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小話
銀灰の忠誓
しおりを挟むこれぞ世紀の大茶番だ。
玉座の間、出入り口に近い部分にたむろする官僚や貴族たちの奥に、マティスはひっそりと立っていた。目立たないようにしているのは、彼の周囲がルシェル派ではなく中立派の人間が多いからだ。野次馬根性日和見主義の延長で観客に徹する彼らは出入り口を陣取ることで、いつでも不測の事態に対応(=逃亡)できるようにしているのだ。
マティス本人は……クレイグ家はルシェル派であり、彼も、今上座に集合しているルシェル派の連中から「面白い見世物があるからぜひ」と呼ばれて玉座の間に来たのだが、来る前から大方の事情には予想がついていた。上座に行く気は毛頭ない。あそこは泥舟だ。
(……よくぞここまで墓穴が掘れるものだな……)
大広間の中央に毅然として立つ、一人の娘。
舞台の主役は――悪に対する正義となるのは、あの少女だ。それを認められずに、悪の親玉はじめ手下たちが薄っぺらい正当性を馬鹿の一つ覚えのようにがなり立てていくが、もはや第三者からは悪あがきにしか見えない。
国王、王妃暗殺未遂の糾弾すら成立していないのだ。状況証拠も証言も全てが誣告に等しい精度だと笑うこともできない。急いてはことを仕損じるとは、まさにこのことだろう。明らかな準備不足だ。
ちらりと上座に目をやり、そこにルシェル派の頭領たるナザール・ルシェルの姿がないことを、改めて確認する。これだけでも茶番がより喜劇らしくなる。
つまりは、王妃をはじめとした急進派たちの先行行為なのだ、これは。国王の側近たちが未然に防げないのも納得なほど底の浅すぎる計画。彼らだって敵はもう少し頭を捻ってくれると思っていただろうに、こんな無茶無謀な玉座簒奪を目論まれては逆に哀れな気がしなくもない。実際に国王は現在も意識不明であるから質が悪いのだ。そのために本来なら集まらないはずの中立派たちが集まったのだから。
さてさて、そんな劇場も堂々巡りの体をなし始めている。毒を盛ったの盛ってないの言い合いだが、理路整然として、また同情まで誘って場を味方につけようとする王女の方が分がいい。しかし、相手にはなんと言っても数がある。孤軍奮闘にも限界があるだろう。
(これが本当に舞台の上なら、そろそろ真打ちの登場か、寝返りかというところだな)
ちなみにマティスの趣味は舞台観賞である。それにしては稚拙すぎる展開だが、国の将来――多くの人間の人生がかかっているだけに、中央の役者たちのやり取りに耳は傾けられている。
真打ちに関しては、ここに呼ばれたときに従者を遣いに出しているので、そろそろ伝わって動いているところだろう。あの方もこの間の強姦未遂にずいぶんと煮え湯を飲まされていたから、今度こそ徹底的に潰すために急いで準備をしているはずだった。あの王女は一時しのぎのために決定的に追い落とす発言を避けているが、その「一時しのぎ」を、姉大好きの弟がとっくに我慢できないということを忘れているらしい。
それも、登場はそろそろだろう。そう、ちらりと出入り口を見たときだった。
「――そこの衛兵!その娘を捕らえよ!」
ぎょっと振り返った。
周囲も一気にざわめいた。言葉では勝てないから力ずくでも強引に追い落とそうというつもりだろうが、いくらなんでもみっともなさすぎる。
(見くびっていたのはそっちだろう。十六歳の小娘相手に言葉で負けていることを公言してどうするんだ)
あれがこの国の王妃なのだから笑いようもない。今さらにすぎるが。
ここで王女に手を出されれば、王子の登場で丸く収まる話ではなくなってしまう。そこまで理解できている人間は、マティスの周りにはいないようだった。思わず舌打ちした。
(止めなくては)
マティス一人であっても、見切り発車でもいいから、とにかく時間稼ぎをしなくては。そうして足を踏み出したが、遅かった。
命令に動こうとしない近衛騎士長に焦れたのか、王妃の号令一下で兵士たちが中央に襲いかかっていく。王女、騎士長、ついでに誣告の侍女の姿が見えなくなった。
しかし次の瞬間には、本物の喜劇のように鮮やかに、「悪」たちが吹っ飛ばされていた。
「ティオリア・ノーズリード」
騎士長の寝返りの瞬間を軽く見届けたあと、こっそりと玉座の間を出ると、そこには王子つきの近衛がいた。今にもどこかに立ち去ろうとする背中が、こちらに振り返った。マティスが追いつくと、二人で大股に歩き始める。
「クレイグさま。中にいらしてたんですね」
「ああ。しかし、もう充分だ。君はこれから王子を呼んでくるのか?遅いと思うが」
めったに笑わないはずの騎士は、ほんのりと自信ありげに微笑していた。
「隊長なら王女殿下を完璧に守りきれます」
そこで、マティスはティオリアが先程までの内部の様子を見ており、マティス同様に時間稼ぎに飛び込もうとしていたことを知った。二人とも結局出遅れたが。
しかし、もう充分だ。不測の事態に備えて玉座の間に控えていたつもりだが、はじめから決まっていた鄒勢はもはや変わらないだろう。王女が五体満足であれば、マティスたちは王子を守ることができる。
「では私は親に最後の反抗をしてくる」
「お気をつけて、と言いたいのですが、会えたら渡そうと思っていたんです」
「なに?」
「王子殿下が陛下に提出しに行った書類から抜き取ってきました」
マティスは受け取った数枚の紙束を斜め読みしようとして、目を剥いた。
「……これを、王子が?」
「作成したのは王女殿下です。抜き取ったといっても、これから大粛清が始まります。さすがにこれも時間稼ぎにしかならないでしょうから、お急ぎで家督の継承をお願いします」
「…………そう、だな。時間がない。後で詳しいことは教えてもらうぞ」
「ええ」
分かれ道にさしかかり、二人はろくな挨拶もなく背中を向け合った。
お互いのすべきことを成すために、別々の道をゆく。
☆☆☆
ティオリアから受け取ったクレイグ家の不正の証拠その他は、マティスが欲していたものであり、ある意味で欲しくないものでもあった。
公金横領と不当な増税、人身売買など。
信じられない。これを、城から一歩も出ずに。嫡男のマティスでさえ、いやに目敏い父の影響力を憚ってうまく動けなかったというのに、たった一人の少女が作った証拠は、マティス自身がかき集めた証拠を合わせると、九割完全な形で整う。あと一割は本人の自白だ。それは最悪なくても処罰できる。
比較的王子と親しくしていたマティスがあの姫の射程に入っていたのも、少し恐ろしくなった。こんなものを何人分持っているというのか、それを持っていながら、あの理不尽な糾弾をのらりくらりとかわそうとしていたのか……。
気に入らない、と思う。
これを――こんな重いものを何年でも一人で持ち続ける、その強靭な意志。おそらく王子の成人でも待っていたのだろう。
賞賛には値するが、気に入らない。やり方がきれいすぎて気味が悪い。
子どもらしくない。女らしくない。それにもまして人間らしくない。
最後はそこまで追い込んだ周囲の人間に自分も含まれていることに自己嫌悪に走ったが、姫への嫌悪感は拭えなかった。
とりあえずそのまま郊外の先の領地まで馬を走らせ、領主の執務室に殴り込んで己のかき集めた分の証拠を突き合わせる。母と挨拶する暇も惜しんだ。
そして一日、帳簿で全てが一致することを確認し、他にも色々と下準備をした上で王都のクレイグ家別邸に乗り込んだ。
領地の館含め、学生時代には長期休暇含めて寮におり、卒業後もあまり寄りつかない家だった。単純に父とは趣味が合わないからだ。こんな俗物と一緒にされることも嫌だった。
息子の銀髪を目障りだと切らせ、毒性の強い薬液で染めさせかけまでした男だ。
目敏いくせに一度乗り出した船から降りられない。変に頑固で、傲慢で、卑屈で、頭はいいのに賢くはない。
そんな男だから、息子に蹴落とされることになるのだ。
「父上、今ならまだ間に合います。私に爵位を」
「ふん。ろくに挨拶もせず何を言うか、青二才が」
「昨日城で何があったか、聞いていないんですか。ルシェル家は潰れます。そうなれば派閥にいたクレイグ家も罪は免れません。ご英断を」
「潰れるものか。王妃は権利剥奪されたようだがまだ王子殿下がいる。投獄もされておらんようではないか。唯一の直系男子だから最後に詰めが甘くなったのだろう。どうせ簡単に撤回される」
ああ、とマティスは苛立たしく首を振った。だから頭が固いというんだ。見通しが甘いから情報収集も中途半端なまま。
「ここ十数年のルシェル派のちまちまとした不正や犯罪の証拠が、全て陛下の手元に渡っていてもですか。もちろん、我らがクレイグ家も含めて」
「なっ……」
慌てて執務机から立ち上がった父は、すぐさま掴みかからんという形相でマティスに接近したが、それをマティスが連れてきた護衛が許さなかった。執務室の扉は開け放たれている。マティスの護衛は領地つきの兵士だ。
他にも、もう下準備は済んでいる。
「父上。クレイグ家の誰も、もうあなたの指示を聞くことはありません。全て私が掌握しています」
「貴様……謀反だぞ!」
「家を潰しかねないあなたの元にはもういられないそうです。謀反でもなんでもいい、あなたに最早正義はない」
もう腕一本分の距離しかない父の足元に、手に持っていた書類を投げ落とした。ぱさりと音がし、端をクリップで留めただけのそれは簡単に散らばった。
さすがに這いつくばりはしなかったが、父は立ったままその紙片らを凝視している。みるみるとその顔色が失われていった。馬鹿ではないのだ、この調書の裏まで読み取り、がたがたと震え始めた。
「……な、なんだ、これは……。こんな、私は証拠など……」
「探せば十年前の記録まで出てきたから驚きですよ。それほど前から私たちは目をつけられていた。……そして、この時のために、見過ごされてきた」
「貴様が……!」
「残念ながら、私は補足しただけです」
皮肉でもなんでもなく本心から肩を竦めたのだが、父は馬鹿にされていると思ったらしい。
「……この不忠者めが!!」
これぞ火事場の馬鹿力か。マティスの両脇の護衛らも反応できない速度で父が執務机の文鎮を掴み、投げつけてきた。
マティスの顔面めがけて。
「――っ」
「御曹司!」
「お怪我は!?……失礼します旦那さま!」
「離せ!――離せ!!」
ぱたり、ぱたりと絨毯に血が染み込んでいく。文鎮が直撃して数歩下がったマティスは、左手で左目を抑えて踞った。慌てて護衛の一人がマティスの父を押さえ、もう一人がマティスの傍に膝をついて怪我を確認しようとする。その背後に、血のついた文鎮が転がっていた。
血は止まることなく手から溢れ、マティスの腕を伝い、袖の中に入り込んでいく。
「……まさか、目を!?」
「……いや、目の、上だ」
「手をお離しください、早く目を洗わなければ……」
「……いいから、肩を貸してくれ」
戸惑う護衛の肩を問答無用で借り、ふらつきながらも立ち上がったマティスは、激痛ににじむ涙目で、無様に床に拘束される父親を見下ろした。とっさに避けてこれだけの怪我で済んだ。下手をしたら頭に食らって即死だった。
……殺そうとしたのだ、己の息子を。
「……あなたに、不忠者などと、呼ばれたくはない」
親不孝など知ったことか。
「あなたごときが、私の忠誠を捧げるに足るだと?思い上がりも甚だしい」
左目に血が入っていて瞼が開かない。切れた額も痛い。血が止まらず、顔を上げたことで顎まで血が滴って、首にまで垂れてきた。その感触が気持ち悪い。
激痛と凄絶な怒りで残った右目が潤むが、それでも厳しく己の父を睨み付けていた。
もう、温情をかける気持ちも失せ果てた。
「――私の忠誠を、あなたごときが語るな」
連れていけ、とひと言いうと、父を押さえていた護衛が機敏に動き、なぜか放心している父を引っ張っていった。念のため護送用の馬車を用意させておいてよかった。
使わずに、穏便に済ませたかったのだが、さっさと領地に連れ帰って自裁してもらおう。
死なない道もあったのに、塞いだのは父自身だ。
「御曹司、大丈夫ですか」
「……ああ。そこの書類を拾ってくれないか」
「それより怪我の手当てが先です!」
残った護衛が怒り呆れた声を上げた。マティスがその肩を掴んで重心を傾けたので医者を呼びに行こうとした足が止まってしまう。怒りが消え、もはや立ち続ける気力が残っていなかったマティスは、崩れ落ちることだけは必死に耐えている有り様だった。
実際、文官気質のマティスにしてはよく耐えた方なのだ、まだ気絶しないなど。
慌てて護衛が支えながら大声で侍女を呼ばわり、医者が呼ばれ、謎の御曹司襲撃事件と銘打たれたその傷は、縫合で済まされるものではなかった。文鎮の角が小さく皮膚を抉ったのだ。ぶつかった衝撃でぱっくり裂けたわけではないため、傷痕は残ります、と申し訳なさそうに言われた。
同時に失明を免れた左目の視力も著しく低下した。息子の凄惨な傷痕に、父に言いなりだった母もとうとう見限ることに決めたらしく、マティスの代わりに護衛らを叱責したものの、それだけで済ませてくれた。
それどころか、これから新しき道を行くマティスの後押しをするように、片眼鏡まで用意してくれた。
こうしてクレイグ家の小さなお家騒動はお開き。
王都の中心部が政変でひっくり返っている中、領地にて療養しつつ、マティスは新生クレイグ家の地盤を最低限整えていった。
☆☆☆
「マティス・クレイグ。暗殺未遂騒動のどさくさ紛れに、よくここまで動けたね」
この日、怪我がおおよそ完治したマティスは国王の側近たちに召集されて国王の私室に足を踏み入れていた。正確には、クレイグ家の家督を継いだ報告に宰相府に訪れたマティスを、待ち構えていた側近たちがここまで引きずってきたのだ。
「これまでルシェル派の一翼として担っていた悪事を全部前当主に押しつけての当主就任、父親はそのまま自裁させた、と。犯罪履歴も全部抹消、できない部分はやっぱり強引に手打ちにする。君自身がルシェル派として活動したことはないから、そのお陰で君の継いだクレイグ家にもはや何の嫌疑もかけられない。……鮮やかな手だね」
「……誉めなくてもいいですよ。世間一般から見れば、どんな理由があろうと私は父親殺しです」
若い方の側近の言葉に皮肉に笑ってみたが、誰も真面目な顔を崩そうとしなかった。国王もだ。怒りも呆れもしない。強いて言うなら、うっすらと笑っていた。ハロルド・ディアマンテは特に、爽やかな笑顔でこう言った。
「別に、私も家族が邪魔で絶縁してるしね」
柔らかな声のわりにかなり物騒な発言に、さすがに絶句した。
「……じゃ、邪魔で絶縁って」
「言った通りだよ。必要なら目的のためには切り捨てることも大事。これって基本でしょ。少なくとも、私の周りの方たちはそうして生きている。君の主君もね」
「……あの方は……」
「違わないよ。王子さまは自分の信念のために、自分の手で引導を渡してみせた。その辺りの顛末の時にはもう君は王都にいなかったのかな?まあ表向きは陛下が盾になっているけどね」
唇を噛み締めた。絶対無二の人に、選ばせてしまった。マティスは何もかも守れる策を用意できず、むしろ己のことだけで手一杯だったのだ。
「……似たもの主従だな」
「だな」
「ですね。……でも、うん、決めました」
マティス・クレイグと名前を呼ばれた気がして顔を上げたが、遅かった。
「――陛下、私はマティス・クレイグを宰相補佐官に推薦します」
再び声を失った。国王はそのうちにも「よかろう」とあっさり頷き、ベリオル・ジヴェルナも驚きも反抗もなく「ま、妥当だろうな」とか言っていた。……全然意味がわからないのだが。
「ま、待ってください。私はルシェル派ですよ?」
「だからこそだよ。王子さまを守ろうとするんだから、その意志が一番反映される役職を選んだつもりだよ」
「反映って……」
これまで遠目にしか見たことがなかった。直接接触などできたわけがない。でも、想像はできた。
これまで煮え湯を飲まされてきたこと。国を荒らしたルシェル派を壊滅させたいと思ってきたこと。微塵も容赦などなく、一片の草も残さず。それほどまでの恨みを、父たちは買ってきた。
そしてマティスは全ての責任を父に押し付けた。止めきれなかった己には目を瞑って。
本当は、この部屋に呼ばれてから、いつ首を切り落とされるかと冷や冷やしていたのだ。卑怯者と罵られる覚悟もできていた。
恐る恐るそれを告げると。
「若いなぁ……。こんなに若いんだ。ねえ陛下、この歳より前に問答無用で家を切り捨てた私って、とんだ冷血漢ですね?」
「…………」
「ああ、別に?陛下が無能になってたことを咎めるつもりはないですよ、今さら。ただ、ねえ?」
「ここぞとばかりに苛めるな……」
「だってベリオルさま、私、気づけば三十の半ばですよ?」
「それを言ったらおれも四十越えてたな。長かったな……」
「王女さまもあと二年で成人。ねぇ陛下」
「…………すまなかった」
「まあ私は陛下が調子に乗らなければそれでいいので許してあげましょう」
ハロルド節がここに来てようやく収まるが、マティスはついていけてなかった。当たり前だ。国王に謝罪させる臣下など初めて見た。ついでに主君に偉そうに「許してあげましょう」とか言う臣下も。何様。ハロルドさまだった。
異例の下級貴族出身の国王の側近。学生時代もまあまあな逸話を残していて(実態は国王たちの尻拭いや側近候補の競争)、十年以上後輩のマティスもそれらを聞き知っている。そもそも、ベリオル・ジヴェルナは明らかに国の生命線を握っていたのでそれは除いておいて、ルシェル派が追い落とせなかった唯一の国王派の臣下だった。
今思えば、実家と絶縁したのは、ルシェル派の影響を家に及ぼされないようにしたかったからではないだろうか……。いやに晴れ晴れと言われたことは気になるものの。
「それにしても情けないですねえ、私たち。私たちは取り戻せましたけど、王女さま、王子さまはじめ……この子も、生き残った人たち皆、色んなものを失ってばかりですよ。しかも取り戻せた功績も全ては王女さまのおかげ。ああ、まともに考えると恥ずかしくて仕事やめたくなります。どこかの図々しい大公爵じゃないので」
「お前、辞めた足でアルビオンに喧嘩売りにいくなよ、頼むから」
「私は正直、オリフラムさまよりネフィルさまの方を殴りたかったんですよ。……私、いる意味ありました?この十五年間」
身内の話は部外者がいないところでやってほしい。不穏当な発言ばかりで正直、胃が痛みはじめている。マティスは切実に思ったが、そう問屋は卸されない。
なぜか国王と目が合った。
「……それならば、表に立っていない私の存在意義の方がないだろう」
なんか哀愁漂うお言葉をもらった。
なぜ私を見て仰る?
しかも視線は逸らされないまま。ゆっくりした瞬きが青ベリルの瞳を隠し、やがて再び露になった。
そこには確かに火が点っていた。城では末端でこそこそしていたマティスがついぞ目にしたことがない「国王」の貌。
ベリオル・ジヴェルナとハロルドさまが察したように口をつぐみ、真剣な顔になったので、空気が一気にひりついた。
「……私たちの役目は決まっている。だからそなたもこの男を補佐にするのだろう、ハロルド」
「まあ、そういうことですよね。――マティス・クレイグ。もちろんルシェル派の残党を、私たちは見過ごすつもりはない。野放しにするつもりはないと言えば、わかるかな?」
「……私に、新たな旗頭になれということでしょうか」
マティスが宰相補佐につけば、間違いなくルシェル派残存勢力の中でも最も上位になる。中枢を左右できる要職だ。しかも宰相の位を狙おうと思えば、できる。
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「は?」
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「……は?」
なんか、もう、意味がわからない。
後継者?
宰相位を、国家反逆罪を適用した人間を頭に据えていた派閥の人間に譲り渡すと、そう言ったのか、この男は。
飼い殺しにするのではなく?
「……申し訳ありません、どうやら、私の耳がおかしくなってしまったようで……。どういうことでしょうか?」
「あれ。左目怪我をしたときに聴力も落ちちゃったかな?」
「は、」
「君の母君から、手紙をもらっちゃってね。前当主の自裁で足りなければ己も命は差し出す。息子も視力の大半を奪われた。これで手打ちにしてくれませんかと。貴婦人としては甘すぎて最悪だし世間知らずにもほどがあるけど……母親としては最高の部類。君は恵まれてるんだね。周りが後継者扱いをどうしても納得しないなら、君のその傷で言い訳すればいい。謎の襲撃事件なんてごまかさなくても、それは君が王子さまを守りたいがために負った名誉の傷。君以外の誰が、君以上に体を張って王子さまを守ろうとしたのか……君なら、わかるでしょう?」
思わず左の目尻に手をやっていた。傷は塞がっているが、医者に言われた通り、皮膚が抉れて窪んだ痕が残っている。前髪で隠せる範囲なのでそうしていた。女性ほどではないにしろ、顔に傷がつくのは好ましいことではないので。母のくれた片眼鏡についた鎖がちゃらりと音を立てた。
(……名誉?)
父親に切り捨てられた証のこれが?
父親を切り捨てる踏ん切りをつけた、この傷が?
「君は次代を担う柱になる。私たちのやり方が嫌なら嫌と言えばいい、次代に変革を行えばいい。それまでの道は整えてあげる。汚点を汚点にしない方法なんていくらでもあるし」
「それはお前だけだ」
「やだなあベリオルさま、人を詐欺師みたいに言わないでくださいよ」
マティスが唖然としたまま話は続く。いや、違う。続くのではない。あらかじめ決まっていて、それを暴露されているだけ。マティスはこの歯車を止めることはできない。そんな力はない。
今はまだ。
「マティス・クレイグ。君は自分のしたことを罪だと思っているんだろう?開き直れずに。それならそれでいい。本音と建前を使い分けることなんてこれからいくらでも経験すれば嫌でもできるようになるからそれでいい。君のその芯を見失わないような方法も教えよう。……でもね、開き直れずにいてもね、君は実際に家を継いで、この城に来たわけだ。王子さまのためだけに。罪なら、いつでも償えると思わない?王子さまが君を要らなくなったあとにでもさ」
下手な発破のかけ方だった。いや、本人にそんなつもりはないのかもしれない。
マティスにできることは、もはや王子の影でこっそりと息をし、存在を示すことだけだと思っていた。王子に一人ではないと言いたいだけの小さな影。だってそうだろう?罪人がこれ以上王子の傍にいてはいけないではないか。
それを――。
「私に、まだ殿下のお側にいる資格があると?」
「さっきからそう言ってるだろ。言っとくが、自力で泳いで生き残ったのはお前一人だけだ」
「つまり、君がいなくては王子さまは徹底的に孤立するというわけ。護衛のティオリア・ノーズリードは宮中伯だけど次男でそこら辺は弱いからねぇ。つまらない傷の舐め合いをするよりよっぽど前向きな提案だと思うけど?」
とりあえずマティスは仰け反った。
き、傷の舐め合い……。
言われてみればそうだけれども。けれども。人が悲痛に固めた決意をなんという言葉で言い表してくれたのだ。
「さて、これ以上は時間の無駄だ。就任式は数か月後の建国記念式典の日だと決まっている。今から動けば、クレイグ家の減った財産でも宰相補佐の役職に見合うものは用意できるだろうから、しっかりね。あ、異論は聞かないけど相談は受け付けるよ。ベリオルさまが」
「おれかよ」
「何せ私もつい最近ですからね!宰相になるって聞いたの!」
「根に持つな。納得してただろうが」
「オリフラムさま苛めることだけですけどね!はっきり言ってマティス・クレイグより私の方が問題ですよ、平民が伯爵位に宰相位って。小心者になんて過酷な試練を与えるんですか」
「お前、今さらそれ言うのか?」
なるほど、この宰相(予定)も振り回されるのは振り回されていると。ベリオル・ジヴェルナの言いたいこともわかるが。国王に謝罪させる人間を小心者とは言わない。
気づけばまた軽口の応酬になっているが、今度はわりと冷静に見守れた。
「時間の無駄はどちらだ」
国王など呆れ果てたように側近たちを眺めて呟いていた。そこも同感。
その青ベリルの瞳が、こちらを再び向いた。
「追って任命書を送る。もう退がってよい。ヴィオレットのところに寄れ」
「……仰せのままに」
ぺこりと礼をすると、さすがに言い合いをやめたらしい二人からも「じゃあな」とか「これからよろしく!」とか言われ、それを背中に受け止めつつ退出した。
……疲れた。
廊下を歩いて人気のないところまで来てようやく大きく息をついた。価値観が色々ひっくり返った謁見だった。
「お久しぶりです、クレイグ侯爵」
振り返れば、ずいぶん懐かしい顔がいた。
「ティオリア・ノーズリード」
「殿下のところまで案内します」
「……そうか。君は、私のことは聞いているのか?」
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「…………」
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支えになれるのか、ではない。なるのだ。
マティスの忠誠は、この方たった一人のためにある。
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