孤独な王女

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手探りで進む

帰郷①

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 街道を北上するにつれて、周りの景色は一気に秋に深まっていった。銀杏が葉を落とし、楓は真っ赤に彩り、南を目指す渡り鳥とすれ違っていく。
 そのなかを、尋常ではない速度で北へ駆け下っていく馬影が二つ。申し訳程度に装備を括りつけている他は、まるでこれから冬を巡るようには見えない軽装だ。
 それぞれ二人乗りで、見る間にその姿は遠く遠くへ去ってゆく。
 二人を乗せて疾駆する軍馬の馬力もさることながら、馬を駆る彼らの技量も類い稀なことがよくわかる。特に抜きん出るのは、青年と少年を乗せる馬。前に座る少年の金糸の長髪が秋の晴天に煌めき、風の軌跡を描くように後ろにたなびいていた。







 その少年、ガルダの前に座っているリィは、無表情で馬上に揺すられていた。その目は死んだ魚に例えるべき虚ろさである。

(……ガルダに技だけじゃなくて乗馬も教えてもらえばよかった……)

 お尻が痛い。足が痛い。酔う。というか既に酔った。
 無言でじっとしているのは、気を紛らわせるように思考の渦に飛び込んでいるからだ。無理やり忘れさせているとも言う。

「辛いですか」
「…………」

 後ろ斜め上から降ってくる平坦な声に返事をしようとして、舌を噛むかもしれないと気づいた。首を小さく横に振って代わりとしたが、我に返ると尻も足も痛い。生まれてはじめての乗馬がこれとかトラウマになりそうだが、我慢だ。我慢だけなら胸を張って得意と言えるのである。
 イオンの馬に同乗しているユリシアは大丈夫か、と思ったが、振り返るのも辛い。もうすぐ昼休憩に入るはずだから、その時に様子を見よう。

(飛び出してまだ二日……)

 とりあえず帰りのことを考えるのはやめていた。男装したり王さまたちに説明したりということすら、時間の浪費に繋がっていると考えてしまう。これ以上遅れるわけにはいかない。

 相手は、人をまるで使い捨ての消耗品のように扱う、ろくでもない宗教団体だ。王女を殺すつもりでユリシアを城に放り込んでおきながら、城は服毒の事実を公表しない。……つまり、生き長らえているユリシアも、まだ人質として価値があるその人物も、再び利用される恐れがあった。









「幸い好天が続いてるから、明日の昼までに街道を抜けられそうだな」
「……ほとんど二日で北の最果てノクタム領までって……どんだけ……」

 ガルダとイオンが、そんなやり取りをしているのが聞こえてきた。

 日暮れ頃、四人で野宿の準備をしている時だった。ここ周辺はまだ農村も見当たらず、収穫期を終えた広大な農地が広がっているばかりで殺風景なものだ。人目を気にしなくていいのは楽なので野宿の不便さも気にならない。街道脇の森に水場を探して、今日の寝床を決めた。

 本当なら野宿をする間も惜しいのだが、馬は最低限を王族所有の厩舎からかっぱらってきたので、代え馬がない。足がなければ迅速な行動もできないし、なにより、ユリシアの消耗がひどかった。精神的に追い詰められ過ぎている。虚ろの一歩手前でふらふらさ迷っているようで、何もないのに、たまに泣いたりもしていた。

 馬から転げ落ちそうなユリシアをイオンが支えて下ろしたら、そんなユリシアを連れて小川で水を汲む。地面が揺れている気がして、下草を掴んで恐る恐る水筒を傾けた。
 ガルダとイオンはその間に即席の竈を作り、薪を拾い、もしくはそれも作って火を起こしていた。二人とも大変手慣れていて勉強になる。
 馬に水を飲ませて体を拭いているガルダたちを見ながら先に携帯食をもそもそと食べているうちに、隣に腰かけていたユリシアが、ゆっくり船を漕ぎ始めた。

(……よかった)

 念のため持ってきた冬用の外套を広げながら、ユリシアの頭を抱きかかえ、娘としては貧相なんだろう私の足に、ゆっくりと寝かせた。仮にも主の膝を枕にするのに、ユリシアは抵抗する気力も尽きていたようで、されるがままだった。
 上から静かに外套を被せると、すぐに薪の爆ぜる音に紛れて、か細い寝息が聞こえてきた。
 体が限界だったのだろう、休息を取ってくれてほっとした。静かにその髪紐をほどき、埃っぽい赤毛を手櫛ですいてやる。砂埃と汗でぎしぎしの手触りだが、なるべく浅い眠りの妨げにならないように、弱く、優しく。髪紐は失くさないうちにユリシアの手首に結んでやった。綺麗な綾織だし、これまでの彼女の扱い方を見ていると、とても大切なものだというのはわかっていた。

 ……ユリシアは、この二日間で一気にやつれた。食が喉を通らず、隈ができている様子を見るに、どんなに疲れても寝ついた様子はなかった。今だって、ようやく疲労困憊の極致になって、気絶するように意識を手放しているだけだ。
 頭を柔らかく撫でながら、そっと目を閉じた。
 馬の嘶きや、水の流れる音、火の燃える音、ガルダたちの囁くような会話、ユリシアの寝息……。

(はじめて王都から出たけど、感動も何もないね)

 好奇心もあるのは否定しないが、焦りの方が強い。間に合えばいいと思う。タバサが城に帰ってこいと言っていたが、最悪、そうならなくてもいいとも思っていた。
 とりあえずその故郷は危険だから連れ出すつもりだが、そこから後はユリシアたちの自由だ。ユリシアの心を壊してまで、侍女に欲しがったわけではないのだから。神官だというその大切な人と一緒に、いっそ孤児院でも任せれば……。ああ、でも子どもが苦手そうに見えたんだった。

「……リィさま」

 そっと頭上から声をかけられ、膝から重みが消えた。考え事をしているうちに、そばに落ち葉なんかと外套で即席の寝床が整えられていた。ガルダはユリシアを軽々と、しかしそっと抱え上げ、その上に丁寧に寝かせてやっていた。
 ……あれだけ怒っていたのに、知らないうちに許したらしい。好都合だけど、その心境の変化の理由は知りたい気がした。

「……神聖王国へ入るの、山伝いになるかな」
「それですが、一旦アルダに入ってからの方がいいかと」
「どうして?」
「あー、ワタシから説明しますよー」

 イオンがひょっこりひそひそ話に混じったかと思うと、懐から折り畳まれた紙片を取り出した。

「なにそれ」
「アルダと神聖王国方面の国境警備の記録です。あ、写しですよ。本物はさすがに」
「……『影』だからといって、やることがそれか」
「いやぁ、王女サマが初対面であの子の正体暴露したあとに、調べてたんですよぉ。役に立つならいいじゃないですか」
「だからって軍事機密をあっさりと……」
「渡りに船でいいじゃない。だけど、ほんとにずっと盗み聞きしてたんだ」
「仕事なんで。で、さっさと話詰めましょ」

 イオンは今回の同行に当たって、はじめの半日姿を消していた。正直連れていく気は欠片もなかった――忘れていたともいう――のだが、その短時間のうちにサームと話をつけ、追いついてきたのだった。その際、色んな情報をかき集めてきたらしい。時々こうして知識を貸してくれている。曰く、「なにげに無鉄砲だしボスからもフォローお願いされたし、むしろついていかないと暇だし」とのこと。まあ理由は何であれ、これもありがたい。

 そろそろ私も眠くなってきた。目を擦っていると、それに気づいたのか雑談を切り上げたイオンが紙をみんなに見えるように地面に置いて、そこらの小枝を拾ってがりがりと簡単な国境の地図を描き始めた。




















 馬を手放し、谷川を渡り、アルダへ渡り、そこから神聖王国へ。 

 ジヴェルナの王城を出て早六日。なんとかユリシアから聞き出した彼女の故郷にたどり着いたのは、その翌朝だった。
「王女サマが密出入国四連続……」とかイオンがドン引き、ガルダもまあまあ変な顔をしていたが、無視した。今更すぎるしあなたたちもそう誘導していったから同罪だ。

「ユリシア、しっかりして」
「……はい……」

 吐く息が白い。あの翌日からずっと着込んでいる埃っぽい外套の下には、アルダで買った民族衣装を身にまとっている。西方は貫頭衣が主流らしく、その上から地味な藍染の帯を腰に巻く。私に関しては、目立つ髪色だからと髪も染め粉で赤茶色にして、布でぐるぐる巻きにした。
 男装なのは変わらず。いっそ髪は切って印象を変えてしまおうかと思ったが、男二人に全力で止められた。切っても伸びるのに。

 ユリシアは昨日また眠れなかったのか、ひどい顔色だった。北方出身らしい白い肌が蒼く見えるほどだ。手を繋いでいても、その握る力が弱すぎることに眉をひそめる。若干震えているのは、寒いからじゃないだろう。

 ガルダが前、イオンが後ろ、間に私とユリシアという配置で踏み入れたその村は、ひどく閑散としていた。鈍色にびいろの空から今にも冷たい雨が降りそうだったが、理由はそれだけではなさそうだった。

「……建物のわりに、人の気配がありませんね……」

 ガルダがぽつりと呟く。私と同じように、異様に静まり返っているのが気になるらしい。いくつかの家の横を歩いても、生活音も匂いも、全くしなかった。
 姉さまの暮らしていた世界にも似た、活気よりも退廃的な印象が強い村だった。

「……冬ごもりの準備をしているはずですけど……」
「ワタシ、探ってきましょうか?」

 珍しく口を開いたユリシアも、偵察を申し出たイオンも、歩きながら通りすぎる村の家々に疑念を隠せていない。二手に別れて神殿とそれ以外で調べてみるのもありかな、と頷きかけた時だった。
 急にガルダが足を止めて、ふいと顔を上げた。右側に、ちょうど大きめの家が見えていた。

「…………ユーフェミア?」

 そこには、小太りの初老の男が呆然と突っ立っていた。彼は、寒さだけではない理由で青ざめた顔を驚愕に染め、震える唇で音を紡いだ。

「……お前、死んだんじゃなかったのか?」









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