孤独な王女

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一段飛ばしで駆け上がる

壁と境界線

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 セレネスはぽかんとした。
 従者のアスティも目を見開いていた。
 二人を庭に案内した離宮警備隊の一人も、唖然と立ち尽くした。

「ああ、セレネス。いらっしゃい」

 その驚愕をものともせず声をかけたのは離宮の主たるリエンだ。面会の要望に対して一緒に城で晩餐を、と返したらどうせなので迎えに来ますと返事が来て、夕方の今、これである。

「もうそんな時間だったのね」
「……いえ、少々私が早すぎましたね……私も見物してよろしいでしょうか」
「どうぞ。ユゥ、席を――用意してるわね、さすが。セレネス、あまり近づきすぎないように気をつけて」
「はい、ご配慮くださりありがとうございます」

 礼を言いつつも意識は完全にガルダとナオの試合に釘付けだ。リエンとしても見応えがあるので文句はない。ふと流れ弾が飛んできたのを警備隊から借り上げた木刀で弾き落とすと、唖然とした視線がリエンにまで注がれることになった。

「そこに立ってないで、ほら」
「は、はい」

 離宮の建物から突き出した屋根の下でユゥが椅子とお茶の支度を整えていた。今回の安全圏で、兵士たちも揃って屋根の下に立っている。流れ弾の対処はリエンとレナの仕事だ。それ以外にできる者がいないので当然だった。

 昼食後、先にガルダと手合わせしたレナは、わりと簡単に降参した。もちろんそれも兵士たちの驚愕に足りるほどの実力を見せた後のことだ。気分がすっきりしたので、とあっさり武器を放り投げた。
 なにもしなくても異常に目立つ見た目なので、技倆の披露はナオを隠れ蓑にできる範囲内に制限していたようだ。バルトからもそうしろと念を押されているそうだし、ナオにも異論はないらしい。
 その分、不完全燃焼のような顔をしていたガルダも、本気で闘える口実ができたナオも、全力で張り切って試合に臨んだわけだ。今もきっと来客に気づいていない。

 尾っぽのごとき黒髪をたなびかせるナオは俊敏なことに加えてリエンと違って力があるので剣を真っ向から打ち合わせていた。大剣と短剣が激しくぶつかり合い火花を散らし、近くの木立すら足場に飛び回り、時には太陽を背に礫を繰り出し足元の土を蹴りあげて目潰しをしかけるなど、ありとあらゆる手段でガルダを翻弄している。そしてそれを紙一重でいなしていくガルダは相変わらず人間なのかと問いたくなる。
 途中で短剣を弾き飛ばされたナオはすかさず大剣を振るガルダの懐に潜り込んで腕を捻り上げ、ガルダは骨折回避のために剣を手放した。それと同時に肉弾戦の勃発である。飛んできた短剣にセレネスと従者がはっと身構えたが、レナが余裕綽々に叩き落とした。

「リィ、これもうあとは泥だらけになるだけじゃない?」
「ナオったら絞め技まで使ってるものね。あ、ガルダ、力ずくで引き離したわね」
「……王女殿下、あの者とはどういう……?」

 セレネスが固い声で尋ねてきたので友だちの傭兵と返したらますます顔がひきつっていた。

「今回離宮住み込みでちょっとした依頼をしてるの」
「そ、そうなんですか。どちらでお知り合いに?」
「この間の療養旅行の帰りよ」

 何をそんなに動揺しているのかとじいっと見上げたら、セレネスは咳払いをしたあと、困ったように笑った。

「……なるほど、友になればよかったんですね」
「なにが?」
「実は私もあの少年とは顔見知りでして。私の失言のせいで怒らせてしまい、それきりだったのです。謝罪しようにも相手が姿を消したのでいかんともしがたく……」

 リエンが思わずユゥを振り返りかけたのは仕方がない。つい最近同じ事をしたのがリエンだった。
 しかもナオが何に怒ったのかも、なんとなく予想がついた。自由というものをなによりも矜持としているのは、奈音の時よりも強固になった特徴だ。

「ナオって余計なしがらみが大嫌いだから」
「ええ、私も痛感しました」
「私は取り成さないわよ」
「もちろん、自力で歩み寄りましょう。この機会をいただけただけで大変感謝しております」

 やっとリエンとレナが制止の声をかけた後。砂埃にまみれたナオはやはりこれまで来客に気づいていなかったようで、セレネスの顔を見たとたん、「げえっ!!」となかなか酷い呻き声を上げた。ガルダが隣で丁寧にお辞儀をしているので落差がひどい。

「お湯の用意はできていますが……」
「ありがと!」

 ナオはユゥに頷いてすぐに風のように宮殿内に駆けていき、レナもこっそりと下がっていった。露骨に避けられてる、と眉を下げたセレネスだが、わりとすぐに気を持ち直した。ガルダがその後兵士たちに色々解説しているのを興味津々に聞いている。

「うーん、さすがに地面は直した方がいいな」

 セレネスにおかまいなくと言われたので片付けに勤しもうと思ったらユゥに木刀を取り上げられ、ガルダとナオとの戦いの痕跡を探すだけになった。探さずとも大体は普通に目につくが。木の皮や地面がめくれているのがなんとなく悲しい。芽吹きの季節だからかもしれない。

「手合わせの場所もちゃんも考えないとな」








☆☆☆








 イオンは学園から直接城に来た。アルブス家は気が利くのと一緒に単独行動が多いことも特筆すべきかもしれない。やっとセレネスと二人で並ぶのを見たのは晩餐会の時なのだ。この日のイオンは珍しく髪もきちんと整えて現れたので(王族との会食なので気を遣ったのかもしれないが)、よく似た顔立ちを見比べながらの食事となった。ヘリオスがいたらもっと見物だっただろう。
 実際、アルブス家の三兄弟はネフィルと同等に社交界ではかなり注目を集めているらしい。有数の高位貴族家男子だ。これまでアルビオン領に引きこもっていたのでなおさら視線が集まりやすく、しかも全員未婚、婚約者すらいないときた。ネフィルに妻子がいないので、アルブス家の主家であるアルビオン公爵家の養子に入るのではないかという気が早い噂も流れている。
 他にも有名なところではエスペランサ公爵家のアマーリオや一応学園では同級の侯爵家子息などがいるが、こちらもやはり、特定の相手がいない。
 マティスも確実に有望株だが、ルシェル派なので遠巻きにされているとのこと。マティスの場合は自分からユゥに求婚していたが。……求婚。

「そういえば、ユゥの結婚のこと考えてなかった」

 晩餐会後、別室で学園の話も粗方終わって、湧いてきた頭痛を癒すように寛いでいるとき。セレネスとイオンの顔をぼうっと見比べながらそんなことを呟いたら、室内が静まり返り、みんなの視線が集中した。

「……リィ?どうしたの。急に結婚とか」
「ユゥを今度のパーティーでお披露目しようと思ってるのよ。不穏な輩は排除したいから。でもそういう考えを持つ相手がいるなってことは考えてなくって。もちろんユゥの意志が伴わないと駄目だけど、私恋愛方面サッパリだから、問答無用で弾き飛ばしそう」

 まず恋心と野心の区別がつかない。ヒトメボレナニソレ。打算と好意の差も一目では見分けられないし。

「話の着地の仕方がおかしいけど……お披露目ってことは、やったね、ユーフェさん」

 察しよくヴィーがにんまりしたのでリエンはさっと目を逸らした。
 一方のセレネスは、イオンがわずかに表情を強張らせたのをきちんと見ていた。すぐに元通りになったが、顔が全部見えるので変化は一目瞭然だった。ほほう、とにんまりしたのはあくまでも内心でのこと。

「王女殿下はその者に恋愛結婚をお望みですか?」
「結婚そのものも、あの子がやりたいようにやればいいとは思ってる。でも不幸には絶対させない」
「そうですか……。でしたら、この愚弟をお使いください」
「え?」
「セレ兄上?」

 セレネスは周囲の疑問の視線をたっぷり集めた末、仰々しく胸に手を当てリエンを上目遣いで見た。

「王女殿下の寵愛深い侍女殿に近づく不逞の輩にも、アルブス家の名は効くでしょう。反対に、この壁を越える気概があるかで覚悟のほども見られます。ひとまず件のパーティーでは、イオンにエスコートの役目を与えてくださいませんか」
「はあ!?」
「なるほど」

 リエンはイオンが珍しく取り乱している姿を見ながら頷いた。確かにわかりやすい障害物を用意した方が選別しやすい。しかしイオンにとっては迷惑にしかならないような、と思ったら、セレネスがこれまた爽やかな笑顔で「愚弟にも社交界に出して経験を積ませる必要がありますから!」と言い切った。

「条件が合えば私がお受けしたかったのですが、私は今、アルビオン公爵家当主の名代ですからね。越えられない壁では意味がないでしょうから遠慮します」

 ずいぶん自信家な言い様だが誰も突っ込まなかった。確かに今のセレネスは努力しても越えられない壁、破壊工作を目論むしか手立てがないくらいの地位だ。

「その点イオンはまだ身軽ですし、侍女殿とも同年、社交の経験は未熟。ちょうどよいバランスだと思いませんか?」
「イオンの利点は?」
「こう申し上げては失礼かもしれませんが、イオンとしても侍女殿は壁になり得ます。私よりもイオンの方が狙われやすく、実際に縁談の打診も届いていると父が手紙に書いていましたし」
「……そこら辺は父上の判断に従うつもりなんだけど」
「父上はお前の望みを叶えてやりたいんだよ、あんまり無下にするな」
「…………」
「まあ、ここではまだ決めなくていいよ。ユゥにも確認してみるから」

 今晩は客人の寝床の用意や離宮内の整理のために、ユゥを離宮に置いて来ていたのだ。
 ユゥがいいようだったら申し込みに行かせると、イオンよりセレネスの方が積極的だった。ドレスは贈った方がいいですか、いやそれは私が用意してる、なら装飾品ですねと、仮定のわりに打ち合わせが弾むよそで、頭を抱えるイオンをヴィーが慰めていた。













 城内は、昨日とは空気が少し変わっていた。マティスが帰ってきたからだろう。ヴィーと国へ捧げるべき成果とともに。
 帰還報告はリエンの時と違い公の場で行われたので、情報が広がるのも早い。
 半年前にリエンの縁談がきっかけでシュバルツとは一触即発にまでなったのに、マティスは見事にそれをいなし、友好的な条約まで結んできたのだ。マティスの株が上がると同時に、ヴィーもまた称賛を受けるだろう。
 一方のリエンは好き勝手動いたあげくに人質にもなれるナージャを国許へ帰してしまったのだが、どうやら不手際だと見なされる雰囲気になっていない。姉弟での共同作業的な扱いにするようだ、とは城からの帰りにレナとナオが教えてくれた。城内の使用人は王族姉弟が仲睦まじいことを歓迎してるんだろうが噂話に盛り上がりすぎだ、と呆れながら言われた。
 この二人、ヴィーの顔を見てみたいというので一緒に城に行ったが、着いたとたんに別行動だったのだ。セレネスがまたしょんぼりしていたことは黙っておく。

「そういえば、ヴィーの顔はちゃんと見れた?誰よりも見応えのある美形だったでしょ?」
「うん、それはそうだった……すごく綺麗な顔だった……けど」

 レナが複雑な顔で言い淀み、ナオもしかめっ面になった。どうしたんだろう。

「レナ?」
「なんでもねぇよ。あの王子さんってお前のこと姉呼びしないんだな」
「ん、ああ、出会った頃は赤の他人で押し通してたから」
「は?リィって愛称じゃねえの?」
「最初は男装してるときに偽名として名乗ってた。ヴィーにもその感覚で呼ばせたら定着しちゃったのよね。今さらちゃんと名前で呼ばれても違和感があるからそのままにしてる」
「それもナヅミってやつの知恵か」

 リエンは何度か瞬いた。あれだけ奈積を――ナヅミ姉さまを貶していたくせに、今、さらりとその名前を出したのだ。驚かない方が無理だ。

「……おいなんで黙るんだよ」
「ナオ、わかりにくい仲直りの提案はやめなよ」
「そうなの?」
「違うに決まってんだろ。レナ、適当なこと言うな。ただ安直すぎる偽名が気になっただけだ。あいつ夢の中じゃいっつも名付けに悩みまくってたから」
「安直……確かに咄嗟にベリオルに名乗ったのが始まりだったけど。あれでうまくいったんだけどな。私が鬘被らなくても、髪を染めなくても、男装して外宮をうろついただけなのにみんなアルビオンだってことすら気づかなかったし」
「まじ終わってんなこの国」
「うーん、否定はできないわね。実際、五歳だった時でさえ、多分私一人で国の機能の二割は壊せたし」
「お前なら八割でもいけるだろ」
「買いかぶり通り越してるんだけど。私をなんだと思ってるわけ?」
「諸々がぶっ飛んだ上に自重してるようでしてない頭でっかちで頑固で地味に根に持つ負けず嫌いで自己中なお姫さま」
「よしナオ今度は私と手合わせしようか全力で負かす」
「どうどう、落ち着いてよリィ。ナオも煽らないでったら。昨日の今日で仲裁するの面倒なの。ゆっくり休ませてよね!だいたい、今日もガルダと手合わせしたばかりじゃん!」
「そうだった、庭がこれ以上荒れるの嫌だから場所も考えないといけないんだった」
「そういやけっこう荒らしたな、おれ」

 馬車の中だというのに臨戦態勢だった二人がふうと気を抜いたのでレナはほっとして座り直した。蒸し返されないうちに話題を変えてしまおうとナオに色違いの視線を向ける。

「そういえばアルビオンの人と知り合いだったんだね、ナオ」

 ナオはすぐさま馬車の窓に顔を逸らした。尾っぽがゆらりと揺れ、リエンは思わずそれを掬い上げた。

「……一応恩人だけど、もう借りは返した――って、おい、何してる」
「編んでる。すぐほどくよ。いや?」
「やめろ。暇なら自分の髪をいじくれ」
「人にやるのはまた違うのよ。パーティーのとき、ユゥの髪も私がやろうかな。うまくできるように練習台にならない?」
「や、め、ろ。遊び道具じゃねえんだ。ぶん殴らないだけましなんだからな。離せ」
「ごめん、もうしない」

 一房だけあえて長く伸ばしているのは、やはり何かしら思い入れがあるためらしい。素直に反省したリエンは、黒髪がするりと逃げていった掌を見つめながらさりげなく尋ねた。

「セレネスのこと、嫌なら私から言っておこうか?」

 ナオが目だけこちらに向けた。リエンの配慮とわずかな不安を見透かしたような落ち着いた色だった。

「……逃げ回る気はねえよ。今日は色々油断してたからああなっただけで。近いうちに自分でケリをつけるから、お姫さんは首を突っ込むな」
「わかった。ついでになるんだけど、レナは?」
「そう訊くってことは、リィ、ぼくの血縁者に会った?」
「お兄さんだと思う。お披露目で見つけたし、学園にも入学してるのは確認済み」
「ぼくの場合ははっきりとケリのつけようがないんだよなぁ……まあでも、血の繋がった兄ちゃんがいるのは知ってても記憶の限りじゃ会ったことないから大丈夫と思う。この色が目立たないように気をつけてるし、なるべく人前ではナオの側を離れないようにもするし。だから、リィ。いいよ、大丈夫」

 そう、と頷きつつどことなくリエンの表情に安堵が滲んでいるのを見て、ナオもレナも気づかれないようにそっと息を吐いた。

 リエンを自分たちの都合に巻き込みたくも利用したくもないというのは前からの決意だったが、昨日改めて確信したことに、リエンの自己肯定感の欠落がある。立ち居振る舞いこそ王女らしいが、いざ他人の運命を左右させる段になるととたんに尻込みするのはそのせいだ。知らず知らずに自分は他人より価値が劣ると思っている。
 政変まであれだけ長年に渡り貶められておきながらたった一人を除いて私刑にかけなかったのは、王女自分の価値を自認できていなかったから。今は多少板についてきているようだが、まだまだ曖昧な自覚だ。奈積だった頃ならこんなこと尋ねるまでもないはずだったのだ。
 全て周囲の大人が奪っていったせいだと思うと腹立たしい。もっと絞め上げればよかった。

「お前の持ってる権力は、お前自身のためにちゃんととっておけ。夢の中じゃ、ナヅミって女も人の矜持にはちゃんと敬意を払ってた。お前がユゥを守ろうとしてるのとは意味が違うんだ。それはわかってるか?」
「……うん。でも、二人が本当に追い詰められてたら介入するよ」
「それでいいんだよ。ぼくも友だちが自力でできる分は見守って、窮地に陥ったら助けるよ。それが当たり前なの。安心して、ね?」
「……わかった」

 リエンは奈積の感覚を思い出すべく目を閉じた。といっても、かつて自分が自分に言ったことだった。いつまでも守っていられる訳じゃない、一人で立てるようにするのが奈積の思う「守り手」の仕事――奈積の人との関わり方。

「……私、今のところちゃんと立ててるかな」

 独りだとなんにもわからない。でも。

「ガルダとユゥがちゃんと支えてるよ。リィが傷つけばあの二人も傷つくんだから、しっかりしないとね」
「おれらに構うより自分のことをちゃんとしろ。嫌なことは嫌って言って権力使ってすぐ反撃しろ。仕方ないとか糾弾するのに足りないとか権力使うの怖いとかで流すな。確実に使いどころ間違ってたらみんなで今みたいに止めてやるからぶん回せ」

 レナに頭をよしよしと撫でられ、ナオには乱暴な口調だが温かく沁みるように言われ。前世の関係からすると照れ臭いことこの上ないが、やっとリエンは心の底から安心して笑うことができた。





 ……この数日後、ナオに言われたように盛大にぶちかますことになるとは、この時誰も予想していなかった。





 

ーーー 
前世のことは全部夢だとごまかすナオ。リエンに似て嘘が下手くそ。
レナとレナの兄は一歳差。レナの戸籍はなし。政変をきっかけに家を出された。
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