孤独な王女

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見上げた空は・下章

連絡、報告、突撃

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 ナオから報せを受けたネフィルは、ほんのわずかに視線をさ迷わせた。脳内で素早く思考しているのを察して、イオンは自身の驚愕はそっちのけでネフィルの言葉を待った。

「じゃあおれはまた外に出てくる」

 ナオはリエンに言った通り続報を得るために身を翻していたが、部屋を出ていくぎりぎりのところで、ネフィルに呼び止められた。

「なんだ?」
「君の目から見たシュバルツ王子たちの印象を教えてもらいたい。一言で構わない」
「はん?」

 なぜそんなことを気にするのかと思ったが、ネフィルは真剣にナオを見つめていた。

「姫とイオンからは聞いているが、君の視点でも知りたい」
「……わかった」

 そういやこいつも頭いいんだよな、とナオは思い直した。なんでも一人でやる癖がついていたリエンが、病人なのに相談相手にするくらい。

「一は偉そう、二はめんどくさそう、三は犬みたいで四は愛想がいい、五は流されやすい。双子の兄貴は一番父親に似てる」
「――アナスタシオス王子が?」

 ものすごい適当な言い様に唖然としていたイオンだが、最後の言葉が意外で思わず問いかけていた。双子の妹を気遣い、レオンハルトを敬い、他の異母兄には生意気な面を出す王子の印象が、よりにもよって虐殺王と被るとは思っていなかった。

「ああ。王子たちん中で、多分、あいつが一番『殺せる』奴だ」
「殺せる?」
「日々綱渡りしてるのは姫さんと似てるけど、あいつの振れ幅は異常だぜ。一人でいるときなんざ特にな。きっかけさえあれば妹以外は全部抹殺できる。その腕前も持ってるしな」
「つまり、アナスタシア姫さえ安全なら大事ないということか」

 ネフィルの確認の問いかけにナオはこっくり頷いた。たった一つの安全装置。それも色んな意味で頑強なので、現時点で不安には思わない。

「……なるほど、わかった。ありがとう」
「もう行っていい?」
「ああ。呼び止めてすまなかった」

 ナオが去ったあともしばらく考え込んでいたネフィルは、ふと頷いた。

「リエン姫は王子たちと王、どちらにも話を取り付けるつもりだろう。王子たちとは一斉に話すだろうからまだ用意に時間がかかる」
「同席されますか?」
「抜け駆けしよう。王子たちの支度が整い次第、姫より先に私が会うことのできるよう、伝言を頼む」
「承りました、けど、主さま。王女サマが帰るって言ったら、主さまも帰るんですか」

 今度はイオンが真剣な眼差しでネフィルに問いかけた。青い瞳に灯す光は、今度こそサームも、クラトスも、他の同僚たちも討たんとする覚悟。実力不足でも、どんな手段を使っても。この主人を殺させないために、今から念入りに刃を研がなくてはならない。

「いや。帰らない」

 イオンの内心など見透かしたようなネフィルの言葉に肩の力が抜けかけたが、その台詞には続きがあった。

「だが、お前には私の側から離れてもらう。お前に私の世話をさせるのは時間と手間の無駄だ」
「主さま!?」
「牽制するのはシュバルツだけではない。アルダが神聖王国を口実に使いながらも単独で攻めてきたこと、それも北寄りのアイゼ領ではなくテルミディアを真っ先に落としてきたことが気にかかる」

 イオンは目を丸くした。言われてみれば。ナオの情報によれば、神聖王国の動向はさっぱりアルダと絡んではいない。

「……クレマン大公の力を危険視したからじゃないんですか?」
「それもそうだろうが、私なら、手を組んでいるなら同時に二方向に仕掛ける。アルダは『金の都』。ジヴェルナの混乱の隙をついてジヴェルナの豊かな南西部を丸々獲った分け前に、土地の貧しい北西部を神聖王国へやるくらいなら大した痛手ではない。恩も売り付けているわけだから、神聖王国は頭が上がらないだろうな」
「……!」
「アルダと呼応しようとしたが、私たちが姫のことで締め付けすぎたために、出遅れているだけかもしれない。だが、万が一浮いた駒であるならば、こちらで押さえておくべきだ」

 時間と手間の無駄、という意味がわかり、思わず頷いたイオンだった。確かに悠長にしてはいられない。早急に、秘密裏に神聖王国の出方を確かめなくてはならず、なんなればその場で釘を打つ必要も出てくる。そんなことができる人間は多くない。
 けれども、隠密に特化した「影」であり、ジヴェルナ筆頭公爵である現アルビオン当主の三男という肩書きを持つイオンは真っ先に該当する。同僚が二度も神聖王国の中枢に入り込めなかった失態は忘れていないが、やらない理由にはならない。――やらなくてはならない、が。

「……ですけど、主さまはお一人でここに残るんですよね?危険です」
「そのための抜け駆けだ」

 ネフィルはさらっと言い返した。イオンを見上げて、腹に一物あるような笑みを浮かべる。

「実権こそないとはいえ、私は無益な人間になった覚えはない。せいぜいここの王子たちに媚びを売ってくるさ」















 リエンもネフィルと同じような懸念を抱いていた。その上で、後回しにするしかないと諦めていた。だが、それを丁寧に拾っていくことを使命としている存在がいることを、すっかり見落としてしまっていた。

 ネフィルいわくの媚売り、リエンによる王子たちの牽制と交渉のあと、リエンはネフィルの思惑を知って黙りこくった。「あっちは確かにどっちつかずっぽいな」なんてナオに言われてはなおさらだ。緊迫しているのはわかるけれど納得したくない。

「リエン姫、この状況なんだ。使えるものは使え」
「……でも、ネフィルが一人でいるのはいくらなんでも危険すぎる。イオンを手放すなんて……」

 ナージャのお膝元のエルツィ宮殿にいるからといって、本来は油断できた場所ではないことに変わりはない。特にジヴェルナ侵攻を知った外部の者たちがネフィルをどう扱おうとするか、考えるだけでもきりがない。

「身内に裏切られた前科があるとはいえ……私の立ち回りがそんなに不安か?売り込んできた感触はかなりよかったんだが」
「それでもよ」
「でしたら、神聖王国にはあたしが向かいます」

 背後から不意を撃たれたリエンは、ぎょっと振り返った。それどころかイオンもガルダもナオも驚愕してユゥを凝視している。

「ユゥ!?」
「条件としてはリエンさまの唯一の侍女であり、書記官であり、侍女長の養子であるあたしでも相応しいはずです」
「あなたはもっと危険でしょうが!諜報ドへたくそのくせになに言ってるの!」
「そこは相談なのですが、ナオ、一緒についてきてくれたりしますか?」
「……え、おれ?」
「はい」
「えー……」

 断れ断れというリエンの目力を柳のごとくかわしつつ、ナオは頭を掻いた。ちらっとイオンを見る。ネフィルにも視線をやったが、この主従は動揺こそ読み取れても感情そのものは掴みにくい。

「んー……」

 もったいぶるようにゆっくりと腕を組んで唸る。やりたいことしかやらない主義のナオの意志だけが重要なのだ。それでも即断できないので天秤にかける。行くか行かないか。行かない場合は……。

「……しゃーねえ。おれが叔父さんの護衛に残るから、イオン、ユゥと一緒に行けよ」
「なんでそうなるの!」
「そんで叔父さんの言った通りの立ち回りだったら、おれは好きなように動くぜ」
「……それが一番の折衷案か」
「ネフィル!」
「ただし、人手不足の状況で二人に行ってもらうからには、手柄は大きくなければならない」

 きゃんきゃん騒ぐ主人をそっちのけにして、ユゥはこっくりと頷いた。

「浮き駒でなくても――アルダ側についていても、ジヴェルナ側に押さえてみせます。それが最善手です」
「当ては」
「今思いついているのはディライラ神官くらいです。あたしもばっちり恐怖の対象になってますから」
「君の祖母の件は不透明だぞ」
「そこも使いようでしょう。祖母が追放された経緯は行ってみなくてはわかりませんが、あたしは、祖母は最近まで中央に影響する力を持っていたはずだと思っています。――モアラヴィの神官が、わざわざ辺境までやって来て祖母を陥れたんですから」
「……ひとまずは合格か」

 全員がぶすくれまくったリエンを見た。ナオが早速そのほっぺをつついて、即座にはたき落とされた。

「リエンさま、ご下命をお願いします」
「……やだ」
「それでは、リエンさまは、あたしがもっとお役に立てるお仕事があるとおっしゃるんですね?」

 ぐっさり胸を貫く言い様にナオとイオンが拍手し、ネフィルは感心したように眉を上げ、ガルダは諦めましょうと首を振った。

「なんで味方がいないの……!」
「そんなにお嫌ですか」
「嫌に決まってるでしょ!危険なのはネフィルもユゥも一緒じゃない」
「でしたら……あたしだけのとっておきの理由を教えましょうか。お耳、失礼しますね」

 ユゥがかがみこんでリエンの右耳にかかる髪をそっと持ち上げた。リエンは一応大人しくされるがままになっていたが、そっと囁かれた言葉に、迷路に行き当たったような顔になった。動揺も焦りも消えたただの困惑。
 ユゥは顔を離したあと、頬を赤らめて、それでもリエンを見つめ続けた。

「な、納得しました?」
「……うーん?」

 リエンはイオンをじっと見つめた。ユゥを振り返り、またイオンを見る。しばらく交互に見つめたあと、おもむろにユゥの手を引いてイオンに近づき、手を繋がせた。

「え、リ、リエンさま?」
「いや王女サマなにしてんですか!?」
「そのままじっとして」

 リエンは二人をおいて後ろ足で距離をとった。二人の足から頭まできっちり視界に収まるところまで下がると、訳がわからなさそうなネフィルや、ナオが爆笑寸前の顔でぷるぷる震えているのまで目に入った。
 リエンは今一度寄り添う二人を見つめ、満足げに頷いた。

「うん、なるほど」
「なにがですか!?」
「イオン、ユゥを絶対に守ってね。ユゥ、イオンの指示には必ず従って。二人とも焦って突っ走らないこと、必ず帰ってくること。これを守れるなら、許すよ。――ネフィル。あなたのことも信じていいのね?」
「もちろんだが。なぜ急に納得したんだ?」
「ユゥの話を聞いたら、なんだか肩の力が抜けちゃった」
「何の話だったんだ」
「ユゥが秘密にしたいそうだから教えない」

 この時がナオの腹筋と肺の限界だった。ぶはっと盛大に噴き出し、床にゴロゴロ転がった。

「お前のその言動だけでモロバレだっての!!」
「えっ、そうなの?」

 半分放心していたイオンは、我に返ると真っ赤な顔を両手で覆って膝から崩れ落ち、涙目になったユゥは「情緒発達させてください!」と叫びながらリエンへと飛びかかってきた。ネフィルは相変わらずきょとんとしている。

 この混乱を遠巻きに眺めていたガルダは、そっと合掌してイオンの冥福を祈った。










☆☆☆









 微妙な顔で伝言してくれたのはナージャだった。

「リエン殿下、陛下がお呼びだと……。内宮までいらしてくださいとのことです」

 ユゥとイオンは、数日前には出立していた。ナオ経由でセルゲイの部下たちに最短距離を問い合わせて旅支度をし、交渉内容はリエンとネフィルも寄せ集まってあれこれ考え、指導もした。後は「ジヴェルナで会いましょう」だ。
 肩の力が抜けても不安なのは不安だが、ぐずぐずしている余裕はない、とリエンは振り切った。自分のこともどうにかせねばならない。
 二人の支度を調えている間にザクセンから公的に呼び出されてみれば、エルサから親書が来たという話だった。中身は「西の客の行儀が悪いが、東でも無粋な真似があれば直々に指導してやる」という牽制だった。エルサだからこそ言える脅し文句だ。ちなみに、リエンのことは一文字もなかったという。

「お前、臣下に嫌われてるぞ」
「面白がっておっしゃることですか」

 王子たちもいたが、ザクセンに服従する臣下たちの面々の前なので一応だけ取り繕ったが、呆れは隠さないリエンだった。ザクセンがからかうのは、エルサの真意をわかっているからこそだ。親書がザクセンには届いていて、リエンの元には一通だって来ていないことも報告に上げられているはずだ。

「私の叔父も御前にお呼びくださればよかったのですけど」
「全てがお前の都合よくいくと思うな。あれが目障りなら、王子のいずれかが殺す」
「はい。色々お世話になったので、厚かましくおねだりをするつもりはありませんよ」

 なんだかんだ、ネフィルはザクセンの庇護(建前)がなくてもしたたかに生き残れそうだ。そう思ったのもここ数日での成果。王子たちと相対したときの雰囲気を見てなおさら心配は減った。

「これからも親しき隣人として、よしなにお願い申し上げます」
「それはお前の今後次第だな」
「精進して参ります」

 こうまでザクセンが対等に扱うのはエルサを除いてただ一人。
 リエンは玉座から見下ろされながらも、へりくだることなく傲慢なほど毅然として、ただ客人としての礼節だけをもって振る舞っていた。困惑、感心、不快、軽侮……周囲の視線はそんなところ。だがこれも今後に繋がる外交だ。
 リエンはリエンのやり方で国王業をこなすだけだ。奇天烈上等、結果さえ残ればよい。その結果に繋がる相手の失点稼ぎに、常識を踏み倒していくのはご愛敬。生まれながら備えていた牙も爪も見抜けなかった相手が悪い。
 事実、ザクセンやここに同席している王子たちは、きちんとリエンの性質を弁えている。その上で面白がるが引くか感心するか呆れるか鼻白むかどれかに統一してほしい。本当に似ていない親子だ。個性的な家族とまとめれば聞こえはよくなるな。
 出立前では最後になるだろう謁見の機会を無事に活用した、さらに数日後。
  やっとジヴェルナからの迎えが来た。
 伝令だけならともかく、次期女王を迎えにいくのにはそれなりの設備と警備が必要で、その分だけ手間取ったゆえの日数だった。
 そして、リエンは悉くその配慮を撥ね付けた。

「……な、なんですと?」

 迎えの代表は宮廷貴族のルビアン伯爵だ。
 亡命して引きこもり、なにも情勢を知らないはずと高を括って前口上にアルダとの開戦を告げ、リエンの帰還を願う結びで締めくくった彼は、あまりにもあまりなリエンの返答に放心していた。
 行政に長年携わった有能な文官であっても、まさか突然披露された母国の窮地を前に、帰国をごねるとは思わなかったらしい。リエンは「だって」と心底失望したような吐息をこぼした。

「私の大事な弟を虜囚にして?西部においては防げた失地をおかして?その上でシュバルツで療養する私を当てにするなんて……あまりにも不甲斐なくて情けなくて、私、開いた口が塞がらないわ」
「りょ、療養?」
「弟と叔父にまつわるお話に取り乱したのは私の手落ちだけれどもね。受け入れてくれたザクセン陛下のご厚意と、ナージャ殿下の友宜に感謝しているわ。だけど、あなたたちが今犯している不敬は、陛下が目を覚まされた後で問わなくてはならないわね。陛下のお子であり私の弟であるヴィオレットを、よりにもよって無能扱いするなんて」

 以前から反ルシェル派だったルビアン伯爵はさっと表情を厳しくした。

「お言葉ですが、殿下」
「誰が口を挟む許可を与えたかしら。ヴィオレットが王子たる資格がないとか、そんな妄言はよしなさいね。陛下も私も、何一つとして、レーヴの讒言を認めた覚えがないわ」

 反論を頭から押さえつけられた伯爵を前に、リエンは物憂げに目を細め、頬に手を添えた。

「ヴィーが私を頼ってくれたなら、姉冥利に尽きるのに」

 吐息とともに、誰も信じようとしないリエンの逆鱗を、隠しもせずさらけ出す。弱点ではないと思わせる。所詮はまやかしの姉弟愛なのだとか、哀れませてやるものか。
 せめてリエンが帰ってくるまではと、ハロルドは噂を流してヴィーの延命をしたという。それは、より事態が切迫してリエンの早急なる帰還が望まれている今も、同じように機能しているはずだ。リエンが国内に入りさえすれば用済みになる人質として。

(思い上がるなよ)

 細めた目の奥で、緑の炎が閃光のように煌めいた。

「あなたは先に帰って、私の言葉を一字一句違わずに触れて回りなさい。ああ、監視もつけてあげる。唯一の王族直系男子に対してあるまじき振る舞いをしたのだから当然でしょう?」
「で……ですがそれだと」
「まだわからないの?私はヴィーのために、帰ってあげる、と言っているのよ。そんなに私が逃げることが不安?あの子なら知っていることだけど、私、約束は必ず守る性格なのよ」

 この時点でリエンはまだ「帰る」とは言っていない。「ヴィオレットがお願いすれば帰る」というだけ。リエンが帰るのは、外敵の脅威のためではないのだ。やっと気づいたルビアン伯爵は、自身の失敗に青ざめながらも、さすが有能なだけあった。

「……殿下の叔父君を害したというのに、それでもあの方をお許しになられると?」

 リエンは鼻で笑って応じた。

「あなたがそれを真実本気で言っているのなら、帰還の後、あなたを中枢から遠ざけなくてはならなくなるわね。仕事ができるだけならどこででもいいでしょう?」
「なんですと?」
「私を見くびるなと言っているのよ。思慮が足りず、上っ面に騙されて、情にあっさり流れる小娘なんて思ってるんでしょう?」
「ち、違います!」
「どこが?」

 リエンがレーヴの書いたあの筋書きを鵜呑みにしていると思い込むなんて、まさにそうではないか。
 ルビアン伯爵は改めてリエンの顔を、その瞳を見て、今度こそ冷や汗を全身に滴らせた。リエンは殺気までは出していないけれども、まるで斬頭台に引っ立てられたように恐怖に震えてしまっている。

「これは、帰還したあとには矯正しないといけないわね。ああ面倒くさい」

 この期に及んでリエンを御そうという気持ちを隠すこともできないとは、無意識とは恐ろしいものだとリエンは他人事に思った。















 空の御輿を持って帰ったルビアン伯爵を見送りもせず、リエンは最後の片付けに専念し、翌日に出立することとなった。

「ナージャ殿下、色々とお世話になったわ。ありがとう。まだしばらく、ネフィルのことをよろしくお願いするわ」
「いいえ……こんなことしかできない自分が情けないです」
「とても助かったのに、そんなこと言わないでよ。これからまだターシャ殿下お借りするし」
「国境までな。なんでわざわざおれを指名した」
「一番都合のいい通行手形でしょ、あなた。ナージャ殿下と引き離すのは申し訳ないけど、ネフィルとナオが婿候補さんたちを見張るから許して」
「……あんたな」

 必要な荷物は全て馬の背に積んだ。リエン自身も馬に乗っていくことになる。ヴォルコフ商会のつてで得た馬は、ナオが合格を出してくれた逸品だ。ようやく一人で乗れるようになったくらいなので、この帰還でついでに訓練しておきたかった。さすがにガルダとの相乗りは格好がつかない。

「ターシャ、道中、お願いね」
「……わかってるよ。お前も気をつけるんだぞ」

 妹に甘いなあとリエンは思った。加えて過保護だ。
 どこか、リエンの知らない部分でナージャを気遣っているのは気づいていた。他の異母兄たちもだ。踏み込もうとは思わないが、ここまで気にされると気になる。

「ナージャ殿下、また会おうね」
「リエン殿下……」

 ほら、不安と喜びが混じったこの微妙な笑み。これから出陣するリエンよりも、何を明日への気がかりにしているのだろう。

「またお茶をしに来るわ」
「一国の王が簡単に国を空けるなよ」
「忍び込むくらい余裕よ、余裕。それならいっそ、あなたたちが遊びに来る?ことが落ち着いたら大歓迎するわ」
「あんたな。遠足に行くんじゃないんだぞ。戦には絶対なんてない。何が起こるかわからない。気をつけろ」
「うん、心配ありがとう」
「勘違いするなよ。ナージャのためだ」
「ぶれないなぁ」

 やっとナージャはこぼれるように笑った。両手をそっと広げたので、リエンから抱きしめた。ほぼ同じ背丈での抱擁はどことなく新鮮で、やっぱり心地いい。どちらも体重をかけて寄りかからずに、ぎゅっと寄り添うだけ。この距離感が、リエンとナージャにとって最適なのだろう。

「私、珍しいお菓子とお茶を用意してお待ちしております。一緒にシュバルツ国内の観光もしましょう。約束ですよ」
「約束ね。私、約束はきちんと守る主義よ」

 幸せだ、となんとなく思ったリエンだった。ナージャとこの約束を交わす直前には、改めてネフィルとお墓参りについて約束させられた。
 するべきことを果たした未来に待つのは、終末の虚無ではない。
 それが、とてつもなく嬉しかった。

 リエンはまた言った。

「また会おうね」












ーーー
ユーフェ「リエンさまのお役に立てて、恋した人の助けにもなれるなんて、そんな仕事、めったにあるものじゃありませんから」

好きな人と言うだけだとお子さまリエンには通じなさそうなのではっきり言ったのがユーフェの失敗。でも説得できたから成功。
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