107 / 288
手探りで進む
閑話・墓から生まれた娘②
しおりを挟むその幼女に「ユーフェミア」という大層な名前をつけたのはメリエだった。かつて創国の聖女の一人として名を連ねた娘からとったものである。
幼女に関して何事も不吉に捉える村人に親しみが湧けばいいという少しの打算もあったが、それ以上に、幼女に与える祝福の意味が強かった。
メリエが引き取ってもよかったが、神殿の独り暮らしだ。時折というか毎日のようにアレクとカタリナ夫婦が通っているが、これから体力的にも精神的にも成長していく子どもの面倒を見るのに、衰えが激しい彼女だけでは心許ない。村に居を構えるアレクたちの方が面倒を見やすいし、日常的に様々な人間と接せられる村での生活の方が、ユーフェミアのためになると考えたのだ。それに、表面上では割りきっている夫婦も、根底に子どもが欲しいという願望が強く根付いていたのだった。
ユーフェミアは、誰がどうでもよかったのだろうか。名付けられても反応せず、黙ってアレクとカタリナに手を引かれて、村の一軒家に歩いていった。
「ユーフェ!」
「はーい?」
村の旅人用の宿舎から、十歳になったユーフェミアが顔を出した。村長の住まいと隣接している、不釣り合いなほど大きな建物から飛び出す小さな少女は、朗らかに駆け寄って、母親に抱きついた。甘え盛りの年頃は、あの感情の発露に乏しかったユーフェミアにも訪れていた。
「どうしたの?母さん」
「お父さん知らない?」
「中でジヴェルナのおじさんと話してるよ」
「……全くもう。ユーフェ、メリエさまのところへ行っておいで。お祈りの時間だから」
「はーい」
それどころか、ユーフェミアはくるくると表情を変え、何事にも活発に動く元気な村娘に成長していた。「忌み子」や「不吉な子ども」といった村人からの陰口も鳴りを潜めるほど天真爛漫で、平凡な少女として。多少違うのは、村の人々と同じように交易品として扱う布や編み物の生産に従事せず、アレクの研究の補佐をしたりメリエから文字を習っていることだろうか。最近は王都から持ち出してきた経典を読んでいる。
それとは別に、春から夏にかけて神聖王国の都へ訪れるジヴェルナの商人がこの村を通っていくので、好奇心旺盛に突撃している。これもアレクの真似をしているのだ。ずいぶんと父親に懐いてしまった。ただしメリエやカタリナの精神を引き継いでいるので、アレクよりよっぽど頼りになる存在だった。
神殿に駆け去っていくユーフェミアを見送ったカタリナは、そのまま宿舎へ向かった。すぐに人が固まって話し込んでいるのを見つけ、近寄っていく。アレクも気づいて、立ちあがって輪を離れていた。
「アレク」
「やあ、カタリナ」
「『やあ』じゃないわよ。神官がお祈りの時間ほったらかしてどうするのよ」
「ばあちゃんにはこの時期、免除の許可をもらってるよ」
「……そうなの」
少し目を見張って、夫の周りに集まる商人たちを見渡した。毎年微々たるものなので、あまり意識しなかったが、五年前と比べると確実にその数は減っていた。頭が固い村長より、アレクの方が真剣に村の将来を考えている気がする。
「ユーフェの故郷だからね、ここは。できるならこれ以上悪い方向に行ってほしくないよ」
「あたしもよ」
そもそも、なぜ同じロナウド一家なのに居が違うのかというと、アレクの研究精神のためだ。神殿は村の生活とは馴染まない。しかし、ここに左遷されてきたときから、アレクの最大の目標は、村を潰えさせないことであり、それは村のなかで暮らさないとできないことだった。
(……『このまま変わらずにいると、いつかここは滅んでしまう』……)
来たばかりの頃、アレクは村をざっと見渡して数日でそう結論づけた。
メリエとカタリナは特に気にしなかったが、王都で行政に関わっていたアレクには耐えがたかったらしい。そして、それこそが本神殿の意図だと察したのだった。
さすがにメリエもそこまでとは考えていなかったらしいが、合理的ではある。いずれ滅ぶ村ならば、メリエが本神殿の教義と外れたことを教えても、揉み消すことなく自然に消えてゆく。最も効率的で、最も残酷な方法。メリエ一人を追い込むためだけに。
そこまでわかれば、負けん気が強いメリエが反発するのは必至だ。アレクへの援助という形で便宜をはかり、村を救う努力を認めていた。
ユーフェミアが現れてからはなおさらだ。元々独りぼっちだった彼女を根なし草にだけはさせたくなかった。ロナウド家はユーフェミアを中心に、より強固に村を守る決意を固めていたのである。
「カタリナ。突然で悪いんだけど……しばらく村を出ようと思う。今、その話をつけていたところなんだ」
「まあ。どこへ?」
「ばあちゃんは王都出禁だけど、ぼくは勝手についてきただけだからね」
商人たちはそれぞれで雑談を広げている。彼らの運ぶジヴェルナの農作物は、痩せた土地が広がる神聖王国ではかなり重宝される。特にジヴェルナ北部は保存食の生産が盛んであるため、この村を通過して王都まで運んでいく長時間でも品質はあまり変わらない。
この周辺は、食糧の生産に向いていない土地が広がっている。そのためこうしてついでで訪れる商人たちと、食糧を村特産の綾織の装飾品と交換しているのだ。アレクが滅びると懸念するのは、主にそのためである。綾織にしろ、その原材料はほとんどを商人の物資により賄っている。つまり、こんな辺鄙な場所に訪れる人間ありきで生き繋いでいる村なのだ。
綾織は確かに美しいとジヴェルナで需要があるらしいが、ここまで綾織のためだけに来ることを考えると、見返りが小さすぎ、費用が大きくなる。
アレクはそんな不毛な土地でなんとか生産できるものはないかと、長年四苦八苦している。ジヴェルナから種を分けてもらい神殿の周りを開墾したり、近くで採集できる植物の実について調べたり。春や夏は書物に向かい、秋は山を歩き回り、冬は家にこもって暗がりのなかで頭を働かせ続ける……。
「年々商人は減っているし、王都は交易がなくとも潤っている……って、聞いたことあるでしょ?」
「それは……」
「聞いてみたら、五年前からだった。勝手にまたユーフェのせいにされちゃたまらない。関係ないって証明しないと。もし種があるなら分けてもらいたいし、それに……」
アレクは真剣な顔で、妻の耳元に唇を寄せた。
「多分、『巫』さまが顕現している」
「……それは……!!」
「ばあちゃんも多分それを疑ってる。王都の知り合いとの手紙のやり取りも最近増え始めたし……でも、たしかなことがわかってない。ぼくが確かめてくる」
「あたしも行くわ」
「……カタリナ」
「単純に考えなさいよ。あんたを一人で行かせられると思う?あたしがいないとまともに顔も洗えないくせに。旅の途中で寝ぼけて井戸にすっ転んでも誰も助けてくれないわよ」
「わ、悪かったよ。でもユーフェは……」
「あの子も連れていきたいけど、さすがに今回は駄目よ。あたし、ユーフェが誰の血を引いていようと気にしないわ。紛れもなくあたしとあんたの子どもよ。でも、だからこそ、危険な目に遭うとわかっていてこの村から出すことはできないわ。メリエさまにお願いしましょう」
「……うちはやっぱり女性が強いなぁ」
「あんたが弱すぎるのよ」
ユーフェミアは当然、大好きな母と父の突然の旅行に地団駄を踏んで抵抗したが、普段は一人娘に甘いアレクですらきっぱり断ったので、とうとう泣きべそをかいてそのまま祖母の元へ逃げていってしまった。
確かに、その決意の翌日に出立というのは早すぎたかもしれない。しかし、商人たちにも仕事がある。同行させてもらう以上待たせるわけにはいかないので、夫婦はメリエにお願いして、ユーフェミアに機嫌を直してもらおうと、お土産を買って帰ってくる約束をメリエ仲介で執り行った。
……誰も、予想しなかった。
そのまま、アレク・ロナウドとカタリナ・ロナウドが、二度とこの村に足を踏み入れることがなかったことを。
泣き崩れたメリエの隣で、報せて遺体まで運んでくれた村長の息子たちの前で。
……ユーフェミアは、呆然と立ち尽くしていた。
0
お気に入りに追加
1,705
あなたにおすすめの小説
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
30代社畜の私が1ヶ月後に異世界転生するらしい。
ひさまま
ファンタジー
前世で搾取されまくりだった私。
魂の休養のため、地球に転生したが、地球でも今世も搾取されまくりのため魂の消滅の危機らしい。
とある理由から元の世界に戻るように言われ、マジックバックを自称神様から頂いたよ。
これで地球で買ったものを持ち込めるとのこと。やっぱり夢ではないらしい。
取り敢えず、明日は退職届けを出そう。
目指せ、快適異世界生活。
ぽちぽち更新します。
作者、うっかりなのでこれも買わないと!というのがあれば教えて下さい。
脳内の空想を、つらつら書いているのでお目汚しな際はごめんなさい。

【完結】ポーションが不味すぎるので、美味しいポーションを作ったら
七鳳
ファンタジー
※毎日8時と18時に更新中!
※いいねやお気に入り登録して頂けると励みになります!
気付いたら異世界に転生していた主人公。
赤ん坊から15歳まで成長する中で、異世界の常識を学んでいくが、その中で気付いたことがひとつ。
「ポーションが不味すぎる」
必需品だが、みんなが嫌な顔をして買っていく姿を見て、「美味しいポーションを作ったらバカ売れするのでは?」
と考え、試行錯誤をしていく…
悪役令嬢エリザベート物語
kirara
ファンタジー
私の名前はエリザベート・ノイズ
公爵令嬢である。
前世の名前は横川禮子。大学を卒業して入った企業でOLをしていたが、ある日の帰宅時に赤信号を無視してスクランブル交差点に飛び込んできた大型トラックとぶつかりそうになって。それからどうなったのだろう。気が付いた時には私は別の世界に転生していた。
ここは乙女ゲームの世界だ。そして私は悪役令嬢に生まれかわった。そのことを5歳の誕生パーティーの夜に知るのだった。
父はアフレイド・ノイズ公爵。
ノイズ公爵家の家長であり王国の重鎮。
魔法騎士団の総団長でもある。
母はマーガレット。
隣国アミルダ王国の第2王女。隣国の聖女の娘でもある。
兄の名前はリアム。
前世の記憶にある「乙女ゲーム」の中のエリザベート・ノイズは、王都学園の卒業パーティで、ウィリアム王太子殿下に真実の愛を見つけたと婚約を破棄され、身に覚えのない罪をきせられて国外に追放される。
そして、国境の手前で何者かに事故にみせかけて殺害されてしまうのだ。
王太子と婚約なんてするものか。
国外追放になどなるものか。
乙女ゲームの中では一人ぼっちだったエリザベート。
私は人生をあきらめない。
エリザベート・ノイズの二回目の人生が始まった。
⭐️第16回 ファンタジー小説大賞参加中です。応援してくれると嬉しいです
うっかり女神さまからもらった『レベル9999』は使い切れないので、『譲渡』スキルで仲間を強化して最強パーティーを作ることにしました
akairo
ファンタジー
「ごめんなさい!貴方が死んだのは私のクシャミのせいなんです!」
帰宅途中に工事現場の足台が直撃して死んだ、早良 悠月(さわら ゆずき)が目覚めた目の前には女神さまが土下座待機をして待っていた。
謝る女神さまの手によって『ユズキ』として転生することになったが、その直後またもや女神さまの手違いによって、『レベル9999』と職業『譲渡士』という謎の職業を付与されてしまう。
しかし、女神さまの世界の最大レベルは99。
勇者や魔王よりも強いレベルのまま転生することになったユズキの、使い切ることもできないレベルの使い道は仲間に譲渡することだった──!?
転生先で出会ったエルフと魔族の少女。スローライフを掲げるユズキだったが、二人と共に世界を回ることで国を巻き込む争いへと巻き込まれていく。
※9月16日
タイトル変更致しました。
前タイトルは『レベル9999は転生した世界で使い切れないので、仲間にあげることにしました』になります。
仲間を強くして無双していく話です。
『小説家になろう』様でも公開しています。
転生したら死んだことにされました〜女神の使徒なんて聞いてないよ!〜
家具屋ふふみに
ファンタジー
大学生として普通の生活を送っていた望水 静香はある日、信号無視したトラックに轢かれてそうになっていた女性を助けたことで死んでしまった。が、なんか助けた人は神だったらしく、異世界転生することに。
そして、転生したら...「女には荷が重い」という父親の一言で死んだことにされました。なので、自由に生きさせてください...なのに職業が女神の使徒?!そんなの聞いてないよ?!
しっかりしているように見えてたまにミスをする女神から面倒なことを度々押し付けられ、それを与えられた力でなんとか解決していくけど、次から次に問題が起きたり、なにか不穏な動きがあったり...?
ローブ男たちの目的とは?そして、その黒幕とは一体...?
不定期なので、楽しみにお待ち頂ければ嬉しいです。
拙い文章なので、誤字脱字がありましたらすいません。報告して頂ければその都度訂正させていただきます。
小説家になろう様でも公開しております。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる