孤独な王女

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見上げた空は・上章

シュバルツにて③

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 どうせなのでもう直接聞こう。そう決意できるほどには行動力が戻ってきたようだった。
 正式な面会なんてできやしないので、ナージャに取り次いでもらった。返事は無だった。まあ予想はしていた。
 ぷりぷりと怒るナージャを宥め、今度はセルゲイに尋ねてみた。どうやら個人的に親しいらしく、たまに商人と国王という身分差がありながら晩酌を共にしたりしているらしい。王さまといい、今回の亡命の手配といい、セルゲイのつての広さが謎だが、そこまで連れていってくれるというのでありがたい。
 エルツィ宮殿から出るのもはじめてで、散歩にもちょうどよかった。
 髪を括って布で隠して、セルゲイの小姓として、いざ、国王の座す城の最深部へ。

「お前、そんなに殺されたいのか?」

 これが、虐殺王が、客間に待たせていたセルゲイとリエンを見ての一言である。驚きは最初の瞬き分だけ。すぐに心底呆れた顔になった。

「目障りなら殺すと言ったはずだがな」

 そうだっけ、と首をかしげる。このとぼけ面はもっと気に入らなかったようだ。重くきらびやかな衣装の裾を捌き、ゆったりと、一分の隙も見せずリエンの前へと足を運ぶ。王そのものが抜き身の刀身のようだった。
 数日前と同じように向かい合い、リエンが何ら変化していないことに鼻を鳴らした。

「自ら首を差し出しに来るとは律儀な王女だ」

 そう言いつつ、殺す気分ではないらしい。セルゲイが用意した酒が既に杯に入れられ、卓の上に置かれている。無造作にそれを掬いとり、立ったまま飲み干した。

「どこのだ?」
「フリーセアの港で仕入れた飲んだくれ船人推薦の逸品です。お気に召されましたか」
「高い酒にない無駄な雑味がいい」
「それはよかった」

 庶民が酔うためだけに飲むような酒を覇王へ堂々と提供したセルゲイは、本当にザクセン王と付き合いが長いらしい。丁寧な口調ながらも気心知れた雰囲気がある。

「蟒蛇な陛下のために、瓶五本、王女さまがえっちらおっちら運んできたんですよ」
「その分だけは聞いてやろう。それで、何の用だ」

 どかりと革張りの椅子に座り、手酌でかぱかぱと飲んでいくザクセンの前に、リエンは用意していた紙を差し出した。顔をしかめつつ目を走らせ、さらに三杯ほど重ね、一瓶の残りも少なくなってきた頃。立ったままのリエンをセルゲイが隣に座らせたのを見て、また無言で飲み進めた。
 一瓶丸々空けると、新たな瓶の栓を、セルゲイが小刀で開けた。リエンは面白そうにその手順を見つめている。

「ジヴェルナ王族には『覚醒』とやらがあるらしいな」

 リエンの瞳がすうっと流れ、ザクセンの顔に当てられた。

「片翼のもげた鳥と言ったのはお前の祖父だ。だが、お前やお前の父を見るに、あれは立ち直りの成功例か、もしくは例外だったようだな」

 セルゲイはなにも聞いていないふりで、新しく口を開けた酒をザクセンの差し出した杯に注ぎ足した。

「人が劇的に成長するなど、お前たちのお家芸ではない。いくらでもどこにでもあることだ。きっかけさえあればな。それを、ジヴェルナ王族の場合はあえて『覚醒』と特別に呼ぶわけだ」

 確かに、ザクセンの言う通りだった。人はきっかけさえあれば簡単に変わる。前世の子どもたちやユゥ、アルフィオの変わる様は目の当たりにしたし、ヴィーもいつ頃からか変わったのには気づいていた。
 ジヴェルナ王族だけ、特別な訳じゃない。

(ベリオルは何て言ってたっけ……)

 早熟の証。早く大人にならなくちゃいけない時に起こるもの。
 大人になるとは、具体的に何を指す?

(ジヴェルナ王族だけが他と違うこと……王位、権力?でも、それはきっかけにはならない)

 リエンは死にかけたから奈積を目覚めさせた。王さまはおかあさまと結婚するためとか言ってた気がする。ベリオルは、両親という、最も頼れる大人がいなくなったから。権力がほしいから変わったわけでもないし、むしろ王さまは、おかあさまがいなければ国王になんてなりたくなかったんだろう。ベリオルは最初から王さまに仕えるためにしか権力を求めてない。
 考え込んでいるうちに三本目を用意していたセルゲイの手を止めて、栓抜きをやらせてもらうことにした。小刀を木製の栓に突き刺し、ぐっと捻る。思ったより力がいるのか、コツが掴めていないのか。うまく抜けず格闘している姿を、他の二人にまじまじと見られた。

「そういやジヴェルナじゃ酒は十八からか。だが身内の場なら例外だろう」
「そこは、王妃さまが酒乱だったので。周りが警戒して飲ませてないんでしょうよ」
「ほお」
「酒も甘味も駄目。両刀使いの真逆ですな」

 そうか、おかあさまはお酒が弱かったのか。ぐいぐい捻りながらそう考えていると、べきっと、栓が半ばから折れた。あ、とセルゲイの声とリエンの内心の声が一致した。杯を空にして見物していたザクセンが不機嫌になって立ち上がった。

「もういい。寄越せ。下だけ持っていろ」

 腰からあの宝剣を抜き放ち、白刃を横に一閃。キン、と澄んだ音がして、瓶の注ぎ口がすっぱりと切り離された。断面も滑らかな達人の技に思わず拍手した。

「まさか、その剣を封切りに使われますか……」
「おれがこれしきで武器を損なうわけがあるか。それか万一の場合はこいつに弁償請求する」
「値がつけられませんよ。あまりにも古く美しい名剣です。当世の鍛冶師に、これだけのものを打つ技倆がある者はいやしません」

 ザクセンとセルゲイの杯に瓶を傾けて注ごうとすると、今度はザクセンから「作法も知らんのか」と馬鹿にされた。お酒を注ぐにも作法があるのかと思ったが、すぐに納得した。お茶にあるくらいなんだから、あるのか。
 だが今さら気にするのも面倒なので、無視してとりあえず器の七分目くらいまで注いだ。
 ザクセンは無言で杯をとり、セルゲイはくつくつと笑いながら舐めるように飲んだ。

「面白いでしょう、この王女さまは」
「これで平常運転か」
「そうです」

 瓶を置いたリエンは、セルゲイからもらった携帯用の文箱を、五本の瓶を入れていた籠から取り出し、先ほどザクセンの目の前に差し出した紙を手元に引き寄せた。周辺の大理石造りの燭台が小さな炎を明るく見せ、落ちる影は柔らかく、目に優しかった。徹夜の時にはこういうのがあったらいいなと思った。

(あと三本を切ったし、ジヴェルナの話はさておいて……)

 先ほど書いていた「あなたはなぜ王になったのか」という装飾も欺瞞もない率直すぎる問いの下に、「『覚醒』の例は、あなたにも当てはまるのか。それとも、シュバルツ王族には別の何かがあるのか」と書いた。
 ザクセンは一瞬、全ての感情を殺したような無表情になり、直後、笑った。首を刃で愛撫するような、血の色をした感情表現。己以外の全てを足元にひれ伏さす覇王の慈愛。
 ぞっとするように空気が震えた。

「さすがエルサの秘蔵っ子というわけだ」

 夜闇に溶けるように鳴りを潜めていた殺伐とした気配が、ザクセンの周囲を漂っていた。

「機微に鋭敏なくせに、恐れ知らずで賢明。駆け引きも下手くそではないようだな」

 褒めるような単語がずらずら並んでいるのに、褒められている気が一向にしない。リエンは涼しい顔の裏で冷や汗を流しつつ、虐殺王を見返した。空気の切り替えがあまりにも鮮やかで、本当に虎の尾を踏んだかどうか、いまいち判然としない。実は逃走経路はきちんと確保しているし、薬や礫が持ち込めなくても目眩ましくらいなら手の届く範囲にいくらでもある。だから表向きはいつも通り、無気力な無表情だ。
 質問するにもなにが気に障るのかわからないから、最初から取り繕う気持ちはなかった。だがあまりにも単刀直入すぎたらしい。

「そこまで問うのはなぜだ?」

 気になったので、と素直に書き、すぐ隣に小さめに参考に、と添えた。

「参考」
「……参考」

 二方向からボソッと声が漏れ、次いで噴き出したのはセルゲイだった。同時にぐしゃぐしゃと頭をかき混ぜられた。布がほどけて金髪があふれ落ちていく。視界が塞がった。だが全身を刺すような殺気は消えたようなので、リエンは黙々と髪をまとめ直した。

「いやもう、最高だぜあんた。そこで可愛げを出すか」
「これが平常運転か、なるほど。ようよう理解した。上の連中がころっと参るわけだ。――何の話か、だと?とぼけるのも大概にしろ」

 瞬く間に三本目が空になり、四本目、栓はセルゲイが開けた。あんたは練習してからな、と言われたので頷いた。あとでコツを教えてもらおう。練習用に栓を抜いたお酒はきっとガルダの胃に全て収まってくれるだろうし。

「……それで?おれの話だったか」

 ザクセンは疲れたように椅子にふんぞり返り、遠目にリエンをにらんでいたが、不意に、なにかを思いついたような含み笑いをこぼした。
 自分の答えがリエンをどう揺らすのか想像がついたように、細められた目がひたりとリエンに当てられている。ほんのすこし体を起こしてもいる。早速観察を始めたのだ。

「交替もなく長く続いた王家に呪いじみた観念がない方がおかしいだろう。だが、『覚醒』と言うべきはお前の血筋だ。おれは昔から何一つとして変わってはいない。――参考にしたければするといい」

 ジヴェルナよりは新しく他より古い時代に立ったシュバルツ王族にも、何らかの特徴があることを仄めかす言葉だった。問いの答えとしてもはぐらかしすぎている。
 だがそれよりも、呪いという言い回しが、リエンはひどく気に障った。
 生き残るために身につけざるをえなかったそれを、なぜ一方的に、悪し様に言われなくてはならないのか。――いや。

(おじいさまが、成功例……?)

 反対に、王さまとリエンは、失敗例。
 百年以上続いた戦乱を収めた祖父と、十年以上、後妻の一族に王国を蹂躙された父。外戚に裏切られ、居座ることもできず逃亡するしかなく、脱け殻になったリエン。
 ザクセンが言い比べるのは王家直系の血筋の優劣、ではない。

(おじいさまも覚醒していて……そして……?)

 覚醒のきっかけ。強制的に意識を塗り替えさせられる強烈な出逢い。喪えば生きていけないほど、歩く意味すらわからなくなるほど、重く、深く、存在が根付いて。

 ――傾国と呼ぶにふさわしい人を、直系王族の誰しもが抱えていたとしたら。

 それは、呪いとどう違うというのだろう。













 疑問も、そうでないものも、全てが整然と思考の道を作っていくようだった。

 賢者の廟にあったいくつもの姿絵。表舞台に立たなかった、家系図の中にだけ残る名前。禁書区間には王家の様々な功罪を記した書物が遺されている。戦乱の時期が多く、王族がはっきりと減少したのはこの動乱期。
 散逸された史料、明らかな生死の年月日と裏腹の生前の記録の少なさには疑問なんて抱かなかった。記録なんてしている暇はなかったのだろうと。
 だが、それで全てというわけがない。

(王さまは……廃されなかったけど、それは、王族みんながそうしなかったからだ)

 アーヴィンや他の大公、彼らの子孫は王位に無関心だからと言っても、なぜあれほどまでに傍観し尽くしたのだろう。王家の威信なんてかなぐり捨てたように、寄りたくない、触りたくないとばかりに。
 反対に言えば、もうドン底にいたはずの王さまは、何をすれば蹴落とされたのだろう。

『片翼のもげた鳥と言ったのはお前の祖父だ』

 飛べない鳥にも足があり、嘴があり、何よりまだ生きている。一方でガラクタは自分では動けないから、なにもしようがない。

(ご先祖さまたちは、表舞台からほどのことを、しでかした?)

 それは一体、どれほどのことなのか。わからないのに嫌な予感だけがもんもんと膨れ上がる。

 城からも消された記録。いつ頃に生まれたのか、口伝でしか存在を表されない賢者。張り巡らされた地下水路――離宮や後宮、王族の住まいに通じる路の先に隠された部屋。
 女王陛下とミシェルとヴィーに似ていたあの男が、単に捨てられたわけではなかったとしたら。

 

(じゃあ、ヴィーは、赤の他人じゃなくて――でも)

 希望と絶望が、思考の道を一瞬で駆け抜け、ぶつかり、弾けて消えた。

 まるでリエンが突き当たった答えを悟るかのように、愕然と見つめられたザクセンは、嘲るように、見せつけるように、鮮烈に笑った。
 最も玉座から遠い地位と身分にありながら王になった男の、凄惨な微笑。

 参考にしたければするといい。

 お伽噺を歌うように続けた。

「――できるものならばな」

 
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