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一旦立ち止まって振り返る
自由の翼①
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大きな街を離れしばらく後。のどかな田園風景に全くもって不釣り合いな馬蹄の轟きが耳に入り、王女たち一行はげんなりとした雰囲気を隠そうともしなかった。
「今日も来たね……」
ぼそりと呟く幼い少年の視界の片隅に、作物の収穫作業に勤しんでいた農夫たちが背の高い草原から顔を出すのが見えた。ついで、こちらの馬車に気づき、そこにある王家の紋章に驚き、慌てて平伏している。……邪魔になるだろうから遠慮していたのに、とんだ闖入者のお陰でぱあだ。ついでに私の少ない自由時間を奪う相手にムカつきも増す。この騒音の目的もどんな人物かもあらかたわかっているから、心の準備はできるけれど、不快指数が増していることに変わりはない。
「無視しちゃいけないの?」
「それは……」
背中にぴったりと座っているガルダが、大きく手綱を操ろうとしたのを見て、一番近くにいた近衛の一人が顔をひきつらせた。
「さすがに無理かと……」
「王女さまの命令でも?」
「むしろ逆効果ですね」
ナキアが馬車の御者台から言い足した。ものすごく真顔で暴言を柔らかく。
「姫殿下が顔のみならず声を出せば、相手は絶対に調子に乗ります。自己中に全てを己のいいように変換されますよ」
「自己中」
ヴィーとネフィルと別の経路を取りはじめてはや数日。おしゃべりの相手も馬車の窓越しだし、暇潰しも全て飽きてしまった。好天が続くのにたった一人馬車のなかに閉じ籠ることも嫌気がさして、暇な馬車内で計画を練り、こうして日中は馬車の外に出る自由を勝ち取った。
渋面だったナキアや近衛たちはみんな、適当に約束を作って無理やり納得させたが、よもやここまで恒常的に邪魔が入るとは、リエンも考えていなかった。
「お待ち下さい!!」
……現実逃避は諦めることにした。いつも通り、後衛にいた近衛の二人が馬首を返し、後ろから近づいてくる団体客に相対する。それ以外は馬車も馬も止まらない。一応振り返って顔を確かめようとしたら、ガルダが物凄い顔だったので、見ないふりをした。機嫌が悪そうだ。
それでもちらりと見えたのは、私とさして歳が変わらない、貴族服に帯剣した少年と、数人の護衛の騎馬姿だった。
「名乗られよ。この馬車を王家のものと知っていての無礼か」
「失礼いたしました。ぼくはアルフィオ・ウェズと申します。当ウェズ領の領主バーナードの長子であります。あの……」
アルフィオ少年は、構わず遠退いていく馬車をちらちらと身ながら、正対する近衛騎士に口ごもる。領主の跡継ぎと名乗れば、騎士も多少は怯むのかと思っていたが……全く態度は変わらないので、当てが外れた気分だった。
「それで、何のようで呼び止めようと思ったのだ」
「殿下に、ウェズの館でおもてなしをしたいと思っておりまして。殿下に取り次ぎをお願いできますでしょうか」
「なぜ?」
「えっ?」
「そちらの館で滞在する予定はない。それに、既に先方には王子殿下が参られているはずだ。そちらを気にせずにここまで追ってくるとは、王子殿下に対しても無礼と知れ」
「ですが、せっかく王女殿下も当領にいらしたのです。是非とも……」
「殿下は物見遊山に来られたのではないのだぞ。弁えよ」
「……それならば、せめてご同行だけでも」
アルフィオ少年はなんとか答えながらも、どんどん距離が開いていく馬車に焦りを募らせた。そして、どうにかして止めたいと思い……。
「……あの子どもは、いったい?」
リィ・ウィリデを見つけてしまったのだった。
(あらら、見つかったか)
耳をそばだてていたリィは内心でぺろっと舌を出した。
「あちらのか……彼は、騎士見習いだ。それがどうかしたか」
近衛もまた言葉を尖らせた。リィの周りで、いつでも動けるようにと居住まいを糺すものもいる。ガルダは既に不機嫌を通り越し、不愉快を全面に表情に出していた。怖い。醸し出される理不尽な威圧感に、近衛の方々も震えていらっしゃる。
「騎士見習い?」
アルフィオ少年はぐっと眉間にしわを寄せた。もっと違うものを想定していたようだ。地味な身なりだが、騎士見習いということは、貴族の出身ということである。つまり、アルフィオ少年と同列。
そうやって勝手に内心では早合点して既に嫉妬気味だ。
「……あのような身なりで、一人で馬にも乗れないのに?ぼくが耳にした範囲でも、あのような者はリストに入っていらっしゃらなかったように思うのですが」
「殿下直々の拝命だ。歳が近いので話し相手になることもある。口を慎め」
近衛は、騎士見習いが王女の庇護下にあるとして牽制をかけようと思ったのだが、自己中少年には、ますます嫉妬を駆り立てられる結果となった。領地持ちの嫡男というだけあって、それなりに傲慢なのだった。
「彼のような者が認められるならば、ぼくも同行してもよろしいのではないですか?ぼくも王女殿下と歳も近いですし……」
「……未来永劫失礼しまくってるよね、あれ」
遠退いているはずなのに、声が意外にもはっきり聞こえる。どうやら、近衛を押しきるように徐々に馬を進めているらしい。近衛もまた、威嚇はできても相手に剣を抜くことは最終手段なので、渋々押されているようだ。
そして、ぽそっと呟いた言葉は、周囲の近衛を笑わせることに成功してしまった。吹き出そうとして変な顔になったり馬の上で悶絶したり。ガルダも毒気を抜かれたように苦笑いしていた。
しかしアルフィオ少年は無駄に地獄耳だったらしい。「なんだと?」と咎める声が聞こえてきた。
「今言ったのは貴様か、子ども。名乗れ」
「……リィさま」
「いいよ、ガルダ。止めて」
「姫さま」
ナキアも馬車の方から待ったをかけるが、さすがに私の沸点を理解していたらしく、にっこり微笑みかけると、すぐに諦め顔になった。あたふたしていた近衛たちも気づいてざあっと青ざめる。ガルダだけが、渋々といったように轡を引いた。
そう、少年に扮していた王女は、とても怒っていたのだった。
「……こんにちは?リィ・ウィリデと申します。それで、果てしなく無礼なお兄さん。私が、どうかしました?」
「……貴様に用はない」
誰の逆鱗に触れたか知らない幸せなアルフィオ少年は、ひとまず馬車が止まったことに内心で快哉を叫んだ。あとは王女に媚を売るだけである。ついでにこの気に入らない口を利く子どもを排除できればよい。
周りの近衛が口を出さないことに疑問を抱かないさまは、まさに自己中心的だ。全くもって扱いやすい。
「あれ、さっきまで散々に言っていたのに?ああ、自信がないんですね。王女さまもそんな人に傍に寄られたくないと思いますよ。……特に、下劣な下心が透けて見えるんですから」
「なんだと!?」
「とっても困ってるみたいですよー。……私に何とかしてって言われても、既に振るう剣を遥か彼方に投げ捨ててるような人なんですよ?無視してさっさと行きましょうよ」
馬車の窓に顔を向けて言うと、アルフィオ少年が一気に顔を真っ赤にした。王女がこの少年を頼っている(ように見えている)のも、少年が心底こちらを馬鹿にしてきているのも、どちらも許せるものではない。
「貴様……!」
「一人で馬にも乗れない子ども相手に逃亡するなんてみっともないですもんね。仕方ないですよ。え?怪我しなくてよかった?あはは。ご心配ありがとうございます。どのみち怪我なんてしなかったと思いますけどね」
「……王女殿下!!」
堪忍袋の緒は既にぷっつんだ。まさに腰の剣に手を添えて――否、握りつぶさんばかりにぎりぎりと柄を握っている姿に、さしもの近衛たちも警戒度を増した。相手が領主の子息であり、敵意がないので見過ごしていた……彼らの職責の限界だったのだが、抜剣すれば排除の名目は立つ。アルフィオ少年の周りの護衛も、主をコケにされて憤るものもいれば、近衛につられて殺気を高めるものもいる。
一気に戦場と化したのどかな田園地帯に、一人、ガルダは天を仰いだ。……話の着地点が見えたのだ。「……どんだけ無茶すれば……」という呟きは、アルフィオ少年の怒声にかき消された。
「王女殿下、失礼ですが、そちらの少年と手合わせさせて頂きたい!ここまでコケにされてはウェズの名が廃ります!!」
(既に廃れてるよ)
狙った場所に素直に落ちてくれて、リエンとしては嘲笑うのをこらえるだけで精一杯だ。人を散々に馬鹿にするくせに、自分はされたくないとか。アホだろ。
「いいですよ。時間がないのでさっさとしましょうか。王女さま、先輩方、申し訳ありません」
「いえ、その……」
「騎士見習いですが、私も鍛えていない訳ではないので、申し訳ありません、誰か審判をお願いします。……そうですね、ガルダさま、お願いします」
ガルダがものすごく心配そうな顔で見つめてくるが、止めないのは、明らかに私の方が上だとわかっているからだ。そして、私の戦い方を身をもって知っているからこそ、審判を任せる意味も察している。
「そちらの者では不公平ではないか?」
「あれ?まさかウェズの次期領主さまともあろう者が、ガルダさまをご存じない?王女殿下のみに仕えるため、ここでは一番公平な人間なのに。それとも……不安なんですか?やっぱり自信がないんですねぇ?」
騎士見習いなので近衛騎士の部下という扱いだし、あちらの護衛はそりゃあ御曹司を擁護するだろう。さすがにそこを察する能はあるらしい。というかまだまだ顔は沸騰しまくっている。
「……ふん、いいだろう。すぐ奥に広い空き地かあったはずだ。そこで手合わせといこう」
「いいですよ。ついでにルールも設けましょう」
「ルールだと?はっ。正面からぶつかる気概もなく、反則でもとるのか。卑怯な」
「わあ、そんなに小細工思い付くんですねー。素晴らしい発想です。私には考えつきませんでした」
こういうのは言った者勝ちだ。せいぜい無邪気を装ってみたのはご愛嬌。
……おー。もはや赤を通り越して顔がどす黒い。忍耐弱いな、この少年。
笑いそうになって、咳払いでごまかしたら、変な声がでた。
「……た、単に、一度負けてもあなたは納得しないでしょうから、そのためですけどね。そうですね、三本先取にしましょう。場外やその他については不問。降参するか剣を落とせば一本。もしくはガルダさまの判断でいきましょう」
所詮、こんなものはお遊びだ。そう言外に滲ませれば、アルフィオ少年も嗜虐的な笑みを浮かべる。
「どちらが王女殿下の傍に侍るにふさわしいか……わからせてやろう!」
……うん、その条件でいいんだけどさ。
狙ったのは私だけど、よくここまで話をずらせたな、少年よ。
☆☆☆
まあ、結果としては。
「やめ――じゃ間に合わないか」
がきん、という金属音で、ガルダが私の短剣を大剣で弾き飛ばした。目の前にいたアルフィオ少年は、ただずっと、唖然と突っ立っていただけ。「はじめ」と声をかけられてから、ここまでわずか数瞬。ずっと隙だらけだった。
「……うーん、やっぱり無理だったか」
短剣を拾いに行きながら呟く。やっぱりガルダを審判にしておいてよかった。
武器を握っていた右手は、強く弾かれたのにそこまで痛くない。
「な……」
「今の、どっちですか、ガルダさま。中止?それとも一本?」
「あなたの一本ですね。あのまま振り抜いていれば喉がすっぱり切れてましたし」
やっぱり審判に選んだのは殺させないためか、とガルダは苦笑している。ええその通りですよ。どうせ私、手加減なんて下手くそなんだから。仲裁させた方が早い。
「じゃあ、二本目いきましょうか。アルフィオさま、大丈夫ですか?」
にっこりと微笑み、短剣を構え直すその正面で……アルフィオ少年は、ただひたすらに驚愕していた。
徹頭徹尾見下していた子どもだったのだ。貧弱な細腕に小柄すぎる体。長すぎる髪をおろせばまさしく女のようではないか。しかも普通の規格の剣を振れないからこその短剣なのだろうが……まともに打ち合いなどできないだろう。
これであれだけの挑発をなされたのだから、アルフィオ少年はかなり憤慨していた。身の程を知るべきだ、と。それに加えて、王女殿下が「争いは好みません。結果もわかりきっていますし」(リィ代弁)とのたまい、止まった馬車から顔を見せないことも苛立ちを増加させた。せっかく己を売り込む場所なのだが……まあよい。この少年をこてんぱんにすれば顔を出してくれる。
勝負は実剣であるのだけが、アルフィオ少年にとっては懸念事項だった。勢い余ってやってしまうかもしれない。さすがに女性に血を見せてはいなけい分別はあった。
そして、殺さないように……とまで気を抜きまくった結果が、先の一本であった。アルフィオ少年が文句もつけられない瞬殺。
だいたい、リィにはまともに刃を打ち合うつもりなどないのだった。
「今日も来たね……」
ぼそりと呟く幼い少年の視界の片隅に、作物の収穫作業に勤しんでいた農夫たちが背の高い草原から顔を出すのが見えた。ついで、こちらの馬車に気づき、そこにある王家の紋章に驚き、慌てて平伏している。……邪魔になるだろうから遠慮していたのに、とんだ闖入者のお陰でぱあだ。ついでに私の少ない自由時間を奪う相手にムカつきも増す。この騒音の目的もどんな人物かもあらかたわかっているから、心の準備はできるけれど、不快指数が増していることに変わりはない。
「無視しちゃいけないの?」
「それは……」
背中にぴったりと座っているガルダが、大きく手綱を操ろうとしたのを見て、一番近くにいた近衛の一人が顔をひきつらせた。
「さすがに無理かと……」
「王女さまの命令でも?」
「むしろ逆効果ですね」
ナキアが馬車の御者台から言い足した。ものすごく真顔で暴言を柔らかく。
「姫殿下が顔のみならず声を出せば、相手は絶対に調子に乗ります。自己中に全てを己のいいように変換されますよ」
「自己中」
ヴィーとネフィルと別の経路を取りはじめてはや数日。おしゃべりの相手も馬車の窓越しだし、暇潰しも全て飽きてしまった。好天が続くのにたった一人馬車のなかに閉じ籠ることも嫌気がさして、暇な馬車内で計画を練り、こうして日中は馬車の外に出る自由を勝ち取った。
渋面だったナキアや近衛たちはみんな、適当に約束を作って無理やり納得させたが、よもやここまで恒常的に邪魔が入るとは、リエンも考えていなかった。
「お待ち下さい!!」
……現実逃避は諦めることにした。いつも通り、後衛にいた近衛の二人が馬首を返し、後ろから近づいてくる団体客に相対する。それ以外は馬車も馬も止まらない。一応振り返って顔を確かめようとしたら、ガルダが物凄い顔だったので、見ないふりをした。機嫌が悪そうだ。
それでもちらりと見えたのは、私とさして歳が変わらない、貴族服に帯剣した少年と、数人の護衛の騎馬姿だった。
「名乗られよ。この馬車を王家のものと知っていての無礼か」
「失礼いたしました。ぼくはアルフィオ・ウェズと申します。当ウェズ領の領主バーナードの長子であります。あの……」
アルフィオ少年は、構わず遠退いていく馬車をちらちらと身ながら、正対する近衛騎士に口ごもる。領主の跡継ぎと名乗れば、騎士も多少は怯むのかと思っていたが……全く態度は変わらないので、当てが外れた気分だった。
「それで、何のようで呼び止めようと思ったのだ」
「殿下に、ウェズの館でおもてなしをしたいと思っておりまして。殿下に取り次ぎをお願いできますでしょうか」
「なぜ?」
「えっ?」
「そちらの館で滞在する予定はない。それに、既に先方には王子殿下が参られているはずだ。そちらを気にせずにここまで追ってくるとは、王子殿下に対しても無礼と知れ」
「ですが、せっかく王女殿下も当領にいらしたのです。是非とも……」
「殿下は物見遊山に来られたのではないのだぞ。弁えよ」
「……それならば、せめてご同行だけでも」
アルフィオ少年はなんとか答えながらも、どんどん距離が開いていく馬車に焦りを募らせた。そして、どうにかして止めたいと思い……。
「……あの子どもは、いったい?」
リィ・ウィリデを見つけてしまったのだった。
(あらら、見つかったか)
耳をそばだてていたリィは内心でぺろっと舌を出した。
「あちらのか……彼は、騎士見習いだ。それがどうかしたか」
近衛もまた言葉を尖らせた。リィの周りで、いつでも動けるようにと居住まいを糺すものもいる。ガルダは既に不機嫌を通り越し、不愉快を全面に表情に出していた。怖い。醸し出される理不尽な威圧感に、近衛の方々も震えていらっしゃる。
「騎士見習い?」
アルフィオ少年はぐっと眉間にしわを寄せた。もっと違うものを想定していたようだ。地味な身なりだが、騎士見習いということは、貴族の出身ということである。つまり、アルフィオ少年と同列。
そうやって勝手に内心では早合点して既に嫉妬気味だ。
「……あのような身なりで、一人で馬にも乗れないのに?ぼくが耳にした範囲でも、あのような者はリストに入っていらっしゃらなかったように思うのですが」
「殿下直々の拝命だ。歳が近いので話し相手になることもある。口を慎め」
近衛は、騎士見習いが王女の庇護下にあるとして牽制をかけようと思ったのだが、自己中少年には、ますます嫉妬を駆り立てられる結果となった。領地持ちの嫡男というだけあって、それなりに傲慢なのだった。
「彼のような者が認められるならば、ぼくも同行してもよろしいのではないですか?ぼくも王女殿下と歳も近いですし……」
「……未来永劫失礼しまくってるよね、あれ」
遠退いているはずなのに、声が意外にもはっきり聞こえる。どうやら、近衛を押しきるように徐々に馬を進めているらしい。近衛もまた、威嚇はできても相手に剣を抜くことは最終手段なので、渋々押されているようだ。
そして、ぽそっと呟いた言葉は、周囲の近衛を笑わせることに成功してしまった。吹き出そうとして変な顔になったり馬の上で悶絶したり。ガルダも毒気を抜かれたように苦笑いしていた。
しかしアルフィオ少年は無駄に地獄耳だったらしい。「なんだと?」と咎める声が聞こえてきた。
「今言ったのは貴様か、子ども。名乗れ」
「……リィさま」
「いいよ、ガルダ。止めて」
「姫さま」
ナキアも馬車の方から待ったをかけるが、さすがに私の沸点を理解していたらしく、にっこり微笑みかけると、すぐに諦め顔になった。あたふたしていた近衛たちも気づいてざあっと青ざめる。ガルダだけが、渋々といったように轡を引いた。
そう、少年に扮していた王女は、とても怒っていたのだった。
「……こんにちは?リィ・ウィリデと申します。それで、果てしなく無礼なお兄さん。私が、どうかしました?」
「……貴様に用はない」
誰の逆鱗に触れたか知らない幸せなアルフィオ少年は、ひとまず馬車が止まったことに内心で快哉を叫んだ。あとは王女に媚を売るだけである。ついでにこの気に入らない口を利く子どもを排除できればよい。
周りの近衛が口を出さないことに疑問を抱かないさまは、まさに自己中心的だ。全くもって扱いやすい。
「あれ、さっきまで散々に言っていたのに?ああ、自信がないんですね。王女さまもそんな人に傍に寄られたくないと思いますよ。……特に、下劣な下心が透けて見えるんですから」
「なんだと!?」
「とっても困ってるみたいですよー。……私に何とかしてって言われても、既に振るう剣を遥か彼方に投げ捨ててるような人なんですよ?無視してさっさと行きましょうよ」
馬車の窓に顔を向けて言うと、アルフィオ少年が一気に顔を真っ赤にした。王女がこの少年を頼っている(ように見えている)のも、少年が心底こちらを馬鹿にしてきているのも、どちらも許せるものではない。
「貴様……!」
「一人で馬にも乗れない子ども相手に逃亡するなんてみっともないですもんね。仕方ないですよ。え?怪我しなくてよかった?あはは。ご心配ありがとうございます。どのみち怪我なんてしなかったと思いますけどね」
「……王女殿下!!」
堪忍袋の緒は既にぷっつんだ。まさに腰の剣に手を添えて――否、握りつぶさんばかりにぎりぎりと柄を握っている姿に、さしもの近衛たちも警戒度を増した。相手が領主の子息であり、敵意がないので見過ごしていた……彼らの職責の限界だったのだが、抜剣すれば排除の名目は立つ。アルフィオ少年の周りの護衛も、主をコケにされて憤るものもいれば、近衛につられて殺気を高めるものもいる。
一気に戦場と化したのどかな田園地帯に、一人、ガルダは天を仰いだ。……話の着地点が見えたのだ。「……どんだけ無茶すれば……」という呟きは、アルフィオ少年の怒声にかき消された。
「王女殿下、失礼ですが、そちらの少年と手合わせさせて頂きたい!ここまでコケにされてはウェズの名が廃ります!!」
(既に廃れてるよ)
狙った場所に素直に落ちてくれて、リエンとしては嘲笑うのをこらえるだけで精一杯だ。人を散々に馬鹿にするくせに、自分はされたくないとか。アホだろ。
「いいですよ。時間がないのでさっさとしましょうか。王女さま、先輩方、申し訳ありません」
「いえ、その……」
「騎士見習いですが、私も鍛えていない訳ではないので、申し訳ありません、誰か審判をお願いします。……そうですね、ガルダさま、お願いします」
ガルダがものすごく心配そうな顔で見つめてくるが、止めないのは、明らかに私の方が上だとわかっているからだ。そして、私の戦い方を身をもって知っているからこそ、審判を任せる意味も察している。
「そちらの者では不公平ではないか?」
「あれ?まさかウェズの次期領主さまともあろう者が、ガルダさまをご存じない?王女殿下のみに仕えるため、ここでは一番公平な人間なのに。それとも……不安なんですか?やっぱり自信がないんですねぇ?」
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「いいですよ。ついでにルールも設けましょう」
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「わあ、そんなに小細工思い付くんですねー。素晴らしい発想です。私には考えつきませんでした」
こういうのは言った者勝ちだ。せいぜい無邪気を装ってみたのはご愛嬌。
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「……た、単に、一度負けてもあなたは納得しないでしょうから、そのためですけどね。そうですね、三本先取にしましょう。場外やその他については不問。降参するか剣を落とせば一本。もしくはガルダさまの判断でいきましょう」
所詮、こんなものはお遊びだ。そう言外に滲ませれば、アルフィオ少年も嗜虐的な笑みを浮かべる。
「どちらが王女殿下の傍に侍るにふさわしいか……わからせてやろう!」
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☆☆☆
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「……うーん、やっぱり無理だったか」
短剣を拾いに行きながら呟く。やっぱりガルダを審判にしておいてよかった。
武器を握っていた右手は、強く弾かれたのにそこまで痛くない。
「な……」
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やっぱり審判に選んだのは殺させないためか、とガルダは苦笑している。ええその通りですよ。どうせ私、手加減なんて下手くそなんだから。仲裁させた方が早い。
「じゃあ、二本目いきましょうか。アルフィオさま、大丈夫ですか?」
にっこりと微笑み、短剣を構え直すその正面で……アルフィオ少年は、ただひたすらに驚愕していた。
徹頭徹尾見下していた子どもだったのだ。貧弱な細腕に小柄すぎる体。長すぎる髪をおろせばまさしく女のようではないか。しかも普通の規格の剣を振れないからこその短剣なのだろうが……まともに打ち合いなどできないだろう。
これであれだけの挑発をなされたのだから、アルフィオ少年はかなり憤慨していた。身の程を知るべきだ、と。それに加えて、王女殿下が「争いは好みません。結果もわかりきっていますし」(リィ代弁)とのたまい、止まった馬車から顔を見せないことも苛立ちを増加させた。せっかく己を売り込む場所なのだが……まあよい。この少年をこてんぱんにすれば顔を出してくれる。
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そして、殺さないように……とまで気を抜きまくった結果が、先の一本であった。アルフィオ少年が文句もつけられない瞬殺。
だいたい、リィにはまともに刃を打ち合うつもりなどないのだった。
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