フォギーシティ

淺木 朝咲

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四章 死と霧の街

秘匿

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 あれから何度か実践を重ね、十四歳を迎えた僕は久々に最下層に来ていた。ひとつ違うのは、リールとリーエイが居ることだ。
「本当にこんな場所で人間が……?」
 リールはリーエイから最下層の様子を聞いたことはあるものの、実際に足を踏み入れたのは初めてらしく辺りを見渡しては驚いていた。
「だからこんな薄汚れた格好をしろとユーイオは言ったのか」
「そう。綺麗な格好だと金目のものを持ってるってすぐにわかるでしょ」
 もっとも、異形の時点で簡単に襲いかかる馬鹿は減るのだが。
「人に襲いかかる前提で話さないでくれ」
「そういう場所なんだよ、ここは。帰りたいなら帰ってもいいよ?」
「いや、いい……」
 そう、帰る訳にはいかなかった。道端に転がったゴミが溢れかえって道の真ん中にまで落ちていようが、それらが酷い悪臭を放っていようが、今日の俺たちはそれをすべて無視して最下層の最奥に行く必要があった。
「ユーイオは最奥に行ったことはあるの?」
「いや、記憶にない、けど……もしかしたらあるかもしれない」
「あるかも? なんで?」
 リーエイが訊く。ユーイオは少し顔を伏せて答える。
「僕はこのだだっ広い最下層のほとんどを知ってる。街中を逃げ回って雨風を凌いで生きていける場所を数ヶ所知ってるし、最下層から下層へ行く最短ルートも知ってる」
「十歳までしか過ごしていなかったこの街をか」
 リールが言うとユーイオは頷いた。
「一回だけお腹いっぱい残飯を食べられた時があった。僕はその満腹感をどうしても失いたくなくて……の近くにずっと座ってることがあったんだ」
「「!」」
「満腹感は簡単に消えなかった。今思えばじっとしてたからだろうけど、でも、なんとなくあの石が普通のものじゃないことはわかってたんだ」
 べちゃべちゃと血のついた道をユーイオは躊躇いなく歩く。その後を異形二人がついて行く。どうして石畳にこんなにも血がべっとりと着いているのだろう。リールが不思議そうにしていると、ユーイオが「ここでは流血沙汰の喧嘩なんて当たり前だよ」とだけ言った。
「多分、三日くらい石のそばに僕は座ってた。二日目だったかな、見たことない、今っぽくない服の人が僕を見てた」
「最下層に居る感じの人じゃないんだね?」
「うん」
 灰色のローブを纏っていて、顔はあまりよく見えなかったけれども──深緑の目がとても悲しげだった。彼は、誰だったのだろう。
「その人は何を言うわけでもなく、僕を殺そうとするでもなく、ただじっと僕を見てた。目が合って、僕が瞬きをするともうその人は居なかったんだ」
 血みどろの道が途絶え、砂利道へ変わる。砂利道の先からは、あまり怒号は聞こえない。
「ここからは気を付けてね。サソリとかムカデとか、そっちの方が人間より多いから」
 ユーイオはそう言いながら、「輪廻サムサラ」でサソリやムカデの命を死へ還していく。
 ひたすら砂利道を歩いて、砂利が薄くなり石畳がもう一度現れた。本来の色を保つ石畳の先に、紫色の、「停滞スタニアション」の石はあった。石の後ろは植物の蔓と木の細い根が、背の高い石壁を覆うように蔓延っている。
「……着いたね」
 石の周りに人の気配は一切ない。ここがこの霧の街の始発点。全てはここから始まったのだ。苔まみれの小さな石碑に気付くと、ユーイオは直ぐにその石碑の苔を取り払った。
「えーと……「ここを霧の街とし、全ての不要物はここに至ることとする。不要物の数とともに、この街は自然に広がるものとする。その場合ここは最も不要な物の場所、最下層として定められることとする。」…………本当に勝手なことをしてくれる」
 ユーイオは碑文を読んで溜息を吐いた。そして、石に目をやった。
「!」
「ユーイオ、あの人……」
「うん……」
 目をやった先に、灰色のローブを纏った、深緑の目を持つ男性が居た。やはり彼は何も話さない。けれども、何故か今回だけは何か訊けば答えてくれるとユーイオは確信した。
「……この街を作ったのは君?」
 彼は頷く。彼がこの街──「秘匿ディシミュラション」の異能の持ち主だ。
「「停滞スタニアション」のヒトはもう居ない?」
 彼はもう一度頷く。どうやら図書館の地下で見たことは本当らしい。
「僕の前にもう一度現れて……君は僕に何をして欲しい? 何を言いたい?」
 ユーイオがその問いを投げると、彼は立ち上がってユーイオの目の前で止まった。かなり背が高く、深緑の目が威圧感を与えてくる。
「──もう、止めて欲しい」
「え?」
「ここを最下層と定めたのはおれ、でも……こんなカーストをつけるつもりは一切なかった」
「それほんと?」
 リーエイが訊くと彼は少し嫌そうな顔をする。ユーイオはすかさず「黙って」とリーエイに言った。
「……失礼。ここは天国と地獄の間のようなもの。不要物がもう一度必要とされるものへ転生するまでの、順番待ちのようなものだった。だから、最上層の先には元の世界──地球に戻る道がきちんとあったはずだったんだけど。……今の最上層のヒトが何か勘違いをしてるのかな、その道が
「「「!?」」」
 彼はフードを脱いだ。深緑の目と、銀髪はこの世の人とは思えないほど神秘的だった。
「この石を壊して、今の最上層のヒトが居なくなればこの街は簡単に消える。本当は作ったおれがやるべきことだけど──おれの身体はとっくに死んでるから」
「あ……」
 彼の足元は向こう側がはっきり見えるほど透けている。彼は幽霊なのだ。この街を、異能を誰かに止めて貰うためだけにずっと魂のまま彷徨っていたのだ。
「君だけがおれに気付いた。だから、おれはずっと君がもう一度ここに来るのを待ってた」
 優しく微笑む彼の体は徐々に薄くなっていく。
「ユーイオ。ここの石を壊したらその真下は地下に続いてる。地下は……街を作った当時の道だ。何があるかおれにももうわからないけど……今の道ほど勾配もないし、きっと楽に最上層に辿り着ける。最上層付近まで来たら、どこでもいいから壁を三回叩くんだ」
 ユーイオは頷く。
「あと──転生の道が閉ざされた今の街は不要物の命が巡っていることを忘れちゃいけない。君の異能は命を還し、循環させるものだろう。還し続けるだけじゃダメだ。それだとこの街中を漂う不要物の命が一時的にだけど飽和して悪影響を及ぼすんだ」
 難しいことを言う。ユーイオは思わず苦笑した。命を還すだけでなく、使いながらなんとかこの街を消せ、と彼は言いたいのだ。まったく、十四歳のガキにそんなことを任せるかね。
「………君ならできるよ」
 彼は笑って消えていった。──あれ、なんであいつ僕の名前知ってたんだ。
「……とりあえず、あの人の言う通りにしたらいいのかな」
「俺たちよりずっと昔の人だからね。多分嘘は言ってなかったと思うよ」
 ユーイオは深呼吸をして、全身の筋肉を脱力させた。緊張する時こそ落ち着いて冷静に取り組むことが大事だ。
「──「輪廻サムサラ」ッ!!」
 この石にだけは、何故か石を保護するケースがなかった。つまり、一番街にある石の中で「停滞スタニアション」の力が弱まっているのだ。ユーイオの渾身の「輪廻」は弱まった「停滞」の力を砕いた。
「…………」
 砕けた石の破片をユーイオは睨みつける。しかし、石は図書館の石とは違って砕けたまま元の状態には戻ろうとしなかった。
「よいしょ」
 石が真上にあったせいか一際綺麗な大きな石畳をリーエイが勢いよく踏みつける。ばごっ、と埃を舞い上げながら地面から外れたそれを、リールが片手で持ち上げてどかした。
「……あっ!」
 石畳があった場所には人一人が余裕で入れる空間を保った大穴があった。
「うーん………ちょーっとだけ深いかな?」
 リーエイが手持ちのライトで穴の奥を照らす。地面は見えるが浅いわけではないようだ。その分天井が高いことになるのだろう。さあ入ろう、とリーエイが言う。だが、ユーイオには何か引っかかる。
「……どうやって今の霧の街の層が出来たんだろう」
 ぼそっ、と呟いたユーイオの疑問にリールが答えた。
「多分歴史を塗り替えるようなことがあったんだ」
「多分?」
「ああ、その間のことを描いた史料がほとんど無くて当時の様子がわかっている部分は少ないんだが──戦争が起きた、もしくは本当に歴史そのものを塗り替える異能の持ち主がいたかになる」
 歴史そのものを塗り替える異能を持っていたなら、本当にこんなことをするだろうか。僕ならそもそもこの町自体を無くしてしまう自信しかない。
「………行こう」
 ユーイオはライトを片手に穴に飛び込んだ。何にせよこの目で確かめる必要があった。
「……………」
「ここが本来の霧の街……?」
「綺麗に残ってるものだな」
 ユーイオに続いて飛び込んだふたりは口々に思ったことを言う。
 僕たちが知る霧の街は、青屋根と石造りで統一された建築物と永遠に霧が晴れないどんよりとした街だ。だが、この地下の本来の霧の街は何百何千もの時間を感じさせないほど綺麗だった。
「青屋根じゃないし木造建築も残ってる……」
 昔のこの街はどうなっていたのだろう。最下層から始まり、そこから徐々に広がっていったこの街の中心部は、おそらくここ最下層だったはずだ。しばらく歩いていると、店らしき建物の看板が見えた。かなり古い文字で僕は読めなかったが、リールは読めたらしい。
「ここは今で言う本屋だったみたいだな」
 試しに店の中を覗いてみると、朽ちた巻物や板のようなものがいくつか見えた。
「昔はどれだけの人がここに住んでいたんだろうね」
「気になるから寄り道はしたいが今はそれどころじゃないな……」
 歩き続けて、下層に入る所にそこまで大きくはない石柱があるのを見つけた。
「俺が読む。………ほう」
「何かわかった?」
「ああ、この街の始まりの伝承だ。ひとりの人間がこの街を作った。そして、世界から隠してしまったと」
 世界から見れば彼は最初の不要物だった。父は当時、国一番の軍師だったし、彼の兄弟は彼以外みな優秀だった。兄は武芸ともに優れ、弟たちは苦手とするものはあるが、その代わりに人一倍優れた感性や得意分野があった。一方、彼は何も得意でなく、何も苦手としなかった。器用貧乏とやらである。何にも秀でず、全てを「普通」でこなす彼は家を追い出された。彼の世界は狭かった。家の中で毎日訓練を受け、知識を蓄えるだけの生活だった。だからだろうか──彼は家から追い出された途端、自身を不要物だと思ってしまった。要らないからと殺さなかっただけでも彼の親はかなり寛大な心を持っているのだが、彼は「この世界に必要ない自分はここにいる必要はない。自分の出自も故郷も全て捨てて己を隠してしまおう」と考えてしまったのだ。
 リールは言った。
「この街は初めから俺たち異形バケモノが蔓延っているわけじゃなかった。この世で初めて異能を使ったのは人間かれであり先天性異形だ」
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