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しおりを挟むお披露目会場は相変わらず玉座の間だ。息子娘の晴れ姿を拝む親たちや大臣たちが揃い踏み。人材発掘の場でもあるのだとか。
他に暇な官吏たちがちらほらと集まっている。リエンの時には、ネフィルはこの群れに隠れていたらしい。道理で気づかなかったはずだ。
舞台裏からそれらを見下ろしていると、後ろのタバサに声をかけられた。もう気分は鎮静したらしく、リエンが支度を終えて居間に顔を出すと、いつもの顔で礼をして、謝罪までしてきたものだ。その時にはユゥは姿を消していた。
「いいですね、陛下に呼ばれたら、あの席に座ってください」
「どっち?奥?手前?」
「手前です。継承権順ですので」
「だってさ、ヴィー」
「わかったから……。緊張感ないね、リィ」
「私自身が何かしなきゃいけないことがあるわけでもあるまいし、王さまの付属だし、見てるだけってすごい楽よね」
「姫さま」
一言、ぴしゃりと窘められて首をすくめた。相変わらず誰の手助けも借りず一人でドレスを身につけたリエンだが、その身なりに文句を言うところが見つからないだけに、気を取り直したはずのタバサは軽く不機嫌だった。旅に出てナキアを侍女として仮の地位を与えたことが勢いづけたのかもしれないと、着替えの最中にリエンも思いやることはできていた。
今回リエンまで爆発しなかったのは、珍しくもガルダが仲裁したからだ。正直、タバサが彼女にとっては一番主張したいところなおかつリエンにとっては最大の禁句――「侍女がいないことが王女としての価値を下げる(要約)」を言いかけていたので、まさにファインプレーだった。後でなにか労おう。
王さまは既に玉座に着席していた。ベリオルがその斜め前に立ったまま口上を述べている。壇上は階段のように段差がついており、王さまの左斜め下には、小さめの豪華な椅子が二脚置いてあった。待ちながらぼんやり眺めていると、違和感に気づいた。なにかが足りない気がする。
「……あれ?王妃の席はないの?」
「父上が止まない縁談に盛大に苛ついて撤去させたよ。ぼくたちが旅にいく時にはもうなかった」
「わあ豪快」
「そのあとから縁談はぴたりと止んだんだって」
「そりゃそうでしょうね」
姉弟の会話の端々には多大な呆れが滲んでいた。あの人はやることが時たま大雑把すぎる。見知らぬ人から母親面されるのは気に入らないが、それにしても椅子を撤去させるとは……王妃を抹消したこともそうだが、お母さまが絡むとそうなるのかもしれなかった。こちらはこちらで重い愛情だ。
「それでも押し通す人は、ただの無神経か身の程知らずの猛者でしょうね……」
「……姫さま、口調が乱れておりませんか?」
「取り繕うの、多少は止めることにしたんだ。これから、これが平常運転だから慣れてね」
「はい?」
「――ヴィオレット。リエン」
さあ出番のようだ。呆然としているタバサを置いて、ヴィーのあとに続いて顔を出すと、大人たちの視線の集中や驚く空気まで感じた。……よくよく考える必要もなく、リエンが建国記念式典以外の公務に出席するのは今日が初めてなのだ。その意味ではリエンにとっても「お披露目」だ。
しかし、今回の主役はこれから登場する幼い子どもたち。弟に告げたように至って気楽にしかし優雅に見えるように足を進ませていき、椅子の前で小さく微笑み、二人一緒に一礼して腰を下ろした。
一瞬、なぜか呆気にとられていた進行役の式部文官が、我に返ったような咳払いと共に、手元の進行表を捲った。
「――では、十歳になる若き紳士淑女のお披露目を始めさせていただいます。はじめは、男爵位の方々です」
登場する幼い少年少女らは、王族以下有力者たちの前に出るとあってかなり緊張していた。上から見下ろしつつ、リエンは可愛いなぁとのんびりしたものである。おどおどしながら挨拶したり、はきはきと元気よく一礼したり、人によって様々なのも個性を感じられて面白い。
しかし、その誰であっても、一度麗々しい国王に声をかけられれば興奮して頬を染め、たまたま視界に入った対の人形のように美しく愛らしい王族姉弟を目にして固まり、微笑まれてぎくしゃくと動き、後ろに下がっていく。この様子こそ一番に愉しんでいたのはベリオルだ。
注文をつけた甲斐があった、とベリオルは満足げに目を細める。アーノルドは毒で死にかけたあと一時期顔色が悪く痩せこけたが、今では精悍という言葉が似合う力強さを取り戻しているし、ヴィオレット王子は頬の丸みが最近取れてきて、成長途中の未完全ゆえの魅力を醸している。背もぐんと伸びはじめており、今回服の直しが一番大変だった。
リエン姫はそもそも普段公式の場で見ないだけに新鮮さが強いが、そこにベリオルが効果を見込んだ衣装を着させた。服装が三人とも同系色に似通ったデザインなので、それぞれの印象をかなり引き立たせていた。
ああ、また子どもが一人やられた。へどもどと言葉を探し、目が泳いでいる。失態と見られないのは、最高位の姉弟が微笑ましく見守っているからだ。ヴィオレットは困ったように首をかしげつつ、応援するように目に力をいれており、リエンはといえば、何でも可愛らしいと思ってずっと目を細めてにこにこ笑いっぱなしなのだ。周囲は想像だにしていないが、リエンはかなりの子ども好きなのだ。
二人のその態度が子どもの動揺を悪化させ過ぎて、アーノルドが助け船を出したくらいだ。
他の有力者たちも、正直主役の子どもたちよりも姉弟の様子に気をとられて、子どもたちの不慣れさを気にすることもない。
(……あ。あの子)
やっと子爵位の順番になったとき、子どもたちの列の端の方に目を止めそうになってぎりぎりで留まり、リエンは自然な動作で視線を流した。
……どうやら、レナは貴族出身だったらしい。なぜ裏社会にいたのか……捨てられたか、はたまた愛人の子どもだったとかで母親に何かあったのか。レナが何歳か聞きそびれたが、目下の少年より歳上ということはないだろう。明らかにレナの方が落ち着いた性格をしていても、それは前世と、もしかしたら今世のあれこれのせいだ。平和な時代に修羅場を潜ったことのない子どもでは到底太刀打ちできない。
少し気になるな、とリエンは内心で一人ごちた。レナはいつかこの城に来ると宣言しつつも己の出自には一切触れなかったから、戸籍などは知らないが、本人は縁を切っているつもりなのだろう。何しろハロルドという例がある。
しかし、それでもやはり世間的な問題が発生する可能性もあるわけで。
待っていると、その少年の名前が呼ばれた。家名を聞けばウェズより南方の領の小身貴族だ。こんな場でない限り登城できる身分ではないし、この城に鳴り響くような実力者が一族にいるとも聞かない。こっそりほっとした。念のため、後でキーランの分と一緒に一応戸籍を調べてみるが。
……前世の怜奈とそっくり同じ顔のレナ。そのレナと似た顔の人たちが、この世界にいる。それを考えるとなんとも不思議だった。血縁を示すはずの顔相の相似が、世界を跨いでもいいものか。
ナオの血縁も、顔が似ているのだろう。
あいにくと、私は奈積の容姿は全く引き継がなかったけれど、なぜなんだろうか。仲間はずれ?
リエンがお披露目で気にかけた(直後に解消された)のはその一件だけだった。今年は公爵位の子どももおらず、目立って優秀そうな子どももいない。「特典」も至って控えめなものばかりで代わり映えもしないらしく、大人たちは淡々と流していったのだ。
全員のお披露目が終わると、会食に動き出す。玉座の間から一段ランクが下がった大広間への移動だ。
王族一家はここで引き上げて会食には参加しない。が、その前に子どもたちを一言寿ぐことが好ましい。国王は既に特典を与える形で祝っているので、あとは王子王女だけだ。
二人が立ち上がると、国王とベリオルを除いた玉座の間の全員が一斉に礼をとった。ある意味壮観だ。ヴィオレットが片手を振ると、ベリオルが代弁するように「許す」と告げ、全員が顔を上げる。
「君たちのこれからがより良いものであるように」
「あなたたちの織り成す未来に祝福を」
階下の最も上座にいたハロルドは、こっそり笑いを噛み殺していた。お二方、言うことが全く同じだ。
こういうところに変な意図を混ぜたりしないのがお二方の美点だ。生い立ちも性格も背中を向けあっているのに、芯はよく似通っておられる。
たったの短い一言。されど一言。
まして式典が始まってからようやく立ち上がった二人は、照明の元に輝きを増す宝石を縫い付けた衣装のお陰で神々しさを増し、超然とした雰囲気すら漂わせていた。
(宮廷絵画師も呼べば絵に収めてくれたかもしれないのに、惜しいなぁ)
ハロルドもベリオルの本気と王子王女の素質を見誤ったということだろう。いや、主役は子どもたちのはずだったんだから、ここまでやらせるとは思わないじゃないか……と負け惜しみを呟きつつ、舞台の袖に退出していく主人たちを見送った。
壇上に上げていた視線を、ふいと周囲に向ける。寿ぎから静まり返っていた広間にもそろそろと音が戻りはじめていた。そんな中、大臣や他の貴族たちの顔をさりげなく確認していき、数人変な顔をしているのを頭に叩き込む。中でもその一人は、あえて王女さまには知らせず呼び出して王都に滞在させていた人物だった。
なにか思案げに、主君らの消えたその出口を見つめている。なにが、彼の琴線に引っかかったのか。
(――アイゼ侯爵)
子どもたちの門出を祝う場に変な意図を混ぜ合わせて網を張るのは汚い大人の仕事である。
牽制には充分になったのではないだろうか。
……いや、あの方たちが全くの純真な思いだけで出席したわけではないのも分かっている。姉弟揃って髪に編み込んでいた、銀に煌めく綾紐。加えて王女さまには緑、王子さまには青がアクセントを加えていた。リボンを編み込むのはよく見られるが、それより細いし男性の髪に編み込まれているのを見たのは初めてだ。しかしよく似合っていた。下手をするとこれから流行りを生むかもしれない。
それにさらに追加の懸念。
(どうも、最近弟子にしてるあの子の髪紐が彷彿とさせられるんだけど……気のせいかな……)
☆☆☆
リエンが自分につけ弟にもガルダの分を貸してつけさせたのは、ユーフェの故郷で村長に貰った綾紐だった。
遊び心が三割、神聖王国に向けた挑発が五割、あとはそういう気分だっただけだ。
挑発といっても、お披露目会場に、関わりが深そうなアイゼ侯爵がいたことも知らないので、誰か知っている人がいればいいかな、もしくは、多少は奇をてらったのだから社交界で話題になってくれたら、綾紐の出所にまで目が向けられるだろうという計算もある。
流行ってくれたら神聖王国に到達するまでの時間が短縮される。そのあとどう動くかが勝負だ。
「という意図がありまして。ありがとう、ヴィー、手伝ってくれて」
「先に言っててよ、もう……。ベリオルさまの衣装と合っててたまたま運が良かったんだよ」
「私はさすがに少しアレンジしちゃったわ。そっちはむしろ、よくそのままであんな出来にまとめられたものね」
「ナキアの腕がいいんだよ」
二人部屋に戻って各自着替え、居間で楽な服装になって寛いでいた。アルビオン領の夜会で体調を崩した翌日に会った弟の何かが吹っ切れた様子は、今もそのままになっている様子だった。お茶を用意してくれるナキアにヴィーは笑みを含んだ目線を向けた。
そこに遅い昼食を持ってくるはずだったワルターが「陛下がお呼びです」と伝えてきて、食事は人払いされた広い応接室でとられることになった。
「それで、そなたはどう出るつもりだ」
こちらは既にお見通しどころかめちゃくちゃ警戒していた。紐の存在にさえ気づけば恐らくベリオルたちも思いつくだろう。
「…………出たとこ勝負!」
「元気よく言うなたわけ」
「リィ……」
カラトリーを扱いつつ、白けた視線が二人分突き刺さってもリエンは気にしない。
「だって、諦めるかどうかわからないもん」
「『もん』って……。リィはどのくらいあり得ると思ってるの?」
「七割、また手を出してくるだろうね」
「その心は」
「さらに挑発するから……っていうのは冗談だからそんなに睨まないでよ。シュバルツのことはよく分からないけど、神聖王国は、私が『巫』であることが目的の前提だとして、その疑いは多分まだ晴れていないのよ」
「なぜそう言い切れる」
「だって、」
リエンは不意に言葉を切った。直感だけで余計なことを滑らせてしまうところだった、と口をつぐんで、だってと言い直す。
「リィ?」
「……私が毒殺されかけたのにユゥは城に置きっぱなしだし、その事件すら公表していない。さらに元気にお披露目に顔も出したしね。様子見くらいは送り出すだろうし、多分反応を見るためにも様子見じゃすまなくなる」
「リィ、それは」
腰を浮かしたヴィーを、王さまが片手で制した。
「次は正面からではないと難しいだろうな。一度そなたの侍女以外は一掃した上での偵察だ。裏を掻くつもりで潰されたのだ、次同じことをすればどうなるか、向こうもわかっているだろう」
「うん、今度は私も証拠掴もうと思ってるから、いくらでも外交圧力かけて構わないよ。だからヴィー、落ち着いて」
「だからたわけと言っている。二度と懐に入れる真似はするな。見つけたら即報告。よいな」
「えー」
「謹慎期間を伸ばしてもよいが?」
「えー……」
「……エルサに旅の顛末をばらしてもよいのだぞ?」
「わ、わかった、わかりました。下手なことはしません!だからばらさないでよ!いい!?」
「なぜこちらの方が念を押されているのだろうな」
「……リィ、また何をやらかしたの?行程は予定通りだったよね?」
「あはははは」
「棒読みになっておるぞ」
その食後のお茶の時間にベリオルが訪ねてきて、リエンを見た途端に気まずそうな顔になった。
リエンは察しよく紅茶を飲み干した。
「席を外した方がいいなら外すけど」
「すまん、頼む」
「ベリオルさま?」
素直に席を立ったリエンを見たヴィオレットの方が面食らった。この大人たちにとってリィと自分の比重は前者に片寄っているし、反対に自分に聞かせていい話でリィに聞かせてはいけない話というものが想像できなかったのだ。
リィが平然と退出しようとしている姿に、変な焦りすら覚えた。
「ベ、ベリオルさま、一体どんな案件ですか?」
「どんなって……王子の出した議案の大筋が通ったっていうのと、財務長官と学園長が面談を要請したっていう報告だよ。忘れたわけじゃないだろ」
「ほお、あれだけ荒い提案書が通ったか」
「あ、荒いって父上、それならそうと言ってくだされば」
「実行するとなればそこで突き上げられるだろう。心しておくことだな、ヴィオレット」
なんだかもの凄くそれっぽい会話してる、とリエンは小さく笑いながら部屋を出ようとしていた。政策提案をするなんて、ヴィーもかなり成長したのではないだろうか。ただ、これだけの用件なら、なぜベリオルは私を退出させようとしたのか――……。
「……でも、後宮の取り壊しに対する反発がなかったのはぼくも驚きです。しかも取り壊してやることがやることだし」
「王子!」
「――え?」
思わず振り返ると、ベリオルのあからさまにしまったという顔が目に入った。王さまはしらっとした顔で、ヴィーだけがきょとんとしている。本人に口を滑らせた自覚もなければ、そもそも秘匿しておく意味すら理解していない。
リエンだって、あの最悪最低な場所に思い入れはない。
旅に出るまではそうだったから、これまで後宮の処遇を傍観していたのだ。王さまたちもヴィーもその認識でいたはずで。
しかし、今は。なんとなく聞き捨てならないと思ってしまった。
「……なくなるの、あそこ」
「え、うん、そうだけど……え?知らなかったの?」
ヴィオレットは一気に青ざめた姉の顔にようやく何かがあることを察したが、遅かった。大人たちを振り返るが、彼らも憚ったわりにはあまり確信を持っていたわけではなかったように、お互いに顔を見合わせている。……何があったのだろうかと。
(……後宮が、なくなる。取り壊される……)
リエンの心の奥底で、軋むような音が響いた。
それは悲鳴だった。歓喜ではなく。
目が眩むような痛みが体の芯を強い衝撃と共に揺さぶり、実際に視界が明滅した。
奈積の視点がかつて映した、暗がりに傷だらけで泣きじゃくる女の子が、瞼の奥に現れた。
目の前に現れた自分自身に、誰かが助けてくれたと勘違いした、愚かで哀れな幼女。
――ああ。
「リエン」が、なかったことにされようとしている……。
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