フォギーシティ

淺木 朝咲

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最終章 輪廻と霧の街

愚弟

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「………!」
 僕たちをよそに狂うように独り言をぶつぶつ呟いていた円の声が止まった。そして、再び僕を見た。
「姉さん……? 今そこに姉さんいなかった……?」
 驚いた顔で、姉さん、と辺りをキョロキョロ見ながら言う。美代子はもう何も話そうとしない。僕に判断をすべて委ねている。ああ、わかってるよ。お前も円もこの街に留まっている間、円をどうにかするのは僕の役目だって。死後の世界でやることは美代子の役目だって。何も話してそう決めたわけではないけれど、いつの間にかそうするように僕たちは自分たちのするべきことを選んできたのだから。
「姉さんはここ」
 だから、ユーイオは美代子の振る舞いを完璧に真似てみせた。正直、ここまで彼が精神的に壊れていなかったらこんなことをしなくてもすぐに美代子の残り香というか、そういう共鳴するような何かを感じ取れたと思う。
「お前が……? 姉さん………? 僕の知ってる姉さんはそんな目の色じゃないし、声じゃないし、僕より声が低いなんてあるわけないのに……姉さん?」
 子供らしい、だが落ち着いた声の彼は声変わりをする前の声でべらべらと話す。そして、僕の外見をじっくりと見る。
「でもなんか細くてすらっとしてるのは姉さんみたい……肩幅が狭いところとかは特に」
 少しずつ気が落ち着いてきている。そろそろ気付いてもいいのだが。
「円、聞いて。もうこんなことやめよう? わたしと一緒に、今度こそ幸せに生きよう?」
 精一杯真似てみせる。何回美代子の声を、思いを聞いてきたと思ってるんだ。さあ、気付け、狂え、牙を剥け。
「はは…………姉さんが言いそうなことだな……姉さんなら………確かにそう言う」
 円は頭を抱えながら笑う。
「姉さんなら、ってうるさいなぁ。わたしはわたし。姿かたちが変わったのは円もでしょ? だから、わたしがあの頃の見た目じゃなくてもわかってほしいな」
「…………」
 ぴたり、と円の動きが全て止まった。そして数秒空いて、僕の目の前まで歩いてきた。
「本当に姉さんなんだな?」
「そうだって言ってるでしょ?」
 さあ、どうなるだろう。こんなことは今までしたことがない。今までは屋敷に乗り込んで、姉と同じようにしてやろうと真っ向勝負で挑んできて、僕の心が折れて負けてきたのだ。
「姉さんの魂なら──僕にちょうだい」
「っ!」
 「吸収アブソルプション」を使おうとしてきた。嘘だ。てっきり「消滅バニッシュ」しか使えないと思い込んで、そればかりを使うと思っていたし、実際今までがそうだった。すんでのところで僕は円の全てを吸い取る手から逃げた。
「あれ? くれないの?」
「……あげるなんて一言も言ってない」
「あ、姉さんじゃなくなった? 元から? ……わかんない」
 でも、と彼は僕に触れようとする。触れられてはいけない。なんとなく、そう直感が訴えかけてきた。今は逃げるしかない。簡単に異能を使って変に勘繰ろうとされても困る。
「なんで逃げるの?」
「美代子が良くても僕が良くない」
「……! やっぱり姉さんがそこにいるんだよね」
 彼はニタリと笑う。それがとても不気味で仕方がない。
「じゃあ君はいらない。僕、ずぅっと元気で居てくれる姉さんだけが欲しかったんだぁ」
 ああ、こいつは、本当に。
「じゃあその姉さんが待ってるのはどうでもいいのかよ」
「………待ってる?」
 ──姉さんはもう居なくて、でもここに残ってて、待つなんてどこで僕のことを今更待っていると言うのだろう。
「おっと」
 ぶん、と右腕を勢いよく振りかざされた。当たればひとたまりもないことはわかっている。消されるか、吸収されるか、原型も留めず死ぬか。
「いつまでもこんな所にいたって疲れるだけだろ馬鹿が」
 ──「雷霆ゼウス」。
「!」
 凄まじい轟音とともに、円の体に衝撃が走った。
「が………あぁっ……!」
 何が起きた? わからない。この街に来てから変な力を使えるようになって、何もわからなくなった。今のは何だ。何が僕をこうさせたんだ。目の前の姉さんを知ってる奴がやったのは多分違いない。でも、何をどうしたらこんなことになるのかが全く理解できない。
「家で大切に育てられた病弱なお前には強すぎたか?」
「な……なんで僕のことも………!?」
「当たり前だろ、僕はお前ら二人のことならそのつもりがなくても隅々まで知ってしまうんだ」
 とすっ、と円の背中に「雷霆」を突き刺す。それだけで円は悲鳴をあげる。頼むから早く死んでくれ。お前さえ消せば、僕達は街から解放されて、お前もこんな命を終わらせて姉に会えるんだから。
「だからさ……死んでよ、お前今ここに必要ない奴なんだ」
 不要なのは僕じゃない。絶対に、僕じゃない。現実と向き合えないなら無理にでも目を合わさせてやる。
「──なんちゃって」
「ユーイオ!!」
「は」
 「消失」を纏わせた右手が僕に飛んでくる。避けられない。そう思っていたのに、僕は消えなかった。
「ヴァクター……」
「平気?」
「僕はね。で、でもヴァクターは……」
「安心しろ」
 僕の目の前に飛び出したヴァクターは明らかに「消失」の拳を受けたにもかかわらず五体満足のままだ。
「僕が何個力を使い分けてると思ってんだ」
「あ……」
 そうだ。こいつは特殊だった。何個かの力が集まった集合体を異能の名前にしているだけで、ひとつひとつに付けられた名前はまた別物だ。
「全然使わないやつ犠牲にしたから大丈夫」
 にっとヴァクターは笑う。だが、それを使う場面が出てくるようなことがこれから起きてしまったらどうするつもりなのだろうか。──いや、関係ない。きっとヴァクターのことだから何か考えているに違いない。
「僕は父さんから守り固めるって意味の言葉を名前に貰ってるんだ。どんなことになったって守りたいもののひとつやふたつ、守りきるよ」
 最初はあれだけ僕のことを「世界を破壊する者」だとか「誰が次の世界に魂送ってると思ってんだ」とか可愛げがない発言を連発していたヴァクターが、頼もしい。「輪廻」は「吸収」にこそ負けないものの「消失」に抗える自信がまるでない。循環の力の「輪廻」と全てを終わり消し去る「消失」の相性の悪さは言うまでもない。
「で、でもヴァクターが無理をしていい理由にはならないんだよ」
 僕がそう言うと、ヴァクターはキョトンとした顔で僕を見た。
「……無理ぐらいさせてよ」
「え」
 そして、ヴァクターは続けた。
「人に頼って生きていかないと厳しい身体で生まれて、ずっと誰かの力に頼りきりで生きてきた僕が、この街じゃ誰かの力になれるんだ。こんな機会、きっともう無い」
 ヴァクターは円の拳をかわしながら言った。ユーイオははっとした。必死なのだ。ヴァクターも。
「お前」
「?」
「ユーイオはお前の姉に託されてる」
「何を」
「お前の幸せを」
「!」
「だから今こうやってお前を潰しにかかってる。お前を幸せにするために、お前の不幸いまを止めようとしてる。わかるか?」
 そう言って、ヴァクターは円の顎に全身を上手く使って蹴りを入れた。脚の神経がうまく働いていないらしく、脱力しきったそれは逆に力を上乗せして円の顎を見事に蹴り上げた。人間の体なら間違いなく脳震盪を起こしてノックダウンだ。がしゃあああん、と屋敷の壁まで吹き飛ばされた円が動く気配はない。異形として修羅場をくぐりぬけた回数が少ないのだろうか。ヴァクターはその場から動かずじっと円が飛んで行った先を見つめている。灰色になった彼の目が、彼の思考を漏らすことは少ない。今も、何を考えているのか僕にはあまりわからない。
「……」
 ユーイオの話によると、彼自身は結核で、十歳の時に双子の姉を亡くしたらしい。それがユーイオの前世なのだという。結核で自由のない彼にとって姉と母親と暮らす家の中が世界の全てだったのは言うまでもない。八歳で、足が不自由で、僕を庇ったせいで母が死に、戦争から病んで帰ってきた父親と二人暮らしが始まった僕と、多分そう違わない心を持って生きていたはず。僕達はずっと箱庭いえの中で誰かに守られて、頼って生きるしかない側の人だったから。だから円。もしかしたら僕はユーイオよりも君に同情してあげられるかもしれない。でも、君はきっとそれを望まない。君が望むのは姉さんという光だけだから。
「君は今文字通り霧の中の迷子だよ、円」
「……けほっ……っがぁ」
「光はすぐそばにある。なのに君はずっとそれに気付かないまま、無意味な虐殺を繰り返してきたんだっけ? 君がこの立場だから僕も仕方なく「葬送」してきたけどさぁ……僕ね、今すっっごくを心から軽蔑してるよ」
 代償でもなんでもない。こいつはきっと元から頭が残念だったのかもしれない。こんな愚弟、姉も見捨てる方が懸命かもしれないのに。僕にはその心が理解出来ない。同情は出来ても同じ命じゃない。似て非なる存在なのだ、僕達は。
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