フォギーシティ

淺木 朝咲

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八章 希望と叡智の街

深層

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 足の状態は思っていたよりも早く良くなっていった。痛みが収まり始めた夜から、僕は夢を何とか見ようと試みていた。夢は予知夢ではなく過去を回想しているようなものだったからだ。つまり、僕が無意識のうちに捨てた、もしくは脳のキャパオーバーによって失われた記憶を、ビデオテープのように再生しているのと変わらないのだ。だからこそ、その夢は生々しい。だが、その夢──過去が何回「回帰」したことで起きたのかまではわからない。
「………………最っ悪」
 「っ」を入れるほど今朝は夢見が悪かった。がば、と飛び上がるように起きて、周囲を確認してからそう言ったのだから、個人的には歴代最高レベルの夢見の悪さと言える。
「……」
 呆けて死んだ目をくしくしと擦り、ノートとペンを持って急いで夢を記録する。
 実は最上層者に仕えるヒトは二人だけではなかった。──もっとも、サージュを倒してすぐに二人目が突っ込んできた時点でなんとなくそれは察していたのだが。今朝の夢はその従者の残りの人数と、何人かの異能がある程度判明した夢だった。おそらく次に戦うことになるのは空中戦を得意とする、夢の中では背中に翼を生やしたヒトだった。翼は空を飛ぶことを可能にし、さらに鋭い斬撃も放つことが出来た。一番厄介なのが、最上層者と戦う前──つまり従者の中で最後に戦うだろうヒトだ。彼女は僕と真反対の見た目で、銀色の目に真っ白な髪を持ち、すべてを浄化する「破邪フリスタ」を持っていた。そのせいで僕の「輪廻サムサラ」どころか代償まで持っていかれそうになった。「拒絶リュフュ」の持ち主が居たら嫌だと思っていたが、これはそれ以上に厄介で戦いづらい相手かもしれない。もしかしたら過去の僕たちはこいつらの目を上手く掻い潜って最上層者まで辿り着いたかもしれないが、その可能性はおそらく無い。というのも、最上層者──円の性格を前世でよく知っている僕は、その臆病さから一人で相手をすることは仲間が戦えない状況にでもならない限り決してしないはずだと、自信を持って言えるからだ。
 「破邪フリスタ」の異能持ちを破るには、多分その代償を知る必要があるのだと思う。僕なら身内の早死(天涯孤独の身)、リーエイなら誰よりも永く生かされること、リールなら脳を休めるための休息時間を設けるために睡眠時間が必然的に長くなることと、僕たち異能持ちには強力な異能がある分、生活に何かしらのハンデがある。僕の異能がきっと一番ハンデらしくないハンデかもしれないが、最下層の暮らしを振り返れば十分すぎるハンデだった。よく顔の骨が歪まなかったと本当に思う。
「リーエイ………は時計屋かまだ寝てるから」
 そっと書斎の扉を開ける。いつものように異能全欄を本棚から出して、「破邪フリスタ」を探す。なんだかんだでこの全欄も十五版まで来たので、今僕が持っているのはその前の十四版だ。リールの努力と根気には本当に感激する。
「あった」
 ──「破邪フリスタ」 あらゆる悪を聖なる力で退ける力。一見「拒絶リュフュ」と似ているように思うが、「破邪」が使用者に対して敵意を持つもの全てを祓うのに対し、「拒絶」は敵意の有無は関係なく、使用者が嫌だと拒みたくなったものをすべて拒み忌むユニークスペルだ。なお、「破邪」で祓われた場合は敵意を完全に喪失し、使用者の意のままに相手を操ることも可能になるので注意。代償は極度の潔癖症及びパッシブスペルの使用不可。
 なんとリールは詳しく似ている異能との区別もつくように事細やかに「破邪フリスタ」について書いてくれていた。できる男だ。ちなみに、気になって僕の「輪廻サムサラ」がないか調べてみるとあるにはあった。
 ──「輪廻サムサラ」 命を循環させる力。農地の土壌改善から猫の蘇生まで行える。代償は家族を早くに亡くすこと、またそうなる為に様々な不幸が降りかかること。
 うん、クソ適当で三分の二のみが簡潔で事実を伝えている文だ。何だ土壌改善て。そんなこと一回もしたことない。また強力な異能のカモフラージュに違いないのだろうが、せめてもっとマシな文章を書いて欲しかった。
「あ、ユーイオ」
 書斎から出るとリーエイが降りてくるところだった。
「おはよう。朝から熱心だね」
「………二度寝しようかな」
「え? なんで?」
「なんとなく」
 そう言って階段でリーエイとすれ違う。勿論歯は磨いたし顔も洗っている。
 数分居なかっただけでベッドは僕の熱をどこかに飛ばしていた。ぼふっ、と飛び込めばすぐに頬からひんやりとした感覚が伝わってきた。次はどこまで遡るだろう。そもそもあの「破邪フリスタ」の異能持ちと対峙していたあの夢も何回目の時のものかわからない。もしかしたら僕が「回帰リュトゥール」に失敗したのは一回で済んでいないのかもしれない。そもそも「回帰」の代償って何だ? 「輪廻」の代償の時点でかなりヘビーだが、そこから更に何をどう奪おうと言うのだろうか。
 二度寝して見た夢は不思議な夢だった。最上層者が僕にしがみついて泣いている。しかも、謝っていた。アイツは一番消したい相手のはずなのに、どうしてこんな過去があったのだろうか。
「ん?」
 待て。そもそも最上層者が泣いているということはその時点で僕が街を消せる状態に限りなく近いはずだ。それならどうして過去の回想として見ることが出来るのだろう。映像をもう一度思い出してよく観察する。
「………!」
 最上層者の手に短剣が握られている。きっとこの僕は刺殺で上手く「回帰」出来ず、記憶を失ったままこの回で得た記憶を活用できなかったのだろう。実際、自分が体験した過去のはずなのに今の僕はその様子に驚きを隠せなかった。泣いて謝っておきながら、その実反省も何もしていないというクソガキっぷりを夢という形で見せつけられ、どこか怒りは増した。善い人ほど早く死ぬとはこういう事なのだろうか。僕は善人と自分で思ってはいなかったのだが。
「……二時か」
 すっかり昼まで寝てしまっていたようで、のそのそとベッドから脱出する。ボサボサの髪を櫛でゆっくり梳かし、リビングへ降りる。
「顔色悪いよ」
 降りて早々リーエイにそんなことを言われた。鏡は見ていなかったなと思いつつ、洗面所に向かう。確かに顔色は良くない。やや青白く、目は死んでいる。僕からしたら、あんなかこを見ていつも通りにこやかに出来る方がおかしい。水の冷たさが僕の頭を冷やしていった。顔を洗ってもう一度鏡を見るが、やはり顔色は優れなかった。
「カルボナーラでも作ろうか?」
「……気分じゃない。自分で適当に作る」
 と言ってもそもそも食欲そのものがあまり無い。適当に水を飲んで、ソファに座り込む。気持ち悪いな。貧血かな。そうだとしたら久々だな。
「ユーイオ?」
 今は何もかもがどうでもいい。僕に降りかかること全てが重くて、僕を地の底まで追いやって沈めてくる。息をするのも億劫で、ずるずると姿勢が崩れていく感覚がした。もう、今日くらいいいかな。何もしなくて、少しくらい諦めても、いいかな。
「ユーイオ? ユーイオ?」
 ソファに顔色が悪いままずるずると倒れたユーイオを見て、リーエイが不安そうに名前を呼ぶ。しかし、ユーイオは返事もせず目も開けない。脈はあるので生きてはいる。
「………」
 二人を倒してからのユーイオは少し不安定だった。常にぼんやりしていて、趣味の読書もぱったりと辞め、必要最低限の行動しか取らなくなった。リーエイはそんなユーイオが心配だった。親が弱気になってはいけないのだろう。子供の前では毅然としておかなければいけないのだろう。それでも、リーエイは不安を隠しきれなかった。
 ──また変な夢を見る。何もかも失った僕が一方的に殴られ、最後に心臓を突き刺された夢だった。何回目の最後だろう。僕は何回失敗しながらやり直しをしているのだろう。きっと、まともな死に方でもしない限り僕は延々と十歳のあの日から命をやり直し続けるのかもしれない。
 だが、この過去からわかったことは僕の内臓は人間のままだということだ。心臓を刺されて死んだのだから、僕の心臓は僕を生かすために必要不可欠なパーツだとわかる。リーエイやリールのような後天性異形は心臓が止まっていて、彼らが人間ではないことをわかりやすく教えてくれていた。多分メアルさんのような、過去の人間の願いから生み出された先天性異形はそのような器官を持っていないはずだ。願いから生まれただけの存在にそんな高度なパーツは必要ないとされるはずだからだ。──全部「はず」の話であってこの目で見たわけではないから、正解はわからないが。
 過去に最上層者が僕の心臓を消したのではなく刺したのは、おそらく僕をより苦しませるためだ。消すのは一瞬だが、刺せば痛みは続き、死ぬ寸前まで痛みと苦しみを味わう必要がある。それとも、アイツはまさか僕を殺したら僕の体に「姉さん」の命が僕と入れ替わるように入って、二人で普通の生活をやり直すことが出来るとでも考えていたのだろうか。残念ながらそんなことは不可能だ。前世の魂──彼の「姉さん」は彼の魂ごとあの世に行って今度こそ幸せな世界に同じ人間として転生することで、普通の生活を二人でやり直そうと考えている。そもそも、生活を送りたいならこんな不要物で溢れた街で暮らすのは普通ではないので、その時点で望みは叶わない。だが、僕からすれば前世の魂が願うことも──。
「ユーイオ」
「…………リーエイ」
「今日はよく寝るね」
「夢がね……」
 夜ご飯出来るよ、とリーエイに起こされた。
「平気?」
「んー………最近の夢はちょっとだるい」
 そっか、とリーエイはフライパンを流し台に置いてから言った。自分ではどうすることも出来ないことに、リーエイは大きなリアクションをするわけでもなく、静かに話を聞いたり寄り添ったりしてくれる。下手に「こうしたら」「こうしないからだよ」と言われるよりも嬉しかった。
「まぁ疲れてる時こそ食事が大切だよ。ほら、食べよう?」
 そう言われて出てきたのは鯛のアクアパッツァだった。鯛は身も柔らかく、味も優しいので好きだ。きっとわざわざ僕の為に買ってきてくれたのだと思うと、全くなかった食欲も少しは湧いてきた。
「………ん、美味しい」
「でしょー」
「魚料理に関しては本当に文句なしの出来だな」
「もっと褒めてくれてもいいよ」
 そう、基本的にリーエイはどの料理も得意だが、魚料理はその中でも彼の一番の得意ジャンルなのだ。魚は主にたまたまこの街に落ちていたものを吟味して持ち帰るか、もう地球で食べられないものの二パターンだ。
「ご馳走様。美味しかった」
「ユーイオが少しでも元気になってくれたなら嬉しいよ」
 アクアパッツァを完食し、僕は自室に戻る。満腹で頭も働き出したのだろう、僕は「回帰リュトゥール」についてあまり考えたくない可能性を敢えて考えてみることにした。
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