孤独な王女

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見上げた空は・上章

逃亡②

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 まともな休息はしなかったが、バルトは様々に手を貸してくれた。
 食事をし、衣服を着替え、馬を替え、逃亡経路の助言をもらい、食糧と水、弓矢、路銀も用意してもらった。
 着の身着の王太子誘拐犯はちょっとだけ見映えのよい誘拐犯になった。

「どこを当てにしてるつもりだ?」
「東――シュバルツだ」
「なんだと?」

 眉を上げたバルトに、つい先日、リエンと共にナージャを連れて城に乗り込んだことを教えると、バルトは盛大に顔をひきつらせた。

「ただ辺境にいるだけじゃないとは思ってたが……やったのか」
「ナージャ殿下もターシャ殿下も、リエンさまには並々ならぬ借りがあるとおっしゃっていた。そこを頼る他ない」
「だが他の王子はどうなんだ」

 ゲオルグもレオンハルトも、リエンに求婚した前科がある。特にゲオルグは、今シュバルツの直系王族を掌中に収めれば、ジヴェルナへ征服戦争をはじめることすらありえる。

「その時はレオンハルト殿下に抑えてもらおう。それでもどうにもならないようだったら、また逃げるしかない」
「……一応フリーセア方面の情報も必要か?」
「頼む」
「おれも聞く。前にいた頃から変わってるだろうしな」

 ナオも頷き、キーランとアスガロも加わってちょっとした勉強会だ。
 その誰もが、フリーセアを経由してシュバルツに行く案には触れなかった。
 フリーセアはジヴェルナとの国境のほとんどをアルビオン領と接しているのだ。到底近づけない。

「ジヴェルナからシュバルツに強行突破か……」
「勝算はある」

 以前、エルサから国境越えの手解きを受けた身だ。それより前にはイオンとともに神聖王国まで行ったこともあり、その方面にド素人だったガルダは今やちょっとした密出入国のプロだった。国防の観点からバルトたちに詳細を語ることはしなかったが、三人も心得たもので、詳しくは聞きたがらなかった。
 ナオも「そこは旦那に任せた」と、あっさりガルダに命を預けた。この懐きように、裏町の連中がますますガルダを一目置いたのは当然の流れだった。














 逃亡者たちは夜のうちにウェズを出て、また街道を進みはじめた。日中も変わらず森や林の側で小休止しながら距離を稼ぐが、リエンはまるで脱け殻のようにガルダの鞍とナオの鞍を行ったり来たりし、泣いて暴れてを繰り返した。

「……消耗が酷い。このままだともたないぞ」
「完っ全に正気を見失ってるもんなぁ……」

 時折追いついてくる追っ手を撒いて逃げるより、リエンを宥め、押さえつけ、無理やり連れていくことの方が、ガルダとナオには辛かった。

「だけど、捕まっちまったらもっと酷いことになるかもしれないんだろ?」
「恐らくな」

 アルビオンが通達したせいか、それとも城がそうするように命じたのか。城からだけではなく各領地からもリエンを探していると見られる兵士たちの姿を多く見た。急いで国境を抜けなければ、じきに捕らえられてしまうだろう。
 もしくは、山かどこかに籠って、時期を見計らって出国する。自然豊かな森林を遊び相手にして育ったガルダならばそれも可能だった。しかし、手をこまねいているうちに完全に逃げ道を絶たれたときが怖い。リエンもこのままにしておけば衰弱死は確実だった。
 ガルダとナオだけでは足りない。一番いいのは、ユーフェもヴィオレットもネフィルもレナも、全員がここにいることだ。だがそれは不可能で、他にリエンの心を支えてくれる誰かの存在を、ガルダは全く思いつかなかった。
 ナージャがいればどうにか持ち直してくれるだろうかと、その期待すら甘いものなのだろう。だがそれ以外にやりようがなかった。

(リエンさま……)

 置き去りにしてはいけないと詰り、帰らなければと泣き喚く。離せと暴れ、何度馬から転げ落ちそうになったかもわからない。かといってその手足を縛ることは論外だった。
 自分の役立たなさに苛立つガルダに、ナオが何気なく小さな声で話しかけた。

「なあ旦那」
「なんだ」
「あんた、王子さんがこいつの弟じゃないって、確信してるみたいだな」

 ガルダはナオを見た。
 夜半、明日には国境を越えるという目前で、立ち寄った村家に旅人を装って納屋を借り、休息している時のことだった。
 屋根のある場所で休むのも数日ぶりだが、肉体的、心理的疲労のせいか、ナオの顔色は冴えなかった。
 それでもガルダを見る目は真剣そのものだ。雑談ではないのだとその固い態度が物語っている。

「……お前こそ、これまで一度も、そのことについては言わなかったな?」
「だってな、見りゃわかったんだもんな。おれもレナも」
「なんだと?」
「前世じゃなつの得意芸ってだけだったのに、なんでかな」

 農具を脇に退けて空けた空間に外套を敷いて寝床としているだけの場所に、リエンが丸くなって眠っている。最近は起きている時間も減っていた。
 金髪も色褪せ、緑の瞳からは光が失せた。起きているときは必ず泣くせいで、目から下の肌は大概荒れてしまっている。だが、リエンは、バルトたちですらついてこれないほどのこの強行軍については何一つ不満を漏らさなかった。
 それほどまでに、置いてきたものが大切だったのだ。大事に大事に積み上げてきたものでもあった。
 たとえ――血が繋がっていなくても。

「ナヅミの得意芸?」
「そうだよ。親兄弟ならまず正確に言い当てられる。見ればわかるでしょって、逆になんでわからないんだって言ってたんだぜ、あいつ。だけど、確かになあ……説明はできないよな」
「……リエンさまが最初にユーフェを密偵だと見抜いたとき、伯父だとされている人物と、『似ていない』とおっしゃったんた」
「ああ、そういうことか。あんたはそこで知ったんだな」
「出せる証拠はない、勘のようなものだとおっしゃっていたが、どういうことだ?」
「どうだかなぁ……なんでおれたちまでそんな不思議な勘が身に付いたんだかわからねえ。いっぺん生まれ変わったせいかな?」
「そういうものか?」
「考えたってどうしようもない気がする」
「それは確かに、そうだな……」

 二人は無言になって、リエンの影を見つめた。
 しばらくして、再びナオが口を開いた。

「きっとこいつの叔父さんも、姉貴とそっくり同じ血ってわけじゃないんだろうぜ。こいつの母親の肖像画とは似てたから、完全な赤の他人ってわけでもないけど」
「……そうなんだろうな」
「あんたは……そこまでわかってて、こいつを国外に出すつもりなんだな」

 今度は二人とも、お互いの顔を見なかった。

「ただ一人しか持ってない血筋ってやつ、あんたにとっては、そこまでの価値はない?」
「リエンさまならばな」
「こいつ以外なら気にしてた?」
「いや、どうでもいい」
「おお……旦那の兄ちゃんが言ってた通りか」
「アルナ殿が?」
「捨てるときはきっぱり捨てるって。あんたの剣を振る理由はあんたの心にしかない。清々しい自己中だってよ」

 元々ガルダを縛る柵は多くなかった。故郷、恩師、その程度。
 それもそんなに強い束縛ではなく、リエンと出会ってからは灰と化した。
 それほどまでに、リエンの存在は、ガルダの心を大きく強く揺さぶったのだ。

「……他の人間なら放っておくが、リエンさまがそう定められた人なら、おれは最後までついていく」
「すっげえ自己中……。あんた一応貴族だよな?この国の行く末とか気にならないもん?」
「気にならん。生い立ちよりは性格の問題だな、これは」
「即答だし」

 ナオはからからと笑い、リエンと同じように丸くなった。

「よかったよ、旦那がこいつに惚れてくれて……」

 早くも微睡んでいる声だった。

「あんた、感性はまともすぎるのに器がぶっ壊れてるもんな……」
「……それは褒めてるのか?」
「めっちゃ褒めてるって……」

 リエンという個の存在。抱える秘密、背負う荷物の大小は関係ない。ただ、それがリエンだからこそ、ガルダは全てを受け止め、受け入れる。
 ナオとレナはそのついでだ。恐らくはユゥも。ガルダにとってどうこうではなく、リエンにとって必要だから、その存在を容認する。

 馬鹿なやつだよお前、とリエンのつむじへ向けて声もなく呟いた。

(さっさと打ち明けとけば、今頃、正気を失うはめになんてならなかっただろうによ……)








☆☆☆








 ナージャを連れて国境を馬車で通ったときは、唯一国境を遮る河川に建てられた関所と砦を避けるように、ぎりぎりまで南に下ったところから、巡見の合間を掻い潜って走り抜けた。今回もそれに近いところまで寄っていったが、ガルダは舌打ちした。
 ナオも目を細めた。

「本気で、姫さんを外に出さないつもりだな」

 数人、数十人という規模ではない。百人を越える武装した騎兵が、ぞろぞろと周辺をうろついていた。
 高く掲げられ風に揺れている旗には、ユーリの家紋が鮮やかに描かれていた。
 シュバルツとの戦争で攻守ともに敵兵を苦しめ、和平後も国家間の小競り合いを鎮めてきた辺境伯家の兵たちは、実戦経験も比べようがないほどに豊富だ。それに加えて、彼らを統率するのは「ジヴェルナの守り刀」と名高い国王の従姉姫。ヒュレム同様、知る者ぞ知る稀代の女将軍でもあった。

「旦那」
「言うな」

 ここを駆け抜けるのはガルダでも無理だった。特に、今のリエンを連れている状態では。

「……さらに南に寄るぞ」

 二騎は相手から見えないぎりぎりの距離を保ちつつ国境沿いを駆けていったが、要所要所に抜け目なく兵が配備されていることを確かめる結果となった。平常時にこんな物々しい警備がされているわけがない。紛れもない厳戒態勢だ。

「北は?」
「砦を境目に山の標高がぐんと上がる。今のリエンさまでは無理だ」

 ナオも舌打ちした。

「ほんとに強行突破するか?」
「……夜の様子も確かめよう。今さら一晩ここで越したところで、さらに厳しくはならないはずだ」

 ガルダたちは多少の寄り道で時間を食ったが、それもわずかな差。城からユーリに早馬が届いたのは、どんなに急いでも昨日前後のはずだった。今日までにこれだけの兵を動員するとは、いくらなんでも早すぎる。
 王都でもそうだった。誕生祭の真っ只中に逃亡したガルダたちを追う兵士の数は異様に多かった。

(全て、あの老いぼれの掌の上か?) 

 だとしたら、どこまでもリエンを愚弄している。
 雑木林に身を潜めてまんじりとせずに夜を待つ間、ナオもなにか一人で考え込んでいたようで、夕方頃にこんなことを言い出した。

「旦那、敵さんはおれのことどう見てると思う?」
「どうした、急に」
「セーレとイオンの友だちだろ?んで国王さんのとこにも突撃かましたわけだから、実際、アルビオンにとっちゃ殺しとくべき相手って認識だろう。エルサ・ユーリは国王さんの従姉だって話だけど、そこまで伝えられてるかな?」
「……ナオ、お前」

 ナオが言おうとすることがわかって顔色を変えるガルダに、ナオはちょっぴり皮肉げに笑った。

「外套とかそこらの木の枝使っちまえば、遠目からは人間連れてるように見えるだろ?おれの見た目もそこそこ目立つらしいしな」
「やめろ、さらにリエンさまが傷つく!」
「それこそ追っ手を撒いたら追っかけるさ。それか、一旦捕まって、おれがユゥを助けに行ってもいい。ユゥもああ言ってたけど、自力で追いかけて来るのはさすがに辛いだろ」
「馬鹿か、お前は!ユーフェとは違うんだ。手のかかる上に制御できない人質なんてあってたまるか!真っ先に殺されるぞ!」
「だったら逃げてくしかねえな。後でシュバルツ側で合流しようぜ」
「ナオ!!」
「ここは抜けないといけない、絶対にだ」

 薄暮にその黒い瞳がきらっと光った。

「正念場だ。ためらってる暇はねえだろ?」
「お前は……この方のことをおれよりもずっとずっと知っておいて、おれにそれを言わせるのか!」
「知ってても意味がねえんだろ、こいつはあんたがいるから崖っぷちでも踏みとどまってる。大体、死ぬつもりはねえぜ?あんたがおれにお墨付きをくれたんだろうが」
「多勢に無勢という言葉があるだろう!」
「そうだよなあ、さすがにおれ一人に百人も釘付けにはできねえよな。玲奈を見習うか。あと一日くれよ、そしたらうまくいく」
「なにをするつもりだ!?というかやめろと言ってるだろう!」
「玲奈のやつ、そこら辺えげつなかったぜ。敵さんにちょっと近づくだけで自滅させるからな。おれはそううまくはできないけど、少し人数削って噂をばら撒けばちょっとは乱れるはずだ。明日、そこを突く」

 そう言って、今にも飛び出していきそうなナオの腕を、ガルダは慌てて掴まえた。

「だから、やめろと言ってる!」
「死ぬつもりはないって言ってるだろ?」
「説得力がないんだ、リエンさまも、お前も!」
「それおれのせいじゃないよな。前科積みまくったのは姫さんだろ」
「ナオ!!」

 焦りを浮かべているのはガルダだけで、ナオは至って飄々とした態度だ。大喝されてもびくともしない。
 リエンは頭上が大荒れしていても相変わらずぼんやりと涙を流すだけだったが、ふと、その頭をぴくりと揺らした。ガルダの武骨な手で雑にまとめられた髪の先もふるりと震え、顎をわずかに持ち上げた。腰を地面に下ろしていたのですぐに気づいたのだろう。
 ガルダもナオも、それに遅れはしたものの、言い争いを止めた。
 ガルダはリエンを馬上に引き上げ、自らも馬に乗り、いつでも駆け出せるようにと身構えた。ナオは騎乗せずに地面に耳をつけた。

「……見廻りの騎兵にしちゃおかしいな。車輪を曳く音が混じってる」
「わかるのか?」
「こんだけ近かったらな。馬の足音ものんびりしたもんだぜ、これ。徒歩の奴もいるな。――ちょっと見てくる」
「ナオ!」
「確認したらすぐ戻ってくるよ」

 黒猫は尾っぽを揺らしながら木々の間を軽やかにすり抜けて行き、しばらくしたところで木に登って身を隠し、周囲を見渡した。
 その一団は簡単に目についた。なによりすぐそこに迫っていたのだから、探す手間もなかった。

「行商か?」

 旅人というには大所帯の大荷物だ。騎兵もいるにはいるが、馬車を守るように布陣を組んでいる。それものんびりとした速度だった。その馬車は貴人が乗るような堅牢優美な作りではない。塗装も最低限に骨組みに幌をくくりつけた、簡素で大きな荷車だった。
 この道筋だと、彼らは北上しているようだ。これから夜営して、明日にでも国境を越えるか、北の別の土地へ向かうらしい。
 馬車の馬を操る男が同乗する誰かと親しげに話をしている姿が見えて、ナオは、なんとなく気分が落ち着いた。
 ここはあの世界じゃないのだと、今さらのように自分に言い聞かせた。
 殺伐としてるのは一部分だけで、すぐ近くに温かな人情と穏やかな暮らしがある。今のリエンはそれを見失っていたし、ナオやガルダも、それに引き摺られてしまっていたようだった。
 国を相手の追いかけっこなのだから、焦らず、緊張しない方がおかしい。
 だが、それで思考を鈍らせたら負けなのだ。

(逃げ道は、絶対にどこかにはあるはずだ)

 例えば、正式に国境を越える人々の中に紛れ込むとか。











 ナオが囮になるよりもよっぽどましな提案に、ガルダは頷いてすぐさま行動を開始した。
 今の三人は傭兵の身なりそのものだ。さらに、金髪緑眼のリエンや特徴的な長髪のナオと違い、ガルダは色彩もありふれたものだった。水仙の大剣もバルトの元に置いてきた今では、城に勤める兵や騎士でない限り、その正体を見破れる者はいない。裏社会でも名が通っているが、細かい人相まで出回っているわけではないのだ。
 ガルダたちの身を潜めていた雑木林から離れた空き地に、ナオの見つけた行商の一行が夜営の支度をしているところへ、ガルダは一人で歩いていった。

「何者だ」

 すかさず見現して誰何してくる傭兵に、ガルダは「すまない、ただの旅人だ」と断った。

「あんたたち、商人の護衛か?」
「見てわからないのか」
「いや、悪い。連れが昼過ぎに体調を崩してしまってな、そこの雑木林のところで休んでいたら、あんたたちの姿が見えて、訪ねてきたんだ」

 我ながら怪しいことこの上ない。姑息な盗賊も、こういう手口で善人を縄張りに引き込んで吊し上げたりするものだ。
 せめて、引き込まずにこちらから出てくれば多少は警戒を解いてくれるはずだった。

「――連れ?」
「あそこで待っている。馬もいる」
「どういう旅人だ」
「元はおれ一人の気ままな傭兵稼業だったんだが、一年くらい前に成り行きで双子を拾ったんだ。身寄りがないので、傭兵として鍛えてやりながら、一緒に旅をしてる」
「双子?二人いるのか?」
「ああ、男女だが、辛そうなのは女の子の方なんだ。なにしろおれももう一人も男だからな、意地を張って我慢していたら、取り返しのつかないことになるかもしれないだろう。金ならそこそこ稼いでいるから安心してくれ」

 護衛たちは顔を見合わせ、一人が荷馬車の方にお伺いを立てに行った。
 これで第一段階は通過した、とガルダは内心で安堵のため息をついた。
 行商には薬売りも多い。これだけ優れた護衛を雇えるような規模の商隊なら、扱う品目には高値のものが揃っているはずだ。となれば専門家もいなければおかしい。いずれにせよ、リエンの消耗ぶりには何らかの手立てが必要だったので、ちょうどよかった。

「……連れの様子を見たいそうだ。ここまで連れてこれるか」
「ああ。ありがとう。もう一人もいいか」
「それくらいなら構わない。どうせなら一緒に飯を食っていけとも言っている」
「ますますありがたい」

 ガルダがナオとリエンを連れて戻ってきたら、商隊の一員らしき身なりの男が、ガルダと応対した護衛のすぐ後ろに立っていた。鍛えた体つきではないが、細すぎるわけでもない。日に焼けた肌は焚き火に健康的に照っていた。

「――よう、わりかし早く会えたな。そっちから来てくれて楽をしたぜ」

 商人が不意に相好を崩して片手を上げてそんなことを言うものだから、その護衛も、ナオも仰天してガルダを見た。人好きのする親しみやすい表情は、紛れもなくガルダに向いていたのだ。

「旦那、知り合いか?」

 声を低め、いつでも逃げられる態勢で問いかけるナオに、ガルダは答えなかった。
 答える余裕がなかったのだ。
 商人は唖然とするガルダに近づき、すぐにその後ろで二頭の馬を引くナオと、一頭の背に乗っているリエンにも視線を向けた。初対面の人間に向けるには不釣り合いな、甥や姪を見るような温かな眼差しだった。

「似てねえ双子だなあ。訳ありかい」
「……あ、ああ。そうだ」
「昔馴染みのよしみだしな、あんたら、行き先はどこだい?シュバルツの城なら、仕事ついでに連れてってやるぞ?」

 にやりと笑う商人の容貌から、彼が実はヒュレムと同年代などとは誰が見抜けるだろう。爽やかな雰囲気といい、気っ風のよさといい、なによりその深みがありつつ若々しい声も仕草も、脂の乗った壮年の男のそれだ。

「会頭。それでは……?」
「ああ」

 商人と護衛はそれだけで意志の疎通を終わらせた。もはや状況が飲み込めないのはナオだけだ。商人はさらにそんな彼らに歩み寄り、リエンにそっと話しかけた。

「おい、王女さまよ。あんたボロボロになったなあ」
「……セル、ゲイ?」

 久しぶりに苦痛ではない声を漏らしたリエンに、「風の商人」は大真面目に頷いた。

「そうだ」
「なんで……?」
「おいおい、ずいぶん水臭いこと言うじゃねえか」

 泣き濡れたリエンの間抜けな顔を前に、セルゲイはまるで暗闇を照らす太陽のようににかっと笑って、大きな手を差し伸べた。

「おれはあんたの友だちなんだろう?――助けに来てやったぜ」

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