孤独な王女

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一旦立ち止まって振り返る

誘拐③

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 ナキアは夕方頃には異常を察知していた。姫が約束した休暇の時間を過ぎても、その従者も合わせて、宿のある街にまだ戻ってきていなかったからだ。
 あの方は、かなり奔放なようでいながら――事実その通りだが――、約束は必ず守る人だ。近衛たちも戸惑っており、勇気ある一人がナキアの元まで尋ねてきた。しかし、ナキアも事態を理解できているわけではない。
 それどころか、「影」にとって、こういう命令の枠に収まらない異変は対処に余るものだった。最近ヴィオレットたちを中心に接してきて、その精神の縛りから脱却しつつあったナキアも、まだまだだ。しばらくそうして悩んだ果てに、ナキアは決心した。近衛たちが集まる大部屋に向かい、高らかに言った。

「二人、私と共について来て下さい」
「どこへ向かわれますか」
「殿下は元馬泥棒のところへ行くと言っていました。それが正しければ、ひとつ前の街です。残りの方たちは殿下の部屋の警護と留守を頼みます。なるべくいないと悟られないように」
「了解」
「ならば、馬を一つ用意しておきましょう。不測のことがあれば、全員に足があるのとないのでは差が出ます」
「ありがとうございます」

 自分で考えることが苦手な「影」のナキアは本当にありがたい助言をもらって、わずかにほっとした。とはいえ、あくまでも侍女であるナキアに馬術の腕を聞かずとも馬を用意する時点で、近衛の彼らの馴染み具合がわかるというものだった。部屋の奥で、若い騎士が、あの、とおどけたように挙手をした。

「大々的に探した方がいいのでは……」
「殿下は男装して出ていかれたので、見つけたときに目立つ真似はあまり……」
「ですが、最後の手段として考えてはおくべきでしょうね。その辺りも含めて様子を見てきましょう。街へ行って状況を把握しだい、殿下たちと帰るのではなく、一人、先触れとしてこちらへ寄越します。――誰が同行されますか」
「この中で馬術といえば――アズワント。あとサーザキア、お前身軽だろう。用意しろ」
「はっ」
「了解しました」
「お待ちください。お二人とも、平服でお願いします。私たちのこの格好では必要以上に目立ちすぎます」
「了解!」

 そうして、三人は暮れなずむ街を傭兵の身なりで飛び出したのだった。

















「うわっちゃあ……」

 ナオは二人が拐われたとおぼしき場所に辿り着いて早々、そんな奇声を発していた。全身の痛みに呻きながらしゃがみこんで、何かを見つけて、ますます頭を抱えている。

「……相手は馬。ただし数人、ここで引きずりおとされたな。これをやるとしたらあの馬鹿女だろ、まあ派手にやったもんだ」

 ナオの声は変な風にくぐもっていた。呂律も少々おかしい。「赤毛の悪魔」に殴られた左頬がぷっくりと腫れはじめているからだ。
 隣に立つガルダも、ナオの見つめる痕跡を確認した。入り乱れる足跡、この辺りだけ不自然にめり込んだりやめくれあがった土が多い。往来の多い街道とはいえ、端の方がこんなに荒れているのは尋常ではなかった。

「よくわかるね、ナオ」

 感心しているのはキーランだ。彼は元々、レナとリィを門塀の手前で見つけて、門まで迂回して街を出て追いかけたのだ。そこで二人に襲いかかる集団を見て、加勢を呼びに裏町へ戻り、仲間を引き連れて来た――その時には、二人とも既に拐われたあとだったのだ。常に陽気なキーランも、このときばかりは罪悪感で表情が暗くなっていた。

「ごめん。おれ一人でも加勢すればよかったんだ。意気地なくって……」
「キーラン、お前はつい最近に死ぬ覚悟まで決めたことがあるだろうが。意気地なしなわけがない。敵わないと思ったんだろ、そいつらに。どんな様子だったんだ。馬持ちで、武器は剣か、槍か?盾なんかは?なんでお前は一人じゃ追い払えないと思ったんだ」

 ナオの不器用な慰めに、キーランは目をぱちくりとしたあと、考え込む顔になった。

「……武器は剣だった。傭兵みたいな身軽な出で立ちで、でもって十人規模で、馬に乗ってたけど確かに止めようと思えば……いや、駄目だ。なんか、手出しすると怖いと思ったんだ」
「怖い?」
「なんだろ、あの女の子がぶちギレてたのはあるんだけど、相手――馬を止められる気がしなかった。まっすぐ、固くて鋭くて、一人倒しても意味がない……」
「ばらばらではなく、団体でまとまっていたのか」
「そうそれ!そうだ!密度!」

 ガルダの呟いた言葉にキーランが手を打った。

「あいつら、十人って感じじゃなかった。ひとまとまりで、最後の一人が倒れるまで、どこまでも突破していく感じ。ぎゅっと硬い矛みたいな」
「お前、もっとまともな言葉を使えよ」
「だってうまい例えが出てこない。傭兵じゃないんだ。あいつらは利得で簡単に手のひら返すだろ。生きてればいいから。でもあの連中は違う。死んでも目的を果たすひたむきさって言うの?」
「……なんか嫌な予感がしてきたぞ。旦那、あんた、心当たりあるんじゃないか」
「……傭兵ではなく、烏合の衆ではなく、ひとまとまり。つまり、統制がとれているということか」

 ガルダはずっと、無表情だった。左手は常に大剣の柄を握っており、実はキーランは、いつ自分が斬られるかと戦々恐々としている。ナオはけろりとしてそんな彼にのしかかりまでしていた。強い。
 深い翳りを持つ紺色の瞳にも、目を合わせられなくてキーランはナオにばかり向いていたというのに、今、キーランはその目にじっと見つめられている。ぞっと背中に冷や汗を流しながら、かくかくと頷いた。

「と、とうせい。うん、そう、統制。そう」
「おれはどっかの貴族とかの仕業だと思うんだけどよ。旦那は?」
「その線だろうな。兵士か騎士か、だ」

 二人はさらりとそう言い、キーランだけぎょっとした。兵士――確かに、そんな感じの、まとまり。でも、その意味は――。

「そ、んなの、なんで貴族があの二人を!?」
「さあな」

 ナオは立ち上がって膝の汚れを払いながら言った。

「数人倒されても諦めずにかっさらったってことは、理由は目立つからってだけじゃないな。ウェズならあの馬鹿女に事業一つ潰されたから、恨むのはあるだろうが……そんなにみみっちかったら、バルトが大人しくここで裏町を支配できていたわけがない。――他領か、つっても、女はともかくレナを欲しがる理由がなー……それとも逆か?レナを欲しがるついでにあの女を……?」
「ナオ、お前はあの少年に、石打を教えたと言っていたな。棒術は教えたのか」
「は?いんや、おれは少なくとも教えてないけど、なんで?」
「お前と、リィ、が、喧嘩していた時、飛び火を棒で全て払い落としていた。ずいぶんと慣れた手つきだったが。反応もよかったように思える。あの少年、実はかなり使んじゃないか」

 ナオとキーランは、あの可愛い弟分とは似ても似つかぬことをあげつらわれて絶句していたが、ガルダの最後の言葉には、信じられないにしても一つの可能性が示唆されていることに気づいた。

「――じゃあ、なんだ。戦力?」
「少なくとも、女の子はナオと互角に戦えたんだよね……?確かに魅力的ではあるのかな」
「腕が立つなら、相手も数人倒されたところで許容範囲だろう」

 ガルダは淡々と情報をまとめていった。足跡を今すぐ追わないのは、からだ。ガルダは裏社会に名前を知られていても、そこに詳しいわけではない。まとめた結果見えてくるものが本当に正しいのか、経験のなさのために慎重にならざるを得ない。そのためにナオとキーランに質問を投げかけ、二人の話を聞いていた。
 こうしてじっとできている自分を、心のどこかで熱く急かしている部分がある。逆に冷たくどっしりと凍えきっている部分もある。何度目か、深呼吸をし、剣を握る手を緩めた。
 冷たさと熱さを、大事に意識する。

 逸るな、しかし慎重になりすぎるな。大切なことを中心に据えて、絶対に見失うな。……では、その大切なものとは、一体何だ?
 もしそれが「そう」ならば……一旦手放してしまったものを、再び得ることなどできるのだろうか。

「旦那、おれらはバルトに確認に行くから裏町へ戻る。あんたは?王女さまを待たせてるんじゃないのか」

 ガルダは伏せていた目を上げ、そういえばそんな嘘をついていたな、と今さら思った。

「……おれもお前たちについていこう。捜索が先決だ」
「あっそ。それ、おれらが責任追及されたりする流れじゃないよな?」
「…………。さあな」
「……その沈黙怖いんだけど。断言してくれよちょっと、おい、おれたちなんもしてないんだぜ?」
「頂いた休みは日暮れまでだ。最悪、それまでに目処が立てば」
「日没ってあとちょっとじゃねーか!冬舐めんなよ!」
「またむちゃくちゃな怒り方してるよ……。なら、早く戻ろう。バルトさまなら、もう粗方掴んでいてもおかしくないし」

 キーランはようやく自信を取り戻したのか、はじめて強い眼差しをガルダに向けた。

「ナオが慰めてくれても、おれの責任は絶対に消えません。力を尽くします」

 ガルダはただ頷いた。

 そんなわけで裏町へ向かった三人を、バルトはキーランの言った通りに待ちかまえていた。
 キーランがバルトたちに誘拐を知らせたとき、連れていた加勢を捜索隊に様変えさせたのが功をそうしたらしい。彼らは隣の街まで向かい、足取りを確認して戻ってきたのだ。バルトはそれらの報告を聞いて、一つの確信を得ていた。

「キーラン、よくやった。お前の功績だ」
「そんな、おれは」
「遠慮すんなって、やっぱりお前は大した奴なんだよ」
「――『裏殺し』。あんたには悪いが、かなり厄介な事情が絡んでいるようだ」
「御託はいい。貴殿は、二人がどんな理由でどこに連れ去られたか、おれに教えるだけでいい。その事情とやらに、あの方は関係がないのだから」
「……じゃあ、表面的なことだけ伝えるが。相手は他国の密偵だ」

 どこかで聞いた話に、ガルダが眉を跳ね上げた。














☆☆☆

















「じゃあ、ここはカルスト領の原生林地帯なのね」
「……そう、なりますかね」
「フリーセアを経由してここまで入り込むなんて、シュバルツは直情径行の単純な人間ばかりだと思ってたけど、なるほどね。フリーセアまで逃げ込めば、あそこ身分証明もがばがばだし簡単に戸籍作れるらしいし、確かに孤児程度だったら追っかけない」
「……そうですね」
「挑発にも乗った様子はない、と。あなたは癖が強そうだな」
「…………あなたほどじゃないと思いますよ」
「そう?」

 リィは相変わらず半裸のまま男から情報を引き出していた。髪から水がぼたぼたと滴り、男の服を肩から腰までびっしょりと濡らしていっている。リィが体が冷えてぶるりと背筋を震わせると、男が慌てたような顔をした。

「か、風邪をお召しになられるのでは!先に着替えましょう」
「うるさい。そうだな……まだ隠してることありそうだし、縛るか」
「え」

 こうして、下着姿の少女に縛り上げられる壮年の男の図が出来上がったのである。傍から事情も知らぬ者が見ていれば間違いなく事案になっている。
 実際には、反射的に抵抗しかけた男の顎を短剣の柄で突き上げ、意識を朦朧とさせたところに畳み掛けただけなのだが。

 そうしてリィは手拭いを発見してそれで全身の水気をざっと拭き取り、いそいそと脱ぎ捨てていた服を着はじめていた。
 ようやく視界がまともになった男は、その背中をなんとも言えない顔で眺めたあと、地べたに転がりながら「あのー」と声をかけた。

「なに」
「そこに……新しい縄があったところのですね、あなたがただの布だと思って放り捨ててたやつ、新しい服ですよ」
「なんで?」
「なんで……真顔でそう来たか。いや、女の子なら都合がいいかと思ってですね……それにその服、傷みがひどかったし……この森に入る前に、数着購入したんです。なにが気に入るかなーと思い」
「…………」

 なぜそこだけ微妙に気が利いている。リィは呆れながらそちらへ向かい、女物だという服を手に取った。ついでに髪紐まではらりと落ち、謎な準備のよさに若干引いた。広げると、三着、村娘が着るようなシンプルなワンピースだったり、ちょっと裕福な商家の娘が着るようなシャツとスカートが別れていたり、最大の疑問はこの貴族か富豪向けの、無駄に蕭洒なドレススタイルの服だ。購入にあたり、どうとち狂ったんだと男を半目で見下ろすと、男はひきつった笑いで目を逸らしていた。
 リィはワンピースを選んだ。ついでにドレスの方についていた腰帯を剥ぎ取り、腰に巻きつけてベルト代わりにする。そこに、ズボンのポケットを漁くって発見した薬入れを、中身を確認しつつ吊り下げた。全部無事だったことが信じられない。男の短剣の鞘も剣帯ごと奪って巻きつけた。ブーツを履き直し、とんとんと調子を整えながら、濡れた髪をうなじの辺りでまとめる。櫛がないので荒れているが、諦めるしかない。

 そうして、「リィ」は「リエン」になった。

 男装と女装で意識が切り替わったのか、妙に姿勢が整い、男を振り返る仕草も、先ほどまでの奔放な雰囲気は消えている。
 男は気づいた。その長い髪が、ほとんど揺れていないことに。手の先から髪の端まで神経が通ったように無駄な動きという動きが消え、まるで髪色の煌めきや服の裾の躍り方まで全て合わせて繊細なガラス細工のように、ある種の迫力を醸している。力強い目の光だけが、変わらずにあるもの。
 エルサ仕込みの王女像は、をやり遂げる豪胆な男をして、恐怖に似た感情を思い起こさせるほどに、高貴な淑女に仕立て上げられていた。

(これが……「妖精姫」……)

 残っていたほんのわずかな疑念は霧散し、喉の奥から畏怖がせり上がってくる。それを必死で飲み下し、納得を強くした。普通、王女が男装とか大の男を何人も馬から引き摺り落とすとか年の近い少年と掴み合いの大喧嘩をするとか、ありえない。
 しかし、この姫ならば「あり得る」のだ。まるで人格から入れ替わったように――そう思わせるほど、王女の印象と少年の印象がかけ離れて強すぎるために。

「なに、その間抜けな顔」

 しかし、リエンはどこまでも無意識なのだった。凝然と見上げる男を不審者を見るような目で(今さら)見下ろし、まあいいけど、とあまり待たずに呟いた。

「それで、さっさと説明してもらいましょうか。私たちを誘拐してシュバルツの手綱をつけたいのはわかったけど、シュバルツの誰が命じた?それから、あなたの持ってる薬は一体誰のもので、あなたは本当にシュバルツの人間なのか。――なぜ、王女わたしを警戒した」














 聞き出すだけ聞き出したあと、リエンは脅しに使った短剣をしまい、やにわに立ち上がった。男は行かれるのですか、と思わず問いかけていた。

「この髪色だとアルビオンのゆかりだと丸わかりだから、殺される道しかないわよ。あなたはここで私に倒されたことにした方が都合がいいでしょう」
「え、おれこのままですか?」
、頑張ってね」

 全部わかった上でにっこりと微笑むリエンに、男はひたすら顔をひきつらせた。怒ってる……そりゃ当然だけども、なんか別の怒りの方が強く見える気がする。
 そこに急に猿ぐつわを噛まされ、男はリエンの顔を情けない顔で仰いだ。
 同時に、予感は確信に変わった。

「八つ当たり、全員にできるなんて嬉しいわ」

 高貴なる女性にかかっては、うっそりとした嗜虐の笑みさえも至高の美しさだった。

     
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