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階段をのぼる
事後処理①
しおりを挟むその日は風が強かった。砦の屋上ともなればなおさら強く吹き付け、やわな女性なら倒れ込みそうなほど。しかし今そこに立つ者は、長い小麦色の髪をひっつめてわずかに垂れた横髪がそよそよとそよぐだけ。ドレスの裾も大きく横に揺れているが、石の上に根を生やしたように体は揺るぎもせず、その視線も鋭く堂々と国境線を見つめていた。
ユーリ辺境伯領の、更にその端の砦――ブルガ砦は、ジヴェルナ側のシュバルツの国境線ぎりぎりに位置しており、国防でも特に重要な場所である。
四ヶ月ほど前にも、ここを通過して帰国しようとするシュバルツ国第二王子のご一行を通したばかりだ。その際多少の世間話をしたものだ。フラれました、と苦笑しながらも穏やかに凪いだ瞳は、一年前にここを通ってジヴェルナ入りしたときとは違い、少し大人になっていた。
『中途半端なのが見透かされたんでしょうか。私ではあの方には足りなかったようだ』
仮にも相手は年下の王女である。謙遜してる様子もなく本心から言っていたようだが、それはそれでどうなのか。ふとその顔がふっと曇ったりもした。
『……ですが、あのままでは潰れてしまいそうです。軟禁も解除されていませんでしたし……』
世間には後宮の虐待も虐めも広まっていないのに、勘がいい。
そのつぎの日からエルサはあんまり落ち着かないので、ユーリ家の屋敷に戻らず領内の砦を転々としている。重要でない案件は名代殿に押し付けているので気ままに過ごせるが、心は落ち着かなかった。辺境にいざるをえない自分がひどくもどかしい。
(……軟禁は解除されたとは伺いましたが……)
世間一般の情報しか出回ってこないので、その軟禁の原因すら第二王子に聞いた体たらく。確かにおいそれと公にできるものではないが……。
明らかに王女殿下は狙われている。「王女」として。
(あの方は……執着がないでしょうが、願ったり叶ったりだとは考えていなかったでしょうしね…………)
『私は、未来を妨げられたくありません。そこまでの道を作られたくもありません。人にも立場にも』
かつて、まっすぐにわたくしを見つめて宣言されたこと。それでも祝福できるかと問いかけた幼い娘。
……何にも妨げられない。あなたさまは誰のものでもなくあなたさま自身のもの。たとえ王女でなくなったとして、それは取り上げられたからではなく自ら捨てるからだ。明言していなかったが、いずれそのときは来ると知っていた。ベリオルたちにも教えていない、わたくしだけが確信していること。
ヴィオレット王子殿下のために、……わたくしたちのために自分自身の復讐すら利用しようとするのだから末恐ろしい。
そんなことをまたつらつらと考えていたとき――。
「エルサさま!!」
ばん、と屋上の入り口が開け放たれ、金髪茶眼の青年が飛び込んできた。
「……あら。名代殿、屋敷にいたのではないの?」
「そ、それどころではありません!王都で……!」
その一報を耳にしたエルサの行動は迅速だった。
「エ……エルサさま!?」
「名代殿。今日中に支度を整え王都に向かいなさい」
屋上から砦の内部に戻りつつも足の早さは緩まない。名代は後ろから慌ててついていくが、歩く速度がほとんど走ってるのと変わらないのに全然見苦しくない歩き方におののく。淑女教育って極めればこんなこともできるのか、と変に納得しながら首をかしげた。
「私がですか?」
「ええ。これから中央は揺れます。五年以上ここで研鑽を積んだあなたを見くびっているわけではありませんが、これは政変と同義です。あなたにはまだ荷が重い。わたくしが他国との折衝にたちますので、あなたは一刻も早く正確な事態を掴んできなさい。――その際、どちらの派閥に肩入れすることも許しません。それと王女殿下の様子もわたくしの代わりに確かめて、必要であれば守りなさい。どちらからも」
「お……王女殿下ですか?」
「不服ですか?」
きょとんとした青年は、一瞬後に破顔した。
「――いいえ。実は私、会ったことはないですが、あの方が妖精姫だっていう噂、信じてなかったんですよ。あなたさまのしごき――げふんごふん、特訓にまっすぐついていったいわゆる姉弟子ですからね。結構私、この情報信じてるので。ですから、師匠、お任せください!」
「師匠と呼ぶなと……」
「では行ってきますね!!ご入り用のものがあれば書面にてお願いします!!」
エルサは飛ぶように走り去っていく青年を見送って呆れたため息をついた。あからさまに逃げられた。けれどわたくしが見逃すと思っているのかしら?
……この騒動が落ち着いたら一年は王都に滞在しようかしら。
ふふふ、と笑い声を上げながら、馬車を用意してユーリの屋敷に向かうように指示を出した。
(――やってくれましたわね、あの方……!)
ああ、わくわくする。あの方がこれからどう未来を掴み直すのか。ようやく完全に呪縛から逃れたときに、元気なあの方とお会いしたい。
なれば、わたくしはわたくしの仕事を致しましょう。
――国王及び王妃毒殺未遂にまつわる妖精姫の逆転劇。
様々な脚色を加えられつつもそれが一国全土に広まったのは、そう遅くはなかった。
☆☆☆
城内の勢力は、現在徐々に塗り替えられている。
ルシェル派は多くの家と人々が告発の憂き目に遭い、失脚はいまだされていないものの、ほぼ秒読み状態であることは確かだった。
比較的ましで回復も見込める者たちは泥舟から離れ、新たにすり寄る相手を求めさ迷い、またそれを防ぐように内部からも告発の声が上がり、国の後継者を祭り上げた後見一派はずたずたに切り裂かれ、暗く淀み、かつての栄光をたった数日で手放して真っ逆さまに最悪の道を転落していった。
初めの告発者は誰なのか。一番に鋏をいれたのは誰なのか、城内で様々に憶測が飛び交い、ルシェル派だけでなく水の波紋が広がるように多くの人々に浸透していった。中には玉座の間でリエン姫だと聞いたものもいたというが、未だ確証がとれないままである――……。
「やってくれたな……!!」
騒動から三日経った、昼下がり。
外宮の、王さまの居室に近い客室にやって来たネフィルは開口一番そうのたまった。連れだってもう一人、垂れ目の青年が入ってきた。二人とも目の下の隈すごい。私も大概だろうけど。
ここ数日城は不夜城と化している。その忙しさを作り出したのは誰かと聞かれたら……私は目を逸らしながらヴィーだと言う。
「こんなに早く時間がとれてよかったわ」
「面会要請は私もしていたからな。それにあなたからの要請は無視できるわけがないだろう」
あれだ。表向きは私が王女だから無下にできないって言ってるけど、裏では万一ほったらかして私が何をするのかわからないのが怖いって言ってる。目がそう言ってる。
「座ってちょうだいな。お茶淹れるから」
「……いい。リエン姫、この男はアルビオン家当主補佐のエドガー・アルブス。私の従兄だ。エドガー」
「はい。お初にお目にかかります、姫殿下。エドガーと申します。お茶は私が淹れますよー」
金髪緑眼というアルビオン家の色彩の青年はふわっと笑ってお茶を用意し始めた。この部屋に私たち三人しかいないのは、私が当面あてがわれたこの部屋につけられそうになった侍女を信用してないからだ。一度拒否すると王さまもベリオルも納得してくれた。二人の人選を信用してない訳じゃないけど、侍女そのものへの不信感の方が勝る。……たとえアルビオン家から呼ばれた侍女であっても。
私は一人がけの椅子に座り、テーブルを挟んで対面のソファにネフィルとエドガーが座った。お土産と称してお菓子をもらったので即刻開封する。ネフィルは知っていたがエドガーも大の甘党らしい。……アルビオンの血かもしれない。彩り鮮やかなマカロンを三人で分け合うことになった。
「それで、会ってすぐに『やってくれたな』ってどんな挨拶なの?」
「……我々一族は君の成果に期待していたがな」
ネフィルはだん、と両方の拳をテーブルに叩きつけた。ティーカップが危ないからやめてほしい。
「――まさか、後宮どころか飛んでルシェル派まで潰してしまうとは、普通考えないだろう……!!」
「そうですねー。第一報がサーム殿から流れてきた時点で一族みんな耳と自分たちの正気疑いましたからねー」
徹底的にうちひしがれているネフィルと違い、エドガーはのほほんとそんなことを言っているが、大分目が荒んでいる。
「うちの当主、前に比べると取っつきやすくはなったんですが、あなたさまのことになると暴走しかけるので一族みんなあなたさまにお会いしたかったんですよー。この当主がまず暴走するところから私たち驚きましたしね」
「残念でしたね、他の人と会う必要性を感じなかったものですから」
すっと、垂れ目が細くなった。さすが、ネフィルの補佐をするだけあって賢い人だ。私が敬語であることもその意味も。発言から、ネフィル以外はたとえ母の生家であっても信用できないというのも理解しただろう。
空気が変わったことを察したネフィルも居住まいを整える。
「私が今日あなた方を呼んだのは、ちょっと確認しておきたいことがあったから」
「……確認?」
「ええ」
あ、にっこり笑ったのにそのひきつった顔はないんじゃないか、ネフィル。
「ネフィル。あなたはかつて、私に私自身の未来を委ねようと言ったわね。それは一族の総意だったとも」
「……ああ」
「今さら撤回なんてしないわよね?」
きょとんとしているエドガーには悪いけど。ネフィルは私の言いたいことを察したようだ。慎重に「ああ」と肯定する。……よし。言質はとれた。
にやりと浮かべた笑みを眼前で叩き合わせた手でごまかした。
「――よかった!これでアルビオン家を潰さなくて済むわ!」
「なっ!?」
がたんとみじろいだのはエドガー。ネフィルはやっぱりか、とげんなりした顔で頷いている。
「ネフィル!?どう言うことだ!」
「……どうもこうもない。落ち着け」
「あるだろう!潰すって一体――」
「エドガーさまはご存じないようですが。私、利用されるの大嫌いなんです」
首をかしげてまた笑う。
「ルシェル派が城から順々に淘汰されている今、私とヴィーの立ち位置はかなり危なくなっているわよね、ネフィル?」
「……ああ。毒婦は馬鹿なことに、多くの恨みを買っているからな」
「そこで、女王陛下の血を受け継ぐヴィーに対して、反ルシェル派の方々……あなたたちが筆頭となって表舞台にようやく出てきた一大勢力は、不安や不満があるのでしょう?」
ヴィーは戸籍上私の本当の弟となって、ぎりぎりでアルビオン家の庇護に滑り込んだけど、流れる血までは変えられない。ヴィー自身に危機感を持つものがいれば、その血を利用してまでのしあがろうとする者も出てくるだろう。特にルシェル派は。……いずれ禍根となる可能性があるのだ。
「それならば、私を次代の王に祭り上げたらいいとか考える人も沢山いるでしょう?――アルビオン公爵さま」
当然、反ルシェル派筆頭たるアルビオン家の内部に。
ネフィルが頷く横でエドガーが目を白黒させている。そっちを向いて、腹黒く笑って見せた。
「私は私を利用する者は許すつもりはありませんの、エドガーさま。ましてや幼い頃に交わした約束も守れないとあっては……私に潰せと言ってるも同義でしょう。私はたとえ血が繋がっていても、ネフィル以外、後宮まで会いに来てくれなかったあなたたちに対して容赦するつもりは、さらさらないので」
「そ、そんな、ことを……」
「できないと思うな、エドガー。まさに今、自力でルシェル派を潰した方だ。ヴィオレット王子を大切に思いながらにその後見を排除した」
エドガーはぴしりと固まった。そう。もしそのときが来れば、たとえ相手がネフィルだろうと私は容赦しない。
「そういうことです。見くびらないでくださいね?次代の王は、ヴィーです。誰がなんと言おうと。私が玉座に興味がないということをしっかり覚えていてください」
――もしそっちの派閥が下手をやらかしたら、問答無用でアルビオン家を叩き潰す。いかに末端がやったことでも、筆頭たるあなたたちにその責の全てを負ってもらう。
……だから、潰されたくなければ統制はしっかり行うことね?
ネフィルは一気に憔悴した様子のエドガーだけ先に返した。一族にその旨をきちんと説明するように命じて。
そうして二人だけになった部屋で、私もネフィルも、黙って紅茶を啜った。最近怒濤のように時間が過ぎ去っていくから、この穏やかな時間が本当にありがたい。ネフィルもそうだろう。私は主に提出した調書の裏付けや、今現在封鎖されている後宮内部の腐敗の証人として聴取に参加して、目まぐるしい。ネフィルはルシェル派の失脚により急成長した自身の派閥……反ルシェル派の再構築や選別に忙しい。
強い毒に中った王さまは意識を取り戻したもののまだ寝台から動ける状態じゃなく、ベリオルがその傍でルシェル派が抜けたことで半分停止してしまった城の機能の建て直しの陣頭指揮をとっている。ヴィーもそれを手伝っているようだ。いい経験になるだろう。
たった三日前のことを過ぎ去った幸福の日々のように感じて、思わず口元を綻ばせた。
玉座の間での大捕物のあと、ヴィーと一緒に王さまのお見舞いにいったら、ベリオルが待ち構えていて、顔を見た直後にぎゅうぎゅうに抱き締められて持ち上げられたと思ったらぶんぶん振り回されたのだった。
あれは軽く酔った。
『外宮でやたらこそこそしてると思ったら、お前!』
頭をぐしゃぐしゃに撫でられもした。
ベリオルはすごく晴れやかな顔をしていた。
『あの調書はなんだよ!後宮だけかと思ってたら、外宮までもいつの間に標的と化してたんだ?横領は細かい数字まで計算してあるし捏造を暴いてその証拠まで揃えやがって!リィの格好まで使い分けて内務省に入り浸ってたんだって!?密売冤罪その他諸々――出るわ出るわ。危ねぇ橋まで渡っちまってよ!!無事で本当によかった!』
『サームから聞いたの?』
『ああ。お前に内緒にしとけと言われたが、もう時効だろうってさっき言いに来た。――本当にやってくれやがったな、お前。すげぇよ』
まるで憑き物が落ちたようなさっぱりした顔に、徐々に達成感が湧いてきた。有象無象たちではなく、ベリオルに褒められたことにとても誇らしくなった。私のこれまでの苦痛を知っている人。私の努力を知る人だからこそ。
――そうだ。計画はおじゃんになったけど。私、女王陛下たちを本当に倒したんだ。私がこの手で。自分の望みを叶えたんだ。長年の悲願を……!
嬉しすぎてこっちからもベリオルの首に腕を回した。ベリオルはまだ私を持ち上げたままだったので。
『ベリオル、ありがとう。見守ってくれて。我慢していてくれてありがとう』
『……それ、ネフィルたちにも言ってやってくれよ』
ベリオルはくすぐったそうにそう言って、受け入れてくれた。
『……そろそろよろしいですかな?』
ひょこりと王さまの寝室から顔を出したのはヒュレム医師。苦笑しつつ、陛下が早く私と顔を会わせたいと言ってるのを教えてくれた。……本来の目的忘れてたわ。二人で行くと、寝室にはちゃっかりヴィーが居座っていた。ベリオルが騒いでる間に私を見捨てて先に入っていたらしい。ティオリアは今回は部屋に入らず、居室の外で警戒の役を負ってくれてる。
『――遅い』
毒に喉が焼かれたのか、嗄れた声。でも、その声は矍鑠としていて、無気力とはほど遠い。ヴィーは結構病人にも容赦しなかったらしい、寝台の上にとてつもなく見覚えのある書類の数々が散らばっていた。……目覚めたばかりのはずなのに、王さまもよくやるよ。ヒュレム医師もよく二人を止めなかったな。
でも、今なら、少しだけなら認めてもいい気分なの。
『――ただいま、お父さま』
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