フォギーシティ

淺木 朝咲

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五章 嘘と真実の街

祖先

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 その日の夕食は豪華だった。この日食べたシャトーブリアンはリールみたいに「完全記憶フルメモリー」を持っているわけではないけれど、多分死ぬまで忘れないだろう。
「ユーイオ」
「リーエイ」
 夕食を終えて、お風呂も入り終わって、部屋の窓を開けて夜風に当たっているとリーエイが部屋にいた。多分、ノックはしたのだろう。
「ごめんね、隠してて」
「……別に。僕だって知らなかっただけで隠してたようなことがある」
「? 聞かせてくれる?」
「勿論」
 ベッドに並んで座る。十四歳。この頃の俺はどう過ごしていただろう。
「大きくなったね、ユーイオ」
「そう?」
「うん」
 リーエイは嬉しそうに頷く。
「……まあいいや。僕の苗字と、ルーツについて向こうでわかったんだ」
「苗字?」
「僕の名前を正しく発音した上で本名を名乗るなら、ジュイオ・ゲレクシス」
「ジュイオ・ゲレクシス……それが本当の名前なんだね。俺もジュイオって呼んだ方がいい?」
「いいや、もうユーイオって響きに慣れたし、僕は正直そっちの方が好き」
「そっか」
 リーエイはいつもの明るさを出さずに軽く笑うだけだった。
「日本の苗字は由来が面白くてね。下田だったら田んぼの下に住んでたから下田だったり、結構そのまんまな所があったんだけどユーイオのゲレクシスって何?」
「…………」
 リファから別れる直前に聞いた意味は、あまり良いものではないし、なんとなく自分たち一族がどんな存在かを考えれば予想はつく意味だった。
「ユーイオ?」
「……リーエイは僕が「世界に必要かどうか以前の存在」ってことは知ってる、よね」
「うん」
 声がつっかえる。震える。ああそうか、リーエイが出自を正直に言わなかったのはきっと過去に一度でもこうなったからだ。それはリールに対してかもしれないし、他の誰かに対してかもしれない。でも、親しい相手であればあるほど怖いと思うのはよくわかる。
「…………ゲレクシスの意味は、「不要」」
 名前の時点で不要でしかない存在だとわかる。それでも、リファが言うには、かつてはここ最下層の中でも一際存在感のある、貴族的な立場にあったらしいのだ。
「俺にはユーイオ必要だけどなぁ」
「知ってる」
「リールにもだと思うよ」
「リールにとって僕は珍しい人間だし」
「……ユーイオ」
 悲しげな目で見つめられた。惨めに見えているわけではないのはわかっている。それでもその目で見られるのは嫌だ。
「ゲレクシスの家に生まれた子は、一生霧の街から出られない……んだけど、僕は「輪廻サムサラ」のおかげで、奇跡的にその呪縛の影響を受けないゲレクシスの子、なんだって」
「へぇ、凄いね」
「霧の街は転生の順番待ちの場所。僕の御先祖サマはその順番が、自分たちが住んでいた霧の街が滅びた後ここに来たけど、それでも転生の番がずっと廻ってこないって言ってたよ」
「ん、滅んだ?」
「そう」
 僕があの場所で聞いてきたのは自分のルーツについてだけではなかった。



「──そもそもなんで霧の街出身のリファがこんな死後の世界、なんて所にいるんだよ」
「我々不要物が再び必要とされる日を待つ場所が霧の街なのであって、二度と不要だとされた上で霧の街の中での寿命を終えたらここに来るんですよ」
「……わからん」
「つまり、霧の街での我々は仮死状態に近い、と言えば分かりますか? ここに来た時点で完全に死んでいるようなものです。あなたは……そうですか、我々の時代の霧の街を訪れたのですね。あの街がああなったのも滅ぼされたから。だから今この世界の外観は我々が過ごしていた霧の街に近いものになっているのですよ」
「滅ぼされた?」
「リール様のような善良な異形ではなく、人の心を捨てた異形が増えたのです。原因は分かりません。ですが、異形があの街で生まれた時点で街はああなる運命だったのだと思います」



「…………」
 リーエイは黙っていた。
「その異形は全てを恨んでいるようだった。雷神のような姿をしていたって、聞いたよ」
 僕が淡々と向こう側で聞いた話を話しても、リーエイは何も言わずに俯いている。寝ているのかと思ったがそうではない。
「今の霧の街は、やっぱり異形が塗り替えたものなんだって」
「そう、なんだね」
「異形が異能を使って異形優位の街にした。だから今の霧の街は人間の立場が当時以上に弱くて、異形が蔓延ってるんだって聞いた」
「…………俺たちのことはどう思う?」
 リーエイは僕の方を見もせずに訊いた。
「リーエイもリールも僕からしたらもう家族だよ。他にも今まで関わってくれたヒトたちは、僕は絶対に悪者にならないって言いきれる自信がある」
「それはどうして?」
「皆僕が最下層出身の子どもだって知っても、それでもひとりの人間としてきちんと礼節を弁えて接してくれた。リーエイに至っては種族ガン無視で僕を養子にした。……少なくとも僕に対して中層の普通の人間に対する扱いと同じかそれ以上に良い扱いをしてくれるヒトたちは人間まともだって、それくらいわかるよ」
 変な言葉になっちゃった、とユーイオは照れたように笑った。リーエイはそれを聞いて嬉しくなった。もう百年近く人ならざるものとして、異形としての自分を受け入れて、周りもそんな自分を異形として認識して接していたのに、ユーイオだけが人間のように接してくれていることが何よりも嬉しかったのだ。
「じゃあ悪い存在だって思ってないんだ、よかった」
「むしろ「ちょっと能力使えすぎちゃう上に見た目まあまあ変な」くらいの認識」
 勿論初めは異形だとかなり怖がっていたのだが。
「とりあえず、あの地下の街があんな朽ちてるのももう死んだ街だから。で、それでも残ってるのは人間で言う人骨が地中に残るのと同じなんだって」
「そっかそっか。色々わかったんだね。ありがとう」
 リーエイは本当に異形としてはイレギュラーな存在なのだろう。始祖が語っていた異形──特に後天性異形は、人より優れた能力を持って、人を恐怖に陥れられる、自分を不要物扱いした人間という種族を許せないと憎悪に満ちた者が多かったというのだ。今でも人間を下等種と思っている奴らはいると話すと、やっぱりと呆れたように言っていた。元々は同じ人間なのに、どうしてああなってしまうのか。
「……リーエイが優しい奴で良かった」
「俺はちゃんと親として大丈夫かな?」
「僕はリーエイに拾ってもらえて良かったと思ってるよ。………ああ、そうそう親についても少しわかったんだよ」
「本当?」
「うん。お母さんは………死んでた。お父さんについては何も話してもらえなかったから、多分どうでもいい人。お母さんがゲレクシスの子孫だったんだ。「保護セーブ」の異能持ちで、最下層出身だったから自分が異能を持った特殊な生まれなことも、異能の存在すら知らなかったみたい。それでも無意識に異能を使ってお腹の中にいた僕を必死に守って、僕を産んでからも五年くらい生きてたんだって」
「居なくなった理由は?」
「………それはわからない。でも、無意識に異能を使ってまで守ろうとしてくれてたなら、それだけ大切に思われてたんだろうなって思えるからもういいよ」
「そっか。じゃああの手紙誰にも届いてないんだね」
「そういうこと」
 ユーイオは笑った。風呂上がりに前髪が整えられたことでよく見えるようになった琥珀色の目が俺は好きだ。
「ユーイオの目本当に綺麗だね」
「そう?」
「うん、琥珀色」
「………金色だよ」
「ええっ!?」
 驚いたリーエイはばたばたと部屋を出て、リールを連れてすぐに戻ってきた。
「リール、リール。ユーイオの目の色って何色?」
「は? 出会った時からずっと金色だろ」
「…………」
「ユーイオの目がなんだ」
「ずっと琥珀色だと思ってた……」
 リーエイは未だかつてない小さく細い声で言った。
「いやいや確かに金にしてはオレンジっぽくはあるが琥珀色って言うほど特別濃い色でもないだろ。それに多分ユーイオが前髪を伸ばしてたのだって光が眩しいからじゃないか」
「……すごい、よくわかるね」
「俺も目が青いからな」
 確かに、言われてみればユーイオの部屋の照明はいつも少し暗い。
「も、もももしかしてリビングとか眩しかった!?」
「眩しいは眩しいけど……慣れてるよ」
「俺父親失格だ………」
 がっくりとリーエイは項垂れる。少し時間が経てばすぐに情緒うるさめのお調子者な彼は戻ってくる。
「別に気にしてない。どっちにしても珍しい色だから、仕方ないって思ってるし」
「そういえばお前色覚弱かったな」
「…………」
 リーエイは何も言わない。色覚に強い弱いとかあるんだ。
「え、じゃあリーエイこれは何色?」
 僕は赤いペンでチューリップを描く。
「………俺には茶色っぽく見えるけど」
「赤色だよ。じゃあこれ」
 今度は緑色のペンで「青」と書いた。
「え、青って書いてるけど焦げ茶とか黒に近い色のインクで書いた?」
「緑だよ。じゃあこれ」
 今度は青色のペンで「ピンク」と書いた。
「ぴ………青」
「青は青ってわかるんだ」
「第二色盲だな」
 僕が興味津々に言うと、リールが答えるように言った。
「知ってるの?」
「ああ。こいつは「血って茶色なんだね。滅多に怪我しないから知らなかったや」って戦争の時言ってたからな」
 色の見え方に異常があるのがわかったのが戦争の時とは。あまりそんな時に知りたくはないような。
「でもその時リールは「そうか」って流したじゃん!」
「俺だからな。お前が変人なの知ってたからああやって流せたんだよ。普通の奴なら「何言ってんすかリーエイさん血は赤色ですよ」って早口で訂正するぞ」
「ええええ俺そんな変かな!?」
「「だいぶ」」
 リーエイは変。リールもユーイオも、生きてきた年数やリーエイと関わってきた年数は違えどその結論は確実に一致していた。
「えぇぇショックなんだけど……」
「でも色覚異常? ってことはリーエイって自分の外見も正しく見えてないことにならない?」
「そうなるな。ただ第二色盲なら人の顔は特別変わった色で見えるわけでもないはずだから平気だ」
 とりあえずリーエイの色覚が弱いことはわかった。
「……で、第二色盲って何? どんなの?」
「第二色盲は緑色覚って名前の、まあ名前の通り緑色を認識する色覚に異常があるんだよ。ユーイオや俺がピンクに見えているものでも、実は赤と青と緑を上手く混ぜて作られた色だからな。三原色ってやつ」
「リールは何でも知ってるな。図鑑みたい」
「ず、図鑑………」
 嬉しいような嬉しくないような。
「……ま、どっちで捉えてもらってもいいよ」
 僕はそう言ってベッドに寝そべる。
「ユーイオ?」
「……」
 急に眠気が酷くなった。多分、また何かしらの夢を見るに違いない。



「………」
「久しぶり、呼ぶつもりはなかったんだけど」
 美代子がいた。僕が成長したからか、美代子も少し大人になったように見えた。
「何を話しに来た?」
「ううん。ユーイオは大丈夫だね。……円のこと、こっちでも色々頑張るけど、お願いね」
「はいはい」
 適当に返事をすると美代子はふふっと笑った。
「これでもあなたのこと期待してるのよ」
「期待?」
 ユーイオが驚いたように言うと、美代子はそうそう、と頷く。
「前世の記憶があって、夢の中でその前世と意思疎通が出来て、特殊な力もある。あなたは普通の人間じゃない。でも、だからこそ出来ることがある」
 とん、と美代子の手がユーイオの肩に置かれる。
「簡単な道のりでもなければ普通の人生でもない。……応援してる」
 それだけ言って美代子は消えた。話し終えた時に消えたのは初めてかもしれない。今までは、話し終えたらすぐに目が覚めていたからだ。僕が十八歳に近付くに連れて、美代子は存在そのものが薄くなっていくのかもしれない。それでも、僕が確実にアイツを殺して無かったことにできるのはきっと大人の身体で、それ相応の体力と精神力を持った歳になってからだ。今の十四歳の身体では、まだ実力不足だ。何よりも今日のとてつもなく強い力の異能をふたつ、数分間だけ元から無かったことにしただけで少し気を失ってしまったことが根拠だ。
「…………あと四年」
 正確には三年と数ヶ月だがそんな細かいことはどうでもいい。その間にどこまで僕が強くなれるかは僕次第。全知全能──全てを支配するような能力、みたいな怠慢チートはいらない。今持っているものを全力でぶつけて終わらせるだけだ。
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