フォギーシティ

淺木 朝咲

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断章 誰も知らなくていい場所

ゆびさき

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 戦争という時代柄、物は大切にしなければいけなかった。資源が有限だということをやっと人々が理解した時だったと思う。
 仲間に何故か「出撃する幼馴染に願掛けがてらペンダントを作って贈った」ということが知れ渡っていたからか、俺はよく物の修理を頼まれていた。
「リーエイ」
「ああ、少尉。どうされました?」
 敵を撃破し、逃げ切り、今日も生き延びた。休息をとっていると、少尉に声をかけられた。何だろう。
「この時計を直せるだろうか」
「時計?」
 ちゃり、と小さな懐中時計を少尉から受け取る。傷は多いが長く愛用されてきたことが窺える一品だ。
「針が止まってしまったんだ。中の歯車などに異常がないか確認して欲しい」
「………承りました」
 ──無理だろコレ。戦場にそんな精密な工具なんてある訳がない。ましてや、仮に歯車がおかしかったとしてそれを交換するパーツもある訳がない。まさか少尉が嫌いなことがバレているのだろうか。……いや、だからといって国の命運を分けるこんな時に嫌がらせをするほどあの人が馬鹿でないことくらいわかる。仕方なく休憩時間を潰して時計の様子を確認することにした。
「えーと……」
 裏蓋は割った瓶の破片を石で更に薄く尖らせるとフチに引っ掛けることが出来、簡単に開いた。パーツが傷つかないよう、手袋の上に裏蓋、内側にあったフタを置く。内側のフタを取った先は歯車が何段もの層を作って、ぎっちり詰まっていた。ああ、コレ古くて良いやつだ。誰だコレ戦場に持ってきた奴。壊れても構わない安物買っとけ。いや、そんな愚痴はどうでもいい。こんな細かいもの、日中の戦闘のちょっとした爆風であっという間にどこかへ行ってしまう。直すとしたら、次の戦闘までか夜明けまでだろう。──いや無理無理無理。多分、いや確実に無理。百パーセント中五百パーセントは無理。
「はぁぁぁ………だる」
 仕方なく歯車を取り出す前に竜頭を回して全ての歯車が問題なく動くか確かめる。
「……あ」
 幸い手前の方の層にひとつ、動きがいびつな歯車が見つかった。他が滑らかに動いているのに、ひとつだけかたかたと滑らかに動いていない。
「……なんでだろ」
 俺に時計の知識なんてない。生家に捨てられ、同系のルーツを持つ別の家族に養子として渡され、そこでも初めは上手く馴染めずに過ごしたものだ。つまり、良家とは程遠い暮らしを送ってきたためこのような機械類はさっぱりなのだ。
「んー……」
 そのまま何回か竜頭を回す。歯車は動いてはいる。だが針が動かない。となると、この歪な動きのそれが原因としか考えられない。だが、どうしてそうなったのかの更なる原因が予測出来ない。仕方ない。滑らかに動かないそれと、一緒に噛み合っていたものをふたつ取って何か違いがないか比べてみることにした。
 一度目の戦争の時に茶色だと思っていた血が赤色だとリールに知らされて、初めて自分の見えている世界が普通でないと知った。普通は二十メートル先の人の顔がはっきりわかることは少ないらしい。それもリールから教わるまで気にしたこともなかったことだ。俺の目は普通じゃないし、異常に良いらしい。
「……ん? なんかこの歯車普通と違う……ような」
 やはり変な動きをするそれには滑らかに動くそれらとは見た目が違っていた。少し擦り減りが強い……ような気がする。──どうしようもなさそうだ。
「なあ」
「ん?」
「休憩してるとこ悪いんだけどさ。お前もう要らない時計とかない?砂埃が入って動かなくなった時計とか」
「あー……これならやるよ」
「おう、ありがとう」
 近くで休んでいた仲間にまだ新しそうな、だが動かない懐中時計を貰って分解する。同じような大きさの歯車があればビンゴだ。
「……………」
 他がそんなうまい話あるだろうか。わからない。ただ、俺が前回も今回もこうして生き残っているからには、少なくとも運に見放されている訳ではなさそうだ。
 もし無かったら怒鳴られ覚悟で返そう。この時計、無理やりこじ開けたから蓋が閉まる気がしない。
「………あった」
 嘘だろう。だが、大きさは変わらない。存在も信じたくない神に今だけは感謝しよう。俺はご都合主義に生きることも出来る、おそらく世界一我儘になれる種族──人間の男だからだ。見つけた歯車に異常がないか確認して、少尉から預かったそれに嵌め込む。
「…………ああ」
 良かった。歯車を嵌め込み竜頭を回すと奇跡的にそれは再び動いてくれた。動きも違和感ない。
「少尉どこか知らない?」
「……多分あっちだ。お前は元気でいいな」
「一回目である程度覚悟着いちゃっただけだよ、こんな覚悟捨てたいけど」
 疲弊しきった仲間の横を通り、少尉を見つける。
「少尉!」
「ん、チアンか」
「これでどうでしょう?」
「……」
 少尉は俺から時計を受け取り、少しして竜頭を回した。
「今の時刻は」
「……あ。………七時四十三分です」
 なんとか予備の時計を見て伝えた。忘れていたことだ。俺は詰めが甘い時がある。戦闘においては生きなければならないからそんな時なんて一秒たりとも無いつもりだが、そもそも今回は休む必要があるときに無理難題を言ってきた少尉が悪い。
「……わかった。助かった」
 ──礼くらい言えや!! とは言わずに俺に背を向けた少尉に敬礼だけした。



「俺お前の指先見るの好きだわ」
「え? なんでよ」
「んー、綺麗に細かく動くから」
 かち、かちと一定のリズムで音と時を刻むそれらが壁にずらりと並ぶ時計店。今日は雨。客は居ない。冷やかしに来ただけの旧友とふたりでくつろぐ時間も悪くない。
「何、俺の指のことなんかの人形細工と見間違えてない?」
「いいや、そんなことないよ。……でもどうしてまた時計屋なんて始めたんだ?」
「え? うーん………少尉への嫌がらせかな」
「何だそれ」
 本人の口から礼を聞けなかったから、いつか末代の誰でもいいから誰か来た時に、彼の代わりにその言葉を聞けたらそれでいいや。リーエイは自分の心の狭さに思わず少し笑ってしまった。
「何だよいきなり」
「ははっ、俺はリールが思うほど心が広くて清いヒトなんかじゃないなぁって思っただけだよ」
「………そうは思わねぇけど」
「……でもいつか心から俺のことを優しいって、俺のことをみたいに大切に思ってくれる人が現れてくれたらそれより嬉しいことはないね」
「……」
 リールは何も言えなかった。肝心な時に大切な言葉が言い出せない弱さに、今回も勝てなかった。「それなら今そう思ってる」──この言葉を言うのは、この時からあと六十年ほど後のことになる。
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