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一段飛ばしで駆け上がる
誕生祭①
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朝から大変な人手だった。会場であるホールは玉座の間より格が一つ落ちるだけで立派な広さと格式を持つ。そこに春先から咲き綻んだ花々、彫金細工、びっしりと刺繍の施された絹繻子などがきらびやかに飾られているのだから絢爛豪華たるものだ。
主役を待ちさんざめく招待客もまたその美に色を足した。それぞれの粋を凝らした衣装に光を受け煌めく装飾品もこれまた逸品揃いだ。
目だけが潤うというものでもなく、耳にはたぐいまれなる力量を持つ楽団の演奏が真珠のように艶めいて心を彩ってゆく。ジヴェルナ一国といえども内陸国として様々な国柄の文化と国境を接するゆえ、東西南北様々な音曲、楽器が存在する。それらが一流の奏者の元で悠然とかき鳴らされてゆくのを堪能するのだ。
建国式典の時くらいでしか味わえない贅沢が、この春麗らかな日に供されているのだった。
ただし今回のパーティーの主役の一人が香水の匂いをあまり好まないというのは暗黙のうちに招待客の間に広まっており、やむなく着用を控えた人々の嗅覚に届くのは各所に飾られた早咲きの薔薇の仄かな芳香くらいのものだ。それもまた興として感じる者もいる。
なんといっても、今日は王国の最も有力な後継者候補二人のための誕生祭だ。
神聖王国からの留学生が余計なことをしでかしたことが波紋を生み、国内の貴族たちは余計に神経質にこの場に挑んでいたし、城の者は反対に、王子王女の慰めになればと過熱する勢いで心血を注いで準備したのだ。
「うわあ、すごいな」
アルフィオが素直に感想をこぼす少し後ろで、リオールもまた陶然としていた。彼は今日この日、人生で初めて自分の国の中枢に招かれてここに立っているのだ。緊張で眠れずいっそ吐きそうなほどだったが、今だけはそれらのしがらみを全て忘れ去り、ひたすらに見入っていた。
「あの燭台はオルマーリ製ですか?あちらの薔薇はまさかアルビオンで開発された夕明?あの織は……まさか二百年も前に作られたバルディルの大作では?」
目利きができるわけではないが常に学びを怠らず観察も欠かさないリオールだからこその見識の広さが発揮され、アルフィオの方がへえほおと頷いている。アルフィオもこの城には滅多に来ない上、こんなに壮麗な舞台に招かれたのは初めてだったので。
ただし社交慣れはちゃんとしているので、リオールにはそちらを助言して、お互いに補っていた。アルフィオが学園の知己と話す傍らでは、これまで交流のなかった大人や子女も話す機会を待っていた。今や王子の側近と見なされているアルフィオに、探りを入れるか取り入るかを狙っているのだろう。
リオールは、年下の友人がリオールにとって雲の上の人々と堂々と受け答えしている様を見て、思わず腰を引きかけた。なんとか踏みとどまったのは、以前の王子王女の言葉を思い出したからだった。
『あなたにはいずれこのお城に来てもらうんだ、予行演習としては最適だよ?』
『あなたが立とうとしてる場所はどこ?怯む暇なんてないわよ』
自分なんかがこの招待に預かってもいいのか、と勇気を出した問いかけへの返事がこれだった。
(ご期待に応えたい)
自分のためだけでなく、あの方たちのために力を身につけ、奮いたい。
虚しく無力感を味わうのは、留学生の事件の時だけでもう腹一杯だ。
――怯む暇なんて、ない。
「王子殿下はなんと情け深い。本来なら足を踏み入れることも許されぬ者でも快くお許し下さっているのですから」
「ええ、まったく。分を弁えぬ者はどこにでもおりますのに、お優しいですわよね。王女殿下もご自分の侍女には特別目をかけていらっしゃるようですし」
リオールはあからさまな嫌味を微笑んで聞き流し、話しかけられたアルフィオもまた笑顔で「ヴィオレット殿下直々にご招待を賜ったのですよ、私はこの友のことが誇らしくてたまりません」と返した。一見爛漫で鈍感な反応に思えるが、リオールはちょっとばかり演技を疑っていた。アルフィオは基本直情型だが、たまにこんな風にきれいに相手の反論を封殺することがある。
思うに、伯爵家嫡子としての社交と学生としての日常を切り分けているゆえだ。今は嫡子としてそつがない。怒りを握りしめた拳に隠し、尻尾で叩くことができるのだ。
普段の潔癖気味なところも、こういうしたたかなところも、リオールは好ましく思っている。口にした覚えはないが。
それでも、無言でも、誓いは成るだろう。
リオールは主君にと思う二人だけではなく、この友にも恥じない己でありたかった。
☆☆☆
主役の登場はまだ先だが、既にリエンは若干くたびれていた。昨晩から城に泊まり、ユゥ共々朝から風呂に入ってお互いを磨き合い、肌や髪に油を塗り込み、体をほぐし、ドレスを着せ合い、髪を結い合った。
一人で着られない衣装なんて人生で初めて着たし、自力でできない髪型にしたのもそうだ。ユゥが人を着飾るのに張り切っていたから、その分リエンはユゥを着飾ることに力を尽くした。準備が整った頃には二人ともやりきった感溢れる笑顔で健闘を称え合った。
「リエンさま、とっても、とってもきれいですよ!」
「ユゥもすごくきれい。全体的にきらきらしてる」
疲れすぎて誉め言葉が子どもじみたものになったが、他に聞くものがいたわけでもなし。
ジュール・リングスという因縁の相手に会ったユゥは、しばらく気が立っていた様子だが、今では大分落ち着いているようだった。彼女をリエン毒殺未遂に関与したかどで拘留させることもできたが、あれは「なかったこと」になっているので言及できなかったし、その場合はユゥも捕まってしまう。大臣位の神官の不審死という危険も冒せなかった。結果として見逃すことになってしまったが、ユゥは健気にも、「リエンさまがご無事ならなんでもいいです」と言ってくれた。しかし、それに甘えるのは嫌だ。
(これが終わったらメリエ・ロナウドについて調べて……)
ジュール・リングスとユゥの接点は間違いなくその女性のはずだった。ユゥの祖母。元は高位神官で都にいた、ということしか、ユゥも知らなかった。よもやモアラヴィの位の者と友人関係にあるとは知らなかったのだ。
そこから探っていけば、なにかしら得られるはずだと思いたい。
「ユゥ、緊張してる?」
「少しだけ……」
「なるべく、楽しんでね。会場にいさえすれば目標達成なんだから、人と話したくなかったらイオンとずっとくっついておけばいいよ」
「え、いえ、それは駄目ですよ!」
「どうして?イオンも同じ魂胆な気がするけど」
「……リエンさま、一体どういう意味でおっしゃってます……?」
どういう、とは。リエンはぱちくりと瞬いて、なぜか赤らんでいるユゥを見上げた。
「お互いに気兼ねしない仲なんでしょ?気楽に楽しめばいいって思ってるだけだけど」
「……あ、はい。お気遣いありがとうございます」
ユゥは微妙な顔で頷き、「そろそろ行きましょうか」と、リエンの背中を押してそそくさと部屋を出た。
続き部屋で待っていたタバサは、リエンを見たとたん、ここまでお美しくなるとは、と顔を赤くして涙ぐんだ。手をかければかけるだけ綺麗になるのは当然のことで、しかも自分では手の届かないところを他人にやってもらえばますます磨きがかかるのも当たり前だ。普段は手抜きと言いたいわけではなく、身支度を人に手伝わせた進歩について、タバサはことさらに感激しているのだ。
それでも褒められて悪い気はしないのでユゥのお陰だと目配せしたら、ユゥも嬉しそうに微笑み返してきた。
ちなみに会場で「完成品」を見られない針子一同も細かな調整のためにここに呼んでいたが、こちらも歓喜に染まっていた。満足がいった出来映えなら何よりだ。リエン自身の衣装もそうだし、ユゥのものにも手を尽くして仕立て直してくれた。
彼女たちだけではなく、外で部屋を護衛していたガルダにも、別室で待っていたヴィーにも、熱心に装いを褒められた。こちらもそれに応えて褒め返す。儀礼抜きにしても二人とも装いが立派なものだったので、褒める箇所には困らなかった。
本来なら、もう一人褒める人がいる予定だった。しかし、その人とは指定の場所に待ち合わせるはずだったのに、姿が見えない。待機していた侍従を掴まえて尋ねた。
「イオンはまだ?」
「はい。ご連絡も預かっておりません」
「お城には来てるんだよね?どうしたんだろう、今さら迷ってるわけないだろうし」
「セレネスと一緒にいるんじゃない?会場内は探した?」
「まだでございます、というのも、セレネスさまもまだいらっしゃっていないご様子で……」
リエンはヴィーと顔を見合わせた。本当にどうしたのだろう。
「ネフィルは?」
侍従がそちらはまだ探しておりません、と言っているのでしばらくここで待つことにしたが、さすがに時間の余裕がなくなってきた。
「ガルダ、イオンが来るまで代役頼める?」
「おれは護衛ですよ?」
「でも私の従者だわ」
リエンが心から信頼している相手でないとユゥを預けることはできない。それがユゥの立場を見せつけることにもなるのだから当然のことで、そんな奇特な者として、一番に名が上がるのはガルダ以外にいないのだ。
「リエンさま……」
手で顔を覆い天を仰ぐガルダが、どういう感情でそうしているのかは知らないが。次に顔を会わせたら「やります」との返事だったので、気にしないことにした。
宴は賑わっていたようだが、主役の入場との口上とともに、静寂に塗り変わった。
誰もが上座にもっとも近い入り口を見つめ、最も高貴な姉弟が現れるのを待つ。
ここには色々な招待客がいた。マリアベルやアマーリオ、アルフィオ、リオールという学生の他にも、各大臣やムートン老といった官僚から、領地の貴族家の当主や子女などまともに言葉を交わしたこともない人々まで。
その誰もが主役の登場を息を潜めて待つ。
本来は音楽が絶えず耳を刺激しているはずなのに、本当に聞こえなくなったような錯覚が訪れた。
ヴィオレットの衣装は軍服に似ていた。成長期に肉付きが追いついていない華奢な手足に沿って黒々とした袖に覆われ、縁には金線、所々に黒曜石と金剛石があしらわれている。黒の腰帯は銀糸で地が見えそうにないほどびっしりと刺繍が施されている。襟は細い首を詰め、留め具の金が星のように縦に一直線、煌めいているようだ。
背中を肩から腰にかけて覆うマントはヴィオレットの金の髪と黒の服を際立たせる純白。砕いた紫水晶が縁に花を咲かせ、銀糸で波を描くそれが雪のような眩しさを引き立てる。
これまで明るい色を基調とした衣装を頻繁に着用していたヴィオレットゆえに、今回の贅沢なシンプルさを追求した黒白は人々の印象に大きく衝撃を与えた。
その隣を、弟の手に引かれて歩むリエンの衣装といえば、こちらも風変わりだった。
肩を剥き出しにしつつも首や鎖骨は布に隠れた衣装、とは今の流行りとは大きく異なっている。晒された両の二の腕が華奢で白いことが金の腕輪によって強調されている。その腕輪は手首まで覆う薄衣の留め具にもなっていた。淡い色のひだを上から濃い色で重ねたそれは重さを感じさせずさやさやと音を立てるようにリエンの手を隠す。
軽やかさは袖だけではなく、衣装全体に言えた。由緒正しい家で教養深く育った貴婦人は百年ほど前に流行ったスタイルだと気づいただろう。今の流行では何枚も布を重ねて膨らませて腰や肩、腕などの体型を隠すのが基本だ。しかしリエンは肩を晒し、腰周りも布を重ねてはいるものの胸の下の切り替えから流れるままにさせている。他の淑女と変わらぬ歩みのはずなのに、それだけでまるで清水の上を跳ねる妖精のような軽やかさだ。
胸元の黄水晶の豪奢な首飾りも見事だが、人々は衣装だけではないところにも目を惹き付けられた。
リエンの額のすぐ上を通る美しい色石の波。冠かと思ったが違う。革や布を巻き付けているのでもない。そのように固くはない。重くも見られない。燦然たるリエンの金の髪の上を様々な色に自在に煌めき際立たせ、春の色とりどりの花冠を思わせる。
まさに冬の月夜のような王子と、春風のような王女の取り合わせであった。
(お針子軍団の会心の一撃が決まったな)
リエンは身も蓋もない感想をつけた。
☆☆☆
真っ先に寄ってきたのはマリアベルとアマーリオだった。というか、きらっきらな笑顔のマリアベルが、エスコートしているアマーリオの腕を引っ張るようにして近付いてきた。妹に甘い兄は苦笑だけで許したようだ。
「王子殿下、姫さま、お誕生日、おめでとうございます!」
「うん、来てくれてありがとう」
「とてもお美しくて、わたくし、息が苦しくなりましたのよ!」
「窒息するほど!?」
毎度毎度のこの熱烈具合は一体なんなのだろうと思いつつ、リエンは咳払いで驚愕をごまかし、背後のユゥとガルダをちらっと見た。
「二人とも、紹介させてね。こちら、私の専属護衛のガルダと、侍女のユーフェよ。パーティーに出席させるのは異例なんだけど、今日は特別なの」
「いつも学園でお顔を拝見させて頂いておりましたが、改めてご挨拶申し上げます。リエン王女の護衛のガルダと申します」
「同じく、侍女のユーフェ・サルビアと申します」
ガルダもユゥも、本来その立場にあるなら黙って頭を下げて終わりだが、なにしろ異例なことなので、丁寧に口上を述べた。ユゥは侍女長仕込みの作法であるので言うに及ばず、ガルダも元は近衛騎士長として国王の側に控えていたので、その挙措は洗練されたものだ。今日の華々しい装いもあって、大変見映えのよい二人だった。
それに対するエスペランサ兄妹は、リエンやヴィーと親しく付き合うほどの順応性と度量を備えていた。
「ご丁寧にありがとう」
「このようにお話しできて嬉しいですわ」
王女の紹介だからと護衛と侍女へへりくだるでもなく、かといって尊大に見下すわけでもなく。公爵家に生まれた者としての矜持を持って絶妙な間合いで挨拶を返した。
「王女殿下、そちらのサルビア嬢のパートナーはいつ変更に?」
「変更というか間に合わせかな。合流してきたらそちらに引き渡す予定」
「まだこちらにいないということでしょうか」
「そう」
アマーリオはちょっとだけ難しげな表情になった。学園ではあれだけ派手にイオンとユゥを持ち上げたものだから、リエンも悩みどころだった。だが建前は一応用意してある。
「私たちの親戚の方々には一つ、余興を任せているの。そちらが調い次第、順に姿を見せるはずよ」
外戚一族が、誰一人として王子王女のパーティーに姿を見せないのは外聞が悪い。時間稼ぎしかできないが、やらないよりはましだった。アマーリオは「そういうことにしておこう」という顔で頷いていたが、マリアベルはすっかり信じてしまったようで、ごまかしたリエンの方が心配になった。
だがしかし、いつまでもこうしてひとところに固まっていられるほど暇ではない。兄妹にしばしの暇を告げて、リエンはヴィーと共にそぞろ歩き始めた。
「アルビオン、誰もいないね」
「いないわね……本当にどこにいるのかしら」
アルフィオやリオール、ルルーティエとも会って話をし、マティスやハロルド、大臣たちとも簡単に言葉を交わした。そんな風にしばらく会場内を泳いでこれまでまともに交流のなかった貴族たちとも挨拶を続けていると、それなりに時間が経ったはずなのに、相変わらずイオンどころかネフィルもセレネスも会場には到着していないようだった。侍従たちも声をかけてこないところを見ると、彼らもまだ捜索を続けているらしい。周囲に怪しまれないように小声で、顔も見ずにヴィーと話し合うが、時間が経つにつれて、ただ事ではない気までしはじめてきた。
「ネフィルさまがいないなら名代のセレネスさまが来るはずなのに。逆もあり得るけど、二人揃ってなんておかしい」
「でもなにか問題があったなら、それこそ私たちに一番に報せが届くはずよ。イオンには大役があったし、サームだっているんだし。――ナキアは?」
「ぼくの支度をしてくれたけど、なにも知らないようだったよ」
「……王さまとベリオルの顔を見たら、なにかわかるかな」
リエンがそう呟いた折りも折り、音楽の種類が変わり、このパーティーの主賓の出来を告げる声が朗々と響き渡った。
二人はさっと視線を交え、玉座の前まで悠然と歩き、横に並んで跪いた。
後ろでもガルダとユゥ、ティオリア、他の来賓まで一斉に膝をつく気配がする。
パーティーの主役は王子王女だが、国王はどんな儀礼祭典に関わらず最上の礼を尽くさねばならない存在である。みんなの後頭部をずっと見下ろす気持ちってどんなのだろう、と時々リエンは思う。きっと、耐え難いから表情は凍てつき、ベリオルも側に控えることでその苦痛を軽減しようとしているのだろうが。
「我が息子、我が娘よ。面を上げよ」
言われた通りに顔を上げたリエンは目を見張った。ヴィーも同じだろう。椅子に座った気配がないからおかしいと思ったら、実際、まだ座っていなかった。それどころか玉座には寄らず、むしろリエンとヴィーに近いところに立っている。
その氷色の瞳が珍しく――本当に珍しく、いたずらっぽく煌めいていた。
「一番始めにこれを言おうと思っていてな。誕生日、おめでとう」
もちろん二人とも今日が誕生日というわけではないし、先日のヴィーの誕生日には王さまもきちんと言祝いでいた。どういうことかと後ろのベリオルを見たら、こちらは呆れたように笑っているだけなので、単なるいたずら心らしい。もちろんどちらの後継者候補とも同列に、手厚く見守っていると宣伝する意図もあるのだろうが。
仕方ないと内心で嘆息した。
「父上、ありがとうございます」
「お父さま、ありがとうございます」
わざと陛下と呼ばなかったら、王さまは満足そうに頷いて、国章を縫い付けた豪奢な外套を翻して玉座に腰かけた。
「今日は我が国の至宝たる王子と王女のためによく来てくれた。みなも祝いながらこの良き日を楽しんでくれ」
他の客を全員立たせてそう口上を締め括ると、玉座の斜め後ろに控えるベリオルが楽団に合図しようと手を振ろうとし、不自然に止まった。
王さまはリエンたちの後ろ、遥か遠くを睨み据えた。
「……隠居したと思っていたが」
全員が国王に背中を向ける失礼にならないように気をつけながら、背後を振り返った。いち早くハロルドがベリオルの側に駆け寄り、マティスも限りなくヴィーの側まで近づいた。
「孫を祝うためにやっと重い腰を上げたか、レーヴ」
かつて筆頭公爵家の家紋を背負い、くせ者揃いのアルビオン一族を束ね、王妃も輩出した古老は、杖をつきながら、誰も従者をつけず、一人でゆったりと会場のど真ん中を横切ってきた。
格式高いあつらえの衣裳に、骨董品に違いない装飾品を身につけていながら、それに負けずむしろ従えて支配していた。老いてなお背筋はまっすぐに伸び、眼光は炯々とし、どっしりと威圧感を与えてくる。
若いネフィルにはまだ出せない貫禄に、先代を知らぬ貴族たちは揃って息を呑んだ。
娘を亡くしてからアルビオン領に閉じこもり、社交界にも一切姿を見せなくなって久しい男が、この日、十六年ぶりに城に現れたのだ。
「お久しぶりでございますな、陛下。遅参はお許しいただきたい」
「孫に詫びよ。今日の私は添え物だ」
「そうですな。リエン王女殿下、このような晴れがましい日に参上が遅れましたこと、まことに申し訳なく思っております。お誕生日、おめでとうございます」
弛緩しかけた空気が、再びぴんと張り詰めた。
主役を待ちさんざめく招待客もまたその美に色を足した。それぞれの粋を凝らした衣装に光を受け煌めく装飾品もこれまた逸品揃いだ。
目だけが潤うというものでもなく、耳にはたぐいまれなる力量を持つ楽団の演奏が真珠のように艶めいて心を彩ってゆく。ジヴェルナ一国といえども内陸国として様々な国柄の文化と国境を接するゆえ、東西南北様々な音曲、楽器が存在する。それらが一流の奏者の元で悠然とかき鳴らされてゆくのを堪能するのだ。
建国式典の時くらいでしか味わえない贅沢が、この春麗らかな日に供されているのだった。
ただし今回のパーティーの主役の一人が香水の匂いをあまり好まないというのは暗黙のうちに招待客の間に広まっており、やむなく着用を控えた人々の嗅覚に届くのは各所に飾られた早咲きの薔薇の仄かな芳香くらいのものだ。それもまた興として感じる者もいる。
なんといっても、今日は王国の最も有力な後継者候補二人のための誕生祭だ。
神聖王国からの留学生が余計なことをしでかしたことが波紋を生み、国内の貴族たちは余計に神経質にこの場に挑んでいたし、城の者は反対に、王子王女の慰めになればと過熱する勢いで心血を注いで準備したのだ。
「うわあ、すごいな」
アルフィオが素直に感想をこぼす少し後ろで、リオールもまた陶然としていた。彼は今日この日、人生で初めて自分の国の中枢に招かれてここに立っているのだ。緊張で眠れずいっそ吐きそうなほどだったが、今だけはそれらのしがらみを全て忘れ去り、ひたすらに見入っていた。
「あの燭台はオルマーリ製ですか?あちらの薔薇はまさかアルビオンで開発された夕明?あの織は……まさか二百年も前に作られたバルディルの大作では?」
目利きができるわけではないが常に学びを怠らず観察も欠かさないリオールだからこその見識の広さが発揮され、アルフィオの方がへえほおと頷いている。アルフィオもこの城には滅多に来ない上、こんなに壮麗な舞台に招かれたのは初めてだったので。
ただし社交慣れはちゃんとしているので、リオールにはそちらを助言して、お互いに補っていた。アルフィオが学園の知己と話す傍らでは、これまで交流のなかった大人や子女も話す機会を待っていた。今や王子の側近と見なされているアルフィオに、探りを入れるか取り入るかを狙っているのだろう。
リオールは、年下の友人がリオールにとって雲の上の人々と堂々と受け答えしている様を見て、思わず腰を引きかけた。なんとか踏みとどまったのは、以前の王子王女の言葉を思い出したからだった。
『あなたにはいずれこのお城に来てもらうんだ、予行演習としては最適だよ?』
『あなたが立とうとしてる場所はどこ?怯む暇なんてないわよ』
自分なんかがこの招待に預かってもいいのか、と勇気を出した問いかけへの返事がこれだった。
(ご期待に応えたい)
自分のためだけでなく、あの方たちのために力を身につけ、奮いたい。
虚しく無力感を味わうのは、留学生の事件の時だけでもう腹一杯だ。
――怯む暇なんて、ない。
「王子殿下はなんと情け深い。本来なら足を踏み入れることも許されぬ者でも快くお許し下さっているのですから」
「ええ、まったく。分を弁えぬ者はどこにでもおりますのに、お優しいですわよね。王女殿下もご自分の侍女には特別目をかけていらっしゃるようですし」
リオールはあからさまな嫌味を微笑んで聞き流し、話しかけられたアルフィオもまた笑顔で「ヴィオレット殿下直々にご招待を賜ったのですよ、私はこの友のことが誇らしくてたまりません」と返した。一見爛漫で鈍感な反応に思えるが、リオールはちょっとばかり演技を疑っていた。アルフィオは基本直情型だが、たまにこんな風にきれいに相手の反論を封殺することがある。
思うに、伯爵家嫡子としての社交と学生としての日常を切り分けているゆえだ。今は嫡子としてそつがない。怒りを握りしめた拳に隠し、尻尾で叩くことができるのだ。
普段の潔癖気味なところも、こういうしたたかなところも、リオールは好ましく思っている。口にした覚えはないが。
それでも、無言でも、誓いは成るだろう。
リオールは主君にと思う二人だけではなく、この友にも恥じない己でありたかった。
☆☆☆
主役の登場はまだ先だが、既にリエンは若干くたびれていた。昨晩から城に泊まり、ユゥ共々朝から風呂に入ってお互いを磨き合い、肌や髪に油を塗り込み、体をほぐし、ドレスを着せ合い、髪を結い合った。
一人で着られない衣装なんて人生で初めて着たし、自力でできない髪型にしたのもそうだ。ユゥが人を着飾るのに張り切っていたから、その分リエンはユゥを着飾ることに力を尽くした。準備が整った頃には二人ともやりきった感溢れる笑顔で健闘を称え合った。
「リエンさま、とっても、とってもきれいですよ!」
「ユゥもすごくきれい。全体的にきらきらしてる」
疲れすぎて誉め言葉が子どもじみたものになったが、他に聞くものがいたわけでもなし。
ジュール・リングスという因縁の相手に会ったユゥは、しばらく気が立っていた様子だが、今では大分落ち着いているようだった。彼女をリエン毒殺未遂に関与したかどで拘留させることもできたが、あれは「なかったこと」になっているので言及できなかったし、その場合はユゥも捕まってしまう。大臣位の神官の不審死という危険も冒せなかった。結果として見逃すことになってしまったが、ユゥは健気にも、「リエンさまがご無事ならなんでもいいです」と言ってくれた。しかし、それに甘えるのは嫌だ。
(これが終わったらメリエ・ロナウドについて調べて……)
ジュール・リングスとユゥの接点は間違いなくその女性のはずだった。ユゥの祖母。元は高位神官で都にいた、ということしか、ユゥも知らなかった。よもやモアラヴィの位の者と友人関係にあるとは知らなかったのだ。
そこから探っていけば、なにかしら得られるはずだと思いたい。
「ユゥ、緊張してる?」
「少しだけ……」
「なるべく、楽しんでね。会場にいさえすれば目標達成なんだから、人と話したくなかったらイオンとずっとくっついておけばいいよ」
「え、いえ、それは駄目ですよ!」
「どうして?イオンも同じ魂胆な気がするけど」
「……リエンさま、一体どういう意味でおっしゃってます……?」
どういう、とは。リエンはぱちくりと瞬いて、なぜか赤らんでいるユゥを見上げた。
「お互いに気兼ねしない仲なんでしょ?気楽に楽しめばいいって思ってるだけだけど」
「……あ、はい。お気遣いありがとうございます」
ユゥは微妙な顔で頷き、「そろそろ行きましょうか」と、リエンの背中を押してそそくさと部屋を出た。
続き部屋で待っていたタバサは、リエンを見たとたん、ここまでお美しくなるとは、と顔を赤くして涙ぐんだ。手をかければかけるだけ綺麗になるのは当然のことで、しかも自分では手の届かないところを他人にやってもらえばますます磨きがかかるのも当たり前だ。普段は手抜きと言いたいわけではなく、身支度を人に手伝わせた進歩について、タバサはことさらに感激しているのだ。
それでも褒められて悪い気はしないのでユゥのお陰だと目配せしたら、ユゥも嬉しそうに微笑み返してきた。
ちなみに会場で「完成品」を見られない針子一同も細かな調整のためにここに呼んでいたが、こちらも歓喜に染まっていた。満足がいった出来映えなら何よりだ。リエン自身の衣装もそうだし、ユゥのものにも手を尽くして仕立て直してくれた。
彼女たちだけではなく、外で部屋を護衛していたガルダにも、別室で待っていたヴィーにも、熱心に装いを褒められた。こちらもそれに応えて褒め返す。儀礼抜きにしても二人とも装いが立派なものだったので、褒める箇所には困らなかった。
本来なら、もう一人褒める人がいる予定だった。しかし、その人とは指定の場所に待ち合わせるはずだったのに、姿が見えない。待機していた侍従を掴まえて尋ねた。
「イオンはまだ?」
「はい。ご連絡も預かっておりません」
「お城には来てるんだよね?どうしたんだろう、今さら迷ってるわけないだろうし」
「セレネスと一緒にいるんじゃない?会場内は探した?」
「まだでございます、というのも、セレネスさまもまだいらっしゃっていないご様子で……」
リエンはヴィーと顔を見合わせた。本当にどうしたのだろう。
「ネフィルは?」
侍従がそちらはまだ探しておりません、と言っているのでしばらくここで待つことにしたが、さすがに時間の余裕がなくなってきた。
「ガルダ、イオンが来るまで代役頼める?」
「おれは護衛ですよ?」
「でも私の従者だわ」
リエンが心から信頼している相手でないとユゥを預けることはできない。それがユゥの立場を見せつけることにもなるのだから当然のことで、そんな奇特な者として、一番に名が上がるのはガルダ以外にいないのだ。
「リエンさま……」
手で顔を覆い天を仰ぐガルダが、どういう感情でそうしているのかは知らないが。次に顔を会わせたら「やります」との返事だったので、気にしないことにした。
宴は賑わっていたようだが、主役の入場との口上とともに、静寂に塗り変わった。
誰もが上座にもっとも近い入り口を見つめ、最も高貴な姉弟が現れるのを待つ。
ここには色々な招待客がいた。マリアベルやアマーリオ、アルフィオ、リオールという学生の他にも、各大臣やムートン老といった官僚から、領地の貴族家の当主や子女などまともに言葉を交わしたこともない人々まで。
その誰もが主役の登場を息を潜めて待つ。
本来は音楽が絶えず耳を刺激しているはずなのに、本当に聞こえなくなったような錯覚が訪れた。
ヴィオレットの衣装は軍服に似ていた。成長期に肉付きが追いついていない華奢な手足に沿って黒々とした袖に覆われ、縁には金線、所々に黒曜石と金剛石があしらわれている。黒の腰帯は銀糸で地が見えそうにないほどびっしりと刺繍が施されている。襟は細い首を詰め、留め具の金が星のように縦に一直線、煌めいているようだ。
背中を肩から腰にかけて覆うマントはヴィオレットの金の髪と黒の服を際立たせる純白。砕いた紫水晶が縁に花を咲かせ、銀糸で波を描くそれが雪のような眩しさを引き立てる。
これまで明るい色を基調とした衣装を頻繁に着用していたヴィオレットゆえに、今回の贅沢なシンプルさを追求した黒白は人々の印象に大きく衝撃を与えた。
その隣を、弟の手に引かれて歩むリエンの衣装といえば、こちらも風変わりだった。
肩を剥き出しにしつつも首や鎖骨は布に隠れた衣装、とは今の流行りとは大きく異なっている。晒された両の二の腕が華奢で白いことが金の腕輪によって強調されている。その腕輪は手首まで覆う薄衣の留め具にもなっていた。淡い色のひだを上から濃い色で重ねたそれは重さを感じさせずさやさやと音を立てるようにリエンの手を隠す。
軽やかさは袖だけではなく、衣装全体に言えた。由緒正しい家で教養深く育った貴婦人は百年ほど前に流行ったスタイルだと気づいただろう。今の流行では何枚も布を重ねて膨らませて腰や肩、腕などの体型を隠すのが基本だ。しかしリエンは肩を晒し、腰周りも布を重ねてはいるものの胸の下の切り替えから流れるままにさせている。他の淑女と変わらぬ歩みのはずなのに、それだけでまるで清水の上を跳ねる妖精のような軽やかさだ。
胸元の黄水晶の豪奢な首飾りも見事だが、人々は衣装だけではないところにも目を惹き付けられた。
リエンの額のすぐ上を通る美しい色石の波。冠かと思ったが違う。革や布を巻き付けているのでもない。そのように固くはない。重くも見られない。燦然たるリエンの金の髪の上を様々な色に自在に煌めき際立たせ、春の色とりどりの花冠を思わせる。
まさに冬の月夜のような王子と、春風のような王女の取り合わせであった。
(お針子軍団の会心の一撃が決まったな)
リエンは身も蓋もない感想をつけた。
☆☆☆
真っ先に寄ってきたのはマリアベルとアマーリオだった。というか、きらっきらな笑顔のマリアベルが、エスコートしているアマーリオの腕を引っ張るようにして近付いてきた。妹に甘い兄は苦笑だけで許したようだ。
「王子殿下、姫さま、お誕生日、おめでとうございます!」
「うん、来てくれてありがとう」
「とてもお美しくて、わたくし、息が苦しくなりましたのよ!」
「窒息するほど!?」
毎度毎度のこの熱烈具合は一体なんなのだろうと思いつつ、リエンは咳払いで驚愕をごまかし、背後のユゥとガルダをちらっと見た。
「二人とも、紹介させてね。こちら、私の専属護衛のガルダと、侍女のユーフェよ。パーティーに出席させるのは異例なんだけど、今日は特別なの」
「いつも学園でお顔を拝見させて頂いておりましたが、改めてご挨拶申し上げます。リエン王女の護衛のガルダと申します」
「同じく、侍女のユーフェ・サルビアと申します」
ガルダもユゥも、本来その立場にあるなら黙って頭を下げて終わりだが、なにしろ異例なことなので、丁寧に口上を述べた。ユゥは侍女長仕込みの作法であるので言うに及ばず、ガルダも元は近衛騎士長として国王の側に控えていたので、その挙措は洗練されたものだ。今日の華々しい装いもあって、大変見映えのよい二人だった。
それに対するエスペランサ兄妹は、リエンやヴィーと親しく付き合うほどの順応性と度量を備えていた。
「ご丁寧にありがとう」
「このようにお話しできて嬉しいですわ」
王女の紹介だからと護衛と侍女へへりくだるでもなく、かといって尊大に見下すわけでもなく。公爵家に生まれた者としての矜持を持って絶妙な間合いで挨拶を返した。
「王女殿下、そちらのサルビア嬢のパートナーはいつ変更に?」
「変更というか間に合わせかな。合流してきたらそちらに引き渡す予定」
「まだこちらにいないということでしょうか」
「そう」
アマーリオはちょっとだけ難しげな表情になった。学園ではあれだけ派手にイオンとユゥを持ち上げたものだから、リエンも悩みどころだった。だが建前は一応用意してある。
「私たちの親戚の方々には一つ、余興を任せているの。そちらが調い次第、順に姿を見せるはずよ」
外戚一族が、誰一人として王子王女のパーティーに姿を見せないのは外聞が悪い。時間稼ぎしかできないが、やらないよりはましだった。アマーリオは「そういうことにしておこう」という顔で頷いていたが、マリアベルはすっかり信じてしまったようで、ごまかしたリエンの方が心配になった。
だがしかし、いつまでもこうしてひとところに固まっていられるほど暇ではない。兄妹にしばしの暇を告げて、リエンはヴィーと共にそぞろ歩き始めた。
「アルビオン、誰もいないね」
「いないわね……本当にどこにいるのかしら」
アルフィオやリオール、ルルーティエとも会って話をし、マティスやハロルド、大臣たちとも簡単に言葉を交わした。そんな風にしばらく会場内を泳いでこれまでまともに交流のなかった貴族たちとも挨拶を続けていると、それなりに時間が経ったはずなのに、相変わらずイオンどころかネフィルもセレネスも会場には到着していないようだった。侍従たちも声をかけてこないところを見ると、彼らもまだ捜索を続けているらしい。周囲に怪しまれないように小声で、顔も見ずにヴィーと話し合うが、時間が経つにつれて、ただ事ではない気までしはじめてきた。
「ネフィルさまがいないなら名代のセレネスさまが来るはずなのに。逆もあり得るけど、二人揃ってなんておかしい」
「でもなにか問題があったなら、それこそ私たちに一番に報せが届くはずよ。イオンには大役があったし、サームだっているんだし。――ナキアは?」
「ぼくの支度をしてくれたけど、なにも知らないようだったよ」
「……王さまとベリオルの顔を見たら、なにかわかるかな」
リエンがそう呟いた折りも折り、音楽の種類が変わり、このパーティーの主賓の出来を告げる声が朗々と響き渡った。
二人はさっと視線を交え、玉座の前まで悠然と歩き、横に並んで跪いた。
後ろでもガルダとユゥ、ティオリア、他の来賓まで一斉に膝をつく気配がする。
パーティーの主役は王子王女だが、国王はどんな儀礼祭典に関わらず最上の礼を尽くさねばならない存在である。みんなの後頭部をずっと見下ろす気持ちってどんなのだろう、と時々リエンは思う。きっと、耐え難いから表情は凍てつき、ベリオルも側に控えることでその苦痛を軽減しようとしているのだろうが。
「我が息子、我が娘よ。面を上げよ」
言われた通りに顔を上げたリエンは目を見張った。ヴィーも同じだろう。椅子に座った気配がないからおかしいと思ったら、実際、まだ座っていなかった。それどころか玉座には寄らず、むしろリエンとヴィーに近いところに立っている。
その氷色の瞳が珍しく――本当に珍しく、いたずらっぽく煌めいていた。
「一番始めにこれを言おうと思っていてな。誕生日、おめでとう」
もちろん二人とも今日が誕生日というわけではないし、先日のヴィーの誕生日には王さまもきちんと言祝いでいた。どういうことかと後ろのベリオルを見たら、こちらは呆れたように笑っているだけなので、単なるいたずら心らしい。もちろんどちらの後継者候補とも同列に、手厚く見守っていると宣伝する意図もあるのだろうが。
仕方ないと内心で嘆息した。
「父上、ありがとうございます」
「お父さま、ありがとうございます」
わざと陛下と呼ばなかったら、王さまは満足そうに頷いて、国章を縫い付けた豪奢な外套を翻して玉座に腰かけた。
「今日は我が国の至宝たる王子と王女のためによく来てくれた。みなも祝いながらこの良き日を楽しんでくれ」
他の客を全員立たせてそう口上を締め括ると、玉座の斜め後ろに控えるベリオルが楽団に合図しようと手を振ろうとし、不自然に止まった。
王さまはリエンたちの後ろ、遥か遠くを睨み据えた。
「……隠居したと思っていたが」
全員が国王に背中を向ける失礼にならないように気をつけながら、背後を振り返った。いち早くハロルドがベリオルの側に駆け寄り、マティスも限りなくヴィーの側まで近づいた。
「孫を祝うためにやっと重い腰を上げたか、レーヴ」
かつて筆頭公爵家の家紋を背負い、くせ者揃いのアルビオン一族を束ね、王妃も輩出した古老は、杖をつきながら、誰も従者をつけず、一人でゆったりと会場のど真ん中を横切ってきた。
格式高いあつらえの衣裳に、骨董品に違いない装飾品を身につけていながら、それに負けずむしろ従えて支配していた。老いてなお背筋はまっすぐに伸び、眼光は炯々とし、どっしりと威圧感を与えてくる。
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「お久しぶりでございますな、陛下。遅参はお許しいただきたい」
「孫に詫びよ。今日の私は添え物だ」
「そうですな。リエン王女殿下、このような晴れがましい日に参上が遅れましたこと、まことに申し訳なく思っております。お誕生日、おめでとうございます」
弛緩しかけた空気が、再びぴんと張り詰めた。
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