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八章 希望と叡智の街
崩壊
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僕がこの街を消すまで残り一年半。サージュはアテにならないと知り、何なら敵だとわかった以上、やはり僕としてサージュを見逃す訳にはいかない。「輪廻」はアレによってかなり力を引き出されているため、サージュは僕の次に「輪廻」の脅威を知っていることになる。正直不利でしかないが──僕の魂に残るカーラマンの生命が、僕に何かしらの影響を与えているなら、今回もサージュの予測から外れた行動をとることは出来なくはないはずだ。──でも、どうやって。
「…………」
「ユーイオ、そんな難しい顔しないで。綺麗な顔にシワが出来ちゃうよ」
「………紅茶とお菓子なら貰う。今は少し考えたいことがあるから……集中させて」
リーエイからメイプルティーとガトーショコラを貰い、再び僕はまっさらなノートを見た。
「………」
あらゆる未来のその一端、有り得ないとされた未来へ飛び移ると表現すれば良いのか、何度も枝分かれした先の「あるはずの無い未来」を掴むと言えば良いのか、つまり僕は可能性を無視した行動をする必要がありそうだ。出来る出来ないじゃなくて、やるしかない。
──最近体が上手く動かない。歳かもしれない。実際に百超えてるし、なんて言ったらそれまでだが。上手く動かないと言っても、たとえば「腕を伸ばしたい」と思って腕を伸ばそうとしたら全然伸びなかったり、むしろ曲げてしまったりする程度だ。やっぱり歳かもしれない。けれども、どこかそうさせられているような感覚もするのが不気味だ。
「……」
心当たりは特にない。まさかとは思うが、この前のサージュとの対峙が俺をこうさせているのならサージュにはかなり警戒しないといけない。
「やばっ」
かしゃん、と客の時計のパーツを落としてしまった。よりによって歯車だ。ゆっくり拾い上げてパーツの隅々まで確認すると、幸いどこも欠けていないことがわかった。
「………良かった」
ほっとしたのも束の間、聞きたくない声が目の前から聞こえた。
「時計の子」
「!」
サージュだ。しかも、本が浮いている。恐らくこれは──
「本体で来て何の用だ……?」
「先日の礼をしたくてね」
「礼?」
修理中の時計を机の大きめの引き出しにしまい込み、警戒する。
「最近身体に不調が出ていないかな?」
やはりコレの仕業なのか。
「え? 特にそうは思わないけれど」
「ふふ……まぁいいさ。この未来だけは必ず訪れる……私がそう仕組んだのだから」
「? それを言いに来ただけ?」
「そう。生憎傷が癒えてないのでね。傷が無ければ今この手で葬ってやっても良かったのに……」
物騒なことを平気で言う。
「──三日。三日で私が言ったことがどういうことかわかるよ」
「はあ……」
「ではまた会えることを願うよ、時計の子」
それだけ言ってサージュは消えてしまった。派手な攻撃を仕掛けない、話しに来ただけということは本当にユーイオが放った「雷霆」が効いているのだろう。
「……気をつけないと」
リーエイはしまっていた時計を引き出しから出して、再び修理に取り掛かった。
「最近体が思うように動かなくてさ」
「歳か?」
「もしそうならリールもそうなるでしょ」
リールが図書館から帰ってきて、夕食を家族で食べる。血の繋がりは無くても心は繋がっている。大丈夫、俺がたとえ俺の意思通りに動けなくなったとしてもふたりなら任せられる。
「リーエイなんか顔色悪い?」
「え?」
「いくつ時計を修理したんだ」
「いつもと変わんないくらい……?」
「「……早く寝ろ」」
ふたりに口を揃えられてそんなことを言われる日が来るとは。ましてや子供でもない俺が。でも、本当にふたりからそんなことを言われてしまうくらい今の俺は疲れきっているのかもしれない。
「わかったよ、今日はちゃんと早く寝るよ」
俺は渋々頷いて、これ以上心配をかけないように振舞った。その日の夜は、結局何も起きなかった。
──変化が起き始めたのは二日後だった。
「リーエイ?」
がしゃん、とキッチンから大きな音がしたので、気になって自室から降りてみるとリーエイが右手を抑えながら震えていた。
「ちょっと、しっかりしてよ」
「ごめんごめん……」
足元には割れたカップの破片が散らばっていた。僕が片付けてやると、リーエイは困ったように笑っていた。
「最低でもあと一年は生きてくれないと困るんだから」
「そうだね、しっかりしないと」
──おかしかった。手の力がいきなり抜けるような感覚。自分の手なのに、自分のものではないような感覚。
「俺が残りを片付けとくよ」
「駄目、これでまた怪我でもされたら困るから僕に任せて」
「はぁい」
だが、手がまた勝手に動いた。その手はコップの破片へ向かう。
「は? 話聞いてた?」
「……」
こういう時、何故か声が出せない。もしかしてサージュが言っていたことはこういう事だったのだろうか。
「リーエイ」
破片を拾った手が首に近付く。冷や汗が出た気がした。怖い。嫌だ。助けて、ユーイオ。
「やめろつってんだろ」
「……っは………は………」
ユーイオに手を強く掴まれ、なんとか破片は首に届かなかった。ユーイオは乱暴に俺の手から破片を奪い、袋に入れる。
「今ので怪我してない?」
「この程度の傷くらい異能で消せる」
「そっか」
「…………何された?」
「え?」
袋の口を縛って、割れ物を入れるゴミ箱に袋を突っ込んでからユーイオは言った。
「そもそも今のお前は本当にお前一人の意思で動いてるか?」
「っ………………そ、れは」
わからない、と答えるのがおそらく一番正しい。実際に破片を拾ったのも、それを首に向けたのも俺の意思とは関係なしに俺の手が動いた結果だったからだ。
「なあ──サージュ?」
「え」
ばち、と首の後ろに一瞬電気のような何かが走った気がした。俺が痛みのあまり首を抑えていると、誰かが現れた。
「ふふ、こんばんはゲレクシス」
「父に何をしたと訊いてる」
「えぇ? 人聞きの悪い」
本体の状態で現れたそれに、ユーイオは迷いなく手を伸ばす。
「私に書かれた未来を見るのかな?」
「違う。──あった、多分これだろ? 「輪廻」」
時計の子を利用しその子供を葬る、と書かれている文を無かったことにした。
「死には生を、生には死を。生は別に生きてなくても存在さえしていれば僕の異能でどうにでも出来る」
文が消されてすぐにリーエイの身体にあった不快感、不調のもとは消えた。
「ゲレクシス、つまらないよ」
「黙れ」
「お前が何度未来の選択肢を潰したところで、私の未来は何千年も生きてきた大木の枝葉の数と変わらないのに」
くすくすと本は笑う。
「時計の子、私はお前が気に食わない。性格も能力も、私とは合わない。ゲレクシスの親とはいえ──意地でも消させてもらう」
そう言って本は消えた。
「………平気? リーエイ」
「今はね。ただ……次またいつこうなるか」
「それはもうアレの気分次第としか言いようがないな」
「はは、そうだね」
流石にもう寝よう、とリーエイと僕はそれぞれの部屋に向かった。
それから暫く、リーエイは家事をリールに任せ、時計の修理と読書だけを繰り返す日々を送っていた。だからなのだろう、僕たちが異変に気付けなかったのは。
その日、僕は異能の「生死の逆転」という特性に囚われない使い方はないか模索していた。一言で言えば、消す、生み出すの中間をやってみたいのだ。生かしも殺しもしない、多分最も残虐なことを。そうでもしないとあの本は八つ裂きにしても燃やしても意味が無いような気がしていたから。
「?」
コンコン、と扉をノックされた。珍しい。この家の人は基本的にノックを知らないのか、と言いたいレベルでノックをしない。
「誰?」
「………」
返事はない。何かおかしい。どうして夜中にこんなことがあるのだろう。家の鍵は閉まっていて、壊されたような音もしなかった。
「っ……まさか」
僕が急いで扉を開けると、リーエイが刃物を持って立っていた。
「!」
後ろに僕が飛び退くと、リーエイは僕を追うように部屋に入った。──目付きが違う。これは最下層で嫌というほど見た、殺人鬼や人を嬲る人間の目だ。
「リーエイ! おい!」
名前を呼んでも反応がない。その代わりに僕の方へじりじりと近寄ってくる。そのヒトは何も話さない。大抵の人間が震え上がるような恐ろしい目でひたすら僕を見つめているだけだ。
「リーエイ! しっかりしろ! お前は僕の父で、僕はお前の子だ!」
「………」
やはり何も返事しない。だが、刃物をしっかりと僕の腹部の高さに合わせて構えたのが見えた。──仕方がない。一か八かになることだが、リーエイ本人の精神を戻すためにも、僕が動くしかないのだろう。
「リーエイ!」
確認のためにもう一度名前を呼ぶ。刃物を構えたまま彼は僕の方に歩み寄ってきた。ああ、やはり僕の声に反応して僕の方に向かってきている。
「リーエイ──来い」
「……!」
僕が手招きをしてやる。彼はそのまま僕の方へ走ってくる。覚悟は、出来ている。
「………………!!」
「うぅ………っつ……」
どっ、と刃物はしっかりと僕の腹部に刺さった。彼自身は刃物を抜くつもりはなかったのか、刺した途端その手を離した。だが、僕はわざと刃物を抜いた。血がびちゃびちゃと床を汚し、その流れは止まらない。
「今お前がしたことを、お前の頭で考えて、お前の口で言え」
「あ…………ああ………ユーイオ………………そんな……なんで………」
目が元の優しいリーエイのものに変わり、その身体はわなわなと震えている。手は僕の返り血を浴びていた。
「早く! お前が言わないなら僕は異能をこの傷に使わない、お前にも使わせない!」
そう言って僕はリーエイの異能を「輪廻」で消した。
「俺、が……ユーイオを刺した?」
「……」
「なんで………ていうかどうして俺は刃物なんか持って……」
リーエイは目の前でぼろぼろ泣き始めた。
「アレはお前じゃなかった。リーエイはあんな目をしない。僕を傷つけることは絶対にしない。──どうやらアレは本当に僕たちを消したいらしい。それも僕たちを使って、殺し合わせるように」
「輪廻」を傷に使うが、どうも止血が精一杯で傷そのものは塞がらない。
「そんな……俺は絶対にユーイオを殺すなんてしないよ、したくないよ!」
「だからリーエイはギリギリで致命傷になる所を避けた」
「………」
「とはいえちょっと今困ってる。「輪廻」で傷が塞がらない。止血で精一杯なんだよ」
「え……」
メアルの所に行かなきゃ、とリーエイが焦り出すのを僕が止める。
「なんで! 俺のせいでこうなったのに……!」
「僕たちが関わる奴らがこうなってないってどうして言い切れる?」
「っ…………」
「僕は異能で止血出来てるし、傷自体は包帯を巻いておけば外気に晒されることも無い。………自然治癒するかもわからないけどね」
リーエイはずっと申し訳なさそうな顔で僕の傷を見ている。
「──「時間詐称」」
ダメ元で、とリーエイが僕の傷に異能を使う。すると、傷はみるみる塞がっていった。
「わあ」
「誤魔化してるだけだよ、明日にはまた傷が開くはず……俺は父親失格だ」
「正気を取り戻して、誤魔化しとはいえ僕の傷を塞いだ。大丈夫、ちょっと刺さっただけだよ。うっかり包丁で指を切るのとそんな変わらないって」
「変わるよ!」
ぎゅ、とリーエイに抱きしめられる。その身体は小さく震えているのに、力は強い。
「怖い……俺が俺じゃなくなる時、意識があんまりはっきりしてないんだ………」
「……」
「次は本当に殺すかもしれない、誤魔化しさえ効かない傷を負わせるかもしれない。次にこうなってるのは俺だけじゃないかもしれない。家族を殺すなんて嫌だ、今まで奪ってきた分の罰かもしれなくても、俺は欲張りだから嫌だ」
ぽたぽたとリーエイの涙が落ちて、僕の右肩辺りを濡らす。
「ごめん……ごめんユーイオ。俺がこんなだから、君が辛い思いばかりする………申し訳ない、俺なんかが父親になるから……」
「……………ごめんなんて言わないでよ」
「え?」
「そこは「止めてくれてありがとう」くらい言えよ。お前本当に戦時中勲章とか貰ってたか怪しいぞ?」
「も、貰ってたよ! 感覚が麻痺してたから……」
──そう、さっきみたいに。
「………あ」
「?」
「さっきの俺の目、どんなんだった?」
「え………人殺しの目。血走ってて、殺す対象だけをじっと見つめるおぞましい目」
そうか、とリーエイはなにか確信したらしい。
「ならそれも俺だよ、ユーイオ」
「は? だからアレは身体はリーエイで中身が──」
「中身も俺。過去の、戦時中のね」
「…………」
「ユーイオ、そんな難しい顔しないで。綺麗な顔にシワが出来ちゃうよ」
「………紅茶とお菓子なら貰う。今は少し考えたいことがあるから……集中させて」
リーエイからメイプルティーとガトーショコラを貰い、再び僕はまっさらなノートを見た。
「………」
あらゆる未来のその一端、有り得ないとされた未来へ飛び移ると表現すれば良いのか、何度も枝分かれした先の「あるはずの無い未来」を掴むと言えば良いのか、つまり僕は可能性を無視した行動をする必要がありそうだ。出来る出来ないじゃなくて、やるしかない。
──最近体が上手く動かない。歳かもしれない。実際に百超えてるし、なんて言ったらそれまでだが。上手く動かないと言っても、たとえば「腕を伸ばしたい」と思って腕を伸ばそうとしたら全然伸びなかったり、むしろ曲げてしまったりする程度だ。やっぱり歳かもしれない。けれども、どこかそうさせられているような感覚もするのが不気味だ。
「……」
心当たりは特にない。まさかとは思うが、この前のサージュとの対峙が俺をこうさせているのならサージュにはかなり警戒しないといけない。
「やばっ」
かしゃん、と客の時計のパーツを落としてしまった。よりによって歯車だ。ゆっくり拾い上げてパーツの隅々まで確認すると、幸いどこも欠けていないことがわかった。
「………良かった」
ほっとしたのも束の間、聞きたくない声が目の前から聞こえた。
「時計の子」
「!」
サージュだ。しかも、本が浮いている。恐らくこれは──
「本体で来て何の用だ……?」
「先日の礼をしたくてね」
「礼?」
修理中の時計を机の大きめの引き出しにしまい込み、警戒する。
「最近身体に不調が出ていないかな?」
やはりコレの仕業なのか。
「え? 特にそうは思わないけれど」
「ふふ……まぁいいさ。この未来だけは必ず訪れる……私がそう仕組んだのだから」
「? それを言いに来ただけ?」
「そう。生憎傷が癒えてないのでね。傷が無ければ今この手で葬ってやっても良かったのに……」
物騒なことを平気で言う。
「──三日。三日で私が言ったことがどういうことかわかるよ」
「はあ……」
「ではまた会えることを願うよ、時計の子」
それだけ言ってサージュは消えてしまった。派手な攻撃を仕掛けない、話しに来ただけということは本当にユーイオが放った「雷霆」が効いているのだろう。
「……気をつけないと」
リーエイはしまっていた時計を引き出しから出して、再び修理に取り掛かった。
「最近体が思うように動かなくてさ」
「歳か?」
「もしそうならリールもそうなるでしょ」
リールが図書館から帰ってきて、夕食を家族で食べる。血の繋がりは無くても心は繋がっている。大丈夫、俺がたとえ俺の意思通りに動けなくなったとしてもふたりなら任せられる。
「リーエイなんか顔色悪い?」
「え?」
「いくつ時計を修理したんだ」
「いつもと変わんないくらい……?」
「「……早く寝ろ」」
ふたりに口を揃えられてそんなことを言われる日が来るとは。ましてや子供でもない俺が。でも、本当にふたりからそんなことを言われてしまうくらい今の俺は疲れきっているのかもしれない。
「わかったよ、今日はちゃんと早く寝るよ」
俺は渋々頷いて、これ以上心配をかけないように振舞った。その日の夜は、結局何も起きなかった。
──変化が起き始めたのは二日後だった。
「リーエイ?」
がしゃん、とキッチンから大きな音がしたので、気になって自室から降りてみるとリーエイが右手を抑えながら震えていた。
「ちょっと、しっかりしてよ」
「ごめんごめん……」
足元には割れたカップの破片が散らばっていた。僕が片付けてやると、リーエイは困ったように笑っていた。
「最低でもあと一年は生きてくれないと困るんだから」
「そうだね、しっかりしないと」
──おかしかった。手の力がいきなり抜けるような感覚。自分の手なのに、自分のものではないような感覚。
「俺が残りを片付けとくよ」
「駄目、これでまた怪我でもされたら困るから僕に任せて」
「はぁい」
だが、手がまた勝手に動いた。その手はコップの破片へ向かう。
「は? 話聞いてた?」
「……」
こういう時、何故か声が出せない。もしかしてサージュが言っていたことはこういう事だったのだろうか。
「リーエイ」
破片を拾った手が首に近付く。冷や汗が出た気がした。怖い。嫌だ。助けて、ユーイオ。
「やめろつってんだろ」
「……っは………は………」
ユーイオに手を強く掴まれ、なんとか破片は首に届かなかった。ユーイオは乱暴に俺の手から破片を奪い、袋に入れる。
「今ので怪我してない?」
「この程度の傷くらい異能で消せる」
「そっか」
「…………何された?」
「え?」
袋の口を縛って、割れ物を入れるゴミ箱に袋を突っ込んでからユーイオは言った。
「そもそも今のお前は本当にお前一人の意思で動いてるか?」
「っ………………そ、れは」
わからない、と答えるのがおそらく一番正しい。実際に破片を拾ったのも、それを首に向けたのも俺の意思とは関係なしに俺の手が動いた結果だったからだ。
「なあ──サージュ?」
「え」
ばち、と首の後ろに一瞬電気のような何かが走った気がした。俺が痛みのあまり首を抑えていると、誰かが現れた。
「ふふ、こんばんはゲレクシス」
「父に何をしたと訊いてる」
「えぇ? 人聞きの悪い」
本体の状態で現れたそれに、ユーイオは迷いなく手を伸ばす。
「私に書かれた未来を見るのかな?」
「違う。──あった、多分これだろ? 「輪廻」」
時計の子を利用しその子供を葬る、と書かれている文を無かったことにした。
「死には生を、生には死を。生は別に生きてなくても存在さえしていれば僕の異能でどうにでも出来る」
文が消されてすぐにリーエイの身体にあった不快感、不調のもとは消えた。
「ゲレクシス、つまらないよ」
「黙れ」
「お前が何度未来の選択肢を潰したところで、私の未来は何千年も生きてきた大木の枝葉の数と変わらないのに」
くすくすと本は笑う。
「時計の子、私はお前が気に食わない。性格も能力も、私とは合わない。ゲレクシスの親とはいえ──意地でも消させてもらう」
そう言って本は消えた。
「………平気? リーエイ」
「今はね。ただ……次またいつこうなるか」
「それはもうアレの気分次第としか言いようがないな」
「はは、そうだね」
流石にもう寝よう、とリーエイと僕はそれぞれの部屋に向かった。
それから暫く、リーエイは家事をリールに任せ、時計の修理と読書だけを繰り返す日々を送っていた。だからなのだろう、僕たちが異変に気付けなかったのは。
その日、僕は異能の「生死の逆転」という特性に囚われない使い方はないか模索していた。一言で言えば、消す、生み出すの中間をやってみたいのだ。生かしも殺しもしない、多分最も残虐なことを。そうでもしないとあの本は八つ裂きにしても燃やしても意味が無いような気がしていたから。
「?」
コンコン、と扉をノックされた。珍しい。この家の人は基本的にノックを知らないのか、と言いたいレベルでノックをしない。
「誰?」
「………」
返事はない。何かおかしい。どうして夜中にこんなことがあるのだろう。家の鍵は閉まっていて、壊されたような音もしなかった。
「っ……まさか」
僕が急いで扉を開けると、リーエイが刃物を持って立っていた。
「!」
後ろに僕が飛び退くと、リーエイは僕を追うように部屋に入った。──目付きが違う。これは最下層で嫌というほど見た、殺人鬼や人を嬲る人間の目だ。
「リーエイ! おい!」
名前を呼んでも反応がない。その代わりに僕の方へじりじりと近寄ってくる。そのヒトは何も話さない。大抵の人間が震え上がるような恐ろしい目でひたすら僕を見つめているだけだ。
「リーエイ! しっかりしろ! お前は僕の父で、僕はお前の子だ!」
「………」
やはり何も返事しない。だが、刃物をしっかりと僕の腹部の高さに合わせて構えたのが見えた。──仕方がない。一か八かになることだが、リーエイ本人の精神を戻すためにも、僕が動くしかないのだろう。
「リーエイ!」
確認のためにもう一度名前を呼ぶ。刃物を構えたまま彼は僕の方に歩み寄ってきた。ああ、やはり僕の声に反応して僕の方に向かってきている。
「リーエイ──来い」
「……!」
僕が手招きをしてやる。彼はそのまま僕の方へ走ってくる。覚悟は、出来ている。
「………………!!」
「うぅ………っつ……」
どっ、と刃物はしっかりと僕の腹部に刺さった。彼自身は刃物を抜くつもりはなかったのか、刺した途端その手を離した。だが、僕はわざと刃物を抜いた。血がびちゃびちゃと床を汚し、その流れは止まらない。
「今お前がしたことを、お前の頭で考えて、お前の口で言え」
「あ…………ああ………ユーイオ………………そんな……なんで………」
目が元の優しいリーエイのものに変わり、その身体はわなわなと震えている。手は僕の返り血を浴びていた。
「早く! お前が言わないなら僕は異能をこの傷に使わない、お前にも使わせない!」
そう言って僕はリーエイの異能を「輪廻」で消した。
「俺、が……ユーイオを刺した?」
「……」
「なんで………ていうかどうして俺は刃物なんか持って……」
リーエイは目の前でぼろぼろ泣き始めた。
「アレはお前じゃなかった。リーエイはあんな目をしない。僕を傷つけることは絶対にしない。──どうやらアレは本当に僕たちを消したいらしい。それも僕たちを使って、殺し合わせるように」
「輪廻」を傷に使うが、どうも止血が精一杯で傷そのものは塞がらない。
「そんな……俺は絶対にユーイオを殺すなんてしないよ、したくないよ!」
「だからリーエイはギリギリで致命傷になる所を避けた」
「………」
「とはいえちょっと今困ってる。「輪廻」で傷が塞がらない。止血で精一杯なんだよ」
「え……」
メアルの所に行かなきゃ、とリーエイが焦り出すのを僕が止める。
「なんで! 俺のせいでこうなったのに……!」
「僕たちが関わる奴らがこうなってないってどうして言い切れる?」
「っ…………」
「僕は異能で止血出来てるし、傷自体は包帯を巻いておけば外気に晒されることも無い。………自然治癒するかもわからないけどね」
リーエイはずっと申し訳なさそうな顔で僕の傷を見ている。
「──「時間詐称」」
ダメ元で、とリーエイが僕の傷に異能を使う。すると、傷はみるみる塞がっていった。
「わあ」
「誤魔化してるだけだよ、明日にはまた傷が開くはず……俺は父親失格だ」
「正気を取り戻して、誤魔化しとはいえ僕の傷を塞いだ。大丈夫、ちょっと刺さっただけだよ。うっかり包丁で指を切るのとそんな変わらないって」
「変わるよ!」
ぎゅ、とリーエイに抱きしめられる。その身体は小さく震えているのに、力は強い。
「怖い……俺が俺じゃなくなる時、意識があんまりはっきりしてないんだ………」
「……」
「次は本当に殺すかもしれない、誤魔化しさえ効かない傷を負わせるかもしれない。次にこうなってるのは俺だけじゃないかもしれない。家族を殺すなんて嫌だ、今まで奪ってきた分の罰かもしれなくても、俺は欲張りだから嫌だ」
ぽたぽたとリーエイの涙が落ちて、僕の右肩辺りを濡らす。
「ごめん……ごめんユーイオ。俺がこんなだから、君が辛い思いばかりする………申し訳ない、俺なんかが父親になるから……」
「……………ごめんなんて言わないでよ」
「え?」
「そこは「止めてくれてありがとう」くらい言えよ。お前本当に戦時中勲章とか貰ってたか怪しいぞ?」
「も、貰ってたよ! 感覚が麻痺してたから……」
──そう、さっきみたいに。
「………あ」
「?」
「さっきの俺の目、どんなんだった?」
「え………人殺しの目。血走ってて、殺す対象だけをじっと見つめるおぞましい目」
そうか、とリーエイはなにか確信したらしい。
「ならそれも俺だよ、ユーイオ」
「は? だからアレは身体はリーエイで中身が──」
「中身も俺。過去の、戦時中のね」
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