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18 中島峯吉

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 歳三は、新八と別れると、甲州道中から北に逸れ、山道を下原刀に抜けた。
 山道といっても、一般の旅人が通るような整備された道ではない。
 地元の猟師や杣人そまびと(木こりの意味)だけが知る、杣道である。
 場所によっては、獣道とかわらぬ、道とも呼べない険路だが、歳三がこの道を選択したのは、高尾山口まで回りこむよりも、近いからにすぎない。
 途中、木の幹に、まだ真新しい熊の爪の研ぎ跡を見つけたが、少しも恐ろしいとは思わなかった。
 下原刀は、現在の八王子市下恩方。地名が示すとおり、刀や槍を作る鍛冶の村である。
 武州下原住康重などの名工で知られ、後北条氏の室町末期から江戸後期にいたるまで、御用鍛冶として重きをなし、幕府から租税が免除されていた。
 十家ある刀鍛冶の棟梁・山本満次郎は、天然理心流の師範として、豪壮な屋敷に道場を構えていた。

 歳三の目的は、その山本の道場を訪ねることだ。
 近藤周助に剣術を習っていた歳三は、本来、増田蔵六系の道場には、出入りできないはずだが、周助に正式に入門したわけではないので、黙認されていたのだ。
 歳三にとって剣術とは、ひとつの技術にすぎず、派閥争いには興味がなかった。
 目録以上の腕がありながら、周助に誓紙をたてて正式入門しない理由は、こうして派閥の違う道場にも出入りするためであった。
 というのは、石田散薬の行商をせねばならかったので、自分の都合に合わせて稽古をするには、ひとつの道場に通うのは、合理的ではないと、考えたからである。
 そのことを裏付けるかのように、天然理心流の分布と、石田散薬の販売圏を示した『村順帳』は、かなりの部分が一致している。

 歳三が山本の道場に入ると、ちょうど満次郎が若い弟子に、稽古をつけているところだった。
「おおっ、トシさん。久しぶりじゃないか。甲州からの帰りかい?」
 満次郎が、満面の笑みを浮かべながら言った。
「ご無沙汰しておりました。
ええ……今日は、こちらにご厄介になり、明日は、青梅の方に回ろうかと思いまして……」
「あんたなら、いつでも歓迎だ。稽古していくんだろ?」
「はい。お世話になります」
「そうだ。石田散薬の追加もたのむ」
「ありがとうございます」
 歳三が、殊勝に頭を下げた。

 稽古をつけてもらっていた若い弟子が、やりとりする歳三を見て、相好を崩した。
「トシさん。久しぶり! 勝太さんは、元気にしてるかい?」
「おお、峯吉か。かっちゃんは、相変わらずさ……おめえ、山本師範に、正式に入門したんだってなあ」
 この若い男は、中島峯吉。すなわち、後の新選組隊士・中島登である。
 峯吉は、近藤勇の遠縁にあたり、歳三の不良仲間でもあり、以前は、いっしょになって暴れまわったた間柄だった。
「山本師範や、蔵六大先生からなら、棒術や柔術も習えるしね」
「蔵六大先生といえば、さっき小仏峠の茶屋で、大先生譲りの龍尾剣を使う男に会ったぜ」
「えっ、それは、もしかしたら永倉さんじゃないのか?」
 山本が、驚きの声をあげた。
「ええ、そうですが……山本師範の知り合いでしたか」
「永倉さんは、ふた月ばかり、大先生の道場に居候していて、俺がいる間は、毎日いっしょに稽古していた仲だよ」
「なるほど……新八つぁん、どおりで本格的なわけだ」

「ところでトシさん。龍尾剣って……まさか喧嘩したのか?」
「まさか……ふたりで仲良く、甲州の田舎ヤクザを、叩きのめしただけですよ。まあ、いわば、世直しってやつです」
「おいおい、それを喧嘩っていうんだよ。まったくトシさんは、相変わらずだなあ……」
 満次郎が呆れ、峯吉は腹を抱えて笑った。
「で、トシさん。当然勝ったんだよね?」
 峯吉が、目を輝かせながらきいた。
「あたりめえだ。俺が田舎ヤクザごときに負けるかよ。やつら、安っぽくダンビラなんか振り回しやがるから、竹刀で全員のしてやった」
「そうこなくちゃ!」
 峯吉が手をたたく。

「おまえら、相変わらずバラガキ気分が抜けないようだな……よし。今日は、みっちりしごいてやるから、覚悟しておけ」
 満次郎が不敵な笑みを浮かべた。
「ちょ、師範……それは勘弁してくださいよ。喧嘩したのは、トシさんで、俺は関係ないじゃないですか」
「おい、峯吉……おまえ今度、嫁さんをもらうんだから、もう少し大人になれよ」
 中島峯吉は、千人同心の嫡男である。やがて家を継げば徳川の家臣になる。それなのに、いつまでも不良気分が抜けない息子を心配して、父親又吉は、同じ千人同心の娘、安藤ますとの婚儀をすすめていた。

 やがて父親と満次郎の心配は的中し、峯吉は、一児をもうけた翌、文久元年、同じ千人同心の同僚と喧嘩になり、斬殺して出奔することになるが、それはまだ先の話である。
 この男、そういう意味では、歳三よりも、よほどバラガキであった。
 そして、元治元年、伊東甲子太郎が入隊した、勇東下にともなう新選組隊士募集のときに、入隊を志願するが、幼子がいるためと、嫡男であることを理由に、勇から入隊を断られてしまう。
 しかし、武州における調査任務を任され、地理調査、渡世人や、非人などに混じり、その実態調査を行ったと言われている。
 峯吉は、この調査のため、賭場などの悪所に通いつめたため、家族や親類から非難されて辛かったと、後に書き残している。

 そのためか、峯吉が正式に入隊したのは、じつに五年後の、慶応三年のことであった。
 このとき、峯吉が入隊を体よく断られたのか、あるいは、近藤の密命を帯び、一種の密偵として、武州の情勢を探っていたのかは、議論の分かれるところだろう。
 しかし、正式な隊士になると、すぐに近藤付きとなり、その後、すぐ伍長に就いている。この異例の出世の早さから、他の隊士とは、ちがう扱いをされていたものと推測できる。

 歳三が峯吉とともに、満次郎にみっちり稽古をつけてもらうと、いつの間にか陽が暮れて、あたりは薄暗くなっていた。
 途中から百匁蝋燭に火を灯し、ふたりが稽古を終えたのは、もう夜四つだった。
 この時代、夜明けとともに目覚め、陽が暮れると眠るのが、生活の基本である。
 江戸のような大都会ならともかく、武州の田舎では、特にその傾向は強く、峯吉の家に泊まるため、道場を出たころには、村は、すっかり寝静まっていた。
 ふたりは、下原刀にある満次郎の道場をあとにすると、陣場道から浅川をわたり川原宿を抜けて、小田野の峯吉の家に向かう。
 幸い月明かりで、提灯がなくても歩けるが、真っ暗な田舎道なので、曇っていたら、それこそ、鼻をつままれても見えない夜道である。

 しばらく歩いていると、ふたりの前方から、なにやら大勢のひとがやってくる気配を感じた。
 東海道のような往還ですら、夜道を旅するようなものは、めったにいない。
 村の入り口の常夜灯に、何人かの人影が浮かびあがる。
 歳三は、峯吉の袖を引くと、道ばたにある庚申塔の後ろに身をひそめ、人差し指を口にあてて、静かに……と、合図を送った。
 峯吉は、一瞬、戸惑いを見せたが、うなずくと、歳三にならって、身を縮めるように、庚申塔の陰に隠れた。
 息を殺すふたりの前を、荷物を背負った、尻っ端折りの商人ふうの男たちが、走るような速さで通りすぎてゆく。

 男たちは、六人。
 先頭は、小男。いちばんしんがりをゆくのは、頭巾で顔を隠した、浪人体のたくましい男だった。
 男たちが、通り抜けても、ふたりは、しばらくじっとしたまま、身動みじろぎもしなかった。
 しばらくすると、痺れを切らせた峯吉が口をひらいた。
「トシさん。あいつら、いったい……」
「ありゃあ、駒木野関が閉じたから、しかたなく……って雰囲気じゃあねえな。間違いなく後ろ暗い連中だろう」
「後ろ暗いって……」
「陣場道は、駒木野関をかわして甲州道中にぶつかるが……朝を待たずに抜けるなんて、堅気の人間なら、考えもしねえだろう」
「それって、もしかして、例の……」

「ああ……おそらく近ごろ話題の盗賊だろう。いくら八州廻りが血眼になっても、尻尾がつかめねえわけだ……連中は、甲州を根城に、武州(こっち)を荒らしてやがったのさ」
「ちえっ、ふざけた連中だ! 追っかけて、叩っ斬っちまいましょうよ!」
 峯吉が憤って立ちあがる。
「待て! やめておけ……六人対ふたり。しかも、先頭のやつとしんがりは、かなり遣う。勝ち目はねえ」
「なんで、わかるんですか?」
 峯吉の疑問は、もっともだった。
「そのふたりだけ、あれだけ速足なのに、腰の高さがかわらず、身体が左右に揺れてなかった。つまり……何らかの武芸の心得があるってことだ。
残りのやつらは、そこまでじゃあねえが、灯りもないのに、歩みに迷いが一切なかった。素人じゃない」

「あんな短い間に、そこまで見てたんですか……」
 峯吉が呆れた。自分は、せいぜい人数を数えたぐらいで、とてもそこまで詳しくは、見てはいなかったからだ。
「峯吉。喧嘩は、相手をよく見て、確実に勝てるときにするもんだぜ」
「じゃあ、代官所か、名主さんに知らせないと……」
「やめておけ。怪しいってのは、俺の勘だけで、証拠があるわけじゃない。無駄だ」
「でも、なんか、癪じゃないですか」
「まあ、仮にやつらが盗賊でも、こんな村を襲う心配はねえから安心しろ。やつらの狙いは、大金持ちだからな……
いいか。このことは、誰にもしゃべるんじゃねえぞ」

「わかったから……トシさん、そんな怖い顔しないでくれよ」
「もし、おまえの口から、このことが広がったら、おまえが危なくなるんだからな」
「そいつは、勘弁だ。盗賊なんかに目をつけられたら、わりにあわねえ」
「そういうことだ……それに十手持ちや、八州廻りなんぞは、名主や豪商に金をねだるだけで、ちっとも役に立ちゃあしねえさ」

 歳三が毒づいた。しかし、これは根拠のない悪口ではなかった。
 八州廻りは、三十俵二人扶持の収入では、到底不可能な贅沢な暮らしをして、巡回する各地に、妾を囲う者が少なくなかったのだ。
「まあ、いずれにしても、俺らの家が盗賊に狙われるなんて、あり得ねえから心配するな」
「でも、なんか腹が立つんですよね……」
「ふふふ……おめえは、相変わらず血の気が多いな」
 歳三が笑う。峯吉は、不満げに頬をふくらませた。

 歳三と峯吉が、庚申塔に身をひそめたのと同じころ、不忍池の畔にある、池之端仲町の料理屋『はなぶさ』の離れでは、清河八郎が、三人の男と酒を酌み交わしていた。
 ひとりは、薩摩藩の益満休之介。もうひとりは、同じく薩摩の伊牟田尚平、残るひとりは、水戸藩の吉恒常次郎である。
 中庭をはさんだ、向かいの座敷からは、粋な三味線の音と端唄がきこえてくる。間に庭をはさんでいるので、端唄の内容までは伝わってこないが、薩摩藩士とはいえ、江戸が長い益満には、それが『木遣りくずし』だということがわかった。
 伊牟田は、清河からきいた話の内容を反芻するかのように、一文字に口を結び、むすっとした表情を浮かべている。

「清河さん……幕閣は、この期に及んで、まだ、そんな腑抜けたことを……」
 益満が、苦々しげに言うと、清河がうなずく。
 嘉永七年。アメリカを最恵国待遇とする、不平等な日米和親条約が、強引に締結された。
 この際、日米各国において、必要に応じてどちらかが総領事を置くことが決定されたが、幕府側は、あくまでもという解釈だった。
 しかし、アメリカ側は、それを総領事をと、解釈した。
 これは、幕府にとって寝耳に水の出来事であったが、アメリカ側は、総領事タウンゼント・ハリスを派遣して、下田に強引に総領事を定めてしまった。
 そして、この六月、日米和親条約を補足する、下田条約が締結されようとしていた。

「幕閣は、決定権のない、の下田奉行なるものをでっち上げて、のらりくらりと、かわそうとしているようだが……
メリケンには、そんな子ども騙しは、通用せんでしょうな。ハリスは、至急将軍に目通りさせろ……と、ごねているらしい」
 清河が、苦々しい顔で一同を眺め回す。
「ふん。幕閣のやることは、一事が万事それだ!」
 伊牟田が吐き捨てるように言った。
「こうなっては、やはり実力行使あるのみでしょう。百の論議よりも、ただひとつ。――天誅あるのみです!」
 攘夷に凝り固まった水戸人らしく、吉恒が過激な台詞を吐いた。

「まあ、待ちたまえ。機はまだ熟しておらん。いま暴発しても、その後はどうなりますか」
「しかし、清河先生……」
「せっかく、こうしてあなたがたを引き合わせたのです。じっくりと計画を練って、やるときは、確実に夷狄奴らに、鉄槌を下そうではありませんか」
 清河が、昂然と言いきった。
 その言動は、相変わらず自信にあふれ、こうしたときの清河は、冒し難い威厳に充ちていた。
 清河が散会を告げると、三人は、朝まで飲み続けるのだと、意気軒昂と座敷をあとにした。

 誰もいなくなった部屋で、清河がちびちびと杯を傾けていると、離れの扉の開く気配がして、駒下駄の、からんころんという音がきこえた。
 清河は杯を置き、刀に手をかけたが、襖をあけた男を見ると、緊張をとき、口元に微かな笑みを浮かべた。
「もう戻ったのですか……やけに早かったですね」
「歩くのが億劫になってな……横山宿から早駕籠を仕立てた」
 入ってきたのは、でっぷりとした身体つきの、傲慢な態度の男だった。
 新八と歳三が、小仏峠で出会った、である。
 飲んでいるのか、うっすらと赤い顔に、楽しげな笑みを浮かべると、清河の前に、どっかりと腰をおろした。
「あちらの様子は、どうでしたか?」
 清河が酒を勧めながらきく。

「こないだのしくじりは、上手くがついたようだ」
「それは祝着……では、まだしばらくは、この仕事を続けることが、できそうですね」
「予定まで、半分も集まっておらん。続ける以外に道はなかろう」
「それでは貴兄に、引き続き連絡つなぎ役を、お願いできますか? 新家や平山の手綱を締められるのは、貴兄を置いてほかにない」
「うむ。これも大義のためだ」
「ええ。皇国の存亡と、攘夷の実現のために……」
 そう言うと清河は、ゆっくり酒を飲み干した。
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