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一旦立ち止まって振り返る
閑話・山猫の暖冬な巣籠もり②
しおりを挟む翌日。
予言通りの健やかな目覚めであることは確かだった。しかし、それだけで済んだわけでもない。
原因はアルナ・ザルムだ。真面目で勤勉なかの男は、まだまだ盆地に日の光が届かない真っ暗な時間に家を出、裏の山に突撃していたのだ。そして朝ぼらけに血塗れで帰宅するのだからイウターナが卒倒しかけたことは言うまでもない。その怒声で、居候三人はぼんやりと目覚めさせていた意識を覚醒まで引っ張りあげられたのだ。
イウターナがぷりぷり怒るもアルナは全く気にせず、着替えだけをとって水浴びしてくると言って村の下の川まで向かっていった。怪我はなく、全て返り血だそうだ。何の、といったら人間ではなく野性動物らしい。その成果は屋敷の庭に置いてあり、キーランの朝一番の仕事はその解体をすることだった。しかし街育ちで勝手が分からないので、アルナが水浴びに行くときに寄った家から人が寄越された。その人も、起き抜けにスプラッタな光景を目にして眠気を吹っ飛ばした一人である。
「若旦那、苛々してるんだなぁ」
「そうなの?」
「ああ、ありゃあ相当キてる。坊っちゃん関連のことだと思うがなぁ」
「ふーん」
少し気になったが他所さまの事情である。キーランは適当に相槌を打ちながら熊の解体方法を見よう見まねで行い、村人にびしばしと駄目出しを食らいつつなんとか仕事を終えた。そこに、水浴びの帰りに村の巡回をしてきたアルナが帰ってきて、「ヒサム」と村人の名を呼んだ。
「朝早くから呼んで悪かった。必要な部位は好きに持って帰ってくれ」
「そりゃあありがたいが、いいんですかい?奥さまは?」
「毛皮はほしいと言っていたな。それに、狩ったのは食糧調達というより、襲ってきたからだ。取り分は気にしなくていい」
「へい、それならありがたく頂きます」
ヒサムの対応は軽い。しかしそれは彼に限ったことではなく、一応敬語という取り繕った裏では村の全員がまるで一つの家のように気さくだ。貴族といえども、支配に必要な権力も財産もなく、することといえば有事に統率するくらいのもの。地主とさして変わらない。ぼけっとキーランがその様子を眺めていると、「裏殺し」とは似ぬ黒い瞳が向けられて、びくりとした。
「キーラン、といったか」
「うあ、はい。おはようございます、アルナさま」
「おはよう。母上は愛称呼びなのに、おれにさまをつける必要はない。今日は村の連中と何を約束していたかは知らんが、おれの山歩きに付き合え。確認したいことがある」
「はあ……」
そんなわけで朝から山に連れ出されたキーランだが、先導するアルナも目的地は大まかにしか把握していないらしく、時折立ち止まってはきょろきょろと視線を巡らせる。やがて一晩世話になった小屋が見えてくると、アルナは足を止めた。
「……お前ら、ここを使ったか?」
「え、あ、はい。一晩だけ」
「なら落ちた地点はここから近いはずだな」
一人ぽそりと呟いたアルナはぐるりと視線を動かし、崖の位置を確認したようだった。彼は弟と違い、山の細かいところにまで精通しているわけではない。確かめるように方角を確認し、数日前の足跡を見現そうとしている。キーランもまた黙って従った。この二人に全く会話はない。とはいえアルナも気をつけてはいるようで、山歩きに慣れはじめたばかりのキーランの負担を軽くするように休憩の時間をこまめにとっているし、大股で歩くわりに歩調はゆっくりだ。
いい人なんだよなぁ、とキーランは自分の調子の狂い具合を客観的に悟っていた。お姫さまといい、「裏殺し」さまといい、この人といい……敬いがいのないと言ったら怒られるだろうか。
何しろキーランも身分にこっぴどく痛めつけられてきたクチなので、肩透かしもここまで来ると価値観の改革すら視野にいれなければならない。
「……この辺りか?」
アルナは視界に異物を見つけて拾い上げた。子供用だが固い、実用的なブーツだ。若干水がたまっていたのかたらりと細い筋を作ってこぼれていく。
「あ、それ、失くしたとか言ってたやつ」
「誰がだ」
「おひ……リィって女の子です。落下の時に脱げたんじゃないかって言ってたんですけど、本当だったみたいですね」
「二つともか?」
「片方は落ちたあとに脱ぎ捨てたって言ってました。雨が降って歩きにくかったからって……」
「それは、そのあとはどうしたんだ」
「ナオが歩けないんで、自動的にその靴を借りてました」
「ふむ……」
キーランは今さら、あれ、あの靴お姫さま履いたまんま帰ったっけ、と疑問に思った。覚えてない。ナオがろくに動けないのですっかり失念していた。
「では上に行くぞ」
アルナはブーツの泥を払い落とし、荷袋を持っているキーランに渡した。
「え、もう一つは?」
「ここに来るまでに似たような色の物体は見つけていた。おそらく片割れだ」
「はあーすごい」
「これくらい目敏くならんとこの山じゃ生きられんからな」
「山で過ごしたことあるんですか?」
不意に押し黙ったアルナだった。
「……一度だけだ」
さすがにキーランが口を挟める雰囲気ではないので大人しく口をつぐみ、引き返していくうちにアルナが指差した木陰に走ってブーツを拾ってきた。犬……とか聞こえたのは耳が遠いふりをした。ひどくない?
アルナの足取りは全く衰えない。キーランとバルトが最短で降りる道を必死に探して駆け下った道より手前から、道なき道――しかし案外に登りやすい道を登っていく。これまでとは傾斜が段違いだが、アルナは道筋が見えているのか的確な足の踏み場を見つけてキーランの前をキーランの歩幅と合わせて歩いていき、暗黙にキーランに足を置くポイントを示し、時折危ない気配がすれば手を差し伸べてくれる。
めちゃくちゃいい人じゃん、と思いながら、キーランは息を切らしつつその手を借り、登っていく。いちいちありがとうございますというのもなんか面倒なので後で言うことにした。多分それを許してくれる人だから。
「……あいつはここを降ったな」
「え?」
「草が下方にずる向けている。走るのも億劫で滑って降りたんだろうな」
「はあ……」
なんでそんな嫌そうに分析するんだろう。
「……本当に嫌いなんですねぇ……」
「ああ?」
「ひっ!?」
口に出してしまってたのか。でもそんな睨まなくても!怖い!
でも手を離すことはなかったので怯えつつしっかり握って登りきった。こ、怖かった……わりといつ離されるか冷や冷やしてた。
アルナが腰の革袋から水を飲み、キーランも黙って見習った。座ったら泥で汚れるから立ったままだけど、休憩という意味はしっかりわかった。
「ありがとうございます、色々迷惑かけてごめんなさい」
「なにがだ」
「何かもう色々と……。わ、若いツバメと思われたこととか?」
「ああ、それはもう驚いたさ。領都の元婚約者殿の所に顔を出しているうちに母がまだ成人もしていない男を囲ったのだから」
「ごめんなさい!」
悪いことはしてないし誤解だったのに、何か謝罪しなくてはならない雰囲気だった。アルナはふっと荒んだ目で遠くを見つめた。
「まあ、正式に破談になったので、もうどうでもいいことだが。驚いた以上に未練がない」
「……え?」
「一応貴族の端くれらしく、婚約などしてみたが。存外、父の見る目はなかったらしい」
珍しく自虐の微笑みを浮かべていて、 ますます言葉に困った。部外者にそんなことを言っていいのかと思ったが、むしろだからこそ言えることかもしれない。事情を知らないから下手に口を挟めないし、本当に聞くだけだけど、そういう人がほしい状況だったのかも。
ということを五秒くらいかけてじっくり考えてみたが、アルナはさっさと踵を返していた。
「母上には言うなよ」
「えっと、その破談を?」
「向こうから申し込んできたのに、向こうが一方的に断ってきたことだ。破談自体は、元々仲がいいとは言えなかったからな。円満に解消したと母上たちには伝えてある」
「え……」
追いかけようとした足が止まった。アルナの足も止まっていた。振り返らないまでも、背中が何かを語っていた。哀愁……とまでは言えないけど、なんかなんとも言えないものを感じる。
「元婚約者殿は王都に憧れを持っていたらしくてな。前から話は持ち上がっていたが、あの愚弟が最年少で近衛騎士長になった年に縁談をようやく結び、退職して絶縁までやりきられると、おれと婚姻を結ぶメリットが消滅したらしい」
そして嫌な予感は当たった。当たったどころか、キーランは本当にどんな顔をすればいいのかわからなかった。哀れむことも怒ってみることもどちらも駄目な気がする。アルナが振り返らないから存分に複雑な顔をできた。
しかし、聞き知っていた兄弟の確執は昔の話で済むことではなかったらしい。この人は現在進行形で被害を受けてた。
「……ええと、おれも、捨てられたこと、あります」
「……なんの話だ?」
「おれ、名目は孤児なんですけど、本当はお貴族さまの庶子です」
今度はアルナが驚く番だった。勢いよく振り返った彼の前で、キーランはへらりと苦笑いしつつ、頬を掻いた。
「さすがに家名は言えないんですけど、ね。おれの母が平民で、相手は典型な貴族で。周囲の反対を押しきった大恋愛だったらしいんですけど、その分冷めやすかったらしくて。まあ、それでも一応長男のおれが跡継ぎだからって、母子幽閉同然ですけど九歳くらいまでは育ててもらってたら、ほら、お貴族さまって十歳でお城に呼ばれてお披露目されるでしょう?」
アルナは黙って頷いた。この子どもの父親は絶対に低位貴族ではないだろうとも思った。低位貴族のアルナの元婚約者は貴族位を持たぬ商家だったのだ。
「そしたら、準備するような頃になってもお城への招待状が届かないって母が気づいて。問い詰めたらおれの戸籍なかったらしいです。そもそも結婚の届出すら出してなかったから」
「……」
「離れに幽閉されたから気づかなかったんですけど、あの人ちゃんとした奥さんいたし。貴族のお嬢さん。しかも既に女の子生んでたし。新しく妊娠してもいて、生まれたその子が男の子だってわかったら、当時もう気狂い起こしてた母と一緒にポイされました」
本当に「ポイ」と言ってしまったので、アルナの顔が引きつった。
「それで路頭に迷って一晩過ぎたら今度は母が姿消しました。徘徊の癖があったので探してみたら、まあ、はい、あの気狂いって演技だったのか捨てられて正気に戻ったのか……」
「おい、待て、言わなくても」
「どこかの大店の若い男と頬染め合ってたっていう。しかもおれと一回視線合ったのに満面の笑みでバイバイって手を振られて二度と会いませんでしたね。ひと月その街の陰で暮らしてたら結婚したことも聞こえてきて、もう笑えて笑えてしょうがなくて、その領を出たんです」
「…………」
待てと言ったのに。
笑えたのは、あまりの虚しさゆえだろう。その経験があるからわかることだが。加えて、昨晩のご飯時、この少年が周りの子どもたちと笑っている姿を見たが、少なくともこんな虚ろな笑顔ではなかった。
満ち足りて、吹っ切れている様子を見ると、捨てられたことを引きずっているわけでもないらしい。
……ちなみに、裏町の後継者をキーランに据えたバルトだが、目下の懸念はその血筋だけだった。権力嫌いな連中を統率する以上仕方ない部分ではあったが、その悩みは半年以上前に消え去った。
今、キーランの十年育った家は取り潰されている。政変によって。
(お姫さまがあの性格なら、絶対に政変にも関わってるよなぁ)
アルナに曖昧に笑いながらそう一人ごちるキーランである。あれは絶対に、状況に流されたまま――虐められたままにはしないだろう。その手段もあれば、気概もあるはずだ。
そういえば、政変の真実は弟への愛情のみしかないと言っていた。
考えると怖くなってきたので首を振った。と、アルナも衝撃から回復したのか、顎に手を当ててなにかを考えているようだった。不意にその視線が向けられ、次の問いにキーランは仰天することになる。
「先日までお前といた仲間の一人に、バルト・サリエという者はいたか?」
「……はえ?」
「義に篤く弱きを助け、強きを許さない。まさにお伽噺に出てくるような人物評価だが、お前たちを見ていると、あながち間違いというわけではないようだな」
キーランは後ずさった。無意識だった。
顔が引きつり、青ざめてもいる。
己が庶子だと告白したときよりも激しく動揺しているので、アルナは首をかしげた。
「どうかしたか」
「……な、なんで、そこまで知ってるんですか?」
「なんでといっても……」
アルナは――マリセラ村の人々は、この原生林地帯を管理している以上、裏社会に片足突っ込んでるも同然なのだ。何しろ山賊どもやならず者どもが住みつく場所だ。人の手が最低限にしか入っていないので官憲に追われる者にとっては格好の逃げ場。加えるならば、王都の裏通りが半壊した影響で、この山にも影響が来されていた。
現在、山賊狩りの「旬」真っ只中である。
「王都からは、ウェズのところにも流れていったようだが。お前たちのところに受け入れられないほど性根が腐った連中もここにまで到達している。今年は量の増え方が異常だったので、一応引っ捕らえて尋問したらわかったことだが……これが理由だ。納得はできたか」
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ああ、やっぱり兄弟だこの人たち。
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そうして、昼にさしかからんとする頃、二人は、セザールの崖の上に立っていた。
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アルナは淡々と、「死体の処理に人を呼ぶべきだな」と腕を組んで見下ろしている。獣がいくらか食い散らかしているが、あまりにも死肉の量が多い。この山の管理者として見過ごせることではない。
「これは、一団を一つ潰したな。奴め……手荒な真似をしおって」
苦々しく呟き、胸元から笛を取り出した。その音は鷹の鳴き声のように高々と響き渡った。数秒してから、まるでこだまのように帰ってくる音がある。満足そうに頷いたアルナは、笛を仕舞い直した。
「火を焚く。おれは場所を整えるから、燃えそうな枝葉を集めてこい。危険があれば迷わず叫べ」
「あ、は、はい」
「今増援を呼んだ。母上になんと説明したかは知らんが、待つ間にここであったこと、洗いざらい吐いてもらうぞ」
「はい……」
居候の分際で、キーランが断れるわけもない。早速死体の山に向き直ったアルナに慌てて顔を背け、林の方へ駆け出していった。
腐乱はそこまで進んでいなかった死体を、村から数人連れてやって来た荷車に積み上げた。ガルダだけではなく、彼ら村人にとってもこの山は庭同然。荷車が通れる道ももちろん知っていた。死体に眉を寄せもせず、身元がわかるような装備品をあさくっていたが、成果はろくになかったらしい。これは慣れが必要だし、かたぎが慣れる必要もないと、アルナはキーランを遠ざけてくれた。
「駄目だ、若旦那。ろくなもんが残っちゃいねぇ」
首を振ってキーランの傍に立つアルナに声をかけたのは、早朝も熊の解体でお世話になったヒサムという男だった。口布を着けているので声がくぐもっている。
「……仕方ない。埋葬だけするぞ」
「へい」
「……あの?」
キーランが戸惑いつつ声をかけると、ちらりとアルナが見下ろしてきた。
「どこから来たならず者かで、他領と情報交換をする必要がある。懸賞金がかかっている可能性もあれば、ここで死亡したことが明らかになれば治安維持の向上にも一役買う。……今回はその点面倒だ。死体が多いくせに身元がわかるような物がないからな。人相だけは記録しておかなければ」
マリセラ村の仕事は予想以上に生臭いものらしかった。
「元婚約者殿は繊細な様子だったしな。この辺りも破談で済んでよかったところだ」
「へぇ!?若旦那あんた破談って!」
「嫁さんもらえなくなったのかい!?」
「ああ、そういえば母上に伝えていただけだったな」
「ええ……」
思わずそりゃないだろという顔でとぼけたような男を見上げたキーランだった。部外者の自分がなぜ先に聞いてるのか。
しかし、村の男たちがぎゃんぎゃんと騒ぎはじめたので徐々に納得していった。なぜなら、「フラれたのか!?」「そういや顔見たことねーな!」「長い間結婚待たされてたんだろ?若旦那が不憫だわ!」ということが大声で飛び交っているのだ。
なぜ身分が高いアルナがフラれた前提なのか。確かに悪いのは婚約者の方だけど、端から見るとそれにしてもアルナへの身内贔屓がすごい。
アルナが若干遠い目になりつつキーランを見返した。
「……こうなるとわかっていたんだ」
「案外ものぐさとか思ってすみませんでした」
「……お前……」
そこまで思ったのかと顔をひきつらせたが、なんとか流したアルナだった。
「お前たち。勝手におれを被害者にするな。円満に解消したんだ。あの娘はここの環境には合わなかった、それだけだ」
「でもよお、若旦那。それも踏まえた婚約のはずだっただろ。あんたは何も言わないが、何度か村に来るように誘ったはずだろ。それでも来なかった。三年間、たったの一度もだぞ?あっちにも利がある話だから契約したんだし、合わせる努力をするべきだったぜ、あっちは」
「若旦那は何だかんだで優しいからなぁ」
「でもおれらも、あんたが村にいなきゃなんにもできねえからなぁ。お荷物になりたい訳じゃなかったんだが……」
「……おれは大したことはしてないだろう。代わりになる人間はたくさんいる」
「おれらは若旦那だから従ってるんだぜ?」
その言葉のどこが琴線を震わせたのか。アルナは精悍な容貌に、彼には似合わぬ皮肉と自虐の笑みを刻んだ。
「あれの方が、おれよりうまくやるだろうよ」
一瞬だけ場が凍った。
部外者のキーランでさえ、彼の指す人物に当たりはついたほどだ。村人の意識にはもっと、鮮明にその人の姿が思い浮かんだはずだった。
アルナの目にあるのは、羨望も嫉妬もとうに枯れ果てた、諦然じみた劣等感。
「……アルナさん……」
何も知らないキーランはそう名前を呼ぶしかなかった。ナオたちはなんと言っていたか。確か仲がこじれてるとは聞いた。それは今日確信した。ろくな情報がない。まとまらない思考のままおろおろしていると、アルナの大きな掌が頭に載ってぐしゃぐしゃと髪を乱された。なんとか逃れて見上げると、苦笑いに変わっていた。
「気を遣わなくていい。空気を悪くしてすまなかったな。さあ、さっさと片付けよう――」
「おれは若旦那がいいぜ」
「そうそう。じゃねーと策もない特攻かけるし略奪するし」
「坊っちゃんだったらなぁ。あの性格が変わってなけりゃ一緒に走り回るだろ?で、怪我が増える。で、奥さまに怒られちまう。死にはしないだろーがなー、若旦那となら怒られずに済むし」
次々に言われた言葉に、今度はアルナが固まった。
「つーか、ここで引き合いに出すってことは……」
「うわ。その婚約者、まじサイテー」
「嫁にしなくてよかったじゃないか、若旦那」
「……おい待て。なんだその言い分は」
「なんだって」
「若旦那も坊っちゃんも猪突猛進なところあるけどよ、より血の気が多いのは坊っちゃんだしな。ほんと、この有り様見るだけでももうな、変わってないのがな」
「若旦那は坊っちゃん関連以外はふつーに慎重だしなー」
「え……『裏殺し』さまってそんなにヤバい人だった……?」
「坊主、その通り名が付くだけのことはあるってんだよ」
「その通り名をはじめて聞いたときはほんと、たまげたよな」
「なー」
言われてみれば確かに、お姫さまに放り投げられたレナを受け止めた後の「裏殺し」さまは鬼神もかくやという有り様だった。十数人を瞬殺して、座り込むレナと自分以外を血みどろにして。
大剣を棒切れのように振り回せば振り回すだけ人が死ぬ。血風が舞う中、感情の欠落した目が、己の量産した死体を見下ろしていた。
「とうとうやっちまったか……ってな」
「それはさすがに違くないですか!?」
「いやー王女さまのためって言ってもな。ありゃ坊っちゃんの性格だぜ。裏路地半壊とかやり過ぎ」
「賞金稼ぎとかよりも、趣味だよなもはや」
「まだ近衛にいた頃はおれらのことに気を遣って大人しくしてたんだけどな……誰も止められる相手がいなくなったからってなぁ」
「ええ……ほんとにヤバい人なの……?」
「や、でも、この間見たら丸くなってたな」
「そうそう」
「あのリィって子にめっちゃ取り繕ってたよな」
「……これのどこを見て丸くなったと言えるんだ」
アルナもとうとう呆れ声を上げてしまった。劣等感よりそっちの方が気になってきた。この有り様で丸くなったとはどういうことか全く理解できない。
「いやーだってよ。坊っちゃん、理由がありゃ手段なんて迷わなかったじゃん。でもリィって子がいれば、殺すまでに一段階置くぜ?そりゃあんな女の子の目の前で笑顔で人叩き斬ったら引かれるわな」
「え、笑顔……!?」
「あ、殺すんじゃなくて闘うのが楽しいっていう方だからな。勘違いすんなよ」
「……そこは否定できん。この山で一週間も、特に意味もなく野宿したのはあいつだけだしな」
まさかの兄の同意にキーランは「ひええ」と呻くしかない。山賊が湧いて肉食獣も湧くこの森で一週間?ナニソレ怖い。
そして唐突に理解した。これはムリだわ。「裏殺し」さまはムリだわ。
「アルナさん、婚活是非頑張ってください……!」
「なぜそうなった」
「だって、アルナさんに何かあったらどうするんですか!」
「お、坊主、いいところに気づいた。わかってくれたか」
「それはもう!!」
アルナがぽかんと見ている前で、他の村人とがっちり握手を交わす。マリセラ村とこの周辺の治安の維持はアルナにかかっていると言っても過言ではない。害を被るのは、いずれ裏社会の一区切りの闇を支配する予定のキーランも同じなのだ。
目的を一とする同志の生まれた決定的瞬間である。
☆☆☆
「そのまとめ方はどうなんだよ」
経緯を聞いたナオは思わず突っ込んでいた。
「旦那よりましって、結局解決してなくね?」
「でも、アルナさん、きっちり分かってるよ。『裏殺し』さまには勝てないって。それだけを見て領主としての自信までなかったことが問題だっただけで」
「村の人たちみんながお兄さんを支持してるならそれでいいのにねぇ」
またまた夜中のことである。日中別行動しているため、火を落とした就寝前が、三人が最もゆっくり交流できる時間だった。
「それだけじゃすまないんだろうよ。脳筋って言ってたし」
「うーん……。本当、この村、よくここまで無事に残ってるよな」
「ぼくもそれ、思ってた。危ういよね」
レナもキーランも揃って渋い顔をしているような声で、ナオはのんびりと首をかしげた。
「危ういか、そんなに?」
「今日見てきたけどね、実質、あんな広大な山を管理するのにこんな小さな村だけなんて、正気の沙汰とは思えないんだよ」
「そういや、『親』からの支援は武器くらいしかないような口ぶりだったな」
「その支援に問題はないんだ。でもやっぱり、人材不足」
よくぞグレずに村が一丸となって対処できているが、奇跡にも近い。ナオがガルダから聞いたように、ここの村人は個々の戦闘能力が高すぎるが、それは逆に、村でなくとも生きていくのに支障はないということだ。
「女の人が暮らすにもわりと不便だよね。村で生まれ育った人じゃないと、この暮らしは厳しいよ。お兄さんの婚約者さんみたいに」
「あー……。仕方ないっちゃ仕方ないのか。決めたからには義務は果たせよって思うけど」
「怒るのも許すのもアルナさんの権利で、おれたちにはどうしようもないことだよ。でもその女の人、カルスト領都の商家の人らしいんだよな……。アルナさん、謝罪代わりに援助の続行をもぎ取ってきたって言ってたけど……正直」
「微妙か」
「だってその女の人が他の人のところに嫁いだらさ。援助はそっちが優先されるでしょ?」
「なんで元婚約者にばかり肩入れするのかっていう文句も出るね」
「めんどくせー」
本当に面倒くさい。家を背負って、領地を背負って立ち回ること。
世知辛いというか、柵がうざったいというか。親戚に売られてからこちら、そんなものナオにはなかった。必要としなかったし、求めたこともない。しかし、記憶を取り戻したゆえに思うところもできた。
「平和ゆえの悩みってか……?」
「ね、贅沢だよね」
レナの間髪入れない相づちをみると、同じ事を考えていたようだ。苦笑している気配も同じ。
しかし。
「冬丸々世話になるんだ。その借りはなんとか返さないとな」
面倒なのは面倒だ。しかし、嫌ではない。
そんな風に思える自分もまた、嫌いではなかった。
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ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
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