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エピローグ 光が届く街
小さな店
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あの子が霧まみれの街を文字通り消して、異能の力まで消して、旅をするからと別れてから何年経ったのだろうか。結局あの子の力をもってしてもこの身にしつこく留まった「代償」のせいで俺は死ねず、不死身の人間として生きている。やることは街にいた時と変わらない。見た目にもあまり変化がないし、日々時計と向き合う生活だ。「現代」は俺たちが最後に見た世界と違って機械の発達が著しい。そのせいで、こんなアナログな店はほとんど見ない。ましてや店員は全て機械の店が大半で、人間が店番をして会計までするのは現代の感覚で言わせれば非効率で頭の悪いことらしい。俺はそんな感覚が全く理解出来ないし、むしろ冷たくて悲しいとさえ思う。ただ、こうやって故郷でリーエイ・チアンではなくリエレッツ・アダミークとして再び生活出来ることが喜ばしいのに変わりはなかった。
リールも何故か見た目があまり変わらないままだ。リールとは結局今も一緒に住み続けている。何ならこの前「実は……」と今まで彼が抱えてきていた想いの数々を打ち明けられた。びっくりした。ヴァクターは今は離れて念願の学生生活を送っている。イギリスのかなり賢い大学に通っているらしい。そんなヴァクターに連絡すると、「やっとか。父さんもリエレッツさんもこじらせすぎだよ」と見抜かれていたことが判明して俺たちは滅茶苦茶恥ずかしかった。穴があったら入りたいどころかめり込みたかった。
「どうして今更俺なんかを?」
「今更じゃない、正直ずっと昔からだ」
「……こじらせてるのリールだけじゃない?」
「うるせぇ」
リールは照れて赤くした顔を俺に見せまいと必死に背中で隠す。平凡な日々がああも一瞬で忘れられない日に変わるのは、流石リールだ。
そして、世界を見に旅に出たユーイオからの便りはいつの間にか途絶えていた。不定期に様々な国の風景の写真と共にちょっとした手紙を添えてくれたそれは、マダガスカルのバオバブの並木道の写真が最後だ。それからは、どこでどうやってユーイオが過ごしたのかは誰も知らない。一度リールに「ユーイオ手紙まだかなぁ」とぼやいたら「もう百年経ったから死んだんじゃないか」と言われた。ああそうか、あの日から百年経つのか。窓から見るプラハの街並みがあまりにも変わらないから気付かなかったよ。それにしても今日はやや霧っぽい気がするのは気のせいかな。
「……なんかいい事ないかなー」
今どきこんなレトロな時計屋を営んだところで、需要は少ないし。古い伝票を飛行機に折って、窓から飛ばしてやる。ぱさ、と伝票飛行機は呆気なくプラハの街道に墜落した。扉を開け、墜落した飛行機を丁寧に拾ってやる。不意に上を見れば、秋の、夕方に差しかかる頃の橙と青とが混ざる空の色が建ち並ぶ家々の屋根の間から見えた。あーあ。「アダミーク時計店」の看板がいつもより掠れて見える気がする。
「……………いいことなんてないよなぁ」
掠れて見えたのは、気のせいだろうか。疲れているからだろうか。それとも、不意に出た涙のせいだろうか。こんな調子では、恐らくもう居ないだろう、人間としてもう一度生きて欲しいと願ってくれた優しい我が子に顔向けが出来ない。リールにも心配はいつまでもかけていられない。伝票飛行機を手に店に戻って、リエレッツはゴミ箱にそれを葬った。
「今日はなんだかいつもより暗いな?」
「そ、そう?」
「俺にはそう見える」
夜、リールにそう言われて俺はどきっとした。俺はそんなに顔に出やすかっただろうか。再びリエレッツ・アダミークとして生きられることに浮かれてしまっているのだろうか。
「………ユーイオのことか」
「百年経ってるんだっけ」
「ああ」
目も合わせず、ひたすら自分の食器とにらめっこしながらリエレッツは言葉を返し続ける。リールはそんな彼の様子を深追いする訳でもなく、ただ静かに、彼が作ってくれた玉ねぎのスープを味わっている。
「生きていても俺たちみたいに元気じゃない、よね」
「多分な。代償が残ってしまうのは誤算だったし、それでも俺がお前と同じ歳の取り方をするのも変だし………完璧は誰にとっても遠く難しいものだな」
「……リールはユーイオに会いたい?」
リエレッツの問いに、リールは笑って答えた。
「そりゃ会えるならいつだって会いたいさ」
次の日も時計店は見事に客が来なかった。客が全く来ないわけではない。最近の機械は感情のプログラムが上手く出来ているらしく、それぞれ個性が存在している。彼らの振る舞いは最早骨と肉を捨てた人間と呼んでも差し支えないほどだ。そんな彼らの中にもアンティーク好きな個体が一定数存在する。アンティークと言っても、俺から見れば昔よく流行っていたデザインだとか、そのメーカーで働いていた知り合いがいたとか、思い出をただ掘り起こされるものに過ぎないのだが。しかも、彼らは機械なのだから、きっとアナログ時計程度簡単に直せるはずなのに、決まって俺の店にやってくる。
「歯車が多分イカれてる。でも俺直せないからやってよ」
「秒針の動きがおかしいから見て欲しい。原因がわかるなら修理もして欲しい」
「なんか適当に後ろについてる電池に電力入れ直したら今度は針が逆回転し始めたんだけどなんで?」
彼らの依頼はありがたいことに絶えることはない。一度だけ、どうして俺の店をわざわざ頼ってくれるのか訊いたことがある。
「これが人間の生活の営みってやつだろ?」
「自分で直すのと誰かに直してもらうのじゃ別。わたしは誰かに直してもらった時計の方が、より丁寧に扱おうって気持ちになれるから、ここのお店を利用させてもらってる」
「俺専門分野外のこと考えるの苦手だから専門分野の奴に任せるのが一番仕事が早くて間違いもないかなって!」
理由は様々だった。一体一体、違う理由を答えてくれた。勿論似たような考え方をする機械も何体か見られた。中には「主様が動けないので私が代わりに」と今時まだ従者を雇っている金持ちの人間がいることも判明した。ただ、仕事を最良のパフォーマンスで仕上げるのが機械だとして、最高のパフォーマンスで仕上げるのが人間なのだろうと、最近はそう思う。
それにしても本当に客が来ない。あの霧の街のように、俺の異能が世界の時計を狂わせることもないのだから、そもそも時計に不調が起きることも少ない。むしろ、あの街にいた時が忙しすぎたのかもしれない。普通の時計店は、これぐらい暇な日があってもおかしくないのかもしれない。それなら、とリエレッツは今日もまた古い伝票を紙飛行機に仕上げて、窓から飛ばした。やはり伝票飛行機は力なくプラハの道に墜落した。ただ、昨日より飛ばし方が良かったのだろうか、今日の伝票飛行機は昨日のそれより少し遠くで墜落した。暇すぎるのでもう一度飛ばしてやろうと店の外に出て、軽すぎるそれを拾う。昨日と同じように空を見上げてみる。空は昨日と変わらないし、看板も昨日と同じくらい掠れているように見える。──あれ、これ普通に塗装ハゲてるだけかな。
「──あの」
「?」
観光客だろうか。店の中に戻ろうとした俺に、一人の少女が話しかけてきた。
「ここ、時計屋ですよね」
「? そうだよ。何か直してほしいものでもある?」
俺が不思議そうにしていると、少女はそういう訳ではないと首を横に振って、
「行ったこともないのに何回も夢で見るので……どんな場所なのかと来てみたんです」
「へぇ、そんなことがあるんだ」
「店主さんの顔はわからないのに声がはっきりと聴き取れて、きっと優しい人なんだろうって思ってたんです」
「……顔はどう? 何か予想してた?」
「優しそうな顔をしていたらいいな、とは」
少女は失礼なことを言う時のように、少し声を小さくして言った。
「で、実物どう?」
「思った通りの顔です。あと私……何故かあなたの名前を知っていて……」
「え?」
スーツケース片手に少女はほんの少し考えてから、「たしか……」と続けた。
「リーエイ? あっでも違うかもしれませんよね! ごめんなさいっ、変なことに付き合わせてしまって」
「……………」
ぺこぺこ謝る少女を前に、俺は何も言えなくなった。ユーイオなはずがない。ユーイオはもっと背が高くて、夜闇に少し青を足したような髪色で、金色の眼で俺をじっと見てくるはずだ。目の前のこの子は赤みが強い焦げ茶色の髪に灰色の目をしている。ユーイオとは全く違う。声も、ユーイオよりずっと細くて高い。それなのに何故だろうか。俺はこの子をどうしてもユーイオと呼んであげたくなるし、「おかえり」と声をかけたくなってしまう。
「……謝らなくていいよ」
「いやでもいきなり変なこと言ってしまいましたし……!」
「いいよいいよ。そういうのは慣れてるから。……ところで君、観光客かと思ったけどもしかして家出してきたのかな?」
「! つ、通報されますか……?」
図星だったらしく、少女の顔は不安で強ばる。だが、別に俺にそういう趣味はないし、何らかの理由で家に居たくないなら少しの間放浪するくらいはいいと思っている。
「別に。入る?」
「じゃあお言葉に甘えて……」
「さぁどうぞ」
この店に人間の客が入ったのはいつぶりだろうか。カチ、カチと普段は全く気にならなかった時計の秒針がやたら大きく聞こえるように感じる。
「紅茶かコーヒー、どっちがいい?」
「あ………その、ミルクティー、とかありますか?」
「勿論だよ」
少女は落ち着きがなく、そわそわとしている。時折こちらを見ては、すぐに視線を逸らす。そして、その視線が机に置いていた写真立てとかち合った。
「あの、これ……」
「ん?」
「お子さん、ですか?」
「ああ」
普段は客から見えない向きに立てていた写真だった。俺とリールとヴァクターとユーイオ、家族四人で撮った数少ない写真のひとつだ。異能が使えていたら、きっとこれも風化しないようにしていたのだろう。だが、今はその風化していく様も美しいと思える心がある。
「そうだよ、青黒い髪で金色の目の子とその横で笑うアッシュがかった色味の髪の毛で青い目の男の子はどっちも俺たちの子」
「………………」
かわいいでしょ、と言うと、少女は小さく頷いてしばらく写真を凝視した。
「……変わってない、ですよね」
「俺? うん」
「かなり古そうな写真なのに……」
どうして、と困惑し始める少女に、俺はあっけらかんと言った。
「だって俺死ねないもん」
「えっ」
「いや俺も理由はわかんないよ。なんか死ねないの」
そんなことがあっていいのか、と少女は衝撃を受けていた。
「あ、お茶できたよ。どうぞ」
「あ、ありがとう……ございます」
甘いミルクと深い茶葉の香りが互いを邪魔することなく香る。その芳香が心の疲れを癒してくれるような気がした。
「……君、名前は?」
「あ、ユーリア・チェルナーって言います」
「チェルナー……ん?」
「?」
リエレッツは何故かその名前を知っているような気がした。どこで見聞きしたのだろう、もしかして、と伝票を漁る。がさがさと二分ほど漁り続けると、かなり古い伝票の紙が出てきた。
「やっぱり……一回来てもらったことある」
紙には名前、修理して欲しいものの特徴、修理して欲しい箇所、受け取りに来る日時が書かれていた。「レネー・チェルナー、金色・黒い針・主人の品、三月七日の午後四時」──ユーリアは名前を見てはっとした。
「これ、うちで働いてくれてる機械の名前です」
「人間らしい名前をつけるのが今風なのかい?」
「は、はい。機械も限りなく人間に近い見た目をしていますから……」
「確かに言われてみればそんな子ばっか来てたなぁ。考えたこともなかったや」
ああ、なんて古くさい人だろうか。地球に戻ったら、間違いなく技術の進歩に置いていかれるだろうとは思っていた。だが、これはもう追いつくとかの次元ではなかった。機械が人間とコミュニケーションをとって生活を共にするなんて、考えたこともなかった。いつからそうだったのか尋ねると、ユーリアは二百年ほど前からだと言った。──おかしい。だが、カレンダーの西暦を見ると終戦から約七十年後とそうおかしくはない数字になる。とすると、あの霧の街は一年の時を過ごすのにこちらの二年分近くの時間をかけていたことになる。
「……そういえば名前言い忘れてたや。俺はリエレッツ・アダミーク。……リーエイとも呼ばれてた時期はあったよ」
懐かしい響きだとさえ思うほどに、その名前から自分は遠い場所まで生きてきたのだと感じた。
「リエレッツさん……」
「ようリエレッツ。久々に旦那様の腕時計の調子が悪いから見てくれ……ってお嬢様!?」
「あ……レネー」
黒髪に緑色の目をした機械が腕時計を片手に来店した。見た目も声も動きも、何もかもが完璧な人間である彼は、ユーリアを見てぎょっとした。
「もう何日帰ってないと思ってるんです!!」
「み、三日」
「一週間です!! オレが何回旦那様にお叱りを受けたと思ってるんですかぁ! 居そうなところに行っても全然居ないし! 心配したんですよ!!」
ぎゃんぎゃんと機械のお説教が飛ぶ。これでは取引もままならない。
「と、取り敢えずお説教はそれくらいにしておいて貰えるかな。時計の状態を見たいから貸してくれる?」
「ああ、すまん」
こっちの口調が彼の本来プログラミングされた口調であり性格だろう。俺に対しては気さくに話してくれる。プライベートと仕事は分けたいタイプなのだろう。──一応主人の物の修理依頼も仕事だとは思うが。
「うんうん………ああおっけ。三日くらいで直ると思うから三日後にまた来てくれる?」
「ああ、わかった。じゃあこれ代金な、前も良くしてもらったから釣りは要らねぇ」
「ありがたく頂戴するよ。君も紅茶でも飲んでからお嬢様を連れて帰るかい?」
「いや、オレは別に食事は……」
「いいじゃんレネー、このミルクティーすっごくおいしいよ」
ぐ、とユーリアに軽く手を握られたレネーは少し黙ってから、わかったと頷いた。基本的に彼女の行動には逆らわない主義なのだろうか。そんなことを考えながらミルクティーを淹れていると、
「オレの存在意義はお嬢様を守り幸せに生かすことだからな」
「! ……なら時には厳しくしないとだね。何も甘やかしてその人の言うとおりにすることだけが、その人の本当の幸せに繋がるわけじゃないからね」
「まったくだ。お嬢様、これを飲んだら帰りますよ」
「……はぁい」
レネーはリエレッツからカップを受け取り紅茶を一口飲んだ。
「……確かに美味い。悪くない腕だ」
感心したようにレネーは何度も紅茶の味を確かめ、あっという間に飲み干してしまった。
「味覚はあるんだね」
「その辺も人間と共感出来るようにオレたちは造られてるんでな。ほら、帰りますよ」
「うん……あ、リエレッツさん」
「ん?」
「また……ここに来てもいい? なんだかここ、とても落ち着くんです」
何となくそうだろうな、とリエレッツ自身も思っていたことだ。理由はわからない。きっとユーイオとどこか似ていたからかもしれない。今はもう居ない大切な子を脳裏に思い返しながらリエレッツは勿論、と頷く。
「いつでも待ってるよ」
リールも何故か見た目があまり変わらないままだ。リールとは結局今も一緒に住み続けている。何ならこの前「実は……」と今まで彼が抱えてきていた想いの数々を打ち明けられた。びっくりした。ヴァクターは今は離れて念願の学生生活を送っている。イギリスのかなり賢い大学に通っているらしい。そんなヴァクターに連絡すると、「やっとか。父さんもリエレッツさんもこじらせすぎだよ」と見抜かれていたことが判明して俺たちは滅茶苦茶恥ずかしかった。穴があったら入りたいどころかめり込みたかった。
「どうして今更俺なんかを?」
「今更じゃない、正直ずっと昔からだ」
「……こじらせてるのリールだけじゃない?」
「うるせぇ」
リールは照れて赤くした顔を俺に見せまいと必死に背中で隠す。平凡な日々がああも一瞬で忘れられない日に変わるのは、流石リールだ。
そして、世界を見に旅に出たユーイオからの便りはいつの間にか途絶えていた。不定期に様々な国の風景の写真と共にちょっとした手紙を添えてくれたそれは、マダガスカルのバオバブの並木道の写真が最後だ。それからは、どこでどうやってユーイオが過ごしたのかは誰も知らない。一度リールに「ユーイオ手紙まだかなぁ」とぼやいたら「もう百年経ったから死んだんじゃないか」と言われた。ああそうか、あの日から百年経つのか。窓から見るプラハの街並みがあまりにも変わらないから気付かなかったよ。それにしても今日はやや霧っぽい気がするのは気のせいかな。
「……なんかいい事ないかなー」
今どきこんなレトロな時計屋を営んだところで、需要は少ないし。古い伝票を飛行機に折って、窓から飛ばしてやる。ぱさ、と伝票飛行機は呆気なくプラハの街道に墜落した。扉を開け、墜落した飛行機を丁寧に拾ってやる。不意に上を見れば、秋の、夕方に差しかかる頃の橙と青とが混ざる空の色が建ち並ぶ家々の屋根の間から見えた。あーあ。「アダミーク時計店」の看板がいつもより掠れて見える気がする。
「……………いいことなんてないよなぁ」
掠れて見えたのは、気のせいだろうか。疲れているからだろうか。それとも、不意に出た涙のせいだろうか。こんな調子では、恐らくもう居ないだろう、人間としてもう一度生きて欲しいと願ってくれた優しい我が子に顔向けが出来ない。リールにも心配はいつまでもかけていられない。伝票飛行機を手に店に戻って、リエレッツはゴミ箱にそれを葬った。
「今日はなんだかいつもより暗いな?」
「そ、そう?」
「俺にはそう見える」
夜、リールにそう言われて俺はどきっとした。俺はそんなに顔に出やすかっただろうか。再びリエレッツ・アダミークとして生きられることに浮かれてしまっているのだろうか。
「………ユーイオのことか」
「百年経ってるんだっけ」
「ああ」
目も合わせず、ひたすら自分の食器とにらめっこしながらリエレッツは言葉を返し続ける。リールはそんな彼の様子を深追いする訳でもなく、ただ静かに、彼が作ってくれた玉ねぎのスープを味わっている。
「生きていても俺たちみたいに元気じゃない、よね」
「多分な。代償が残ってしまうのは誤算だったし、それでも俺がお前と同じ歳の取り方をするのも変だし………完璧は誰にとっても遠く難しいものだな」
「……リールはユーイオに会いたい?」
リエレッツの問いに、リールは笑って答えた。
「そりゃ会えるならいつだって会いたいさ」
次の日も時計店は見事に客が来なかった。客が全く来ないわけではない。最近の機械は感情のプログラムが上手く出来ているらしく、それぞれ個性が存在している。彼らの振る舞いは最早骨と肉を捨てた人間と呼んでも差し支えないほどだ。そんな彼らの中にもアンティーク好きな個体が一定数存在する。アンティークと言っても、俺から見れば昔よく流行っていたデザインだとか、そのメーカーで働いていた知り合いがいたとか、思い出をただ掘り起こされるものに過ぎないのだが。しかも、彼らは機械なのだから、きっとアナログ時計程度簡単に直せるはずなのに、決まって俺の店にやってくる。
「歯車が多分イカれてる。でも俺直せないからやってよ」
「秒針の動きがおかしいから見て欲しい。原因がわかるなら修理もして欲しい」
「なんか適当に後ろについてる電池に電力入れ直したら今度は針が逆回転し始めたんだけどなんで?」
彼らの依頼はありがたいことに絶えることはない。一度だけ、どうして俺の店をわざわざ頼ってくれるのか訊いたことがある。
「これが人間の生活の営みってやつだろ?」
「自分で直すのと誰かに直してもらうのじゃ別。わたしは誰かに直してもらった時計の方が、より丁寧に扱おうって気持ちになれるから、ここのお店を利用させてもらってる」
「俺専門分野外のこと考えるの苦手だから専門分野の奴に任せるのが一番仕事が早くて間違いもないかなって!」
理由は様々だった。一体一体、違う理由を答えてくれた。勿論似たような考え方をする機械も何体か見られた。中には「主様が動けないので私が代わりに」と今時まだ従者を雇っている金持ちの人間がいることも判明した。ただ、仕事を最良のパフォーマンスで仕上げるのが機械だとして、最高のパフォーマンスで仕上げるのが人間なのだろうと、最近はそう思う。
それにしても本当に客が来ない。あの霧の街のように、俺の異能が世界の時計を狂わせることもないのだから、そもそも時計に不調が起きることも少ない。むしろ、あの街にいた時が忙しすぎたのかもしれない。普通の時計店は、これぐらい暇な日があってもおかしくないのかもしれない。それなら、とリエレッツは今日もまた古い伝票を紙飛行機に仕上げて、窓から飛ばした。やはり伝票飛行機は力なくプラハの道に墜落した。ただ、昨日より飛ばし方が良かったのだろうか、今日の伝票飛行機は昨日のそれより少し遠くで墜落した。暇すぎるのでもう一度飛ばしてやろうと店の外に出て、軽すぎるそれを拾う。昨日と同じように空を見上げてみる。空は昨日と変わらないし、看板も昨日と同じくらい掠れているように見える。──あれ、これ普通に塗装ハゲてるだけかな。
「──あの」
「?」
観光客だろうか。店の中に戻ろうとした俺に、一人の少女が話しかけてきた。
「ここ、時計屋ですよね」
「? そうだよ。何か直してほしいものでもある?」
俺が不思議そうにしていると、少女はそういう訳ではないと首を横に振って、
「行ったこともないのに何回も夢で見るので……どんな場所なのかと来てみたんです」
「へぇ、そんなことがあるんだ」
「店主さんの顔はわからないのに声がはっきりと聴き取れて、きっと優しい人なんだろうって思ってたんです」
「……顔はどう? 何か予想してた?」
「優しそうな顔をしていたらいいな、とは」
少女は失礼なことを言う時のように、少し声を小さくして言った。
「で、実物どう?」
「思った通りの顔です。あと私……何故かあなたの名前を知っていて……」
「え?」
スーツケース片手に少女はほんの少し考えてから、「たしか……」と続けた。
「リーエイ? あっでも違うかもしれませんよね! ごめんなさいっ、変なことに付き合わせてしまって」
「……………」
ぺこぺこ謝る少女を前に、俺は何も言えなくなった。ユーイオなはずがない。ユーイオはもっと背が高くて、夜闇に少し青を足したような髪色で、金色の眼で俺をじっと見てくるはずだ。目の前のこの子は赤みが強い焦げ茶色の髪に灰色の目をしている。ユーイオとは全く違う。声も、ユーイオよりずっと細くて高い。それなのに何故だろうか。俺はこの子をどうしてもユーイオと呼んであげたくなるし、「おかえり」と声をかけたくなってしまう。
「……謝らなくていいよ」
「いやでもいきなり変なこと言ってしまいましたし……!」
「いいよいいよ。そういうのは慣れてるから。……ところで君、観光客かと思ったけどもしかして家出してきたのかな?」
「! つ、通報されますか……?」
図星だったらしく、少女の顔は不安で強ばる。だが、別に俺にそういう趣味はないし、何らかの理由で家に居たくないなら少しの間放浪するくらいはいいと思っている。
「別に。入る?」
「じゃあお言葉に甘えて……」
「さぁどうぞ」
この店に人間の客が入ったのはいつぶりだろうか。カチ、カチと普段は全く気にならなかった時計の秒針がやたら大きく聞こえるように感じる。
「紅茶かコーヒー、どっちがいい?」
「あ………その、ミルクティー、とかありますか?」
「勿論だよ」
少女は落ち着きがなく、そわそわとしている。時折こちらを見ては、すぐに視線を逸らす。そして、その視線が机に置いていた写真立てとかち合った。
「あの、これ……」
「ん?」
「お子さん、ですか?」
「ああ」
普段は客から見えない向きに立てていた写真だった。俺とリールとヴァクターとユーイオ、家族四人で撮った数少ない写真のひとつだ。異能が使えていたら、きっとこれも風化しないようにしていたのだろう。だが、今はその風化していく様も美しいと思える心がある。
「そうだよ、青黒い髪で金色の目の子とその横で笑うアッシュがかった色味の髪の毛で青い目の男の子はどっちも俺たちの子」
「………………」
かわいいでしょ、と言うと、少女は小さく頷いてしばらく写真を凝視した。
「……変わってない、ですよね」
「俺? うん」
「かなり古そうな写真なのに……」
どうして、と困惑し始める少女に、俺はあっけらかんと言った。
「だって俺死ねないもん」
「えっ」
「いや俺も理由はわかんないよ。なんか死ねないの」
そんなことがあっていいのか、と少女は衝撃を受けていた。
「あ、お茶できたよ。どうぞ」
「あ、ありがとう……ございます」
甘いミルクと深い茶葉の香りが互いを邪魔することなく香る。その芳香が心の疲れを癒してくれるような気がした。
「……君、名前は?」
「あ、ユーリア・チェルナーって言います」
「チェルナー……ん?」
「?」
リエレッツは何故かその名前を知っているような気がした。どこで見聞きしたのだろう、もしかして、と伝票を漁る。がさがさと二分ほど漁り続けると、かなり古い伝票の紙が出てきた。
「やっぱり……一回来てもらったことある」
紙には名前、修理して欲しいものの特徴、修理して欲しい箇所、受け取りに来る日時が書かれていた。「レネー・チェルナー、金色・黒い針・主人の品、三月七日の午後四時」──ユーリアは名前を見てはっとした。
「これ、うちで働いてくれてる機械の名前です」
「人間らしい名前をつけるのが今風なのかい?」
「は、はい。機械も限りなく人間に近い見た目をしていますから……」
「確かに言われてみればそんな子ばっか来てたなぁ。考えたこともなかったや」
ああ、なんて古くさい人だろうか。地球に戻ったら、間違いなく技術の進歩に置いていかれるだろうとは思っていた。だが、これはもう追いつくとかの次元ではなかった。機械が人間とコミュニケーションをとって生活を共にするなんて、考えたこともなかった。いつからそうだったのか尋ねると、ユーリアは二百年ほど前からだと言った。──おかしい。だが、カレンダーの西暦を見ると終戦から約七十年後とそうおかしくはない数字になる。とすると、あの霧の街は一年の時を過ごすのにこちらの二年分近くの時間をかけていたことになる。
「……そういえば名前言い忘れてたや。俺はリエレッツ・アダミーク。……リーエイとも呼ばれてた時期はあったよ」
懐かしい響きだとさえ思うほどに、その名前から自分は遠い場所まで生きてきたのだと感じた。
「リエレッツさん……」
「ようリエレッツ。久々に旦那様の腕時計の調子が悪いから見てくれ……ってお嬢様!?」
「あ……レネー」
黒髪に緑色の目をした機械が腕時計を片手に来店した。見た目も声も動きも、何もかもが完璧な人間である彼は、ユーリアを見てぎょっとした。
「もう何日帰ってないと思ってるんです!!」
「み、三日」
「一週間です!! オレが何回旦那様にお叱りを受けたと思ってるんですかぁ! 居そうなところに行っても全然居ないし! 心配したんですよ!!」
ぎゃんぎゃんと機械のお説教が飛ぶ。これでは取引もままならない。
「と、取り敢えずお説教はそれくらいにしておいて貰えるかな。時計の状態を見たいから貸してくれる?」
「ああ、すまん」
こっちの口調が彼の本来プログラミングされた口調であり性格だろう。俺に対しては気さくに話してくれる。プライベートと仕事は分けたいタイプなのだろう。──一応主人の物の修理依頼も仕事だとは思うが。
「うんうん………ああおっけ。三日くらいで直ると思うから三日後にまた来てくれる?」
「ああ、わかった。じゃあこれ代金な、前も良くしてもらったから釣りは要らねぇ」
「ありがたく頂戴するよ。君も紅茶でも飲んでからお嬢様を連れて帰るかい?」
「いや、オレは別に食事は……」
「いいじゃんレネー、このミルクティーすっごくおいしいよ」
ぐ、とユーリアに軽く手を握られたレネーは少し黙ってから、わかったと頷いた。基本的に彼女の行動には逆らわない主義なのだろうか。そんなことを考えながらミルクティーを淹れていると、
「オレの存在意義はお嬢様を守り幸せに生かすことだからな」
「! ……なら時には厳しくしないとだね。何も甘やかしてその人の言うとおりにすることだけが、その人の本当の幸せに繋がるわけじゃないからね」
「まったくだ。お嬢様、これを飲んだら帰りますよ」
「……はぁい」
レネーはリエレッツからカップを受け取り紅茶を一口飲んだ。
「……確かに美味い。悪くない腕だ」
感心したようにレネーは何度も紅茶の味を確かめ、あっという間に飲み干してしまった。
「味覚はあるんだね」
「その辺も人間と共感出来るようにオレたちは造られてるんでな。ほら、帰りますよ」
「うん……あ、リエレッツさん」
「ん?」
「また……ここに来てもいい? なんだかここ、とても落ち着くんです」
何となくそうだろうな、とリエレッツ自身も思っていたことだ。理由はわからない。きっとユーイオとどこか似ていたからかもしれない。今はもう居ない大切な子を脳裏に思い返しながらリエレッツは勿論、と頷く。
「いつでも待ってるよ」
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