孤独な王女

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王女殿下の編入準備②

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 根本的な話としては、半年前、建国記念式典の直後に遡る。



 その日、姉弟はのどかな夏空に誘われて四阿でゆっくりと冷茶を楽しんでいた。同席者はお互いの護衛のみで、侍女もいない。なぜなら閉鎖された後宮の片隅だからだ。式典の翌日とあって、まだまだ城内――特に外宮には人の姿が多すぎたので、避難所代わりである。
 そこで、おもむろにリエンは告げた。

「ヴィー、あなた学校行きなさい」
「えええー?」
「友だちいないでしょ。作ってくるの」

 王になるなら信頼と人脈は必須だ。ただえさえ地盤が危ういのだ、ヴィーを支える人間は必要不可欠なのに、昨日までの建国記念式典で露になったのは、これまであった絶大な盾が吹き飛ばされて無防備に善意にも悪意にも晒される姿。

「ティオリアがいるもの」
「滅相もございません。私は護衛です」
「って、あなたの『お友だち』は言ってるけど?」
「ティオ……」

 ジト目を顔を背けて回避しながら、一線を引いたティオリアに不満の色はない。……本当にいい護衛だとリエンは口端を綻ばせた。

「ヴィー。王になる人がたった一人の味方だけでいいと思う?」
「……リィがいるもん」

 その拗ねた口調にほろ苦く笑った。必要とされることは嬉しい。でもそれだけでは駄目なのだと、わかってもらわなくては。

「……私がそばにいる間は、それでいいんだけどね。何も、一番の席を用意しろってわけじゃないの。あなたは世界を広げないと」

 瞬間、のどかな世界が凍りついたことに、元凶だけが気づかなかった。

「…………リィ、まさか」
「へ?」

 なぜだか急に弟が青ざめた。……そんな要素あったか?とか思っていたら、ヴィーが勢いよく立ち上がって、肩を掴んできた。

「だ、誰!?リィどこに行くの!?バール!?オルテンブルク!?めぼしい人たち皆昨日近寄らないように排除してたのに!?あっ貴族じゃなかったり!?!?」
「ちょ、っと、待っ……待ちなさいバカヴィー!!」
「ぴっ」

 頭上にずびしとチョップを落とすと、揺さぶりが止まった。慌てて手をぴっぺがして荒く呼吸をする。あ……危なかった。吐くかと思った。
 ぜはぜはと息をついていると、ティオリアがなみなみとお茶を注いだティーカップを差し出してきた。非難がましい目付きで。……なぜに?

「そんな話全くないなと思ってたら……事前に手を打ってたのか」

 ガルダは苦笑いで呟いている。

「え、な、何?」
「……リィ、どこと婚約成立したの?ぼく何も聞いてないんだけど」
「…………は?」

 ちょっと待て。どうしてヴィーの友だちの話が私の婚約に?
 同じように冷茶を飲んで落ち着きを取り戻したヴィーは、怒らないから言ってごらんと天使の微笑み(威圧付き)でいる。ぽかんとしていると、攻めかたを変えたのか瞳が和んだ。どこかほっとしたような顔である。

「よかった。まだ婚約はしてないんだね?どこの誰?ちょっと弟として挨拶してかなきゃ」
「お供します殿下」

 さらっとティオリアが便乗しているが、待ってくれ。全然話が飲み込めないんだが。ついでにガルダからも妙な殺気が漏れ出ている。びくりと振り返ると、とてもいい笑顔で「なにか?」と問われた。笑ってるけど笑ってない。目が殺る気だ。誰をだ。

「リィ?」
「……いやいや待って待って。ほんとに意味がわからない」
「質問に答えてね?リィ、好きな人誰?」
「…………はっ?」
「嘘とかごまかしはなしだよ?ご挨拶に行かないといけないんだから。で、誰?」
「いや、え、それ、恋人的な意味の……?」
「他に何かあるっけ?」
「知らないよ!?」

 自分の言葉を振り返ってみる。特にそれらしいことは言わなかった気がする。というか言うわけがないだろう。そんな事実はどこにも存在してない。

「……ヴィー?ごめん、全く訳がわからない。なんでその考えに行き着いたの?」
「リィが言った。ぼくのそばからいなくなるんでしょ?」
「………………」

 短絡的すぎないかという言葉はどうにか飲み込んだ。ティオリアもガルダも黙っているからだ。……この人たちも真に受けたな?

「……あのね?この際言っとくけど、私、いつか城から出るからね?もちろん結婚以外で」
「それどうやって出るの。王女なのに」
「そこはまあ色々と手段を講じて」
「……いなくなるの?」
「そうよ」

 リエンは躊躇なく言い切った。まだ未定よ、と付け足したのはまた弟が暴走するのが怖かったからだ。

「こほん。それよりあなたの友だちの話よ。学園に行きなさい」
「めんどくさいよ今さら」
「正直すぎるわ」
「じゃあ、学ぶのに必要なことはお城でできてるから、わざわざ編入する意味はないよ」
「友だち作れって言ってるでしょ」
「リィ、友だちはね、作ろうとしてできるものじゃないんだ。ふと気づいたらできてるものなんだよ!」
「全速力で後ろ向きなことを胸を張って言わない。……わかったわ、友だちじゃなくてもいいから、あなたの視野を広げるためにも、一定以上の関わりは持つことが必要なのよ」
「パーティーに出てるもの」
「同年代の子と親しく話してる様子を見たことがないわね」
「あれは、だって、話が合わないんだもん……」

 拗ねたり胸を張ったり忙しい上に、最後は悄然と項垂れる様子に、リエンはさもありなんと思ってしまった。弟の不憫なところは、常に母親と行動しすぎておべっかごますりが駆使された挙げ句、気に入られたい一心の美辞麗句しかこれまで聞いたことがなかった点だ。昨日のパーティーで壁が取っ払われたものの、戸惑ったのはヴィーだけでなく周囲もだ。これまでのように持ち上げるメリットも曖昧になり、だからといってなんの話をしていいのかもわからず、無難にまた褒めるくらいしかできず、会話を膨らませることもできなかったのだ。
 立派な大人たちが無様なものだとリエンは内心でせせら笑っていたが、それに気づいた王さまに窘められた。

「そのためにも学園に行くべきよ」

 リエンは努めて優しく言った。

「あなたも本当はわかってるでしょう?」
「…………」

 そうしてしばらくうつむいている弟を黙って見守っていたが、ふと、変な呟きが聞こえた気がした。

「ヴィー?」
「リィは行かないの?」
「私?行く必要ないじゃない」
「ぼくにも友だちいないけど、リィだって友だち皆無だよね」
「必要ないもの」
「ぼくと同じこと言ってるってわかってる?」

 徐々に頭が持ち上がり、いつの間にかヴィオレットは爛々と光る目で姉を見つめていた。これにはリエンの方がたじろいだ。

「説得力ないよ」
「いや、私、だって王位継がないし」
「一国の王女さまに友だちが一人もいないって、どうなんだろうね」
「それなら潔く稀少種として君臨するわよ」
「全速力で後ろ向きに胸を張ってる」
「うぐ……」

 先ほどの台詞をそっくりそのまま返されたリエンは口ごもるしかない。

「リィが行くなら、ぼくも行くよ」
「……何で私が起点になるのよ」
「リィが言い出したから。……正直、ね、怖いから」
「怖い?」

 リエンはぱちりと瞬いた。弟をまじまじと見つめても、意外な念が消えることはない。……怖い?なにが?

「リィがいればまっすぐ立てると思うんだ」

 ヴィーは詳しい説明もせずそれだけだった。しかし、姉が大好きな弟として可愛げ満点の回答ではある。そこで、ふむ、とリエンは考えてみた。
 弟が味方を増やすための場所に対立候補の自分がいるのは問題だが、陰ながら見守り、フォローすることもできるかもしれない。何を怖がっているのかは知らないが、在籍するだけでいいなら、リエンが直接動かずともいいなら……デメリットは少ない、か?
 学園が全寮制なので少し不安には思っていたのだ。直に学園でヴィーがどう過ごしているのか目にできる点では、かなりのメリットではないだろうか……。

「……手助けなんてしないわよ?」
「わかってる」
「私がいることで余計な問題が出てくるかも知れないわよ?」
「それはそのときにぼくがちゃんと対処する。っていうかリィ自身が黙ってなさそうだよね……」
「言われてみればそうだわ」
「……なら、行ってくれる?一緒に」
「……考えてもいいわよ」

 ここで保険をかけたつもりのリエンだったが、弟はそんな姉の性格など把握しきっていた。すくっと勢いよく立ち上がり、不安な様子はどこへやら、「ティオ!」と元気よく名前を呼ぶ。

「今のリィの言葉聞いたよね!?」
「はい、勿論です」
「心変わりされる前に父上のところに行って外堀固めよう!」
「かしこまりました」

 絶妙な息の合い方である。
「あ、ここの片付けは人を呼ぶからリィがしなくていいからね」とだけ言い置いたヴィーは、ティオリアを連れ瞬く間にリエンの視界から消え去った。

 あまりの早業にリエンはしばし唖然としていたが……たっぷり十秒後、我に返った。

「王さまの所に行って牽制しないと!!」

 優雅さの欠片もなく飛び上がって駆け出していくリエンの背を、ガルダは楽々とついていった。
 ちなみに外宮に入ったとたん楚々とした足取りに変わったことでそのタイムラグが決定打になり、リエンは学園への編入を余儀なくされたのだった。












 その後初めて学園のことを詳しく知ったリエンは、己の情報不足を激しく悔やんだ。……いや、官僚科のことはベリオルやネフィルから小さい頃に聞いていて知っていたのだ。しかし、淑女科がいかに「お花畑」でむしろ害悪になりかねない危うい学科かということまでは、彼らは知らず、つまりリエンも知りようがなかったのだ。

 改めてハロルド経由で資料を取り寄せたところ、入学した貴族令嬢は必ず淑女科に在籍すると知り、軽い絶望感まで覚えたものである。学科の学修過程も、エルサと共に覗き込んで珍しく軽口を叩き合い、二人でお互いを慰めた。
 二人とも見解は一致していた。
 社交界に地位を築いているエルサが学園に通わなかったのもリエンの師匠である時点でお察しだ。波風を立てないようにと勝負心で淑女科に挑むのは英断ではなく無謀。何も生まないどころか汚点になりかねない。
 ならば前向きに汚点を長所に変えられる所にしよう、というわけで選んだのが官僚科だ。淑女らしからぬとても、優秀ならその優秀さをまっすぐに評価される学科なのは、リエンの母が証明したことだ。
 ちなみにそこまで話が着地するまでに、さっさと外枠を決めてしまった国王、王子、ついでに国王の第一の側近は、正座でエルサにこってり絞られていた。リエンは内心でもっとやれと応援した。

「す、すまない」

 そんな経緯を経た上での意味不明な編入試験である。一旦宥められたとはいえ、思い出すだけでへそがひん曲がる。
 父親と共に城に現れたリエンを出迎えたベリオルでさえ開口一番に謝罪したくらい、リエンは不機嫌絶好調だった。

「悪いとは思ってるんだね」

 盛大に皮肉り、ふんと鼻を鳴らす。

「それで?試験官はもう来たの?さっさと終わらせたいんだけど」

 荒々しい口調に、「妖精姫」と讃えられたような繊細さも儚さも存在しない。これが本性なんだよな、とベリオルは苦笑しては睨まれた。今ベリオルたちが立っているのは国王の私室などではなく、試験のために取った広い客室の前の廊下だった。当然行き交う人もいる。
 本当に、この姫は取り繕うのを止めたらしい。ベリオルはなんとなくほっとしたのだが、リエンは他人事だからそんな暢気なんだと半ば拗ねて半ば苛々している。

「で?どっちなの。晩餐前?後?」
「前だ。……もうこの部屋に勢揃いしてる。今すぐでも大丈夫か?」
「気遣いが今さらすぎる」

 リエンは正論を遠慮なく叩きつけて、後ろを振り返った。

「じゃ、ガルダ、ユゥ。解散。晩餐会終わるまで自由にしてて」
「そなたは今夜はここで休め。夜中に出歩くものではない」
「はあ?」

 一体誰のせいだとますます苛立ちが募るリエンだったが、アーノルドは怯まず、ベリオルやユーフェにもはや勇者を讃える目で見つめられながら、飄々と言ってのけた。

「タバサにも指示を出してある」
「……何が目的なの」
「人聞きの悪いことを言うな。少人数で離宮で暮らしている娘を心配しているだけだ」
「…………」

 ここで皮肉るか、と唇を噛みしめたリエンは「今さら父親面しないで」と言いかけて、咄嗟に口をつぐんだ。過去を嘆かないと決めたのは自分自身だった。

「……じゃあ、晩ごはんのあと、気晴らしに付き合ってよ。ベリオルも」
「うえ?」
「探せば冬でも蜥蜴はいるから」
「え、いやちょっと待て」
「ヴィーにも一匹捕まえてお土産にするから。みんななら晩ごはんの後でも蜥蜴一匹分くらい、入るよね?入らなくても詰め込むけど」
「ちょ、姫」
「見つからなかったら鳥の丸焼き。食べきれないなんて声は聞かない。胃もたれしてしまえ」
「ふむ、蜥蜴は美味しいのか?」
「美味しいよ。みんな聞いた端から嫌がるけど意味がわからないくらい。王さまは嫌じゃないの?なら嫌がらせにならないな……」
「興味があるな、どんな味か。鳥の丸焼きとは、そなたが狩るのか?」
「うん。撃ち落としたらその場で捌く。これもみんな嫌そうな顔で目を背けるから嫌がらせになるかなと思ったけど……」
「そなた、その行動の意味がわかっていないわけだな?」
「うん。なんで?」
「己の身分と容姿と、それとは裏腹の血生臭い行動を客観視しろ」
「えー?」
「ヴィオレットが笑顔で同じことをやったら?」
「ああ、うん、だめ。拒絶感ひどいね」
「ひ、姫、蜥蜴はその枠には入らないのか……」
「全然?」

 食べさせるのは嫌がらせのためだから全く苦にならない。そのときに見苦しいのはリエンではなく罰を食らう人々なので気にする必要もない。

「ガルダやユゥを見習いなよ。平然としてるよ」
「リエンさま、おれもユーフェも生存のために似たようなものをやむなく食べたことがあるからってだけです。貧乏だからです。ベリオルさまにそれを求めるのは苦です」
「ならいい罰ゲームだ」
「頑張って下さいベリオルさま」
「諦めるな従者!陛下もお前本当に食べようとするなよ!?そんな光景誰にも得にならないからな!?」
「敬語外れてるよベリオル。あと私が得。是非とも嫌そうに食べてほしい」

「……あのー。いい加減試験を始めないと、学園の方々が不憫なことになってるんですが……」

 ぱっと振り返ると、客室の扉を開けた向こうから、ハロルドが気まずそうに顔を覗かせていた。少し逃げ腰なのは彼も少々王女の怒り具合に思うところがあるからだろう。というか責任を感じている。
 それにもまして一番可哀想なのは、ずっと部屋で待ち続けている学園の関係者各位だ。
 外からの物騒な会話は全部聞こえていて、「私たちのせいで、へ、陛下が蜥蜴を……!?」と今にも自害しそうな顔になっている。他に居並ぶ大臣らも、聞きたくなかったと恐怖と絶望に死にそうな顔をしている。
 とりあえず全員、王女殿下の本性に白目を剥いていたことは確実である。










☆☆☆













 試験は難なくクリアした。筆記も口頭諮問も文句なしの出来映えで、はじめは畏れ多さに震えていた学園関係者各位は、揃って目を極限まで見開き、その結果を受け止めようとしている。それだけ意外だったということだ。
 居並ぶ大臣らも、一部は王女から気まずそうに目を逸らしている。もちろんその実力をかなり甘く見ていたからだ。対して得意気なのはハロルドとベリオルのみ(アーノルドは執務のために自室に戻った)で、いかにこれまでリエンが「深窓の令嬢」をうまく気取っていたかが明らかだ。
 最低限の教養しかない、そう見せかけていたのはリエンだし、周りもそこまでリエンに関わろうとしなかったのだが……リエンの背後に「ジヴェルナの守り刀」がいることを失念しすぎている。テルやレイズ含め、用心深い一部の大臣はやはりなと感心したものだ。彼女が気に入るだけのものがこの王女には備わっている。
 彼らは同時に、現在ユーリ辺境伯名代の青年も思い出した。無名かと思いきや学園首席卒業という華々しい経歴を持つ青年。
 まさかやるつもりなのかと早々にすぎる予想にごくりと喉を鳴らしているうちにも、リエンは試験官から各問の回答の所感を聞いて逐一感心している。頬が仄かに上気しているのは、試験に対して真剣に頭を使った証だ。

「……これで、お前らも納得したな?」

 ベリオルの言葉に、反論などあるわけがない。小細工をする暇もなければ、あまりの唐突さに本人が怒り狂っていたことも知ってしまった。いちゃもんをつけた瞬間に、目の前の可愛らしい姫の逆鱗に触れて蜥蜴を食べさせられる。必死に頷く学園側に、リエンは「じゃあ、ひと月後からお世話になるね」とひらりと手を振って、あっさりと部屋を退出した。











☆☆☆









 くすくす、くすくすと静かにざわめく回廊を、 試験の間にと主人たちと別れたユーフェは全く厭わずにまっすぐ歩いていった。タバサさまへの定期報告に、ハロルドさまからの宿題を携えて。

「ねえ、聞いた?あの孤児……」
「姫さまに気に入られてるからって、ねぇ?」

 なんか今日は具体的な悪口が多いな、とユーフェは聞き流しながら思った。そんなネタを離宮にいながら提供できたわけがないから、誰かが漏らしたということになる。もしくは捏造。後者の方が可能性としては高いか。

「たかが平民の孤児の癖に」
「姫さまがお可哀想。政変が終わっても侍女に恵まれないなんて」

 足を、止めた。

「今、姫さまを侮辱したのは誰ですか」

 凜と声を張り上げ、わざとらしく周囲を見渡す。こっちが言い返すと思ってなかったんだろうけどさ、どうして上級の名の付くお高い位の侍女のくせして、こんなに軽率な振る舞いができるんだろう。あたしを貶めるなら、まっすぐ貶めたらいい。どうして姫さまをだしにするんだ。

 ――だから、なに?
 ――侍女がいなくとも平気で生きてこれた王女わたしは、異端なの?

 今度こそしっかり静まり返った廊下を歩いていく。歯を食いしばって、悔しさをなんとか押さえつけながら。
 あたしなんかが姫さまの心中を思うなんて烏滸がましいけれど、姫さまがどうして侍女という存在に不信感を育て上げたのか、ありありとわかってしまう。
 あたしが平民で孤児なのは、姫さまが一番わかってる。でも、そんなあたしを姫さまが選んでくれたんだ。「仮」だとしても、あたしならと頷いてくれた。

 可哀想、なんて。何もかもわかってないのに知ったかぶりして、その言葉が誰よりも姫さまを貶めているとも気づけてないんだろう。

 ……悔しい。

「ユーフェ、どうしたの、そんな顔して」

 タバサさまの執務室へついた時もまだ、あたしはひどい顔をしていたらしい。

「体調が悪いの?最近気温の変化が激しいものね」
「……いえ。報告書をお持ちしました。ご確認をお願いできますか?」
「ええ。姫さまは今試験を?」
「はい。本日はこちらでお休みになられると伺ったんですが……」
「そうね、あなたにお部屋の最終確認をしてもらいましょう。用意自体はもう整っているわ。……でも、私がこれに目を通すまではこの部屋で休んでいきなさい。一つ聞きたいことがあるの」
「わかりました」

 タバサさまがお茶を淹れてくれようとしているのを必死に抑えて自分で作り、タバサさまにも差し出した。美味しい、と言ってくれて、顔のこわばりがほどけていく。自分でも飲みつつ用件はなんだろうと思っていると、報告書に認可の印を捺したタバサさまは、不意に苦笑を漏らした。

「……ここまで優秀な部下を持てて嬉しいわ」
「あ、ありがとうございます」
「宰相殿の横槍はいいように作用してくれたみたいね。一度倒れたときはどうしてくれようかと思ったけれど……離宮で問題なく過ごせているようで何よりよ」

 なんか急に誉められはじめた、とぽかんとしていると、タバサさまがちらりとこちらを向いた。

「それでも、あなたの才覚を疎む者が多くて多くて」
「はあ……」
「聞きたいことというのは他でもないわ、姫さまのためにとかなり無茶をしたでしょう?ホーマー卿のことはつい先日なので覚えているでしょうけれど」
「……ああ、はい。無茶、と言うほどでもありませんが……報告に申し上げたはずですが」
「ホーマー卿が私に苦情を入れてきたのよ」
「苦情?」
「あの方はなんと仰っていたかしらね……ああ、そうそう、『王女殿下の唯一の侍女という立場を笠にきて傍若無人な振る舞いをしていた、卑しい身分であるところ、王女殿下のお側に侍るには相応しくない』」

 身振り手振りも再現してくれたタバサさまのお茶目具合は可愛らしいけれど、それ以上にその発言内容に呆然としてしまった。

「傍若無人って……姫さまのお住まいの離宮に予告も先触れもなく突然訪れて、衛兵の方々を散々に脅していった方にだけは言われたくありません……」

 タバサさまが噎せた。すぐに落ち着いてはいたけれど、まだ肩をぷるぷると震わせている。……こんなに笑うタバサさまは初めて見た。
 人の悪口はなるべく慎まなくてはならないのだろうが、無礼は相手が先だ。まさか廊下でのあたしへの陰口もこれが原因かもしれない。まさか前者とは。根も葉もあって結構だけど、生やす場所を根本から間違ってる。

 ことの経緯をおさらいしてみる。

 数日前、突如ヴァイス宮殿の前に馬車が止まった。離宮警備隊は客が来ると聞いてなかったから当然警戒したものの、現れたホーマー卿が堂々としすぎていたから押し切られかけ、それでもなんとか一人を離宮内に確認に走らせて、あたしが知るところになった。
 はじめは姫さまが直々にお出でになろうとしていたけど、あたしが止めた。姫さまはホーマー卿を離宮の敷地に入れることすら気に入らないようだった。あたしの仕事は「外回り」。商人たちと直接にやり取りするのと同じことをします、と申し出ると、姫さまは(かなり渋りまくった末に)あたしに任せてくださった。心配だから、とガルダさんをつけてくれたけど、ガルダさんは最終手段にまるまではあたしを見守る態勢だった。

「姫さまはお会いになりません」
「事前の手続きもないまま軽々とお迎えするわけには参りません」

 ホーマー卿にこう正論を突きつけても、「王女殿下の御為になることだ」「王女殿下に直接会わせろ」と意味不明なことばかり。しまいには「卑しい孤児風情が、私を誰だと思っている」と来た。あまりにも定番なお大尽発言にガルダさんがこっそり噴き出してた。あたしが傷つかないとわかってるからってさすがにひどい。

「あたしはリエン姫殿下の侍女です。あなたにはあたしに命令する権限もなければ、あたしが従う義務もありません。姫さまにお会いしたいのならば『相応の段階』を踏んでください」

 ……どうやら、この文句をホーマー卿は曲解したらしい。

「よほど平民の孤児という存在が気に入らないみたいね」

 タバサさまは笑いを収めて呆れ返っていた。

「あなたには教えていたわね、王族も貴族も初対面同然の相手とのやり取りに側つきの者を使うのは当然よ。あなたがきちんとそれを明言できたのも褒めるところ。姫さまの従者はあなたとガルダ殿しかいないんだから、必ずあなたを通さなくてはならないわ。……それが、よほど姫さまを軽視していらっしゃったようなのよねぇ」

 無礼突撃をどうしてあっさり姫さまが受け入れると考えていたのか。それを阻んだあたしが一番に悪い、姫さまの意志など無視してあたしが勝手にホーマー卿を追い返したことになってるそうだ。できるわけないのにそんなこと。

 どうやらあたしは「王女の侍女という身分を笠にきた悪女」のレッテルを貼られているらしい。
 ホーマー卿も、真に受ける侍女たちも、アホじゃなかろうか。

「……さすがに不敬すぎませんか?」

 なぜといって、彼らは少なくとも姫さまのことを、あたしのような「卑しい孤児」ごときが手玉にとれるような存在だと見なしているのだから。無礼も見逃し、傍若無人な振る舞いを快く受け入れると。ひたすら都合のいい甘すぎる考えにひたすら吐きたくなる。結局、姫さまのことをわずかも知らない人たちなのだ。

「私からも遠回しに警告したけれど、あれは理解しない人種だと思っておきなさい。とりあえず、あなたの対応に不備はなかったわ。早急に正確な報告書を作ったことも、軍にも衛兵の手で提出させたこともね」
「ありがとうございます」
「でもあなたは私に何も頼ろうとしないのよね」
「……はい……?」

 どんな話の転換だろうと思ったら、タバサさまは片手を頬に当て、やれやれと首を振っていた。

「ホーマー卿は私に、あなたを姫さまつきの侍女から外せと言ってきたのよ」
「とことん舐めてますね」

 反射的に突っ込んでいた。なぜそれを最終決定権保有者である姫さまではなく侍女を統括するだけのタバサさまに言う。タバサさまも無言で「だよね」と頷いている。

「当然お断りしたわ。姫さまも陛下もお認めですと言ったら悔しそうに帰っていったんだけど……」
「……あたしに今のところ実害はありませんよ?」
「……アルビオンもやっと機能するようになってきたのかしら?」
「え?」
「こちらの話よ。実害はないと言っても、警戒だけはしておきなさい。あなたがホーマー卿に敵視されたことは確かなのだから。……本当は、早いところ後ろ楯をしっかりさせたいのだけど」

 慎重すぎても足元を掬われるわよ、というタバサさまの警告には俯くしかない。……現時点でも後見になってくれているこの方と、養子にと言ってくれているハロルドさま。世間的に敵対派閥な姫さまつきのあたしと親しくすることで、王位継承戦争の火種を揉み消し融和を図り最終的に王子さまの地盤を頑丈にしようと目論むクレイグ侯爵さま。姫さまは何か勘違いしてるけど、クレイグ侯爵さまはあたしが姫さまつきの侍女じゃなくなったら途端にあたしに興味を失くす、それは確実だ。

 ……そのなかで、いまだに最良の選択肢が見つからない。
 姫さまにとっての最良が。

「ずっと、考えてはいるんですけど……」
「姫さまのご意見は?」
「『ユゥの好きにしたらいい』って、もう、完全な他人事です……!」
「ああ……」

 あの方ならそうおっしゃると思ってたわ、とタバサさまは乾いた笑い声を上げた。なら聞かないでほしかった。いまだ少しも踏み入れさせてくれない事実を思い出して胸が抉れた。

「……でも、ユーフェ。そのまま頑張ってちょうだいね。ホーマー卿のことに関する警告と、あなたの後ろ楯についてはきちんと考えて対策を取りなさい。あなたの評判は姫さまに直接通じているのだと自覚をもって」
「はい」
「……もっと厳しく言いたいのだけど、あまりにも投げやりな姫さまにも多少は問題があるのよね……」
「それでも、姫さまが今軽視されているのはあたしの責任でもある、ということですね?」

 ふつふつと怒りが沸いてくる。無理解の愚者にではなく、他でもない自分の未熟さへ。

 姫さまが舐められてるのもあたしのせいだって、よくわかってる。もっと身分のしっかりした、教養もあって美しい人を側に置けば少しは変わるはず、だけど。

 あたしはそれでもリエンさまの側にいたい。

「精進します」

 姫さまのくれた猶予期間に、絶対に風向きを変えてみせてやる。












 ……タバサさまは、任せたわよと初めて不安そうに告げた。
 だからちゃんと頷く。この方こそ、姫さまを激怒させはしたけれど、それでも姫さまの立ち位置になによりも心を配っていたんだから。
 でも、今は離宮へと離れてしまって、見守ることしかできないから……なおさら、あたしがやらなくてはならない。
 姫さまのために。

「姫さま、お待ちしてました。試験、どうでした?」
「合格だってさ」
「その口振りだと苦戦もしなかったんですか……追いつくまでの道のりが長すぎて……」
「何か言った?」
「いいえ!この後晩餐会ですよね?お供します!」

 でもそれ以上に、あたしの望みのために。
 
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