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43 暗殺者
しおりを挟む祐天仙之助は、御子神が去ると、素早く着替えを済ませ、手を叩いた。
「おい、お登世、起きろ!」
ほどなく、隣の寝室から不機嫌そうに、情婦のお登世が顔を出した。
「なんだい、こんな夜更けに大声をだして。いったいなんなのさ」
「これから俺は、一家に顔を出してから、八王子横山宿まで行ってくる。留守中、なにかあったら政五郎に相談しろ」
「ちょいとお待ちよ。出立は、明日の朝なんじゃあ、なかったのかい?」
「事情がかわった。留の野郎を叩き起こせ」
仙之助は、店に詰めている三下の留を使いに走らせると、自分は、足早に祐天一家に向かった。
祐天一家では、いつ殴り込みがあっても慌てぬよう、一晩中誰かが寝ずの番をしていた。
この日の当番は、伊太郎というチンピラである。
「親分、こんな夜更けに、どうしなすったんで……」
黄表紙を放り投げると、眠そうな目をこすり、伊太郎が框から立ち上がった。
「遅くまでご苦労。いまから留が、平田先生をお連れする……来たら、奥の居間にお通ししろ。
それと、先生のお好きな酒を忘れるな。ぬるく燗をつけるんだぞ」
「へい。合点で!」
矢継ぎ早の仙之助の注文に、目をしばたかせながらも、伊太郎が間髪を入れずこたえた。
少しでも返事が遅れたら、仙之助の雷が飛んでくるので、伊太郎は必死である。
仙之助が、どっかりと居間に腰を落ち着け、煙草を一服していると、部屋の外から伊太郎の声がかかる。
「親分。平田先生を、お連れしやした」
「おう、入っていただけ」
すると、音もなく障子が開き、空咳をしながら、着流しの浪人者が部屋に足を踏み入れた。
その瞬、間仙之助は、部屋のなかの温度が下がり、ひんやりとした空気が流れたように感じた。
浪人は、病人のように痩せ、青白い顔をして、不気味な妖気を漂わせている。きちんと月代を剃り、上等な着物を身につけてはいるが、崩れた印象は拭えない。
「おい。こんな夜更けに呼びだしおって、くだらぬ用事ならば容赦せぬぞ」
浪人は、まるで蛇のように、一切の感情が浮かばぬ冷ややかな目で、仙之助を見下ろした。
「このような刻限に、わざわざお呼び立てして申し訳ねえ。じつは、先生に、ちょいと仕事を、お願いしようかと……」
「ふん、おぬしのたのみ事なら、たいがい察しがつくわ。――で、誰を殺るんだ?」
「へえ……北辰一刀流免許皆伝の先生なら、赤子の手をひねるより簡単な仕事でごぜえやすが、なにしろ、期限を切られた仕事でして……」
「もらうものをもらえば、相手は誰でもかまわぬ。もったいぶらずに、さっさと金をよこせ」
「では、こちらを……」
仙之助が懐から、五両を差しだす。
「なんだ。湿気たお宝だな」
「殺るのは女ひとり……そのかわり前金で、全額お支払いたしやす」
仙之助は懐から、さらに十両を取りだし、平田に差しだした。どうやら差額の十両は、自分の懐に入れるようだ。
「引き受けた」
あっさりそう言いうと、平田は、小判を懐にねじこんだ。
その顔には、いかなる表情も浮かんではいなかった。
祐天仙之助と平田は、連れだって甲州道中を東へ向かっていた。荷物持ちとして、三下の伊太郎が付き添っている。
まだ夜中のうちに発ったので、栗原宿に差しかかったときに、ようやく白々と夜が明けた。
平田は、不機嫌に黙々と歩いているが、剣客らしく歩みぶりには、いささかの隙も見いだせない。
神道無念流・免許皆伝の仙之助が、平田と同様、髷を武家ふうに結い、両刀をたばさんだ姿は、やくざ者には見えず、ふたりの剣客とやくざの三人連れという、奇妙な一行であった。
「平田先生……どうしてこういう稼業に、入りなすったんですか?」
重苦しい沈黙に耐えかねたのか、伊太郎が平田に声をかけた。
「馬鹿野郎!」
仙之助が周章て伊太郎の頭を叩く。平田は、過去の話を振ると不機嫌になるのだ。
平田は、爬虫類のような感情のこもらない冷ややかな目で、伊太郎に一瞥をくれると、意外なことに、口を開いた。
「いまどき取り柄が剣術しかない浪人に、他に生きるすべなどあるまい……」
平田は、貧乏御家人の嫡男に生まれた。
父親は、御先手組の同心で、禄高は三十俵二人扶持と低かった。しかし平田は、千葉周作の『玄武館』の四天王と呼ばれるほどの腕前で、将来を嘱望されていた。
そんな平田の運命は、ひょんなことから、大きく変転した。
玄武館の仲間と吉原に遊びにゆく途中、浅草土手で因縁をつけてきた、悪御家人の一行と喧嘩になったのだ。
相手が弱ければ、適当にあしらってしまえたが、そのなかのひとりが、恐ろしく腕がたった。
気付いたときには、皆が取り囲むなか、平田とその男の一騎討ちになっていた。
平田も相手もまだ若く、仲間の手前もあり、退くに退けない状況になってしまった。
平田が刀を斜に構えると、相手は刀を八双につけて対峙する。
しばらく睨みあったのち、相手が斬り下ろすと、平田は体を開きざま、斜めに斬りあげた。
「そ、それで……どうなったんですか?」
伊太郎が、思わず身を乗りだした。
「ご覧のとおり、いま俺は、こうしてここに立っている」
平田が、冷ややかな声でこたえた。
喧嘩でひとを殺したとなると、腹を切るより他に道はない、というのが建前だが、当時は、たいていのことは、金でかたがついた。
ましてや殺されたのは、同じ徳川の御家人なので、喧嘩の果てに斬り死にしたともなれば、喧嘩両成敗は必定。相手側にも、なんらかの咎めがあるはずだ。
その前に、外聞が悪いし、下手をすれば家が取り潰しになる可能性もある。したがって、示談にしてしまうのが、当時の常識であった。
しかし、このときは、殺した相手が悪かった。
平田が殺した男は、幕閣の要人の類縁にあたる家の嫡男だったのだ。
そのことを知った平田は、江戸を売って、あてのない旅に出ることにした。
自分が腹を切れば、ある程度事態は収まったかもしれないが、若い平田には、まだ己の剣術を究めたいという、未練があったからだ。
この判断は間違っていなかった。息子を殺された相手の父親は、平田に腹を切るいとまも与えず、すぐさま、刺客を差し向けてきたのである。
その場を斬り抜けて平田は、博徒の用心棒をしながら、関八州を渡り歩いた。
「それでこんな稼業に……」
伊太郎が、ため息混じりにつぶやいた。仙之助は、平田が怒りだすのでは、と懸念したが、当人は気にする様子もなく言葉を続ける。
「俺の命をつけ狙っていた、その父親がくたばると、刺客に狙われることもなくなったが……一度染みついた悪の垢は、いくらこすっても落ちやしねえ。
いまじゃあ、すっかりこのていたらくだ」
平田は過去の話をしたことに、自分自身が、いちばん驚いていた。
そして、なにげなく並んで歩く伊太郎の横顔を見たとき、その理由に思いあたった。
(そうか……この三下は、幹之助に似ているのか……)
この浪人は平田幹之助と名乗っている。しかし、それは本当の名前ではなかった。
平田は、関八州を廻るうち、下総国香取郡の松崎村の名主、平田半兵衛の後援により、その屋敷に道場を構えた。平田という姓は、その名主からもらったものだ。
下総らしく門人は、漁師や百姓、博徒などが多かったが、いちばん熱心に修行にうちこんだのが、半兵衛の三男の幹之助だった。
幹之助は、幼いころから博徒に憧れ、いずれ、いっぱしの博徒になろうと、腕を磨いていたのだ。
やがて幹之助は、土地の大親分である笹川繁造の子分になった。
平田は、その縁で繁造と知り合い、もともと関取で剣術が好きだった繁造と、すっかり意気投合して、笹川一家に出入りするようになった。
その頃、笹川一家は、飯岡助五郎一家と激しく対立しており、やがてその対立は、歴史に残る大利根河原の決闘に発展した。
この喧嘩において笹川一家で、ただひとり命を落としたのが、これまた歴史に名を残す北辰一刀流の剣客の平手造酒(ひらてみき)である。
いま平田幹之助と名乗っているこの男こそ、平手造酒そのひとであった。
喧嘩では、平手に背格好が似ている名主の三男幹之助が、平手の扮装で先駆けして、そちらに注意を引き付けておき、時間差で、飯岡一家の後ろをつく……という策を練っていた。
ところが、笹川一家が策を練っていたように、飯岡一家も策を練っていた。
飯岡一家は手勢を二手に分け、喧嘩の舞台である、大利根河原に向かう途中の笹川一家に、不意討ちをかけたのだ。
平手の活躍により、不意討ちしてきた飯岡一家を蹴散らし、大利根河原に駈けつけたが、時すでに遅く幹之助は、人相もわからぬほど、めった斬りにされていた。
卑怯な不意討ちに、怒り心頭の笹川一家は、鬼神の勢いで、飯岡一家に襲いかかった。
数に勝る飯岡一家は、その半数を失い、尻尾を巻いて逃げだした。
笹川繁造は、この喧嘩では勝利を得たが、面目を失った飯岡助五郎は、十手を預かる、いわゆる二足のわらじである。
八州廻りと結託し、百名を越える手勢で襲いかかり、身内の裏切りなどもあって、笹川一家は滅びてしまうのだが、それはのちの話だ。
この喧嘩のあと、繁造は平手に、決闘で死んだのは、平手造酒にしてはどうかと持ちかけた。
当時まだ刺客の襲撃に、緊張の日々を送っていた平手には、その話は、たいそう魅力的だった。
幹之助は、人相もわからぬぐらい、めった斬りにされているので、父親の名主さえ味方にすれば、できぬ相談ではなかった。
こうして、平手造酒は、名主の三男、平田幹之助と入れかわったのである。
それから十四年の歳月が流れた。
繁造は暗殺され、名主は、とうにこの世を去った。
いまとなっては、平田幹之助が平手造酒だという事実を知っている者は、当人をおいて、この世にひとりもいなかった。
(――だが結句、薄汚れた稼業から抜けだすことができなかった……)
平田は、そのことを後悔していない。そうした人間的な感情は、とうに失っていた。
ただ生きるためにひとを殺し、剣に対する情熱も薄れ、虚無感だけが、その心を満たしていた。
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