孤独な王女

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 王さまたちに向かって火薬を全面否定したけど、賢いあの人たちなら、多分有用な使い方はすぐに思いつくはずだ。姉さまの世界では、火薬が文明を築いた時代もあったのだ。

 でも、だからといって戦争に転用されてちゃ意味がない。火薬は、動力が人力か水力であるこの世界じゃ、目覚ましいものとして一世を風靡するだろう。その作り方も使い方も広範に流布し、国の垣根も越えることで研究も発展し、一気に軍事兵器にまで登り詰めるだろう。
 戦争の常識がまるっと変わってしまう。
 規制なんて追い付けるものじゃない。戦争に使っちゃいけないって各国が同意するまで、何百年、何千年かければいい。そのうちに、たくさんの国が生まれて滅んで、多くの人間が死ぬ。

 それでも発展のためだ、とか、もっとちゃんとした擁護説はあるんだろうけど、私が思う最善は、「存在しないこと」だ。

(……そういえば、姉さまみたいな人って、この世界にいないのかな)

 芽は早いうちに見つけて、摘み取る。その決意を改めて自分に確認しているところだった。

「陛下。王子殿下がお越しです」

 外の衛兵から声がかけられて、王さまが「ああ」と言った。それに待ったをかけたのはエルサだ。

「王女殿下、泣いた跡が」
「……あー、いや、大丈夫。王さま、私に伝えたいことは全部言ったんだね?こっちも今立て込んでるんだけど、とりあえず私は婚約は絶対にしたくないから、その方針で話を進めておいて。また後で、細かいこと聞くから。……一任して大丈夫なんだよね?」
「宣誓にかけて、な」
「わかった」

 いそいそと王さまの人間椅子から降りて、少し乱れた髪を撫で付ける。化粧道具も持ってきてないし、ガルダとヴィーは適当にごまかせないかなあと希望的観測を持っていると、エルサが懐からポーチを取り出し、さっと顔をきれいに整えられた。

「わ、すごい。なんで持ってるの?」
「わたくしもあちこち飛び回りますからね。いちいち侍女を呼んで部屋でやらせる暇がないときもあるのです」
「いいなあ、その簡易化」
「ヴォルコフ殿に頼めば用意してくれるはずです。仲がよろしいのでしょう?」
「そうか、その手があったか」

 コンパクトな鏡まで持ち歩いているらしく、それで確認したら、まあ六割はごまかせていた。

「ありがとう」
「……抱え込むのはよろしいですけれどね、いつか、お話ししてあげてください」
「……私の決心の問題でもあるんだよね、一応わかってはいるんだけど……うん、でも、エルサたちいるし、頑張るよ」

 まだ髪のほつれが残っていたらしく、繊細な細い指で横髪を整えられ、そっと頬も撫でられた。くすぐったくて小さく微笑むと、エルサの方が泣きそうな顔になっていた。ぽんぽんと背中を叩いて、じゃあよろしく、と国の重鎮たちに笑いかけて、扉を開けた。
 扉の前にいたらしい、ティオリアを背後に従えるヴィーは目を丸くしたあと、心配するような顔になった。

「リィ」
「見破るのが早いわね。何でもないから、王さまから説明してもらって。ガルダ、部屋に帰るよ」

 今は、早くユリシアに会って、確かめなきゃいけない。











「わあびっくりしたぁ。誰?ナキアの息子さん?エドガーにも似てるなあ」
「……ナキアの息子でエドガーの息子です。サームの従甥です。ほんとに一発でわかっちゃうんだなぁ、王女サマ」

 部屋に戻ると、ユリシアとそばに寄り添う見知らぬ男がいて仰天したが、ナキアに監視を頼まれていたらしい。しかし今も泣きじゃくるユリシアは一体どうしたのだ。

「あ、ちょっと待ってくださいよ、ワタシたちじゃないですよ、この子が自分で……」
「ならいいけど。片付けてって言ったのに片付いてないね。毒はどこ?」
「母上が王従医師サマのところへ持っていきました」
「そう、なら結果はすぐにわかるわね。ありがたいな」

「……リエンさま」

 これまでずっと黙っていたガルダの声に振り返ると、物凄く静かな顔で私とユリシアを見つめていた。嵐の前のような、ぴりぴりとした嫌に張り詰めた空気が、そこにあった。

「状況を教えてください。ユリシアはあなたを殺そうとしたんですか?」
「まだ、わからない」
「――リエンさま!!」
「わからないんだって、本当に。最初は致死性かと思ったけど、どうやら違うみたいで」
「うわあ、それをあなた飲もうとしたんですか。本気で死ぬ気じゃないですか」
「リエンさま!!」

 なぜそれを、と思っていると、ガルダの大喝にユリシアがびくっと肩を跳ね上げて、ぐしゃぐしゃの顔を持ち上げていた。ガルダは今にも沸騰しそうな顔で、私の両肩を掴んだ。

「なぜあなたはいつもそんな無茶をするんです!?」
「ヒュレムから速効性のほぼ万能解毒薬もらったから、たぶん大丈夫だったよ」
「たぶんって何なんですか!!」

 真正面からの怒鳴り声はさすがに応えた。耳鳴りがし始めた。ちょっとゆらゆらしていると、そのうちにガルダにぎゅっと抱き締められていた。
 これには驚いた。あの玉座の間以来、ここまで接触されたことはなかったから。

「……言ったじゃないですか」

 でも、それ以上に、耳をくすぐるひどく掠れた弱い声に仰天した。

「ガルダ?」
「約束したじゃないですか。あなたを一人にしないって。……いい加減、おれを忘れて置いていかないでください……」

 ごつりとこめかみにガルダの頭がぶつかっていた。ざりざりと髪が擦れる音がすごく近くで響く。背中に回された手の温さも服越しに伝わってきて、無性に泣きたくなった。
                 
 たった一人、世界で独りぼっちで生き残る恐怖。

 ……置いていかれるって、私も同じ経験をしたのに。
 なぜちょうど弱っていたところでこの仕打ちを受けなくてはならないのだ……情けないところは見せられなくて、嗚咽を飲み込みながら、掠れた声でわかった、と言った。

「ごめん、ガルダ。わかったから、だから……離して」
「いやです」
「……ちょっと」
「いやです。おれを忘れなくなるまでずっとこうしてます。勝手に一人で突っ走って、その自分は絶対に死なないなんて無駄な自信はどこから湧いてくるんですか。そんなものおれが全部枯らしてやります」
「覚えたから!離して!」
「いやです。今度同じ事をやったら泣きますからね」
「子どもか!今私が泣きそうなんだけど!?」
「おれを従者にしたあなたが悪い。――でも、そうだな」

 ふっと声と温もりが消えてほっとしていると、優しく両頬を挟まれ、顔を持ち上げられた。
 至近距離に広がる黎明の色が、妖しく煌めいていた。

「おれがどけだけあなたを泣かせたら、覚えてくれるんでしょうね」

(そこで泣かせる方面に行くの?)

 よく分からない言葉に驚いて、潤んでいた瞳もすぐにひょっと乾いた。

「…………」
「……ちょっと、無反応ですか」
「ごめん」
「軽くないですか」
「うん、ごめん。傍に人がいるのに慣れるまでは、すごく迷惑かけると思う」

 頬に添えられたままの大きい手に触れ、小さくくぐもった笑い声を上げた。ガルダがすぐ近くにいるようになってから数ヵ月たつのに、今さらだと自分でも思う。
 王さまたちもそうだけど、みんな、もう私を一人にするつもりはないらしい、というのは、ようやく今日実感できた。王さまに抱えられたときは正直、子ども扱いかよと思ったけど……まあ、私も触れ合いは好きだからなぁ。仕方ない。

「努力するよ、ちゃんと。それまでは大目に見て」
「……言いましたね?約束ですよ」
「うん」






「……なんでワタシあんなもんを朝から見せつけられたんです?」
「あの方はそう認識していないんだから、意識するだけ無駄だ」
「わぁー……さすがご本人。実感籠ってる……」

『影』の少年は呆れと哀れみを込めて最強の騎士を見上げた。男二人の目の前では姫がうずくまる侍女を起こしているうちにも「ねえ、泣きやんでよ。聞きたいことがあるんだけど」「ごめんなさい姫さま死なないでくださいぃ……」「あなたが毒を盛ってきたんでしょうが」などの会話を繰り広げ、最後に容赦なく止め(=真実という刃)を刺された侍女はしおしおとソファに座り込んでいた。哀れなり。

「覆面を外したのか」
「ああ……」

 騎士サマに言われて、露になった長い濃い金の前髪をかき上げる。大伯父譲りの青い目を細めて、しばらく前の居間の静かな騒動を思い返した。

「……なんかもう、顔覚えてもらった方がやり易いかなと思って。あそこであなたが部屋に入らなかったら、ワタシも母上も王子サマも、みんなぎりぎりでなんとか阻止したと思います、けど」
「ぎりぎりにならないと守らないのが問題だ。一度に考えすぎなんだ、全員。馬鹿でよかったと思うなんて初めてだよ。――そういう時はすぐにおれに知らせろ」
「はーい」

 ワタシたち命令に弱いんで助かります、と言ったら、わしゃわしゃと頭を雑に撫でられた。正直、びっくりした。

「見た目からしてリエンさまと歳が近いようだが、『影』もまた難儀な性分をしている。そこまでリエンさまに近くならなくていいと思わないか」
「あー……たぶんそれ、『うち』の教育方針です。これまではうまくいってたんですけどねぇ……同類が主側に回ると、まさか『混ぜるな危険』になるとは」
「後世に伝えるべき事項だな」
「そうですねー」

 この騎士サマ以外に気づかれないくらい影でこっそりと見守ってても、できるのは「監視」まで。命じられないと動いてはいけないという教育が骨の髄まで染み込んでるから、あの王女サマに関わった同僚は軒並みジレンマに陥っている。全く人をたらしていくのも大概にしてほしい。

 誰にも止められないのに本人も止まろうとしないから、今も散々な顔になっている侍女に、同情もする。おれらと同類でもあの子はド素人すぎて、しかも全く向いてない仕事なもんだから、可哀想なくらいだったもん。

 国王の側近サマにあんだけ自分を大事にしろって言われてたのに、物の見事に忘れてたし。

 孤独の王サマの闇は、ずいぶんと深いんだなぁ。引っ張り上げるの、是非とも頑張ってください、騎士サマ。 









☆☆☆











「ユリシア、遊んでる時間はなくなったから、素直に返事して」

 まだ嗚咽が止まらないユリシアの背中を優しく叩きながら、あえて淡々と言うと、ユリシアはこくこくと頷いた。
 普段、切り替えがうまいこの子が、ここまでうちひしがれている。……たぶん、もう限界だったんだろう。

「私を殺せって指示された?」
「……はい」
「……あなたは神聖王国の手の者で、間違いはないのよね?」
「そう、です」

 ふむ、と考え込んだ。私が『巫』かもしれないのに殺すなんて真似をするのか……。
 それとも、疑惑をかけるまでもなく、私をただ人として殺そうとしたのか。――その理由は?

(考えても仕方がないか)

 なんていったって情報が少なすぎる。ユリシアがその穴を埋めるほどの物をもっているとは思えない。これからの神聖王国の出方次第で目的は明らかになる。
 ……ここでも受け身にならなくてはいけないのかと苦笑した。しかし、ユリシアを囲い込んだ私の責任だろう。

「ユリシア。あなたがヴィーに惑わされず、私に振り回されても一途に仕事をやり遂げるその胆力を、みんな買っていたのよ。……そこまであなたを揺るぎなくさせたものは、一体なに?」

 びく、とユリシアの背中が震えた振動が伝わってきた。しかし、ユリシアはそのまま、また泣きそうに唇を噛み締めていた。

「答えて。泣く前にやることはまだ残ってる。私が生きてる以上、あなたはまだ生きているし、私が死なせない」

 ユリシアは本当に惜しい娘なのだ。王女暗殺未遂ごときで失っていいものではない。生きていれば何とでもなるのだ。これまでの私のように。

「声が出せないなら首を振って。……それはあなたの大切な人ね?」

 たぶんこの中じゃ、ユリシアの次に真人間のガルダが、小さく息を呑んで、すぐに顔をしかめた。
 私だって、言いながら確信していた。ミヨナの狂信者ではなく、おそらく私が『巫』であることも知らない。それでも確固たる意志を保てるものなど……どの世界でも、同じだ。

 ――人質。

 今日は泣いたり何度も反吐が出そうになったり散々だ。まあ初っぱなから毒にぶち当たったから、今さらかな。

 果たして、ユリシアは小さく頷いた。


「ユリシア、しっかりして。まだ間に合うかもしれない。情報は手紙で?『叔父』さんとやり取りしてたの?」
「え……」

 ユリシアが、今度こそはっきりと顔を上げて私を見つめた。希望にすがるように。絶望の淵で光を見つけたように。……まるで、昔の私のような。どうしようもなくて人にすがってしまう、情けなくて、みっともなくて、でも……眩しい。
 姉さまが昔に私を助けてくれたように、今のユリシアにはたぶん、私しかいないのだ。

「助けて……くれるんですか?」
「あなたを引き込んだ私の責任だから」

 心のなかで間に合えばね、と呟いても、言ってないから変わらない。ガルダと少年が物言いたげに私を見るのはきれいに黙殺した。虚ろになりかけていたユリシアが、今、はっきりと前を向いた。それで充分だ。

 まだ折れなくていい。私がいる。「守り手」の誇りは、私のなかに永遠に残ってる。
 ユリシアの乱れた髪を撫でて、姉さまのようにつむじに口づけた。丸くなったその榛色に輝く瞳を見つめ、自信満々ににっこりと笑う。
 泣くな、折れるな、前を向け。ほら。

「――さあ、取り戻しに行こう」 
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