この愛のすべて

高嗣水清太

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04.

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――――――――――――――――――――

体調はどうだ?
焦って無理すんなよ

――――――――――――――――――――

 最初のそれは、そっけない文面ながら 五十風いがらしの優しさが全面に押し出されたLINEだった。
 身体は大丈夫か。無理はするな。最近は必ずそんな文面から始まる五十風からのLINE。


――――――――――――――――――――

身体平気か?
大丈夫そうなら窓の外見てみろ
今日は天気いいから久しぶりに
すげぇ青空だぞ

――――――――――――――――――――


 大学受験予定だった日から欠かさず毎日届くそれらを読み返していると、癒やされつつも罪悪感が湧く。


――――――――――――――――――――

まだ治らねーか? 大丈夫か?
バカは風邪ひかねぇって言うから、
こんだけ長引くってことは
お前天才だな

――――――――――――――――――――


 風邪だなんて嘘ついて、心配かけて、五十風を騙して。自分で決めたこととはいえ、五十風が優しすぎて愛おしくて、決心が鈍りそうになる。
 この先の離別を考えて返信はしていなかったのに、一度だけ罪悪感に耐えきれなくなってLINEを返信したことがあった。当たり障りなく、俺は大丈夫だから、五十風も忙しいだろうから毎日LINEしなくていいよって。そのうち治るからそんなに心配しないでくれって。送信して数秒後、五十風から直ぐに返信がきて驚いた。


――――――――――――――――――――

バカ
返さなくていいからしっかり休め

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 見た瞬間、泣きたくなった。というか泣いた。
 俺が自身で最後と決めたあの日から、五十風は沢山LINEで言葉をくれる。でも五十風からばかりで、俺からは一切返してなかったのに、何でまだLINEしてきてくれるだろう。既読スルーなんて、普通に一番嫌がられることを、俺は毎日しているのに。こんな不義理な人間を何で信じてくれるんだろう。何でこんなに優しいんだろう。
 五十風からLINEがくる度に、当たり前だけどやっぱり優しい五十風が大好きだと強く実感した。


 この一ヶ月、たくさん五十風からLINEがあった。いつの間にか五十風からのLINEは俺にとって一日の楽しみになっていたくらいに。


――――――――――――――――――――

大学受かった

――――――――――――――――――――


 このLINEが届くまでは。


――――――――――――――――――――

2人で暮らすのに丁度いい物件
見つけたんだ。明日持って行く

――――――――――――――――――――


 五十風の大学に受かったという報告は喜ばしいことだったが、続けて受信したこのLINEに俺は一人戦々恐々としていた。
 五十風が家に来る。それは今までなら嬉しいことであり楽しい筈のことだったが、今は焦燥しか感じない。
 去年の冬、自分が男ではなく真性半陰陽…両性具有だと発覚した俺は、妊娠四ヶ月目に突入していたからだ。
 三ヶ月目では凄まじかったつわりもナリを潜め、食欲増進したせいだけではない下腹ぽっこりになったこの身体は、太ったって言えばまだ通じそうな体型ではあるものの、胸に出来た二つの小ぶりな山は誤魔化しようがなかった。
 病院で診察を受けたところ、胸が出てきた原因は妊娠したことによって女性ホルモンが活発化してきたことと、母乳生産の為に乳腺が発達してきたせいらしかった。
 姉さんが言うにはAカップもない女性にしてはまだまだ小さい胸らしいが、俺の裸を何度も見たことがある五十風にしてみれば、服を着てもこの違和感は一目瞭然だろう。
 思わず、手にしたスマホを握り締めて俯く。

「……いっちゃん、大丈夫?」

 眩しい朝日が縁側から差し込むのを背に、朝食の準備をしていた母さんが俺の横に膝をついた。
 顔色が悪いわ、と眉根を下げて俺の頬を撫でるその手に苦笑する。

「……大丈夫だよ」

 これは身体的不調じゃない。精神的なものだ。
 五十風が家に来たらどうしよう。何て説明すればいい? どうすれば会わずに済むだろう。母さんや姉さんに五十風が今日、家に来るかもしれないことを話して自分の部屋に閉じこもったところで、そんなもの五十風に強行突破されたら意味がないのも分かってる。いくら考えたところで、都合のいい解決策なんか無いんだ。

「……ごめん、母さん。少し、外の空気吸ってくる」

 俺は陰鬱な考えと憂鬱な気分を振り払う為、ゆっくりと立ち上がった。

「え……外ってその、大丈夫なの?」

 母さんがオロオロと視線をさまよわせる。何が言いたいのか直ぐ分かった。
 でも、今は頭の中を整理する為に気分転換がしたかった。

「大丈夫。ちょっと朝刊取りに郵便ポスト見てくるだけだから」

 朝刊、まだ取ってきてなかったよね?と首を傾げれば、母さんは少し躊躇った後に苦笑して言った。

「……そうね。じゃあ、お願い」



 玄関で踵の低いぺたんこのサンダルを履いて久々に外に出れば、青空が広がる晴天で思わず目を細める。
 ふと、五十風からのLINEを思い出して空を見上げた。
 眩しい太陽の光が肌をチリチリと灼く懐かしい感覚。
 妊娠してから人目が怖くて外に出るのを控えていたから、太陽の光を直接浴びるのも久しぶりだった。
 目を閉じても瞼の裏に感じる強い光が五十風を連想させて、目の奥が熱くなる。

「……ああ、ダメだ……」

 結局、何をしてても五十風のことを思い出してしまう。
 ――さっさと朝刊を取って戻ろう。
 そう思って家の門に設置された郵便ポストを覗き込んだ。
 目当ての物を早々に見つけ手を伸ばす。伸ばした瞬間、

「あの、すみません」

 目と鼻の先、間近から掛けられた声に、心臓が激しい音を立てて早鐘を打った。
 ――こ、の声……!
 間違える筈がない。忘れる筈がない。この声は…
 俺は恐る恐る顔を上げた。

「!」

 五十風だった。五十風が立っていた。

「ッぁ!」

 もう遅いと分かっていても、慌てて顔を逸らして俯く。

「あ? え……? と?」

 視界の端で、戸惑っているような驚いているような、微妙な顔をしている五十風を見た。
 どうしよう!? どうすればいい!? 見られた……! 五十風に見られた!!
 必死に頭の中で対策を練る。が、そんな俺に落とされた言葉は、当たり前と言えば当たり前で、残酷なものだった。

「えーと、あの…… いつき……っいや、 川邊樹かわべいつき君の親戚の方、ですか?」
「え……」

 まるで頭から冷水を被せられたかのように、身体から熱が一気に引いていく。
 冷えていく指先で、胸元を掻きむしるように掴んだ。

「すみません、樹君は……」

 ……気づいてない。こんなに近くに居るのに、五十風は俺だって気づいてない。気づいて、もらえない。

「……っ」

 俺は、バカだ。
 この時になって、俺は初めて自分が普通じゃない身体になってしまったことを自覚した。男じゃなくなってしまった現状を理解した。
 もう、俺は五十風の目には川邊樹に見えないんだ。
 信じたくない事実に、視界が黒く染まった。
 あれだけ眩しかった光が、見えない。

「 昂志たかし君!?」

 まるでこの世の終わりのように無音になった俺の世界に、突如響き渡ったのは姉さんの声だった。
 振り返り見れば、顔を青くした姉さんが慌てて俺に走り寄ってくる。

「い、……っ新聞なら私が取るわ。ホラ、妊婦が身体冷やしちゃ大変なんだから、戻って?」

 最初名前を呼ぼうとして、でも五十風が聞いていることを考慮した姉さんは言葉を濁して促した。
 肩を抱かれ、それとなく五十風から顔を隠される。

「あ!  八津子やつこさん!」  
「っ、な、何?」

 五十風に呼び止められた姉さんの身体が強張った。が、続いた五十風の言葉に目を見開く。

「すみません、樹は居ますか?」
「……え、」

 姉さんは戸惑ったように一度俺を見て、それから五十風に視線を戻してから苦笑を顔に貼り付けた。

「ごめんなさい。樹ならたった今、父さんと病院に向かって留守なの」

 口から出任せの嘘だ。

「……そ、うですか」

 五十風はあからさまに肩を落とした。
 胸が締め付けられるが、撤回する気にはなれない。

「樹の奴、昂志君と何か約束してた? ごめんなさい」

 場違いにも姉さんの演技力に感心して感謝した。

「ああ、いえ……。すんません、病院じゃ仕方ないっすね。また来ます」

 俺が居ないと分かり、あっさりと踵を返す五十風の背中を目で追う。
 そうか、優しい五十風も赤の他人相手だとこんなもんなのか。

 遠ざかる背中に涙が溢れた。

「……樹、大丈夫?」

 姉さんが五十風の代わりのように優しく、俺の背中を撫でて肩を抱いてくる。

「……俺さ、なんだかんだ五十風なら分かってくれるんじゃないかって、俺だって気づいてくれるんじゃないかって思ってたんだ」

 つい、堪えきれない本音がこぼれた。
 涙が溢れて止まらない。

「こんなに変わっちゃったら誰だって気づかないよね?」

 筋肉の落ちた腕と足は細く頼りなく、些細であるものの主張する胸と膨らんだ腹からは、俺が川邊樹だった面影を探すのは難しいだろう。
 なのに、五十風なら気づいてくれるんじゃないかと、無意識に信じていた。

「……俺ってバカだね、姉さん」
「樹っ!」

 姉さんの顔がくしゃりと歪む。
 ああ、そんな顔させるつもりじゃなかったのに。

「ごめん、姉さん。先に家の中戻ってて」

 涙の滲む目でこちらを見る姉さんの肩を押した。
 こんな顔、母さん達に見せられないから、と。落ち着いたら俺も戻るからと笑う。

「でも……」
「大丈夫だから。お願い」

 じっと見つめれば、姉さんは諦めたようにため息をついた。

「……わかったわ」
 身体が冷えないうちに早くね。そう言って、姉さんは玄関の向こうに消えた。


 これでよかったんだ。五十風は俺だって気づかなかった。ってことは、これから何処かで偶然出会ってもバレる恐怖に怯えることはない。

「…………これで、よかったんだ」

 ポツリと呟いて、顔を上げた時だ。

「っ!?」

 突然、腕を引かれて息を呑む。
 今、自分は外見が女なのだから、変質者かと腕を掴む誰かを睨みつければ、やけに息を切らせた五十風が立っていた。
 さっき帰ったんじゃなかったのか?
 茫然と五十風を見れば、その額には微かに汗が浮かんでいる。走って戻って来たんだろうか? ……何の為に?

「あ……っあの……!」

 息も絶え絶えに五十風が口を開く。

「間違ってたらスンマセン……っ」

 スローモーションのDVD映像でも見ているかのように、五十風の薄い唇がゆっくり形を作った。

「もしかして……」

「お前」





「……樹?」

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