31 / 59
七章 太陽と月の街
雨音
しおりを挟む
一昨日は帰ったらリールにとても心配された。何かあったら大変だろう、と。まあ、実際その何かはあったのだが。僕はまだその詳細をリールにもリーエイにも話しきれていない。リーエイと共通してわかっていることは、サージュは最上層のヒトだったこと、警察という、下から上への層の行き来をしてしまった人々を処罰する役目を担っているということだ。
あの時のサージュはやはりどこかおかしかった。普段の振る舞いから一転して、まるで誰かに動かされている人形のようだった。
「………」
机の引き出しを開ける。六年前、ここに来て文字を教えられてから書き始めた日記帳がしまってある。
「時計頭以外にも地球ぎのヒトもいた」「文字を書くのはむずかしい。たいへんだ」「どうやったら字がきれいに書けるかリーエイに聞いた。困ってた」と、はじめの頃は文字も汚く書ける字も少なかった。
今も続けているこの日記帳は、余裕で十冊を突破し、その冊数は自分の年の数に近付いている。
「リーエイとリールは何があっても僕のことを家族だと言ってくれた。ふたりがそのつもりならこれからは同じように生きていきたい」「今日は気分が乗らない。全体的になんかだるい」と、最近の、ここ一年の内容も相変わらず一言だ。もしかして僕には言葉を伝える力があまりないのでは?
「リーエイ、リーエイ」
「ん? わざわざ時計屋まで来てどうしたの?」
「僕の言ってることってわかりにくい?」
「え?」
時計を直しながらリーエイはこちらを向いた。
「僕ってあまり文章とか作るの上手くないのかなって……」
「うーん、俺は別にそうは思わないかな。むしろリールの方が口下手!」
あっはっは、と大笑いしながらリーエイは手元を狂わせることなく順調に時計の修理を進めていく。
今日は雨だ。来客は無く、リーエイはひたすら修理注文で送られてきた大量の時計をせっせと直すだけで、何も話してこない。
「これ、カフェラテ」
「ああ、ありがとう」
──暇すぎて普段はあまり作らないものまで作ってしまうほどには。
「………それ楽しい?」
「楽しいというか、俺がやんなきゃ誰にも直せないからね」
「リーエイのせい?」
「まあね」
かちゃかちゃと時計を解体して、異能で異能を解除する様は中々に面白い。リーエイの異能のせいで時計の部品が上手く動かず狂っているのに、それをリーエイが異能を使って元通りにしていくのだから、異能は使い方次第だとよくわかる。
「ふー……少し休憩」
リーエイの机周りにはどっちゃりとまだまだ修理を待つ時計が溢れている。
「あと何個くらい?」
「んー……四十個くらいはあるかな? 全部の層から送られてくるからね。今日はこれでも減らした方だよー」
そう言いながらリーエイは引き出しから小銭を出して僕の手に握らせる。
「バニラさんのところで俺のおやつと一緒に何か好きなの買ってきていいよ」
「……リーエイは」
「なんでも」
「……」
ガキじゃあるまいし、と思いつつ傘をさして向かいのバニラさんのパティスリーに向かう。
「いらっしゃ……あら、ユーイオ。久しぶり」
「バニラさん、元気だった?」
「おかげさまで。今日は何を買いに来たの?」
「……えっと、クイニーアマンふたつ」
「ふふっ、本当にうちのクイニーアマンを気に入ってくれてありがとう。他には?」
ちゃり、とカーディガンに小銭が入っているのを思い出した。
「ガトーショコラとバターラスク一袋かな」
「かしこまりました~」
バニラさんは相変わらず陽気で朗らかとしている。
「はいこれ」
「え? 僕そんなに頼んでな……」
「いいの。また来てね」
「……ありがとう」
代金と引き換えに渡された袋の中に、クイニーアマンがもう一つ入っていた。リールは甘いものが苦手だったはずだし、どうしようか。
「ただいま」
「おかえりー………なんか袋大きいね?」
「気の所為気の所為」
そう言って僕はリーエイにクイニーアマンを差し出す。
「……ははっ、まだ覚えてたんだ」
「僕もこのクイニーアマンは好きだし」
バニラさんはすぐに食べられるようにやや硬めのお菓子は包装して渡してくれる。その包装紙がまた全くベタつかずサラッとしているのが驚きだ。
「パリッとしてジュワッとバターが滲み出るこの感覚がたまんないね」
「バニラさんの異能は最高だな」
ふたりでカフェラテを飲み、クイニーアマンを食べ、外から聞こえる雨音を音楽に休憩時間を楽しむ。今日はきっと一日雨だ。
「……さて、食べ終えたし俺は仕事に戻るよ」
そう言ってリーエイは再び時計を修理し始めた。
「…………」
リーエイは黙々と時計を解体し、異能で異能を解き、ネジを丁寧に締めていく。リーエイは元々手先が器用だが、何年も続けているせいでその器用さがさらに磨かれている。大抵の人なら一時間以上は平気でかかるだろう作業を、リーエイはものの四十分で終わらせてしまう。
「眠くならない?」
「俺が寝てミスして、この時計の持ち主が困っちゃうって考えたら眠くても寝れないよ」
リーエイは困ったように笑って言う。きっと僕にはわからない、労働者としての責任感なのだろう。雨はいっそう強くなり、僕は静かに時を刻む針の音と、雨音とで眠たくなってしまった。
「ユーイオ」
「ん………」
リーエイは作業中にもかかわらず眠そうにしていた僕に気付いて、椅子の背もたれからブランケットを抜いて差し出す。リーエイがしばらくもたれていたはずのブランケットにやはり温かみはどこにもない。異能によって常に新品のふわふわの状態が保たれているそれを被り、椅子に持たれて僕は目を閉じた。
「ユーイオ、ユーイオ」
「んー」
「んーじゃなくて」
「んんぅ………」
「……夜ご飯置いてくけど」
「…………えぇ?」
目を開けると外はすっかり真っ暗だった。どれくらい寝ていたのだろう。
「六時半。二時間くらい寝てたね」
「……時計は?」
寝ぼけた頭でそんなことを訊いても返答なんて何も頭に入ってこないというのに、何を訊いているのだろう。
「もうあと少し。でも明日もどうせ雨だからいいよ」
「……………」
「……ご飯、食べたくない?」
「いや……食べる」
リーエイは頷いて手を伸ばす。いつの間にかブランケットは剥ぎ取られ、リーエイの椅子に元の状態と同じように掛けられていた。僕はリーエイの手を掴んで起こしてもらう。十六歳がしてもらうことではない、それくらいはわかっているつもりだ。
「時計屋にいたのか」
「珍しいでしょ。その後寝てたけど」
「雨の日は眠気が酷いだけだよ」
「はいはい」
そう言ってリーエイは食器を出しているリールの手伝いをする。僕はお茶と食器洗いの担当だ。
「今日は雨で少し気温も低いしポタージュで温まるよ」
器に盛られたのはかぼちゃのポタージュだった。正直、かぼちゃ、じゃがいも、人参、玉ねぎをメインに作られるポタージュの中で僕はかぼちゃのポタージュが一番好きだ。
「リールが帰りにバゲットを沢山買ってくれたよ」
「ただのバターとガーリックバターのどっちもある。好きなだけ食べたらいい」
バゲットは一枚一枚丁寧にスライスされ、歯応えもよく香ばしい。
「……ユーイオ」
「んぅ?」
バゲットをポタージュに突っ込み口いっぱいに詰め込んだ時、リールに呼ばれた。
「サージュについてなんだが──」
「…………んぐ、ああ、おかしかったことについて?」
「ああ」
俺が思うに、とリールは前置きをして言った。
「アレは誰かに造られた古代兵器の類の可能性があると思う」
お茶を入れて、味も感じられないクッキーを皿に乗せて、また人間の体を模倣して手に入れた私は深く沈み込むソファに座る。今度は臙脂色の髪を青紫色に変えてみた。眼も灰色に変えた。分身体が溜め込んでいた未来の記述が、一昨日のことで一気に流れ込んできたせいでまだ仕分けが終わらない。人々が災害や先の見えない未来に不安を抱いたせいでこんな面倒な仕事がある。ぼり、と硬めチョコチップクッキーにはやはり甘さも苦さもない。この理由は私が本だからか、それとも私に味覚が必要なかったからなのか。
「………どうでもいいことだよ、ねぇ。カーラマン」
お前がいないと私はどうも人付き合いというものが上手くいかないんだ。私の代わりに私を紹介して、私の代わりに笑って、場を和やかにしてくれたお前が完全な先天性異形だったら良かったのに。
「で、古代兵器って?」
「人間が持つ器用さと知識で生み出した高性能な機械や生命体だ」
「……」
いまいち理解が出来ない。というより、イメージが掴めない。
「先天性異形と違うのは一個体につき一人の管理者がいること、あくまでそいつらの能力は異能を元に作られた機能であって完璧な異能じゃないことだ」
「つまり大元の異能があるってことだよ」
「……じゃあ、もしそうだとしたらサージュの「予見」も?」
僕が訊くとふたりは頷く。
「本人は異能と言ってるけど多分ね」
「何百年も前から居るとなると、アレの管理者はこの世には居ないだろうな」
「え、管理者が居なくても動けるんだ?」
いや、とリールは否定する。
「本来なら無理だ。だが──誰かがそのプログラムを改竄したなら、新しい管理者として兵器に受け入れられる」
「古代兵器とか人に造られたやつっていうのは、基本的に管理者の「こうなったらいいのに」を叶えるためにあるからね。で、そういう兵器たちを人間は道具として扱う」
だから心強い道具、武器にはなれても兵器たちは絶対に人間の仲間にはなれないのだとリーエイは言った。
「……武器………異武装もそう?」
「異形が作ったものだけど、まあ似たようなものだね。道具に意思はない。欲望がない。だから管理者を失った兵器たちは明確な目標や欲を持てずに機能が停止してしまうんだよ」
「ふぅん……」
兵器に意思はない。もしサージュが、その意思のない古代兵器の一体だとしたら、どうして表情豊かに笑い、話せていたのだろう。
「で、でもリーエイ。サージュは飲食も出来てたし、笑ってたよ?」
「人間の味方だって誰から見てもわかるようにするためには、自分たちと同じ生活に馴染ませるのが大切だからね。独裁者に理不尽に殺されたくないからって、独裁者のめちゃくちゃな思想に首を縦に振るのと変わらないよ」
リーエイは笑いながら言った。きっとこの街に来る前にそんなことが彼の身の回りであったのだろうリールも頷いている。
「まぁ、だからリールの古代兵器説は俺たちが言った「誰かに動かされてる気がする」って所から推測したんじゃないかな?」
「そうだ。……食べ終わったなら食器を水に浸けておこうか」
「ご、ごめん話に夢中で……つい」
「構わない」
リールは自分の食器と一緒に僕の食器も持って流し台へ行った。
「……勉強する」
「ん、頑張ってね」
「無理だけはするな。夜食くらい作るからいつでも言ってくれ」
「ありがとう」
──古代兵器。大昔の人々がどうしてそんなものをわざわざ作ったのか僕にはよくわからない。未来はお先真っ暗でわからないのが当たり前だし、そんなわからなくて当然のことに不安になるのも意味不明だ。ふたりの話からして古代兵器が製造された時代には既に異形は居たことになる。大元の異能が先天性のものか後天性のものかはともかくだ。ただ、きっと大昔の人々にとって異形はかなり恐ろしい存在だったに違いないはずなのに、どうやって異能を模した兵器なんてものを造ったのだろう。人間に味方する異形が居たとしても、その異形は他の異形に酷い目に遭わされるはずだし、そうならなかったにしても居場所がどんどん無くなるだけのはずだ。
実際、僕が普通の人間の前で異能を使えば人々は驚いて僕を恐れるに違いないし、僕を殺そうと徹底的に応戦するだろう。それは僕がいくら異能を人間を助ける為にと説明しても同じかもしれない。実際、僕だって今だからこそ異能を受け入れているが、最下層にずっと居続けていればリーエイなんて恐怖の塊でしかないし、異形とわかりあえる、手を取り合えるなんて思うことはまずなかった。結局は僕もその異形の血が流れていたからそんなことにはならなかったのだが。
「………」
そもそも今の時代に古代兵器について知っている人がどれくらい居るかもわからない。最下層や下層の人々はまず知る機会がないだろうし、中層民も平和ボケをしていそうだ。上層民は家柄がどうだとかうるさそうなのである程度知っている人は居そうだ。アイツは──どうでもいい。
取り敢えず、僕たちが最上層に安心して行くためにはやはり最下層からあの地下を抜けるか、警察であるサージュを殺し夜な夜な上層を抜けていくかのどちらかになる。地下は何もないが基本的に一方通行な上に建物が多く残っているため逃げ場が少ない。地上はサージュさえ何とかしてしまえば一般市民は僕たちにとってそこまで厄介な相手ではない。
「リーエイ」
「ん?」
僕がリビングに降りると、リーエイはミルクティーを飲みながら新聞を読んでいた。この街に新聞なんてものがどうして機能しているのかはわからないし、恐らくデタラメしか書いていないのだろうが、それでもリーエイは目を通す。
「……最上層、さ」
「ああ」
「地下から行くのはやめようかなって思ってて」
「え?」
リーエイが新聞から目を離し僕を見る。
「「停滞」の石は最下層は壊したし下層も実は……。あとはここの図書館にあるやつと上層のやつだけで、その……地下は逃げ場が少ないから、前みたいに上からアレの気配がした時に逃げ送れないかなって心配になったんだ」
「あー…………こっちから行くとしたらサージュとまた会うと思うけど?」
「…………いいよ、どうせ僕が全部まっさらにするんだから。今更一人二人消したってどうってことないよ」
そう、決めたのだ。
「……じゃあユーイオが十八になった冬にやるよ。冬は寒いけど空気も綺麗だし、暗くなるのが早いからね」
「わかった」
あと二年。その時に成功するかどうかはもう僕の努力と運次第だ。
あの時のサージュはやはりどこかおかしかった。普段の振る舞いから一転して、まるで誰かに動かされている人形のようだった。
「………」
机の引き出しを開ける。六年前、ここに来て文字を教えられてから書き始めた日記帳がしまってある。
「時計頭以外にも地球ぎのヒトもいた」「文字を書くのはむずかしい。たいへんだ」「どうやったら字がきれいに書けるかリーエイに聞いた。困ってた」と、はじめの頃は文字も汚く書ける字も少なかった。
今も続けているこの日記帳は、余裕で十冊を突破し、その冊数は自分の年の数に近付いている。
「リーエイとリールは何があっても僕のことを家族だと言ってくれた。ふたりがそのつもりならこれからは同じように生きていきたい」「今日は気分が乗らない。全体的になんかだるい」と、最近の、ここ一年の内容も相変わらず一言だ。もしかして僕には言葉を伝える力があまりないのでは?
「リーエイ、リーエイ」
「ん? わざわざ時計屋まで来てどうしたの?」
「僕の言ってることってわかりにくい?」
「え?」
時計を直しながらリーエイはこちらを向いた。
「僕ってあまり文章とか作るの上手くないのかなって……」
「うーん、俺は別にそうは思わないかな。むしろリールの方が口下手!」
あっはっは、と大笑いしながらリーエイは手元を狂わせることなく順調に時計の修理を進めていく。
今日は雨だ。来客は無く、リーエイはひたすら修理注文で送られてきた大量の時計をせっせと直すだけで、何も話してこない。
「これ、カフェラテ」
「ああ、ありがとう」
──暇すぎて普段はあまり作らないものまで作ってしまうほどには。
「………それ楽しい?」
「楽しいというか、俺がやんなきゃ誰にも直せないからね」
「リーエイのせい?」
「まあね」
かちゃかちゃと時計を解体して、異能で異能を解除する様は中々に面白い。リーエイの異能のせいで時計の部品が上手く動かず狂っているのに、それをリーエイが異能を使って元通りにしていくのだから、異能は使い方次第だとよくわかる。
「ふー……少し休憩」
リーエイの机周りにはどっちゃりとまだまだ修理を待つ時計が溢れている。
「あと何個くらい?」
「んー……四十個くらいはあるかな? 全部の層から送られてくるからね。今日はこれでも減らした方だよー」
そう言いながらリーエイは引き出しから小銭を出して僕の手に握らせる。
「バニラさんのところで俺のおやつと一緒に何か好きなの買ってきていいよ」
「……リーエイは」
「なんでも」
「……」
ガキじゃあるまいし、と思いつつ傘をさして向かいのバニラさんのパティスリーに向かう。
「いらっしゃ……あら、ユーイオ。久しぶり」
「バニラさん、元気だった?」
「おかげさまで。今日は何を買いに来たの?」
「……えっと、クイニーアマンふたつ」
「ふふっ、本当にうちのクイニーアマンを気に入ってくれてありがとう。他には?」
ちゃり、とカーディガンに小銭が入っているのを思い出した。
「ガトーショコラとバターラスク一袋かな」
「かしこまりました~」
バニラさんは相変わらず陽気で朗らかとしている。
「はいこれ」
「え? 僕そんなに頼んでな……」
「いいの。また来てね」
「……ありがとう」
代金と引き換えに渡された袋の中に、クイニーアマンがもう一つ入っていた。リールは甘いものが苦手だったはずだし、どうしようか。
「ただいま」
「おかえりー………なんか袋大きいね?」
「気の所為気の所為」
そう言って僕はリーエイにクイニーアマンを差し出す。
「……ははっ、まだ覚えてたんだ」
「僕もこのクイニーアマンは好きだし」
バニラさんはすぐに食べられるようにやや硬めのお菓子は包装して渡してくれる。その包装紙がまた全くベタつかずサラッとしているのが驚きだ。
「パリッとしてジュワッとバターが滲み出るこの感覚がたまんないね」
「バニラさんの異能は最高だな」
ふたりでカフェラテを飲み、クイニーアマンを食べ、外から聞こえる雨音を音楽に休憩時間を楽しむ。今日はきっと一日雨だ。
「……さて、食べ終えたし俺は仕事に戻るよ」
そう言ってリーエイは再び時計を修理し始めた。
「…………」
リーエイは黙々と時計を解体し、異能で異能を解き、ネジを丁寧に締めていく。リーエイは元々手先が器用だが、何年も続けているせいでその器用さがさらに磨かれている。大抵の人なら一時間以上は平気でかかるだろう作業を、リーエイはものの四十分で終わらせてしまう。
「眠くならない?」
「俺が寝てミスして、この時計の持ち主が困っちゃうって考えたら眠くても寝れないよ」
リーエイは困ったように笑って言う。きっと僕にはわからない、労働者としての責任感なのだろう。雨はいっそう強くなり、僕は静かに時を刻む針の音と、雨音とで眠たくなってしまった。
「ユーイオ」
「ん………」
リーエイは作業中にもかかわらず眠そうにしていた僕に気付いて、椅子の背もたれからブランケットを抜いて差し出す。リーエイがしばらくもたれていたはずのブランケットにやはり温かみはどこにもない。異能によって常に新品のふわふわの状態が保たれているそれを被り、椅子に持たれて僕は目を閉じた。
「ユーイオ、ユーイオ」
「んー」
「んーじゃなくて」
「んんぅ………」
「……夜ご飯置いてくけど」
「…………えぇ?」
目を開けると外はすっかり真っ暗だった。どれくらい寝ていたのだろう。
「六時半。二時間くらい寝てたね」
「……時計は?」
寝ぼけた頭でそんなことを訊いても返答なんて何も頭に入ってこないというのに、何を訊いているのだろう。
「もうあと少し。でも明日もどうせ雨だからいいよ」
「……………」
「……ご飯、食べたくない?」
「いや……食べる」
リーエイは頷いて手を伸ばす。いつの間にかブランケットは剥ぎ取られ、リーエイの椅子に元の状態と同じように掛けられていた。僕はリーエイの手を掴んで起こしてもらう。十六歳がしてもらうことではない、それくらいはわかっているつもりだ。
「時計屋にいたのか」
「珍しいでしょ。その後寝てたけど」
「雨の日は眠気が酷いだけだよ」
「はいはい」
そう言ってリーエイは食器を出しているリールの手伝いをする。僕はお茶と食器洗いの担当だ。
「今日は雨で少し気温も低いしポタージュで温まるよ」
器に盛られたのはかぼちゃのポタージュだった。正直、かぼちゃ、じゃがいも、人参、玉ねぎをメインに作られるポタージュの中で僕はかぼちゃのポタージュが一番好きだ。
「リールが帰りにバゲットを沢山買ってくれたよ」
「ただのバターとガーリックバターのどっちもある。好きなだけ食べたらいい」
バゲットは一枚一枚丁寧にスライスされ、歯応えもよく香ばしい。
「……ユーイオ」
「んぅ?」
バゲットをポタージュに突っ込み口いっぱいに詰め込んだ時、リールに呼ばれた。
「サージュについてなんだが──」
「…………んぐ、ああ、おかしかったことについて?」
「ああ」
俺が思うに、とリールは前置きをして言った。
「アレは誰かに造られた古代兵器の類の可能性があると思う」
お茶を入れて、味も感じられないクッキーを皿に乗せて、また人間の体を模倣して手に入れた私は深く沈み込むソファに座る。今度は臙脂色の髪を青紫色に変えてみた。眼も灰色に変えた。分身体が溜め込んでいた未来の記述が、一昨日のことで一気に流れ込んできたせいでまだ仕分けが終わらない。人々が災害や先の見えない未来に不安を抱いたせいでこんな面倒な仕事がある。ぼり、と硬めチョコチップクッキーにはやはり甘さも苦さもない。この理由は私が本だからか、それとも私に味覚が必要なかったからなのか。
「………どうでもいいことだよ、ねぇ。カーラマン」
お前がいないと私はどうも人付き合いというものが上手くいかないんだ。私の代わりに私を紹介して、私の代わりに笑って、場を和やかにしてくれたお前が完全な先天性異形だったら良かったのに。
「で、古代兵器って?」
「人間が持つ器用さと知識で生み出した高性能な機械や生命体だ」
「……」
いまいち理解が出来ない。というより、イメージが掴めない。
「先天性異形と違うのは一個体につき一人の管理者がいること、あくまでそいつらの能力は異能を元に作られた機能であって完璧な異能じゃないことだ」
「つまり大元の異能があるってことだよ」
「……じゃあ、もしそうだとしたらサージュの「予見」も?」
僕が訊くとふたりは頷く。
「本人は異能と言ってるけど多分ね」
「何百年も前から居るとなると、アレの管理者はこの世には居ないだろうな」
「え、管理者が居なくても動けるんだ?」
いや、とリールは否定する。
「本来なら無理だ。だが──誰かがそのプログラムを改竄したなら、新しい管理者として兵器に受け入れられる」
「古代兵器とか人に造られたやつっていうのは、基本的に管理者の「こうなったらいいのに」を叶えるためにあるからね。で、そういう兵器たちを人間は道具として扱う」
だから心強い道具、武器にはなれても兵器たちは絶対に人間の仲間にはなれないのだとリーエイは言った。
「……武器………異武装もそう?」
「異形が作ったものだけど、まあ似たようなものだね。道具に意思はない。欲望がない。だから管理者を失った兵器たちは明確な目標や欲を持てずに機能が停止してしまうんだよ」
「ふぅん……」
兵器に意思はない。もしサージュが、その意思のない古代兵器の一体だとしたら、どうして表情豊かに笑い、話せていたのだろう。
「で、でもリーエイ。サージュは飲食も出来てたし、笑ってたよ?」
「人間の味方だって誰から見てもわかるようにするためには、自分たちと同じ生活に馴染ませるのが大切だからね。独裁者に理不尽に殺されたくないからって、独裁者のめちゃくちゃな思想に首を縦に振るのと変わらないよ」
リーエイは笑いながら言った。きっとこの街に来る前にそんなことが彼の身の回りであったのだろうリールも頷いている。
「まぁ、だからリールの古代兵器説は俺たちが言った「誰かに動かされてる気がする」って所から推測したんじゃないかな?」
「そうだ。……食べ終わったなら食器を水に浸けておこうか」
「ご、ごめん話に夢中で……つい」
「構わない」
リールは自分の食器と一緒に僕の食器も持って流し台へ行った。
「……勉強する」
「ん、頑張ってね」
「無理だけはするな。夜食くらい作るからいつでも言ってくれ」
「ありがとう」
──古代兵器。大昔の人々がどうしてそんなものをわざわざ作ったのか僕にはよくわからない。未来はお先真っ暗でわからないのが当たり前だし、そんなわからなくて当然のことに不安になるのも意味不明だ。ふたりの話からして古代兵器が製造された時代には既に異形は居たことになる。大元の異能が先天性のものか後天性のものかはともかくだ。ただ、きっと大昔の人々にとって異形はかなり恐ろしい存在だったに違いないはずなのに、どうやって異能を模した兵器なんてものを造ったのだろう。人間に味方する異形が居たとしても、その異形は他の異形に酷い目に遭わされるはずだし、そうならなかったにしても居場所がどんどん無くなるだけのはずだ。
実際、僕が普通の人間の前で異能を使えば人々は驚いて僕を恐れるに違いないし、僕を殺そうと徹底的に応戦するだろう。それは僕がいくら異能を人間を助ける為にと説明しても同じかもしれない。実際、僕だって今だからこそ異能を受け入れているが、最下層にずっと居続けていればリーエイなんて恐怖の塊でしかないし、異形とわかりあえる、手を取り合えるなんて思うことはまずなかった。結局は僕もその異形の血が流れていたからそんなことにはならなかったのだが。
「………」
そもそも今の時代に古代兵器について知っている人がどれくらい居るかもわからない。最下層や下層の人々はまず知る機会がないだろうし、中層民も平和ボケをしていそうだ。上層民は家柄がどうだとかうるさそうなのである程度知っている人は居そうだ。アイツは──どうでもいい。
取り敢えず、僕たちが最上層に安心して行くためにはやはり最下層からあの地下を抜けるか、警察であるサージュを殺し夜な夜な上層を抜けていくかのどちらかになる。地下は何もないが基本的に一方通行な上に建物が多く残っているため逃げ場が少ない。地上はサージュさえ何とかしてしまえば一般市民は僕たちにとってそこまで厄介な相手ではない。
「リーエイ」
「ん?」
僕がリビングに降りると、リーエイはミルクティーを飲みながら新聞を読んでいた。この街に新聞なんてものがどうして機能しているのかはわからないし、恐らくデタラメしか書いていないのだろうが、それでもリーエイは目を通す。
「……最上層、さ」
「ああ」
「地下から行くのはやめようかなって思ってて」
「え?」
リーエイが新聞から目を離し僕を見る。
「「停滞」の石は最下層は壊したし下層も実は……。あとはここの図書館にあるやつと上層のやつだけで、その……地下は逃げ場が少ないから、前みたいに上からアレの気配がした時に逃げ送れないかなって心配になったんだ」
「あー…………こっちから行くとしたらサージュとまた会うと思うけど?」
「…………いいよ、どうせ僕が全部まっさらにするんだから。今更一人二人消したってどうってことないよ」
そう、決めたのだ。
「……じゃあユーイオが十八になった冬にやるよ。冬は寒いけど空気も綺麗だし、暗くなるのが早いからね」
「わかった」
あと二年。その時に成功するかどうかはもう僕の努力と運次第だ。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。


後宮出入りの女商人 四神国の妃と消えた護符
washusatomi
キャラ文芸
西域の女商人白蘭は、董王朝の皇太后の護符の行方を追う。皇帝に自分の有能さを認めさせ、後宮出入りの女商人として生きていくために――。 そして奮闘する白蘭は、無骨な禁軍将軍と心を通わせるようになり……。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる