孤独な王女

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階段をのぼる

妖精姫の軌跡

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 さく、さく、と膝下辺りにまで繁茂している草を踏み踏み、その場所を進む。
 月光で照らされた道なき道はまだ続き、周囲には夏虫の歌う静かな音色で溢れている。でも不思議とうるさいと感じない。……こんなに沢山聞く機会がなかったから、逆に新鮮に感じたのかもしれない。
 ちょうどその時、湿った甘い風が前髪をくすぐって通りすぎた。草の波がざわざわと音を立て、ちぎれとんだ切れ端が濃密な夏の夜空を舞い上がっていった。
 それを見送って、そのまま空に目が釘付けになった。煌々と月と星とが天上を飾るも、興味が向くのはその空の色のみ。もう見ることができない人の色を追いかけて、ここまで来た。

 祈るように目を閉じて、夏の空気を肌で感じる。少し湿っぽくて、生温い。不快さよりも心地よさが勝った。寒くないそれだけで寂しさは和らぐものだ。まして、小部屋にそっくりだけれど、小部屋にはなかった音で溢れているこの場所は。
 目を開けて、改めてぐるっと視界の限り景色を楽しむ。飛び交う虫が月光に反射して小さな光の乱舞を繰り広げている。まばらな木々と草原。ぽっかりと浮かぶ月。

 ……本当に、ここが現実であるのが信じられない。それくらい懐かしくいとおしく、夢で見るほどだったというのに。



 ――ここには、あなたの一番の記憶があるの。小さなあなたのからだが癒せるような、ね。

 姉さまと初めて面と向かって話したときに言われたことだったけど、ありえないからと気にしてなかった。後宮から出られるわけがないのだから。……でも。
 生まれたばかりの頃に、お母さまと一緒にここに立った、ようだ。つくづく自分の記憶力を疑いたくなるが、恐らく事実なのだろう。多分姉さまが、私の代わりに大切に隠し持っていてくれた、宝物の一つ。

(ベリオルに聞いたときは半信半疑だったけど……)
 あのあとやっぱり風邪を引いて、予想外に重かった症状が回復してから、体調を崩したことにすごく気を遣われて。息抜きに、と教えられたこの場所。
 城の裏手に広がる大きな草原。ベリオルや王さまたちが幼い頃に自由に駆け回った思い出の場所らしい。こんな場所があるなんて、と思っていたけど、昼に一度訪れて記憶の底にある小部屋の景色を思い出して、夜に訪れてみたら……案の定だった。
 私もはじめから不幸だったわけじゃない証明。一番根底にあったから守れていた幸福の証。姉さまと過ごした日々がそれに彩りを与えてくれた。



 何度も。何度もこの場所から飛び出して、傷ついて帰ってきて、また飛び出した。置いてきた幸福より自分で掴みとりたいものがあったから。黙って私を受け止めてくれたこの夜の世界と姉さまの存在があったから、何度だって立ち向かえた。
(……だから、また)
 くるりと振り返ると、幻想的な景色に見とれていたガルダを見つける。あの日の宣言通り、私を一人にしないとばかりに黙ってついてきたのだ。明日と明後日は建国記念式典だが、その準備に追われる城の影と明かり以外、喧騒が全く届かないここは格好の逃げ場所になりそうだ。
 ……また、立ち向かうために心を休める場所。


 城内で私の評価が覆されてから初めての公式の場。色んなところに牽制をかけても追いつかないほど、また私の望みは叶えるのに障害があるのだから。















☆☆☆















 その年の建国記念式典は異例となる二日間の開催であった。
 数ヶ月前に国王が毒に倒れてから初めてとなる国事であることに加え、これまで権勢の頂点を誇っていた王妃とその一族が失脚し派閥すら解体されたことで、その空白を不安に感じる国民へ、一定の安心感を与えるためだ。

 既にルシェル一派は処刑、処罰されている。彼らが半数を占めていた城の機能は、対立勢力にも突発的な事柄であったことから停止を余儀なくされ、椅子取り合戦が繰り広げられると思われたが、療養の床から精力的に回復を目指した国王らの尽力によりそう荒れることもなく、粛々と事が進んでいった。
 中には領地没収、家名剥奪の憂き目にあった者も少なくなく、その後任の者を公に任命する行事も式典の中に含まれている。


 ……しかし、国民には、それらよりも前に待ち望んでいることがあった。
 既に噂として辺境まで広まっている――逆境に立ち向かい打ち勝った、妖精姫の真実。









「――リエン。ヴィオレット。こちらへ」

 就任式のあと、国民向けにバルコニーから演説をしていた王さまに呼ばれて、二人で手を繋いで連れ立って歩いていった。
 王さまの隣に並び立ちバルコニーから見下ろすと、一生懸命に見上げる人たちを目にして圧倒されて、体が強張った。ヴィーは十歳のころからここに立つこともあったが、私は初めてだ。怖じ気づいたと思われたのか、ぎゅっ と手を強めに握られた。
 ……もう儚さを演出する必要もないのだと、堂々と顔を上げて、にこりと笑った。

 わっと人々が沸き返ったのでまた驚いたが、それなりに注目されていたらしいことに気づく。
 王さまの演説には私は逆境に立ち向かい女王陛下の虐めに耐え続けたとか言われていた。ついでに毒殺未遂は私が関与していなかったことも明確にされ、むしろ嫌疑を姉弟で協力し晴らしたと、違わないけど私を持ち上げるような発言までされた。違わないけど。病弱設定が女王陛下のせいでなされた勘違い、というのも間違ってないけど。

 王さまもヴィーも、急にこのバルコニーに現れることになった私を国民によく印象づけたいという目論見を持っていることが透けて見えて、少し気恥ずかしい。……まあ私もやぶさかではないから、ヴィーの印象がよくなるように芝居に乗っている。本来なら私を虐めていた女王陛下の息子ということで悪印象を植え付けそうだけど、今は手を繋いだり顔を見合わせて一緒に笑ったり、王さまの援護射撃の中で仲のよさを絶賛アピールしている。
 ちなみにこれは国民の前だけではなく、この二日間で各地から訪れた諸侯の前でも変わらず貫く姿勢だ。むしろこちらの方が私には重要だった。私の支持者とヴィーの支持者を繋げなくてはならない。
 それというのも、立て直しを手伝っている最中、ふと思ったのだ――あれ?ヴィーって友達いなくない?……と。
 後宮内ではヴィーは女王陛下に守られていたし、学園に行くことも拒んだので必然的に人脈が足りない。それなのにこれまで問題にならなかったのは、後見が圧倒的に強かったからだ。でも、いなくなった今……アルビオン家が後見になっても、この間ネフィルに釘を刺したとはいえ、一枚岩ではない。

 なにが言いたいかというと、私の戦いは既に再開されているのだ。
 後ろに護衛として立つガルダとティオリアの存在を意識する。もう一人、新たに近衛騎士長となった者もいるが、本当に姓も仕事も捨ててしまった上に、そのくせ平然と並び立っているガルダに居心地が悪そうだ。ティオリアは夜の警護をしていたときにわかりあったらしいが。……でもたまに二人って似てる気がするんだよな。そのうちティオリアもヴィー以外の全てを捨てそうで怖い気もする。
 ……まあ頼もしいと言えば頼もしい彼らもいることだ。
 合図されたので、ヴィーと手を離して一歩だけ進み出る。自然と浮かんだ笑みのまま、それを深くする。国民がさらにざわめきを大きくしたが、意外にもちゃんと受け止められているようだ。





 ――戦い、勝ち取る。負けるつもりは毛頭ない。


 それが、昔から変わらない、変えられない私の生き方。






















 懸命に見上げていた国民は、はっと息を呑んだ。
 好戦的で自信に溢れるその容貌は、妖精姫と謳われた繊細な美しさには程遠い。しかし人々はそれでも目を惹き付けられる。むしろ、これまでよりも強く。
 気高く、毅く、だからこそ美しい。これまでのイメージを払拭するその印象は不快感を全く与えなかった。ただ、自然に塗り替えられた。――これがあるべき姿なのだろう。
 これがこの姫の本質なのだと無意識の内に理解する。

 彼らは目が覚め再び陶酔するように、新たな『妖精姫』を迎え入れた。

















 妖精姫……孤独だった王女。
 ――彼女の軌跡は、これからもこの国に、人々の記憶に深く刻まれていくことになる。

    
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