フォギーシティ

淺木 朝咲

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二章 人間と異形の街

イレギュラー

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 ──変な夢を見た。リーエイが僕を何かから庇って死んで、リールも死んで、僕だけが最上層者と対峙している状態の、奇妙だけれど実際に起きてしまえそうな状況。こんなの嫌だ。最上層者のやり方に、今のこの霧の街に嫌気が差していたとしてもこんな真っ向から殺しにかかるのは無謀だ。リーエイ、君はどうして代償で長く生きるはずなのにそこで死んでるんだ?
「……イオ、ユーイオ」
「っごめん」
「もうっ、俺五回も無視されたんだよ。スコーンにつけるジャム、今日はどのジャムがいいか訊いてるのに」
 午後三時半。いつもより少し長く昼寝してしまったらしい。ソファに寝転がる僕の顔を上から覗き込む時計の文字盤の顔はぷんすこと拗ねる寸前だった。
「じゃああんずジャム」
 異形で普段は人の顔と違うからって、僕に表情が読まれていないとでも思っていたか馬鹿め。この家で生活を始めて、リーエイと家族になってもう三ヶ月が経つ。といっても霧の街は年中霧に覆われ季節をあまり感じられないのだが。僕は拗ねる寸前の親の機嫌をとってやろうと、リーエイの好きなジャムを選んでやった。
「本当!? 俺も今日はアプリコットジャムがいいと思ってたんだよね~リールは訊いてないから知らないけど~」
 るんるんと機嫌を良くしてリーエイはキッチンに戻っていく。そう、この父親とんでもなくちょろいのである。あとお前はスコーンにつけるジャムは「今日は」じゃなくて「いつも」あんずジャムだろ。
「………」
 結局昼寝の時に見た変な夢のことを話せないまま夜になってしまった。リールは図書館の仕事をしなければならないと言って朝早くに家を出たし、リーエイは普段通りだ。
「…………」
「ユーイオ? 熱でもある?」
「あっいや違うっ」
「……今日なんかお昼寝終わった後から変だよ?」
 大丈夫? とリーエイは首を傾げる。平気、と強がる必要が無いのはもうとっくにわかっている。わかっているけれど、これを話していいのかが僕にはわからない。
「……驚かないで、落ち着いて聴いて欲しい」
 僕はリーエイが頷いたのを見てから昼寝の時に見た夢を話した。リーエイもリールも死んだ後、僕は不思議な力のようなものが発現してこの頃に戻ってきていたことも。
「……予知夢かな。いや予知夢にしては変だ。俺が死ぬ時に俺たちと一緒にユーイオがいるなんて」
 リーエイの異能の代償は誰よりも永く生きることだ。先天性、後天性にかかわらず異形は五百年、長くて七百年程度が寿命とされている。リーエイは代償によりその寿命の三倍~五倍は生かされることになっている。生きるのではなくので、その間に心臓を貫こうが首を切り落とそうが猛毒を飲ませようが彼は決して死ねない身体になっているのだ。
 以前、本当に死なないのかをリーエイはユーイオに見せたことがあった。キッチンにある包丁で自分の首を躊躇なく切ってみせ、その数秒後けろっと「ほら平気」と笑ったのだ。だから、ユーイオがリーエイは死んだかまだ生かされているかの区別がつかないことはありえない。「死んだ」と言っているのなら、本当にぴくりとも動かなかったのだろう。その時までユーイオが生きていることがおかしくて、リーエイは不思議に思った。
「異能を吸収されたり消されたりしたのかなって思ったりもしたんだけど」
「……多分されてない。俺の「時間詐称」は誰にも奪えないようにしてるから。──ユーイオは異形が異能をどこに知ってる?」
「お前に教わってないことを僕が知ってると思うなよ」
「はいはい。異能は脳にくっついてる感じ。だからイノヴァンとか俺とかリールみたいに、頭を使う異能がそこそこ多いんだよね。逆に「消滅」とか頭をそこまで使わない方が珍しいと思うよ。で、俺はその脳を頭から取り出してるんだ」
「は?」
 ほらほら、とリーエイは日頃から首に提げているペンダントを僕に見せてくれた。それには四角錐のキューブがひとつついていて、その中をよく見ると脳のようなぐちゃぐちゃしたものが確かにあった。
「「圧縮コンプレション」の異武装をアクセサリーに付与してもらったんだ。脳さえ消されたり捻り潰されたりしなきゃ俺の異能は簡単に消えてくれないんだよ~。だからはそれを知らないからリールのお腹に穴開けたんだと思うよ」
 あいつ──ああ、「吸収」を使わなければ何も学習できないあいつか。
「こう首に提げておいたら身体が狙われた時にこれちぎればいいし。あっユーイオにかけておこうか」
「そ、それは………」
 何かあった時に弱いからと真っ先に狙われるのは間違いなく僕だ。そんな僕に、そんな重要なものを渡すなんてバカも大概にした方がいい。
「……異形でもあいつみたいに二つ異能を持ってる奴って他に居るかな」
「………リールなんかは「完全記憶」と「記憶呼出バックアップ」の二個持ちだったかな。まあ「記憶呼出」は「完全記憶」で記憶したことを再現するから「完全記憶」ありきなんだけど」
「本気出したやつ、とは違うんだ」
「うん、「記憶呼出」の代償はたしか自分に関する記憶の再現は禁止で、それしようとしたら今までの記憶全部消えるとかだったかな」
 ──今サラッと怖いこと言ったこいつ。
「なんでも覚えるだけのヒトの奥の手、唯一の異能による戦闘手段だね!」
 ちなみに自分の身に起きたことを話すのは再現にはならないので大丈夫らしい。記憶の再現とは、本当に起きたことをこの場で再現するらしいが、再現されているのはリールの記憶であって現実では無いのでたとえどんなに苛烈な災害や先頭の記憶が再現されたとしても家が壊れたり、自分が傷つけられたりすることはないらしい。
「あー疲れた……」
「「おかえり」」
「リーエイ、今日の飯って……」
「今日はここ一週間の中で一番冷え込む日だからね、クラムチャウダーにしてみたよ」
 ──リーエイには言えなかったことがあった。実はあの夢の中で、最上層者は僕を狙って襲いかかってきたのだ。僕のせいで二人は死んでしまう。リーエイは異能を吸収、消滅させられたわけでもないのに代償の力が働かずに死んで、リールはそんなリーエイを見て一瞬焦ってしまったのを最上層者に気付かれ隙を突かれてしまった。ほんの数秒で家族が誰一人いなくなってしまった。──僕の、せいで。



「………」
 『ごめん。家族は楽しくていいものだって学べた。でも、僕にはそれが幸せすぎて失うのが怖くなってしまったから失う前に僕が居なくなることにする』
 寝室から抜け出し、書き置きをソファとセットのローテーブルに置いて、玄関の扉をそっと開ける。夜の街は相変わらず寒い。少し厚着しておいて正解だ。靴を履いて、鍵は閉めたら音で気付かれてしまうので閉めなかった。自分で行ける場所は向かいのバニラさんとジャロさんの店、それと図書館と役所ぐらいだ。その他の場所への行き方なんて知る機会もなかった。取り敢えず役所の方へひたすら歩くことにした。
「………んぅ……? ……………??」
 寝相の悪いリーエイはいつもよりベッドの空間が広くなったように感じて目を覚ました。時刻は夜中の三時。──ユーイオが、いない。
「リールッ!!」
 ばんっ、と自分とユーイオの寝室の隣のゲストルームで寝ていたリールを叩き起こす。こいつは寝起きが良くない。
「…………………なに」
「ユーイオ…………ユーイオがいない……っ」
 それを聞いてリールは飛び起きた。彼にとってもあの子はかなり特別な存在だったらしい。しかし、熟睡して「完全記憶」が働いていなかったせいでユーイオの真夜中の行動が掴めない。
「……おいリーエイ」
 一階に降りてローテーブルに真っ先に目がいったリールはリーエイの肩をぽんぽんと叩いた。
「……ばっか」
「っおい!?」
 がちゃん、と雑に扉を開けて自分以外の時を止める。きっとユーイオのことだ、まだそう遠くへは行っていないはずだ。──「時間詐称」。
「……いた」
 ユーイオは誰もいない真夜中の公園に居た。
「ユーイオ」
「!」
 リーエイが名前を呼ぶと、ユーイオはびくっと肩を震わせ、ゆっくりと振り返った。その顔は今にも泣きそうな、見たことがない顔だった。
「リーエイ……なんで」
「なんか目覚めちゃった。そしたら隣に居ないからさ、焦ったよ」
 怒らせたかもしれない。勝手に家を抜け出して、こんな所にいる人間ぼくを馬鹿だと言うかもしれない。どうしよう、どうしよう。
「リーエイ……」
「怒ってないよ。夢、俺にまだ話してない部分あるでしょ」
「………」
 気付かれていた。じゃあ、どうして気付いた時に訊いてくれなかったのだろう。意地悪だ。
「さい……あいつが襲ってきた理由は僕。僕がいるから……僕は普通の人間じゃないって、確か言ってた」
「普通の……ふむ」
 リーエイはユーイオが座っているブランコの隣に座って話を聴く。
「どう普通じゃないんだって、僕が訊いたら「こうしたらわかるさ」ってあいつはリールを、リーエイを殺した」
「………」
「なんであいつは僕が普通じゃないってわかるんだろう……「吸収」しないと何も学べないんでしょ? リーエイ………答えてよ、僕怖いんだよ、僕のせいで幸せがあっけなく潰れるのがさ」
 ユーイオはぼろぼろと涙を零しながら言った。今まで痛みと悔しさとで流した涙ばかりだったが、失うことへの恐怖で涙を流すことは初めてだった。
「ユーイオ……君は」
「ねえ、僕って何?」
 わからない、怖い、とユーイオはわんわん泣き始めた。今まで考えたことのなかった「自分」のこと。ただの恵まれない人間だと思っていたのが、夢でそうではないと否定されてしまった。だが、これはリーエイからしたらただの夢の内容だ。ここまでユーイオが怯えたり泣いたりする必要はないだろうとリーエイは思ってしまう。
「……ユーイオ、今までこういう夢を見て現実になったことってどれくらいある?」
「………数えたことはない、けど……少なくとも十回は超えてるんじゃないかな。パンを盗みに行こうと思った日に「パンを盗みに行ったら瀕死になるほどパン屋の店主に殴られる」夢を見るとか。最初は所詮夢だと思ってパンを盗みに行った。そうしたら、夢の通り本当に一番酷く殴られまくって、パンは盗めなかったし身体はボロボロになるしで最悪の日になった。「パンを半分こした僕より小さな子が餓死する」夢を見たその日の昼に、その子は本当に死んでしまった。……偶然が続いただけかもしれない。でも、十回を超えたら流石に怖くなってきて。僕が見る夢の大半は現実になるって確信せざるを得ないことがあった」
「それは?」
「………………お前に、拾われる夢」
 あの日の前夜、僕はいつも通り少し大きめのボロきれに身を包んで眠っていた。そうしたら、盗めたパンをクソガキに殴られて奪われ、その後に背が高い時計頭の異形に誘拐される、そんな夢を見た。異形が僕を連れ去るなんて有り得ないと思った。今回の夢はハズレだと信じきっていた。最下層に異形が来ることなんて滅多にない。来るとしても、奴隷商売の汚らしい異形どもぐらいで、リーエイのような身だしなみの整った小綺麗な異形は来ないのだから。
「でもお前は来た。そして僕を拾って家族にしている今がある」
「……」
「僕にとって現実になる夢……えぇと予知夢? を何回も見ることはごくごく当たり前のことだったんだ。でもそれは違うんだよね?」
「……そう、だね。予知夢は滅多に見ないものだから……でもそうしたら、君は何かしらの異能を持っていることになりかねない」
 ちゃら、とペンダントをリーエイが見た。四角錐の中にある脳には鎖のようなものが絡まっている。
「この鎖に見えるものが異能。普通の検査でも多分写ったはずなんだ。……夜間緊急はまだきっと空いてるはず。俺ならメアルの友達ってことで顔パス出来るだろうし……よし今から行こう」
「えっリーエイ」
 ──うちの親はやや強引なところがある。一瞬で夜間病院に来てしまった。そして、本当にリーエイが受付のヒトに顔を見せるだけで通してもらえた。
「メアル、暇?」
「今日は急患もそんなに居ないからまあ、今ちょうど一段落着いたところだよ。どうしたんだい?」
「………この子の脳を検査してみてほしい」
「そんなこと? 全然いいよ」
 メアルは飲んでいたコーヒーを置いて、僕に手招きをする。検査室に案内してもらって、よくわからない台に寝転がって、よくわからない機械に身体が入る。しばらくして機械から出してもらって、リーエイと話しながら結果を待っているとメアルさんが興奮気味で戻ってきた。
「ユーイオ!! 君本当に人間だよね!?」
「え、う、うん……」
 この言い方からしてやはり僕は普通ではないらしい。
「…………君なんか異能持ってる」
 きょろきょろと僕たち以外に近くに誰もいないか確認してから、耳打ちでメアルさんは言った。ああ、やはり僕は何かしらの異能を持った人間のようだ。多分予知夢のことだろう。
「……予知夢を頻繁に見るんだけれど、それは異能だっけ?」
「うーん……全覧持ってくるよ」
 メアルは最新版の分厚い異能全覧を持ってきて、夢に関する異能を調べ始めた。
「………だめ、予知夢に関する異能は無いね。多分異能の力が人の身には強すぎて副反応みたいなのが起きてるんじゃないかなって」
 つまり、予知夢自体は異能ではなく異能による副反応、負担らしい。異能自体はまた別の力を持っているということになる。
「……その異能までは」
「ごめんね、おれの力が及ばないせいで……そこまではわからないんだ」
「そっか、でも僕が普通じゃないってちゃんとわかっただけでも僕は満足だから、ありがとうメアルさん」
「そう言ってくれると嬉しいよ。また何かあったらいつでも来てね。おれは君たちなら顔パスで入れてあげるからさ」



「………異能持ちってことはわかったけれど、結局何の異能かはわからなかったね」
 リーエイが呟く。誰も居ないからと帰りは「時間詐称」を使うことなく、とぼとぼと街灯が頼りなく照らす道を歩いていた。
「異能持ちの人間なんて本当は居ないんだよね?」
「そのはずだよ。でも君は人間だ。俺と違って日々すくすくと育ってくれているし、先天性異形に赤ん坊や子供の頃なんてものは存在しない。彼らは生まれた時から成熟しただからね」
 家に帰るとリールが「ココアだ」と、僕に渡してくれた。リールなりに僕のことを心配していたらしい。ココアはリーエイが作るものよりほんのり苦く、でもその苦さが心地よかった。
「リーエイ」
「ん?」
「……ごめん。書き置き、本当はあんなこと思ってないから」
「ふふっ、知ってるよ」
 いい夢を見られるように、とリーエイが歌を歌ってくれた。綺麗な声で、優しく包まれるようなあたたかさが僕を眠りに導くのにそう時間はかからなかった。
「……………」
 目が覚めるとリーエイはいなかった。時計を見ると昼前で、久しぶりに熟睡出来たことに驚いた。
「あ、起きた」
「よく眠れたか」
 一階に下りると、ふたりがリビングで寛いでいた。それぞれ手に持っている本は異能についてだった。
「ご飯、テーブルにラップして置いてるから」
「……ありがとう」
 夢を見ずに次の日を迎えることに違和感を感じる。それだけ僕が何かしらの夢を見て次の日を迎えていたということだろう。
「……おいし」
「ありがとー」
 ぼそっ、と小声で呟いただけでリビングからリーエイの喜ぶ声がした。フレンチトーストは変わらないリーエイの味だ。オムレツがいつもと違ってチーズ入りだ。これはリールが作ったのだろう。
「チーズ入りオムレツ、意外と美味しいな……」
「また食べたくなったらいつでも作る」
 またリビングから声がした。ふたりとも褒められると素直に喜ぶので、つい思ったことが口に出るようになった。
「夢、見なかったでしょ」
 僕が食べ終えてリビングに行くとリーエイが言った。
「うん」
「よかった」
 異能持ちの人間なんて気付かれたらきっとあのユーイオの悪夢が現実になるのだろう。メアルに限って最上層者にこのことを報告するとは思えない。メアルは友達だ。秘密にしておいてくれるはずだ。
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