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三章 記憶と人間の街
前世
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時計頭の異形、リーエイに拾われ家族になってから三年が経った。彼の旧友で地球儀頭の異形のリールにも「初めてあった頃に比べて随分健康的になった」と言われた。僕は十三歳になった。
あれから美代子と円についての夢は半年に一度くらいの頻度で見るようになった。今まで見てきた六回のどの夢でも円は布団から出ることがなかった。美代子と折り紙遊びをしたり、本を読んだり、美代子の学校の話を聞いたりする円がいた。どこか懐かしいと思うのはきっと気のせいだ。カレンダーを見る。そろそろ期間的に七回目の夢が来る。結局遊園地には行けてないけれど、僕はそれでいいと思っている。遊園地に行くと、多分この夢を思い出して辛くなるから。
「リーエイ」
「ユーイオ」
日曜の朝、リールが図書館に行ってから僕はリーエイに呼ばれた。
「あのねユーイオ、落ち着いて聴いて欲しいんだけど」
「何だよ改まってさ」
「………自分の前世について考えたこととかってない?」
「……………」
ない、と言えば嘘にはなる。実際、どうして「輪廻」が発動してから美代子と円の生活を夢で見始めたのかがわからず気になっているからだ。美代子と円が僕にどう関係しているのかがわからない。少なくとも円は最上層者と何かしらの関係はあるとみて間違いはなさそうだが、本当にどうして僕がそんな夢を見るのだろうと考えた時に、ふと可能性がありそうな答えとして考えるのが「前世」と「最上層者の予知夢との関係」だ。後者の予知夢は、三年前に見たリーエイとリールが僕を置いて最上層者に殺される夢だ。きっと最上層者は後天性異形で比較的人としての特徴が残っている方なのだと思う。だから、最上層者の顔は円によく似ているし、「吸収」の代償は異能なしでは何も学習できないのだとも思う。
「あるんだね?」
「実は……そう。だっておかしいじゃん。行ったこともない国の知らない人たちの生活をひたすら夢で見続けるなんてさ。しかも予知夢じゃなくて過去のことだし」
それに、僕は美代子の黒髪黒目と違ってブルーブラックの髪と琥珀色の目をしているし、赤子を過ぎ子供の頃を過ごしてきたから最上層者みたいに異形なわけではない。人間だった頃の痕跡なんてどこにもない、綺麗な現役人間の体だ。
「そうだね。ユーイオがそう思うのも無理はないと思う。……正直、俺たちはユーイオが初めて「輪廻」を使って、そこから二人の夢を見始めた時からもしかしてって思ってた。でも、その時に言うか悩んだんだ。言ったら、中途半端に異能が開花しきれず人でも異形でもないものになってしまいそうだと思ってね。………怒るかい?」
「いや、別に。僕はそれを聞いて今安心したよ。君が──リーエイがちゃんと親として僕をよく見ていることがわかったから」
「それは嬉しいね。親として最上級の褒め言葉だ」
リーエイは嬉しそうにくふくふと笑う。この三年でユーイオはかなり成長した。口調は落ち着き、少しリーエイに似たような気がする。もっとも、これは本人に言うと本人は「そんなことない、あるわけない」と否定するのだが。
「それで、今はどこまで見た?」
「美代子が生きていて、円もまだ布団から出て歩いてもそこまで苦しくはなさそうなくらい」
「うんうん、結核がそこまで酷くないところまで来たんだ」
「ただ……」
「うん?」
「………今回はそこから先の過去は見ない気がする」
ユーイオには予感があった。最近見る夢の中の彼らはたしかに幸せそうだ。まだ身体の自由が利く弟と、嬉しそうにする姉。けれども、その幸せはどこか薄っぺらくて脆い。きっとこの幸せそうな夢はもう終わる。
「そっか。先を見るんだね」
「多分ね」
──その夜、予感は見事に的中することとなった。
夏のよく晴れた日だった。美代子はもう居ない。相変わらず憔悴しきった顔で、けれども母は円の世話をしていた。円の目は虚ろで生きる希望をとっくに失っているようだった。
「暑いねぇ、みよちゃん……」
円の顔の汗を拭いた後、母は仏壇に飾られた美代子の写真と向き合い、そう言って手を合わせた。セミは喧しくその大合唱を奏で、夏真っ盛りの青空がやけに眩しかった。そんな時だった。やけに眩しかった空はその眩しさを増している。どんどん眩しくなっていくその瞬間は、瞬間どころか何分にも長く感じられた。
「円ッ!!」
「え」
どおぉっと縁側の戸が円に向かって吹き飛んでくるのを母が庇った。
「お、お母さん! っげぼっ!」
円が母を呼ぶ。母は震えている。円は大声を出した反動で血を吐く。家中は一瞬でめちゃくちゃになってしまった。遺影は──どこに行ってしまったのだろう。
「お、かあさん……」
「だいじょうぶ………だいじょ、ぶだか…………生きて」
「! で、でも!」
「生きなさい!!」
「っ!」
円を庇った母の背中は焼けていた。誰よりも死の足音を聞き続けていた円には母が助からないのがすぐにわかった。空襲警報は──わからない。病気で世の中のことなんて知る機会もなかった円は、セミの喧しさに季節を感じ、そちらに気を取られてしまっていたのだから。母はあれだけげっそりしていたのだ、聞こえていたとしても生きる意味を感じなくなっていたのではないだろうか。
「──わたしが、死んじゃったから」
夢の映像がぼやけ、滲んでいった先に見たことのない、だが円に顔がそっくりなおさげの女の子がいた。
「! み、美代子?」
「うん。あなたはわたし。わたしはあなた。同じ命を持ってるってこと」
──なんということだ。それでは、本当に僕が美代子の魂を持って生まれ変わっていることになる。
「どうしてあなたがわたしの命をそのまま繰り返せたのかわたしにはわからないけれど、円──弟はそのままでいるんでしょ?」
「……やっぱり最上層者は君の、僕の弟に当たるんだね?」
美代子は頷く。
「あの子はわたしを亡くしてしまったところから変わっちゃったの」
「変わった?」
「そう。わたしが……死んじゃったから。円にとってわたしって健康に生きられたはずの円自身でもあったから。わたしが死んだってことは病気の円はもうとっくに死んでしまっているようなものだから、生きていないのと同じだったのかも……。円はそこから……うん、壊れちゃった。健康なわたしじゃなくて病気でもう死ぬ自分が死ぬべきだってずっと自分を責め続けて……」
美代子は途中から泣き出してしまった。僕は今の最上層者がどんな思いでこの街に迷い込んだのかは分からない。だが、姉の死を誰よりも悲しみ、病気で先も長くない自身より健康で輝かしい未来があったかもしれない姉を死なせるこの世に嫌気が差したことはよくわかった。
「……それで君はこう僕に話しかけてまでして、何がしたいんだ?」
「あの子を、円を止めてあげて。あの子はもうああなって百年近く経つから、この頃の記憶が薄れているはず。大丈夫、今のあなたならちゃんとわたしになって円に言葉を伝えられる。あなただから届けられる言葉がある」
「僕だから? ………美代子、君にとって円ってどんな存在だった?」
「わたしにとってあの子は生きがい。何をしても退屈そうにする円が、わたしと居る時だけはきちんと笑って楽しそうにしてくれていた。わたしも楽しかったよ。ふたりなら何をやっても、どんなに苦しくても楽しいんだって思っていたんだもん。でも……そんなわけない、わかってるよ」
美代子は俯く。肩は震え、鼻をすすり、辛そうにしているのがよくわかる。いや、僕も肩は震えている。やはり僕はこの子の転生者なのだと自覚した。
「ねえ、お願い。わたしにはもう身体はないから言葉を届けられる口もなければあの子そっくりの顔もない。いきなりで迷惑かもしれない。でも、お願い。………あの子がこれ以上この霧の中で苦しまないで済むためにも、ね?」
「……………………五年」
「え?」
「十八歳になったら成人になる。僕はまだ君が死んだ歳より三つしか変わらない──僕もまだ子供なんだ。「輪廻」……こうやって君の記憶が見れる力もまだ不安定でコントロールが出来てる訳でもない。だから、成人するまでにそれを鍛える。鍛えて……力のコントロールが出来て、今より言葉を上手く伝えられるようになるからそれまではアイツはあのまま。それじゃダメか?」
僕が言うと美代子は笑顔で首を横に振った。
「………ううん、ありがとう。無茶なお願いだってわかってて言ってみたら、やっぱりあなたはわたしだね。とっても優しい心を持ってる」
ぎゅ、と美代子に手を握られた。その手は懐かしく、あたたかい。僕はこの子。この子は僕。ああ、初めからそうだったんだ。僕が独りで捨てられた時からリーエイに拾われてきた今までずっと君は僕に気付いてもらう日を待っていたのかもしれないんだ。
「一緒にこの霧を晴らそうか、美代子」
「うん、がんばってねわたし」
「ああ」
──目が覚めるとユーイオは泣いていた。手は誰にも握られていない。それでも、手はどこか他人のあたたかさを感じられた。ああ、任された。僕は巡った命だ。託されたんだ。この霧の街から霧が晴れるかもしれない未来を。カースト制度のないただの街になる未来を。その未来を掴み取れる可能性を。
「リーエイ、見たよ」
「ああ」
「美代子……ちゃんと僕だった。僕も美代子だったかな? 美代子にはとても優しい心があるって言われた」
リーエイはうんうんと頷く。
「君は本当に優しい子に育ってくれた。独り身で最下層で生き残って、理不尽も嫌というほど受けてきただろう。それでも、君は僕には一回も暴力を振るっては来なかった。こんないい家に連れ込まれて看病までしてもらい動けるようにしてもらったのに、ものの一つも盗まないで今もここに住んでくれている。君は優しいよ、ユーイオ」
「………うう~リーエイは狡いんだよ~……」
「ええっそんなことないよ?」
ぐすぐすとユーイオはリーエイの言葉を受けて泣き出してしまった。この三年でユーイオは一気に涙脆くなった。十歳までは簡単に泣かなかった。泣いたら前が見えなくなってしまうから。泣いたら立ち直れなくなってしまうから。
「……………」
「落ち着いた?」
「リーエイ……なんか古い? 匂いする」
「えっ!?」
リーエイの服に顔を押し付けて泣いていたユーイオが少し黙ってから言った。リーエイは「俺臭い!?」と慌てる。
「臭くはない、その……懐かしい感じの匂い」
「あぁなんだ臭くはないんだね。安心した」
ほっとリーエイは笑う。家族になった日から三年が経った今、ユーイオはリーエイが異形の状態でもその表情はしっかり読めるようになっていた。
「………リーエイ、僕決めた」
「?」
「僕はいつかこの街の霧を晴らすよ。今世がダメなら来世もあるんだし」
「……そうだね、ユーイオがそう決めたなら俺たちも動かなきゃね」
リーエイは頷き、立ち上がった。子供の「やりたい」を応援し、見守るのが親の仕事。勿論、時には手を貸すことだってそうだ。それなら、リーエイが出来ることはひたすら時間を操作することだろう。時間の流れを早めたり遅めたり、止めて相手に自分の行動をわからなくさせることだってできる。本気を出せば空間までもを歪ませ瞬間移動のようなことも出来てしまう。あとは情報収集はリールに任せておけば、勝手に情報を拾って全部覚えてくれる。
「で、霧の街の霧を晴らしたあとここはどうなるか考えてはなかったと」
図書館から帰ってきたリールに事を説明したふたりが最初に言われたのはその一言だった。ふたりは「あっ」と同時に言って、そのまま黙ってしまった。
「俺たち異形がこの街の外でも生きられる確証はないしこの街の霧が晴れた時、この街がまだ街として存在できるかも怪しいんだ」
「? リール、それってどういうこと?」
ユーイオが訊くと、リールはリーエイに「「時空超過」使え」と言った。リーエイは体力を消耗するのもあってかなり嫌そうな顔をしていたが、仕方ないと溜息を吐いてそれを使ってくれた。
「わぁ、ここは……図書館?」
誰もいない閉館後の図書館に来たようだが、どこか雰囲気が違う。
「ああ。ただここは一般人は立ち入り禁止の地下だ」
「えっそれセキュリティとか大丈夫……?」
この場所に飛ばした本人が不安げに言う。
「ああ、ここの館長は俺なんだから、セキュリティぐらい遠隔でいつでも操作できる。話を聞いている間にお前らだけに解除しておいたんだ」
深緑の廊下に続く重厚そうな濃紺の扉を開くと、青白い照明が点いた部屋があった。
「ここはこの街の本当の歴史が残されてる場所だ」
「え? 本当の……って」
「ああ、ユーイオは若いから知らないだろうしリーエイはアホだから知らないだろう。この街──霧の街自体が立派な異能だ」
あれから美代子と円についての夢は半年に一度くらいの頻度で見るようになった。今まで見てきた六回のどの夢でも円は布団から出ることがなかった。美代子と折り紙遊びをしたり、本を読んだり、美代子の学校の話を聞いたりする円がいた。どこか懐かしいと思うのはきっと気のせいだ。カレンダーを見る。そろそろ期間的に七回目の夢が来る。結局遊園地には行けてないけれど、僕はそれでいいと思っている。遊園地に行くと、多分この夢を思い出して辛くなるから。
「リーエイ」
「ユーイオ」
日曜の朝、リールが図書館に行ってから僕はリーエイに呼ばれた。
「あのねユーイオ、落ち着いて聴いて欲しいんだけど」
「何だよ改まってさ」
「………自分の前世について考えたこととかってない?」
「……………」
ない、と言えば嘘にはなる。実際、どうして「輪廻」が発動してから美代子と円の生活を夢で見始めたのかがわからず気になっているからだ。美代子と円が僕にどう関係しているのかがわからない。少なくとも円は最上層者と何かしらの関係はあるとみて間違いはなさそうだが、本当にどうして僕がそんな夢を見るのだろうと考えた時に、ふと可能性がありそうな答えとして考えるのが「前世」と「最上層者の予知夢との関係」だ。後者の予知夢は、三年前に見たリーエイとリールが僕を置いて最上層者に殺される夢だ。きっと最上層者は後天性異形で比較的人としての特徴が残っている方なのだと思う。だから、最上層者の顔は円によく似ているし、「吸収」の代償は異能なしでは何も学習できないのだとも思う。
「あるんだね?」
「実は……そう。だっておかしいじゃん。行ったこともない国の知らない人たちの生活をひたすら夢で見続けるなんてさ。しかも予知夢じゃなくて過去のことだし」
それに、僕は美代子の黒髪黒目と違ってブルーブラックの髪と琥珀色の目をしているし、赤子を過ぎ子供の頃を過ごしてきたから最上層者みたいに異形なわけではない。人間だった頃の痕跡なんてどこにもない、綺麗な現役人間の体だ。
「そうだね。ユーイオがそう思うのも無理はないと思う。……正直、俺たちはユーイオが初めて「輪廻」を使って、そこから二人の夢を見始めた時からもしかしてって思ってた。でも、その時に言うか悩んだんだ。言ったら、中途半端に異能が開花しきれず人でも異形でもないものになってしまいそうだと思ってね。………怒るかい?」
「いや、別に。僕はそれを聞いて今安心したよ。君が──リーエイがちゃんと親として僕をよく見ていることがわかったから」
「それは嬉しいね。親として最上級の褒め言葉だ」
リーエイは嬉しそうにくふくふと笑う。この三年でユーイオはかなり成長した。口調は落ち着き、少しリーエイに似たような気がする。もっとも、これは本人に言うと本人は「そんなことない、あるわけない」と否定するのだが。
「それで、今はどこまで見た?」
「美代子が生きていて、円もまだ布団から出て歩いてもそこまで苦しくはなさそうなくらい」
「うんうん、結核がそこまで酷くないところまで来たんだ」
「ただ……」
「うん?」
「………今回はそこから先の過去は見ない気がする」
ユーイオには予感があった。最近見る夢の中の彼らはたしかに幸せそうだ。まだ身体の自由が利く弟と、嬉しそうにする姉。けれども、その幸せはどこか薄っぺらくて脆い。きっとこの幸せそうな夢はもう終わる。
「そっか。先を見るんだね」
「多分ね」
──その夜、予感は見事に的中することとなった。
夏のよく晴れた日だった。美代子はもう居ない。相変わらず憔悴しきった顔で、けれども母は円の世話をしていた。円の目は虚ろで生きる希望をとっくに失っているようだった。
「暑いねぇ、みよちゃん……」
円の顔の汗を拭いた後、母は仏壇に飾られた美代子の写真と向き合い、そう言って手を合わせた。セミは喧しくその大合唱を奏で、夏真っ盛りの青空がやけに眩しかった。そんな時だった。やけに眩しかった空はその眩しさを増している。どんどん眩しくなっていくその瞬間は、瞬間どころか何分にも長く感じられた。
「円ッ!!」
「え」
どおぉっと縁側の戸が円に向かって吹き飛んでくるのを母が庇った。
「お、お母さん! っげぼっ!」
円が母を呼ぶ。母は震えている。円は大声を出した反動で血を吐く。家中は一瞬でめちゃくちゃになってしまった。遺影は──どこに行ってしまったのだろう。
「お、かあさん……」
「だいじょうぶ………だいじょ、ぶだか…………生きて」
「! で、でも!」
「生きなさい!!」
「っ!」
円を庇った母の背中は焼けていた。誰よりも死の足音を聞き続けていた円には母が助からないのがすぐにわかった。空襲警報は──わからない。病気で世の中のことなんて知る機会もなかった円は、セミの喧しさに季節を感じ、そちらに気を取られてしまっていたのだから。母はあれだけげっそりしていたのだ、聞こえていたとしても生きる意味を感じなくなっていたのではないだろうか。
「──わたしが、死んじゃったから」
夢の映像がぼやけ、滲んでいった先に見たことのない、だが円に顔がそっくりなおさげの女の子がいた。
「! み、美代子?」
「うん。あなたはわたし。わたしはあなた。同じ命を持ってるってこと」
──なんということだ。それでは、本当に僕が美代子の魂を持って生まれ変わっていることになる。
「どうしてあなたがわたしの命をそのまま繰り返せたのかわたしにはわからないけれど、円──弟はそのままでいるんでしょ?」
「……やっぱり最上層者は君の、僕の弟に当たるんだね?」
美代子は頷く。
「あの子はわたしを亡くしてしまったところから変わっちゃったの」
「変わった?」
「そう。わたしが……死んじゃったから。円にとってわたしって健康に生きられたはずの円自身でもあったから。わたしが死んだってことは病気の円はもうとっくに死んでしまっているようなものだから、生きていないのと同じだったのかも……。円はそこから……うん、壊れちゃった。健康なわたしじゃなくて病気でもう死ぬ自分が死ぬべきだってずっと自分を責め続けて……」
美代子は途中から泣き出してしまった。僕は今の最上層者がどんな思いでこの街に迷い込んだのかは分からない。だが、姉の死を誰よりも悲しみ、病気で先も長くない自身より健康で輝かしい未来があったかもしれない姉を死なせるこの世に嫌気が差したことはよくわかった。
「……それで君はこう僕に話しかけてまでして、何がしたいんだ?」
「あの子を、円を止めてあげて。あの子はもうああなって百年近く経つから、この頃の記憶が薄れているはず。大丈夫、今のあなたならちゃんとわたしになって円に言葉を伝えられる。あなただから届けられる言葉がある」
「僕だから? ………美代子、君にとって円ってどんな存在だった?」
「わたしにとってあの子は生きがい。何をしても退屈そうにする円が、わたしと居る時だけはきちんと笑って楽しそうにしてくれていた。わたしも楽しかったよ。ふたりなら何をやっても、どんなに苦しくても楽しいんだって思っていたんだもん。でも……そんなわけない、わかってるよ」
美代子は俯く。肩は震え、鼻をすすり、辛そうにしているのがよくわかる。いや、僕も肩は震えている。やはり僕はこの子の転生者なのだと自覚した。
「ねえ、お願い。わたしにはもう身体はないから言葉を届けられる口もなければあの子そっくりの顔もない。いきなりで迷惑かもしれない。でも、お願い。………あの子がこれ以上この霧の中で苦しまないで済むためにも、ね?」
「……………………五年」
「え?」
「十八歳になったら成人になる。僕はまだ君が死んだ歳より三つしか変わらない──僕もまだ子供なんだ。「輪廻」……こうやって君の記憶が見れる力もまだ不安定でコントロールが出来てる訳でもない。だから、成人するまでにそれを鍛える。鍛えて……力のコントロールが出来て、今より言葉を上手く伝えられるようになるからそれまではアイツはあのまま。それじゃダメか?」
僕が言うと美代子は笑顔で首を横に振った。
「………ううん、ありがとう。無茶なお願いだってわかってて言ってみたら、やっぱりあなたはわたしだね。とっても優しい心を持ってる」
ぎゅ、と美代子に手を握られた。その手は懐かしく、あたたかい。僕はこの子。この子は僕。ああ、初めからそうだったんだ。僕が独りで捨てられた時からリーエイに拾われてきた今までずっと君は僕に気付いてもらう日を待っていたのかもしれないんだ。
「一緒にこの霧を晴らそうか、美代子」
「うん、がんばってねわたし」
「ああ」
──目が覚めるとユーイオは泣いていた。手は誰にも握られていない。それでも、手はどこか他人のあたたかさを感じられた。ああ、任された。僕は巡った命だ。託されたんだ。この霧の街から霧が晴れるかもしれない未来を。カースト制度のないただの街になる未来を。その未来を掴み取れる可能性を。
「リーエイ、見たよ」
「ああ」
「美代子……ちゃんと僕だった。僕も美代子だったかな? 美代子にはとても優しい心があるって言われた」
リーエイはうんうんと頷く。
「君は本当に優しい子に育ってくれた。独り身で最下層で生き残って、理不尽も嫌というほど受けてきただろう。それでも、君は僕には一回も暴力を振るっては来なかった。こんないい家に連れ込まれて看病までしてもらい動けるようにしてもらったのに、ものの一つも盗まないで今もここに住んでくれている。君は優しいよ、ユーイオ」
「………うう~リーエイは狡いんだよ~……」
「ええっそんなことないよ?」
ぐすぐすとユーイオはリーエイの言葉を受けて泣き出してしまった。この三年でユーイオは一気に涙脆くなった。十歳までは簡単に泣かなかった。泣いたら前が見えなくなってしまうから。泣いたら立ち直れなくなってしまうから。
「……………」
「落ち着いた?」
「リーエイ……なんか古い? 匂いする」
「えっ!?」
リーエイの服に顔を押し付けて泣いていたユーイオが少し黙ってから言った。リーエイは「俺臭い!?」と慌てる。
「臭くはない、その……懐かしい感じの匂い」
「あぁなんだ臭くはないんだね。安心した」
ほっとリーエイは笑う。家族になった日から三年が経った今、ユーイオはリーエイが異形の状態でもその表情はしっかり読めるようになっていた。
「………リーエイ、僕決めた」
「?」
「僕はいつかこの街の霧を晴らすよ。今世がダメなら来世もあるんだし」
「……そうだね、ユーイオがそう決めたなら俺たちも動かなきゃね」
リーエイは頷き、立ち上がった。子供の「やりたい」を応援し、見守るのが親の仕事。勿論、時には手を貸すことだってそうだ。それなら、リーエイが出来ることはひたすら時間を操作することだろう。時間の流れを早めたり遅めたり、止めて相手に自分の行動をわからなくさせることだってできる。本気を出せば空間までもを歪ませ瞬間移動のようなことも出来てしまう。あとは情報収集はリールに任せておけば、勝手に情報を拾って全部覚えてくれる。
「で、霧の街の霧を晴らしたあとここはどうなるか考えてはなかったと」
図書館から帰ってきたリールに事を説明したふたりが最初に言われたのはその一言だった。ふたりは「あっ」と同時に言って、そのまま黙ってしまった。
「俺たち異形がこの街の外でも生きられる確証はないしこの街の霧が晴れた時、この街がまだ街として存在できるかも怪しいんだ」
「? リール、それってどういうこと?」
ユーイオが訊くと、リールはリーエイに「「時空超過」使え」と言った。リーエイは体力を消耗するのもあってかなり嫌そうな顔をしていたが、仕方ないと溜息を吐いてそれを使ってくれた。
「わぁ、ここは……図書館?」
誰もいない閉館後の図書館に来たようだが、どこか雰囲気が違う。
「ああ。ただここは一般人は立ち入り禁止の地下だ」
「えっそれセキュリティとか大丈夫……?」
この場所に飛ばした本人が不安げに言う。
「ああ、ここの館長は俺なんだから、セキュリティぐらい遠隔でいつでも操作できる。話を聞いている間にお前らだけに解除しておいたんだ」
深緑の廊下に続く重厚そうな濃紺の扉を開くと、青白い照明が点いた部屋があった。
「ここはこの街の本当の歴史が残されてる場所だ」
「え? 本当の……って」
「ああ、ユーイオは若いから知らないだろうしリーエイはアホだから知らないだろう。この街──霧の街自体が立派な異能だ」
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