孤独な王女

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一旦立ち止まって振り返る

消えぬ烙印①

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 手が空いてる人間なら久しぶりに帰ってきた息子だろうと使う。
 それがイウターナの信念というか、働き者の性格を示しているように思えた。大勢の男を客室に通したが、そのくせ全員客ではない。貧乏とまではいかないが、平民に毛が生えたくらいの財産しか持っていないザルム家に彼らを遊ばせておく余裕はどこにもない。
 イゼッタの抱えていた洗濯かごもそういうことである。むしろ、無頼な男たちに見えてちゃんと言われたことに反発せずに働くので、イウターナは内心で高得点までつけていた。今晩はご馳走にして、明日に旅立つという男たちの道行きの餞別にしようとしていたら、息子一行の到着だ。しかも大怪我人つき。
 てきぱきと客室の寝台に寝かせたナオの具合を確認し、骨折の処置もやり直すイウターナは、口も止めなかった。

「あなたたち、知り合いだったのね」
「昨日の雨ではぐれたんだ」

 もっぱら対応はガルダだ。これは周りが譲った結果だ。親子水入らずの会話を楽しんでもらうためで、断じて先ほどの気迫に呑まれて怯えたからではない。

「骨折もその時に?」
「ああ。セザールの崖から落ちて」
「あんなところから!?よくこれだけで済んだものねぇ。痛かったでしょう、爪まで剥げて」
「……そうでもない、葉がついた木が多かったから、いい緩衝材になった」
「それにしてもよ。あら、傷は塞がってるのね。――ねえ、あなた」
「リィだよ」
「そう、リィちゃん。あなたの使ったお薬、全部見せてもらっていいかしら?」
「ど、どうぞ」

 さっと薬袋ごと進呈したリエンはすぐにガルダの後ろに戻った。ちゃん付けの衝撃が意外にものすごかった。イウターナは気づかずに巾着を覗いて中身を一つ一つ取り出し……あるところでくすりと笑った。

「あら、これ。見覚えがあるわ」

 もてあそぶ金属性の容器を見て、リエンはぎょっとした。紛れもない、あれはヒュレム特製即死薬だ。慌ててガルダを見上げるとやれやれといった顔で、驚いている様子ではない。

「世間は狭いというか、よくも巡り会ったものねぇ」

 イウターナはそれだけ言ってその容器に興味を失くしたように巾着に戻し、残り少ない傷薬や痛み止めの薬を見つけて匂いを嗅いだり少し舐めたり手に取って感触を確かめていた。
 また微笑したイウターナは、てきぱきとナオに包帯を巻き、新しい服を着せて診察を終えた。元の衣服は今日もまた雨滴や泥に汚れたので洗濯だ。他の人間ならともかく、怪我人に不潔な服を着せておくわけにはいかない。仕事が多いわね、と一息ついたイウターナに、ガルダが声をかけた。

「……アルナ殿はいらっしゃらないのか」
「今は領都に出向いてるわ。あなたにとっては運が良かったのかしら。丁度昨日の朝に出かけたから、後二日は帰ってこれないわよ」
「…………そうですか」
「ナオ君、痛み止めをあげるから、眠いなら寝ておきなさい。あなたたちからはもう一度事情を聞いていいかしら?そのあとは晩ごはんまで隣の部屋の人たちと団欒していていいから。ああ、ルディは駄目よ。あなたには他に聞いておきたいことがたくさんあるの」
「ザ、ザルム夫人、ご厚意はありがたく受け取りたいが……大所帯だろう。ナオ以外は怪我などしていないし、何か、仕事を与えてくれれば働きたいと思う」

「ナオ君」の衝撃に震えるキーランより数枚上手のバルトは平然と願い出てみたが、やはり若干声が震えているのはナオの気のせいではないだろう。はじめの声は裏返っていたし。強面でも誤魔化せないものはある。リエンまでこっそり噴き出したくらいだ。くそリィちゃんめ。
 そんな微妙な空気に気づかず、イウターナは迷うそぶりもなく、あら助かるわと笑った。

「あなたたち、お昼は食べた?隣の部屋の人たちにあげた分が少し残ってるのよ。それから、手伝うならこの家に関してはルディに任せるからいいわ。できるなら、村の方に回ってくれないかしら。最近村中が忙しくて、手が回ってないのよね。隣の人たちも午前はそうしてたから、一緒に動けば大丈夫よ。――いつまで滞在するつもりかしら?」
「あいつらはなんと?」
「明日の朝、足元が乾いたら帰るとは言ってたわね。でも、あなたたちの場合、ナオ君がいるでしょう。今無理に移動して怪我が悪化しても困るわ」
「……大丈夫、帰る」
「ナオ君。骨折を甘く見てはいけないわよ。走れなくなったらどうするの」
「そうだぞ、ナオ。世話になるのを嫌がるのもいいが、無茶だけはするな。いつも言ってるだろう」
「だけどよ、あまりあそこを空けちゃいけないだろ」
「それなら、バルトさまたちは帰って、おれがナオの介護に残るってのはどう?奥さま、ナオの怪我が治るまでおれも置いてもらっていいですか?もちろんちゃんと働きます」
「キーラン!」
「構わないわよ。だけど、まあ、そこはまだ明日まで時間があるのだし、今すぐに決めなくてもいいわ」

 じゃあご飯取ってくるわ、と身軽に部屋を出ていったイウターナにガルダが慌てて手伝いに行き、呼ばれてもないのに勝手に人様の家をうろちょろすることがためらわれたリエンはその場に残った。
 そこで、勢いよく振り返ったのは、バルトが独り言のように呟いた言葉があったからだった。

「――ナオ、お前、アネスに耐性がついてるのはなぜだ」

 冷たく強い声だった。アネス――この世界で麻酔代わりになる薬草だ。他にも薬効を調整し体に馴染みやすくするためにいくつか薬草を混ぜて作られたのが、リエンが持っていた痛み止めだ。

「……別に、大した理由じゃねえよ」
「『大した理由じゃない』?馬鹿を抜かすな。耐性ができるほどに麻痺薬アネスを多量摂取した事態が、本当に軽く済むのか?」
「…………」
「あまり人の過去を掘り返すのはおれの趣味じゃないんだが、そうも言ってられん。前に馬泥棒を働いたときも、薬を飲ませたのにサナの予想を裏切って数時間で目覚めていたな。お前、フリーセアで……シュバルツで、か?一体何をされた」
「…………昔の話だよ」

 ナオの顔が歪んでいたのは、薬効が切れて痛みがぶり返してきたからだろう。キーランが黙って用意されていた水差しから、ナオに水を与えてやった。リエンもまたひたすら黙って、ひっそりと、しかし食い入るように彼らの様子を見守っていた。

「昔の話で全て済ませるな。時たま異様に動きが冴えるのは薬漬けにされたからか」
「それは自前だよ。……シュバルツから売られるときに散々暴れて周りの連中をぶっ倒した後から、フリーセアで一年くらい経つまでの記憶は、正直ないけど」

 思い出すも忌々しいフリーセアでの日常に、瞬きをしたナオの目に炭液タールのようなどろりとした瞋恚が灯る。数日前にリエンに向けたものとは種類が違う――かつてのリエンが瞳に燃やした炎と同種のものだった。
 バルトもキーランも初めて目にする、濃密な殺意と絶望混じりの憤怒だった。

「廃人じゃつまんねぇって、店に買われた後は、薬を抜かれてたらしいけどな、移送中にたっっぷり飲まされたらしい。……ようやく意識がはっきりしたって思ったら、折檻の真っ最中だったのは最悪だったけどな。どうやら、廃人だった期間も働かされるのは働かされてたらしい。アネスもその時に使われたんだろ」

 その後数年かけて、虐げられる最中にその目を掻い潜るように体力を取り戻し、思考を取り戻し、人間らしさを取り戻して――フリーセアでも指折りのその店を文字通りに叩き潰して、追われる前にジヴェルナに逃げ込んだわけだ。そこでセーレに助けてもらい、南から東を放浪し、途中途中で数多の小さな出会いや大きな裏切りを経験しつつ、ウェズまで辿り着いた。
 奈積の魂を持つ娘と玲奈の魂を持つ少年に、これまでで一番居心地のいいあの場所で出会うことになるとは――奇縁というか運命的だというか。

 ナオがふと思い出して大人しかった王女を見てみると、やはり血生臭い話だと思っている節はなく、かといってナオに同情しているわけでもない顔をしていた。ならばキーランやバルトのように怒りや痛みを感じている様子でもない。それでは無かといえば、そうでもない――不思議な微笑を浮かべていた。
 気味悪さよりも懐かしさが胸に迫って、目を逸らした。
 いつも奈音が土壇場で奈積を助ける時、奈積が一瞬だけ見せる色だった。
 気が狂うほどの痛みを受けて、でも、ナオがそれだけで済ませたわけがない――それを自分のことのように確信している。安堵か期待が一番近いか。
 言外に滲ませたわけでもないナオの復讐の決意やその結末まで、同じように察したらしい。だからこその微笑。

(……もしかしたら)

 詳しくは知らないが、かつて抹消された王妃に虐げられたというこのお姫さまも、同じ経験をしたのかもしれない――そう思った。
 復讐、という点にわずかに疑問が残るが。あの女には自分のためという意識が欠如していたので、なおさら。

「……心配すんなよ、バルト。このおれが、やられたままのわけがねえだろ?」
「……お前、この際しっかり医者に診てもらえ。いいな」
「なんでそこに話が行くんだよ」
「ひどい顔色だからだ、馬鹿者め。不用意に質問したおれも悪かったが……。せいぜいここで沢山甘やかされておけ。今のお前にはうちのチビ共も近づけられん。キーラン、頼むぞ」
「りょーかいです!」
「だから勝手に決めるなってのに!」
「重傷人が大騒ぎするんじゃないの!」

 ナオの抗議は乱入したイウターナによって掻き消された。その後ろで湯気の立つ器を載せた木のトレーを持っているガルダがいた。遠目に見ても、ナオの顔は仮面舞踏会が終わった後の主のように憔悴し青ざめているので、眉をそっとひそめる。
 イウターナだけはそんな顔色を無視し、寝台とナオの背中の隙間に布を詰め込み、骨折に障らないように上体を起こさせた上で吐き気がないかだけ尋ねた。
 ないと返事が得られたら、ガルダから器を一つと匙を一つ受け取り、器に盛られたシチューをナオの口に持っていった。

「吐き気がないなら食べなさい。アネスは効かないようだから別の薬を処方します。それにも耐性があるようでも夜まで寝られるようにするから、今のうちにお腹を満たしておくのよ」
「…………」
「返事は」
「……わかった」
「よろしい」

 イウターナはにこりともせず、渋々と口を開いたナオの舌の上にそっと匙を載せた。ガルダと違い反応がないので、まさか話を聞かれたのかもしれないと警戒されるように睨まれても、やはり黙殺したままで。

 それ以降、配られた少ない昼食を全員が完食するまで、ぶなの部屋には軽くはない沈黙が落ちた。



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