フォギーシティ

淺木 朝咲

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一章 光と霧の街

かぞく

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「そちらの人間を養子として迎え入れたいと」
「はい」
 洗濯物を部屋に干し終え、乾燥機をつけてから僕達は役所へ向かった。
「リーエイ・チアンさん……元軍人の後天性異形ですね。犯罪歴も特にありませんし、中層にお住まいのようですので養子制度はご利用いただけます。ただ……こちらの人間の戸籍が見当たらないのですが」
「この子は最下層の子供です。ひどく衰弱していたので勝手な層の行き来が禁じられているのは知っていますが止むを得ない状況でした」
「そうですか。……お名前は?」
「ユーイオです」
 役所の受付に座っていた異形はリーエイより声が高い。本の頭をしていて、指先がペン先になっていた。
「ユーイオさん……と。年齢は?」
「ユーイオ、いくつかわかるか?」
「え、と……」
 数の数え方は知っている。盗む時にわかっていないと面倒なこともあったからだ。ただ自分の年齢となると話はまた別なのだが。なにかヒントはないだろうか。
「……あ、最下層の、僕をよく虐めてきた人は「十八の俺より八つも下のクセにクソ生意気だ」とか言ってたような」
「じゃあ十歳か」
 この街では十八歳から成人が認められている。きっとユーイオを虐めた奴らは「成人でもないのにうまい残飯を食うなんて許せない」と虐めたのだろう。精神も最下層らしいようだ。
「確認しますね。養父リーエイ・チアン、元軍人の後天性異形、百四十九歳、中層民。養子ユーイオ、人間、十歳、最下層民。間違いないですね?」
「はい」
「ではこちらの枠にサインをお願いします」
 この街に印鑑の文化はない。そもそも印鑑の方が珍しいぐらいだ。リーエイはサラサラと自分の名前を書く。面倒なことにこの養子制度の手続きの紙にはユーイオのサインも必要らしい。
「ユーイオ、字は書けるかい?」
「読むのはほんの少しだけ……でも」
「わかった」
 学校もロクに行けていないのに読みが少し出来るだけ大したものだと思いながらユーイオのサインは代筆した。
「では本日からユーイオをリーエイ・チアンの養子として認め、ユーイオを中層民として認めます。お二人分の宝石は既に発行済ですので隣の装飾店にてお受け取りください」
「もう終わり?」
「うん、隣のお店に行ったら正式に俺たちは親子になるよ」
 装飾店の中は綺麗なものが沢山並んでいた。見たことのない色の石が置かれていたり、それを使った腕輪が売られていたりした。金額は──恐ろしくて言いたくない。
「チアンさんですね? こちらの耳飾りと首飾りをどうぞ」
 店の奥のカウンターには人間の女の子が一人だけ立っていた。彼女から渡されたのは柔らかい色合いの石をあしらったピアスとネックレスだった。
「ユーイオはこっちだね。……ピアッサーありますか?」
「はい、こちらに」
 女の子の手際はかなりいい。この仕事を長く続けているのだろう。
「リーエイ?」
「ユーイオ、少し痛いけど我慢してね。痛くないようにするから」
 女の子から渡された氷嚢をリーエイは僕の右耳に当てる。
「ひっ」
 冷たい。耳がキンキンに冷やされていく。路地裏で過ごす冬ですらここまで痛くはならなかった。
「……どう? 触られてる感覚は」
「わからない……冷たくて痛い」
「大丈夫そうだね。怖かったら目を瞑ってていいから」
 今から何をされるのだろうか。ピアスもよくわかっていないのによく分からないことを今からされるのは恐怖でしかない。怖くて目を瞑ると耳元で「バチン」と嫌な音が鳴った。
「っ!」
「ご、ごめん痛かった?」
「いや、音にびっくりしただけ」
 はい、と鏡を見せてもらうとあの石のピアスが右耳についていた。
「お姉さんがピアッサーのファーストピアスの部分をこれに変えてくれたんだよ。いいお姉さんだ」
 女の子は自分の仕事ぶりを褒められて嬉しそうにしている。その女の子の機転で上手くつけられたピアスとやらに触ると耳の後ろから何か突き出しているのがわかった。
「リ、リーエイ」
「痛くなってきた?」
「ちが、その、なんか……これ耳貫通してる?」
「え、うん。ピアスってそういうものだよ」
 それを聞いて僕は女の子がリーエイに氷を渡したり、リーエイが何回も痛くないかと訊いた意味がわかった。
「イヤーカフとかイヤリングとかのアクセサリーもあるけどー、こういう制度とか決められたことになると簡単に取れないピアスが付けられやすいね。異形は俺みたいに耳ないのもいるけど首は大体の異形にあるからってネックレスで済むんだよ」
「へぇ……これ、なんて石?」
「フローライトです。蛍石とも言いますね」
 よく見ると僕の色とリーエイの色が違う。僕は緑、リーエイは青だ。
「フローライトは色によって意味が変わるんですよ」
「「へぇ」」
「緑でしたら安心感、協調などですね。青は平和や心の安らぎといった意味があります」
 安心感。その言葉を聴いてきっとこの女の子はひとりひとり別の石をあしらったものを作っているのだろうと思った。
「人に合った石を選ぶのが上手なんですね」
 リーエイが褒めると、女の子は笑顔になって、
「はいっ! 来店されたお客様を一目見ればどの石がぴったりかすぐにわかる異能を持っていますので!」
 そう言って女の子はブラウスの袖を豪快にまくった。そこには程よく肉のついた腕ではなくきらきらと光を反射する石の腕があった。
「宝石の異形かな?」
「近いです。これは宝石より硬いミスリルの腕です! おふたりしかいないので代償を話すと毎日石細工をひとつ加工する必要があるんですよ~」
 顔以外にも異形として体が変わっているパターンもあるのか。パッと見が人間だったからまったく気がつかなかった。
「当店では結婚指輪のご予約も承っておりますので今後ともよろしくお願いしますねっ」
 からんからん、とドアのベルが小気味良い音を奏でる。どうやらこの子は僕たちを気に入ってくれたらしい。
「あっユーイオさん」
「ん」
「この街には色々な異形がいらっしゃいますけれど、わたしやリーエイさんのような優しい異形の方が珍しいです。役所の方々や上層部の方々は大抵が人間を奴隷や下等種族扱いをしていらっしゃるので。それに代償を人間に簡単に教える方がおかしいって常識でもありますので」
「……ありがとう、覚えとく」
「リーエイさんもこの子のこと、よろしくお願いしますね」
「任せてよ。殺した分今度はちゃんと守ってみせるよ」
 リーエイのその言葉を聴いて店主の女の子は笑った。
「ではではまたのご来店をお待ちしておりますね!」
 ──大抵が人間を下等種族扱いしている。
 店主の子の忠告は今後かなり役に立つかもしれない。異形の養子だからといって、きっと扱いが異形と同じになるわけではない。そうでなければあの子がこんなことを言うはずはない。
「ユーイオ」
「あ……リーエイ」
「何か考え事?」
 大丈夫? と覗き込む時計の顔には心配や不安の表情は無い。だが、声が不安を乗せて僕に伝わってくる。
「ううん、大丈夫」
「……そう? 何かあったらすぐ言ってね。もう俺はユーイオのパパなんだし。あっパパって響きいいね! 俺やっぱ人間の時一回は結婚するべきだったな~」
 こいつは本当に能天気というか自由すぎる。ひとりで勝手に楽しんで盛り上がるからその楽しさに終わりが見えない。
「……」
 パパ、と呼んでみたらどんな反応をするのだろうか。
「パパ」
 小声で呟く。目の前を車が霧より濃い煙とやかましい音を出しながら通り過ぎる。きっと聞こえていない。聞こえる距離でもない。僕の背丈から見たリーエイは、広い肩幅で頭が隠れてる。だからきっと──
「何? ユーイオ」
 聞こえていた。嘘だ。文字盤だからって読めない表情も今はわかる。笑っている。嬉しそうに、にこにこと。
「っ……なんでもない」
「え? なんでもないのにわざわざパパって呼んでくれたの? え、嬉しい~! やっぱ持つべきものは家族だね~!」
 しまった。ただでさえ終わらないこいつの自由さがさらに終わらなくなってしまった。この調子だと多分家に帰るまで、いや家に着いてからもるんるんと機嫌よく鼻歌付きで僕のそばに居るに違いない。
「でも、ま」
「わっ」
 ふわりと体が浮く。さっきまで遠かったリーエイの顔が近くにあった。
「まだまだ俺はパパって呼ばれるほど君の親には相応しくないだろうからもっと頑張るよ。なにか俺について不満があったらいつでもなんでも言ってね」
「………じゃその明るすぎるところ」
「ええ!? ユーイオは明るいの嫌だった!?」
 うそぉー、と穏やかそうにしていた文字盤はがーん、と何か効果音がつきそうなぐらいショックを受けていた。
「嫌じゃない、明るすぎるのが嫌なだけ」
「いいじゃん年中梅雨みたいなこの街じゃ暗いとすぐ死ぬよ?」
「でもリーエイ死なないんじゃなかった?」
「…………」
 あ、黙った。僕を抱っこしたまま歩いてはいるけれどその歩く速さも変わった。これは流石に言いすぎたか?
「ご、ごめんって。その……リーエイが明るすぎたところで嫌いにはならないし」
「本当?!」
 がば、と下を向いていた文字盤がこちらに向けられる。何故だろう、陽の光なんてほとんど差していないのに文字盤が眩しい。
「ほ、ほんと」
「よかった~まだ親続けられる!」
 わーい、と横断歩道の真ん中でリーエイはくるりと一回転する。子供っぽい。本当に百年前に人を沢山殺してきたとは思えない動きだ。
「ね、ユーイオ」
「ん?」
「ユーイオもこれで中層民だから、中層部の行きたいところどこでも好きに行けるよ」
 それがどうしたというのだろう。そもそも僕は今のところリーエイの家と役所、その隣の装飾店しか中層部を知らないというのに。
「明後日、俺仕事休みになるんだよね。どこか連れてって欲しいところある?」
「いや、僕中層部のことまだ全然知らないし」
「たしかに! ユーイオ、乗り物酔いとかする?」
「乗り物酔い? ……酔う感覚がまずわからない。胸ぐらを掴まれたまま揺さぶられたときは流石に頭がぐわんぐわんして気持ち悪かったけど」
 そもそも最下層にはまともに動いてくれる乗り物がないし。
「そっか、遊園地行こう!」
「ゆうえんち?」
 何だそれ。初めて聞いた……のは嘘だ。下層部の人が「下層にもボロいけど遊園地出来たって、これで最下層と勘違いされなくて済むわ」とか言っていたような記憶がある。勿論そこのパン屋からパンを盗んだ。
「そう! きっとユーイオなら気にいると思うよ!」
「……そ、じゃ明後日楽しみにしてる」
「うん!」
 話をしていると、いつの間にか家の目の前まで来ていたらしい。リーエイが鍵を出す為に僕を下ろす。あ、そういえば。
「リーエイ」
「ん?」
「リーエイって仕事は何?」
「ああ、俺は時計屋だよ」
 隣の建物でね、と指された建物を見ると窓ガラスから高そうな時計が顔を出していた。こいつがここのオーナー……想像がつかない。ド貧民でも時計が高価で静かに時を刻むものということぐらいは知っているものだから、こんなにやかましい明るい時計に時計屋のオーナーなんて務まるのだろうかと思ってしまう。
「昨日今日は臨時休業してたよ。自営業ってある程度自由に出来るからいいよね~この街は外から隔離されてるから外より圧倒的に法とか制度が緩いし」
 おいこいつ本当にオーナーで大丈夫か。外とここを比べてこちらの方が緩いからといってかなり自由にやっているようだが。
「ユーイオにもこの生活に慣れてきたら店番の手伝いをしてもらいたいな」
「ぼ、僕がやっていいのか……?」
 僕は店なんて商品を盗むためか、店の裏にあるゴミ箱から可食部が残った生ゴミを探す為に来るぐらいでまともに店で買い物をしたことはない。そんな僕が店番なんて務まるのだろうか。
「大丈夫だよ、俺がちゃーんと教えるから。ユーイオなら出来るよ、だって俺の子だよ?」
 うーん、最後の一言で少し不安になった。血の繋がりがないとはいえ今日から僕とリーエイは親と子、家族だ。子は親に似ると聞いたことがあるから不安だ。え、僕これに知らないうちに似ていくのか……。
「………リーエイ、の」
「ん?」
「リーエイの家族ってどんな人達だった?」
 これの家族だ。よっぽど脳天気なのか、物事を深く考えない性格の人がきっと一人はいるだろう。
「そうだねぇ」
 昔のことだから思い出させて、と言ってリーエイは俯き顎の辺りに手を当てる。
「姉と弟がいて、両親もいて、祖父はいなかったけれど祖母はいた」
「姉と弟は何人?」
「姉が一人、弟が二人かな。二人とも二回目の戦争で──死んじゃった」
「……ごめん」
 理由もなく申し訳なく思ってしまい、つい謝る。
「いいよ、昔のことなんだから。そりゃあ初めて知った時は悲しくて悲しくて、国の上の連中が憎ったらしくて仕方なかったけれどね」
 リーエイは顎に当てていた手をぱっと離し、両手を広げて横に振っている。その動きすら柔らかく上品だ。
「兄弟の名前は?」
「メイレン姉さんとチウァン、末っ子がロウシャオ。姉さんは俺の三つ上でチウァンは俺の二つ下、ロウシャオは俺の五つ下だったね」
 家の鍵を開け、リビングに戻りながらリーエイは話を続ける。
「姉さんだけがまともに生きている。いや、生きていたんだ」
「生きていた?」
「うん、年月もかなり経った──俺が百歳をとっくに過ぎてしまっているぐらい、時間は流れたんだよ。人間の姉さんはとっくに亡くなってるよ」
 僕は何も知らない。最下層の不衛生な環境じゃ、寿命が尽きるその日まで生きられる人なんてまずいない。僕みたいな子供でも死ぬからか、大人はあまり見かけない。だから、人間の正しい寿命も知らなかった。
「………人間はね、ユーイオ。人間は、これはあくまで平均の話になるけれど……八十年ぐらいが寿命なんだよ。東の方じゃもっと寿命は長いけれど」
 八十年。僕は十歳。この十年を、あと八回繰り返したら寿命とやらを多分迎えるらしい。
「じゃあ僕はリーエイを置いて行くことになるのか」
 ぼそっ、と呟いた言葉に、リーエイがはっとこちらを向いた。何だ。教育を受けていなくてもそれくらいわかるぞ。
「……そうだね。ユーイオのしわくちゃな姿が見れるのは嬉しいけれど寂しいや」
「りーえ」
「だからなるべく長生きして俺と少しでもたくさん一緒に生きてね!!」
「え、あ、うん」
 がし、と肩を掴まれながら話されたので引き気味に返事をしているとリーエイは少し俯いて「唯一俺の家族で生きてくれているんだからさ」と小声で言った。ああ、このヒトはかたちあるものを失うのが怖いんだ、と思った。僕はというと全力で盗ったものは奪われるし、金目になるから売ろうと大切にしていたものは壊されるしで形があるものは壊れて当たり前って認識だ。
「リーエイ」
「?」
「僕が死んでもさ」
 だから僕はきっと無茶なお願いをしたに違いない。
「リーエイはその明るさのままでいてよ。僕の唯一の家族なんだから」
「っ」
 時計の文字盤に一瞬戸惑いが現れたように見えた。
「うん、そうだね。にいつまでも悲しかったり辛そうにしている顔は向けてられないからね」
 そう言ってリーエイは高級そうな箪笥の引き出しから一枚の写真を出した。かなり古そうなものだが、やはり状態はリーエイの若い頃の写真同様かなり良かった。きっとまた「時間詐称タイムラグ」で写真の劣化を抑えているのだろう。
「──姉さん。俺、結婚は結局出来なかったけど子供はできたよ。人をいっぱい殺した俺にもまだ家族はいるみたいだからさ、まだそっちには行けそうにないや」
「……」
 手元からちらりと見えたリーエイの姉の顔はやはり美人だった。きっといい家柄だったに違いない。顔立ちは整っていて、品がある。弟たちもきっと似たような顔をしているに違いない。
「………よし! ユーイオのおかげで俺明日からの仕事頑張れそう。お腹すいたでしょ、パンケーキでも焼くよ」
 僕は底抜けに明るいこのヒトの暗い部分をきっとまだ完全にはわかってない。でも、なぜだろう。だからこそ僕がそばにいてあげないとと思ってしまうんだ。
「? ユーイオ」
「あ」
 泡立て器を持った彼が僕の目をじっと見ている。わかる。何か訊く時はそうするって。色々訊かれたからそれはもうわかるんだ。
「クリーム添えるか添えないか、どっち?」
「んー……少なめ」
「ん、わかった!」
 るんるんと鼻歌交じりにリーエイはパンケーキの生地を混ぜ始める。そのパンケーキは家族として始めてあたたかさを感じる食事になった。
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