フォギーシティ

淺木 朝咲

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六章 不要物とヒトの街

雲行き

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 今日も魂を管理する。死んだ魂を生きた魂へ巻き戻して、生きた命で溢れるように願いながら。
「やあ。また何か悩み事かな?」
 鬱蒼とした不気味な森。「誰かわからない奴が森に来る」──それだけで、彼は家までの行き道を一本道にしてくれた。
「異能じゃないのにどうやってあんなこと……」
「道のことなら「改竄ファルスィフィカション」の異武装があるからさ」
 ほら、と賢者と呼ばれるサージュは杖を持った。
「これで方向感覚を狂わせる場所を作ったり道を獣道だけにしたりやりたい放題させてもらってるよ」
「そんなに人が嫌い?」
「嫌いとかのレベルじゃないね」
「じゃあなんで僕はいいんだよ」
「お前は人間であり先天性異形、ゲレクシスの末裔だからな」
 あとカーラマンに似てるから、とサージュは付け足した。カーラマンのことが本当に好きらしい。
「で、今日は何の用だ?」
 そろそろ本題を話せ、と催促された。
「……この街で生まれた人間が死んだら、魂はずっとこの街で漂わざるを得ない、そうだな?」
「そうだ。簡単にはへ逝かせてくれない。不要物の魂を真っ当な人間として循環させるつもりがないんだ、向こうは」
 サージュは頷く。僕は紅茶を飲む。今日はアップルティーだ。
「僕が異能を使えばに逝かせてあげることは出来たんだけど……それって良くない事だったのかな」
「さあ。ただ、そんなことが出来るお前を向こうは許さないだろう。……前にこの街が崩れても、お前は外の世界で生きていけると言ったな。もしかしたらそれが難しくなる可能性だってある」
 つまり僕も皆と死ぬ可能性が上がったということだ。まあ、魂を管理する、なんて言っていたが実際はこの街から天国とやらに無理矢理送還しているだけだし仕方ない。
「お前ならわかるだろうがこの街は死で溢れてる」
「うん」
「だがここ数日はその死が減って生が増えた」
「……うん」
「死んだ魂で溢れかえらないようにするのはいいこと。……だからって無闇矢鱈に死んだ魂をもう一度死体に吹き込んで生へひっくり返しすぎるのはやめた方がいい」
「………どうして」
「じゃあお前は死んだと思ってた母親がいきなり帰ってきたらどうする」
「……びっくりする。でも僕は最下層の身寄りのない奴らに限定して……!」
「それでも、殺した奴は驚いて怖がるよ」
「………」
 サージュは時々人間の味方になろうとしている気がする。僕が元から人間にも異形にもなりきれない中途半端な存在だからかわからないが、それが無性にイライラする。
「あまり異能を使いすぎるな。街そのものに影響ガタが来ることになる」
「……時計故障が多いのもそう?」
「そう、リーエイのだろ。ひとつひとつの時間をずらしすぎることで、ずらした事が無いものすら本来の時間から置き去りにされたり、逆に本来の時間を置き去りにしたりしてしまうんだ」
「リールとかサージュの異能は常に発動されてるようなものなのに、それは無いんだ?」
「私や彼の異能は見るだけで干渉はしないからね。ああ、そうこう言ってるうちにまた私の家の時計も狂った」
「え」
 壁にかかった時計を見る。まだ針は正常に動いている。だが、サージュがそう言って数秒後、時計はいきなりぎゅるぎゅるとめちゃくちゃな針の動きを始めた。針は止まることを知らず、 どんどん戻っていく。
「ユーイオ、帰る時にこの時計も持って行ってくれ」
「わかった。馬鹿親父がごめんね」
「いいよ」
 それから僕は魂の循環についてさらに詳しく聞くことにした。
「そもそも死んだらまた別の生き物に生まれ変わるのが輪廻なら、この街で生まれた人はどうやって?」
「お前がやったように、カーラマンもこの街で死んだ魂をあちら側へ逝かせることを時々やっていたんだ。多分、お前は「輪廻サムサラ」の特性で何回でも問答無用で生まれ変わることが出来る。他人はそうじゃない。だから、この街で生まれた人間はカーラマンが導いた魂の生まれ変わりと思っていいはずだよ」
 カーラマン。何回も聞くその名前に僕は耳に蓋をしたくなった。
「──それで確かカーラマンがあの時私の目の前で手品をしてあげるって言って、死んだ人をいきなり蘇らせたのが「輪廻サムサラ」の始まりなんだ。カーラマンが凄い人ってのがその瞬間私にはわかっ」
「帰る」
「え? でも外は雨が降り始めて……」
「いい、帰る」
「あっ」
 ぱたん、と扉は丁寧に閉じられた。こういうことは珍しくない。どうも私は無神経なことを言いがちらしいのだ。仕方ない、とティーカップを片付ける。ああ、一本道に戻したっけ。覚えてないな、どうせあの子のことだから地図は持ってるだろうし、まあいいか。
「…………」
 カーラマン。カーラマン。僕の前前世のヒト。霧の英雄。魂が巡っているなら、一度外界で美代子として過ごしてもその本質は変わらないはずなのに、どうして僕はこんなにも未熟なままなのだろう? わからない。わからない。わかりたくもない。わかるのも怖い。いっそこのまま、未熟なままで街とともに消えてしまいたい。
 雨はいっそう強くなって僕の体を冷やす。雨粒が頬を伝い、滴り落ちる。
「うあああぁぁぁぁぁ………」
 ざああああああ、と激しい雨が僕の声も涙も搔き消していく。それでいいと思った。どうせぼくの姿は未来サージュには見えない。しかし変だ。一本道の帰路は一度目の訪問時よりかなり複雑な道になっていた。サージュを怒らせてしまったのだろうか。地図も忘れ、どこをどう曲がり走ってきたのかも思い出せない。
「……………もしかしてこのまま死ねる?」
 僕もこの街を漂う死んだ魂のひとつになれるかな。木の幹にぺたりともたれかかり、そっと目を閉じる。雨が木を濡らす音だけが聞こえる。この雨では動物は外に出てこれないようだ。



「………」
 誰かいる。あたたかさと優しさに溢れている。ゆらゆらと揺れる感覚が心地いい。誰だろう。自然と強ばっていた身体から力が抜けるのはどうしてだろう。もしこの人がお母さんだったら──。



「………………ぇ」
 ゆっくりと目を開く。視界に広がったのは自室の天井だった。布団は綺麗にかけられて、窓には水滴がいっぱいついていた。
「どうして……」
 起き上がるとテーブルの上にメモがあり、「起きたらゆっくりでいいから食べなさい」と丁寧な字で書かれていた。字を教えてもらう時に何回も見た字だった。メモの横に目をやると、クリームチキンスープがラップをかけて置かれていた。何故か涙が止まらなかった。器に触るとまだ温かかった。ベッドから降りて、ゆっくりとチキンスープを食べる。初めてここに来た時に出されたうどんとは全くの別物なのに、何故かあの時の光景が脳裏に浮かんだ。おかしい。ここにリーエイは居ないのに。おかしい。僕は森の中で冷たくひとりで「死んでもいいかな」とさえ思ったのに。チキンスープは少ししょっぱかった。食べ終えて、食器を片付けなければ、と器を持って立ち上がる。けれども、どこかリビングには行きたくないと思ってしまう気持ちが僕の足を止める。それでも、行かなければ。
「起きた? 元気?」
「……うん」
 リビングに降りると、リーエイはいつも通りだった。運んだのはリールで、リーエイはスープを作っただけかもしれない。
「わざわざありがとう」
 僕の手元を見てリーエイは言った。別に、普通のことだ。
「熱があるから動けないかと思った」
「熱?」
「え? うん。だるくないの?」
 言われてみれば少し体が重い。リーエイに体温計を渡される。しばらくして小さくピピピ、と音が鳴ったので見てみると三十八度を超えていた。
「わぁ、もう歯磨きして寝とこうよ」
「……………」
 リーエイに背中を軽く押され、僕は洗面所に向かう。いつものように歯を磨いて、口をゆすいで、また背中を軽く押されると思ったら今度はおぶられて二階の自室に戻った。
「別に歩けるよ」
「いいよ。こっちの方が楽でしょ」
 リーエイの体はやはり冷たい。温かかったのはリールが運んでくれたからだろうか。だが、ふと今日が何曜日か思い出した。今日は土曜日だが、別に図書館の休館日ではない。つまり、どう足掻いても森から家に運んできたのも食事を出したのも全部リーエイになる。
「リーエイ」
「ん?」
「なんでわざわざこんなことするんだよ」
「なんでって……君の親だから」
「親じゃないのに。義親のくせに親のツラすんなよ……」
「ユーイオ……」
 おぶられながら、なんて酷いことを言ってしまったのだろう。リーエイの声が珍しく本当に悲しそうだ。
「あの日君を助けてここまで成長させたことが君にとって苦痛なら、俺は謝るよ」
 きい、と扉が開く。どうやってこんな十五歳の僕を背負いながら扉を開けているのだろう。
「でもね、俺は君を育ててきた日々の中で一日たりとも君を捨てたいと思ったことは無かったし、本当の子供だと思って育ててきたつもりだよ」
 ベッドに下ろされる。布団くらい自分で被れると思っていたら、リーエイが布団を全部持っていた。
「君が来てからの五年間は本当に毎日楽しいんだ。……そりゃあ、たまに心配になったり不安になったりすることもあるけれど」
 ばさあっ、と布団を被せられる。肩を冷やさないようにぎゅむ、と肩周りの布団を押し込まれる。
「………君が俺をどう思おうと、俺はこれからも君の親でありたいと思うよ」
 それだけ言って、リーエイは部屋から出ていった。よく見ると、チキンスープが置かれていたテーブルにはこの前拾ったばかりの写真が写真立てに入れられ、飾られていた。
 ごめんなさい。ごめんなさい。リーエイは何も悪くないのに。僕が普通の子じゃなくて、捨て子で、最下層の可哀想な子供で、君の目につく場所で行き倒れていたから。ごめんなさい。初めて会った時に、失礼なことをして。ごめんなさい。この街を消したいなんて思って、言って。ごめんなさい。僕だって君のこと家族だって思ってる。義親なんて言ったけど、親だって思ってる。だからあんなに悲しまないで。辛そうにしないで。泣きそうな顔しないで。僕のことを「最低」って言ってくれて構わないから。「要らない」って言ってくれていいから。存在を否定してくれて構わないから、どうか泣かないで。
「……………」
 リーエイはリビングに戻り、ソファに腰かける。深く沈むクッションよりも深く彼の心は沈んでいた。自分が親らしく振る舞っていたつもりの行動を振り返る。初めてうどんを出した日。文字を教えてきた日々。少しずつ難しい言葉を使ったお喋りが出来るようになっていった。少しずつ背は伸びた。本当のこともわかった。それでもこの子の親でいたいと本気で思った。──届いていなかったのだろうか。
「ただいまー………ってなんか暗くないか」
「……………リール、俺はちゃんと親としてやれてきたかな」
 仕事終わりのリールにリーエイは目も合わせずに話す。
「………ユーイオは」
「寝た、と思う。異能使ってまで寝顔を見る気には……今はなれない」
「そうか」
 鞄を玄関の手前に置いて、リールはリーエイの隣に腰かける。
「俺はお前が親として努力してきてるのを知ってる」
「……」
「どうやったらあの子が笑うのか、あの子が少しでも社会で困らないように生きられるか、異能持ちだってわかった日もそうだ。お前はなるべく前向きに考えて、あの子の願う未来のために動いてきたと思う」
 だから大丈夫、とリールはリーエイの丸まった背中をさする。
「泣くな、リーエイ。お前はちゃんと父親だ」
 ぼろぼろと大粒の涙を零し俯く親友を慰める。久しぶりに見たな、この泣き顔。戦争のときですら見なかった、百年以上ぶりの親友の表情。オリーブの目が潤んで、息をする度にブロンドの髪が小さく揺れる。
 雨はまだ降って止まない。家族の今を表しているようだった。
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