げる。
息が苦しくて、嗚咽ばかりが零れた。
今日は本当に泣いてばかりだ。でも今日だけは、いくら泣いたって構わないだろう。
「……な、返事は?」
不安そうに俺の涙を拭ってくる五十風の指に遅れて気づいてハッとする。
そうだ、自分はまだ返事をしていない。
緊張からか小刻みに震える五十風の指先を俺からも握り返し、俺は口を開いた。
「……はい。俺でよければ、不束者ですがよろしくお願いします」
土下座して『樹君を下さい』なんて、予想外過ぎて嬉しいやら恥ずかしいやら……。いや、嬉しかったけど。
父さんに殴られたせいで、腫れてきた五十風の頬に湿布を貼りながら苦笑する。
家の中でした二回目の土下座はともかく、一回目の外でした土下座はない。地面に額擦り付けるなんて本格的な土下座を人目がある外でするか?普通。あれじゃまるで罰ゲームだ。ふざけたお遊びの公開プロポーズみたいだったじゃないか。
そうからかえば、五十風は眉をつり上げた。
真剣な顔で両肩を掴まれる。
「バカ! お前、一家の長男を貰うんだぞ!? あれぐらい当たり前だ! 遊びとか言うな!!」
「!」
本気で、怒っていた。
五十風のこんな顔、野球関連以外では見たこともなくて、五十風がいかに真剣に自分を想って考えてくれていたのかを悟り、顔が熱くなるのを感じる。
嬉しいけど恥ずかしかった。堪らなく照れくさい。
でもその感情は、五十風の次の言葉に一瞬で霧散した。
「……あれ?そういや結局お前、今の身体だとどっちなんだ樹」
思わず、掴まれた肩が跳ねる。
「男じゃなくなったって言ってたけど、女になるとか実際マジであんのか?」
首を傾げながら言う五十風に悪気はないんだろう。
それを五十風に知られることが、俺にとってどれだけ恐ろしい事かなんて、五十風本人には分からなくて当然だ。
「あー……えっと……、正しく言えば俺は元から男だけど女でもあった、って感じかな? 両性具有ってヤツだよ」
何でもない風を装って答える。
「両性?」
「そう。両性具有にも色々あるけど、俺の場合は男女両方の性器と機能を備え持つ真性半陰陽ってタイプらしいよ」
もっと分かりやすい説明もあるだろうに、やっぱり五十風に直接説明する今の状況に動揺しているのか、俺は主治医の先生にされた診断を専門用語そのままに繰り返していた。
案の定、五十風は難しい顔をしている。
「よくわかんねーけど、それいつからなんだよ?」
「…………」
理解が難しいことを話している自覚はあった。一般常識から考えて、普通にありえない話だと否定されてもおかしくない。
だから、それでも受け入れようとしてくれる五十風の気持ちが嬉しくもあり怖くもあった。
五十風は優しいから、どんなことがあっても俺を一番に考えてくれる。自惚れでなく、愛されてると思う。父さんと母さんに啖呵を切ったあの言葉と土下座を見れば、疑う余地はない。
でも、全部を知ってもお前が変わらず俺を好きでいてくれる保証はないじゃないか。
「……両性具有の身体は生まれつきだけど、いつからっていうのが判明したのはって意味なら、5ヶ月前だよ」
たった半年前の事なのに、今はもう随分と昔な気がする。
「妊娠したって分かった時、初めて自分が両性具有だって分かったんだ」
そして俺は迷わず五十風から逃げた。だって男の俺が妊娠なんて、子供ができたなんて言える筈もない。
事あるごとに五十風の為にとか迷惑をかけたくないからなんて殊勝なことを言ったけど、逃げた本当の理由は自分が普通じゃないと五十風に知られることで、五十風の気持ちが離れるかもしれないと考えると、怖くて堪らなかったからだ。女々しいと言われるだろうけど、当時は不安で恐ろしくて仕方なかった。
だって好きだったんだ。いや、今でも好きなんだ。一緒に居られるだけで幸せなくらいに。
「……けっこう悩んだんだぞ?」
産もうかどうしようか。男でいるか女になるか。五十風の幸せの為には何が最善か。…結局、自分の欲望に負けて産む決心をしたんだけど。
しかもあれだけ五十風の幸せを主張して自分勝手に家族まで巻き込んだくせに、終いには自分の幸せの為に五十風の手を取っちゃって……。
ふと情けない自分を痛感して、俺は視線を落とした。が、
「……だからあの頃、お前の様子がおかしかったのか」
五十風の呆けたような声に思わず顔を上げる。
「……何、気づいてたの?」
「当たり前だ」
五十風は笑って俺の頭を小突いた。
「……気づいてたのに何も聞いてこなかったのは何で?」
「そんなの、お前を信頼してるからに決まってんだろ」
「!」
頬を、五十風の温かな両手に包まれ力強く引き寄せられる。
コツンと額と額を突き合わせ、五十風は甘く優しい、柔らかい笑みをその顔に浮かべて言った。
「あのな、いい加減恥ずかしいくらい何度も言うけど、俺はお前が男だろうと女だろうとどっちでもなかろうと、どうでもいいんだよ。樹は樹だろーが。俺は樹だから好きなんだ。樹も俺が好きだろ?お前に子供ができたって言うなら、そりゃ間違いなく俺の子だ。樹の子供が俺の子供じゃなくて何だってんだ」
相変わらずムチャクチャな五十風論法だ。でもそれが堪らなく嬉しい。
「性別なんて関係ねェ。お前が男でも女でも、子供ができたってなら俺とお前が結婚して育てるのが筋ってもんだろ」
どんな筋だそれは。
頭に浮かぶ悪態を無理矢理飲み込む。
本当は嬉しくて堪らないのに、それを否定して悪態をつきたくなるのは俺の悪い癖だ。
五十風にそんな意図は無かったにせよ、折角くれたチャンスだし、ここは素直にならないとダメなところだと、俺は勇気を振り絞ることにした。
「……っあ、のさ! 赤ちゃん……産んだら、出生届で戸籍の問題もあるし、性転換予定なんだ……だから、そのっ……け、結婚は……赤ちゃん、産んでからになると思う」
結婚する意志はあるんだと。むしろ俺も五十風と結婚したいんだと意志表示する。
でも五十風の返答は俺の予想を遥かに上回るものだった。
「……今すぐ入籍は無理でも式は挙げられるだろ」
「お、俺……式とかこだわんないよ? てか、俺男なんだし……あ、いや男だったんだし……」
結婚といっても、俺は入籍だけのつもりだったぶん、五十風の提案に面食らう。
「いや、俺は何もお前にウェディングドレス着ろとか言ってるわけじゃないぞ?」
「……着て欲しいのか? 俺にウェディングドレス……」
「あっ! いや、別にお前を女扱いしてるわけじゃなくてだなっ……何だったらお互いタキシードでも紋付き袴でもいいから、式挙げたいっつーか……!」
「……? 何で式にこだわるんだ? 五十風が一緒に居てくれるなら俺は別に……」
「!」
式を挙げることをなぜかゴリ押しする五十風が、バツが悪そうな顔をして黙り込む。
なぜそこまで式にこだわるのか、俺には五十風が分からなかった。
俺は元男で、両性具有と同時に妊娠が判明したから女になる半端者だ。好きな相手の子供を妊娠したから、産みたいと思ったから女になることを決めた特殊な人間だ。こんな奇異な人間と入籍してくれるってだけでも信じられないくらい幸せなのに、五十風は式を挙げたいって言う。俺を披露目たいって言う。
「……俺はお前とパートナーになったってこと、一生を捧げ合ったこと、それを皆に知ってもらいたいんだ」
「!!」
困惑している俺を察したのか、五十風の声の調子が変わった。
「神様とかじゃなくて、仲間達や家族に誓いたいんだ。樹を幸せにするって。俺達、幸せになりますって」
ドクン、と心臓が大きな音を立てる。
「自慢したいんだ。樹が俺を選んでくれた事を」
目の奥が熱くなって、身体が震えた。
「世話になった人達に、挨拶したいんだよ。……分かれよ」
五十風が照れたように言い捨てる。
俺は今、間違いなくこの世の中で誰よりも幸せだ。今まで生きてきた中で、一番幸せだ。でもだからこそ、見過ごせないこともある。
「……五十風こそ分かってるのか?」
それが、どういう意味か。
「俺と結婚するってことは、男だった俺と結婚するってことは、奇異な目で見られるってことなんだぞ?」
五十風の気持ちは嬉しい。すごく嬉しい。感動で泣けるくらいだ。五十風にだったら文字通り全部を捧げられる。
でもこれだけは俺も譲れない。
「地元のここで結婚式なんてしてみろ。みんな俺が男だったことを知ってる。絶対好奇な目で見られる。五十風は、男と結婚した……ホモだって中傷される」
野球で、甲子園目指して一緒に頑張ったチームメイトの皆だってどう思うか分からない。いくら同じ野球部で一緒に汗を流して努力した仲だって、気持ち悪いと思うのが普通だろう。
「俺は五十風に、嫌な思いも辛い思いもさせたくない」
自分だけなら我慢できる。でも五十風にまで嫌悪の視線が向かったらと思うと、怖くてとても式なんて挙げられなかった。
顔をしかめた五十風にジッと睨まれる。
けど、いくら睨まれようと俺は発言を撤回する気はない。
それを五十風も悟ったんだろう。深いため息を吐いた。
「……分かった。樹がそんなに言うなら、結婚は諦める」
「っ……っ!」
思わず、そこまで言ってない! と口を開きそうになった。俺は入籍だけでいいと言っただけだ。結婚が嫌だとは言ってない。
でもそんなのは、俺の勝手な都合でしかない。
考えてみれば結婚式を挙げることが嫌悪の視線に繋がるなら、入籍だって結局同じことだ。地元で入籍して一緒に暮らして子供を産めば、それはもう明らか好奇の的になるだろう。
しかも俺は外見が女に変わっている。同性愛者でニューハーフになったと勘違いされるだけならまだしも、産んだ子供まで養子じゃないかとか変に勘ぐられるなんて冗談じゃなかった。
好奇が嫌悪に変わるのなんて、容易に想像できる。
自分の自業自得なくせして、諦めると言った五十風の言葉に傷ついた自分に、嫌悪感を抱いた時だ。
「諦めるから、俺をお前のものにしてくれ」
「……?」
五十風から寄越された脈絡のない言葉に首を傾げる。
何の話だ?
「優しいお前でも、自分のものだったら平気だろ?」
「……? ……、……?」
理解が追いつかない俺を置いて、五十風は尚も続ける。
「お前、自分のことだったら何言われても平気なんだろ?樹、前からそうだったもんな。だから、俺をお前のものにしてくれよ」
「…? ちょ、待っ……え? ……え?」
分からない。意味が分からない。
いや、五十風が何を言いたいのか、思い当たる節があるにはある。でもまさか、そんな筈ない。そんな筈……
「そんで俺に命令してくれ。一生傍に居ろって」
「!!」
思わず息をのむ。
分からなかった意味が、思考回路が繋がった。
「それが嫌なら俺と結婚しろ」
「……は、ははっ……」
なんだそれ。結局、結婚は決定事項って事じゃないか。
五十風も意外に俺に負けず劣らず身勝手だ。
なのに、さっきからいやにその身勝手な男が格好良く見える。自分も男として生活していた頃には、こんなことはなかったのに。俺は中身まで女の子になってしまったんだろうか。
俺は自信ないんだ。五十風がいくら関係ないって言ってくれても、今の俺は『川邊樹』とはやっぱり全く違う。五十風が好きになってくれた『川邊樹』と違う。
今の俺は女だ。客観的に見れば、姉さんに似た顔をした女。
周りから好奇な目で見られて、それが苦痛になった五十風の気持ちが変わらないって保証はどこにもない。人の気持ちはいい意味でも悪い意味でも変わるんだから。
怖いんだ。どうしようもないんだ。だから、安心させて欲しい。結婚しろって言うなら、簡単に気持ちは変わらないって安心が欲しい。意味を持った言葉が欲しい。五十風の口から、俺だけに。父さんや母さんにじゃなくて、俺に。
「昂志……」
俺に、誓って欲しい。
俺の縋るような視線に、五十風は目を見張った後、困ったように笑った。
「……なあ樹。俺はさ……半端な気持ちでお前の親父さんとお袋さんに挨拶したわけじゃねぇんだぜ?」
苦笑して、俺の左手を取って持ち上げる。
「俺はお前が好きだ。お前が自分自身を嫌悪する程に変わっても、俺は変わらずお前を愛するよ。初恋舐めんな。誰に何を言われようと、この気持ちは絶対に変わらない自信がある。絶対にだ」
五十風は改めて俺を真っ直ぐ見つめると、恭しく薬指に口付けした。
「樹、俺と結婚しよう。後悔はさせない」
「……っっ」
待ち望んだ言葉に、涙腺が決壊した。
身体が嬉しさに悲鳴を上げる。
息が苦しくて、嗚咽ばかりが零れた。
今日は本当に泣いてばかりだ。でも今日だけは、いくら泣いたって構わないだろう。
「……な、返事は?」
不安そうに俺の涙を拭ってくる五十風の指に遅れて気づいてハッとする。
そうだ、自分はまだ返事をしていない。
緊張からか小刻みに震える五十風の指先を俺からも握り返し、俺は口を開いた。
「……はい。俺でよければ、不束者ですがよろしくお願いします」
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