孤独な王女

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手探りで進む

帰郷②

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「……村長」
「……生きているのか。やはりユーフェミアなのか」

 ユリシアの呟きに、その男は確信を深めたらしい。一歩、進み出た。ガルダが少し警戒するそぶりを見せたので、困惑して立ち止まったが。はじめて私たちを認識したらしく、「どちらさまでしょうか」と眉をひそめた。 

「――村長、死んだって、なんで」

 ユリシアが震える声で問い返した。

「この村、どうしたの?ばあちゃんは……?」
「はっ、村を捨てて出ていって、消息まで嘘をついていたくせに、白々しい。メリエさまはひどく悲しんだというのに……これだから忌み子は」

 鼻で笑うどころか明確に村の娘を嘲った。
 ぴくりと眉が波打つ。素早く頭の中で情報を整理しながらユリシアの背中を宥め、「失礼」と声をかける。……ユリシアは平凡な娘と思ってたんだが、どうもそうじゃない雰囲気だ。

「私たちは、彼女をここまで送り届けてきました。死んだとはどういうことです?」
「……その娘とあなた方はどういった関係なのです?ただ者ではないと見受けますが」
「行きずりの仲です。ミヨナさまの巡礼の旅の途中で彼女と出会って、帰りたがっていたのでついでで寄ってみたのですが……」

 ガルダの隣に進み出たイオンがさらりと出任せを言った。口調を改めているところを見ると、いけ好かない村長も人を見る目は最低限持っているらしい。しかもミヨナ信者と言うと険が和らいだ。

「これは失礼しました。……見ての通り、この村は廃村間近です。見れるものなど何もありませんぞ」
「神殿はあるのでしょう?彼女の元々の住処だと聞いていますが」
「……ああ、それならありますが……」

 村長はまたちらりとユリシアを見た。まるで蔑むように。

「……ユーフェミア。お前が村を出ていってから、お前を連れていった神官の方が手紙を寄越したのだぞ。事故で死んだと。たったひと月で、だ。それからもう何ヵ月経っていると思っている。谷に落ちて流され、遺体も帰らなかったから、メリエさまは嘆き悲しんで、そのまま季節外れの病で死んでしまった。……なぜ、生きていたなら早く戻ってこなかった」

「…………嘘だ」

 隣から、壊れかけた声が聞こえた。あとひと押しで、ばらばらに崩れ去っていきそうな、脆い声。そんな危ういユリシアを突き動かしたのは、彼女自身だった。

「ユリシア!」

 これまでの躁踉とした足取りはどこへやら、俊敏にどこかへ駆け出していったユリシアを、慌てて追った。























 村の外れにある石造りの神殿に駆け上がったユリシアは、そのままの勢いで内部を走り抜けた。嫌な鼓動がして、吐きそうだった。体を必死に動かしているのに、体の一番奥が冷たく凍っていた。長年暮らしてきた神殿なのに、帰ってきた感慨が全く湧かない。なぜだかは、考えなくてもわかっていた。

 村の他の家と同じように、人のいる温かみがどこにもなかった。

(……嘘だ)

 礼拝堂を抜け、狭い回廊の突き当たりの部屋へ駆け込む。そこには不自然なほど何も物が残っていなかった。
 祖母の使っていた部屋だった。

(嘘だ)

 引き返して、右の扉をぶち開ける。同じように閑散としていたかつてのユリシア――ユーフェミアの部屋だった。

(嘘だ……!!)


 扉という扉を開け、枯れ草ばかりの庭を走り、物置小屋や収納用の地下室まで全部探した。狭いクローゼットを開け放ち、礼拝堂の椅子の間に腰を曲げて覗き、祭壇の裏から、最後は屋根裏にまで登った。屋上に出て、湿った冷たい風を真正面から受けて……ようやく、立ち止まった。

 頭の中でぐるぐると悪意ある言葉が渦を巻く。
 出てひと月――事故――季節外れの病――見捨てた――あたしが。ばあちゃんは待っていた、のに。

(……間に、合わなかった…………?)

「……ユリシア」

 後ろから声がかけられた気がしたが、思考がうまく回らなかった。立っていられないほど震える膝を動かしてふらりとまた屋上から離れ、今度は下へ下りていく。
 礼拝堂を通り抜け、枯れ草の庭を踏み、奥へ奥へと向かっていく。痩せこけた木立の中、開けた場所。数多くの墓標。
 ばあちゃんが神官としてこの村に着任してからは、ばあちゃんの綺麗な字で、死んだ村人の名が彫られていた。あたしの両親もばあちゃんが赤い目になりながらも真剣に彫ったんだ。

 ……その一番手前の、一番新しいと見えるものには、あの村長の書き慣れていない字で、名が刻印されていた。








 ――メリエ・ロナウド。










「――っあ」

 自分が泣いているのか叫んでいるのか、区別がつかなかった。立っているのか座っているのかも。わからなかった。何一つ。
 喉の奥で小さく息が鳴り、杉木立がざわりざわりとがらんどうの心を揺らしていく。
 その冷たい石の隣に、綺麗な字で己の名を彫られたのが見えて、ますます混乱した。

 ばあちゃんが死んだ。あたしも死んでるらしい。

 ――じゃあ今ここにいるあたしは、一体なに?

『私には、お前しかいないからね』

 喉が痛い。胸が痛い。頭が痛い。
 全身沸騰しているのに、足と手の先が氷のよう。体の奥にある塊を吐き出したくてしょうがなかった。もう持っていられなかった。持つ意味が、今、消えたのだ。
 がむしゃらに手足を動かしたら、だんだん冷たさは消えていった。何かとぶつかった気がしたけど、それも覚えていない。

 思考は暗闇に突き落とされてまっ逆さま、奈落の底。底なんてないのかもしれない。落ちて、落ちて、落ちて、ひたすらに暗黒の世界を落ちていって……。

 このまま壊れてしまえばいいと思った。




















☆☆☆


















 なんとか追いついたとき、ユリシアは慟哭しながら発狂したようにその墓石の手前を素手で掘っていた。
 慌てて近寄って手を掴むと、すごい勢いで振り払われた。後方によろけたのをガルダが支えてくれた。髪をまとめていた布がほどけ、見慣れない赤茶色の髪がはらりと視界にこぼれる。
 ユリシアは振り払った土と血に汚れた手を抱え、まるで赤子のように蹲った。まるで、墓に謝っているように。その背中が嗚咽でびくびくと小刻みに跳ね上がる。

 ユリシアが必死に叫んで喚いているのに、その目に涙がないことに気づいた。狂気にまみれた目は潤んでいても、一滴も雫をこぼさない。……そんな泣き方には、覚えがあった。

 滅んだ世界。赤黒い血溜まり。白く冷たい手……。
 不意に息苦しくなった。

(――美希……)

 突如湧き起こった記憶の渦に――消えたはずの「奈積」に、「リエン」が絡めとられた。

 ガルダが動かなかった理由は知らない。ただ、背中に添えられたままの手は固まったままで。もしかしたら、私と同じように、呆然としていたのかもしれない。

 どれだけの時間が経っただろうか。短かったか、長かったか。気づけばその死にそうに悲痛な声は止んでいた。聞いているだけでこちらも引きずり込まれるような、そんな不幸と後悔に満ちた魂の叫びだった。
 我に返ってユリシアを抱え起こすと、また気絶しているようだった。

 ――それだけじゃない。

 はっと顔色を変えた。


 触れた少女の体はひどく熱かった。 
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