孤独な王女

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小話②

雪降らし、雪散らし⑦

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 アクイラたちが本神殿へ出向いたすぐあとに、ラーズの帰りにナオとレイが歩調を合わせた。
 ガルダはアクイラたちの方をこっそり見守るつもりで、レナもはじめこそそれに従うつもりだったが、宿の人間たちを一目で骨抜きにした美貌のウォルを一人にするのは不安だからと、護衛として宿に残った結果のこの組み合わせに、ナオは全力で舌打ちしたい気持ちを噛み殺していた。

(ウォルと一緒に留守番しとけよ、レイ!)

 問題児(と呼ぶのも違和感が激しい)レイをガルダと一緒にするのが不安すぎてナオが慌てて引っ張ってきたわけだが、そもそもレナとレイが交代すればいいだけの話だった。
 もうこの際、監視だけしてなるべく無視しよう。前世の親代わりの扱いを決めたナオは横を歩くラーズを見下ろした。

「……見ないうちに色々変わったな」

 ラーズがきょとりとナオを見上げた。傷はすっかり治り、いっそ無防備なほど大きな目を瞬かせている。陰鬱そうな雰囲気が全然ない。随分子どもらしくなったものだと、先程まで宿で話しているときも思ったものだった。

「髪の毛と身長、伸びた」
「それもそうだけど、他にあんだろ。同胞とは打ち解けてるんだな。前はさま付けしてただろ」
「どうほう」
「お前と同じ、『巫』の連中のこと」
「ファーランはゆっくりでいいって言ったけど、エリスが呼び捨てにしろって。私たちに上下はない、たった三人だけの仲間だからって急かしてきた」

 ナオはエリスという名にレイがぴくりと反応したのに気づいたが、突っ込むつもりはないようでほっとした。

「じゃあ、今の暮らしは楽しいんだな」
「うん」

 宿では主にラーズをもてなすのが中心だった。表面的な近況を話題にするくらいで、込み入ったことは話さなかったのだ。ラーズ自身がアクイラをじっと見ていたことも理由のひとつ。聞いてみると、虜囚のセルゲイと少しだけアクイラについて話題にしたらしかった。「本物のお姫さまがどんなのかって思ったけど多分普通と違う」と言われたアクイラの自信満々な頷きに、聞いていたユゥたちの方が納得してどうするという顔をしていた。
 それを言えば今のラーズも準王族でお姫さまとなる。

「一度、お祝いにパーティーもした。初めてだったけど、やっぱりエリスが張り切った。エリスも初めてだったらしいけど」
「パーティー?」
「ファーランがこの秋に二十五歳になったから」

 ナオは神妙な表情になった。思わず歩みが止まりかけたが、ラーズと繋いだ手に引かれるように歩調を戻す。ラーズは前を向いたまま独り言のように言った。

「どうせ死ぬはずなんだって、あんまり信じてなかったけど。今は信じられる。楽しいって思えるようになったのは、パーティーからかも」 
「……そうか」

 エリスは知らないとユゥは言っていたが、「巫」の寿命を、ラーズは知っていたわけだ。だからこそ虐待にも甘んじたのかもしれない。「どうせ死ぬ」から。
 しかし、ファーランがその後を普通に生きているということは、二十五歳で死ぬか狂うというのはアキが言っていた陰謀説の結果でしかなかったのかもしれない。神殿の序列では二位という「巫」を利用できる、一位の神官長の座に「巫」本人が就いた、そしてファーランは今も神官長だということは。

(ん、でもジヴェルナでも二十五歳って伝わってる意味がわからん)

 隣の国とはいえ神聖王国の「掟」に従う義理はないどころか、以前は国として囲っていたという。寿命であえて区切る意味が、ミヨナ教の浸透していないジヴェルナにはないはずだった。考え込むもすぐにまあいいかと思考を切り替えたナオは、ラーズが物言いたげに見上げてくるのに気づいて首を捻った。

「なんだ?」
「……悪魔つきにも寿命があるかもって、ファーランは言っていた」
「悪魔つきって呼び方どうにかなんねえの?」

 反射的に言い返したナオは、ラーズのすっかり呆れ果てた顔に噴き出した。この際転生を知られているのはどうでもいい。ファーランとやらが悪魔つきを黒い星と称することはイオンから聞いていたし、アクイラだけではなくレナとレイにも周知されていた。

「おれは気にしてねえ。寿命前に一旦死んで、生まれ変わらずによみがえった奴がいるし」
「……ファーランがすっごく慌ててた」
「あいつもあわや生き埋め一直線だったって、知らせてくれたことを感謝してたぜ」
「生き埋め……」

 それこそその言い方はどうなのか、と顔中で語っている。

「まあ、アキがそうでも、おれたちまでよみがえるとは思わねえけどな。それに何度も奇跡が起こるとも思えねえ。死ぬときは死ぬだろ。でも最期までおれはおれだ。それさえ貫けりゃ文句はないんだ」
「……そういうもの?」
「おれはそう納得してる」

 レイがどう考えているのかは知らない。ラーズから話を振りたそうだったが、ナオが頑なに半歩後ろの少年を振り返らない様子から勘づいたのか、そっと視線を正面に向け直した。基本的に人の感情に敏い娘だ。それに、いくらか溌剌としてきたとはいえ、歳に見合わない落ち着きぶりは健在だった。ラーズの赴く先についていく形で本神殿の大きな社殿の前まで来たところで、ナオが言った。

「この冬いっぱいはここに滞在するつもりだから、また暇ができたら会おうぜ。お前、そもそも忙しいのか?」
「仕事はしてない。勉強だけ。宿に行けばいい?」
「呼んでくれりゃ、迎えにいくくらいはする。だいたいお前、なんでそんな自由に動けるんだよ。ガキが一人で出歩くなんざジヴェルナでも滅多にねえぞ」
「ファーランが視てるし、影にこっそり護衛の人がいるらしいからいいって言われた」
「表向きは女のガキがぶらついてるだけだろ。声かけられねえの」
「あるよ」
「あんのかよ」
「あるけどすぐにみんなどこか行くから」
「なんでだよ」
「神官服って便利」

 ラーズが社殿の正面ではなく横に回っていくのでついていく。ミヨナ教のお膝元で地味に不遜な発言をしたラーズに、ナオは意外にしたたかだなと呆れた。

「けっこう、この街では幼い頃から本神殿で修行する人が多いらしくて、見慣れてるんだって。大体の人がお勤めご苦労様って言ってくれるよ」
「神官ってちびっこでもそんな権威あんの?」
「あるみたい。みんな真面目だもん」
「それはそれで気色悪いな」
「いきなりひどいこと言う」
「おれはお行儀よくできん」
「それはそうだと思うけど」

 ラーズが立ち止まったのでここまでかとナオも止まった。一応レイもしっかりついてきていた。この後、レイを確実に宿まで連行していかなければならない。アクイラがまだ本神殿にいるだろうからって、アクイラ暗殺を企んだことがある敵の本拠地に、レイを一人で野さぼらせられるほど気が緩んではいない。
 まだ手を繋いだままのラーズがふと誰かに呼ばれたように顔を向けて、「あ」と声を漏らした。気まずそうな、嫌そうな声は、その視線を追ったナオの心情を察したようにぴったり同じだった。

「ラーズ、また街に出てたのか?」
「……うん。ただいま。お城に行ってたけど、もう帰ってきたんだね」

 いかにも通りすがりな顔をして近寄ってきたのが誰なのか、一目見たことがあるだけのナオにも、さすがにすぐわかった。ラーズに挨拶をしないよりもこの場を逃げ出す方が大事だと、じりじり後ずさろうとしたとき、エリスの金瞳がはっきりとナオを向いた。正しくは、ラーズを上から下まで確認するのに、ラーズの手を辿ってナオにたどり着いたのだった。

「誰だ、お前?神官でもないのにこんなとこに入り込むなんて」
「私のお客さま。前にファーランが迎えを出してくれたとき、アルダから途中まで、私を送ってくれた人で……」
「――もしかして、エリス・ディライラ・アングレイ?」

 ラーズが、初めて聞いたであろう幼い声に固まった。
 柄にもなく真っ青になったナオは、全力で背後を振り返ると同時に飛びかかった。

「そうだけど、お前は誰」
「ふうん?おしゃれな刺青してるね……?」
「おい待てレイ!やめろ!」

 ナオは頭一個半も背が低いレイを地面に押さえつけようとしたが、レイも記憶を取り戻してから体術に取り組んでいたのですんなりとはいかなかった。勘は前世のものがまるっきり引き継がれている分、なおさら厄介だ。

(これもあるから嫌だったんだよ、こいつを連れてくんの!)

 エリスという男はアクイラの前世のトラウマを呼び起こして狂奔させた張本人だ。アクイラが詳しく教えていなくても国際問題になるので事件は世間にそれなりに流れたし、前世にひどく傷ついた奈積をあの手この手で慰めに走ったのが怜だったので、アクイラがどれだけ精神をやられたか想像がつかないはずがない。もしかすると独自に調べ直しもしたかもしれない。ユゥならレイの本性も知らないから、聞かれたら素直に答えただろう。

 そして、レイは今でもずっと、奈積アクイラを世界の中心に据えている。

「エ、エリス、それよりも今、ファーランのところにお客さまが来てるよ」

 ラーズが慌てたようにエリスを手近な建物へと引っ張っていく。エリス自身も、ナオとレイをちらちら見つつ、ラーズを庇うように背に手を当てている姿はあの時垣間見た傲慢さとはかけ離れていた。
 だが命の危機が迫っているのはむしろエリスの方だと、本人が気づいていない。
 この時必死にレイを羽交い締めにしていたナオは、なんでかラーズと心が通じあっている気分だった。この場からレイとエリスを引かせなければ、大惨事だ。レイならきっとアクイラどころか本神殿すら丸め込める(破壊込み)し、究極にはここでガルダとレイの最終決戦が繰り広げられるだろう。そんなの誰の得にもならないが、怜は、奈積の心の闇を晴らすためなら、他の何もかもを擲つ人間だった。
 この辺りの自己満足的な部分は、確実に奈積に受け継がれてしまったものだ。

「ファーランにも客?」
「うん。元女王さまが来てる。エリス、気にしていたでしょ」
「――あいつが来てるのか!?」

 ラーズの答えにエリスが叫ぶと、ラーズを強く引っ張って建物へと駆け出していった。ナオはほっとする間もなく、逃がすかとますます殺気を膨らませた前世の親代わりに冷や汗混じりに声をかけた。

「レイ!駄目だ!あいつ自身がもう溜飲を下げてるのに引っ掻き回すなよ!」
「お前がおれを止めるなんてな。あの子がどれだけ傷ついたかその目で何度も見たはずなのに。むしろお前はなんで動かなかった。その時も、今も」
「あいつ自身が踏ん張って解決させたんだよ!それを無駄にするつもりか!?」
「……へえ?おれ、お前をそんな風に育てた覚えはないんだけどなあ」

 一段低くなった声に、ナオは奥歯を噛んで堪えた。怜に植え付けられたそれは恐怖心にも近い。
 怜の期待に応えなければと思っていた。それならば捨てられない。奈積が生きるのに役立つと認められていればと――そう、思っていたのだ。それほど怜の側にいたくて、必死に追いかけていた。命の恩人で、奈音に名前と生きる力を与えてくれた人だったから。初めて真っ当に奈音を人間として、奈積の前だけでも扱ってくれた大人だったから。それはまさしく神のように絶対的な存在で。

 だが、神のようだといっても、結局は怜もただの人間でしかなかった。
 撃たれりゃ血が出て、血が失くなれば死ぬ、ただの人間だった。

「おれが変わったんだとしたら、あんたのせいだ。あんたがなつを庇って勝手に死んだからだ」

 思わず恨み言が漏れていた。記憶を取り戻してからのレイと、これまでなにかを真剣に話し合ったことなどなかった。再会が唐突すぎて戸惑っているうちにウェズで別れたのだ。そもそも、レナとだって死に際のことは会話を避けている。
 奈積の分だけは無理やり掘り返して叩きつけてやったが、それだって非常事態のようなものだからこそだ。

「美希も悠もとっくに死んでた。あんたが死んで、おれしかいなくなった。あいつを置いていかない存在になるには、変わるしかなかったんだよ。結果的に置いてかれたわけだけど」
「その辺りも納得いかない」
「だから全部あんたのせいだ。おれはあんたじゃない。おれを的にぶちこみゃ、颯爽とあいつを助けられたはずだったんだ。それこそあんたの理想通りにな。おれの代わりなんて後からいくらでも用意できただろ」

 怜自身が銃弾の前に飛び出していったのが狙われていた奈積のためであっても、囮となる奈音のためではないとはわかっている。ある意味純粋な疑問だった。レイの体から力が抜けていったが、ナオは油断せずにいた。

「……そうだな、なんでそうしなかったんだ」
「……真剣に首捻ってんじゃねえよ……」

 脱力しかけてしまったが、レイは緩んだ拘束から身を捩って、ナオと真正面から向き合うとまじまじと見渡しはじめた。

「……なんだよ」
「……いやあ、お前、けっこう変わったな」
「当たり前だろ。あんたが死んだあとも十年は生きたし、この世界でだってあんたなしでこれまで生き延びてきた」
「そうだな、思ったよりへこたれてないお前に免じてやろうか」
「はっ?」

 ナオはすっとんきょうな声を上げるどころか、拘束すら忘れて飛び退いていた。だがレイは本当にエリスを追う気分は失ったらしい。自由になった手足をぷらぷら動かしたかと思うと、ナオを置いて本神殿に背を向けて足を踏み出していた。

「レイ!どういう意味だよ!」
「なつを置いていったけど、お前も置いていってしまった責任ってやつだよ。今のおれはアキの弟だし、それなりに可愛くしておくことにする」
「……いや、やめろよ。あんたがふざけて『アキ姉さん』っつったとき、まじで心臓凍りついたからな。あいつだって心底嫌がってたろ。まじでやめろ」

 それはレイが旅に同行した初日のことだ。調子に乗ったレイが子どもぶってアクイラに抱きついてそう呼んだとき、ナオは少なくともこの世の終わりを見た気分になったし、アクイラは世界の時を止めていた。ガルダが無理やり引き剥がしていなかったら二人とも自主的に窒息していたはずだ。

「なんだよ、この世界ではおれが一番年下なんだから、普通だろ?大人ぶったらお前が今怒ったんじゃないか」
「なんで極端すぎる二択しかねえんだよ。間を取れ」
「レナはいいのに、なんでおれが……」
「あいつは今も昔もおれたちの弟分だ!あんたが比べる相手じゃねえ!」
「ひどい。差別だ」
「唇尖らせんな気色悪ぃ!」
「今のは本気で傷ついた」
「おれは今にもじんましんでぶっ倒れそうなんだよ!まず可愛い路線をどうにかしやがれ!」

 ナオはやんややんやと騒ぎながら、けらけらと笑うレイを追いかけた。
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